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 今日は、平成時代の1992年(平成4)に、小説家中上健次が亡くなった日です。
 中上健次(なかがみ けんじ)は、昭和時代中期の1946年(昭和21)8月2日に、和歌山県新宮市に生まれました。複雑な家族関係の中で育ち、1962年(昭和37)には、和歌山県立新宮高校に入学して、文芸部に入ります。
 1965年(昭和40)に高校卒業後、上京して大学受験を名目に上京して、同人誌「文芸首都」に参加しながら、ジャズや映画、演劇に熱中し、羽田空港などで肉体労働に従事しながら小説を書きました。1974年(昭和49)に第一作品集『十九歳の地図』で注目を集め、翌年『岬』で第74回芥川賞を受賞します。
 続く、1977年(昭和52)の『枯木灘』では郷里熊野の風土と錯綜する血縁関係をもつ人々の愛憎を神話的スケールで描き、毎日出版文化賞,芸術選奨文部大臣新人賞を受賞しました。その後も『鳳仙花』 (1980年) 、『地の果て 至上の時』(1983年)など風土や伝統に根ざす独自の作品を発表、1986年(昭和61)の『火まつり』では、毎日新聞映画コンクール脚本賞を受賞しています。
 1990年(平成2)以来、新宮市で在野の市民講座・熊野大学を主宰、翌年の湾岸戦争への日本加担に反対する声明に参加するなど多彩な活動を展開したものの、1992年(平成4)に血尿をみて年初より入院し、8月12日に腎臓癌により、46歳で亡くなりました。

〇中上健次の主要な著作

・創作集『十九歳の地図』(1974年)
・『鳩(はと)どもの家』(1975年)
・『岬(みさき)』(1975年)第74回芥川賞受賞
・エッセイ集『鳥のように獣のように』(1976年)
・『枯木灘(なだ)』(1977年)第31回毎日出版文化賞、第28回芸術選奨文部大臣新人賞受賞
・エッセイ集『紀州木の国・根の国物語』(1978年)
・短編集『化粧』(1978年)
・短編集『水の女』(1979年)
・エッセイ集『夢の力』(1979年)
・エッセイ集『破壊せよ、とアイラーは言った』(1979年)
・『水の女』(1979年)
・『鳳仙花(ほうせんか)』(1980年)
・『千年の愉楽』(1982年)
・『地の果て 至上の時』(1983年)
・『熊野集』(1984年)
・『日輪の翼』(1984年)
・『火まつり』(1986年)毎日新聞映画コンクール脚本賞受賞
・『奇蹟』(1989年)
・『讃歌』(1990年)

☆中上健次関係略年表

・1946年(昭和21)8月2日  和歌山県新宮市に生まれる 
・1953年(昭和28) 新宮市立千穂小学校に入学する 
・1959年(昭和34) 異父兄、木下行平が自殺、新宮市立緑丘中学校に入学、中上姓を名乗る
・1962年(昭和37) 和歌山県立新宮高校に入学、文芸部に入る 
・1965年(昭和40) 和歌山県立新宮高校を卒業、上京して、高田馬場、代々木、沼袋、練馬と移り住む、同人誌「文藝首都」に入会する 
・1966年(昭和41) 処女作『俺十八歳』が「文藝首都」に掲載される。 
・1967年(昭和42) 羽田闘争に参加するなど新左翼運動に関わる 
・1968年(昭和43) 「三田文学」を通じて柄谷行人と知り合う 
・1969年(昭和44) 『一番はじめの出来事』が「文藝」に掲載され商業誌デビューする 
・1970年(昭和45) 山口かすみ(紀和鏡)と結婚する
・1971年(昭和46) 長女・紀が誕生する 
・1973年(昭和48) 創作集『十九歳の地図』が芥川賞候補作となる
・1974年(昭和49) 羽田での仕事を辞め、文筆のかたわら築地魚河岸の軽子などで生計をたてる
・1975年(昭和50) 「鳩どもの家」、「浄徳寺ツアー」が続けて芥川賞候補作となる。 創作「鳩どもの家」 
・1976年(昭和51) 『岬』で第74回芥川賞を受賞する
・1977年(昭和52) 『枯木灘』で第31回毎日出版文化賞を受賞する
・1978年(昭和53) 『枯木灘』で第28回芸術選奨新人賞を受賞、韓国ソウルから全羅北道全州にかけて民俗芸能の取材旅行をおこなう
・1979年(昭和54) 野外劇「かなかぬち」が初演される
・1980年(昭和55) アメリカ生活をきりあげ三重県熊野市新鹿町に転居する
・1981年(昭和56) 韓国のソウル特別市汝矣島のアパートで単身生活する、東京都八王子市谷野町に転居する 
・1982年(昭和57) インドからパキスタン、イラン、トルコ経由でロンドンまで「マジックバス」の旅行をおこないTV放映される
・1983年(昭和58) 『地の果て 至上の時』が谷崎賞候補となるも落選する
・1984年(昭和59) 『日輪の翼』で谷崎賞候補となるも落選する
・1985年(昭和60) 映画「火まつり」が公開されてカンヌ映画祭に出品される
・1986年(昭和61) 『火まつり』で毎日新聞映画コンクール脚本賞を受賞する
・1987年(昭和62) フィンランド、ラハティで国際作家会議に参加し、講演をおこなう
・1988年(昭和63) 三島由紀夫賞が創設され選考委員となる、東京都八王子市谷野町の自宅が火災で全焼する
・1989年(平成元) 新宮市で「熊野大学準備講座」を発足させる
・1990年(平成2) 永山則夫の日本文藝家協会入会拒否に抗議して同会を脱会する
・1991年(平成3) 「湾岸戦争に反対する文学者声明」を柄谷行人らと発表する
・1992年(平成4) 血尿をみて年初より入院し、8月12日に腎臓癌により、46歳で亡くなりました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1734年(享保19)儒学者室鳩巣の命日(新暦9月9日)詳細
1957年(昭和32)朝日訴訟が提訴される詳細
1978年(昭和53)日本と中国が「日中平和友好条約」に調印する詳細