
1950年(昭和25)に同大学理学部動物学科を卒業後、1954年(昭和29)に同大学理学部動物学科助手(動物学第三講座)となりました。1957年(昭和32)に、エジンバラ大学動物遺伝学研究所へ留学、1959年(昭和34)に帰国後、京都大学より、「両生類の消化器官分化に関する実験形態学的研究 」で理学博士を得ます。
1960年(昭和35)に京都大学理学部動物学科(動物学第三講座)講師となり、続いて1961年(昭和36)には同助教授となりました。1964年(昭和39)に米国カーネギー発生学研究所へ留学し、帰国後の1967年(昭和42)に京都大学理学部動物学科教授(発生生物学講座)となります。
1977年(昭和52)に日本発生生物学会会長(1983年まで)、1981年(昭和56)に国際発生生物学会(英語版)会長(1985年まで)となり、1984年(昭和59)には、岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所所長に転任しました。1985年(昭和60)に京都大学名誉教授となり、1986年(昭和61)に中日文化賞を受賞、1989年(平成元)には、岡崎国立共同研究機構長となります。
同年に、アルコン賞(眼科学、米)、国際発生生物学会ハリソン賞(日本人初)を受章、1990年(平成2)に紫綬褒章受章、スペイン王立科学アカデミー会員、インド科学アカデミー会員となるなど数々の栄誉に輝きました。退官後、1991年(平成3)に国際生物科学連合副総裁、1993年(平成5)にはJT生命誌研究館館長(2003年3月まで)となります。
さらに、1995年(平成7)に文化功労者、1999年(平成11)に勲二等旭日重光章受章、2002年(平成14)にJT生命誌研究館名誉顧問、2005年(平成17)に京都府文化賞特別功労賞受賞、2007年(平成19)に文化勲章受章、2008年(平成20)には、伊丹市名誉市民、京都市名誉市民となりました。眼の水晶体細胞の培養に成功、また細胞どうしの親和力を解明、細胞分化と細胞同士の結合の仕組みを分子レベルで追究してきましたが、2017年(平成29)1月17日に京都府京都市において、肺炎により89歳で亡くなり、従三位を追贈されています。
尚、クラシック音楽にも造詣が深く,『アルマ・マーラーに恋した生物学者――生命の響き』(2000年)を著し、京都市音楽芸術文化振興財団理事長も務めました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1874年(明治7) | 民撰議院設立建白書が出される | 詳細 | |||||
1885年(明治18) | 思想家・作家・ジャーナリスト・社会運動家大杉栄の誕生日 | 詳細 | |||||
1944年(昭和19) | 「緊急国民勤労動員方策要綱」が閣議決定される | 詳細 | |||||
1995年(平成7) | 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起き、死者・行方不明者 6,437人を出す | 詳細 |