
1917年(大正6)に理学博士となり、1918年(大正7)には、徳川義親により東京府荏原郡平塚村小山に設立された私立の徳川生物学研究所の所長を務めました。1922年(大正11)に京都帝国大学教授となり、イネ、トウモロコシの研究を行い、染色体の構造と核分裂の分析や核分裂の進化について独自の学説を樹立、1937年(昭和12)には、『染色体の構造』を刊行します。
1942年(昭和17)に京都帝国大学教授を辞め、翌年名誉教授となり、1950年(昭和25)には、国立遺伝学研究所客員教授となりました。1953年(昭和28)に、「染色体構造の研究」で、日本学士院賞を受賞、1954年(昭和29)に『核分裂の進化』、1956年(昭和31)に『細胞論』を刊行します。
細胞学の発展に貢献したことにより、1952年(昭和37)に文化功労者となり、文化勲章も受章しましたが、1981年(昭和56)8月13日に、京都において、98歳で亡くなりました。