
鉱床は三波川変成岩類の緑泥片岩、石墨片岩、石英片岩などの岩層中に含まれる層状含銅硫化鉄鉱床で、銅を中心に金、銀、亜鉛、硫化鉄鉱を産出、明治初年には、フランス人技師ルイ・ラロックによる施設の近代化が進められました。しかし、近代化に伴い鉱毒水による河川の汚染や煙害問題により、住民の反対運動が起き、1895年(明治28)に製錬所の四阪島移転など煙害防除等に腐心し、中和工場をつくるなどの対策をしています。
また、度々労働争議が起きましたが、特に1907年(明治40)と1925年(大正14)は大規模なものとなりました。坑道もどんどん拡張されていき、1962年(昭和37)には、全長4,455mに及ぶ大斜坑を完成、深部開発と採鉱の効率向上に努めています。
ところが、採鉱が深部に及び過ぎ、災害発生の危険増大と鉱石品位の顕著な低下のため、1973年(昭和48)に閉山しました。その後、1991年(平成3)6月5日に、銅山のテーマパーク「マイントピア別子」としてオープンし、現在は“端出場ゾーン”に本館があり、旧火薬庫を改造して作られた観光坑道(長さ333m・別子銅山の様子を再現)との間を、鉱山鉄道(日本初の山岳鉄道)が復元されて、別子1号が運行されています。
また、標高750mの山中にある“東平ゾーン”には、銅にまつわる品々を展示する「東平歴史資料館」、レンガ造りの旧保安本部を活用して銅板レリーフなどを体験できる「マイン工房」、その他数々の産業遺跡が整備されていて、端出場ゾーンとの間を観光バス(要予約)で結ぶようになりました。尚、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1862年(文久2) | 江戸幕府が派遣した文久遣欧使節により、ロンドン覚書が締結される(新暦6月6日) | 詳細 |
| 1876年(明治9) | 明治天皇行幸で東京の上野公園の開園式が行われる | 詳細 |
| 1904年(明治37) | 小説家武田麟太郎の誕生日 | 詳細 |
| 1906年(明治39) | 書家金子鷗亭の誕生日 | 詳細 |
| 1915年(大正4) | 中国・袁世凱政府が日本の「対華21ヶ条要求」を受諾 | 詳細 |

