
出島(でじま)は、江戸幕府による鎖国政策の一環として、1634年(寛永11)の「第2次鎖国令」により、対外政策の一環として長崎に築造開始された扇型の人工島でした。完成は、1636年(寛永13)で、面積は3,969坪(約13,000㎡)、市街地との連絡は1本の橋のみで、見張番所を置き出入りを厳重に監視し、当初はポルトガル人の隔離を目的としたものです。
1637年(寛永14)の島原の乱後、1639年(寛永16年7月5日)の「第5次鎖国令」が出されて、ポルトガル船の入港禁止により、ポルトガル人が追放され、1641年(寛永18年5月17日)に平戸のオランダ商館がここに移されました。甲比丹(かぴたん)部屋、紅毛人部屋、倉庫、通詞会所など65棟が建てられ、奉行所役人、入札商人、遊女、人夫のみ出入を許可されます。しかし、鎖国政策下において、世界への窓の役割を果たし、西欧の文物を取り入れる拠点として、幕末まで存続しました。
明治以降は、長崎港の港湾整備に伴い、1899年(明治32)~1904年(明治37)に付近が埋め立てられて陸続きとなり、扇形の人工島であった頃の面影は失われたものの、1922年(大正11)に、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されます。1996年(平成8)から、長崎市によって、江戸当時の姿への復元を目指す「出島復元整備事業計画」が進められてきました。
1637年(寛永14)の島原の乱後、1639年(寛永16年7月5日)の「第5次鎖国令」が出されて、ポルトガル船の入港禁止により、ポルトガル人が追放され、1641年(寛永18年5月17日)に平戸のオランダ商館がここに移されました。甲比丹(かぴたん)部屋、紅毛人部屋、倉庫、通詞会所など65棟が建てられ、奉行所役人、入札商人、遊女、人夫のみ出入を許可されます。しかし、鎖国政策下において、世界への窓の役割を果たし、西欧の文物を取り入れる拠点として、幕末まで存続しました。
明治以降は、長崎港の港湾整備に伴い、1899年(明治32)~1904年(明治37)に付近が埋め立てられて陸続きとなり、扇形の人工島であった頃の面影は失われたものの、1922年(大正11)に、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されます。1996年(平成8)から、長崎市によって、江戸当時の姿への復元を目指す「出島復元整備事業計画」が進められてきました。
☆「鎖国」完成までの略年表(日付は旧暦です)
・1612年(慶長17年3月) 幕領に禁教令を出す
・1616年(元和2年8月) 明朝以外の船の入港を長崎・平戸に限定する
・1620年(元和6年) 平山常陳事件で英蘭が協力してポルトガルの交易を妨害し、元和の大殉教に繋がる
・1623年(元和9年11月) イギリスが業績不振のため平戸商館を閉鎖する
・1624年(寛永元年3月) スペインとの国交を断絶、来航を禁止する
・1628年(寛永5年) タイオワン事件の影響で、オランダとの交易が4年間途絶える
・1631年(寛永8年6月) 奉書船制度の開始で朱印船に朱印状以外に老中の奉書が必要となる
・1633年(寛永10年2月28日) 「第1次鎖国令」(奉書船以外の渡航禁止、海外に5年以上居留する日本人の帰国を禁止)が出される
・1634年(寛永11年) 「第2次鎖国令」(第1次鎖国令の再通達。長崎に出島の建設を開始)が出される
・1635年(寛永12年5月) 「第3次鎖国令」(中国・オランダなど外国船の入港を長崎のみに限定、東南アジア方面への日本人の渡航及び日本人の帰国を禁止)が出される
・1636年(寛永13年5月19日) 「第4次鎖国令」(貿易に関係のないポルトガル人とその妻子287人をマカオへ追放、残りのポルトガル人を出島に移す)が出される
・1637年(寛永14年) 島原の乱が始まり、幕府に武器弾薬をオランダが援助する
・1639年(寛永16年7月5日) 「第5次鎖国令」(ポルトガル船の入港禁止)が出される
・1640年(寛永17年) マカオから通商再開依頼のためポルトガル船来航、徳川幕府が使者61名を処刑する
・1641年(寛永18年5月17日) オランダ商館を平戸から出島に移す
・1643年(寛永20年) ブレスケンス号事件でオランダ船は日本中どこに入港しても良いとの徳川家康の朱印状が否定される
・1644年(正保元年) 中国にて明が滅亡し、満州の清が李自成の順を撃破して中国本土に進出。明再興を目指す勢力が日本に支援を求める(日本乞師)が、徳川幕府は拒絶を続ける
・1647年(正保4年) ポルトガル船2隻、国交回復依頼に来航、徳川幕府は再びこれを拒否、以後、ポルトガル船の来航が絶える
・1673年(延宝元年1月) リターン号事件でイギリスとの交易の再開を拒否、以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶える
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
717年(養老元) | 浮浪・逃亡が増え、「諸国の百姓の浮浪・逃亡の続出に関する詔」が出される(新暦6月30日) | 詳細 |
1875年(明治8) | 最初の屯田兵が北海道の琴似(現在の札幌市西区)に入植する | 詳細 |
1890年(明治23) | 「府縣制」(明治23年法律第35号)が公布される | 詳細 |
「郡制」(明治23年法律第36号)が公布される | 詳細 | |
1946年(昭和21) | GHQから「肥料の生産、分配及び使用に関する覚書」(SCAPIN-962)が指令される | 詳細 |
1965年(昭和40) | 労働者の結社の自由・団結権の保護を定めた「ILO87号条約」を国内で承認する | 詳細 |