
小説『雪国』(ゆきぐに)は、川端康成著の長編小説で、昭和時代前期の1935年(昭和10)から『文芸春秋』など各雑誌に断続的に書き継がれ、1937年(昭和12)6月12日に、創元社から初版単行本が刊行されました。同年7月に文芸懇話会賞を受賞しましたが、その後も各雑誌に書き継がれ、1947年(昭和22)に完結、翌年に完結本『雪国』が創元社から刊行されています。
雪深い越後湯沢の温泉場を舞台にして、東京から来た男島村と芸者駒子との交わりを抒情的に描いていて、名作として国内外で評価されました。その後、1957年(昭和32)に東宝作品として、豊田四郎監督により映画化(俳優は池部良、岸恵子、八千草薫など)され、1965年(昭和40)に松竹作品として、大庭秀雄監督によりカラーで再映画化(俳優は木村功、岩下志麻、加賀まりこなど)されています。
尚、小説の舞台となった新潟県湯沢町の「湯沢町歴史民俗資料館 雪国館」に関連する資料が展示されてきました。
雪深い越後湯沢の温泉場を舞台にして、東京から来た男島村と芸者駒子との交わりを抒情的に描いていて、名作として国内外で評価されました。その後、1957年(昭和32)に東宝作品として、豊田四郎監督により映画化(俳優は池部良、岸恵子、八千草薫など)され、1965年(昭和40)に松竹作品として、大庭秀雄監督によりカラーで再映画化(俳優は木村功、岩下志麻、加賀まりこなど)されています。
尚、小説の舞台となった新潟県湯沢町の「湯沢町歴史民俗資料館 雪国館」に関連する資料が展示されてきました。
〇小説『雪国』の発表経過
<1935年(昭和10)>
・『文藝春秋』1月号 - 「夕景色の鏡」
・『改造』1月号 - 「白い朝の鏡」
・『日本評論』11月号 - 「物語」
・『日本評論』12月号 - 「徒労」
<1936年(昭和11)>
・『中央公論』8月号 - 「萱の花」
・『文藝春秋』10月号 - 「火の枕」
<1937年(昭和12)>
・『改造』5月号 - 「手毬歌」
・6月12日に創元社より『雪国』が刊行される
・7月 第3回文芸懇話会賞を受賞する
<1940年(昭和15)>
・『公論』12月号 - 「雪中火事」
<1941年(昭和16)>
・『文藝春秋』8月号 - 「天の河」
<1946年(昭和21)>
・『暁鐘』5月号 - 「雪国抄」(「雪中火事」の改稿)
<1947年(昭和22)>
・『小説新潮』10月号 - 「続雪国」(「天の河」の改稿)
<1948年(昭和23)>
・12月25日 「続雪国」まで収録した完結本『雪国』が「あとがき」を付して創元社より刊行される
<1949年(昭和24)>
・6月 『川端康成全集第6巻』(全16巻本)が刊行され、『雪国』が収録される
<1960年(昭和35)>
・6月 『川端康成全集第5巻』(全12巻本)刊行され、『雪国』が収録される
<1971年(昭和46)>
・8月 牧羊社より『定本雪国』が刊行される
<1972年(昭和47)>
・12月 原稿復刻版『雪国抄』がほるぷ出版より刊行される
<1980年(昭和55)>
・4月 『川端康成全集第10巻』(全37巻本)が刊行され、『雪国』が収録される
・10月 『川端康成全集第24巻』(全37巻本)刊行され、『雪国』が収録される
☆川端康成(かわばた やすなり)とは?
大正時代から昭和時代に活躍した小説家で、1899年(明治32)6月14日に大阪府大阪市に生まれ、茨木中学を終え、旧制第一高等学校から、東京帝国大学文学部に学びました。1921年(大正10)、在学中に石浜金作、鈴木彦次郎らと第六次『新思潮』を創刊し、それに掲載した『招魂祭一景』によって菊池寛らに認められます。
1924年(大正13)、大学卒業後、横光利一、片岡鉄兵、中河与一、今東光らと『文芸時代』を創刊し、新感覚派の代表作家として活躍しました。代表作は『伊豆の踊子』、『雪国』、『古都』、『山の音』、『抒情歌』、『禽獣』、『千羽鶴』、『眠れる美女』などがあります。
太平洋戦争後の1948年(昭和23)に、日本ペンクラブ第4代会長に就任し、1957年(昭和32)に国際ペンクラブ東京大会を主催するなど尽力しました。それらの功績により、1961年(昭和36)に文化勲章を受章し、1968年(昭和43)には、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞したのです。
また、批評家としても優れていて、新人作家を発掘し、堀辰雄、北条民雄、岡本かの子、三島由紀夫などを育てました。しかし、1972年(昭和47)4月16日に72歳で、神奈川県逗子市のマンションの自室において、ガス自殺したのです。
1924年(大正13)、大学卒業後、横光利一、片岡鉄兵、中河与一、今東光らと『文芸時代』を創刊し、新感覚派の代表作家として活躍しました。代表作は『伊豆の踊子』、『雪国』、『古都』、『山の音』、『抒情歌』、『禽獣』、『千羽鶴』、『眠れる美女』などがあります。
太平洋戦争後の1948年(昭和23)に、日本ペンクラブ第4代会長に就任し、1957年(昭和32)に国際ペンクラブ東京大会を主催するなど尽力しました。それらの功績により、1961年(昭和36)に文化勲章を受章し、1968年(昭和43)には、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞したのです。
また、批評家としても優れていて、新人作家を発掘し、堀辰雄、北条民雄、岡本かの子、三島由紀夫などを育てました。しかし、1972年(昭和47)4月16日に72歳で、神奈川県逗子市のマンションの自室において、ガス自殺したのです。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1670年(寛文10) | 江戸幕府の命で林羅山・林春斎ら編纂の『本朝通鑑』が完成、将軍家に献じられる(新暦7月28日) | 詳細 |
1761年(宝暦11) | 江戸幕府第9代将軍徳川家重の命日(新暦7月13日) | 詳細 |
1867年(慶応3) | 坂本龍馬が長崎から兵庫へ向かう藩船の中で「船中八策」を著す(新暦7月13日) | 詳細 |
1910年(明治41) | 本州の宇野と四国の高松の間の鉄道連絡船(宇高連絡船)が運航開始する | 詳細 |
1961年(昭和36) | 「農業基本法」(昭和36年法律第127号)が公布・施行される | 詳細 |
1965年(昭和40) | 家永教科書裁判の第一次訴訟が提訴される | 詳細 |