ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:分子生物学者

hayaishiosamu01
 今日は、大正時代の1920年(大正9)に、医師・生化学者・分子生物学者早石修が生まれた日です。
 早石修(はやいし おさむ)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ストックトンにおいて生まれましたが、旧制北野中学校を4修で卒業後、旧制大阪高校を経て、大阪帝国大学医学部医学科に入学しました。1942年(昭和17)に卒業後、同大学医学部副手となりましたが、太平洋戦争中に海軍軍医(中尉)として従軍し、戦後の1946年(昭和21)には、医化学第一講座助手に昇任します。
 1949年(昭和24)に「抗菌性物質に関する研究」で、大阪大学より博士号を授与され、アメリカ留学して、ウィスコンシン大学酵素研究所研究員となりました。1950年(昭和25)にカリフォルニア大学研究員、1951年(昭和26)にアメリカ国立衛生研究所研究員となり、1952年(昭和27)には、セントルイス・ワシントン大学医学部助教授(微生物学教室)となります。
 1954年(昭和29)にアメリカ国立衛生研究所(N.I.H)毒物学部長となり、1956年(昭和31)には、酸素添加酵素「オキシゲナーゼ」を発見しました。1958年(昭和33)に帰国して、京都大学医学部(生化学)教授となり、1961年(昭和36)には、大阪大学医学部(生化学第一講座)教授併任(~1963年)となります。
 1964年(昭和39)に「トリプトファンによるNADの生合成に関する研究」で日本ビタミン学会賞、「酸素添加酵素の研究」で松永賞を受賞、1965年(昭和40)に「酸素添加酵素の発見と研究」で朝日文化賞、1967年(昭和42)には、「酸素添加酵素の研究」で日本学士院賞を受賞しました。1968年(昭和43)にヴァンダービルト大学教授、1970年(昭和45)に東京大学医学部(栄養学講座)教授併任(~1974年)となり、1972年(昭和47)には、文化功労者となり、文化勲章を受章します。
 1973年(昭和48)に国際生化学・分子生物学連合の総裁を務め(~1976年)、1974年(昭和49)に日本学士院会員となり、1975年(昭和50)に「POLY(ADP-RIB)の発見、その合成分解酵素の生物学的意義に関する研究」で、第16回藤原賞を受賞、パリ市長ブロンズメダルを得て、1976年(昭和51)には、ニューヨーク科学アカデミー生化学賞を受賞、イギリス・チバ金牌を得ました。1978年(昭和53)にWHO医学研究顧問、1979年(昭和54)に京都大学評議員(~12月)、京都大学医学部長(~1981年)となり、スペイン ヒメネス・ディアズ記念賞受賞、1983年(昭和58)には、京都大学を退官して名誉教授となり、大阪医科大学学長(~1989年)となります。
 1984年(昭和59)に京都市名誉市民、1986年(昭和61)にウルフ賞医学部門受賞、1987年(昭和62)に財団法人大阪バイオサイエンス研究所所長、1990年(平成2)にニューオーリンズ市国際名誉市民、1993年(平成5)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1995年(平成7)にイタリア ルイジ・ムサジョ賞受賞、1998年(平成10)に財団法人大阪バイオサイエンス研究所名誉所長、1999年(平成11)にルイジアナ州立大学医学部・神経科学センター総長賞、カルフォルニア酸素クラブ賞・終身名誉会員、第3回世界睡眠学会連合総会(WFSRS)第1回優秀科学者賞を受賞します。
 2004年(平成16)に財団法人大阪バイオサイエンス研究所理事長、2007年(平成19)に大阪医科大学賞を受賞しましたが、2015年(平成27)12月17日に、京都府京都市の病院において、老衰のために、95歳で亡くなり、従三位を追贈されました。

〇早石修の主要な著作

・『酸素と生命』(1984年)
・『プロスタグランジンの基礎と臨床 研究の歴史・現況と将来への展望』(1988年)

☆早石修関係略年表

・1920年(大正9)1月8日 アメリカ合衆国カリフォルニア州ストックトンにおいて、生まれる
・1942年(昭和17) 大阪帝国大学医学部医学科を卒業し、同大学医学部副手となる
・1946年(昭和21) 大阪帝国大学医学部医化学第一講座助手に昇任する
・1949年(昭和24) 「抗菌性物質に関する研究」で、大阪大学より博士号を授与され、アメリカ留学して、ウィスコンシン大学酵素研究所研究員となる
・1950年(昭和25) カリフォルニア大学研究員となる
・1951年(昭和26) アメリカ国立衛生研究所研究員となる
・1952年(昭和27) セントルイス・ワシントン大学医学部助教授(微生物学教室)となる
・1954年(昭和29) アメリカ国立衛生研究所(N.I.H)毒物学部長となる
・1956年(昭和31) 酸素添加酵素「オキシゲナーゼ」を発見する
・1958年(昭和33) 帰国して、京都大学医学部(生化学)教授となる
・1961年(昭和36) 大阪大学医学部(生化学第一講座)教授併任となる(~1963年)
・1964年(昭和39) 「トリプトファンによるNADの生合成に関する研究」で、日本ビタミン学会賞、「酸素添加酵素の研究」で、松永賞を受賞する
・1965年(昭和40) 「酸素添加酵素の発見と研究」で、朝日文化賞を受賞する
・1967年(昭和42) 「酸素添加酵素の研究」で、日本学士院賞を受賞する
・1968年(昭和43) ヴァンダービルト大学教授となる
・1970年(昭和45) 東京大学医学部(栄養学講座)教授併任となる(~1974年)
・1972年(昭和47) 文化功労者となり、文化勲章を受章する
・1973年(昭和48) 国際生化学・分子生物学連合の総裁を務める(~1976年)
・1974年(昭和49) 日本学士院会員(第7分科(医学・薬学・歯学))となる
・1975年(昭和50) 「POLY(ADP-RIB)の発見、その合成分解酵素の生物学的意義に関する研究」で、第16回藤原賞を受賞、パリ市長ブロンズメダルを得る
・1976年(昭和51) ニューヨーク科学アカデミー生化学賞を受賞、イギリス・チバ金牌を得る
・1978年(昭和53) WHO医学研究顧問となる
・1979年(昭和54) 京都大学評議員(~12月)、京都大学医学部長となり(~1981年)、スペイン ヒメネス・ディアズ記念賞を受賞する
・1983年(昭和58) 京都大学を退官して名誉教授となり、大阪医科大学学長となる(~1989年)
・1984年(昭和59) 京都市名誉市民となる
・1986年(昭和61) ウルフ賞医学部門を受賞する
・1987年(昭和62) 財団法人大阪バイオサイエンス研究所所長となる
・1990年(平成2) ニューオーリンズ市国際名誉市民となる
・1993年(平成5) 勲一等瑞宝章を受章する
・1995年(平成7) イタリア ルイジ・ムサジョ賞を受賞する
・1998年(平成10) 財団法人大阪バイオサイエンス研究所名誉所長となる
・1999年(平成11) ルイジアナ州立大学医学部・神経科学センター総長賞、カルフォルニア酸素クラブ賞・終身名誉会員、第3回世界睡眠学会連合総会(WFSRS)第1回優秀科学者賞を受賞する
・2004年(平成16) 財団法人大阪バイオサイエンス研究所理事長となる
・2007年(平成19) 大阪医科大学賞を受賞する
・2015年(平成27)12月17日 京都府京都市の病院において、老衰のために、95歳で亡くなり、従三位を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1173年(承安3)華厳宗の学僧明恵の誕生日(新暦2月21日)詳細
1646年(正保3)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の誕生日(新暦2月23日)詳細
1892年(明治25)詩人・歌人・フランス文学者・翻訳家堀口大学の誕生日詳細
1912年(明治45)映画監督今井正の誕生日詳細
1917年(大正6)農芸化学者・富山県立技術短大学長田村三郎の誕生日詳細
1941年(昭和16)陸軍大臣東條英機によって、陸訓第一号「戦陣訓」が発表される詳細
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ebashisetsurou01
 今日は、大正時代の1922年(大正11)に、薬理学者・分子生物学者江橋節郎の生まれた日です。
 江橋節郎(えばし せつろう)は、東京市麹町区九段(現在の東京都千代田区)において生まれ、番町小学校を5年、府立第一中学を4年で修了し、第一高等学校に学びました。卒後、東京帝国大学医学部医学科へ進み、1944年(昭和19)に、戦時の半年繰り上げで卒業、海軍軍医中尉に任官して上海に赴任し、そこで終戦を迎えます。
 一年近くの捕虜生活後、1946年(昭和21)に日本へ帰国し、東京帝国大学医学部薬理学教室へ出入りするようになり、1948年(昭和23)には、「C-R結合増幅器による記録曲線の補正方法について」が「科学」に掲載されるようになりました。1949年(昭和24)に東京大学医学部助手となり、1951年(昭和26)からウサギのグリセリン処理筋をATP存在下で弛緩させる因子の追及を始め、1954年(昭和29)には、「コリンアセチラーゼに関する研究」で、医学博士の学位を取得します。
 1959年(昭和34)に東京大学医学部教授(薬理学第一講座担任)となり、米国ロックフェラー研究所客員研究員(F.リップマン教授)となり、1963年(昭和38)には、カリフォルニア大学客員教授となりました。1965年(昭和40)に骨格筋から世界初のCa2+制御タンパク質「トロポニン」を発見、第1回山路自然科学奨励賞を受賞、1968年(昭和43)には、「カルシウムを中心とした筋収縮機構の研究」で、朝日賞を受賞します。
 1971年(昭和46)に東京大学理学部併任教授(生物物理学講座担任)となり、1972年(昭和47)には、「筋の収縮及び弛緩の機構に関する研究」で、第62回日本学士院賞・恩賜賞を受賞しました。1974年(昭和49)にハーバード大学医学部客員教授となり、1975年(昭和50)に文化功労者となり、文化勲章を受章、1977年(昭和52)には、ロンドン王立協会外国人会員に選出されます。
 1978年(昭和53)に日本学士院会員となり、1979年(昭和54)にクルーニアン・メダルを得、1982年(昭和57)には、日本生物物理学会会長に就任しました。1983年(昭和58)に東京大学医学部教授を辞め、名誉教授となり、岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授となり、1985年(昭和60)には、生理学研究所長に昇進します。
 1986年(昭和61)に国際心臓研究学会第1回ピーター・ハリス賞を受賞、1991年(平成3)に岡崎国立共同研究機構長となり、1995年(平成7)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1996年(平成8)に米国国立科学アカデミー外国会員となり、1999年(平成11)には、国際生物学賞を受賞しましたが、2006年(平成18)7月17日に、愛知県岡崎市において、83歳で亡くなり、従三位を追贈されています。

☆江橋節郎関係略年表

・1922年(大正11)8月31日 東京市麹町区九段(現在の東京都千代田区)において生まれる
・1944年(昭和19) 東京帝国大学医学部医学科を卒業し、海軍軍医中尉に任官して上海に赴任する
・1945年(昭和20) 上海で終戦を迎える
・1946年(昭和21) 日本へ帰国する
・1948年(昭和23) 「C-R結合増幅器による記録曲線の補正方法について」が「科学」に掲載される
・1949年(昭和24) 東京大学医学部助手となる
・1951年(昭和26) ウサギのグリセリン処理筋をATP存在下で弛緩させる因子の追及を始める
・1954年(昭和29) 「コリンアセチラーゼに関する研究」で、医学博士の学位を取得する
・1959年(昭和34) 東京大学医学部教授(薬理学第一講座担任)となり、米国ロックフェラー研究所客員研究員(F.リップマン教授)となる
・1963年(昭和38) カリフォルニア大学客員教授となる
・1965年(昭和40) 骨格筋から世界初のCa2+制御タンパク質「トロポニン」を発見、第1回山路自然科学奨励賞を受賞する
・1968年(昭和43) 「カルシウムを中心とした筋収縮機構の研究」で、朝日賞を受賞する
・1971年(昭和46) 東京大学理学部併任教授(生物物理学講座担任)となる
・1972年(昭和47) 「筋の収縮及び弛緩の機構に関する研究」で、第62回日本学士院賞・恩賜賞を受賞する
・1974年(昭和49) ハーバード大学医学部客員教授となる
・1975年(昭和50) 文化功労者となり、文化勲章を受章する
・1977年(昭和52) ロンドン王立協会外国人会員に選出される
・1978年(昭和53) 日本学士院会員となる
・1979年(昭和54) クルーニアン・メダルを得る
・1982年(昭和57) 日本生物物理学会会長に就任する
・1983年(昭和58) 東京大学医学部教授を辞め、名誉教授となり、岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授となる
・1985年(昭和60) 岡崎国立共同研究機構生理学研究所長となる
・1986年(昭和61) 国際心臓研究学会第1回ピーター・ハリス賞を受賞する
・1991年(平成3) 岡崎国立共同研究機構長となる
・1995年(平成7) 勲一等瑞宝章を受章する
・1996年(平成8) 米国国立科学アカデミー外国会員となる
・1999年(平成11) 国際生物学賞を受賞する
・2006年(平成18)7月17日 愛知県岡崎市において、83歳で亡くなり、従三位を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)日本画家、南画家小室翠雲の誕生日詳細
1878年(明治11)日本画家鏑木清方(かぶらき きよかた)の誕生日詳細
1896年(明治29)陸羽地震(マグニチュード7.2)が起こり、死者209人、負傷者779人を出す詳細
1908年(明治41)物理化学者森野米三の誕生日詳細
1913年(大正2)お雇い外国人であるドイツ人医師E・von ベルツの命日詳細
1970年(昭和45)小説家・検察官・弁護士佐賀潜の命日詳細
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