
その結果、①朝鮮政府の対日謝罪、②日本人被害者への賠償金支払い、③日本軍人を殺害した犯人の逮捕と処刑、④朝鮮は日本公使館再建費用を負担する、⑤公使館守備隊の営舎の設立などで合意し、締結に至ったものでした。これによって、朝鮮出兵に関しては、日清両国の立場は対等になります。
学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。
1185年(文治元) | 源義經追討のため、「文治の勅許」により、諸国に守護・地頭を置くことを許可する(新暦12月21日) | 詳細 |
1872年(明治5) | 「徴兵令詔書及ヒ徴兵告諭」が発布される(新暦12月28日) | 詳細 |
1878年(明治11) | 物理学者・随筆家・俳人寺田虎彦の誕生日 | 詳細 |
1883年(明治16) | 鹿鳴館が開館する | 詳細 |
1897年(明治30) | 小説家・随筆家宇野千代の誕生日 | 詳細 |
今日は、明治時代前期の1886年(明治19)に、ノルマントン号が沈没し英船員は脱出、日本人25人が溺死した「ノルマントン号事件」が起きた日です。
ノルマントン号事件(ノルマントンごうじけん)は、横浜港を出港して神戸港に向かっていたイギリス商船「ノルマントン」号が暴風のため、和歌山県南部の潮岬付近で座礁・沈没した際、イギリス人乗組員は船長以下26人全員がボートで脱出しましたが、日本人乗客25人は全員取り残され、溺死した事件でした。
10月28日に外務大臣井上馨は、松本鼎和歌山県知事からの電報で遭難事件のあらましを知り、実況調査を命令します。当時の不平等条約の下で、イギリス人に対する裁判権はイギリス領事にあり(治外法権)、11月1日に神戸駐在在日英国領事のジェームズ・ツループは、領事裁判権にもとづき神戸領事館内管船法衙において海難審判をおこない、その結果、同月5日に船長以下全員に無罪判決を下しました。
これに対して、国民は悲憤慷慨し、日本政府も世論に押されて、11月14日に横浜英国領事裁判所に告訴します。その後審判が行われ、12月8日に横浜領事裁判所判事のニコラス・ハンネンはドレーク船長に有罪判決を下し、禁固刑3ヶ月に処しましたが、死者への賠償金は支払われませんでした。
それでも、新聞報道等により義援金が集められ、遺族に分配されています。この事件は、領事裁判権廃止を含む不平等条約改正の国民運動にいっそうの刺激を与えることになりました。
〇ノルマントン号事件関係略年表
<1886年(明治19)>
・10月24日 和歌山県沖でノルマントン号が沈没し英船員は脱出、日本人25人が溺死した「ノルマントン号事件」が起きる
・10月28日 外務大臣井上馨は松本鼎和歌山県知事からの電報で遭難事件のあらましを知り、実況調査を命令する
・11月1日 神戸駐在在日英国領事のジェームズ・ツループは、領事裁判権にもとづき神戸領事館内管船法衙において海難審判をおこなう
・11月5日 ツループは、海難審判の結果、船長以下全員に無罪判決を下す
・11月13日 井上外相は内海忠勝兵庫県知事に命じてドレーク船長らの神戸出船をおさえ、兵庫県知事名で横浜英国領事裁判所に殺人罪で告訴を命じる
・11月14日 横浜英国領事裁判所に告訴される
・12月8日 横浜領事裁判所判事のニコラス・ハンネンはドレークに有罪判決を下し、禁固刑3ヶ月に処したが、死者への賠償金は支払われなかった
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1708年(宝永5) | 数学者・和算の祖関孝和の命日(新暦12月5日) | 詳細 |
1876年(明治9) | 神風連の乱がおこる | 詳細 |