ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:内陸直下型地震

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 今日は、江戸時代後期の1847年(弘化4)に、信濃国で善光寺地震(推定マグニチュード7.4)が起き、甚大な被害をもたらした日ですが、新暦では5月8日となります。
 善光寺地震(ぜんこうじじしん)は、この日の午後10時頃に起きた、信濃国(現在の長野県)の善光寺平を震源地(東経138度2分、北緯36度7分)とした、内陸直下型地震でした。マグニチュードは7.4と推定され、善光寺平周辺では、震度7という激しい揺れであったと考えられています。
 これによって、広範囲にわたって地すべりや山地崩壊が発生、大量の崩壊土砂による川の堰き止めや決壊、洪水の発生をももたらし、2万余戸の家屋が倒壊・焼失・流失しました。善光寺も大きな被害を受けましたが、折しも、善光寺御開帳と重なっていたこともあり、門前町は各地からの参拝客7,000~8000人であふれていて、家屋倒壊後、火災も起き、約1割くらいしか助からなかったともされています。
 また、犀川右岸の虚空蔵山が山崩れを起こして犀川をふさぎ、堰止湖を形成、その上流には長さ約30kmの湖が出現して、上流部の数十ヶ村が水没、19日後には決壊して下流が洪水に見舞われるなどしました。このため全体では、死者8,600人強、全壊家屋21,000千軒、焼失家屋は約3,400軒、山崩れ42,528ヶ所を数え、農畜産物、道路・橋梁などへも甚大な被害が出ました。
 この地震のために生じた小松原断層と善光寺断層は長野市西部に残され、これら断層を総称し、長野盆地西縁断層群とも呼んでいます。尚、この震災被害を記録した、松代藩家老河原綱徳の手記『虫倉日記』(全4巻)が残されていて、貴重な史料とされてきました。

〇松代藩家老河原綱徳手記『虫倉日記』(抜粋)

「水内郡大姥山崩壊して山麓なる念仏寺村の内、平沢組・臥雲組、梅木村の内、城の越組・親沢組、地京原村の内、藤沢組・横尾組、伊折村の内、太田組・高福寺横内組・荒木組、和佐尾村の内、栗本組など、都合五ヶ村の内、十一ヶ組の人家七十軒、男女百九十九人、馬三十頭迹方(あとかた)もなく埋没したるが、其夜、松代藩代官の手代鈴木藤太といえるが、松代候の不日村里を巡回して、念仏寺村臥雲院に止宿あるべき筈にて、其下検分として、臥雲院に出張止宿の折柄、図らず、其山抜けに遭ひ、自ら其夜の事共を詳しく筆記し置けるものあり。因(ちな)みに曰く、念仏寺村は当時総戸数五十八戸、此変災にて潰屋(つぶれや)二十四戸、半潰十八戸、死人六人、斃馬六頭なり」

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1185年(寿永4)壇ノ浦の戦いが行われ、平家一門が滅亡する(新暦4月25日)詳細
1891年(明治24)「度量衡法」(明治24年3月24日法律第3号)が公布される詳細
1932年(昭和7)小説家梶井基次郎の命日詳細
1983年(昭和58)千代田IC~鹿野ICの開通によって、中国自動車道(吹田~下関)が全通する詳細
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akitasenpokujishin01
 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、秋田県内陸南部を震源とする秋田仙北地震(マグニチュード7.1)が起き、大きな被害を出した日です。
 秋田仙北地震(あきたせんぼくじしん)は、この日の深夜4時59分44秒に秋田県仙北郡(現在の大仙市)を震源として発生したマグニチュード(M)7.1の内陸直下型の大地震で、強首地震(こわくびじしん)とも呼ばれてきました。震央は北楢岡付近で、当時の強首村(現在の大仙市)を中心に震度7の揺れがあったと推定され、秋田市で震度5を記録したほか、北海道から東海地方にかけて震度1以上の揺れを観測しています。
 雄物川川岸の旧強首村強首地区では全ての家屋が壊れ、全壊率は50%を超え、斜面崩壊も広範囲で発生し、旧大沢郷村では地震による堰止め湖が形成されるなどしました。これによる秋田県内の被害は、死者94人、負傷者324人、住家全壊640棟、半壊575戸、焼失3戸など甚大なもので、国鉄奥羽本線の線路や鉄橋、本荘街道や湯沢街道が被害を受け、交通網も寸断され、水道等の施設にも被害が及んでいます。
 秋田県や警察による被害調査や救援及び救護活動は、迅速に当日から行われ、復旧活動も順次進められ、その後の防災対策もとられることとなりました。

〇大正時代に起きた大規模地震(M7以上)

・1914年(大正3)1月12日 桜島地震[M7.1] - 死者29人。桜島大噴火に伴い地震発生。
・1914年(大正3)3月15日 秋田仙北地震[M7.1] - 死者94人。秋田県強首村(現大仙市)で最大震度7相当と推定
・1915年(大正4)1月6日 石垣島北西沖で地震[M7.4]
・1915年(大正4)3月18日 北海道十勝沖で地震[M7.0] - 死者2人
・1915年(大正4)11月1日 宮城県沖で地震[M7.5] - 岩手県や宮城県の沿岸に小津波
・1918年(大正7)9月8日 択捉島沖地震[M8](Ms8.2, Mw8.3, Mt8.5) - 死者24人
・1921年(大正10)12月8日 龍ヶ崎地震[M7.0] - 千葉県・茨城県県境付近で発生、震源深さ60km程度、家屋倒壊、道路亀裂
・1923年(大正12)6月2日 茨城県沖で地震[M7.1] - 千葉県銚子市で最大震度4
・1923年(大正12)7月13日 九州地方南東沖で地震[Mj7.3] - 深さ44km、宮崎県宮崎市と鹿児島県鹿児島市で最大震度4
・1923年(大正12)9月1日 関東地震(大正関東地震、関東大震災)[M7.9] - 関東地方南部と山梨県で最大震度6、神奈川県と千葉県南部のそれぞれ一部で震度7相当と推定、死者・行方不明者10万5385人(日本災害史上最悪)
・1924年(大正13)1月15日 丹沢地震[Mj7.3] - 死者19人。山梨県甲府市で最大震度6、大正関東地震の余震と見られている
・1924年(大正13)7月1日 北海道東方沖で地震 - Mj7.5、北海道根室市で最大震度4。
・1924年(大正13)8月15日 茨城県沖で地震[Mj7.2] - 福島県いわき市で最大震度5。
・1924年(大正13)12月27日 網走沖で地震[Mj7.0] - 深さ150km、北海道根室市で最大震度4
・1926年(大正15)6月29日 沖縄本島北西沖で地震[Mj7.0] - 深さ150km、沖縄県那覇市で最大震度4
・1926年(大正15)8月7日 宮古島近海で地震[Mj7.0] - 沖縄県石垣島で最大震度4。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1868年(慶応4)明治政府が、民政方針を示す「五榜の掲示」の高札を設置する(新暦4月7日)詳細
1875年(明治8)詩人蒲原有明の誕生日詳細
1884年(明治17)「地租条例」が公布される詳細
1890年(明治23)琵琶湖疎水の第一期工事が完成し、全線通水が完了する詳細
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 今日は、平成時代の2004年(平成16)に、新潟県中越地震(マグニチュード6.8)が起こり、死者68人(うち災害関連死が52人)、重軽傷者4,805人を出した日です。
 新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、午後5時56分に発生したマグニチュード6.8の地震で、震源は新潟県北魚沼郡川口町(北緯37°17.3′、東経 138°52.2′)で、深さは約13kmとされました。内陸直下型地震で、1995年(平成7)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来、当時観測史上2回目の最大震度7を記録、新潟県を中心に東北地方から近畿地方にかけての広い範囲で揺れを感じ、その後マグニチュード6級の大きな余震が続いています。
 この結果、地震発生前の長雨による地盤の緩みと重なって、地滑りなどの被害が多発し、死者68人(うち災害関連死が52人)、負傷者4,805人、全壊した住家3,175棟、半壊した住家13,810棟などの被害が生じました。また、交通では走行中の上越新幹線が脱線、関越自動車道が不通となるなど県内の道路網は100ヶ所以上で寸断されて山間地の多数の集落が孤立、地場産業のニシキゴイや闘牛用の牛の被害も出ています。避難者はピーク時で10万人を超え、自動車内での避難生活でエコノミークラス症候群とみられる死者が出ました。

〇平成時代に日本周辺で起きた主要な地震一覧(被害が大きかったもの)

・1993年(平成5)7月12日 北海道南西沖地震 (Mj7.8) 死者・行方不明者230人、奥尻島などへの巨大津波で甚大な被害
・1995年(平成7)1月17日 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](Mj7.3) 死者・行方不明者6,437人
・2004年(平成16)10月23日 新潟県中越地震[新潟県中越大震災](Mj6.8) 死者68人(うち災害関連死が52人)
・2007年(平成19)7月16日 新潟県中越沖地震(Mj6.8) 死者15人、局所的に最大1 mの津波を観測
・2008年(平成20)6月14日 岩手・宮城内陸地震(Mj7.2) 死者・行方不明者23人
・2011年(平成23)3月11日 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災] (Mj8.4) 死者・行方不明者約2万2000人(うち災害関連死が約3500人)、戦後最悪の震災
・2016年(平成28)4月16日 熊本地震(Mj7.3) 2日前の前震を含めて死者273人(うち災害関連死が218人、豪雨による土砂災害の死者で地震との関連が認められた死者が5人)
・2018年(平成30)9月6日 北海道胆振東部地震(Mj6.7) 死者42人

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

711年(和銅4)蓄銭叙位令」が出される (新暦12月7日)詳細
1669年(寛文9)日高アイヌの総酋長シャクシャインの命日 (新暦11月16日)詳細
1871年(明治4)詩人・英文学者土井晩翠の誕生日(新暦12月5日)詳細
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shyounaijishin01

 今日は、明治時代後期の1894年(明治27)に、庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人を出した日です。
 庄内地震(しょうないじしん)は、午後5時35分35秒に発生したマグニチュード7.0の大地震で、震源は山形県庄内平野北部(北緯38.9度、東経139.9度)で、深さはごく浅いとされました。東北地方の内陸部が震源の地震としては最大規模の内陸直下型地震で、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れがあったのではないかと推定され、庄内平野を中心に東北地方で中心に揺れを感じ、庄内平野東縁断層帯が活動した可能性が指摘されています。
 この結果、土地の亀裂や陥没、土砂の噴出などが多く生じ、酒田では大火災が発生(酒田地震大火)して総戸数の8割が焼失するなど、庄内地方中心に、死者726人、負傷者8,403人、全壊家屋:3,858戸(山形県内)、半壊家屋:2,397戸(山形県内)、焼失家屋:2,148戸(山形県内)、破損家屋:7,863戸(山形県内)の被害が出ました。この地震を契機に 和式木造建物の耐震性がとりあげられて詳しい調査が行われ、震災予防調査会が「木造建築改良仕様書」を発表するなど、その対策が提言されています。

〇日本付近で明治時代に起きたマグニチュード7.0以上の大地震一覧

・1872年3月14日(明治5年2月6日) 浜田地震(島根県沖) M7.1
・1881年(明治14)10月25日 国後島 M7.0
・1891年(明治24)10月28日 濃尾地震(岐阜県) M8.0
・1983年(明治26)6月4日 色丹島沖地震 M7.7
・1894年(明治27)3月22日 根室半島沖地震 M7.9
・1894年(明治27)6月20日 明治東京地震 M7.0
・1894年(明治27)10月22日 庄内地震 M7.0
・1895年(明治28)1月18日 霞ヶ浦 M7.2
・1896年(明治29)1月9日 茨城県沖 M7.3
・1896年(明治29)6月15日 明治三陸地震 M8.2
・1896年(明治29)6月16日 三陸沖 M7.5
・1896年(明治29)8月31日 陸羽地震 M7.2
・1897年(明治30)2月20日 宮城県沖 M7.4
・1897年(明治30)8月5日 三陸沖 M7.7
・1898年(明治31)4月23日 宮城県沖 M7.2
・1898年(明治31)9月1日 石垣島東方沖 M7.0
・1899年(明治32)3月7日 紀伊大和地震(奈良・三重) M7.0
・1900年(明治33)5月12日 宮城県北部 M7.0
・1901年(明治34)8月9日 青森県東方沖 M7.2
・1901年(明治34)8月10日 青森県東方沖 M7.4
・1902年(明治35)1月30日 青森県三八上北地方地震 M7.0
・1905年(明治38)6月2日 芸予地震(瀬戸内海) M7.2
・1905年(明治38)7月7日 福島県沖 M7.1
・1911年(明治44)6月15日 喜界島地震 M8.0

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

794年(延暦13)桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日)詳細
1937年(昭和12)詩人中原中也の命日詳細
1945年(昭和20)GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を出す詳細


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 今日は、江戸時代後期の1855年(安政2)に、安政江戸地震が起きた日ですが、新暦では11月11日となります。
 安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、この日の午後10時頃、関東地方南部(震源は東京湾北部,北緯35.65°、東経139.08°)で発生した内陸直下型の大地震(マグニチュード6.9~7.4と推定)でした。これによって、江戸城周辺や本所、深川などでは震度6以上と推定され、震度4以上の領域は東北地方南部から東海地方まで及んだと考えられています。
 その結果、江戸を中心に多くの家屋が倒壊・焼失し、死者・行方不明者はおよそ1万人になると言われ、農畜産物、道路・橋梁などへも甚大な被害が出ました。江戸では、大名屋敷266家のうち116家で死者が発生、旗本・御家人らの屋敷の約8割が焼失、全潰、半潰または破損の被害を受けています。
 また、町人地の家屋は1万4000余軒が倒壊したとされ、地震時の数10ヶ所の火災発生により1.5平方キロほど焼失、江戸城の石垣が崩れ、多くの城門・橋などが被害を受けました。尚、小石川の水戸藩藩邸が倒壊して、水戸藩主の戸田忠太夫、藤田東湖らが死亡、盛岡藩藩主南部利剛も負傷しています。江戸幕府では、地震後に市中取締り(巡視)の実施、死者の無料埋葬、米の配給、物価抑制のための公定上限価格の設定、義捐金の報奨などの対策を実施しました。
 約1年前の1854年(嘉永7年11月4日)に安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日に安政南海地震(マグニチュード8.4)が起きていて、それを機に年号が安政と改められ、同年11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)と続き、この安政江戸地震へと至り、その後も安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

 〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1554年(天文23)禅僧・連歌師・俳人山崎宗鑑の命日(新暦10月28日)詳細
1943年(昭和18)勅令「在学徴集延期臨時特例」公布で、理工科系以外の学生の徴兵猶予を撤廃する詳細
1985年(昭和60)関越トンネルの開通により、関越自動車道(練馬~長岡)がつながる詳細
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