ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:占領軍

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 今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)、前日の東京の皇居前広場で、約25万人が参加した食糧メーデー(正式名称は飯米獲得人民大会)に対して、占領軍(GHQ)最高司令官マッカーサーが「暴民デモ許さず」と声明した日です。
 食糧メーデー(しょくりょうめーでー)は、昭和時代中期の1946年(昭和21)5月19日に、東京の皇居前広場で行われ、約25万人が参加した飯米獲得人民大会の通称です。太平洋戦争後の深刻な食糧危機の中で、首都圏の食糧遅配は極度に悪化し、連日餓死者が出ている状況下で、各地で「米よこせ大会」が巻き起こっていました。
 その中でこの大会が開かれ、政府の食糧配給遅延に抗議し、飯米獲得や民主戦線即時結成を決議、また食糧問題に関する天皇への上奏文を可決したのです。その後、デモ行進に移りましたが、デモ隊の一人が掲げていた「朕はタラフク食ってるぞナンジ人民飢えて死ね」というプラカードが問題となり、不敬罪で起訴されるプラカード事件(結局、不敬罪ではなく名誉毀損罪に問われた)が起こりました。
 この間の流れの中で、吉田茂総理による組閣も難航し、人民民主政府樹立の機運が盛り上がっていたのですが、翌20日の占領軍(GHQ)最高司令官マッカーサーの「暴民デモ許さず」との声明で運動は鎮静化に向かいます。

〇マッカーサー元帥の「多数の暴民によるデモと騒擾に対し警告を発する」声明書 1946年(昭和21)5月20日発表

「余は、組織された指導の下に、集団的暴行と暴力による脅迫の傾向を増しつつある事実が、日本の将来の発展に重大なる脅威をもたらすことにつき、日本国民の注意を喚起する必要を認める。封建的無秩序国家から民主主義国家へ転換してゆく現在の進化の過程において、民主主義的な方法による合理的な自由は全て許可されて来、また今後とも許可されるであろうが、しかし規律なき分子がいまや開始しようとしてゐる如き暴力の行為は、今後その継続を許されないであろう、かうした行為は、たゞに秩序ある政府に対して激説を繰返するのみでなく、連合国の日本占領の基本的目的およびその安全をも〇〇するものである。もし日本社会の少数分子が現段階および現情勢が要求する目標、目的を行なひ得ない時は、余はかゝる悲しむべき状況を統御しかつ収拾するに必要なる手段をとらざるを得なくなるであろう。余は民衆の大部分が一部の規律なき分子によるかゝる行き過ぎを快しとしてゐないと信ずる。そしてこの圧倒的な世論の健全なる意見が十分なる影響力を発揮し、余の干渉を不必要ならしめることを希望してやまない。」

 「朝日新聞」1946年5月21付記事

☆プラカード事件(ぷらかーどじけん)とは?

 昭和時代中期の1946年(昭和21)5月19日の食糧メーデー(正式名称は飯米獲得人民大会)の際、皇居前広場に集まったデモ隊の一人が、「国体はゴジされたぞ 朕(ちん)はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」という天皇諷刺のプラカードを掲げ、不敬罪で逮捕・起訴された事件です。このプラカードの作成者について、検事局は不敬罪で起訴しましたが、一審の東京地方裁判所は、同年11月2日に不敬罪は効力を失ったとして名誉毀損で有罪としました。
 しかし、翌日不敬罪についての「大赦令」が公布されています。その後、両罪の無罪を主張し控訴したものの、1947年(昭和22)6月28日に二審の東京高等裁判所は、「日本国憲法」公布に伴う「大赦令」により、免訴の判決を下しました。
 さらに、被告人は無罪判決を求めて上告しましたが、1948年(昭和23)5月26日の上告審の最高裁判所大法廷は、上告を棄却しています。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

626年(推古天皇34)古代の大臣・中央豪族蘇我馬子の命日(新暦6月19日)詳細
1875年(明治8)フランスのパリで、「メートル条約」が締結される詳細
1886年(明治19)洋画家・紙絵作家高村(旧姓長沼)智恵子の誕生日詳細
1901年(明治34)機械工学者・鉄道技術者島秀雄の誕生日詳細
1933年(昭和8)大阪市営地下鉄1号線(現在の大阪メトロ御堂筋線)の梅田~心斎橋間が開業する詳細
1942年(昭和17)東条英機首相の提唱により翼賛政治会が結成され、初代総裁に阿部信行(元首相)が就任する詳細
1950年(昭和25)「臨時石炭鉱業管理法」が廃止され、炭鉱の国家管理が終了する詳細
1978年(昭和53)千葉県成田市に新東京国際空港(現在の成田国際空港)が開港する詳細
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tokushyuianshisetsu01
 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、占領軍用の慰安施設のために、特殊慰安施設協会(RAA)が設立された日です。
 特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)は、太平洋戦争後の連合国軍占領下において、日本政府の援助により、東京を中心に作られた「慰安所」を中核とした占領軍用の慰安施設でした。連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために、1945年(昭和20)8月26日に、資本金1億円(内、5,500万円は大蔵省が保証して日本勧業銀行が融資)で設立され、最大で5万5000人の売春婦を新聞広告などで募集したとされます。
 8月27日に、東京の大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定した他、各所に設置され、高級将校用慰安所として、10月20日に墨田区向島に「迎賓館大蔵」、11月に世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置されました。しかし、翌年3月26日に、連合国軍東京憲兵司令官官房は「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)を通達し、特殊慰安施設協会(RAA)施設は閉鎖されることになります。
 その後、職を失った女性は、パンパンと称された街娼になったり、風俗街に移動したものもいました。

〇特殊慰安施設協会(RAA)関係略年表

<1945年(昭和20)>
・8月17日 成立した東久邇宮内閣の国務大臣近衛文麿は警視総監坂信弥に「日本の娘を守ってくれ」と請願したため、坂信弥は一般婦女を守るための「防波堤」としての連合軍兵士専用の慰安所の設営を企画する
・8月18日 内務省は同省警保局長橋下政実によって「外国軍駐屯地に於る慰安施設について」(「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」)、および「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」を各県に行政通達し、警視庁は花柳界の団体と打ち合わせを行なう
・8月26日 資本金は1億円(内、5,500万円は大蔵省が保証して日本勧業銀行が融資)で、「特殊慰安施設協会」が設立される
・8月27日 大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定する
・8月28日 特殊慰安施設協会(RAA)幹部が皇居前で宣誓式と万歳三唱を行なう
・8月28日 開業予定の小町園慰安所へマシンガンで武装したアメリカ軍兵士達がに乗り込み、すべての慰安婦たちを強姦する
・9月4日 特殊慰安施設協会の広告が毎日新聞に掲載される
・9月28日 GHQの軍医総監と公衆衛生福祉局長サムス大佐が、東京都衛生局防疫課長与謝野光に対して、都内で焼け残った花街5カ所と売春街17カ所に触れ、占領軍用の女性を世話してくれと要求する
・10月20日 東京の高級将校用慰安所として、墨田区向島に「迎賓館大蔵」が設置される
・11月 東京の高級将校用慰安所として、世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置される

<1946年(昭和21)>
・3月26日 連合国軍東京憲兵司令官官房「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)を通達し、特殊慰安施設協会(RAA)施設は閉鎖される
・8月 「迎賓館大蔵」と「RAAクラブ」を占領軍が接収する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

887年(仁和3)第58代天皇とされる光孝天皇の命日(新暦9月17日)詳細
1617年(元和3)第107代の天皇とされる後陽成天皇の命日(新暦9月25日)詳細
1896年(明治29)北海道函館区の明治29年箱館大火「テコ婆火事」で、2,280戸が焼失する詳細
1931年(昭和6)官僚・政治家・総理大臣濱口雄幸の命日詳細
1988年(昭和63)奈良そごう建設予定地で大量の木簡が発見され、長屋王邸跡であることが判明する詳細
1993年(平成5)東京港連絡橋(レインボーブリッジ)が開通する詳細
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jinminhiroba01
 今日は、昭和時代中期の占領下の1950年(昭和25)に、皇居前広場(通称:人民広場)でデモ隊と占領軍が衝突し、8名が逮捕された「人民広場事件」において、占領軍の軍事裁判にて、逮捕者に重労働10年などの有罪判決が下された日です。
 人民広場事件(じんみんひろばじけん)は、皇居前広場(通称:人民広場)において、民主民族戦線東京準備会主催で、5万人規模(主催者発表)の人民決起大会が開催されたおり、私服警官が集会に紛れ込んでいたのを追及したのを機に警備をしていた占領軍との衝突に発展し、8名の労働者・学生が逮捕された事件でした。これは、5日後に控えていた参議院選挙投票に対するGHQの政治活動抑圧のアッピールとも考えられ、6月2日には、警視庁が皇居前広場と日比谷公園のデモ・集会使用を永久禁止する方針を発表、さらに3日には、異例の速さで実施された占領軍の軍事裁判で、人民広場事件逮捕者に重労働10年などの有罪判決が下されています。
 その後、7月18日にマッカーサー(連合国軍最高司令官)が、日本共産党機関紙『アカハタ』の無期限発行停止を指令、7月24日にGHQが新聞協会代表に共産党員と同調者の追放を勧告し、レッドパージが開始されました。続いて、8月30日にGHQが全労連の解散を指令、9月1日に閣議が公務員のレッドパージ方針を決定、9月21日に映画界のレッドパージ始まり、10月23日に私鉄36社が516人をレッドパージ、11月13日には国鉄のレッドパージ開始で、470人に解雇通告されるなどレッドパージの嵐が吹き荒れることとなり、政府やGHQを批判する労働運動や政治活動に大きなダメージを与えます。
 この一方で、公職追放されていた軍国主義者の追放解除、警察予備隊(現在の自衛隊の前身)の結成、学校行事への「日の丸・君が代」の復活、道徳教育の開始など当時軍国主義の復活ではないかとされ、「逆コース」と呼ばれた一連の動きが進められました。

〇戦後占領下での大衆運動、政治運動と「逆コース」の推移

<1947年(昭和22)>
・1月1日 吉田首相が年頭ラジオ放送で労働運動指導者を「不逞の輩」と呼んで問題となる
・1月31日 マッカーサー連合国軍最高司令官が「二・一ゼネスト」の中止を命令する

<1948年(昭和23)>
・4月8日 東宝争議が始まる(東宝は、経営不振を理由に270人の解雇を通告し、労働組合側は拒否)
・6月7日 国労が手当などを要求し鶴見線で終日ストを決行する
・7月31日 政令201号が公布され、公務員労働者から、団体交渉権を厳しく制限し、争議権を奪う
・10月19日 東宝争議が終結し、解雇通告の撤回と引き換えに、山本薩夫ら組合幹部20人が退社する
・11月29日 海員組合が48時間ストに突入し、全船舶が停船する

<1949年(昭和24)>
・4月4日 「団体等規制令」が公布され、主に左翼政治団体が取り締まりの対象とされる
・5月12日 東京三田の職業安定所で、自由労働者が「仕事よこせ闘争」を開始し、全国へ波及する
・5月14日 炭労740組合42万人が48時間ストに突入する
・5月31日 「行政機関職員定員法」の公布により、285,124人が整理の対象となる
・7月1日 政府が国鉄労組に9万5千余人の整理通告をする
・7月4日 マッカーサー連合国軍最高司令官が、「日本は共産主義進出阻止の防壁」と声明する
・7月6日 常磐線北千住~綾瀬駅間で国鉄総裁下山定則が汽車に轢断された遺体で発見される(下山事件)
・7月15日 中央本線三鷹駅構内で、無人列車が暴走して車止めに激突する事故(三鷹事件) が発生する
・7月19日 民間情報教育局(CIE)教育顧問イールズ、共産主義教授を追放せよと演説する
・8月17日 東北本線松川~金谷川駅間で列車転覆事故(松川事件)が発生する
・9月17日 東京都が都職員の人員整理を断行し、千百余人に辞令が出される
・9月28日 全国教育長会議が「赤色教員」追放を決議、各県で教員レッドパージが広まる
・10月2日 全労連などが反ファッショ平和擁護大会を開催する
・10月5日 日産自動車が組合に2,000人の整理通告をする
・10月20日 「東京都公安条例」が公布・施行され、これによりデモが届け出制となる          
・12月25日 マッカーサーが戦犯で4年以下の刑で服役中のBC級46人に特赦令を出す

<1950年(昭和25)>
・2月10日 GHQが沖縄に「恒久的な基地」を建設すると発表する
・2月13日 東京都教育庁がレッドパージにより教員246人に退職を勧告する
・3月3日 自由労働者が完全就労要求し、東京八王子の職安に座りこみで68人が検束される
・3月7日 GHQが戦犯の仮釈放制度を制定と発表する
・3月25日 炭労の全国360組合31万人がストへ突入する 
・5月2日 東北大学でのイールズ講演会に学生が抗議し、流会となる
・5月30日 皇居前広場(通称:人民広場)でデモ隊と占領軍が衝突し、8名が逮捕される(人民広場事件)
・6月2日 警視庁が皇居前広場と日比谷公園のデモ・集会使用永久禁止の方針を発表する
・6月3日 占領軍の軍事裁判で人民広場事件逮捕者に重労働10年等の有罪判決が下される
・6月13日 文部省が「学生が学外での政治集会やデモに参加することを禁止する」文相談話を発表する
・7月8日 マッカーサー連合国軍最高司令官が、警察予備隊の創設と海上保安庁保安員の増員を指令する
・7月18日 マッカーサー連合国軍最高司令官が『アカハタ』の無期限発行停止を指令する
・7月24日 GHQが新聞協会代表に共産党員と同調者の追放を勧告しレッドパージが始まる
・8月9日 レッドパージの被解雇者ら中心に、言論弾圧反対同盟が結成される
・8月23日 警察予備隊が第1次合格者約7,000人の入隊をもって発足する 
・8月30日 GHQが全労連の解散を指令、全日本学生自治会総連合(全学連)がレッドパージ反対闘争を始める
・9月1日 閣議が公務員のレッドパージ方針を決定する
・9月21日 映画界のレッドパージ始まる
・10月13日 政府が戦犯覚書該当者を除く解除訴願中の10,090人の公職追放解除を発表する
・10月17日 文部省が学校行事に「日の丸・君が代」復活との天野貞祐文相談話を通達する    
・10月23日 私鉄36社が516人をレッドパージする
・11月13日 国鉄のレッドパージ開始で、470人に通告される
・12月13日 「地方公務員法」が公布され、地方公務員の争議行為禁止が規定される

<1951年(昭和26)>
・2月7日 三井・北炭など4労組が無期限ストに突入する
・4月11日 トルーマン米国大統領が国連軍最高司令官・連合国軍最高司令官マッカーサーを解任する
・4月26日 文部省が教師用の「道徳教育手引要綱」を発表する 
・8月16日 旧陸海軍将校1万1,185人の追放を解除する
・9月8日 「サンフランシスコ講和条約」と「日米安全保障条約」(旧)が調印される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1853年(嘉永6)ペリー提督率いるアメリカの東インド艦隊艦船4隻が浦賀沖に来航(黒船来航)する(新暦7月8日)詳細
1872年(明治5)歌人・国文学者佐佐木信綱の誕生日(新暦7月8日)詳細
1900年(明治33)詩人・映画評論家北川冬彦の誕生日詳細
1910年(明治43)桂太郎内閣で「韓国ニ対スル施政方針」を閣議決定し、韓国併合後の朝鮮に対する施政方針を示す詳細
1949年(昭和24) 「測量法」が制定・公布される(測量の日)詳細
劇作家・小説家・俳人佐藤紅緑の命日詳細
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jinminhiroba01

 今日は、昭和時代中期の占領下の1950年(昭和25)に、皇居前広場(通称:人民広場)でデモ隊と占領軍が衝突し、8名が逮捕される「人民広場事件」が起きた日です。
 人民広場事件(じんみんひろばじけん)は、皇居前広場(通称:人民広場)において、民主民族戦線東京準備会主催で、5万人規模(主催者発表)の人民決起大会が開催されたおり、私服警官が集会に紛れ込んでいたのを追及したのを機に警備をしていた占領軍との衝突に発展し、8名の労働者・学生が逮捕された事件でした。これは、5日後に控えていた参議院選挙投票に対するGHQの政治活動抑圧のアッピールとも考えられ、6月2日には、警視庁が皇居前広場と日比谷公園のデモ・集会使用を永久禁止する方針を発表、さらに3日には、異例の速さで実施された占領軍の軍事裁判で、人民広場事件逮捕者に重労働10年などの有罪判決が下されています。
 その後、7月18日にマッカーサー(連合国軍最高司令官)が、日本共産党機関紙『アカハタ』の無期限発行停止を指令、7月24日にGHQが新聞協会代表に共産党員と同調者の追放を勧告し、レッドパージが開始されました。続いて、8月30日にGHQが全労連の解散を指令、9月1日に閣議が公務員のレッドパージ方針を決定、9月21日に映画界のレッドパージ始まり、10月23日に私鉄36社が516人をレッドパージ、11月13日には国鉄のレッドパージ開始で、470人に解雇通告されるなどレッドパージの嵐が吹き荒れることとなり、政府やGHQを批判する労働運動や政治活動に大きなダメージを与えます。
 この一方で、公職追放されていた軍国主義者の追放解除、警察予備隊(現在の自衛隊の前身)の結成、学校行事への「日の丸・君が代」の復活、道徳教育の開始など当時軍国主義の復活ではないかとされ、「逆コース」と呼ばれた一連の動きが進められました。

〇戦後占領下での大衆運動、政治運動と「逆コース」の推移

<1947年(昭和22)>
・1月1日 吉田首相が年頭ラジオ放送で労働運動指導者を「不逞の輩」と呼んで問題となる
・1月31日 マッカーサー連合国軍最高司令官が「二・一ゼネスト」の中止を命令する

<1948年(昭和23)>
・4月8日 東宝争議が始まる(東宝は、経営不振を理由に270人の解雇を通告し、労働組合側は拒否)
・6月7日 国労が手当などを要求し鶴見線で終日ストを決行する
・7月31日 政令201号が公布され、公務員労働者から、団体交渉権を厳しく制限し、争議権を奪う
・10月19日 東宝争議が終結し、解雇通告の撤回と引き換えに、山本薩夫ら組合幹部20人が退社する
・11月29日 海員組合が48時間ストに突入し、全船舶が停船する

<1949年(昭和24)>
・4月4日 「団体等規制令」が公布され、主に左翼政治団体が取り締まりの対象とされる
・5月12日 東京三田の職業安定所で、自由労働者が「仕事よこせ闘争」を開始し、全国へ波及する
・5月14日 炭労740組合42万人が48時間ストに突入する
・5月31日 「行政機関職員定員法」の公布により、285,124人が整理の対象となる
・7月1日 政府が国鉄労組に9万5千余人の整理通告をする
・7月4日 マッカーサー連合国軍最高司令官が、「日本は共産主義進出阻止の防壁」と声明する
・7月6日 常磐線北千住~綾瀬駅間で国鉄総裁下山定則が汽車に轢断された遺体で発見される(下山事件)
・7月15日 中央本線三鷹駅構内で、無人列車が暴走して車止めに激突する事故(三鷹事件) が発生する
・7月19日 民間情報教育局(CIE)教育顧問イールズ、共産主義教授を追放せよと演説する
・8月17日 東北本線松川~金谷川駅間で列車転覆事故(松川事件)が発生する
・9月17日 東京都が都職員の人員整理を断行し、千百余人に辞令が出される
・9月28日 全国教育長会議が「赤色教員」追放を決議、各県で教員レッドパージが広まる
・10月2日 全労連などが反ファッショ平和擁護大会を開催する
・10月5日 日産自動車が組合に2,000人の整理通告をする
・10月20日 「東京都公安条例」が公布・施行され、これによりデモが届け出制となる          
・12月25日 マッカーサーが戦犯で4年以下の刑で服役中のBC級46人に特赦令を出す

<1950年(昭和25)>
・2月10日 GHQが沖縄に「恒久的な基地」を建設すると発表する
・2月13日 東京都教育庁がレッドパージにより教員246人に退職を勧告する
・3月3日 自由労働者が完全就労要求し、東京八王子の職安に座りこみで68人が検束される
・3月7日 GHQが戦犯の仮釈放制度を制定と発表する
・3月25日 炭労の全国360組合31万人がストへ突入する 
・5月2日 東北大学でのイールズ講演会に学生が抗議し、流会となる
・5月30日 皇居前広場(通称:人民広場)でデモ隊と占領軍が衝突し、8名が逮捕される(人民広場事件)
・6月2日 警視庁が皇居前広場と日比谷公園のデモ・集会使用永久禁止の方針を発表する
・6月3日 占領軍の軍事裁判で人民広場事件逮捕者に重労働10年等の有罪判決が下される
・6月13日 文部省が「学生が学外での政治集会やデモに参加することを禁止する」文相談話を発表する
・7月8日 マッカーサー連合国軍最高司令官が、警察予備隊の創設と海上保安庁保安員の増員を指令する
・7月18日 マッカーサー連合国軍最高司令官が『アカハタ』の無期限発行停止を指令する
・7月24日 GHQが新聞協会代表に共産党員と同調者の追放を勧告しレッドパージが始まる
・8月9日 レッドパージの被解雇者ら中心に、言論弾圧反対同盟が結成される
・8月23日 警察予備隊が第1次合格者約7,000人の入隊をもって発足する 
・8月30日 GHQが全労連の解散を指令、全日本学生自治会総連合(全学連)がレッドパージ反対闘争を始める
・9月1日 閣議が公務員のレッドパージ方針を決定する
・9月21日 映画界のレッドパージ始まる
・10月13日 政府が戦犯覚書該当者を除く解除訴願中の10,090人の公職追放解除を発表する
・10月17日 文部省が学校行事に「日の丸・君が代」復活との天野貞祐文相談話を通達する    
・10月23日 私鉄36社が516人をレッドパージする
・11月13日 国鉄のレッドパージ開始で、470人に通告される
・12月13日 「地方公務員法」が公布され、地方公務員の争議行為禁止が規定される

<1951年(昭和26)>
・2月7日 三井・北炭など4労組が無期限ストに突入する
・4月11日 トルーマン米国大統領が国連軍最高司令官・連合国軍最高司令官マッカーサーを解任する
・4月26日 文部省が教師用の「道徳教育手引要綱」を発表する 
・8月16日 旧陸海軍将校1万1,185人の追放を解除する
・9月8日 「サンフランシスコ講和条約」と「日米安全保障条約」(旧)が調印される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1890年(明治23)俳人杉田久女の誕生日詳細
1950年(昭和25)「文化財保護法」が公布される(文化財保護法公布記念日)詳細
1968年(昭和43)「消費者保護基本法」(現在の「消費者基本法」)が公布・施行される詳細
2006年(平成18)映画監督・脚本家今村昌平の命日詳細
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dantaitoukiseirei01

 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、公共の安全の確保に寄与するためとして、「団体等規正令」(昭和24年政令第64号)が公布・施行された日です。
 「団体等規正令(だんたいとうきせいれい)」は、占領軍の指示で超憲法的に制定された、いわゆるポツダム政令の一つで、民主主義・平和主義の健全な育成のため、軍国主義的、極端な国家主義的、暴力主義的、反民主主義的な団体の結成および指導行為の禁止を目的としたとされるものでした。そうであるとされた、団体の結成および指導を禁止し、その解散を指定し、それに特に寄与した関係者職員などを公職から除去するもので、政治活動をするにあたっては、政治団体の役員・構成員等の届出、機関誌紙類の提出等を義務付けられ、本令の遵守について法務総裁の調査権限が付与されています。
 右翼団体、暴力団等にも適用されましたが、実際には朝鮮戦争勃発前後、共産党およびその影響下にある団体に多く適用され、その政治活動を著しく規制するもので、いわゆるレッド・パージに活用されました。1952年(昭和27)4月28日の「サンフランシスコ平和条約」発効後の7月21日に廃止され、その内容は同時に公布・施行された「破壊活動防止法」(昭和27年法律240号)に引き継がれたとされています。
 以下に、「団体等規正令」(昭和24年政令第64号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「団体等規正令」(昭和24年政令第64号) 1949年(昭和24)4月4日公布・施行

 内閣は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号)に基き、同令に基く政党、協会その他の団体の結成の禁止等に関する件(昭和二十一年勅令第百一号)を改正するこの政令を制定する。

 (この政令の目的)
第一条 この政令は、平和主義及び民主主義の健全な育成発達を期するため、政治団体の内容を一般に公開し、秘密的、軍国主義的、極端な国家主義的、暴力主義的及び反民主主義的な団体の結成及び指導並びに団体及び個人のそのような行為を禁止することを目的とする。
2 この政令は、この政令に定められた目的及び行為に関する場合を除き、集会、言論又は信教の自由を阻害するように解釈し、又は適用してはならない。

 (団体の結成及び指導の禁止)
第二条 その目的又は行為が左の各号の一に該当する政党、協会その他の団体は、結成し、又は指導してはならない。
 一 占領軍に対して反抗し、若しくは反対し、又は日本国政府が連合国最高司令官の要求に基いて発した命令に対して反抗し、若しくは反対すること。
 二 日本国の侵略的対外軍事行動を支持し、又は正当化すること。
 三 日本国が他のアジア、インドネシア又はマレー人種の指導者であることをせん称すること。
 四 日本国内において外国人を貿易、商業又は職業従事から排除すること。
 五 日本国と諸外国との間の自由な文化及び学術の交流に対して反対すること。
 六 日本国内において、軍事若しくは準軍事的訓練を実施し、陸海軍軍人であつた者に対して民間人に与えられる以上の恩典を供与し、若しくは特殊の発言権を附与し、又は軍国主義若しくは軍人的精神を存続すること。
 七 暗殺その他の暴力主義的企画によつて政策を変更し、又は暴力主義的方法を是認するような傾向を助長し、若しくは正当化すること。

 (禁止行為)
第三条 前条各号の一に該当する行為は、してはならない。

 (団体の解散)
第四条 左の各号の一に該当する団体で法務総裁の指定するものは、その指定によつて解散する。
 一 第二条に該当する団体(第五条の規定により第二条の団体とみなされたものを含む。)
 二 第二条各号の一に該当する行為をした団体
 三 第六条の届出をしない団体
2 法務総裁は、前項各号の一に該当する団体で同項の指定によらないですでに解散したもの(この政令施行前に解散したものを含む。)に対しても、同項の指定をすることができる。この場合において、その団体は、その指定によつて解散したものとみなす。
3 前二項の法務総裁の指定は、官報に公示して行う。

 (第二条の団体とみなされる団体)
第五条 左の各号の一に該当する団体は、法務総裁の特に指定するものを除くほか、第二条の団体とみなす。
 一 その主要役員のいずれかが左の一に該当するもの
  イ 前条の規定により解散した団体の構成員であつた者
  ロ 昭和五年一月一日以後現役にあつた正規の陸海軍将校又は特別志願予備将校であつた者
  ハ 憲兵隊、特務機関、海軍特務部又はその他の陸海軍警察機関の特殊若しくは秘密諜報機関に勤務した者又はこれに協力した者
  二 その構成員の四分の一を越える者が前条の規定により解散した団体の構成員であつたもの

 (団体の届出)
第六条 その目的又は行為が左の各号の一に該当する政党、協会その他の団体については、当該団体の代表者又は主幹者は、第七条の規定によつて届出をしなければならない。
 一 公職の候補者を推薦し、又は支持すること。
 二 政府又は地方公共団体の政策に影響を与える行為をすること。
 三 日本国と諸外国との関係に関し論議すること。

第七条 前条の届出は、新たに同条の団体を結成し、又は既存の団体を同条の団体に変更したときは、その日から三日以内にその団体について左の各号に掲げる事項を、その届出事項に変更があつたとき、又はその団体が解散したときは、その日から二十日以内にその旨を、その主たる事務所の所在地の市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)に対して行うものとする。
 一 名称
 二 目的
 三 主たる事務所の所在地
 四 役員の住所、氏名、現に所属し、及び従来所属したことのある一切の団体の名称並びに軍隊又は警察に勤務したことのある者については、その旨
 五 有力な財政的援助者の住所、氏名及びその援助の金額
 六 構成員の住所、氏名及び従来所属したことのある一切の政治的又は思想的団体の名称
2 前項第六号の規定は、労働組合及びこれに準ずべき労働者又は被傭者の団体には適用しない。
3 前二項に定めるものを除くほか、前条の届出に関し必要な事項は、法務庁令で定める。

 (届出の通達及び公開)
第八条 第六条の届出を受理した市町村長は、法務庁令の定めるところにより、これを都道府県知事及び法務総裁に通達しなければならない。
2 市町村長、都道府県知事及び法務総裁は、法務庁令の定めるところにより、それぞれ前項の届出を一般に公開しなければならない。

 (機関紙の提出)
第九条 第六条の団体が、機関誌紙を刊行したときは、その代表者又は主幹者は、刊行の日から二十日以内にその一部を主たる事務所の所在地の都道府県知事に、その二部を都道府県知事を経て法務総裁に提出しなければならない。

 (法務総裁の調査)
第十条 法務総裁は、この政令の条項が遵守されているかどうかを確かめるために、必要な調査を行うものとする。
2 法務総裁は、前項の規定による事務の一部を都道府県知事をして行わせることができる。
3 法務総裁又は都道府県知事は、第一項の調査をするについて必要があるときは、関係者の出頭を求め、又は当該官吏若しくは吏員をしてその説明を聴取し、若しくは資料その他の物件の提出を求めさせることができる。
4 前項に規定する当該官吏又は吏員は、その身分を示す証票を携帯し、関係者の請求があるときは、これを呈示しなければならない。

 (団体解散に伴う公職からの除去)
第十一条 昭和二十三年五月十一日以後第四条の規定により解散した団体の本部又は支部その他の下部組織のいずれかに対し、時期の如何を問わず、左の各号の一に該当する関係にあつた者で、法務総裁の指定するものは、公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令(昭和二十二年勅令第一号、以下勅令第一号という。)の規定による覚書該当者に準じて、公職からこれを除去する。
 一 創立者、役員又は理事であつた者
 二 要職を占めた者
 三 一切の刊行物又は機関誌紙の編集者
 四 自発的に多額の寄附をした者
2 前項の法務総裁の指定は、官報に公示して行う。

第十二条 前条第一項の規定に該当する者は、同項の指定によつて、勅令第一号による覚書該当者としての指定を受けたものとみなし、その者が現に同令にいう公職にあるときは、同令第三条の規定に従い退職しなければならない。その他その者に関しては、同令が適用されるものとする。但し、同令第三条第二項但書の権限は、法務総裁が行うものとする。

 (罰則)
第十三条 左に掲げる者は、十年以下の懲役又は禁錮に処する。但し、情状により、七万五千以下の罰金に処することができる。
 一 第二条又は第三条の規定に違反した者
 二 第六条の届出をせず、又は虚偽の届出をした者
 三 第十条第三項の規定により出頭、説明又は資料その他の物件の提出を求められて、これに応じない者
 四 第十一条第一項の規定に該当する者で前条の規定により辞職の措置をとらず、又はその該当の事実を秘して勅令第一号にいう公職に就いたもの。

第十四条 第四条の規定により解散した団体の主要役員若しくは有力な財政的援助者であつた者又は勅令第一号にいう覚書該当者であつてこれらの団体の顧問、参与(これらと同種及び同等の権限を有する類似の職を含む。以下同じ。)若しくは構成員であつた者が新たに第二条の団体を結成し、若しくはその結成を援助し、又は指導し、若しくはその指導を援助したときは、前条に規定する刑の二倍を越えない刑に処する。
2 前項に掲げる者が同項に掲げる新たな団体の主要役員、顧問、参与、構成員又は有力な財政的援助者となつたときは、その者は、同項に掲げる新たな団体を結成し、若しくはその結成を援助し、又は指導し、若しくはその指導を援助したものと推定する。

第十五条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し第十三条の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対し同条の罰金刑を科する。

  附 則 (抄)

1 この政令は、公布の日から施行する。
2 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く政党、協会その他の団体の結成の禁止等に関する件(昭和二十一年勅令第百一号。以下旧令という。)第二条及び第四条第一号(イ)の規定による従前の指定は、この政令第四条の規定による指定とみなす。
3 旧令第五条の規定に基く届出は、この政令第六条の規定に基く届出とみなす。
4 旧令第五条ノ三の規定による指定は、この政令第十一条の規定による指定とみなす。
5 この政令施行前になした違反行為の処罰については、なお旧令による。

 「官報」より

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