
築造は、九州の地頭御家人だけでなく、公領や荘園にも平均に割り当てられ、鎌倉幕府の支配が強化される契機ともなりました。総延長は約20kmに及んだとされ、1281年(弘安4)の第2回元寇(弘安の役)の際には、役に立ったということです。
年代を経て風化が進み、地中に埋もれているところもありますが、今津地区(西区)、西新地区(早良区)、地行地区(中央区)、地蔵松原地区(東区)をはじめ、9地区に防塁が残されてきました。1913年(大正2)から発掘・整備が進められ、1931年(昭和6)に国の史跡に指定、1981年(昭和56)に追加指定がなされています。
台風の襲来によるモンゴル軍側の損害もあって、2度とも撤退しています。2回の元寇の後、鎌倉幕府は博多湾の防備を強化しましたが、この戦いで日本側が物質的に得たものは無く、恩賞は御家人たちに満足のいくものではありませんでした。
モンゴル軍の再度の襲来に備えて御家人の統制が進められましたが、戦費で窮迫した御家人達は借金に苦しむようになります。やむを得ず幕府は「永仁の徳政令」などを発布して御家人の困窮対策にしようとしましたが、御家人の不満は解消されず、鎌倉幕府に対して不信感を抱くものが増えていきました。
これらの動きはやがて大きな流れとなり、鎌倉幕府滅亡の原因の一つになったと言われています。
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