ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:初点灯

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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、三浦半島南東端(神奈川県三浦市)に立つ、日本7番目の洋式灯台である劔埼灯台が初点灯した日ですが、新暦では3月1日となります。
 剱埼灯台(つるぎさきとうだい)は、三浦半島の剱崎の突端に立つ白亜八角形の大型灯台です。幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税約書」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つでした。
 これらを条約灯台とも呼んでいますが、1871年(明治4)3月1日<旧暦では1月11日>に、「灯台の父」と呼ばれるR・H・ブラントンの設計によって設置、初点灯されています。日本の洋式灯台としては、第7番目のもので、建設当初は、石造でしたが、1923年(大正12)9月1日の関東大震災により、倒壊してしまいました。
 1924年(大正14)7月4日に再建されたのが、現在の灯台で、白色塔形(八角形)コンクリート造です。その後、1991年(平成3)には、無人化され、1996年(平成8)4月には、レーマークビーコン局が併設されました。
 現在の灯塔高(地上から塔頂まで)は16.9m、標高(平均海面~灯火)は41.1mで、第2等フレネル式レンズを使い、光度は45万カンデラ(実効光度)、光達距離は白光17海里(約31km)、緑光18海里(約33km)です。また、無線方位信号所(中波標識局、レーマークビーコン)も併設されました。
 周辺は、岩礁が発達し、浦賀水道や房総半島を望む風光明媚の地となっています。

〇R・H・ブラントンとは?

 日本の「灯台の父」とも呼ばれ、明治初期に主要灯台の建設にたずさわったイギリス人技師です。本名をリチャード・ヘンリー・ブラントンといい、1841年(天保12)12月26日に、イギリスのスコットランド・アバディーン洲キンカーデン郡に生まれました。
 もともと鉄道会社の土木首席助手として鉄道工事に従事していましたが、1868年(明治元)2月24日に、明治政府の雇い灯台技師として採用されました。
 短期間に灯台建設や光学等の灯台技術に関する知識を習得後、その年の8月8日、2人の助手と共に来日しましたが、当時はまだ26歳の青年でした。滞在していた8年ほどの間に、灯台26(下記の一覧参照)、灯竿5(根室、石巻、青森、横浜西波止場2)、灯船2(横浜港、函館港)などを建設し、灯台技術者養成の「修技校」を設置するなどして、灯台技術の継承にも力を尽くしました。
 また、灯台以外にも、日本最初の電信工事(明治2年・横浜)、鉄橋建設(横浜・伊勢佐木町の吉田橋)、港湾改修工事計画策定(大阪港・新潟港)、横浜外人墓地の下水道工事の設計など数多くの功績を残し、1876年(明治9)3月10日離日して、イギリスへ帰国しました。
 帰国後のブラントンは、「日本の灯台(Japan Lights)」という論文を英国土木学会で発表、テルフォード賞を受賞しました。その後は、ヤング・パラフィン・オイル会社支配人、建築装飾品製造工場の共同経営、土木建築業の自営など、建築家として多くの建物の設計・建築に携わりました。そして、仕事の合間に書きためてあったものを『ある国家の目覚め-日本の国際社会加入についての叙述と、その国民性についての個人的体験記』という原稿にまとめ終えてまもなく、1901年(明治34)4月24日に、59歳で亡くなっています。

<R・H・ブラントンが日本で建設に携わった灯台>

・樫野埼灯台 [和歌山県串本町] 初点灯1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日) 石造
・神子元島灯台 [静岡県下田市] 初点灯1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日) 石造
・剱埼灯台 [神奈川県三浦市] 初点灯1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日) 石造
・江埼灯台 [兵庫県淡路市] 初点灯1871年6月14日(旧暦:明治4年4月27日) 石造
・伊王島灯台 [長崎県長崎市] 初点灯1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日) 鉄造
・石廊崎灯台 [静岡県南伊豆町] 初点灯1871年10月5日(旧暦:明治4年8月21日) 木造
・佐多岬灯台 [鹿児島県南大隅町] 初点灯1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日) 鉄造
・六連島灯台 [山口県下関市] 初点灯1872年1月1日(旧暦:明治4年11月21日) 石造
・部埼灯台 [福岡県北九州市] 初点灯1872年3月1日(旧暦:明治5年1月22日) 石造
・友ヶ島灯台 [和歌山県和歌山市] 初点灯1872年8月1日(旧暦:明治5年6月27日) 石造
・納沙布岬灯台 [北海道根室市] 初点灯1872年8月15日(旧暦:明治5年7月12日) 木造
・和田岬灯台 [兵庫県神戸市] 初点灯1872年10月1日(旧暦:明治5年8月29日) 木造
・天保山灯台 [大阪府大阪市] 初点灯1872年10月1日(旧暦:明治5年8月29日) 木造
・鍋島灯台 [香川県坂出市] 初点灯1872年12月15日(旧暦:明治5年11月15日) 石造
・安乗埼灯台 [三重県志摩市] 初点灯1873年(明治6)4月1日 木造
・釣島灯台 [愛媛県松山市] 初点灯1873年(明治6)6月15日 石造
・菅島灯台 [三重県鳥羽市] 初点灯1873年(明治6)7月1日 レンガ造
・白洲灯台 [福岡県北九州市] 初点灯1873年(明治6)9月1日 木造
・潮岬灯台 [和歌山県串本町] 初点灯1873年(明治6)9月15日 木造
・御前埼灯台 [静岡県御前崎市] 初点灯1874年(明治7)5月1日 レンガ造
・犬吠埼灯台 [千葉県銚子市] 初点灯1874年(明治7)11月15日 レンガ造
・羽田灯台 [東京都] 初点灯1875年(明治8)3月15日 鉄造
・烏帽子島灯台 [福岡県糸島市] 1875年(明治8)8月1日 鉄造
・角島灯台 [山口県下関市] 初点灯1876年(明治9)3月1日 石造
・尻屋埼灯台 [青森県東通村] 初点灯1876年(明治9)10月20日 レンガ造
・金華山灯台 [宮城県石巻市] 初点灯1876年(明治9)11月1日 石造

〇「改税約書」(別名「江戸条約」)とは?

 幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国との間で結ばれた「安政五か国条約付属貿易章程」の改訂協約で、江戸において締結されたので、別名「江戸条約」とも呼ばれていました。
 1863年(文久3)に長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、1865年(慶応元年9月)に、兵庫沖に集結した四国連合艦隊 (英・仏・米・蘭) の威嚇により、4ヶ国は、上京していた第14代将軍徳川家茂に対し、長州藩の下関での外国船砲撃事件の償金の3分の2を放棄する代りに、1858年(安政5)に結んだ「修好通商条約」の勅許、兵庫開港、関税率低減を要求します。これに対し、幕府は兵庫開港延期の代償として、関税率の引下げ要求に応じるほかなくなりました。
 そして、輸入税に関して、「修好通商条約」の5~35%の従価税を廃止し、4ヵ年平均価格を原価とする一律5%を基準とする従量税とされ、きわめて不利な関税率となります。これによって、安価な外国商品が日本市場に流入し、産業資本の発達が厳しく阻害されることとなりました。その他、無税倉庫の設置や外国向け輸出品の国内運送非課税、貿易制限の撤去などがあわせて規定されます。
 この後、明治時代における条約改正の主目標となり、ようやく1894年(明治27)に廃棄されました。
 尚、この条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、灯台を建設することを約束させられ、日本で初となる洋式灯台が8ヶ所(観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)建設されることとなります。

☆「改税約書」(江戸条約)により建設された灯台(条約灯台)一覧 

・観音埼灯台(神奈川県横須賀市)初点灯:1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日) 
・野島埼灯台(千葉県南房総市)初点灯:1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日) 
・樫野埼灯台(和歌山県串本町)初点灯:初点灯:1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日) 
・神子元島灯台(静岡県下田市)初点灯:1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日)  
・剱埼灯台(神奈川県三浦市)初点灯:1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日) 
・伊王島灯台(長崎県長崎市)初点灯:1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日) 
・佐多岬灯台(鹿児島県佐多町)初点灯:1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日) 
・潮岬灯台(和歌山県串本町)初点灯:1873年(明治6)9月15日 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

708年(和銅元)武蔵国秩父郡から朝廷に銅が献上され、記念して和銅改元がされる(新暦2月7日)詳細
1938年(昭和13)御前会議で「支那事変処理根本方針」が決定される詳細
1941年(昭和16)「国家総動員法」第20条に基づき、「新聞紙等掲載制限令」が公布・施行される詳細
1952年(昭和27)植物学者・遺伝学者藤井健次郎の命日詳細
1964年(昭和39)伊豆大島大火で584棟418戸が焼失する詳細
1966年(昭和41)青森県三沢市で三沢大火が起きる詳細
1974年(昭和49)劇作家・小説家山本有三の命日(1.11忌)詳細
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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、日本8番目の洋式灯台である江埼灯台が初点灯した日ですが、新暦では6月14日となります。
 江埼灯台(えさきとうだい)は、淡路島の江崎に立つ白亜の石造の大型灯台です。周辺は、瀬戸内海国立公園に指定され、明石海峡大橋を望む風光明媚の地として知られてきました。また、建設当初の姿を伝え、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっています。
 1867年(慶応3)4月、幕府と英国公使は兵庫開港(同年12月)に備えて大坂約定(大坂条約)で、5つの灯台建設を約束しましたが、この灯台はその最初として、1871年(明治4)6月14日<旧暦では4月27日>に初点灯しました。かの、「灯台の父」と呼ばれるR・H・ブラントンの設計による石造灯台で、日本の洋式灯台では、8番目のものです。
 以後、そのままの姿で活躍してきましたが、1995年(平成7)1月17日の阪神・淡路大震災で、大きな被害を被ってしまいました。その後、灯台は復旧されたものの、付属の旧退息所は、四国村に移築保存され、2000年(平成12)に国の登録有形文化財となっています。現在の灯塔高(地上~塔頂)は8.27m、標高(平均海面~灯火)は48.5mで、第3等不動フレネル式レンズを使い、光度は、白光6万2千カンデラ、赤光2万4千カンデラ、光達距離は白光18海里(約33km)、赤光16海里(約30km)です。
 尚、2018年(平成30年)に、土木学会選奨土木遺産に選ばれ、2022年(令和4年)には、国の重要文化財にも指定されました。

〇初点灯の古い洋式灯台ベスト20 

① 観音埼灯台[神奈川県横須賀市]1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日) 
② 野島埼灯台[千葉県南房総市]1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日) 
③ 品川灯台[旧:東京都品川区]1870年4月5日(旧暦:明治3年3月5日) 
④ 樫野埼灯台[和歌山県串本町]1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日) 
⑤ 城ヶ島灯台[神奈川県三浦市]1870年9月8日(旧暦:明治3年8月13日) 
⑥  神子元島灯台[静岡県下田市] 1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日)  
⑦ 剱埼灯台[神奈川県三浦市]1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日) 
⑧ 江埼灯台[兵庫県北淡町]1871年6月14日(旧暦:明治4年4月27日) 
⑨ 伊王島灯台[長崎県長崎市]1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日) 
⑩ 石廊埼灯台[静岡県南伊豆町]1871年10月5日(旧暦:明治4年8月21日) 
⑪ 佐多岬灯台[鹿児島県佐多町]1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日) 
⑫ 六連島灯台[山口県下関市]1872年1月1日(旧暦:明治4年11月21日) 
⑬ 部埼灯台[福岡県北九州市]1872年3月1日(旧暦:明治5年1月22日) 
⑭ 友ヶ島灯台[和歌山県和歌山市]1872年8月1日(旧暦:明治5年6月27日) 
⑮ 納沙布岬灯台[北海道根室市]1872年8月15日(旧暦:明治5年7月12日) 
⑯ 和田岬灯台[兵庫県神戸市]1872年10月1日(旧暦:明治5年8月29日) 
⑯ 天保山灯台[大阪府大阪市]1872年10月1日(旧暦:明治5年8月29日) 
⑱ 鍋島灯台[香川県坂出市]1872年12月15日(旧暦:明治5年11月15日) 
⑲ 安乗埼灯台[三重県阿児町]1873年(明治6)4月1日 
⑳ 釣島灯台[愛媛県松山市]1873年(明治6)6月15日 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)浜松明治7年大火「小野組火事」が起き、死者3名、焼失家数1,335軒を出す詳細
1897年(明治30)帝国図書館官制が公布され、上野の東京図書館を帝国図書館とする詳細
1907年(明治40)国際的に活躍した版画家斎藤清の誕生日詳細
1948年(昭和23)衆議院不当財産取引委員会で昭和電工への復金融資をめぐる贈収賄(昭和電工事件)が問題化する詳細
2013年(平成25)推理作家・評論家佐野洋の命日詳細
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 今日は、明治時代前期の1874年(明治7)に、犬吠埼灯台が完成して、初点灯した日です。
 犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)は、千葉県銚子市のはずれ、犬吠埼の突端に立つ白亜の大型灯台で、周辺は、水郷筑波国定公園の一部となっていて、太平洋に臨む景勝地となってきました。また、世界灯台100選に選ばれた灯台 であり、「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっています。
 この灯台は、明治初期に、江戸条約によって建設された一群の洋式灯台(条約灯台ともいう)の中には入っていませんでしたが、それに続く重要な灯台として建設が決まりました。というのも、この付近一帯は、小島・岩礁が多く、昔から海の難所とされてきたからです。そして、1868年(慶応4)8月21日、幕府の軍艦美加保丸が、暴風雨に遭い、ここの黒生(くろはえ)岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていました。
 そのような中で、イギリスから招いた灯台技師、R・H・ブラントンの設計、施工監督のもと、1872年(明治5年9月2日)に着工、1874年(明治7)11月15日に完成し、初点灯されました。建設当初より、白色塔形(円形)のレンガ造灯台ですが、このレンガは日本製で、19万3千枚もが積み上げられています。それでいて、148年もの風雪に耐え、レンガ製の建造物としては、尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の灯塔高を誇ってきました。
 現在の灯塔高(地上から塔頂まで)31.3mと高く、標高(平均海面~灯火)51.80m、光度110万カンデラ(実効光度)、光達距離は、19.5海里(約40km) で、日本に6ヶ所しかない第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台です。また過去には、霧信号所(エアサイレン)や無線方位信号所(中波標識局、レーマークビーコン)、ディファレンシャルGPS局も併設されていて、いろいろな役割も担ってきました。
 一般公開(大人300円、小人無料)されている参観灯台で、上まで登ることができますが、螺旋階段の数が九十九里海岸にちなんで、99段となっているのが面白いです。灯台上からは、太平洋を一望の下にすることが出来、地球を丸く感じることが出来るところです。
 また、灯台資料展示館も併設されていて、この灯台の歴史、機能・役割などを学べますし、初代犬吠埼灯台レンズ(フレネル式第1等8面閃光レンズ)をはじめ、貴重な資料が多数展示されています。尚、2020年(令和2年)12月23日に、灯台、旧霧笛舎、旧倉庫が国の重要文化財に指定されました。

〇犬吠埼灯台関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1872年(明治5年9月2日) 犬吠埼灯台が着工される
・1874年(明治7年)11月15日 竣工し初点灯する
・1878年(明治11年)1月1日 気象観測業務を開始する
・1907年(明治40年)10月1日 船舶通報事務取扱を開始する
・1910年(明治43年)4月1日 霧信号所霧笛舎竣工し、霧笛号業務を開始する
・1923年(大正12年)5月27日 これまでの石油灯を電気灯火とし、燭光数を変更する
・1930年(昭和5年)2月25日 灯器改造工事のため等級、灯質、燭光数変更(仮灯に変更)する
・1930年(昭和5年)3月25日 灯器改造工事が完成し、灯質変更、光力増大の上点灯する
・1932年(昭和7年)12月15日 無線方位信号所業務を開始(無線標識)する
・1941年(昭和16年)3月11日 構内に犬吠埼電信局を設置する
・1945年(昭和20年)8月10日 7機の米軍戦闘機による攻撃を受け破損し、技術員1名が殉職する
・1945年(昭和20年)11月10日 修復して、再点灯する
・1951年(昭和26年)3月31日 戦災復旧工事が完了し、初点灯より使用していた初代レンズ(仏製1等八面閃光レンズ)が退役する
・1951年(昭和26年)9月1日 暴風標識信号所を設置する
・1953年(昭和28年)8月1日 航路標識事務所を設置する
・1956年(昭和31年)10月15日 光力を増大し、200万カンデラとなる
・1962年(昭和37年)9月1日 レーマークビーコン業務を開始する
・1973年(昭和48年)2月12日 灯塔を鉄筋にて補強工事を実施し完工する
・1987年(昭和62年)12月10日 灯塔をPC工法で耐震補強工事を実施し完工する
・2002年(平成14年)3月20日 灯台資料展示館開館し、明治村(愛知県)にて保存されていた初代レンズが戻る
・2006年(平成18年)8月2日 無線方位信号所(中波帯)が廃止される
・2008年(平成20年)3月31日 犬吠埼霧信号所廃止に伴い、最後の霧笛を鳴らすお別れ式典が挙行される
・2009年(平成21年)4月10日 無線方位信号所が廃止される
・2010年(平成22年)4月28日 灯台が国の登録有形文化財に登録される
・2012年(平成24年)12月19日 旧犬吠埼霧信号所霧笛舎が国の登録有形文化財に登録される
・2016年(平成28年)9月30日 灯台放送(船舶気象通報)及び灯台に併設する犬吠埼ディファレンシャルGPS局の気象通報が廃止される
・2019年(平成31年)3月1日 ディファレンシャルGPS局が廃止される
・2020年(令和2年)12月23日 灯台、旧霧笛舎、旧倉庫が国の重要文化財に指定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1653年(承応2)歌人・歌学者・俳人・貞門俳諧の祖松永貞徳の命日(新暦1654年1月3日)詳細
1867年(慶応3)京都で坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺される(新暦12月10日)詳細
1872年(明治5)「国立銀行条例」が制定される(新暦12月15日)詳細
1903年(明治36)平民社から週刊「平民新聞」が発刊される詳細
1914年(大正3) 東洋経済新報社説に石橋湛山の「青島は断じて領有すべからず」が掲載される詳細
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 今日は、幕末明治維新期の1869年(明治2)に、日本2番目の洋式灯台である野島埼灯台が初点灯した日ですが、新暦では1870年1月19日となります。
 野島埼灯台(のじまざきとうだい)は、房総半島最南端の千葉県安房郡白浜町の岬に立つ、白亜の八角形をした美しい大型灯台で、幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税約書」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つでした。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。
 これらが順次建設され、 観音崎灯台に続いて、日本で2番目に初点灯しましたが、野島崎は東京湾に出入りする船舶にとっては、昔からの重要ポイントでした。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形のレンガ造灯台で、基礎から灯火までが30mの高さで、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の6,500カンデラだったそうです。
 しかしながら、関東大震災で、地上6mの所で折れて、大音響と共に倒壊してしまいました。 現在の白色塔形(八角形)コンクリート造 りの灯台は、その後1925年(大正14)8月15日に、再建されたものですが、1945年(昭和20)太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受け、1946年(昭和21)11月12日に完全復旧したものです。
 尚、野島埼とあるは昔の書き方で、1962年(昭和37)に埼を崎と改め、サキをザキと呼ぶようになったそうですが、灯台の方は以前の呼び方のままとされてきました。現況は、灯塔高(地上~塔頂)29m、標高(平均海面~灯火)38m、第2等フレネル式レンズを使い、光度73万カンデラ(実効光度)で、光達距離は17海里(約32km)です。
 ここは、一般公開(有料大人200円)されている参観灯台で、上まで登ることができ、灯台上からは太平洋や遠く伊豆半島までも見渡せる、すばらしい眺望として知られてきました。また、灯台資料館(愛称「きらりん館」)が併設されていて、以前烏帽子島灯台で実際に使われていた第2等フレネル式の灯台レンズなど貴重な灯台関係資料も展示されています。
 1998年(平成10)11月1日には、第50回灯台記念日の行事として、「日本の灯台50選」にも選定されました。

〇「改税約書」(別名「江戸条約」)とは?

 幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国との間で結ばれた「安政五か国条約付属貿易章程」の改訂協約で、江戸において締結されたので、別名「江戸条約」とも呼ばれていました。
 1863年(文久3)に長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、1865年(慶応元年9月)に、兵庫沖に集結した四国連合艦隊 (英・仏・米・蘭) の威嚇により、4ヶ国は、上京していた第14代将軍徳川家茂に対し、長州藩の下関での外国船砲撃事件の償金の3分の2を放棄する代りに、1858年(安政5)に結んだ「修好通商条約」の勅許、兵庫開港、関税率低減を要求します。これに対し、幕府は兵庫開港延期の代償として、関税率の引下げ要求に応じるほかなくなりました。
 そして、輸入税に関して、「修好通商条約」の5~35%の従価税を廃止し、4ヵ年平均価格を原価とする一律5%を基準とする従量税とされ、きわめて不利な関税率となります。これによって、安価な外国商品が日本市場に流入し、産業資本の発達が厳しく阻害されることとなりました。その他、無税倉庫の設置や外国向け輸出品の国内運送非課税、貿易制限の撤去などがあわせて規定されます。
 この後、明治時代における条約改正の主目標となり、ようやく1894年(明治27)に廃棄されました。
 尚、この条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、灯台を建設することを約束させられ、日本で初となる洋式灯台が8ヶ所(観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)建設されることとなります。

☆「改税約書」(江戸条約)により建設された灯台(条約灯台)一覧 

・観音埼灯台(神奈川県横須賀市)初点灯:1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日) 
・野島埼灯台(千葉県南房総市)初点灯:1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日) 
・樫野埼灯台(和歌山県串本町)初点灯:初点灯:1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日) 
・神子元島灯台(静岡県下田市)初点灯:1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日)  
・剱埼灯台(神奈川県三浦市)初点灯:1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日) 
・伊王島灯台(長崎県長崎市)初点灯:1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日) 
・佐多岬灯台(鹿児島県佐多町)初点灯:1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日) 
・潮岬灯台(和歌山県串本町)初点灯:1873年(明治6)9月15日 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1914年(大正3)東京駅の開業式が行われる(東京駅完成記念日)詳細
1947年(昭和22)「過度経済力集中排除法」が公布施行される詳細
1948年(昭和22)連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本経済自立復興の為の「経済安定9原則」を指令する詳細
1997年(平成9)東京湾横断道路(愛称:東京湾アクアライン)が開通する詳細
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 今日は、明治時代前期の1870年(明治3)に、日本5番目の洋式灯台として城ヶ島灯台が初点灯した日ですが、新暦では9月8日となります。
 城ヶ島灯台(じょうがしまとうだい)は、神奈川県三浦半島の最南端に浮かぶ、城ヶ島の西端にある長津呂崎に立つ、白亜の中型灯台です。幕末の1867年(慶応3)に、江戸幕府は諸外国の求めに応じ、4ヶ所(観音崎、野島崎、品川第二砲台、城ケ島)の西洋式灯台建設を計画、フランス人技師レオンス・ヴェルニーに建設を依頼しました。
 しかし、明治維新期に当たり、紆余曲折を経てフランス人技師たちの設計によって建設され、明治新政府の下で、1870年(明治3年8月13日)に、日本の西洋式灯台としては5番目の初点灯を迎えます。建設当初は、塔形(円形)のレンガ造でしたが、1923年(大正12)9月1日の関東大震災により、灯塔、附属舎共に、倒壊してしまいました。
 そこで、1925年(大正14)8月1日に、白色塔形(円形)コンクリート造で再建されたのが現存のものです。灯塔高(地上から塔頂まで)11.5m、標高(平均海面から灯火まで)30.1mで、第4等フレネル式レンズを使い、光度40万カンデラ、光達距離16海里(約30km) で、内部は一般公開されていませんので、通常は外部のみの見学とされてきました。
 1928年(昭和3)に城ヶ島への電灯敷設に伴って光源がアセチレンガスから電灯となり、光度が20,000cdから120,000cdへ引き上げられます。1958年(昭和33)に周辺に県立城ヶ島公園が設置され、太平洋を望む景勝地として、海岸の磯は観光客でにぎわってきましたが、1991年(平成3)に灯台は無人化されました。
 尚、この島には1648年(慶安元)に、三崎奉行安部次郎兵衛により東端の安房崎に烽火台が設置され、1678年(延宝6)に烽火台は幕府の命によって島西端の西山(現在の位置)に移設され、魚の油を燃やす行灯式の灯明台となり、1721年(享保6)には、三崎代官河原清兵衛によって松薪による篝火に変更されるという灯台の前史があります。

〇城ヶ島灯台関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1648年(慶安元年) 三崎奉行安部次郎兵衛が島東端の安房崎に烽火台を設置したのが起源とされる
・1678年(延宝6年) 烽火台は幕府の命によって島西端の西山(現在の位置)に移設され、魚の油を燃やす行灯式の灯明台となる
・1721年(享保6年) 三崎代官河原清兵衛によって松薪による篝火に変更される
・1867年(慶応3年) 江戸幕府が諸外国の求めに応じ、観音崎、野島崎、品川第二砲台と共に4ヶ所の灯台建設を計画、フランス人技師レオンス・ヴェルニーに建設を依頼する
・1870年(明治3年8月13日) 日本の西洋式灯台としては5番目の初点灯を迎える
・1923年(大正12年)9月1日 関東大震災が発生し、設置当時の灯台は灯塔、附属舎共に完全に倒壊する
・1925年(大正14年)8月1日 白色塔形(円形)コンクリート造で再建される
・1928年(昭和3年) 城ヶ島への電灯敷設に伴って光源がアセチレンガスから電灯となり、光度が20,000cdから120,000cdへ引き上げられる
・1991年(平成3年) 灯台が無人化される

☆初点灯とは?

 灯台が、その場所ではじめて正式に点灯(本点灯)した日をいいます。日本で最初に点灯した洋式灯台は、1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日)の観音埼灯台で、2番目は、1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日)の野島埼灯台で、共にレンガ造りでしたが、いずれも地震で倒壊し、現在では、鉄筋コンクリート造りとなりました。しかし、F・L・ヴェルニー等によって、1870年4月5日(旧暦:明治3年3月5日)に建設され3番目に初点灯したレンガ造りの品川灯台(旧:東京都品川区)は、愛知県犬山市の「博物館明治村」に移設保存されて、現存しています。以下に、初点灯の古い洋式灯台ベスト20を新暦で本点灯の年月日順に記しました。

<初点灯の古い洋式灯台ベスト20>

①観音埼灯台(神奈川県横須賀市)1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日)
②野島埼灯台(千葉県南房総市)1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日)
③品川灯台(旧:東京都品川区)1870年4月5日(旧暦:明治3年3月5日)
④樫野埼灯台(和歌山県串本町)1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日)
⑤城ヶ島灯台(神奈川県三浦市)1870年9月8日(旧暦:明治3年8月13日)
⑥神子元島灯台(静岡県下田市)1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日)
⑦剱埼灯台(神奈川県三浦市)1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日)
⑧江埼灯台(兵庫県北淡町)1871年6月14日(旧暦:明治4年4月27日)
⑨伊王島灯台(長崎県長崎市)1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日)
⑩石廊埼灯台(静岡県南伊豆町)1871年10月5日(旧暦:明治4年8月21日)
⑪佐多岬灯台(鹿児島県佐多町)1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日)
⑫六連島灯台(山口県下関市)1872年1月1日(旧暦:明治4年11月21日)
⑬部埼灯台(福岡県北九州市)1872年3月1日(旧暦:明治5年1月22日)
⑭友ヶ島灯台(和歌山県和歌山市)1872年8月1日(旧暦:明治5年6月27日)
⑮納沙布岬灯台(北海道根室市)1872年8月15日(旧暦:明治5年7月12日)
⑯和田岬灯台(兵庫県神戸市)1872年10月1日(旧暦:明治5年8月29日)
⑰天保山灯台(大阪府大阪市)1872年10月1日(旧暦:明治5年8月29日)
⑱鍋島灯台(香川県坂出市)1872年12月15日(旧暦:明治5年11月15日)
⑲安乗埼灯台(三重県阿児町)1873年(明治6)4月1日
⑳釣島灯台(愛媛県松山市)1873年(明治6)6月15日

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

842年(承和9)貴族・官僚・書家橘逸勢の命日(新暦9月24日)詳細
1809年(文化6)幕末明治維新期の熊本藩士・思想家・政治家横井小楠の誕生日(新暦9月22日)詳細
1952年(昭和27)日本が国際復興開発銀行(世界銀行)と国際通貨基金(IMF)に加盟する詳細
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