
同年12月9日にトンネル工事が着工されたものの、地質堅硬のため削岩に苦労し、自家発電設備を設け、カンテラ照明にかえて電灯照明が行われ、ダンプカー、電気機関車が使用されました。1902年(明治35)7月6日についに導坑が貫通し、付帯工事を行って、1903年(明治36)2月1日に開通(当初は単線)しましたが、当時日本一の長さ(延長4,656m)の山岳鉄道トンネルとなります。
これは、1931年(昭和6)に上越線清水トンネル(延長9,702m)が開通するまで、29年間その座を保ちました。また、中央本線複線工事にあたり、笹子トンネルの北側に25m離れて、もう1本の新笹子トンネルが1963年(昭和38)に着工、1965年(昭和40)に開通(延長4,670m)し、上り線専用として使用されるようになり、それまでのトンネルは下り線専用となりました。
尚、笹子峠には、甲州街道(国道20号線)の山梨県大月市と大和村の間に、1958年(昭和33)に開通した道路トンネル(延長2,953m)と中央自動車道の大月インターチェンジと勝沼インターチェンジとの間に、1977年(昭和52)に開通した道路トンネル(延長4,784m)もあります。