
「世界自然保護基金」(せかいしぜんほごききん)は、世界の野生生物とその生息地を保護するための基金で、英語名は、World Wide Fund for Nature(略称:WWF)です。前身は、世界野生生物基金(略称:WWF)で、アフリカの野生生物を危機から救うために、1961年(昭和36)9月11日に、鳥類学者のマックス・ニコルソン、鳥類学者のピーター・スコット、実業家のビクター・ストーラン、アマチュア鳥類学者のガイ・マウントフォート、オランダ王配ベルンハルトらによって、ロンドンで設立宣言がなされ、初代の総裁には、ベルンハルトが就任しました。
ジャイアントパンダをシンボルマークに選び、スイスのレマン湖畔に事務局を置き「モルジュ宣言」を採択します。1980年(昭和55)に、国連環境計画(UNEP)、IUCNとともに世界の自然保護の指針とするための「世界保全戦略」を作成しました。
1986年(昭和61)には、その活動の重点を、それまでの個々の絶滅の危機に瀕(ひん)している動植物種の保護から、熱帯林(ジャングル)・湿地・サンゴ礁などの生態系の保全、その持続的利用にまで拡大させ、名称を「世界自然保護基金」に改めます。そして、生物種の多様性を守るためには生物圏の保護が優先するという立場から、その生物圏の保全のために、①世界の生物多様性を守る、②再生可能な自然資源の持続可能な利用が確実に行われるようにする、③環境汚染と浪費的な消費の削減を進める、という三つの使命を掲げ世界の自然を守る運動を展開してきました。
1991年(平成3)には、その具体的行動を提唱した「新世界環境保全戦略」を発表しています。日本でも、1968年(昭和43)に野生生物保護基金日本委員会が結成され、1971年(昭和46)に財団法人としての認可を受け、世界野生生物基金日本委員会(通称:WWFJ)となり、1986年(昭和61)世界自然保護基金日本委員会に改称しました。
ジャイアントパンダをシンボルマークに選び、スイスのレマン湖畔に事務局を置き「モルジュ宣言」を採択します。1980年(昭和55)に、国連環境計画(UNEP)、IUCNとともに世界の自然保護の指針とするための「世界保全戦略」を作成しました。
1986年(昭和61)には、その活動の重点を、それまでの個々の絶滅の危機に瀕(ひん)している動植物種の保護から、熱帯林(ジャングル)・湿地・サンゴ礁などの生態系の保全、その持続的利用にまで拡大させ、名称を「世界自然保護基金」に改めます。そして、生物種の多様性を守るためには生物圏の保護が優先するという立場から、その生物圏の保全のために、①世界の生物多様性を守る、②再生可能な自然資源の持続可能な利用が確実に行われるようにする、③環境汚染と浪費的な消費の削減を進める、という三つの使命を掲げ世界の自然を守る運動を展開してきました。
1991年(平成3)には、その具体的行動を提唱した「新世界環境保全戦略」を発表しています。日本でも、1968年(昭和43)に野生生物保護基金日本委員会が結成され、1971年(昭和46)に財団法人としての認可を受け、世界野生生物基金日本委員会(通称:WWFJ)となり、1986年(昭和61)世界自然保護基金日本委員会に改称しました。
〇世界自然保護基金関係略年表
・1960年代初頭 アフリカでは多くの国々が独立し、動物たちが無益に殺され、動物たちが姿を消してしまうという強い危惧が生まれる
・1961年(昭和36)9月11日 「世界野生生物基金」(世界自然保護基金の前身)が設立される
・1968年(昭和43) 野生生物保護基金日本委員会が結成される
・1971年(昭和46) 日本委員会が財団法人としての認可を受け、世界野生生物基金日本委員会(通称:WWFJ)となる
・1980年(昭和55) 国連環境計画(UNEP)、IUCNとともに世界の自然保護の指針とするための「世界保全戦略」を作成する
・1986年(昭和61) 活動を拡大させ、名称を「世界自然保護基金」に改め、日本でも世界自然保護基金日本委員会に改称する
・1991年(平成3) 具体的行動を提唱した「新世界環境保全戦略」を発表する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 764年(天平宝字8) | 孝謙太上天皇の寵臣・道鏡を除こうとする謀叛(藤原仲麻呂の乱)が発覚する(新暦10月10日) | 詳細 |
| 810年(大同5) | 藤原藥子・仲成らが平城天皇の復位を企てて失敗した、薬子の変が起きる(新暦10月12日) | 詳細 |
| 972年(天禄3) | 僧侶・民間浄土教の先駆者空也の命日(新暦10月20日) | 詳細 |
| 1008年(寛弘5) | 第68代の天皇とされる後一条天皇の誕生日(新暦10月12日) | 詳細 |
| 1900年(明治33) | 東京の上野・新橋両駅に日本初の公衆電話が設置される(公衆電話の日) | 詳細 |
| 1940年(昭和15) | 内務省が「部落会町内会等整備要領」を通達し、隣組(隣保班)が制度化される | 詳細 |
| 1949年(昭和24) | 明治大学考古学研究室が、相沢忠洋が発見した群馬県岩宿遺蹟の発掘調査を開始する | 詳細 |