
原爆の子の像(げんばくのこのぞう)は、広島県広島市の広島平和記念公園内にある、佐々木禎子(像のモデル、原爆による白血病で死去)の幟町中学校の同級生らによる募金運動により作られた像です。佐々木禎子(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。
しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院します。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死を契機として、原爆で亡くなった子供達の霊を慰め平和を築くための像を作ろうという運動がおこり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が、1958年(昭和33)5月5日完成しました。像の高さは9mで、その頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託し、側面には少年と少女の二体の像が配されています。
しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院します。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死を契機として、原爆で亡くなった子供達の霊を慰め平和を築くための像を作ろうという運動がおこり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が、1958年(昭和33)5月5日完成しました。像の高さは9mで、その頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託し、側面には少年と少女の二体の像が配されています。
<原爆の子の像の碑文>
【表】
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための
【裏】
原爆で亡くなつた兄姉
の霊をなぐさめ世界
に平和を呼びかける
ために広島市小・中
高校の子供が結集し
全国の友達の支援の
もとにこれをつくる
一九五八年五月五日
広島平和をきずく児童生徒の会
説明文
原爆の子の像
建立者:広島平和をきずく児童・生徒の会
制作者:東京芸術大学教授 菊池一雄氏
この像は、2歳のときに被爆した佐々木禎子さんが、10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3,200余りの学校や世界9か国からの寄付などにより、958年5月5日に完成したものです。
像の高さは9メートルで、その頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面には少年と少女の二体の像が配されています。
像の下に置かれた石像には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。内部につるされた鐘には、ノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られています。この鐘と金色の鶴は、2003年に複製されたものです。
広島市
〇広島平和記念公園(ひろしまへいわきねんこうえん)とは?
広島県広島市中区の太平洋戦争時の原爆投下爆心地付近にある市民公園です。昭和時代前期の1945年(昭和20)8月6日に原爆が投下され、一瞬の内に市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われました。
戦後、1949年(昭和24)制定の「広島平和記念都市建設法」に基づいて建設され、原爆死没者の慰霊と恒久平和を祈ることを目的に、丹下健三によって設計されたのです。原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館が南北の線上に並ぶように建設されました。
公園内には、他に広島国際会議場、原爆供養塔、平和の鐘、原爆の子の像、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館等及び多数のモニュメントがあり、原爆の悲惨さを語りかけています。毎年8月6日には、平和祈念式が行われ、世界中から平和を願って、この公園に人が集まります。
尚、1996年(平成8)には、原爆ドームがユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
戦後、1949年(昭和24)制定の「広島平和記念都市建設法」に基づいて建設され、原爆死没者の慰霊と恒久平和を祈ることを目的に、丹下健三によって設計されたのです。原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館が南北の線上に並ぶように建設されました。
公園内には、他に広島国際会議場、原爆供養塔、平和の鐘、原爆の子の像、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館等及び多数のモニュメントがあり、原爆の悲惨さを語りかけています。毎年8月6日には、平和祈念式が行われ、世界中から平和を願って、この公園に人が集まります。
尚、1996年(平成8)には、原爆ドームがユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
☆広島平和記念公園関係略年表
・1946年(昭和21)11月1日 「中島公園」(10.72ha)として、原爆ドームを除く地域が都市計画公園として、戦告237号で指定される
・1949年(昭和24)8月6日 「広島平和記念都市建設法」が制定される
・1951年(昭和26)8月6日 現在の区域を公園とすることが決定する
・1954年(昭和239)4月1日 平和記念公園が完成する
・1958年(昭和33)5月5日 公園内に原爆の子の像が完成する
・1996年(平成8)12月5日 原爆ドームが世界遺産に登録され、平和公園はバッファーゾーン(緩衝地域)に指定される
・1999年(平成11) 広島平和記念資料館と合わせて、日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に選定される
・2002年(平成14)8月1日 新たに国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が建設される
・2006年(平成18)7月5日 広島平和記念資料館が、同じく広島の世界平和記念聖堂とともに、戦後の建物としては初めて国の重要文化財に指定される
・2007年(平成19)2月6日 平和公園の中央部分が国の名勝に指定される
・2008年(平成20)3月28日 名勝の指定部分が公園全体に拡大される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1763年(宝暦13) | 俳人小林一茶の誕生日(新暦6月12日) | 詳細 |
| 1829年(文政12) | 囲碁棋士・14世本因坊秀和跡目の本因坊秀策の誕生日(新暦6月6日) | 詳細 |
| 1911年(明治44) | 文学者市古貞次の誕生日 | 詳細 |
| 1925年(大正14) | 改正「衆議院普通選挙法」(普通選挙法)公布で満25歳以上の全成年男子に選挙権が与えられる | 詳細 |
| 1951年(昭和26) | 子供の権利に関する宣言「児童憲章」が制定される(児童憲章制定記念日) | 詳細 |
| 1958年(昭和33) | 東京都に「多摩動物公園」が開園する | 詳細 |
| 1965年(昭和40) | 神奈川県横浜市の多摩丘陵の一画に「こどもの国」が開園する | 詳細 |
| 1999年(平成11) | 文芸評論家・国文学者中島河太郎の命日 | 詳細 |