ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:勅撰和歌集

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 今日は、平安時代前期の905年(延喜5)に、15日に完成した初の勅撰和歌集『続万葉集』に対し、醍醐天皇が編纂し直すよう命じ、改めて『古今和歌集』として編輯を行うこととなったと考えられる日ですが、新暦では5月24日となります。
 平安時代前期に醍醐天皇の勅命で、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人が撰者となって編集し、905年(延喜5年4月15日)に奏上(注:仮名序では4月18日)された最初の勅撰和歌集で、『古今集』とも呼ばれています。しかし、奏覧ののちも内容に手が加えられたと見られ、実際の完成は延喜13年(914年)~延喜14年頃とも考えられてきました。
 全二十巻からなり、仮名序と真名序の二つの序文があって、約1,100首を収め、春・夏・秋・冬など13に分類されています。ほとんどが短歌ですが、旋頭歌4首と長歌5首もあり、技巧的・観念的で、繊細・優美な歌が多く、『万葉集』の率直な写生の歌とは異なってきました。
 入集歌数が多いのは、紀貫之(102首)、凡河内躬恒(60首)、紀友則(46首)、壬生忠岑(36首)、素性(36首)、在原業平(30首)の順となっています。この歌集以後、勅撰和歌集が編集され、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれてきました。尚、1205年(元久2)成立の『新古今集』までの初めの8つを「八代集」とも呼んでいます。
 以下に、『古今和歌集』の仮名序を掲載紙ておきますから、ご参照下さい。

<収載されている代表的な歌>
・「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」(紀友則)
・「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(藤原敏行)
・「冬がれの 野辺とわが身を 思ひせば 燃えても春を 待たましものを」(伊勢)
・「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」(壬生忠岑)
・「桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける」(紀貫之)
・「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)

〇古今和歌集仮名序

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。
このうた、あめつちのひらけはじまりける(時)よりいできにけり。しかあれども、よにつたはれることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける。ちはやぶるかみよには、うたのもじもさだまらず、すなほにして、ことのこゝろわきがたかりけらし。人のよとなりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。
かくてぞはなをめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶこゝろことばおほく、さまざまになりにける。とほきところもいでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり、たかき山もふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたもかくのごとくなるべし。
なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。あさかやまのことばゝうねめのたはぶれよりよみて、このふたうたは歌のちゝはゝのやうにてぞ、(て)ならふ人のはじめにもしける。
そも/\歌のさまむつなり。からのうたにもかくぞあるべき。 そのむくさのひとつにはそへ歌。おほさゝきのみかどをそへたてまつれるうた
なにはづにさくやこのはなふゆごもりいまははるべとさくやこのはな
といへるなるべし。ふたつにはかぞへうた
さくはなに思ひつくみのあぢきなさみにいたづきのいるもしらずて
といへるなるべし。みつにはなずらへうた
きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ
といへるなるべし。よつにはたとへうた
わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも
といへるなるべし。いつゝにはたゞことうた
いつはりのなきよなりせばいかばかり人のことのはうれしからまし
といへるなるべし。むつにはいはひうた
このとのはむべもとみけりさきくさのみつばよつばにとのづくりせり
といへるなるべし。
いまのよの中、いろにつき人のこゝろはなになりにけるより、あだなるうたはかなきことのみいでくれば、いろごのみのいへにむもれぎの人しれぬことゝなりて、まめなるところにははなすすきほにいだすべき事にもあらずなりにたり。そのはじめをおもへばかゝるべく〔も〕なむあらぬ。いにしへのよゝのみかど、春のはなのあした、あきの月のよごとにさぶらふ人びとをめして、ことにつけつゝ歌をたてまつらしめたまふ。あるははなをそふとてたよりなきところにまどひ、あるは月をおもふとて、しるべなきやみにたどれるこゝろごころをみたまひて、さかしおろかなりとしろしめしけむ。しかあるのみにあらず、さゞれいしにたとへ、つくばやまにかけてきみをねがひ、よろこびみにすぎ、たのしびこゝろにあまり、ふじのけぶりによそへて人をこひ、まつむしのねにともをしのび、たかさごすみのえのまつもあひおひのやうにおぼえ、をとこやまのむかしをおもひいでゝ、をみなへしのひとゝきをくねるにも歌をいひてぞなぐさめける。又春のあしたにはなのちるをみ、あきのゆふぐれにこのはのおつるをきゝ、あるはとしごとに、かゞみのかげにみゆるゆきとなみとをなげき、くさのつゆみづのあわをみて、わがみをおどろき、あるはきのふはさかえおごりて、〔今日は〕ときをうしなひよにわび、したしかりしもうとくなり、あるはまつ山のなみをかけ、野なかの(し)みづをくみ、あきはぎのしたばをながめ、あか月のしぎのはねがきをかぞへ、あるはくれたけのうきふしを人にいひ、よしのがはをひきてよの中をうらみきつるに、いまはふじのやまもけぶりたゝずなり、ながらのはしもつくるなりときく人は、うたにのみぞこゝろをばなぐさめける。
いにしへよりかくつたはれるうちにも、ならのおほむ時よりぞひろまりにける。かのおほむよや、うたのこゝろをしろしめしたりけむ。かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。これはきみも人もみをあはせたりといふなるべし。あきのゆふべたつたがはにながるゝもみぢをば、みかどの御めににしきとみたまひ、春のあしたよしの山のさくらは、人まろが心には雲かとのみなむおぼえける。又山のへのあか人といふ人ありけり〔と〕。うたにあやしうたへなりけり。人まろはあか人がかみにたゝむことかたく、あか人はひとまろがしもにたゝむことかたくなむありける。 この人々をおきて又すぐれたる人も、くれたけのよにきこえ、かたいとのより/\にたえずぞありける。これよりさきの歌をあつめてなむまえふしふとなづけられたりける。
こゝにいにしへのことをも歌のこゝろをもしれる人、わづかにひとりふたりなりき。しかあれどこれかれえたるところえぬところたがひになむある。 かのおほむときよりこのかた、としはもゝとせあまり、よはとつぎになむなりにける。いにしへの事をもうたをもしれる人よむ人おほからず。いまこのことをいふに、つかさくらゐたかき人をばたやすきやうなればいれず。そのほかにちかきよにその名きこえたる人は、すなはち、そうじやうへぜうは歌のさまはえたれども、まことすくなし。たとへばゑにかけるをむなを見ていたづらに心をうごかすがごとし。ありはらのなりひらは、そのこゝろあまりてことばたらず。しぼめるはなのいろなくてにほひのこれるがごとし。ふんやのやすひではことばゝたくみにてそのさまみにおはず、いはゞあき人のよきゝぬをきたらむがごとし。うぢやまのそうきせんはことばゝかすかにして、はじめをはりたしかならず。いはゞあきの月をみるに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはしてよくしらず。をのゝこまちは、いにしへのそとほりひめのりうなり。あはれなるやうにてつよからず。いはゞよきをむなのなやめるところあるにゝたり。つよからぬはをうなのうたなればなるべし。おほとものくろぬしは、そのさまいやし。いはゞたきゞおへるやまびとのはなのかげにやすめるがごとし。このほかの人々、そのなきこゆるのべにおふるかづらのはひゝろごり、はやしにしげきこのはのごとくにおほかれど、うたとのみおもひて、そのさましらぬなるべし。
かゝるにいますべらぎのあめのしたしろしめすことよつのときこゝのかへりになむなりぬる。あまねき御うつくしみのなみ〔のかげ〕やしまのほかまでながれ、ひろき御めぐみのかげ、つくばやまのふもとよりもしげくおはしまして、よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろ/\のことをすてたまはぬあまりに、いにしへのことをもわすれじ、ふりにしことを(も)おこしたまふとて、いまもみそなはし、のちのよにもつたはれとて、延喜五年四月十八日に、大内記きのとものり、御書所のあづかりきのつらゆき、さきのかひのさう官おふしかうちのみつね、右衞門のふしやうみぶのたゞみねらにおほせられて、萬葉集にいらぬふるきうた、みづからのをも、たてまつらしめたまひてなむ、 それがなかに、むめをかざすよりはじめて、ほとゝぎすをきゝ、もみぢをゝり、ゆきをみるにいたるまで、又つるかめにつけてきみをおもひ、人をもいはひ、あきはぎなつくさをみてつまをこひ、あふさか山にいたりてたむけをいのり、あるは春夏あき冬にもいらぬくさ/\の歌をなむ、えらばせたまひける。すべて千うたはたまき、なづけて古今和歌集といふ。
かくこのたびあつめえらばれて、山したみづのたえず、はまのまさごのかずおほくつもりぬれば、いまはあすかゞはのせになるうらみもきこえず、さゞれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべき。それまくらことば、はるのはなにほひすくなくして、むなしきなのみあきのよのながきをかこてれば、かつは人のみゝにおそり、かつはうたの心にはぢおもへど、たなびくゝものたちゐ、なくしかのおきふしは、つらゆきらが、このよにおなじくむまれて、この事のときにあへるをなむよろこびぬる。人まろなくなりにたれど、うたのことゝどまれるかな。たとひときうつりことさりたのしびかなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや。あをやぎのいとたえず、まつのはのちりうせずして、まさきのかづらながくつたはり、とりのあとひさしくとゞまれらば、うたのさまを(も)しり、ことのこゝろをえたらむ人は、おほぞらの月をみるがごとくに、いにしへをあふぎていまをこひざらめかも。

 「ウィキソース」より

☆勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)とは?

 天皇の綸旨や上皇・法皇の院宣下命に基づいて編集、奏覧された和歌集のことです。醍醐天皇の勅命によって編纂され、905年(延喜5)に奏上された『古今和歌集』に始まり、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。
 初めの3集(『古今和歌集』・ 『後撰和歌集』・『拾遺和歌集』)を三代集、8集(『古今和歌集』から『新古今和歌集』)までを八代集、残り13集(『新勅撰集』から『新続古今和歌集』)を十三代集ともいいます。平安時代から鎌倉時代初期にかけて最も盛んでしたが、次第に衰え、室町時代に入って跡が絶えました。
 尚、14世紀末に南朝側で編纂された『新葉和歌集』は準勅撰和歌集とされています。勅撰集を作成するには、まず撰和歌所を設置し、勅撰の下命があり、撰者の任命がされました。
 その後、資料が集成され、撰歌と部類配列が行われ、加除訂正の後、目録や序が作成それて清書されます。そして、奏覧され、祝賀の竟宴という過程によって行われました。
 収載されたのは、ほとんどが短歌でしたが、わずかに長歌、旋頭歌、連歌を加えた集もあります。巻数は最初の『古今和歌集』の20巻が継承されましたが、『金葉和歌集』と『詞花和歌集』は10巻となっています。
 部立(歌の種類別区分の仕方)は各集ごとに小異がありますが、基本的には、最初の『古今和歌集』の部立が受け継がれました。勅撰集に歌が選ばれるのは、歌人にとって最高の名誉とされ、和歌を発達させた文学史的意義は大きいとされています。

<勅撰和歌集(二十一代集)一覧>

1 『古今和歌集』20巻・1,100首(醍醐天皇下命) 905年成立(一説905年下命、913-14年成立)[選者:紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑] 
2 『後撰和歌集』20巻・1,425首(村上天皇下命) 951年下命、957-959年成立[選者:大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城]  
3 『拾遺和歌集』20巻・1,351首(花山院下命) 1005-07年成立[選者:花山院] 藤原公任『拾遺抄』を増補したもの 
4 『後拾遺和歌集』20巻・1,218首(白河天皇下命) 1086年成立[選者:藤原通俊]   
5 『金葉和歌集』10巻・650首(白河院下命) 1126年成立(三奏本)[選者:源俊頼](三奏本) 世上に流布したのは10巻665首の二度本 
6 『詞花和歌集』10巻・415首(崇徳院下命) 1151年頃成立[選者:藤原顕輔] 
7 『千載和歌集』20巻・1,288首(後白河院下命) 1188年成立[選者:藤原俊成]  
8 『新古今和歌集』20巻・1,978首(後鳥羽院下命) 1205年成立[選者:源通具、藤原有家、藤原定家、飛鳥井雅経、寂蓮(実際は後鳥羽院親撰)] 
9 『新勅撰和歌集』20巻・1,374首(後堀河天皇下命) 1235年成立[選者:藤原定家]
10 『続後撰和歌集』20巻・1,371首(後嵯峨院下命) 1251年成立[選者:藤原為家]   
11 『続古今和歌集』20巻・1,915首(後嵯峨院下命) 1265年成立[選者:藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良] 
12 『続拾遺和歌集』20巻・1,459首(亀山院下命) 1278年成立[選者:二条為氏]   
13 『新後撰和歌集』20巻・1,607首(後宇多院下命) 1303年成立[選者:二条為世]   
14 『玉葉和歌集』20巻・2,800首(伏見院下命) 1312年成立[選者:京極為兼] 
15 『続千載和歌集』20巻・2,143首(後宇多院下命) 1320年成立[選者:二条為世]   
16 『続後拾遺和歌集』20巻・1,353首(後醍醐天皇下命) 1326年成立[選者:二条為藤、二条為定] 
17 『風雅和歌集』20巻・2,211首(花園院監修、光厳院下命) 1349年成立[選者:光厳院(親撰)]   
18 『新千載和歌集』20巻・2,365首(後光厳天皇下命) 1359年成立[選者:二条為定]
19 『新拾遺和歌集』20巻・1,920首(後光厳天皇下命) 1364年成立[選者:二条為明、頓阿] 
20 『新後拾遺和歌集』20巻・1,554首(後円融天皇下命) 1384年成立[選者:二条為遠、二条為重] 
21 『新続古今和歌集』20巻・2,144首(後花園天皇下命) 1439年成立[選者:飛鳥井雅世] 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1849年(嘉永2)浮世絵師葛飾北斎の命日(新暦5月10日)詳細
1885年(明治18)日清両国間で「天津条約」(李・伊藤条約)が締結される詳細
「専売特許条例」が公布(施行は同年7月1日)される(発明の日)詳細
1900年(明治33)福井「橋南大火」で、死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒の被害を出す詳細
1942年(昭和17)大平洋戦争下で、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などが初空襲(ドウリットル空襲)される詳細
1946年(昭和21)国際司法裁判所(略称:ICJ)が開所する詳細
1964年(昭和39)彫刻家朝倉文夫の命日詳細
1970年(昭和45)刑法学者牧野英一の命日詳細
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 今日は、鎌倉時代の1187年(文治3)に、藤原俊成が『千載和歌集』(第七番目の勅撰和歌集)を後白河法皇に撰進した日ですが、新暦では10月23日となります。
 『千載和歌集』(せんざいわかしゅう)は、1183年(寿永2)の後白河法皇の院宣で藤原俊成が命を受けて編纂、1187年(文治3年9月20日)に撰進し、翌年4月22日に奏覧した、第七番目の勅撰和歌集で、八代集の一つです。全二十巻で、仮名序があり、四季、離別、羇旅、哀傷、賀、恋、雑、釈教、神祇の部立に分かれ、平安時代中期から当代までの作、約1,290首を収めました。
 俊成編の私撰集『三五代集』(現存しない)を母胎として編纂されたとされ、『万葉集』、『古今和歌集』、『後撰和歌集』の歌人の歌は含まれていません。最多入集歌人は源俊頼(52首)で、藤原俊成(36首)がそれに次ぎ、藤原基俊(26首)、崇徳院(23首)らが上位を占めています。
 『金葉和歌集』、『詞花和歌集』の行過ぎを是正したとされ、古今的伝統への復帰を志し、平明温雅ですが、清新な感覚に支えられた感傷的情緒性が目立つものの、宗教的傾向もありました。

<収載されている代表的な歌>

・「夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里」(藤原俊成)
・「なげけとて 月やは物を 思はする かこち顔なる 我が涙かな」(西行法師)
・「夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり」(俊恵法師)
・「さくら花 うき身にかふる ためしあらば 生きて散るをば 惜しまざらまし」(源通親)
・「五月雨に 花橘の かをる夜は 月すむ秋も さもあらばあれ」(崇徳院)
・「おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ 月に心は あくがれぬとも」(紫式部)
・「月のすむ 空には雲も なかりけり うつりし水は 氷へだてて」(道因法師)

〇勅撰和歌集とは?

 天皇の綸旨や上皇・法皇の院宣下命に基づいて編集、奏覧された和歌集のことです。醍醐天皇の勅命によって編纂され、905年(延喜5)に奏上された『古今和歌集』に始まり、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。
 初めの3集(『古今和歌集』・ 『後撰和歌集』・『拾遺和歌集』)を三代集、8集(『古今和歌集』から『新古今和歌集』)までを八代集、残り13集(『新勅撰集』から『新続古今和歌集』)を十三代集ともいいます。平安時代から鎌倉時代初期にかけて最も盛んでしたが、次第に衰え、室町時代に入って跡が絶えました。尚、14世紀末に南朝側で編纂された『新葉和歌集』は準勅撰和歌集とされています。
 勅撰集を作成するには、まず撰和歌所を設置し、勅撰の下命があり、撰者の任命がされました。その後、資料が集成され、撰歌と部類配列が行われ、加除訂正の後、目録や序が作成それて清書されます。そして、奏覧され、祝賀の竟宴という過程によって行われました。
 収載されたのは、ほとんどが短歌でしたが、わずかに長歌、旋頭歌、連歌を加えた集もあります。巻数は最初の『古今和歌集』の20巻が継承されましたが、『金葉和歌集』と『詞花和歌集』は10巻となっています。部立(歌の種類別区分の仕方)は各集ごとに小異がありますが、基本的には、最初の『古今和歌集』の部立が受け継がれました。
 勅撰集に歌が選ばれるのは、歌人にとって最高の名誉とされ、和歌を発達させた文学史的意義は大きいとされています。

〇「二十一代集」(勅撰和歌集)一覧

1.『古今和歌集』905年成立(醍醐天皇下命・紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑撰)20巻・1,100首
2.『後撰和歌集』957-959年成立(村上天皇下命・大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城撰)20巻・1,425首
3.『拾遺和歌集』1005-07年成立(花山院下命・花山院、藤原公任撰)20巻・1,351首
4.『後拾遺和歌集』1086年成立(白河天皇下命・藤原通俊撰)20巻・1,218首
5.『金葉和歌集』1126年(三奏本)成立(白河院下命・源俊頼撰)10巻・650首(三奏本)
6.『詞花和歌集』1151年頃成立(崇徳院下命・藤原顕輔撰)10巻・415首
7.『千載和歌集』1188年成立(後白河院下命・藤原俊成撰)20巻・1,288首
8.『新古今和歌集』1205年成立(後鳥羽院下命・源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、飛鳥井雅経、寂蓮撰)20巻・1,978首
9.『新勅撰和歌集』1235年成立(後堀河天皇下命・藤原定家撰)20巻・1,374首
10.『続後撰和歌集』1251年成立(後嵯峨院下命・藤原為家撰)20巻・1,371首
11.『続古今和歌集』1265年成立(後嵯峨院下命・藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良撰)20巻・1,915首
12.『続拾遺和歌集』1278年成立(亀山院下命・二条為氏撰)20巻・1,459首
13.『新後撰和歌集』1303年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・1,607首
14.『玉葉和歌集』1312年成立(伏見院下命・京極為兼撰)20巻・2,800首
15.『続千載和歌集』1320年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・2,143首
16.『続後拾遺和歌集』1326年成立(後醍醐天皇下命・二条為藤、二条為定撰)20巻・1,353首
17.『風雅和歌集』1349年成立(花園院監修下命・光厳院撰)20巻・2,211首
18.『新千載和歌集』1359年成立(後光厳天皇下命・二条為定撰)20巻・2,365首
19.『新拾遺和歌集』1364年成立(後光厳天皇下命・二条為明、頓阿撰)20巻・1,920首
20.『新後拾遺和歌集』1384年成立(後円融天皇下命・二条為遠、二条為重撰)20巻・1,554首
21.『新続古今和歌集』1439年成立(後花園天皇下命・飛鳥井雅世撰)20巻・2,144首
準.『新葉和歌集』1381年成立(長慶天皇下命・宗良親撰)20巻・1,426首

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1806年(文化3)浮世絵師喜多川歌麿の命日(新暦10月31日)詳細
1852年(嘉永5)囲碁名人・17世および19世本因坊秀栄の誕生日(新暦11月1日)詳細
1903年(明治36)京都市の堀川中立売~七条~祇園で日本初の乗合自動車(バス)が運行される(バスの日)詳細
1943年(昭和18)農芸化学者・栄養化学者鈴木梅太郎の命日詳細
1945年(昭和20)「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(勅令第542号)が公布・施行される(ポツダム命令)詳細
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 今日は、鎌倉時代の1312年(正和元)に、京極為兼が『玉葉和歌集』(二十一代集の14番目)を撰進した日ですが、新暦では5月5日となります。
 『玉葉和歌集』(ぎょくようわかしゅう)は、第14勅撰和歌集で、1311年(応長元)5月3日に伏見上皇の院宣により、京極為兼が編纂し、翌年3月28日に撰進し奏覧されたものの、さらに改訂作業が続けられ、1312年(正和2)頃に完成しました。『万葉集』や『新古今和歌集』を中心とした古歌を尊重しているほか、持明院統・京極派が厚遇されているとされ、従来二条家で独占していた撰集とは歌風が異っています。
 全20巻で、勅撰和歌集最大の約2,800首が収載され、春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、賀、旅、恋(五巻)、雑(五巻)、釈教、神祇の10部門に分けて収められました。主な歌人は、伏見上皇(93首)、藤原定家(69首)、西園寺実兼(60首)、従二位為子(60首)、藤原俊成(59首)、西行(57首)、藤原為家(51首)、永福門院(49首)、京極為兼(36首)、和泉式部(34首)、西園寺実氏(31首)、従二位親子(30首)、慈円(27首)、紀貫之(26首)、柿本人麻呂(24首)、宗尊親王(22首)、鷹司基忠(21首)となっています。
 その後の歌壇を主導した二条派からは、長らく異端視されてきましたが、近年再評価が進み、鎌倉・室町期の勅撰和歌集の中では、歌風の清新さにおいて『風雅和歌集』と共に脚光を浴びるようになりました。

<収載されている代表的な歌>

・「宵のまの 村雲づたひ 影みえて 山の端めぐる 秋の稲妻」(伏見院)
・「木の葉なき 空しき枝に 年暮れて 又めぐむべき 春ぞ近づく」(京極為兼)
・「枝にもる 朝日のかげの すくなさに 涼しさふかき 竹のおくかな」(京極為兼)
・「音せぬが 嬉しきをりも ありけるよ 頼み定めて のちの夕暮」(永福門院)
・「入相の 声する山の かげくれて 花の木の間に 月いでにけり」(永福門院)

〇勅撰和歌集(二十一代集)とは? 

 天皇の綸旨や上皇・法皇の院宣下命に基づいて編集、奏覧された和歌集のことです。醍醐天皇の勅命によって編纂され、905年(延喜5)に奏上された『古今和歌集』に始まり、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。
 初めの3集(『古今和歌集』・ 『後撰和歌集』・『拾遺和歌集』)を三代集、8集(『古今和歌集』から『新古今和歌集』)までを八代集、残り13集(『新勅撰集』から『新続古今和歌集』)を十三代集ともいいます。平安時代から鎌倉時代初期にかけて最も盛んでしたが、次第に衰え、室町時代に入って跡が絶えました。尚、14世紀末に南朝側で編纂された『新葉和歌集』は準勅撰和歌集とされています。
 勅撰集を作成するには、まず撰和歌所を設置し、勅撰の下命があり、撰者の任命がされました。その後、資料が集成され、撰歌と部類配列が行われ、加除訂正の後、目録や序が作成それて清書されます。そして、奏覧され、祝賀の竟宴という過程によって行われました。
 収載されたのは、ほとんどが短歌でしたが、わずかに長歌、旋頭歌、連歌を加えた集もあります。巻数は最初の『古今和歌集』の20巻が継承されましたが、『金葉和歌集』と『詞花和歌集』は10巻となっています。部立(歌の種類別区分の仕方)は各集ごとに小異がありますが、基本的には、最初の『古今和歌集』の部立が受け継がれました。
 勅撰集に歌が選ばれるのは、歌人にとって最高の名誉とされ、和歌を発達させた文学史的意義は大きいとされています。

☆「二十一代集」(勅撰和歌集)一覧

1.『古今和歌集』905年成立(醍醐天皇下命・紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑撰)20巻・1,100首
2.『後撰和歌集』957-959年成立(村上天皇下命・大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城撰)20巻・1,425首
3.『拾遺和歌集』1005-07年成立(花山院下命・花山院、藤原公任撰)20巻・1,351首
4.『後拾遺和歌集』1086年成立(白河天皇下命・藤原通俊撰)20巻・1,218首
5.『金葉和歌集』1126年(三奏本)成立(白河院下命・源俊頼撰)10巻・650首(三奏本)
6.『詞花和歌集』1151年頃成立(崇徳院下命・藤原顕輔撰)10巻・415首
7.『千載和歌集』1188年成立(後白河院下命・藤原俊成撰)20巻・1,288首
8.『新古今和歌集』1205年成立(後鳥羽院下命・源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、飛鳥井雅経、寂蓮撰)20巻・1,978首
9.『新勅撰和歌集』1235年成立(後堀河天皇下命・藤原定家撰)20巻・1,374首
10.『続後撰和歌集』1251年成立(後嵯峨院下命・藤原為家撰)20巻・1,371首
11.『続古今和歌集』1265年成立(後嵯峨院下命・藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良撰)20巻・1,915首
12.『続拾遺和歌集』1278年成立(亀山院下命・二条為氏撰)20巻・1,459首
13.『新後撰和歌集』1303年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・1,607首
14.『玉葉和歌集』1312年成立(伏見院下命・京極為兼撰)20巻・2,800首
15.『続千載和歌集』1320年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・2,143首
16.『続後拾遺和歌集』1326年成立(後醍醐天皇下命・二条為藤、二条為定撰)20巻・1,353首
17.『風雅和歌集』1349年成立(花園院監修下命・光厳院撰)20巻・2,211首
18.『新千載和歌集』1359年成立(後光厳天皇下命・二条為定撰)20巻・2,365首
19.『新拾遺和歌集』1364年成立(後光厳天皇下命・二条為明、頓阿撰)20巻・1,920首
20.『新後拾遺和歌集』1384年成立(後円融天皇下命・二条為遠、二条為重撰)20巻・1,554首
21.『新続古今和歌集』1439年成立(後花園天皇下命・飛鳥井雅世撰)20巻・2,144首
準.『新葉和歌集』1381年成立(長慶天皇下命・宗良親撰)20巻・1,426首

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1682年(天和2)連歌師・俳人・談林派の祖西山宗因の命日(新暦5月5日)詳細
1868年(慶応4)神祇官事務局達(いわゆる神仏判然令)が出される詳細
1929年(昭和4)「国宝保存法」が公布される詳細
1940年(昭和15)内務省がミス・ワカナ、ディック・ミネ、藤原釜足ら16人に改名を命令する詳細
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 今日は、鎌倉時代の1205年(元久2)に、『新古今和歌集』が一応成立し竟宴が開かれた日ですが、新暦では4月16日となります。
 『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)は、鎌倉時代初期に編纂された、第八の勅撰和歌集(八代集の最後)で、『万葉集』(万葉調)、『古今和歌集』(古今調)と並んで、古典和歌様式の一つの頂点「新古今調」を形成しました。制作については、1201年(建仁元)に、後鳥羽上皇の院宣により和歌所を設置、その寄人のうち源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原 (飛鳥井) 雅経、寂蓮の6人が撰者とされます。
 しかし、寂蓮は途中で亡くなったので、他の5人により撰歌、部類が進められ、1205年(元久2年3月26日)に一応成立し竟宴が開かれたものの、上皇の意志で、1210年(承元4年9月)頃まで改訂 が行われました。全二十巻で、巻頭に仮名序(藤原良経)、巻尾に真名序(藤原親経)を付し、春・夏・秋・冬・賀・哀傷・離別・羇旅・恋・雑・神祇・釈教に12分類されています。
 『万葉集』以来の歴代歌人による1,979首(流布本)が収められ、優雅で華美な情趣、技巧的・象徴的手法が特色とされ、とりわけ、御子左家を中心とする新風和歌を中核におき、「本歌取り」の技法が多用され、「幽玄体」と称された感覚的な象徴美が追求されました。出典としては、1201年(建仁元)の「千五百番歌合」、1248年(宝治2)の「後嵯峨院百首」、1216年(建保4)の「後鳥羽院百首」、1261年(弘長元)以後の「弘長百首」などで、作者別収載歌数は、多い方から西行(94首)、慈円(92首)、藤原良経(79首)、藤原俊成( 72首)、式子内親王(49首)、藤原定家(46首)となっています。

<収載されている代表的な歌>
「空はなほ 霞みもやらず 風さえて 雪げに曇る 春の夜の月」(藤原良経)
「志賀の浦や 遠ざかりゆく 浪間より 氷りて出づる 有明の月」(藤原家隆)
「帰るさの 物とや人の ながむらん 待つ夜ながらの 有明の月」(藤原定家)
「見わたせば 花ももみぢも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮」(藤原定家)

〇勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)とは? 

 天皇の綸旨や上皇・法皇の院宣下命に基づいて編集、奏覧された和歌集のことです。醍醐天皇の勅命によって編纂され、905年(延喜5)に奏上された『古今和歌集』に始まり、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。
 初めの3集(『古今和歌集』・ 『後撰和歌集』・『拾遺和歌集』)を三代集、8集(『古今和歌集』から『新古今和歌集』)までを八代集、残り13集(『新勅撰集』から『新続古今和歌集』)を十三代集ともいいます。平安時代から鎌倉時代初期にかけて最も盛んでしたが、次第に衰え、室町時代に入って跡が絶えました。尚、14世紀末に南朝側で編纂された『新葉和歌集』は準勅撰和歌集とされています。
 勅撰集を作成するには、まず撰和歌所を設置し、勅撰の下命があり、撰者の任命がされました。その後、資料が集成され、撰歌と部類配列が行われ、加除訂正の後、目録や序が作成それて清書されます。そして、奏覧され、祝賀の竟宴という過程によって行われました。
 収載されたのは、ほとんどが短歌でしたが、わずかに長歌、旋頭歌、連歌を加えた集もあります。巻数は最初の『古今和歌集』の20巻が継承されましたが、『金葉和歌集』と『詞花和歌集』は10巻となっています。部立(歌の種類別区分の仕方)は各集ごとに小異がありますが、基本的には、最初の『古今和歌集』の部立が受け継がれました。
 勅撰集に歌が選ばれるのは、歌人にとって最高の名誉とされ、和歌を発達させた文学史的意義は大きいとされています。

☆「二十一代集」(勅撰和歌集)一覧

1.『古今和歌集』905年成立(醍醐天皇下命・紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑撰)20巻・1,100首
2.『後撰和歌集』957-959年成立(村上天皇下命・大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城撰)20巻・1,425首
3.『拾遺和歌集』1005-07年成立(花山院下命・花山院、藤原公任撰)20巻・1,351首
4.『後拾遺和歌集』1086年成立(白河天皇下命・藤原通俊撰)20巻・1,218首
5.『金葉和歌集』1126年(三奏本)成立(白河院下命・源俊頼撰)10巻・650首(三奏本)
6.『詞花和歌集』1151年頃成立(崇徳院下命・藤原顕輔撰)10巻・415首
7.『千載和歌集』1188年成立(後白河院下命・藤原俊成撰)20巻・1,288首
8.『新古今和歌集』1205年成立(後鳥羽院下命・源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、飛鳥井雅経、寂蓮撰)20巻・1,978首
9.『新勅撰和歌集』1235年成立(後堀河天皇下命・藤原定家撰)20巻・1,374首
10.『続後撰和歌集』1251年成立(後嵯峨院下命・藤原為家撰)20巻・1,371首
11.『続古今和歌集』1265年成立(後嵯峨院下命・藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良撰)20巻・1,915首
12.『続拾遺和歌集』1278年成立(亀山院下命・二条為氏撰)20巻・1,459首
13.『新後撰和歌集』1303年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・1,607首
14.『玉葉和歌集』1312年成立(伏見院下命・京極為兼撰)20巻・2,800首
15.『続千載和歌集』1320年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・2,143首
16.『続後拾遺和歌集』1326年成立(後醍醐天皇下命・二条為藤、二条為定撰)20巻・1,353首
17.『風雅和歌集』1349年成立(花園院監修下命・光厳院撰)20巻・2,211首
18.『新千載和歌集』1359年成立(後光厳天皇下命・二条為定撰)20巻・2,365首
19.『新拾遺和歌集』1364年成立(後光厳天皇下命・二条為明、頓阿撰)20巻・1,920首
20.『新後拾遺和歌集』1384年成立(後円融天皇下命・二条為遠、二条為重撰)20巻・1,554首
21.『新続古今和歌集』1439年成立(後花園天皇下命・飛鳥井雅世撰)20巻・2,144首
準.『新葉和歌集』1381年成立(長慶天皇下命・宗良親撰)20巻・1,426首

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1489年(長享3)室町幕府第9代将軍足利義尚の命日(新暦4月26日)詳細
1925年(大正14)「衆議院議員選挙法」の全面改正(通称:普通選挙法)が貴族院を通過成立する詳細
1935年(昭和10)小説家与謝野寛(鉄幹)の命日詳細
1962年(昭和37)小説家・詩人室生犀星の命日詳細
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 今日は、鎌倉時代の文永2年に、藤原為家らが第11勅撰和歌集である『続古今和歌集』を撰進した日ですが、新暦では1266年2月2日となります。
 『続古今和歌集』(しょくこきんわかしゅう)は、鎌倉時代の第11勅撰和歌集で、1259年(正元元年3月16日)に後嵯峨院の院宣により、藤原基家・為家・行家・光俊が撰し、1266年2月2日(文永2年12月26日)に成立、奏覧され、翌年3月12日に竟宴が催されました。全20巻で1,925首が収載され、菅原長成の真名序と藤原基家の仮名序を付し、構成は、1巻(春上)・2巻(春下)・3巻(夏)・4巻(秋上)・5巻(秋下)・6巻(冬)・7巻(神祇)・8巻(釈教)・9巻(離別)・10巻(羇旅)・11巻(恋一)・12巻(恋二)・13巻(恋三)・14巻(恋四)・15巻(恋五)・16巻(哀傷)・17巻(雑上)・18巻(雑中)・19巻(雑下)・20巻(賀)となっています。
 代表歌人は、宗尊親王(67首)、西園寺実氏(61首)、藤原定家(56首)、後嵯峨院(54首)、後鳥羽院(49首)、藤原為家(44首)、藤原家隆(41首)、土御門院(38首)、順徳院(35首)、藤原光俊(30首)などとなっていました。『古今集』・『新古今集』を勅撰集の正道と見なし、この二集を引き継ぐ意図が見られ、活発で華やかな後嵯峨院歌壇を反映し、多彩な作風を見せていますが、華麗ではあるものの、古風な傾向も顕著とされています。
 出典としては、1201年(建仁元)の「千五百番歌合」、1248年(宝治2)の「後嵯峨院百首」、1216年(建保4)の「後鳥羽院百首」、1261年(弘長元)以後の「弘長百首」などとなっていました。

<『続古今和歌集』の代表的な歌>

・「はつせめの 峰の桜の 花かづら 空さへかけて にほふ春風」(藤原為家)
・「しのぶべき これやかぎりの 月ならむ さだめなき世の 袖の別れは」(藤原基家)
・「神よかみ なほすみよしと みそなはせ わがよにたつる 宮ばしらなり」(後嵯峨院)
・「たづねばや 青葉の山の おそざくら 花ののこるか 春のとまるか」(後嵯峨院)
・「秋風に またこそとはめ 津の国の 生田の森の 春のあけぼの」(順徳院)
・「あすか風 かは音ふけて たをやめの 袖にかすめる 春の夜の月」(宗尊親王)

〇勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)とは? 

 天皇の綸旨や上皇・法皇の院宣下命に基づいて編集、奏覧された和歌集のことです。醍醐天皇の勅命によって編纂され、905年(延喜5)に奏上された『古今和歌集』に始まり、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。
 初めの3集(『古今和歌集』・ 『後撰和歌集』・『拾遺和歌集』)を三代集、8集(『古今和歌集』から『新古今和歌集』)までを八代集、残り13集(『新勅撰集』から『新続古今和歌集』)を十三代集ともいいます。平安時代から鎌倉時代初期にかけて最も盛んでしたが、次第に衰え、室町時代に入って跡が絶えました。尚、14世紀末に南朝側で編纂された『新葉和歌集』は準勅撰和歌集とされています。
 勅撰集を作成するには、まず撰和歌所を設置し、勅撰の下命があり、撰者の任命がされました。その後、資料が集成され、撰歌と部類配列が行われ、加除訂正の後、目録や序が作成それて清書されます。そして、奏覧され、祝賀の竟宴という過程によって行われました。
 収載されたのは、ほとんどが短歌でしたが、わずかに長歌、旋頭歌、連歌を加えた集もあります。巻数は最初の『古今和歌集』の20巻が継承されましたが、『金葉和歌集』と『詞花和歌集』は10巻となっています。部立(歌の種類別区分の仕方)は各集ごとに小異がありますが、基本的には、最初の『古今和歌集』の部立が受け継がれました。
 勅撰集に歌が選ばれるのは、歌人にとって最高の名誉とされ、和歌を発達させた文学史的意義は大きいとされています。

☆「二十一代集」(勅撰和歌集)一覧

1.『古今和歌集』905年成立(醍醐天皇下命・紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑撰)20巻・1,100首
2.『後撰和歌集』957-959年成立(村上天皇下命・大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城撰)20巻・1,425首
3.『拾遺和歌集』1005-07年成立(花山院下命・花山院、藤原公任撰)20巻・1,351首
4.『後拾遺和歌集』1086年成立(白河天皇下命・藤原通俊撰)20巻・1,218首
5.『金葉和歌集』1126年(三奏本)成立(白河院下命・源俊頼撰)10巻・650首(三奏本)
6.『詞花和歌集』1151年頃成立(崇徳院下命・藤原顕輔撰)10巻・415首
7.『千載和歌集』1188年成立(後白河院下命・藤原俊成撰)20巻・1,288首
8.『新古今和歌集』1205年成立(後鳥羽院下命・源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、飛鳥井雅経、寂蓮撰)20巻・1,978首
9.『新勅撰和歌集』1235年成立(後堀河天皇下命・藤原定家撰)20巻・1,374首
10.『続後撰和歌集』1251年成立(後嵯峨院下命・藤原為家撰)20巻・1,371首
11.『続古今和歌集』1265年成立(後嵯峨院下命・藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良撰)20巻・1,915首
12.『続拾遺和歌集』1278年成立(亀山院下命・二条為氏撰)20巻・1,459首
13.『新後撰和歌集』1303年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・1,607首
14.『玉葉和歌集』1312年成立(伏見院下命・京極為兼撰)20巻・2,800首
15.『続千載和歌集』1320年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・2,143首
16.『続後拾遺和歌集』1326年成立(後醍醐天皇下命・二条為藤、二条為定撰)20巻・1,353首
17.『風雅和歌集』1349年成立(花園院監修下命・光厳院撰)20巻・2,211首
18.『新千載和歌集』1359年成立(後光厳天皇下命・二条為定撰)20巻・2,365首
19.『新拾遺和歌集』1364年成立(後光厳天皇下命・二条為明、頓阿撰)20巻・1,920首
20.『新後拾遺和歌集』1384年成立(後円融天皇下命・二条為遠、二条為重撰)20巻・1,554首
21.『新続古今和歌集』1439年成立(後花園天皇下命・飛鳥井雅世撰)20巻・2,144首
準.『新葉和歌集』1381年成立(長慶天皇下命・宗良親撰)20巻・1,426首

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1841年(天保12)お雇い外国人であるイギリス人技師R・H・ブラントンの誕生日詳細
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1888年(明治21)小説家・劇作家・実業家菊池寛の誕生日詳細
1960年(昭和35)哲学者・倫理学者・文化史家・評論家和辻哲郎の命日詳細
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