そして、同月17日に板垣、副島らは政府に対して『民撰議院設立建白書』を左院に提出、士族および豪農商の代表者からなる議会を設立せよと主張して、自由民権運動の口火を切りました。この建白書に対して加えられた加藤弘之らの批判に駁論するなど活発な行動を展開したものの、旧土佐藩士族による右大臣岩倉具視要撃事件、江藤による佐賀の乱、板垣らの帰郷などによってまもなく自然消滅しています。
その後、大同団結運動分裂後の1890年(明治23)5月に、板垣退助らが同名の政党を組織し、同年9月には立憲自由党へ発展しました。
以下に、「愛国公党本誓」の本文(現代語訳・注釈付)と草案を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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