
太平洋戦争後の日本では、戦時下の空襲等により、多くの住居が失われ、また外地からの帰国者が増大したことによって、住宅不足は深刻な状況となりました。しかも、戦後の都市部の焼け跡に急造された、当時「バラック」と呼ばれた粗末な住居も多く、国民の住環境は、深刻な状況になります。
そこで、日本政府は、1950年(昭和25)公布の「住宅金融公庫法」、1951年(昭和26)公布の「公営住宅法」、1955年(昭和30)公布の「日本住宅公団法」(現在は住宅・都市整備公団法)の3つを柱として住宅政策を推進しました。高所得者層には住宅金融公庫による持家建設、中所得者層には日本住宅公団(地方都市では住宅供給公社)分譲および賃貸住宅、低所得者層には公営住宅という階層的な対応を想定したものとなります。
これによって、住宅金融公庫では、新築住宅購入、マンション購入、住宅建設に関する融資、中古住宅購入に関する融資、リフォーム融資など条件に応じて様々な融資が用意されました。2003年(平成15)の法改正により、直接融資を縮減する一方で国民が民間金融機関から住宅ローンを受けやすくするための証券化支援業務を新たに実施することとなります。
2005年(平成17)には、資本金:2,237億円、役職員数:1,105人、融資等残高:55兆3,040億円となっていましたが、行政改革の中で、2007年(平成19)3月31日に廃止され、4月1日より独立行政法人住宅金融支援機構に業務が引き継がれました。しかし、個人向け直接融資業務からは撤退し、長期固定金利型住宅ローンの供給を支援する証券化支援業務を主な事業とするようになっています。
以下に、制定当初の「住宅金融公庫法」(昭和25年法律第156号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。