ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:参観灯台

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 今日は、明治時代前期の1874年(明治7)に、犬吠埼灯台が完成して、初点灯した日です。
 犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)は、千葉県銚子市のはずれ、犬吠埼の突端に立つ白亜の大型灯台で、周辺は、水郷筑波国定公園の一部となっていて、太平洋に臨む景勝地となってきました。また、世界灯台100選に選ばれた灯台 であり、「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっています。
 この灯台は、明治初期に、江戸条約によって建設された一群の洋式灯台(条約灯台ともいう)の中には入っていませんでしたが、それに続く重要な灯台として建設が決まりました。というのも、この付近一帯は、小島・岩礁が多く、昔から海の難所とされてきたからです。そして、1868年(慶応4)8月21日、幕府の軍艦美加保丸が、暴風雨に遭い、ここの黒生(くろはえ)岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていました。
 そのような中で、イギリスから招いた灯台技師、R・H・ブラントンの設計、施工監督のもと、1872年(明治5年9月2日)に着工、1874年(明治7)11月15日に完成し、初点灯されました。建設当初より、白色塔形(円形)のレンガ造灯台ですが、このレンガは日本製で、19万3千枚もが積み上げられています。それでいて、148年もの風雪に耐え、レンガ製の建造物としては、尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の灯塔高を誇ってきました。
 現在の灯塔高(地上から塔頂まで)31.3mと高く、標高(平均海面~灯火)51.80m、光度110万カンデラ(実効光度)、光達距離は、19.5海里(約40km) で、日本に6ヶ所しかない第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台です。また過去には、霧信号所(エアサイレン)や無線方位信号所(中波標識局、レーマークビーコン)、ディファレンシャルGPS局も併設されていて、いろいろな役割も担ってきました。
 一般公開(大人300円、小人無料)されている参観灯台で、上まで登ることができますが、螺旋階段の数が九十九里海岸にちなんで、99段となっているのが面白いです。灯台上からは、太平洋を一望の下にすることが出来、地球を丸く感じることが出来るところです。
 また、灯台資料展示館も併設されていて、この灯台の歴史、機能・役割などを学べますし、初代犬吠埼灯台レンズ(フレネル式第1等8面閃光レンズ)をはじめ、貴重な資料が多数展示されています。尚、2020年(令和2年)12月23日に、灯台、旧霧笛舎、旧倉庫が国の重要文化財に指定されました。

〇犬吠埼灯台関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1872年(明治5年9月2日) 犬吠埼灯台が着工される
・1874年(明治7年)11月15日 竣工し初点灯する
・1878年(明治11年)1月1日 気象観測業務を開始する
・1907年(明治40年)10月1日 船舶通報事務取扱を開始する
・1910年(明治43年)4月1日 霧信号所霧笛舎竣工し、霧笛号業務を開始する
・1923年(大正12年)5月27日 これまでの石油灯を電気灯火とし、燭光数を変更する
・1930年(昭和5年)2月25日 灯器改造工事のため等級、灯質、燭光数変更(仮灯に変更)する
・1930年(昭和5年)3月25日 灯器改造工事が完成し、灯質変更、光力増大の上点灯する
・1932年(昭和7年)12月15日 無線方位信号所業務を開始(無線標識)する
・1941年(昭和16年)3月11日 構内に犬吠埼電信局を設置する
・1945年(昭和20年)8月10日 7機の米軍戦闘機による攻撃を受け破損し、技術員1名が殉職する
・1945年(昭和20年)11月10日 修復して、再点灯する
・1951年(昭和26年)3月31日 戦災復旧工事が完了し、初点灯より使用していた初代レンズ(仏製1等八面閃光レンズ)が退役する
・1951年(昭和26年)9月1日 暴風標識信号所を設置する
・1953年(昭和28年)8月1日 航路標識事務所を設置する
・1956年(昭和31年)10月15日 光力を増大し、200万カンデラとなる
・1962年(昭和37年)9月1日 レーマークビーコン業務を開始する
・1973年(昭和48年)2月12日 灯塔を鉄筋にて補強工事を実施し完工する
・1987年(昭和62年)12月10日 灯塔をPC工法で耐震補強工事を実施し完工する
・2002年(平成14年)3月20日 灯台資料展示館開館し、明治村(愛知県)にて保存されていた初代レンズが戻る
・2006年(平成18年)8月2日 無線方位信号所(中波帯)が廃止される
・2008年(平成20年)3月31日 犬吠埼霧信号所廃止に伴い、最後の霧笛を鳴らすお別れ式典が挙行される
・2009年(平成21年)4月10日 無線方位信号所が廃止される
・2010年(平成22年)4月28日 灯台が国の登録有形文化財に登録される
・2012年(平成24年)12月19日 旧犬吠埼霧信号所霧笛舎が国の登録有形文化財に登録される
・2016年(平成28年)9月30日 灯台放送(船舶気象通報)及び灯台に併設する犬吠埼ディファレンシャルGPS局の気象通報が廃止される
・2019年(平成31年)3月1日 ディファレンシャルGPS局が廃止される
・2020年(令和2年)12月23日 灯台、旧霧笛舎、旧倉庫が国の重要文化財に指定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1653年(承応2)歌人・歌学者・俳人・貞門俳諧の祖松永貞徳の命日(新暦1654年1月3日)詳細
1867年(慶応3)京都で坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺される(新暦12月10日)詳細
1872年(明治5)「国立銀行条例」が制定される(新暦12月15日)詳細
1903年(明治36)平民社から週刊「平民新聞」が発刊される詳細
1914年(大正3) 東洋経済新報社説に石橋湛山の「青島は断じて領有すべからず」が掲載される詳細
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nojima41
 今日は、幕末明治維新期の1869年(明治2)に、日本2番目の洋式灯台である野島埼灯台が初点灯した日ですが、新暦では1870年1月19日となります。
 野島埼灯台(のじまざきとうだい)は、房総半島最南端の千葉県安房郡白浜町の岬に立つ、白亜の八角形をした美しい大型灯台で、幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税約書」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つでした。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。
 これらが順次建設され、 観音崎灯台に続いて、日本で2番目に初点灯しましたが、野島崎は東京湾に出入りする船舶にとっては、昔からの重要ポイントでした。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形のレンガ造灯台で、基礎から灯火までが30mの高さで、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の6,500カンデラだったそうです。
 しかしながら、関東大震災で、地上6mの所で折れて、大音響と共に倒壊してしまいました。 現在の白色塔形(八角形)コンクリート造 りの灯台は、その後1925年(大正14)8月15日に、再建されたものですが、1945年(昭和20)太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受け、1946年(昭和21)11月12日に完全復旧したものです。
 尚、野島埼とあるは昔の書き方で、1962年(昭和37)に埼を崎と改め、サキをザキと呼ぶようになったそうですが、灯台の方は以前の呼び方のままとされてきました。現況は、灯塔高(地上~塔頂)29m、標高(平均海面~灯火)38m、第2等フレネル式レンズを使い、光度73万カンデラ(実効光度)で、光達距離は17海里(約32km)です。
 ここは、一般公開(有料大人200円)されている参観灯台で、上まで登ることができ、灯台上からは太平洋や遠く伊豆半島までも見渡せる、すばらしい眺望として知られてきました。また、灯台資料館(愛称「きらりん館」)が併設されていて、以前烏帽子島灯台で実際に使われていた第2等フレネル式の灯台レンズなど貴重な灯台関係資料も展示されています。
 1998年(平成10)11月1日には、第50回灯台記念日の行事として、「日本の灯台50選」にも選定されました。

〇「改税約書」(別名「江戸条約」)とは?

 幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国との間で結ばれた「安政五か国条約付属貿易章程」の改訂協約で、江戸において締結されたので、別名「江戸条約」とも呼ばれていました。
 1863年(文久3)に長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、1865年(慶応元年9月)に、兵庫沖に集結した四国連合艦隊 (英・仏・米・蘭) の威嚇により、4ヶ国は、上京していた第14代将軍徳川家茂に対し、長州藩の下関での外国船砲撃事件の償金の3分の2を放棄する代りに、1858年(安政5)に結んだ「修好通商条約」の勅許、兵庫開港、関税率低減を要求します。これに対し、幕府は兵庫開港延期の代償として、関税率の引下げ要求に応じるほかなくなりました。
 そして、輸入税に関して、「修好通商条約」の5~35%の従価税を廃止し、4ヵ年平均価格を原価とする一律5%を基準とする従量税とされ、きわめて不利な関税率となります。これによって、安価な外国商品が日本市場に流入し、産業資本の発達が厳しく阻害されることとなりました。その他、無税倉庫の設置や外国向け輸出品の国内運送非課税、貿易制限の撤去などがあわせて規定されます。
 この後、明治時代における条約改正の主目標となり、ようやく1894年(明治27)に廃棄されました。
 尚、この条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、灯台を建設することを約束させられ、日本で初となる洋式灯台が8ヶ所(観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)建設されることとなります。

☆「改税約書」(江戸条約)により建設された灯台(条約灯台)一覧 

・観音埼灯台(神奈川県横須賀市)初点灯:1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日) 
・野島埼灯台(千葉県南房総市)初点灯:1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日) 
・樫野埼灯台(和歌山県串本町)初点灯:初点灯:1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日) 
・神子元島灯台(静岡県下田市)初点灯:1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日)  
・剱埼灯台(神奈川県三浦市)初点灯:1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日) 
・伊王島灯台(長崎県長崎市)初点灯:1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日) 
・佐多岬灯台(鹿児島県佐多町)初点灯:1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日) 
・潮岬灯台(和歌山県串本町)初点灯:1873年(明治6)9月15日 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1914年(大正3)東京駅の開業式が行われる(東京駅完成記念日)詳細
1947年(昭和22)「過度経済力集中排除法」が公布施行される詳細
1948年(昭和22)連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本経済自立復興の為の「経済安定9原則」を指令する詳細
1997年(平成9)東京湾横断道路(愛称:東京湾アクアライン)が開通する詳細
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