
しかし、長州藩は攘夷の態度を続け、翌元治元年7月19日に兵を京都へ派遣し、幕府側と交戦して御所にまで侵入するが撃退される「禁門の変(蛤御問の変)」を起こします。ところが、長州勢は完敗し、来島又兵衛は戦死、久坂玄瑞、真木和泉らは自刃するなど急進的指導者の大半を失うこととなり、京都市中も戦火により約3万戸が焼失しました。
これを機に、長州藩は朝敵となり、江戸幕府の第一次長州征伐が行われることになります。尚、イギリス・フランス・オランダ・アメリカは再び報復のため、同年7月27日・28日に、キューパー中将(イギリス)を総司令官とする4ヶ国連合艦隊を横浜から出港させ、関門海峡に至って、8月5日から砲撃を始めました。
長州藩側も応戦したものの、戦力に大きな開きがあり、8日までに長州藩の砲台は破壊されたり、上陸した4ヶ国側の兵員に占拠される「四国連合艦隊砲撃事件」が起こります。そこで、長州藩は8月8日に講和使節の使者に高杉晋作を任じ、4ヶ国連合艦隊との交渉を進め、同月18日に下関海峡の外国船通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸許可、下関砲台撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件を受け入れて講和が成立しました。
これらの戦争を通じて列国の軍事力を目の当たりにした長州藩は、列国に接近しつつ、強力な統一国家建設を目指して、倒幕運動に向かうことになります。尚、1874年(明治7)に、明治新政府により、下関事件による英米仏蘭4か国への賠償金の支払いが完了しました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1875年(明治8) | 民俗学者柳田國男の誕生日 | 詳細 |
| 1924年(大正13) | 村上駅~鼠ケ関駅間の延伸開業で羽越本線が全通し、敦賀駅~青森駅間の日本海縦貫線が完成する | 詳細 |
| 1948年(昭和23) | 「政令201号」により公務員の団体交渉権が厳しく制限され、争議権が否認される | 詳細 |
| 1951年(昭和26) | 戦後初の国内民間航空会社である日本航空(会長:藤山愛一郎)の創立総会が開催される | 詳細 |
| 1952年(昭和27) | 警察予備隊を保安隊に改組するための「保安庁法」が制定公布される | 詳細 |
| 1985年(昭和60) | 東京に於て、「日中原子力協定」が締結される | 詳細 |
| 1986年(昭和61) | 外交官・在リトアニア日本領事代理杉原千畝の命日 | 詳細 |
| 1987年(昭和62) | 北海道の釧路湿原が28番目の国立公園に指定される | 詳細 |
| 2006年(平成18) | 小説家吉村昭の命日 | 詳細 |
