ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:内閣告示

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 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、文部省が「教育漢字」881字を発表(翌年2月16日に内閣告示)した日です。
 教育漢字(きょういくかんじ)は、義務教育期間中(1958年以降は特に小学校6年間となる)に、読み書き共にできるように指導することが必要であると認められた漢字の通称でした。1946年(昭和21)11月16日の「内閣訓令第7号」、「同告示第32号」で公布された「当用漢字」 1,850字の中から、1947年(昭和22)9月29日の国語審議会の答申に基づき、10月6日に文部省から881字(通称:教育漢字)が発表され、翌年2月16日に、「当用漢字別表」として内閣告示・訓令されます。
 その後、1968年(昭和43)に改訂された「小学校学習指導要領」では、115字が学習の対象に加えられて計996字となり、さらに1992年(平成4)より1,006字に改められ、2020年(令和2)より1,026字となって、学年別に配当されてきました。
 以下に、現行の「教育漢字」学年別漢字配当表(1,026字)を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇当用漢字表(とうようかんじひょう)とは?

 昭和時代中期の1946年(昭和21)11月16日の「内閣訓令第7号」、「同告示第32号」で公布された、現代国語を書き表すために、日常使用する漢字1,850字の表です。「当用」とは、日常生活においてさしあたって用いるものとでもいう意味で、「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で,使用する漢字の範囲を示したもの」でした。
 その後、1948年(昭和23)に「当用漢字別表」が公布され、881字がいわゆる「教育漢字」とされ、続いて「当用漢字音訓表」、翌年には「当用漢字字体表」(當→当、藝→芸などの簡略字体採用)が公布されて音訓と字体が定められ、公用文、新聞その他に採用され、小・中・高の学校教育にも適用されます。また別に、1951年(昭和26)に「人名用漢字別表」が公布され、当用漢字以外でも人名に用いてさしつかえないものとして92字が認められました。
 尚、1954年(昭和29)に国語審議会が「当用漢字表補正試案 (当用漢字補正資料) 」を出し、28字の入替えを提案しましたが、この漢字制限に対し、いろいろの反対論も出されます。1972年(昭和47)に国語審議会は当用漢字改正音訓表を答申して翌年公布され、これをもとに1981年(昭和56)3月23日に「常用漢字表」を答申しました。
 そして、同年10月1日に、当用漢字にかわるものとして、当用漢字に95字を追加した「常用漢字表」が内閣告示・同訓令として公布されています。

〇現行の「教育漢字」学年別漢字配当表(1,026字)

・第1学年(80字)
一 右 雨 円 王 音 下 火 花 貝 学 気 九 休 玉 金 空 月 犬 見 五 口 校 左 三 山 子 四 糸 字 耳 七 車 手 十 出 女 小 上 森 人 水 正 生 青 夕 石 赤 千 川 先 早 草 足 村 大 男 竹 中 虫 町 天 田 土 二 日 入 年 白 八 百 文 木 本 名 目 立 力 林 六

・第2学年(160字)
引 羽 雲 園 遠 何 科 夏 家 歌 画 回 会 海 絵 外 角 楽 活 間 丸 岩 顔 汽 記 帰 弓 牛 魚 京 強 教 近 兄 形 計 元 言 原 戸 古 午 後 語 工 公 広 交 光 考 行 高 黄 合 谷 国 黒 今 才 細 作 算 止 市 矢 姉 思 紙 寺 自 時 室 社 弱 首 秋 週 春 書 少 場 色 食 心 新 親 図 数 西 声 星 晴 切 雪 船 線 前 組 走 多 太 体 台 地 池 知 茶 昼 長 鳥 朝 直 通 弟 店 点 電 刀 冬 当 東 答 頭 同 道 読 内 南 肉 馬 売 買 麦 半 番 父 風 分 聞 米 歩 母 方 北 毎 妹 万 明 鳴 毛 門 夜 野 友 用 曜 来 里 理 話

・第3学年(200字)
悪 安 暗 医 委 意 育 員 院 飲 運 泳 駅 央 横 屋 温 化 荷 界 開 階 寒 感 漢 館 岸 起 期 客 究 急 級 宮 球 去 橋 業 曲 局 銀 区 苦 具 君 係 軽 血 決 研 県 庫 湖 向 幸 港 号 根 祭 皿 仕 死 使 始 指 歯 詩 次 事 持 式 実 写 者 主 守 取 酒 受 州 拾 終 習 集 住 重 宿 所 暑 助 昭 消 商 章 勝 乗 植 申 身 神 真 深 進 世 整 昔 全 相 送 想 息 速 族 他 打 対 待 代 第 題 炭 短 談 着 注 柱 丁 帳 調 追 定 庭 笛 鉄 転 都 度 投 豆 島 湯 登 等 動 童 農 波 配 倍 箱 畑 発 反 坂 板 皮 悲 美 鼻 筆 氷 表 秒 病 品 負 部 服 福 物 平 返 勉 放 味 命 面 問 役 薬 由 油 有 遊 予 羊 洋 葉 陽 様 落 流 旅 両 緑 礼 列 練 路 和

・第4学年(202字)
愛 案 以 衣 位 茨 印 英 栄 媛 塩 岡 億 加 果 貨 課 芽 賀 改 械 害 街 各 覚 潟 完 官 管 関 観 願 岐 希 季 旗 器 機 議 求 泣 給 挙 漁 共 協 鏡 競 極 熊 訓 軍 郡 群 径 景 芸 欠 結 建 健 験 固 功 好 香 候 康 佐 差 菜 最 埼 材 崎 昨 札 刷 察 参 産 散 残 氏 司 試 児 治 滋 辞 鹿 失 借 種 周 祝 順 初 松 笑 唱 焼 照 城 縄 臣 信 井 成 省 清 静 席 積 折 節 説 浅 戦 選 然 争 倉 巣 束 側 続 卒 孫 帯 隊 達 単 置 仲 沖 兆 低 底 的 典 伝 徒 努 灯 働 特 徳 栃 奈 梨 熱 念 敗 梅 博 阪 飯 飛 必 票 標 不 夫 付 府 阜 富 副 兵 別 辺 変 便 包 法 望 牧 末 満 未 民 無 約 勇 要 養 浴 利 陸 良 料 量 輪 類 令 冷 例 連 老 労 録

・第5学年(193字)
圧 囲 移 因 永 営 衛 易 益 液 演 応 往 桜 可 仮 価 河 過 快 解 格 確 額 刊 幹 慣 眼 紀 基 寄 規 喜 技 義 逆 久 旧 救 居 許 境 均 禁 句 型 経 潔 件 険 検 限 現 減 故 個 護 効 厚 耕 航 鉱 構 興 講 告 混 査 再 災 妻 採 際 在 財 罪 殺 雑 酸 賛 士 支 史 志 枝 師 資 飼 示 似 識 質 舎 謝 授 修 述 術 準 序 招 証 象 賞 条 状 常 情 織 職 制 性 政 勢 精 製 税 責 績 接 設 絶 祖 素 総 造 像 増 則 測 属 率 損 貸 態 団 断 築 貯 張 停 提 程 適 統 堂 銅 導 得 毒 独 任 燃 能 破 犯 判 版 比 肥 非 費 備 評 貧 布 婦 武 復 複 仏 粉 編 弁 保 墓 報 豊 防 貿 暴 脈 務 夢 迷 綿 輸 余 容 略 留 領 歴

・第6学年(191字)
胃 異 遺 域 宇 映 延 沿 恩 我 灰 拡 革 閣 割 株 干 巻 看 簡 危 机 揮 貴 疑 吸 供 胸 郷 勤 筋 系 敬 警 劇 激 穴 券 絹 権 憲 源 厳 己 呼 誤 后 孝 皇 紅 降 鋼 刻 穀 骨 困 砂 座 済 裁 策 冊 蚕 至 私 姿 視 詞 誌 磁 射 捨 尺 若 樹 収 宗 就 衆 従 縦 縮 熟 純 処 署 諸 除 承 将 傷 障 蒸 針 仁 垂 推 寸 盛 聖 誠 舌 宣 専 泉 洗 染 銭 善 奏 窓 創 装 層 操 蔵 臓 存 尊 退 宅 担 探 誕 段 暖 値 宙 忠 著 庁 頂 腸 潮 賃 痛 敵 展 討 党 糖 届 難 乳 認 納 脳 派 拝 背 肺 俳 班 晩 否 批 秘 俵 腹 奮 並 陛 閉 片 補 暮 宝 訪 亡 忘 棒 枚 幕 密 盟 模 訳 郵 優 預 幼 欲 翌 乱 卵 覧 裏 律 臨 朗 論

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1559年(永禄2)戦国時代の絵師狩野元信の命日(新暦11月5日)詳細
1831年(天保2)棋士・将棋十二世名人小野五平の誕生日(新暦11月9日)詳細
1920年(大正9)小説家・評論家・翻訳家・ジャーナリスト黒岩涙香の命日詳細
1933年(昭和8)「社会政策ニ関スル具体的方策案」が閣議決定される詳細
1938年(昭和13)北炭夕張炭鉱(天龍坑)で炭塵爆発が起こり、死者161人、負傷者21人が出る詳細
1940年(昭和15)「奢侈品等製造販売制限規則」実践のため、大阪で女子モンペ部隊が、贅沢全廃強調大行進を行う詳細
1942年(昭和17)「戦時陸運ノ非常体制確立ニ関スル件」が閣議決定される詳細
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 今日は、昭和時代後期の1973年(昭和48)に、内閣が「当用漢字改訂音訓表」を告示し、音読み86、訓読み271を追加した日です。
 「当用漢字改訂音訓表」(とうようかんじかいていおんくんひょう)は、1946年(昭和21)11月16日に公布された、「当用漢字表」(1,850字)について、国語審議会は、1972年(昭和47)に当用漢字の音訓表改正を答申し、それが、翌1973年(昭和48)6月18日に公布されたものでした。そして、同年10月1日に、当用漢字にかわるものとして、当用漢字に95字を追加した「常用漢字表」が内閣告示・同訓令として公布されています。
 以下に、「当用漢字改定音訓表」(答申)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「当用漢字表」(とうようかんじひょう)とは?

 昭和時代中期の1946年(昭和21)11月16日の「内閣訓令第7号」、「同告示第32号」で公布された、現代国語を書き表すために、日常使用する漢字1,850字の表です。「当用」とは、日常生活においてさしあたって用いるものとでもいう意味で、「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で,使用する漢字の範囲を示したもの」でした。
 その後、1948年(昭和23)に「当用漢字別表」が公布され、881字がいわゆる「教育漢字」とされ、続いて「当用漢字音訓表」、翌年には「当用漢字字体表」(當→当、藝→芸などの簡略字体採用)が公布されて音訓と字体が定められ、公用文、新聞その他に採用され、小・中・高の学校教育にも適用されます。また別に、1951年(昭和26)に「人名用漢字別表」が公布され、当用漢字以外でも人名に用いてさしつかえないものとして92字が認められました。
 尚、1954年(昭和29)に国語審議会が「当用漢字表補正試案 (当用漢字補正資料) 」を出し、28字の入替えを提案しましたが、この漢字制限に対し、いろいろの反対論も出されます。1972年(昭和47)に国語審議会は当用漢字改正音訓表を答申して翌年6月18日に公布され、これをもとに1981年(昭和56)3月23日に「常用漢字表」を答申しました。
 そして、同年10月1日に、当用漢字にかわるものとして、当用漢字に95字を追加した「常用漢字表」が内閣告示・同訓令として公布されています。

☆「当用漢字改定音訓表」(答申)抄

1 前文
〔漢字仮名交じり文と戦後の国語施策〕
 我が国では,漢字と仮名とを交えて文章を書くのが明治時代以来一般的になっている。この漢字仮名交じり文では,原則として,漢字は実質的意味を表す部分に使い,仮名は語形変化を表す部分や助詞・助動詞の類を書くために使ってきた。この書き方は,語の一つずつを分けて書かなくとも,文章として,語の切れ目が見やすい。それは表意文字である漢字と表音文字である仮名との特色を巧みに生かした表記法だからである。しかし,漢字に頼って多くの語を作り,漢字の字種を広く使用した結果,耳に聞いて分かりにくく,国民の言語生活の向上にとって妨げになるところがあった。
 国民の読み書きの負担を軽くし,印刷の便利を大きくする目的をもって,漢字の字種とその音訓とを制限し,仮名遣いを改定するなどの国語施策が,戦後実行された。それは二十余年の実施によって相応の効果をもたらしたものと認められる。しかし一方,字種・音訓の制限が文章を書きにくくし,仮名の増加が文章を読みにくくした傾きもないではない。漢字仮名交じり文は,ある程度を超えて漢字使用を制限すると,その利点を失うものである。

〔当用漢字音訓表の改定〕
 そこで戦後の国語施策の改善のための具体策を諮問された本審議会は,当用漢字について字種・字体・音訓の面から検討を重ね,まず当用漢字音訓表の改定に着手することとした。改定に当たっては,昭和23年内閣告示の当用漢字音訓表の持つ制限的色彩を改め,当用漢字改定音訓表をもって,漢字の音訓を使用する上での目安とすることを根本方針とした。すなわち先の音訓表は,表示した音訓以外は使用しないという制限的な精神によって定められたものであるが,それに対して,今回の改定音訓表は,一般の社会生活における,良い文章表現のための目安として設定された。従って,これは,運用に当たって個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである。

〔適用の範囲〕
 ここに言う一般の社会生活における音訓使用とは,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送などにおける音訓使用を指している。科学・技術・芸術,その他の各種専門分野における音訓使用や,個々人の表記にまでこれを及ぼそうとするものではない。又,ここに言う一般の社会生活における音訓使用は,義務教育における学習を終えた後,ある程度実社会や学校での生活を経た人々を対象とする。従って,義務教育でどの程度,どの範囲の音訓を学習すべきかは,別途の研究に待つこととした。

〔書くための音訓〕
 改定音訓表の音訓は,現代の国語を書くために選定した。従って,これは過去の著作や文書をいかに読むかを示すものではなく,又,過去に行われた音訓を否定するものでもない。それら改定音訓表以外の読みのためには別途の工夫が必要と思われる。振り仮名の使用などもその一法と言えよう。
 本来,音訓表において,現代普通に用いられる語すべてにわたり,その書き表し方を示すことが望ましいのであるが,改定音訓表では「例」の欄,及び「備考」の欄に音訓使用の実例を示すにとどめた。

〔音訓の選定の方針〕
 今回の音訓の選定は,現行当用漢字表の漢字1,850字についてだけ取り扱った。又,固有名詞のための音訓は,音訓表に関係なく使用されるものであるから,ここでは取り扱わないこととした。
 音訓の選定に当たっては,音訓を漢字一字一字のためのものと見ず,語あるいは語の成分を書き表すものと認め,且つ文章の流れの中で,読み分けが可能であるか否かに留意した。一語一語として取り扱う限り他との区別が不明確と思われる音訓も,文脈の中では読み分けられるものが少なくないからである。
 以下,音訓選定の方針を具体的に記しておく。

現代の国語で使用されている音訓の実態に基づいて,使用度・使用分野・機能度を考え合わせる。
語根を同じくすると意識される語で,且つ,同一の漢字で書く習慣の強いものは取り上げる。
 煙・煙る・煙い,  分ける・分かれる・分かる・分かつ
新しい慣用の訓も取り上げる。
 危―あぶない, 易―やさしい, 触―さわる, 試―ためす
感動詞・助動詞・助詞のための訓は取り上げない。
副詞・接続詞としてだけ使用される訓は,広く使用されるものを取り上げる。
(注)和語の副詞・接続詞は仮名でも書くが,「一体全体」,「多少」,「突然」,「決して」,「切に」など,漢字の字音による副詞は,漢字で書く。
異字同訓はなるべく避ける。しかし漢字の使い分けのできるもの,及び漢字で書く習慣の強いものは取り上げる。

二字以上の漢字による熟字や,いわゆる当て字のうち,慣用の広く久しいものは取り上げる。
田舎,為替,五月雨,相撲,眼鏡,景色,時計,お父さん,お母さん

2 表の見方
 改定音訓表は「本表」と「付表」とから成る。
 「本表」には,当用漢字表の漢字1,850字の一つ一つについて,その音訓を,例と共に示した。「付表」には,漢字二字以上で構成されるいわゆる熟字訓のように,主として一字一字の音訓として挙げ得ないものなどを掲げた。
 「本表」の漢字は,字音に従って五十音順に並べ,同音の場合は,字画の少ないものを先にした。字音を取り上げていないものは字訓によった。字音は片仮名で,字訓は平仮名で記した。「付表」の語は,便宜上,その読み方を平仮名で示し,五十音順に並べた。
 音訓欄で,一字下げで示した音訓は,特別なものか,又は,用法のごく狭いものである。
 音訓欄に,動詞の連用形で掲げた字訓は,名詞としてだけ用いるものである。
 語根を同じくし,何らかの派生・対応の関係のあるものは,同じ漢字を使用する習慣のあるものに限り,適宜,音訓欄又は例欄に主なものを示した。
 例欄に掲げたものは,音訓使用の具体例を示したものであるが,それぞれの音訓の使用例の一部を掲げたに過ぎない。
 例欄の語のうち,副詞的用法,接続詞的用法として使うものであって紛らわしいものには,特に〔副〕,〔接〕という記号を付けた。
 他の字又は語と結び付く場合に音韻上の変化を起こす次のような類は,音訓欄又は備考欄に示したが,すべての例を尽くしているわけではない。
 納得(ナットク)    格子(コウシ)
 手綱(タヅナ)     金物(カナモノ)
 音頭(オンド)     夫婦(フウフ)
 順応(ジュンノウ)   因縁(インネン)
 春雨(ハルサメ)
 備考欄には,個々の音訓の使用に当たって留意すべき事項などを記した。
・異字同訓のあるものを←→で示した。
・その漢字を含んでいる熟字訓・当て字など(付表にあるもの)を念のため掲げた。
〔注〕例欄の語の送り仮名は,「改定送り仮名の付け方」の通則1から通則6までの本則・例外,通則7及び付表の語に示すところによった。

3 本表
(略)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

746年(天平18)法相宗の僧玄昉の命日(新暦7月15日)詳細
1143年(康治2)第78代の天皇とされる二条天皇の誕生日(新暦7月31日)詳細
1419年(応永26)第102代の天皇とされる後花園天皇の誕生日(新暦7月10日)詳細
1723年(享保8)徳川吉宗が人材登用のための「足高の制」を制定(新暦7月19日)詳細
1877年(明治10)アメリカの動物学者モースの誕生日及び初来日の日(考古学出発の日)詳細
1988年(昭和63)朝日新聞のスクープによってリクルート事件が発覚する詳細
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 今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)に、国語審議会答申により、「現代かなづかい」と共に「当用漢字表」を内閣が告示した日です。
 当用漢字表(とうようかんじひょう)は、1946年(昭和21)の内閣訓令第7号、同告示第32号で公布された、現代国語を書き表すために、日常使用する漢字1,850字の表でした。「当用」とは、日常生活においてさしあたって用いるものとでもいう意味で、「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で,使用する漢字の範囲を示したもの」です。
 その後、1948年(昭和23)に「当用漢字別表」が公布され、881字がいわゆる「教育漢字」とされ、続いて「当用漢字音訓表」、翌年には「当用漢字字体表」(當→当、藝→芸などの簡略字体採用)が公布されて音訓と字体が定められ、公用文、新聞その他に採用され、小・中・高の学校教育にも適用されました。また別に、1951年(昭和26)に「人名用漢字別表」が公布され、当用漢字以外でも人名に用いてさしつかえないものとして92字が認められます。
 尚、1954年(昭和29)に国語審議会が「当用漢字表補正試案 (当用漢字補正資料) 」を出し、28字の入替えを提案しましたが、この漢字制限に対し、いろいろの反対論も出されました。1972年(昭和47)に国語審議会は当用漢字改正音訓表を答申して翌年公布され、これをもとに1981年(昭和56)3月23日に常用漢字表を答申します。そして、同年10月1日に、当用漢字にかわるものとして、当用漢字に95字を追加した「常用漢字表」が内閣告示・同訓令として公布されました。
 以下に、「当用漢字表」に関する内閣訓令第7号、同告示第32号を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「内閣訓令第七号」1946年(昭和21)11月16日

                    各官廳

当用漢字表の実施に関する件

 從來、わが國において用いられる漢字は、その数がはなはだ多く、その用いかたも複雜であるために、教育上または社会生活上、多くの不便があつた。これを制限することは、國民の生活能率をあげ、文化水準を高める上に、資するところが少くない。
 それ故に、政府は、今回國語審議会の決定した当用漢字表を採択して、本日内閣告示第三十二号をもつて、これを告示した。今後各官廳においては、この表によつて漢字を使用するとともに、廣く各方面にこの使用を勧めて、当用漢字表制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。

 昭和二十一年十一月十六日
         内閣総理大臣 吉田  茂

〇「内閣告示第三十二号​」1946年(昭和21)11月16日

 現代國語を書きあらわすために、日常使用する漢字の範囲を、次の表のように定める。

 昭和二十一年十一月十六日
         内閣総理大臣 吉田  茂

当用漢字表

まえがき
1.この表は、法令・公用文書・新聞・雜誌および一般社会で、使用する漢字の範囲を示したものである。
1.この表は、今日の國民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものである。
1.固有名詞については、法規上その他に関係するところが大きいので、別に考えることとした。
1.簡易字体については、現在慣用されているものの中から採用し、これを本体として、参考のため原字をその下に揭げた。
1.字体と音訓との整理については、調査中である。

使用上の注意事項​
1.この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。
2.代名詞・副詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞は、なるべくかな書きにする。
3.外國(中華民國を除く)の地名・人名は、かな書きにする。
ただし、「米國」「英米」等の用例は、從來の慣習に從つてもさしつかえない。
4.外來語は、かな書きにする。
5.動植物の名称は、かな書きにする。
6.あて字は、かな書きにする。
7.ふりがなは、原則として使わない。
8.專門用語については、この表を基準として、整理することが望ましい。

一部 一丁七丈三上下不且世丘丙 
丨部 中 
丶部 丸丹主 
丿部 久乏乘 
乙部 乙九乳乾乱(亂) 
亅部 了事 
二部 二互五井亞 
亠部 亡交享京 
人部 人仁今介仕他付代令以仰仲件任企伏伐休伯伴伸伺似但位低住佐何佛作佳使來例侍供依侮侯侵便係促俊俗保信修俳俵併(倂)倉個倍倒候借倣値倫仮(假)偉偏停健側偶傍傑備催傳債傷傾働像僚僞僧價儀億儉儒償優 
儿部 
元兄充兆先光克免兒 
入部 入内全両(兩) 
八部 八公六共兵具典兼 
冂部 册再冒 
冖部 冗冠 
冫部 冬冷准凍凝 
几部 凡 
凵部 凶出 
刀部 刀刃分切刈刊刑列初判別利到制刷劵刺刻則削前剖剛剩副割創劇剤(劑)劍 
力部 力功加劣助努効劾勅勇勉動勘務勝労(勞)募勢勤勳励(勵)勧(勸) 
勹部 勺匁包 
匕部 化北 
匚部 匠 
匸部 匹匿区(區) 
十部 十千升午半卑卒卓協南博 
卜部 占 
卩部 印危却卵卷卸卽 
厂部 厘厚原 
厶部 去参(參) 
又部 又及友反叔取受 
口部 口古句叫召可史右司各合吉同名后吏吐向君吟否含呈呉吸吹告周味呼命和咲哀品員哲唆唐唯唱商問啓善喚喜喪喫單嗣嘆器噴嚇嚴嘱(囑) 
囗部 囚四回因困固圈國囲(圍)園円(圓)図(圖)團 
土部 土在地坂均坊坑坪垂型埋城域執培基堂堅堤堪報場塊塑塔塗境墓墜增墨堕(墮)墳墾壁壇圧(壓)壘壞 
士部 士壯壱(壹)壽 
夊部 夏 
夕部 夕外多夜夢 
大部 大天太夫央失奇奉奏契奔奧奪獎奮 
女部 女奴好如妃妊妙妥妨妹妻姉始姓委姫姻姿威娘娯娠婆婚婦婿媒嫁嫡孃 
子部 子孔字存孝季孤孫学(學) 
宀部 宅宇守安完宗官宙定宜客宣室宮宰害宴家容宿寂寄密富寒察寡寢実(實)寧審写(寫)寬寮宝(寶) 
寸部 寸寺封射將專尉尊尋対(對)導 
小部 小少 
尢部 就 
尸部 尺尼尾尿局居届(屆)屈屋展層履属(屬) 
山部 山岐岩岸峠峰島峽崇崩岳(嶽) 
巛部 川州巡巢 
工部 工左巧巨差 
己部 己 
巾部 市布帆希帝帥師席帳帶常帽幅幕幤 
干部 干平年幸幹 
幺部 幻幼幽幾 
广部 床序底店府度座庫庭庶康庸廉廊廃(廢)廣廳 
廴部 延廷建 
廾部 弊 
弋部 式 
弓部 弓弔引弟弦弧弱張強彈 
彡部 形彩彫彰影 
彳部 役彼往征待律後徐径(徑)徒得從御復循微徵德徹 
心部 心必忌忍志忘忙忠快念怒怖思怠急性怪恆恐恥恨恩恭息悦悔悟患悲悼情惑惜惠惡惰悩〔惱〕想愁愉意愚愛感愼慈態慌慕惨(慘)慢慣慨慮慰慶憂憎憤憩憲憶憾懇應懲懷懸恋(戀) 
戈部 成我戒戰戲 
戸部 戸房所扇 
手部 手才打扱扶批承技抄抑投抗折抱抵押抽拂拍拒拓拔拘拙招拜括拷拾持指振捕捨掃授掌排掘掛採探接控推措描提揚換握揭揮援損搖捜搬携搾摘摩撤撮撲擁択(擇)擊操担(擔)拠(據)擦挙(擧)擬拡(擴)攝 
支部 支 
攴部 收改攻放政故敘教敏救敗敢散敬敵敷数(數)整 
文部 文 
斗部 斗料斜 
斤部 斤斥新断(斷) 
方部 方施旅旋族旗 
无部 既 
日部 日旨早旬昇明易昔星映春昨昭是時晚晝普景晴晶暇暑暖暗暫暮暴曆曇曉曜 
曰部 曲更書替最会(會) 
月部 月有服朕朗望朝期 
木部 木未末本札朱机朽材村束杯東松板析林枚果枝枯架柄某染柔査柱柳校株核根格栽桃案桑梅條械棄棋棒森棺植業極栄(榮)構槪樂楼(樓)標枢(樞)模樣樹橋機橫檢櫻欄権(權) 
欠部 次欲欺款歌欧(歐)歓(歡) 
止部 止正步武歳歷帰(歸) 
歹部 死殉殊殖残(殘) 
殳部 段殺殿殴(毆) 
毋部 母每毒 
比部 比 
毛部 毛 
氏部 氏民 
气部 氣 
水部 水氷永求汗汚江池決汽沈沒沖河沸油治沼沿況泉泊泌法波泣注泰泳洋洗津活派流浦浪浮浴海浸消涉液涼淑淚淡淨深混清浅(淺)添減渡測港渴湖湯源準溫溶滅滋滑滯滴満(滿)漁漂漆漏演漢漫漸潔潜(濳)潤潮澁澄沢(澤)激濁濃濕済(濟)濫浜(濱)滝(瀧)瀨湾(灣) 
火部 火灰災炊炎炭烈無焦然煮煙照煩熟熱燃燈燒営(營)燥爆炉(爐) 
爪部 爭爲爵 
父部 父 
片部 片版 
牛部 牛牧物牲特犠(犧) 
犬部 犬犯狀狂狩狹猛猶獄独(獨)獲猟(獵)獸献(獻) 
玄部 玄率 
玉部 玉王珍珠班現球理琴環璽 
甘部 甘 
生部 生産 
用部 用 
田部 田由甲申男町界畑畔留畜畝略番画(畫)異当(當)疊 
疋部 疎疑 
疒部 疫疲疾病症痘痛痢痴療癖 
癶部 登発(發) 
白部 白百的皆皇 
皮部 皮 
皿部 盆益盛盜盟盡監盤 
目部 目盲直相盾省看眞眠眼睡督瞬 
矛部 矛 
矢部 矢知短 
石部 石砂砲破研(硏)硝硫硬碁碎碑確磁礁礎 
示部 示社祈祉祕祖祝神祥票祭禁禍福禪礼(禮) 
禾部 秀私秋科秒租秩移税程稚種称(稱)稻稿穀積穗穏(穩)穫 
穴部 穴究空突窒窓窮窯窃(竊) 
立部 立並(竝)章童端競 
竹部 竹笑笛符第筆等筋筒答策箇算管箱節範築篤簡簿籍 
米部 米粉粒粗粘粧粹精糖糧 
糸部 系糾紀約紅紋納純紙級紛素紡索紫累細紳紹紺終組結絶絞絡給統糸(絲)絹経(經)綠維綱網綿緊緖線締緣編緩緯練縛縣縫縮縱総(總)績繁織繕絵(繪)繭繰継(繼)続(續)纎 
缶部 欠(缺) 
网部 罪置罰署罷 
羊部 羊美着群義 
羽部 羽翁翌習翼 
老部 老考者 
而部 耐 
耒部 耕耗 
耳部 耳聖聞声(聲)職聽 
聿部 粛(肅) 
肉部 肉肖肝肥肩肪肯育肺胃背胎胞胴胸能脂脅脈脚脱脹腐腕脳(腦)腰腸腹膚膜膨胆(膽)臟 
臣部 臣臨 
自部 自臭 
至部 至致台(臺) 
臼部 與興旧(舊) 
舌部 舌舍舖 
舛部 舞 
舟部 舟航般舶船艇艦 
艮部 良 
色部 色 
艸部 芋芝花芳芽苗若苦英茂茶草荒荷莊茎(莖)菊菌菓菜華万(萬)落葉著葬蒸蓄薄薦薪薰藏藝藥藩 
虍部 虐処(處)虛虜虞号(號) 
虫部 蚊融虫(蟲)蚕(蠶)蛮(蠻) 
血部 血衆 
行部 行術街衝衞衡 
衣部 衣表衰衷袋被裁裂裏裕補裝裸製複襲 
西部 西要覆 
見部 見規視親覚(覺)覽観(觀) 
角部 角解触(觸) 
言部 言訂計討訓託記訟訪設許訴診詐詔評詞詠試詩詰話該詳誇誌認誓誕誘語誠誤説課調談請論諭諮諸諾謀謁謄謙講謝謠謹証(證)識譜警訳(譯)議護誉(譽)読(讀)変(變)讓 
谷部 谷 
豆部 豆豊(豐) 
豕部 豚象豪予(豫) 
貝部 貝貞負財貢貧貨販貫責貯弐(貳)貴買貸費貿賀賃賄資賊賓賜賞賠賢賣賦質賴購贈賛(贊) 
赤部 赤赦 
走部 走赴起超越趣 
足部 足距跡路跳踊踏践(踐)躍 
身部 身 
車部 車軌軍軒軟軸較載軽(輕)輝輩輪輸轄轉 
辛部 辛弁(辨瓣辯)辞(辭) 
辰部 辱農 
辵部 込迅迎近返迫迭述迷追退送逃逆透逐途通速造連逮週進逸遂遇遊運遍過道達違逓(遞)遠遣適遭遅(遲)遵遷選遺避還辺(邊) 
邑部 邦邪邸郊郞郡部郭郵都鄕 
酉部 配酒酢酬酪酵酷酸醉醜医(醫)釀 
釆部 釈(釋) 
里部 里重野量 
金部 金針鈍鈴鉛銀銃銅銑銘鋭鋼錄錘錠銭(錢)錯鍊鍛鎖鎭鏡鐘鉄(鐵)鑄鑑鉱(鑛) 
長部 長 
門部 門閉開閑間閣閥閲関(關) 
阜部 防阻附降限陛院陣除陪陰陳陵陶陷陸陽隆隊階隔際障隣随(隨)險隠(隱) 
隶部 隷 
隹部 隻雄雅集雇雌双(雙)雜離難 
雨部 雨雪雲零雷電需震霜霧露霊(靈) 
青部 青靜 
非部 非 
面部 面 
革部 革 
音部 音韻響 
頁部 頂項順預頒領頭題額顏願類顧顯 
風部 風 
飛部 飛飜 
食部 食飢飮飯飼飽飾養餓余(餘)館 
首部 首 
香部 香 
馬部 馬駐騎騰騷駆(驅)驗驚駅(驛) 
骨部 骨髄(髓)体(體) 
高部 高 
髟部 髮 
鬥部 鬪 
鬼部 鬼魂魅魔 
魚部 魚鮮鯨 
鳥部 鳥鳴鷄 
鹵部 塩(鹽) 
鹿部 麗 
麥部 麦(麥) 
麻部 麻 
黃部 黃 
黑部 黑默点(點)党(黨) 
鼓部 鼓 
鼻部 鼻 
齊部 斎(齋) 
齒部 歯(齒)齢(齡)

    「ウィキソース」より

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