ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:古今和歌集

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 今日は、平安時代前期の905年(延喜5)に、15日に完成した初の勅撰和歌集『続万葉集』に対し、醍醐天皇が編纂し直すよう命じ、改めて『古今和歌集』として編輯を行うこととなったと考えられる日ですが、新暦では5月24日となります。
 平安時代前期に醍醐天皇の勅命で、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人が撰者となって編集し、905年(延喜5年4月15日)に奏上(注:仮名序では4月18日)された最初の勅撰和歌集で、『古今集』とも呼ばれています。しかし、奏覧ののちも内容に手が加えられたと見られ、実際の完成は延喜13年(914年)~延喜14年頃とも考えられてきました。
 全二十巻からなり、仮名序と真名序の二つの序文があって、約1,100首を収め、春・夏・秋・冬など13に分類されています。ほとんどが短歌ですが、旋頭歌4首と長歌5首もあり、技巧的・観念的で、繊細・優美な歌が多く、『万葉集』の率直な写生の歌とは異なってきました。
 入集歌数が多いのは、紀貫之(102首)、凡河内躬恒(60首)、紀友則(46首)、壬生忠岑(36首)、素性(36首)、在原業平(30首)の順となっています。この歌集以後、勅撰和歌集が編集され、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれてきました。尚、1205年(元久2)成立の『新古今集』までの初めの8つを「八代集」とも呼んでいます。
 以下に、『古今和歌集』の仮名序を掲載紙ておきますから、ご参照下さい。

<収載されている代表的な歌>
・「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」(紀友則)
・「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(藤原敏行)
・「冬がれの 野辺とわが身を 思ひせば 燃えても春を 待たましものを」(伊勢)
・「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」(壬生忠岑)
・「桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける」(紀貫之)
・「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)

〇古今和歌集仮名序

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。
このうた、あめつちのひらけはじまりける(時)よりいできにけり。しかあれども、よにつたはれることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける。ちはやぶるかみよには、うたのもじもさだまらず、すなほにして、ことのこゝろわきがたかりけらし。人のよとなりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。
かくてぞはなをめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶこゝろことばおほく、さまざまになりにける。とほきところもいでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり、たかき山もふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたもかくのごとくなるべし。
なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。あさかやまのことばゝうねめのたはぶれよりよみて、このふたうたは歌のちゝはゝのやうにてぞ、(て)ならふ人のはじめにもしける。
そも/\歌のさまむつなり。からのうたにもかくぞあるべき。 そのむくさのひとつにはそへ歌。おほさゝきのみかどをそへたてまつれるうた
なにはづにさくやこのはなふゆごもりいまははるべとさくやこのはな
といへるなるべし。ふたつにはかぞへうた
さくはなに思ひつくみのあぢきなさみにいたづきのいるもしらずて
といへるなるべし。みつにはなずらへうた
きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ
といへるなるべし。よつにはたとへうた
わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも
といへるなるべし。いつゝにはたゞことうた
いつはりのなきよなりせばいかばかり人のことのはうれしからまし
といへるなるべし。むつにはいはひうた
このとのはむべもとみけりさきくさのみつばよつばにとのづくりせり
といへるなるべし。
いまのよの中、いろにつき人のこゝろはなになりにけるより、あだなるうたはかなきことのみいでくれば、いろごのみのいへにむもれぎの人しれぬことゝなりて、まめなるところにははなすすきほにいだすべき事にもあらずなりにたり。そのはじめをおもへばかゝるべく〔も〕なむあらぬ。いにしへのよゝのみかど、春のはなのあした、あきの月のよごとにさぶらふ人びとをめして、ことにつけつゝ歌をたてまつらしめたまふ。あるははなをそふとてたよりなきところにまどひ、あるは月をおもふとて、しるべなきやみにたどれるこゝろごころをみたまひて、さかしおろかなりとしろしめしけむ。しかあるのみにあらず、さゞれいしにたとへ、つくばやまにかけてきみをねがひ、よろこびみにすぎ、たのしびこゝろにあまり、ふじのけぶりによそへて人をこひ、まつむしのねにともをしのび、たかさごすみのえのまつもあひおひのやうにおぼえ、をとこやまのむかしをおもひいでゝ、をみなへしのひとゝきをくねるにも歌をいひてぞなぐさめける。又春のあしたにはなのちるをみ、あきのゆふぐれにこのはのおつるをきゝ、あるはとしごとに、かゞみのかげにみゆるゆきとなみとをなげき、くさのつゆみづのあわをみて、わがみをおどろき、あるはきのふはさかえおごりて、〔今日は〕ときをうしなひよにわび、したしかりしもうとくなり、あるはまつ山のなみをかけ、野なかの(し)みづをくみ、あきはぎのしたばをながめ、あか月のしぎのはねがきをかぞへ、あるはくれたけのうきふしを人にいひ、よしのがはをひきてよの中をうらみきつるに、いまはふじのやまもけぶりたゝずなり、ながらのはしもつくるなりときく人は、うたにのみぞこゝろをばなぐさめける。
いにしへよりかくつたはれるうちにも、ならのおほむ時よりぞひろまりにける。かのおほむよや、うたのこゝろをしろしめしたりけむ。かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。これはきみも人もみをあはせたりといふなるべし。あきのゆふべたつたがはにながるゝもみぢをば、みかどの御めににしきとみたまひ、春のあしたよしの山のさくらは、人まろが心には雲かとのみなむおぼえける。又山のへのあか人といふ人ありけり〔と〕。うたにあやしうたへなりけり。人まろはあか人がかみにたゝむことかたく、あか人はひとまろがしもにたゝむことかたくなむありける。 この人々をおきて又すぐれたる人も、くれたけのよにきこえ、かたいとのより/\にたえずぞありける。これよりさきの歌をあつめてなむまえふしふとなづけられたりける。
こゝにいにしへのことをも歌のこゝろをもしれる人、わづかにひとりふたりなりき。しかあれどこれかれえたるところえぬところたがひになむある。 かのおほむときよりこのかた、としはもゝとせあまり、よはとつぎになむなりにける。いにしへの事をもうたをもしれる人よむ人おほからず。いまこのことをいふに、つかさくらゐたかき人をばたやすきやうなればいれず。そのほかにちかきよにその名きこえたる人は、すなはち、そうじやうへぜうは歌のさまはえたれども、まことすくなし。たとへばゑにかけるをむなを見ていたづらに心をうごかすがごとし。ありはらのなりひらは、そのこゝろあまりてことばたらず。しぼめるはなのいろなくてにほひのこれるがごとし。ふんやのやすひではことばゝたくみにてそのさまみにおはず、いはゞあき人のよきゝぬをきたらむがごとし。うぢやまのそうきせんはことばゝかすかにして、はじめをはりたしかならず。いはゞあきの月をみるに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはしてよくしらず。をのゝこまちは、いにしへのそとほりひめのりうなり。あはれなるやうにてつよからず。いはゞよきをむなのなやめるところあるにゝたり。つよからぬはをうなのうたなればなるべし。おほとものくろぬしは、そのさまいやし。いはゞたきゞおへるやまびとのはなのかげにやすめるがごとし。このほかの人々、そのなきこゆるのべにおふるかづらのはひゝろごり、はやしにしげきこのはのごとくにおほかれど、うたとのみおもひて、そのさましらぬなるべし。
かゝるにいますべらぎのあめのしたしろしめすことよつのときこゝのかへりになむなりぬる。あまねき御うつくしみのなみ〔のかげ〕やしまのほかまでながれ、ひろき御めぐみのかげ、つくばやまのふもとよりもしげくおはしまして、よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろ/\のことをすてたまはぬあまりに、いにしへのことをもわすれじ、ふりにしことを(も)おこしたまふとて、いまもみそなはし、のちのよにもつたはれとて、延喜五年四月十八日に、大内記きのとものり、御書所のあづかりきのつらゆき、さきのかひのさう官おふしかうちのみつね、右衞門のふしやうみぶのたゞみねらにおほせられて、萬葉集にいらぬふるきうた、みづからのをも、たてまつらしめたまひてなむ、 それがなかに、むめをかざすよりはじめて、ほとゝぎすをきゝ、もみぢをゝり、ゆきをみるにいたるまで、又つるかめにつけてきみをおもひ、人をもいはひ、あきはぎなつくさをみてつまをこひ、あふさか山にいたりてたむけをいのり、あるは春夏あき冬にもいらぬくさ/\の歌をなむ、えらばせたまひける。すべて千うたはたまき、なづけて古今和歌集といふ。
かくこのたびあつめえらばれて、山したみづのたえず、はまのまさごのかずおほくつもりぬれば、いまはあすかゞはのせになるうらみもきこえず、さゞれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべき。それまくらことば、はるのはなにほひすくなくして、むなしきなのみあきのよのながきをかこてれば、かつは人のみゝにおそり、かつはうたの心にはぢおもへど、たなびくゝものたちゐ、なくしかのおきふしは、つらゆきらが、このよにおなじくむまれて、この事のときにあへるをなむよろこびぬる。人まろなくなりにたれど、うたのことゝどまれるかな。たとひときうつりことさりたのしびかなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや。あをやぎのいとたえず、まつのはのちりうせずして、まさきのかづらながくつたはり、とりのあとひさしくとゞまれらば、うたのさまを(も)しり、ことのこゝろをえたらむ人は、おほぞらの月をみるがごとくに、いにしへをあふぎていまをこひざらめかも。

 「ウィキソース」より

☆勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)とは?

 天皇の綸旨や上皇・法皇の院宣下命に基づいて編集、奏覧された和歌集のことです。醍醐天皇の勅命によって編纂され、905年(延喜5)に奏上された『古今和歌集』に始まり、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。
 初めの3集(『古今和歌集』・ 『後撰和歌集』・『拾遺和歌集』)を三代集、8集(『古今和歌集』から『新古今和歌集』)までを八代集、残り13集(『新勅撰集』から『新続古今和歌集』)を十三代集ともいいます。平安時代から鎌倉時代初期にかけて最も盛んでしたが、次第に衰え、室町時代に入って跡が絶えました。
 尚、14世紀末に南朝側で編纂された『新葉和歌集』は準勅撰和歌集とされています。勅撰集を作成するには、まず撰和歌所を設置し、勅撰の下命があり、撰者の任命がされました。
 その後、資料が集成され、撰歌と部類配列が行われ、加除訂正の後、目録や序が作成それて清書されます。そして、奏覧され、祝賀の竟宴という過程によって行われました。
 収載されたのは、ほとんどが短歌でしたが、わずかに長歌、旋頭歌、連歌を加えた集もあります。巻数は最初の『古今和歌集』の20巻が継承されましたが、『金葉和歌集』と『詞花和歌集』は10巻となっています。
 部立(歌の種類別区分の仕方)は各集ごとに小異がありますが、基本的には、最初の『古今和歌集』の部立が受け継がれました。勅撰集に歌が選ばれるのは、歌人にとって最高の名誉とされ、和歌を発達させた文学史的意義は大きいとされています。

<勅撰和歌集(二十一代集)一覧>

1 『古今和歌集』20巻・1,100首(醍醐天皇下命) 905年成立(一説905年下命、913-14年成立)[選者:紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑] 
2 『後撰和歌集』20巻・1,425首(村上天皇下命) 951年下命、957-959年成立[選者:大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城]  
3 『拾遺和歌集』20巻・1,351首(花山院下命) 1005-07年成立[選者:花山院] 藤原公任『拾遺抄』を増補したもの 
4 『後拾遺和歌集』20巻・1,218首(白河天皇下命) 1086年成立[選者:藤原通俊]   
5 『金葉和歌集』10巻・650首(白河院下命) 1126年成立(三奏本)[選者:源俊頼](三奏本) 世上に流布したのは10巻665首の二度本 
6 『詞花和歌集』10巻・415首(崇徳院下命) 1151年頃成立[選者:藤原顕輔] 
7 『千載和歌集』20巻・1,288首(後白河院下命) 1188年成立[選者:藤原俊成]  
8 『新古今和歌集』20巻・1,978首(後鳥羽院下命) 1205年成立[選者:源通具、藤原有家、藤原定家、飛鳥井雅経、寂蓮(実際は後鳥羽院親撰)] 
9 『新勅撰和歌集』20巻・1,374首(後堀河天皇下命) 1235年成立[選者:藤原定家]
10 『続後撰和歌集』20巻・1,371首(後嵯峨院下命) 1251年成立[選者:藤原為家]   
11 『続古今和歌集』20巻・1,915首(後嵯峨院下命) 1265年成立[選者:藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良] 
12 『続拾遺和歌集』20巻・1,459首(亀山院下命) 1278年成立[選者:二条為氏]   
13 『新後撰和歌集』20巻・1,607首(後宇多院下命) 1303年成立[選者:二条為世]   
14 『玉葉和歌集』20巻・2,800首(伏見院下命) 1312年成立[選者:京極為兼] 
15 『続千載和歌集』20巻・2,143首(後宇多院下命) 1320年成立[選者:二条為世]   
16 『続後拾遺和歌集』20巻・1,353首(後醍醐天皇下命) 1326年成立[選者:二条為藤、二条為定] 
17 『風雅和歌集』20巻・2,211首(花園院監修、光厳院下命) 1349年成立[選者:光厳院(親撰)]   
18 『新千載和歌集』20巻・2,365首(後光厳天皇下命) 1359年成立[選者:二条為定]
19 『新拾遺和歌集』20巻・1,920首(後光厳天皇下命) 1364年成立[選者:二条為明、頓阿] 
20 『新後拾遺和歌集』20巻・1,554首(後円融天皇下命) 1384年成立[選者:二条為遠、二条為重] 
21 『新続古今和歌集』20巻・2,144首(後花園天皇下命) 1439年成立[選者:飛鳥井雅世] 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1849年(嘉永2)浮世絵師葛飾北斎の命日(新暦5月10日)詳細
1885年(明治18)日清両国間で「天津条約」(李・伊藤条約)が締結される詳細
「専売特許条例」が公布(施行は同年7月1日)される(発明の日)詳細
1900年(明治33)福井「橋南大火」で、死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒の被害を出す詳細
1942年(昭和17)大平洋戦争下で、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などが初空襲(ドウリットル空襲)される詳細
1946年(昭和21)国際司法裁判所(略称:ICJ)が開所する詳細
1964年(昭和39)彫刻家朝倉文夫の命日詳細
1970年(昭和45)刑法学者牧野英一の命日詳細
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 今日は、 平安時代中期の930年(延長8)に、第60代の天皇とされる醍醐天皇の亡くなった日ですが、新暦では10月23日となります。
 醍醐天皇(だいごてんのう)は、885年(元慶9年1月18日)に、京都において、臣籍に降下していた源定省(のちの宇多天皇)の長男(母は内大臣藤原高藤の娘)として生まれましたが、名は維城(これざね)と言いました。887年(仁和3)に父の皇籍復帰と即位に伴い、皇族に列し、890年(寛平元)に親王宣下され、翌年に敦仁(あつぎみ)と改名します。
 893年(寛平5)に立太子し、父宇多天皇から壺切御剣を下賜され、897年(寛平9年7月3日)に元服すると同日践祚し、同月13日に第60代とされる天皇として即位、藤原時平・菅原道真を左右大臣とし、親政を行いました。しかし、901年(昌泰4)に藤原時平の讒言を容れて菅原道真を大宰員外帥に左遷する昌泰の変が起こります。
 901年(昌泰4)に『日本三代実録』が完成・撰上され、翌年には、班田の励行や荘園整理令を発布、905年(延喜5)に『古今和歌集』の撰進を紀貫之らに命じ、『延喜式』を時平に編纂させ、907年(延喜7)には『延喜格』が完成し、撰上されるなど事績を積み上げました。これらの政務への精励やその治績は、後世に62代の村上天皇の時代とともに「延喜・天暦の治」と称えられたものの、律令政治の衰微過程にあったとされています。
 909年(延喜9)に時平が亡くなり、911年(延喜11)に保明親王も21歳で早世、慶頼王を皇太孫としましたが、913年(延喜13)に5歳で夭折するなど不幸が続きました。これらは、菅原道真の怨霊の仕業と噂されたため、923年(延喜23)に菅原道真を左遷した詔を覆し、道真を右大臣に復したうえ贈位を行ってその慰霊に努めます。
 ところが、930年(延長8)に、清涼殿落雷事件が起きると体調を崩し、同年9月22日に皇太子寛明親王(保明親王の同母弟)に譲位(朱雀天皇)し、同月29日に出家(法名は宝金剛)すると同日に数え年46歳で亡くなりました。尚、和歌に堪能で、以後の勅撰集に計43首が入集しているほか、家集『延喜御集』も編んでいます。

<代表的な歌>

・「春風の 吹かぬ世にだに あらませば 心のどかに 花は見てまし」(続後撰和歌集)
・「かくてこそ 見まくほしけれ 万代を かけてにほへる 藤浪の花」(新古今和歌集)
・「うつつにぞ とふべかりける 夢とのみ 迷ひしほどや 遥けかりけむ」(後撰和歌集)
・「人ごころ たのみがたきは 難波なる 葦のうら葉の うらみつべきを」(延喜御集)
・「いはひつる ことだまならば 百年の 後もつきせぬ 月をこそ見め」(玉葉和歌集)

〇醍醐天皇の主要な著作

・『醍醐天皇御記』
・家集『延喜御集』

☆醍醐天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・885年(元慶9年1月18日) 京都において、宇多天皇の第1皇子(母は内大臣藤原高藤の娘)として生まれる
・887年(仁和3年) 父の皇籍復帰と即位(宇多天皇)に伴い、皇族に列する
・890年(寛平元年12月28日) 親王宣下される
・891年(寛平2年12月17日) 敦仁(あつぎみ)に改名する
・892年(寛平4年) 菅原道真の編纂により『類聚国史』が完成・成立する
・893年(寛平5年4月2日) 立太子し、父宇多天皇から壺切御剣を下賜される
・897年(寛平9年7月3日) 元服すると同日践祚する
・897年(寛平9年7月13日) 第60代とされる天皇として即位し、藤原時平・菅原道真を左右大臣とし、政務を任せる
・901年(昌泰4年2月) 藤原時平の讒言を容れて菅原道真を大宰員外帥に左遷する(昌泰の変)
・901年(昌泰4年8月) 『日本三代実録』が完成し、撰上される 
・902年(延喜2年) 時平と共に班田の励行や荘園整理令を発布する
・905年(延喜5年) 『古今和歌集』の撰進を紀貫之らに命じる
・905年(延喜5年) 『延喜式』を藤原時平に編纂させる
・907年(延喜7年11月) 『延喜格』が完成し、撰上される 
・909年(延喜9年) 藤原時平が亡くなる
・911年(延喜11年) 保明親王も21歳で早世する
・913年(延喜13年) 慶頼王を皇太孫としたが、5歳で夭折する
・914年(延喜14年) 三善清行が意見封事十二箇条が奏上する
・923年(延喜23年) 菅原道真を左遷した詔を覆し、道真を右大臣に復したうえ贈位を行ってその慰霊に努める
・927年(延長5年12月) 『延喜式』が完成し、撰上される
・930年(延長8年6月) 清涼殿落雷事件が起きる
・930年(延長8年9月22日) 皇太子寛明親王(保明親王の同母弟)に譲位(朱雀天皇)する
・930年(延長8年9月29日) 出家(法名は宝金剛)すると同日に数え年46歳で亡くなる
・930年(延長8年10月10日) 山城国宇治郡山科陵に土葬される

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 今日は、平安時代前期の905年(延喜5)に、『古今和歌集』が醍醐天皇に奏上された日ですが、新暦では5月21日となります。
 これは、醍醐天皇の勅命で、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人が撰者となって編集し、905年(延喜5年4月15日)に奏上(注:仮名序では4月18日)された最初の勅撰和歌集で、『古今集』とも呼ばれていました。
 全二十巻からなり、仮名序と真名序の二つの序文があって、約1,100首を収め、春・夏・秋・冬など13に分類されています。ほとんどが短歌ですが、旋頭歌4首と長歌5首もあり、技巧的・観念的で、繊細・優美な歌が多く、「万葉集」の率直な写生の歌とは異なっていました。
 入集歌数が多いのは、紀貫之(102首)、凡河内躬恒(60首)、紀友則(46首)、壬生忠岑(36首)、素性(36首)、在原業平(30首)の順となっています。
 この歌集以後、勅撰和歌集が編集され、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。尚、1205年(元久2)成立の『新古今集』までの初めの8つを「八代集」とも呼んでいます。

<収載されている代表的な歌>
・「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」(紀友則)
・「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(藤原敏行)
・「冬がれの 野辺とわが身を 思ひせば 燃えても春を 待たましものを」(伊勢)
・「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」(壬生忠岑)
・「桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける」(紀貫之)
・「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)

〇勅撰和歌集(二十一代集)一覧

1 『古今和歌集』20巻・1,100首(醍醐天皇下命)905年成立[選者:紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑]
2 『後撰和歌集』20巻・1,425首(村上天皇下命)957-959年成立[選者:大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城]
3 『拾遺和歌集』20巻・1,351首(花山院下命)1005-07年成立[選者:花山院] 藤原公任『拾遺抄』の増補
4 『後拾遺和歌集』20巻・1,218首(白河天皇下命)1086年成立[選者:藤原通俊]
5 『金葉和歌集』10巻・650首(白河院下命)1126年成立(三奏本)[選者:源俊頼](三奏本) 世上に流布したのは10巻665首の二度本
6 『詞花和歌集』10巻・415首(崇徳院下命)1151年頃成立[選者:藤原顕輔]
7 『千載和歌集』20巻・1,288首(後白河院下命)1188年成立[選者:藤原俊成]
8 『新古今和歌集』20巻・1,978首(後鳥羽院下命)1205年成立[選者:源通具、藤原有家、藤原定家、飛鳥井雅経、寂蓮(実際は後鳥羽院親撰)]
9 『新勅撰和歌集』20巻・1,374首(後堀河天皇下命)1235年成立[選者:藤原定家]
10 『続後撰和歌集』20巻・1,371首(後嵯峨院下命)1251年成立[選者:藤原為家]
11 『続古今和歌集』20巻・1,915首(後嵯峨院下命)1265年成立[選者:藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良]
12 『続拾遺和歌集』20巻・1,459首(亀山院下命)1278年成立[選者:二条為氏]
13 『新後撰和歌集』20巻・1,607首(後宇多院下命)1303年成立[選者:二条為世]
14 『玉葉和歌集』20巻・2,800首(伏見院下命)1312年成立[選者:京極為兼]
15 『続千載和歌集』20巻・2,143首(後宇多院下命)1320年成立[選者:二条為世]
16 『続後拾遺和歌集』20巻・1,353首(後醍醐天皇下命)1326年成立[選者:二条為藤、二条為定]
17 『風雅和歌集』20巻・2,211首(花園院監修、光厳院下命)1349年成立[選者:光厳院(親撰)]
18 『新千載和歌集』20巻・2,365首(後光厳天皇下命)1359年成立[選者:二条為定]
19 『新拾遺和歌集』20巻・1,920首(後光厳天皇下命)1364年成立[選者:二条為明、頓阿]
20 『新後拾遺和歌集』20巻・1,554首(後円融天皇下命)1384年成立[選者:二条為遠、二条為重]
21 『新続古今和歌集』20巻・2,144首(後花園天皇下命)1439年成立[選者:飛鳥井雅世]
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