ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:伊藤博文

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 今日は、明治時代前期の1888年(明治21)に、「枢密院官制」(明治21年勅令第22号)が公布・施行されて、枢密院が設置され、伊藤博文が初代議長に就任した日です。
 枢密院(すうみついん)は、「大日本帝国憲法」下の国政に関する天皇の最高諮問機関です。1888年(明治21)4月30日に「枢密院官制」(明治21年勅令第22号)が公布・施行により、「大日本帝国憲法」草案審議のために創設、議長・副議長・顧問官により組織され、初代議長に伊藤博文が就任しました。
 憲法・皇室典範・条約・緊急勅令など国政に関する重要事項を審議し、「憲法の番人」と称したものの、実際は藩閥官僚・軍人が多数を占め、藩閥官僚の本拠となり、貴族院と共に政党政治の発達を抑制したとされます。しかし、1931年(昭和6)の満州事変以後、軍部の台頭によって、その影響力は低下し、太平洋戦争敗戦後の1947年(昭和22)5月3日の「日本国憲法」施行に伴い、その前日限りで廃止されました。
 以下に、「樞密院官制」(明治21年勅令第22号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「枢密院官制」(明治21年勅令第22号) 1888年(明治21)4月30日公布・施行

第一章 組織

第一条 枢密院ハ天皇親臨シテ重要ノ国務ヲ諮詢スル所トス

第二条 枢密院ハ第一議長一人第二副議長一人第三顧問官十二人以上第四書記官長一人及書記官数人ヲ以テ組織ス

第三条 枢密院ノ議長副議長顧問官ハ親任書記官長ハ勅任書記官ハ奏任トス

第四条 何人タリトモ年齡四十歲ニ達シタルモノニ非サレハ議長副議長及顧問官ニ任スルコトヲ得ス

第五条 議長ハ書記官ノ內ヲ以テ秘書官ヲ兼ネシムルコトヲ得

第二章 職掌

第六条 枢密院ハ左ノ事項ニ付会議ヲ開キ意見ヲ上奏シ勅裁ヲ請フヘシ
 一 憲法及憲法ニ附屬スル法律ノ解釈ニ関シ及予算其他会計上ノ疑義ニ関スル争議
 二 憲法ノ改正又ハ憲法ニ附屬スル法律ノ改正二関スル草案
 三 重要ナル勅令
 四 新法ノ草案又ハ現行法律ノ廃止改正ニ関スル草案列国交涉ノ条約及行政組織ノ計画
 五 前諸項ニ掲クルモノヽ外行政又ハ会計上重要ノ事項ニ付特ニ勅命ヲ以テ諮詢セラレタルトキ又ハ法律命令ニ依テ特ニ枢密院ノ諮詢ヲ経ルヲ要スルトキ

第七条 前条第三項ニ掲ケタル勅令ニハ枢密院ノ諮詢ヲ經タル旨ヲ記載スヘシ

第八条 枢密院ハ行政及立法ノ事ニ関シ天皇ノ至高ノ顧問タリト雖モ施政ニ干与スルコトナシ

第三章 会議及事務

第九条 枢密院ノ会議ハ顧問官十名以上出席スルニ非サレハ会議ヲ開クコトヲ得ス

第十条 枢密院ノ会議ハ議長之ニ首席シ議長事故アルトキハ副議長之ニ首席ス議長副議長共ニ事故アルトキハ顧問官其席次ニ依リ首席スヘシ

第十一条 各大臣ハ其職権上ヨリ枢密院ニ於テ顧問官タルノ地位ヲ有シ議席ニ列シ表決ノ権ヲ有ス又各大臣ハ委員ヲ差シテ会議ニ出席シ演述及説明ヲ為サシムルコトヲ得但表決ノ数ニ加ラス

第十二条 枢密院ノ議事ハ多数ニ依リ之ヲ決ス但可否平等ノ場合ニ於テ会議首席ノ決スル所ニ依ル

第十三条 議長ハ枢密院ニ属スル一切ノ事務ヲ総管シ枢密院ヨリ発スル一切ノ公文ニ署名ス
 副議長ハ議長ノ職務ヲ補佐ス

第十四条 書記官長ハ議長ノ監督ヲ受ケ枢密院ノ常務ヲ管理シ一切ノ公文ニ副署シ会議ニ付スヘキ事項ヲ審査シテ報吿書ヲ調製シ会議ニ列シ弁明ノ任ニ当ル但表決ノ数ニ加ラス
 書記官ハ会議ニ於テ議事ヲ筆記シ及書記官長ノ職務ヲ補佐シ書記官長事故アルトキハ書記官之ヲ代理ス
 前項ノ筆記ハ出席員ノ姓名会議ノ事件質問答弁及議決ノ要旨ヲ記載スルモノトス

第十五条 特別ノ場合ヲ除クノ外予メ審査報告書ヲ調製シ其会議ニ必要ナル書類ト共ニ之ヲ各員ニ配達シタル後ニ非サレハ会議ヲ開クコトヲ得ス
 議事日程及報告ハ予メ各大臣ニ通報スヘシ

 ※旧字を新字に直してあります。

      「ウィキソース」より

☆伊藤博文(いとう ひろぶみ)とは?

 幕末から明治時代に活躍した政治家で、幼名は利助、のち俊輔、博文は諱です。1841年(天保11)に、周防(現在の山口県)の貧農の家に生まれました。
 後に、父が伊藤家を継いで、士分となりました。吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作、久坂玄瑞らと尊王攘夷運動に挺身することになります。1863年(文久3)イギリスに留学しましたが、帰国後は開国をとなえ倒幕運動に活躍しました。
 1871年(明治4)岩倉遣欧使節団の全権副使となり、大久保利通の没後は、内務卿となります。その後、大日本帝国憲法の立案に当たり、1885年(明治18)に内閣制度を創設して、初代総理大臣となりました。
 枢密院・貴族院の初代議長を歴任し、のち、立憲政友会を組織して、総裁に就任します。日露戦争後、初代韓国統監となりましたが、1909年(明治42)10月26日、69歳の時にハルビンで、韓国の独立運動家安重根に暗殺されました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

670年(天智天皇9)法隆寺が落雷により全焼する詳細
1183年(文治5)源義経追捕の宣旨により藤原泰衡が衣川の館を襲い、源義経が自害する(新暦6月15日)詳細
1358年(正平13)室町幕府初代将軍足利尊氏の命日(新暦6月7日)詳細
1886年(明治19)秋田県で秋田大火(俵屋火事)が起き、死者17名、負傷者186名、焼失戸数3,554戸を出す詳細
1926年(大正15)小説家河野多惠子の誕生日詳細
1942年(昭和17)第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)の投票で、翼賛政治体制協議会推薦者が381議席を占める詳細
1950年(昭和25)「図書館法」が公布される(図書館記念日)詳細
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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、岩倉使節団が欧米視察のために、横浜港を出航した日ですが、新暦では12月23日となります。
 岩倉使節団(いわくらしせつだん)は、右大臣岩倉具視を特命全権大使とし、参議木戸孝允、大蔵卿大久保利通、工部大輔伊藤博文、外務少輔山口尚芳を副使として、欧米に派遣した使節団でした。総勢107名(使節46名、随員18名、留学生43名)で、1871年(明治4年11月12日)に横浜港を出港し、1873年(明治6年)9月13日に横浜港へ帰港するまで、約1年10ヶ月をかけて、米欧12ヶ国(アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア・ハンガリー、スイス)を歴訪しています。
 その目的は、①幕末条約締盟国への国書の捧呈、②条約改正予備交渉、③米欧各国の制度・文物の調査研究でした。しかし、アメリカでの条約改正交渉には失敗したものの、ヨーロッパの先進文明を摂取して帰国しています。
 尚、この使節団には、金子堅太郎、団琢磨、津田梅子らの留学生が随行し、各国に留学しました。

〇岩倉使節団の使節メンバー(46名)

<使節>
【特命全権大使】
・岩倉具視
【副使官】
・木戸孝允(桂小五郎)
・大久保利通
・伊藤博文
・山口尚芳
【一等書記官】
・田辺太一
・何礼之
・福地源一郎
【二等書記官】
・渡辺洪基
・小松済治
・林董三郎
・長野桂次郎 - 通詞
【三等書記官】
・川路寛堂
【四等書記官】
・安藤太郎
・池田政懋
・久米邦武
・中山信彬
・内海忠勝
・野村靖
・五辻安仲
【理事官】
・田中光顕
・東久世通禧
・山田顕義
・佐佐木高行
・田中不二麿
・肥田為良
【随行】
・村田新八
・由利公正
・原田一道
・長與專齋
・安場保和
・若山儀一
・阿部潜
・沖守固
・富田命保
・杉山一成
・吉雄永昌
・中島永元
・近藤鎮三
・今村和郎
・内村公平
・大島高任
・瓜生震
・岡内重俊
・中野健明
・平賀義質

☆岩倉使節団関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

<1871年>
・明治4年11月11日 裁判所にて晩餐会が行われ、各国在留公使、書記官が参会する
・明治4年11月12日 岩倉使節団が横浜港を出港する
・明治4年12月6日 アメリカのサンフランシスコの桟橋に到着する
・明治4年12月7日 グランド・ホテルに市長、海陸軍将士、各国公使が来訪する

<1872年>
・明治4年12月22日 グランド・ホテルを出発する
・明治5年1月18日 シカゴ駅に到着する
・明治5年1月21日 ワシントンに到着する
・明治5年1月25日 ホワイトハウスにてアメリカ大統領グラントに謁見する
・明治5年7月3日 郵船オリンパス号にて出港し、アメリカからイギリスへ向かう
・明治5年7月13日 アイルランドのクイーンズ・タウンに寄港する
・明治5年8月17日 イギリスのリヴァプールに到着する
・明治5年11月4日 ロンドンのウィンザー城でヴィクトリア女王と謁見する
・明治5年11月16日 イギリスのドーバーを出港し、フランスのカレーに到着、汽車でパリへ行く
・明治5年11月26日 フランスの大統領官邸(エリゼ宮殿)にて大統領ルイ・アドルフ・ティエールと謁見する

<1873年(明治6年)>
・2月17日 ベルギーのブリュッセルに到着する
・2月18日 ベルギー国王レオボルド2世に謁見する
・2月24日 オランダのバーグに到着する
・2月25日 オランダ国王ウィレム3世に謁見する
・3月9日 ドイツのベルリンに到着する
・3月11日 ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に謁見する
・3月15日 ドイツ宰相ビスマルク主催の官邸晩餐会に参加する
・3月30日 ロシアのペテルブルグに到着する
・4月3日 ロシア皇帝アレクサンドル2世に謁見する
・4月18日 デンマークのコペンハーゲンに到着する
・4月19日 デンマーク国王クリスチャン9世、ルイーズ王妃に謁見する
・4月24日 スゥエーデンのストックホルムに到着する
・4月25日 スゥエーデン国王オスカル2世に謁見する
・5月11日 イタリアのローマに到着する
・5月13日 イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に謁見する
・6月3日 オーストリア・ハンガリーのウィーンに到着する
・6月8日 オーストリア・ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ、皇后に謁見する
・6月19日 スイスのチューリッヒに到着する
・6月21日 スイスの連邦院にて大統領に謁見する
・7月20日 マルセイユを郵船アウア号で出港し、帰国の途に就く
・7月27日 スエズ運河を通る
・8月1日 アデン港に寄港する
・8月9日 ゴール港に寄港する
・8月22日 ベトナムのサイゴンに寄港する
・8月27日 香港に寄港する
・9月2日 上海に寄港する
・9月13日 岩倉使節団が横浜港に帰国する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1898年(明治31)幕末の漂流民・幕臣・英語教育者・啓蒙家ジョン万次郎(中浜万次郎)の命日詳細
1945年(昭和20)GHQ「美術品、記念物、及文化的並に宗敎的地域、施設の保護に関する政策及手続に関する覚書」 が出る詳細
1946年(昭和21)「財産税法」が公布(施行は11月20日)される詳細
1986年(昭和61)小説家島尾敏雄の命日詳細
1988年(昭和63)詩人草野新平の命日詳細
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