ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:俳句

イメージ 1

 今日は、1763年(宝暦13)に、江戸時代後期の俳人小林一茶の生まれた日ですが、新暦では6月15日となります。
 小林一茶は、信濃国水内郡柏原村(現在の長野県水内郡信濃町)の中農であった父・農業弥五兵衛、妻・くにの長男として生まれましたが、本名は弥太郎といいました。
 3歳で母を失い、8歳のとき迎えた継母と折り合いが悪く、15歳の頃江戸へ出て奉公します。俳諧をたしなむようになり、25歳頃には、葛飾派(素堂)の二六庵竹阿に俳句を学ぶようになりました。
 29歳で葛飾派の執筆になり、師の死後、1792年(寛政4)から6年間、西国に俳諧修行に出、1795年(寛政7)には、撰集『旅拾遺』を刊行します。
 1801年 (享和元) に父の没後、継母子と遺産を10年余り争い、1813年(文化 10)に帰郷し、遺産を2分することで解決しました。1814年(文化11)には、江戸俳壇を引退し信濃へ帰郷する一茶の江戸俳壇引退記念撰集として『三韓人』が刊行されます。
 52歳で初めて結婚し、門弟のところを回ったりしていますが、4人の子どもと妻に先立たれます。後妻ゆきとも3ヶ月で離婚し、3度目の妻やをを迎えたものの、その翌年は大火に遭うなど不遇が続きます。
 火災後は、土蔵暮らしをしていましたが、1828年(文政10年11月19日)に、三度目の中風に罹り、65歳で亡くなりました。
 不幸が続く中で、俗語・方言を交え、自嘲と反逆精神に基づく独自の作風を示し、発句はニ万句以上に及びます。死後刊行されたものも多く、明治時代以降に注目され、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代の俳人とされるようになりました。
 尚、郷里の柏原には一茶旧宅(国指定史跡)が残り、「一茶記念館」も建てられています。

<代表的な句>
「わが星は 上総の空を うろつくか」
「江戸じまぬ きのふしたはし 更衣(ころもがえ)」
「我と来て 遊べや親の ない雀」
「秋の風 乞食(こじき)は 我を見くらぶる」
「是(これ)がまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺」
「今年から 丸まうけぞよ 娑婆遊(しゃばあそ)び」
「花の影 寝まじ未来が 恐ろしき」
「めでたさも 中くらいなり おらが春」
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」
「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」
「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」

〇小林一茶の主要な作品

・紀行文『西国紀行』(1795年)
・撰集『旅拾遺』 (1795年)
・撰集『さらば笠』(1798年)
・句文集『父の終焉日記』 (1801年)
・紀行文『草津道の記』(1809年)
・撰集『三韓人』 (1814年)
・句日記『七番日記』 (1810~18年)
・句文集『おらが春』(1819年)
・自撰句集『浅黄空』
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、旅の日です。松尾芭蕉が『奥の細道』に旅立った日(旧暦元禄2年3月27日)を新暦に換算すると5月16日になるので、それにちなみ、1988年(昭和63)に日本旅のペンクラブが提唱したものです。
 松尾芭蕉は、江戸時代の俳聖で、1644年(寛永21)に生まれ、伊賀の武士出身といわれ、さび・しおり・細みで示される幽玄閑寂の蕉風俳諧を確立しました。その生涯は日本各地を旅して、名所旧跡を回り、歌枕を巡り、様々な人とまじわっています。それは、『笈の小文』、『更級紀行』、『野ざらし紀行』などの書物に著されていますが、最も有名なのは晩年の『奥の細道』の旅です。そして、最後に西へ向かって旅立ち、大阪の南御堂で門人に囲まれて、1694年(元禄7)に息を引き取ったと伝えられています。まさに旅に生き、旅に死するの境地で、辞世の句も「旅に病んで夢は枯れ野を かけ廻る」というものでした。
 『奥の細道』は、松尾芭蕉が書いた紀行文で、最も代表的なものです。1689年(元禄2)の3月27日(新暦では5月16日)に深川芭蕉庵を愛弟子の河合曾良一人を連れて出立し、東北・北陸地方を回りながら、弟子を訪ね、歌枕を巡って歩いた日数150日、旅程600里に及ぶ大旅行のもので、9月6日(新暦では10月18日)に大垣から伊勢へ旅立つところで、結びになっています。また、近年芭蕉の自筆本が発見されて話題になりました。
 私も、その足跡をたどって何度か旅したことがありますが、各所に句碑が立てられ、史蹟として保存されている所も多く、資料館などもあって、いにしえの芭蕉の旅をしのぶことができます。
 以下に、『奥の細道』の冒頭部分を載せておきますのでご参照ください。

〇『奥の細道』冒頭部分

<冒頭> 
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。よもいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋にくもの古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
  草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
面八句を庵の柱にかけ置く。

           紀行文『おくの細道』 松尾芭蕉著より
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ