ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:内務省

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 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令等により、内務省が廃止された日です。
 内務省(ないむしょう)は、太平洋戦争以前に、警察・地方行政・土木などの内務行政を統轄した中央官庁です。明治時代前期の1873年(明治6)11月10日に、征韓論が契機となった政変(明治六年政変)を機に大久保利通が主導して太政官の下に新設し、自ら内務卿となりました。
 当初は、勧業・警保・戸籍・駅逓・土木・地理の六寮と測量司が置かれましたが、1881年(明治14)に農商務省の設置により殖産興業の部門を分離、1885年(明治18)には、内閣制度の確立により内閣の一省となるなど度々機構の変遷があります。その後、1887年(明治20)に造神宮使庁を設置して国家神道政策を強化し、1928年(昭和3)には、特別高等警察(特高)制度を全国に実施し、「治安維持法」を利用して、労働運動・言論を弾圧しました。国民生活全般にわたり、保護と統制を行い、太平洋戦争下には、戦時体制形成の中核となります。
 1945年(昭和20)の敗戦を機に、特高警察廃止に始まる占領軍の民主化政策で機構を縮小し、1947年(昭和22)5月3日の「日本国憲法」の施行後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本の民主化、分権化のために内務省の解体を命じ、同年12月31日には廃省となり、74年の歴史を閉じました。その機能は、国家公安委員会(警察庁)、建設省、総理府、地方財政委員会、全国選挙管理委員会等に分割されました。

〇内務省関係略年表

・1873年(明治6)、征韓論がきっかけとなった政変(明治六年政変)を機に大久保利通が主導して太政官の下に「内務省」を新設(11月10日)し、自ら内務卿となる
・1874年(明治7) 郵政事務が内務省の管轄となったが、1885年に農商務省へ移管、川路利良主導による警察制度の整備の一環として警視庁創設、川路は初代大警視(後に警視総監)に就任する
・1877年(明治10) 廃止された教部省の所管を引き継ぎ、社寺局を設置、宗教政策も管轄する
・1878年(明治11) 大久保利通の死後伊藤博文が内務卿に就任する
・1884年(明治17) 地理局が所管していた大三角測量業務を参謀本部の管轄に移管、以後地理局は地誌編纂を主な業務とすることとなる
・1885年(明治18) 内閣制実施で内閣に属するようになり、山縣有朋が初代大臣となり、全国の府県知事などの高官の任免権を握り、地方行政の中核を担った
・1886年(明治19)2月27日 勅令により、衛生局を設置し、衛生・医務の2課を設ける
・1890年(明治23) 鉄道庁が外局となるが、1892年に逓信省に移管される
・1900年(明治33) 社寺局を、神社局と宗教局に分割。前者は、国家神道政策を司ることとなる
・1911年(明治44) 「大逆事件(幸徳事件)」を機に内務省警保局保安課の下の警視庁に特別高等警察、いわゆる「特高警察」を置く
・1913年(大正2) 宗教局を文部省へ移管する
・1920年(大正9) 労働運動、農民運動の高まりを受け、社会局を新設する
・1924年(大正13) 前年の関東大震災を受けて内閣に設置された帝都復興院を縮小し、内務省に復興局を設置する
・1925年(大正14) 「治安維持法」が公布される
・1933年(昭和8) ゴーストップ事件が起きる
・1937年(昭和12) 内閣情報局と内務・文部両省を計画主務庁として、国民精神総動員運動を開始する
・1938年(昭和13) 衛生局と社会局が厚生省として分離独立、「国家総動員法」が制定される
・1940年(昭和15) 大政翼賛会が発足、地方長官は翼賛会の地方支部長を兼ね、地方自治体の末端組織・翼賛体制の下部組織として部落会・町内会の組織化が進む
・1941年(昭和16) 土木局・計画局(大臣官房都市計画課の後身)を国土局・防空局に改組する
・1942年(昭和17) 拓務省廃止により、外地に関する事務が内務省に移管される
・1943年(昭和18) 港湾事務を運輸通信省に移管。東京都制が施行される
・1945年(昭和20) 防空事務・政府による検閲・特別高等警察などを廃止する
・1946年(昭和21) 連合国軍総司令部(GHQ)によって内務省幹部や警察・特高警察関係者などの公職追放が命じられ、神祇院(神社局の後身)を廃止、都道府県知事は公選制となる
・1947年(昭和22)12月31日 GHQの指導もあり、地方自治の要請と従来中央集権的官僚行政の中枢であったことなどの理由で廃止され、その機能は、国家公安委員会(警察庁)、建設省、総理府、地方財政委員会、全国選挙管理委員会等に分割される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1924年(大正13)文人画家・儒学者富岡鉄斎の命日詳細
1929年(昭和4)小説家・脚本家生田直親の誕生日詳細
1945年(昭和20)GHQが「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」(SCAPIN-519)を指令する詳細
1946年(昭和21)俳人中塚一碧楼の命日詳細
1953年(昭和28)NHK紅白歌合戦が初の公開放送となり、この年から大晦日の放送となる詳細
1963年(昭和38)NHK紅白歌合戦でテレビの最高視聴率81.4%を記録する詳細
1994年(平成6)小説家・推理作家多岐川恭の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、内務省が東京と名古屋に初の建物疎開命令を出し、指定区域内の建造物の強制取り壊しが始まった日です。
 建物疎開(たてものそかい)は、都市部において、防空対策を十分なものとするため、住宅密集地の家屋を強制的に解体し「防空空地」を設け、空襲の類焼を防ぐための政策でした。昭和時代前期の1937年(昭和12)4月5日に公布(施行は10月1日)された「防空法」(1943年改正)に基づき、1943年(昭和18)12月21日に、東条英機内閣において、閣議決定された「都市疎開実施要綱」を受けたもので、翌年1月26日に、内務省が東京と名古屋に初の建物疎開命令を出し、指定区域内の建造物の強制取り壊しが始まります。
 1945年(昭和20)の敗戦までの間に、東京や横浜、名古屋、京都、大阪、広島、長崎など全国279都市で実施され、約60万戸が強制的に撤去されました。
 以下に、「都市疎開実施要項」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「都市疎開実施要項」(としそかいじっしようこう)とは?

 昭和時代前期の太平洋戦争中、連合軍による直接的な本土攻撃の危機が増大した1943年(昭和18)12月21日に、東條英機内閣によって、建物や人員の疎開を促進するために閣議決定されたものです。これによって、京浜、阪神、名古屋、北九州地域の重要都市に於ける疎開区域や人口疎開の対象者を定め、人口疎開政策の具体化が図られ、都市施設の地方分散がおこなわれました。
 しかし、防火区域を設定するための空地帯をつくること、重要施設(官公署や軍事施設、軍需工場)を守るため、その周囲の民家をとりこわし空地をつくることが主目的となります。防火地帯にかかる建物が強制的に撤去され、それは、東京や京都、広島などで約60万戸に及びました。
 
☆都市疎開実施要綱 (全文)  1943年(昭和18)12月21日閣議決定 

都市疎開実施要綱 (昭和18年12月21日閣議決定)

第一 方針
九月二十一日閣議決定「現情勢下ニ於ケル国政運営要綱」ノ趣旨ニ基キ帝都其ノ他ノ重要都市ニ付強力ナル防空都市ヲ構成スル如ク人員、施設及建築物ノ疎開ヲ実施ス

第ニ 要領

一、疎開区域
疎開区域ハ京浜、阪神、名古屋及北九州地域ニ属スル左ノ重要都市トス
京浜地域  東京都区部、横浜市、川崎市
阪神地域  大阪市、神戸市、尼崎市
名古屋地域 名古屋市
北九州地域 門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市
前項ノ区域外ニ於テモ情況ニ依リ必要ト認ムル都市ニ於テハ疎開ノ勧奨、建築物ノ除却ヲ行ヲ

二、人員ノ疎開
(一)疎開セシムベキ人員
疎開セシムベキ人員ハ建築物ノ疎開又ハ施設ノ疎開ニ伴フ者ノ外左ニ掲グル者及其ノ家族トス但シ特ニ疎開区域内ニ居住スルヲ必要トスル者ヲ除ク
(イ)疎開区域外ニ職場ヲ有スル者
(ロ)企業整備等ニ依リ転廃業スル者
(ハ)其ノ他疎開区域内ニ居住スルノ要尠キ者
適当ナル時期ニ疎開人員ニ関スル実情調査ヲ実施ス
(二)疎開ノ勧奨
(1)人員ノ疎開ハ原則トシテ勧奨ニ依ルモノトシ其ノ目標程度ハ時期及情勢ニ依リ之ヲ定ム
(2)疎開ノ勧奨ニ当リテハ総合戦力増強ノ為ニスル国民ノ戦時配備ニ積極的ニ寄与スル所以ナルコトヲ徹底セシム
(3)疎開ノ勧奨ニ当リテハ成ル可ク世帯単位ノ地方転出ヲ図ル等家族主義ノ精神ニ悖ラザル如ク指導ス
(4)人員ノ転出先ハ疎開区域及軍事上ノ重要都市ノ地域ヲ避クル如ク指導ス
(三)移転奨励金ノ交付
左ニ掲グルモノニシテ世帯ヲ単位トシテ転出スル者ニ対シ移転奨励金ヲ交付ス
(イ)都市民税一定額以下ノ者及都市民税免除者
(ロ)入営、応召軍人ノ遺家族
(ハ)被徴用者ノ遺家族
(ニ)其ノ他必要ト認ムル者

三、施設ノ疎開
(一)左ニ掲グルモノノ施設又ハ事業ニ関シ統合整理又ハ地方移転等ノ計画ヲ樹立実施ス
(イ)学校
(ロ)公共団体、各種外廓団体
(ハ)各種統制機関
(ニ)会社、工場等
(二)疎開区域内ニ於テハ店舗、工場等ノ疎開ニ資スル如ク企業整備ヲ特ニ強化促進ス

四、建築物ノ疎開
(一)都市疎開事業トシテ左ニ掲グル地区内ノ建築物ヲ除却ス
(イ)疎開空地帯
(ロ)疎開空地
i 重要施設疎開空地
ii 交通疎開空地
iii 疎開小空地
(二)建築物ノ除却ハ防空法第五条ノ六ニ依ル
測量、評価、除却等ノ施行ハ徹底シタル戦時的方式ニ拠ル
(三)建築物ノ除却ニ因リ移転スル人員ハ能フ限リ疎開区域外ニ転出セシム
(四)移転者ニ対シテハ防空法第十ニ条ノ二ニ依リ移転費ヲ支給ス
(五)除却建築物ノ古材等ノ利用ハ之ヲ統制ス
(六)交付スベキ補償金等ニ付テハ之ガ浮動化防止ノ措置ヲ講ズ

五、輸送ニ関スル措置
(一)疎開ニ関スル輸送ハ鉄道及自動車輸送其ノ他ノ小運搬、荷造作業等ヲ通ジ統合的ニ処理シ得ル如ク措置ス
(二)疎開輸送ヲ迅速且円滑ナラシムル為各種資材ノ確保ヲ図リ之ガ配分ニ関シテハ前項ノ統合的輸送ニ適合スル如ク措置ス
(三)荷造所要資材ニ関シテハ極力故品ノ利用ヲ図リ且之ガ回収ヲ強力ニ実施ス
(四)運賃、料金其ノ他諸費用ニ関スル特別取扱ヲ行フト共ニ其ノ簡明単純化ヲ図ル
(五)荷造及小運搬ノ労務ニ関シテハ極力余剰労力ヲ動員スル等ノ措置ヲ講ズ

六、移転先家屋ノ斡旋供給其ノ他ノ便宜供与
(一)移転先ノ家屋ニ付テハ各自ノ縁故先ニ之ヲ求ムルノ外家屋空間ノ提供慫慂及店舗等ノ住宅化ヲ強力ニ実施ス
(二)移転先ニ於ケル転就職ノ斡旋又ハ転入学ノ特別取扱、土地家屋家財ノ受託管理又ハ売買斡旋等ニ関シテハ極力便宜供与ノ措置ヲ講ズ

七、其ノ他疎開ニ伴フ措置
(一)建築ノ規制
(1)建築規制区域ハ疎開区域トシ防空法第五条ノ五第一項ニ依リ指定ス
(2)建築規制区域内ノ建築ハ原則トシテ之ヲ禁止ス
(二)転入ノ規制
(1)転入規制区域ハ疎開区域トシ防空法第五条ノ九ニ依リ指定ス
(2)転入ノ規制ハ転入ヲ必要トスル証明書ノ発給又ハ地方長官ノ許可ニ依リ之ヲ行ヲ
(3)業務ノ場所ノ新設及転入ハ極力抑制ス
(三)建築物ノ利用統制
建築物ノ除却ニ伴フ人員ニシテ疎開区域内ニ居住ヲ要スルモノニ対シ住居ヲ確保スル等ノ目的ヲ以テ疎開区域内ニ於テハ防空法第五条ノ十ノ規定ニ基キ建築物ノ利用統制ヲ行ヲ

八、疎開事務担当機関
(一)疎開区域ニ関係アル都府県庁ニハ疎開事務ノ総合連絡調整並ニ都市疎開事業ノ円滑ナル執行ヲ図ル為必要ナル組織ヲ設ク
(二)各庁連絡ニ関シテハ地方行政協議会ノ活動等ニ依ルモノトス
(三)区役所等ニ疎開指導所ヲ設置シ疎開ニ関スル勧奨、指導、斡旋ニ任ゼシム

備考
本件ニ関シ必要ナル事項ニ付関係各庁ハ具体策ヲ樹立シ防空総本部ニ連絡ノ上実施スルコト

     「東京大空襲・戦災誌 第3巻 軍・政府(日米)公式記録集」より
 
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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