ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:労働農民党

tanatagiichinaikaku01
 今日は、昭和時代前期の1928年(昭和3)に、「治安警察法」に基づき、「労働農民党、日本労働組合評議会及全日本無産青年同盟ノ3結社治安警察法第8条ニ依リ禁止ノ件」が田中義一内閣により閣議決定されて、労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟に解散が命令された日です。
 「労働農民党、日本労働組合評議会及全日本無産青年同盟ノ3結社治安警察法第8条ニ依リ禁止ノ件」(ろうどうのうみんとう、にほんろうどうくみあいひょうぎかい及びむさんせいねんどうめいのさんけっしゃちあんけいさつほうだいはちじょうによりきんしのけん)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)4月10日に、田中義一内閣により出された閣議決定です。「治安警察法」第8条により、労働農民党、日本労働組合評議会、全日本無産青年同盟の3結社を禁止するものでした。
 同年3月15日に、「三・一五事件」という弾圧事件があり、多くの左派活動家が逮捕拘束されましたが、それに続いて、3結社を禁止した、弾圧措置です。
 以下に、「労働農民党、日本労働組合評議会及全日本無産青年同盟ノ3結社治安警察法第8条ニ依リ禁止ノ件」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「労働農民党、日本労働組合評議会及全日本無産青年同盟ノ3結社治安警察法第8条ニ依リ禁止ノ件」(内務省警秘第264号)1928年(昭和3)4月10日閣議決定

結社禁止ニ関スル件
東京市麹町区内幸町一丁目五番地
労働農民党
東京市芝区三田四国町二番地五号
日本労働組合評議会
東京市小石川区諏訪町四九番地
全日本無産青年同盟
政社労働農民党ハ大正十五年三月結成シタルモノニシテ現在共産主義者難波英夫、同細迫兼光、同浅野晃等ノ組織シ居レルモノ、結社日本労働組合評議会ハ日本労働総同盟ヨリ分裂シ、大正十四年五月成立セシモノニシテ現在、共産主義者野田律太、同河田賢治、松尾直義等ノ組織シ居レルモノ、結社全日本無産青年同盟ハ大正十五年八月成立シタルモノニシテ現在、共産主義者神間健壽、同廉澤誠、同森平鋭等ノ組織シ居レルモノナル所右各結社ノ中心人物等ハ何レモ強烈ナル共産主義、思想ヲ抱有シ、国体ヲ変革シ、私有財産制度ヲ否認シテ無産者独裁ノ共産制ヲ実現スヘク唱導シ、之等各結社ヲ利用シテ表面合理合法ヲ装ヒツツ別紙参考書第一号乃至第三号ニ記載セルカ如キ各種ノ過激ナル運動ヲ敢行シ全国的ニ都市、農村青年婦女等ニ主義ノ注入ヲ行ヒ以テ無産階級革命ノ実現ヲ企図セムトシツツアルモノトス。
而シテ右各結社ノ指導的中心分子中最モ強硬ナル者等ハ相率イテ別ニ秘密結社「日本共産党」及「日本青年共産同盟」ヲ組織シ極メテ枢機ノ運動ニ該リ各結社ハ之カ外輪ヲ為シ居レルモノニシテ、此秘密結社ノ指導策謀ニ依リテ各種矯激ナル運動ヲ敢行セルモノナルコトハ別紙参考書ニ記載セル所ニ依リ明ナルヲ以テ、右三結社ハ治安維持上其ノ存立ヲ容認スヘカラサルモノト認メ治安警察法第八条ニ依リ之ヲ禁止セムトスルモノナリ。
依テ右閣議ヲ請フ

 「国立公文書館所蔵公文別録」より

☆「治安警察法」(ちあんけいさつほう)とは?

 明治時代後期の1900年(明治33)、第二次山県有朋内閣時に制定された法律で、集会・結社・言論の自由の制限と社会運動、労働運動、農民運動の取締りなどを目的としたものです。政治結社・集会の届出、女子、教員、学生、宗教者、軍人などの政治結社加入禁止を定め、集会での発言に対する制限や警察官の監視、解散権付与などを規定していました。
 この法律によって、結社を禁止された政党や労働組合などもあり、女子は結社ばかりか、集会に参加することも禁ぜられていたので、反対運動も根強く、1922年(大正11)になって、女子の政治集会参加禁止だけは削除されています。そして、太平洋戦争敗戦後の1945年(昭和20)11月21日に、GHQ(連合国最高司令部)の命令で廃止されました。

☆労働農民党(ろうどうのうみんとう)とは?

 大正時代の1926年(大正15)3月5日に、結成された合法的無産政党です。1925年(大正14)12月1日の「農民労働党」の結社禁止後、日本農民組合(日農)、官業労働総同盟の提唱により再組織運動が行われて結実したものでした。
 大阪市西区で開かれた結成大会には、日農、日本労働総同盟(総同盟)、日本製陶労働同盟、日本労働組合総連合、東京市電自治会など七団体が参加して、綱領、規約、宣言を決め、委員長に杉山元治郎、書記長に三輪寿壮を選出しましたが、日本労働組合評議会、政治研究会、全日本無産青年同盟、全国水平社青年同盟の左翼四団体は排除されます。しかし、10月の第4回中央委員会で日農、日本製陶労働同盟を除く五団体が脱退し、左派へも門戸を開放することとなりました。
 そして、1926年(大正15)12月には右派が脱党して「社会民衆党」(委員長は安部磯雄)を結成、相前後して中間派が「日本労農党」(後の委員長が麻生久)を結成し、3つに分裂します。残ったメンバーは、委員長に大山郁夫、書記長細迫兼光を選出し、左派路線を確立しました。
 その後、議会解散請願運動、山東出兵に反対する対華非干渉運動、五法律制定要求運動などを活発に展開します。その結果、1928年(昭和3)2月の第1回普通選挙では、全国で無産政党最多の28万票を獲得し、水谷長三郎と山本宣治の2名の当選者を出しました。
 ところが、直後の三・一五事件で弾圧を受け、多くの党員・支持者が逮捕拘束され、4月10日に解散命令を受けます。翌年8月に「新労農党樹立の提案」を発表し、11月1日に大山郁夫を委員長に新しく結党しましたが、影響力は弱く、1931年(昭和6)7月には「全国労農大衆党」へ吸収されました。

☆日本労働組合評議会(にほんろうどうくみあいひょうぎかい)とは?

 大正時代の1925年(大正14)に、日本労働総同盟(総同盟)を除名された左派系労働組合が結成した全国中央組織で、略称を評議会と言います。結成時、32組合1万2,500人でしたが、1926年(大正15)の共同印刷争議、日本楽器争議などの大争議を指導する中で加盟組合が増え、2年後には、59組合3万5,000人にまで発展しました。
 そして、1927年(昭和2)5月の第3回大会では、金融恐慌下での困難な状況に対し、「政党政派を問わず資本に対する統一闘争のために共同」の方針を決め、工場代表者会議などの運動を組織して、失業手当、健康保険、最低賃金法、八時間労働制などの「五法律獲得闘争」を展開します。しかし、政府による数々の激しい弾圧を受け、1928年(昭和3)の三・一五事件の一環として、4月10日に、労働農民党、全日本無産青年同盟とともに安寧秩序を乱す団体として、「治安警察法」により結社を禁止されました。しかし、同年12月には日本労働組合全国協議会(全協)として再建されています。

☆全日本無産青年同盟(ぜんにほんむさんせいねんどうめい)とは?

 大正時代末期から昭和時代初期に活動した合法的左翼青年運動組織で、略称は「無青」と言います。1926年(大正15)8月1日、大阪・中之島公会堂で、日本労働組合評議会の青年活動家を中心に、全国水平社、日本農民組合、大学の社会科学研究会の青年を結集して結成されました。
 創立大会では、18歳選挙権や青年の言論・出版・集会・結社の自由、自由結婚権の確立など41項目の要求をかかげた「綱領」を採択し、青年の全国的組織を完成させること、政治教育をすすめることなどを決定しました。労働農民党を支持し、「兵役短縮」「満期後の就職要求」「満18歳以上の選挙権被選挙権獲得」などの活動を行ない、最高時で同盟員数は1万人余といわれています。
 1927年(昭和2)10月15日に、中央機関紙「青年新聞」を創刊、同年11月20日、第2回大会開催したりしましたが、翌年4月10日、三・一五事件による弾圧の一環として、労働農民党、日本労働組合評議会と共に、「治安警察法」により、結社禁止処分を受けました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)板垣退助らが高知で、日本初の政治結社「立志社」を結成する詳細
1886年(明治19)「師範学校令」が公布される詳細
「小学校令」が公布される詳細
「中学校令」が公布される詳細
1919年(大正8) 「史蹟名勝天然紀念物保存法」(大正8年法律第44号)が公布(同年6月1日施行)される詳細
「地方鉄道法」(大正8年法律第52号)が公布(施行は同年8月15日)される詳細
1972年(昭和47)「生物兵器禁止条約(BWC)」に日・米・ソなど47ヶ国が調印(発効は1975年3月26日)する詳細
1988年(昭和63)瀬戸大橋が開通する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

nihonnouminkumiaisouritsu01

 今日は、大正時代の1922年(大正11)に、日本最初の農民組合の統一組織である日本農民組合が創立された日です。
 日本農民組合(にほんのうみんくみあい)は、1918年(大正7)の米騒動をきっかけに発展した小作争議を背景に、賀川豊彦、杉山元治郎、山上武雄らを中心に結成された日本最初の全国的農民組織でした。1922年(大正11)4月9日に兵庫県神戸市のキリスト教青年会館中集会堂に集まった、14府県の小作組合支部等の代表68名とその他支援者などを併せて約150名によって、第一回大会が開催されます。
 その中で、宣言、綱領、主張などを決め、小作料軽減、小作人組合への結集などを方針とし、組合長杉山元治郎氏外理事11名を選びました。その後、岡山県藤田村や新潟県木崎村などの小作争議を指導したのをはじめ、全国的運動を展開し、最盛時には約8万の組合員を擁します。
 そして、1925年(大正14)の普通選挙法成立に及び、無産政党組織準備機関の設置を提唱し、労働農民党設立の中心を担いました。しかし、この党の運営をめぐって右派と左派との対立が激化し、1926年(大正15)3月の第5回大会において、平野力三ら右派が脱退して全日本農民組合同盟を設立、1927年(昭和2)2月に左派による中間派の除名が行われ、中間派は全日本農民組合(全日農)を結成します。
 その後、1928年(昭和3)の三・一五事件で、思想的弾圧を受けたため、再統一の気運が高まり、同年5月に全日農と再合同して全国農民組合(全農)となりました。戦時下において解散させられましたが、太平洋戦争後の1946年(昭和21)2月に、「農地改革の根本改革」、「新農業組織の確立と発達」、「民主的農村生活と文化の建設」という綱領を掲げて、全国単一の農民組織として再結成されています。
 以下に、創立時の宣言、綱領、主張を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇日本農民組合創立宣言 1922年(大正11)4月9日

宣言

農は国の基であり、農民の宝である。日本は未だ農業国である。国民の七割は田園に居住し、またその七割は小作人である。然るに積年の陋弊は田園に充ち、土地兼併の悪風漸く現れ、田園も遂に資本主義の侵略するところとなり小作人は苦しみ、日雇人は嘆く。茲に我等農民は互助と友愛の精神を以て解放の途上に立つ我等は飽迄暴力を否定す。我等は思想の自由と、社会公益の大道に従い、真理を愛し、妥協なき解放を期せねばならぬ。即ち我等はただ農民の団結による合理的生産者結合により、資本家に対抗するより外途を持たないのである。
我等は急いではならぬ、土地の社会化も産業の自由も一瞬にして成るものではない。春蒔く種は、秋まで待たねばならぬ既に国際労働会議は農民組合の自由を保障した。我等はこの世界の大勢に従い倦むことなく歩みを続けねばならぬ。
田園に光明が漲るまでには、猶幾百回の苦難を通過せねばならぬ。苦難を知らざるものは、成功を知らざるものである。日本の農民よ団結せよ!然して田園に、山林に天与の自由を呼吸せよ、我等は公義の支配する世界を創造せんが為めに、此処に犠牲と熱愛を捧げて窮乏せる農民の解放を期す。

〇日本農民組合綱領

一、我等農民は知識を養ひ技術を研き徳性を涵養し農村生活を享楽し農村文化の完成を期す
二、我等は相愛扶助の力により相信じ相倚り農村生活の向上を期す
三、我等農民は穏健着実合理合法なる方法を以て共同の理想に到達せんことを期す

〇日本農民組合主張

主張

(一)耕地の社会化
(二)全国的農民組合の確立
(三)農業日雇労働者最低賃金保證
(四)小作立法の確立
(五)農業争議仲裁法の実施
(六)普通選挙
(七)治安警察法の改正
(八)小作人の生活安定
(九)農民補習教育の完成
(十)農民学校の普及
(十一)農村産業組合の完成
(十二)農民金融機関の確立
(十三)契約農業移民労働の廃止
(十四)農民住宅の改善
(十五)農村衛生の達成
(十六)農業保険の実施
(十七)農村婦人の向上
(十八)農民芸術の発達
(十九)理想的農村の設立
(二十)農民科学の確立
(二十一)農民生活の享楽

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

752年(天平勝宝4)奈良・東大寺の蘆舎那仏(東大寺大仏)の開眼供養が行われる(新暦5月26日)詳細
1892年(明治25)詩人・小説家佐藤春夫の誕生日詳細
1976年(昭和51)小説家・劇作家武者小路実篤の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ