
全9ヶ条からなり、①中国の主権・独立および領土的・行政的保全を尊重する、②中国が有効な安定した政府を樹立し維持するため障害のない機会を与える、③中国全土を通じる商工業の機会均等主義を確立する、④中国における排他的特権の獲得を差し控える、という原則を定め(第1条)、中国における門戸開放、機会均等をいっそう有効にするための条件(第3条)、勢力範囲創設の否定(第4条)、鉄道に関する差別待遇の廃止(第5条)、中国の中立尊重(第6条)などから成っていました。中国の主権尊重・領土保全と門戸開放・機会均等を規定し、1国が中国の利益を独占しないことを決めたものです。
日本の大陸進出の抑止を図るため、中国における日本の特殊権益を承認した石井‐ランシング協定は廃棄され、別途に開かれた日中交渉により、二十一カ条要求による特権の一部が除かれ、膠州湾租借地を中国に返還することとなりました。その後、1937年(昭和12年)7月7日に起きた盧溝橋事件に始まる日中戦争(支那事変)の拡大により、これに対処するため1937年(昭和12年)11月にブリュッセルでの九カ国条約会議(ブリュッセル国際会議)の開催が急遽決定されます。
しかし、同年10月20日に第1次近衛文麿内閣は、「九国条約国会議不参加に関する政府声明」を出し、この会議への出席を拒否、日本は実質的にこの条約を破棄することとなりました。それからの日中戦争はだんだん泥沼化していき、日本の国際的孤立が加速することとなります。