
平和記念東京博覧会(へいわきねんとうきょうはくらんかい)は、大正時代の1922年(大正11年)3月10日~7月31日に、東京の上野公園等で行われた博覧会です。第一次世界大戦終結後の平和を記念し、日本産業の発展に資するため開催され、第1会場は上野公園(4万4925坪)、第2会場は不忍池畔(6万9650坪)とされました。
5ヶ月弱の期間中に訪れた人は、約1,100万人(入場料1人60銭)で、英国皇太子も会場を訪れるなど、大反響を呼んでいます。展示された内容には、日本の最新の技術や文化が取り入れられ、機械館、航空館、林業館など、日本の産業の発達ぶりをアピールするパビリオンをはじめ、樺太館、満蒙館、台湾館など、大陸や南方への進出を積極的に推し進めていた当時の日本を物語る建物も多く、人々に感動を与えました。
不忍池には水上飛行機までもが浮かび、池の両岸には「平和塔」と名づけられた塔(高さ42m余)が建てられています。「文化村」では、あめりか屋などによる中流階層向けの住宅14棟が展示され、ここから文化住宅という言葉が広まったとされてきました。
尚、作家宮本百合子は、「博覧会見物の印象」という文章を書いています。
5ヶ月弱の期間中に訪れた人は、約1,100万人(入場料1人60銭)で、英国皇太子も会場を訪れるなど、大反響を呼んでいます。展示された内容には、日本の最新の技術や文化が取り入れられ、機械館、航空館、林業館など、日本の産業の発達ぶりをアピールするパビリオンをはじめ、樺太館、満蒙館、台湾館など、大陸や南方への進出を積極的に推し進めていた当時の日本を物語る建物も多く、人々に感動を与えました。
不忍池には水上飛行機までもが浮かび、池の両岸には「平和塔」と名づけられた塔(高さ42m余)が建てられています。「文化村」では、あめりか屋などによる中流階層向けの住宅14棟が展示され、ここから文化住宅という言葉が広まったとされてきました。
尚、作家宮本百合子は、「博覧会見物の印象」という文章を書いています。
〇「博覧会見物の印象」宮本百合子著
まだ第二会場を一遍通り抜けただけなのでよく分りません。建物から云っては、決して感じよい建築とは思えません。モダーンなのはよいが、もう少し、外国雑誌の写真の、皮相的模倣以外に出られなかったものでしょうか。一目見てごたごたし、雑駁な印象を強く与えられたから、しんから愛らしい心持で欲しいなと思うようなものは見つかりませんでした。
☆上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)とは?
東京都台東区にある都立公園で、面積は53.2万㎡あり、通称は上野公園と言います。恩賜上野動物園、東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、東京文化会館、東京芸術大学など多くの文化施設があり、都内随一のサクラの名所としても知られてきました。
江戸時代は寛永寺の境内でしたが、1868年(慶応4)の彰義隊の戦いで寛永寺の建物が焼失し、その跡地が1873年(明治6)1月15日の公園開設の「明治6年太政官布達第16号」により、同年3月25日には、芝、飛鳥山、深川、浅草と共に最初の5公園の一つとして正式指定されて東京府公園となります。1875年(明治8)に不忍池(しのばずのいけ)周辺も編入され、翌年1月には、東京府から内務省博物局に移管、博物館所属の公園地となりました。
その後、造営が進められ完成に伴って、同年5月9日に明治天皇行幸で開園式が行われています。1877年(明治10)に第1回内国勧業博覧会がこの公園で開催され、以後第3回まで続きました。
1882年(明治15)に上野動物園、寛永寺本堂跡に現在の東京国立博物館、1887年(明治20)に美術学校・音楽学校(現在の東京芸術大学)などが開設、移築されています。1924年(大正13)には、昭和天皇御成婚記念として不忍池とともに東京市に下賜され、一般に開放されて上野恩賜公園と命名されました。
江戸時代は寛永寺の境内でしたが、1868年(慶応4)の彰義隊の戦いで寛永寺の建物が焼失し、その跡地が1873年(明治6)1月15日の公園開設の「明治6年太政官布達第16号」により、同年3月25日には、芝、飛鳥山、深川、浅草と共に最初の5公園の一つとして正式指定されて東京府公園となります。1875年(明治8)に不忍池(しのばずのいけ)周辺も編入され、翌年1月には、東京府から内務省博物局に移管、博物館所属の公園地となりました。
その後、造営が進められ完成に伴って、同年5月9日に明治天皇行幸で開園式が行われています。1877年(明治10)に第1回内国勧業博覧会がこの公園で開催され、以後第3回まで続きました。
1882年(明治15)に上野動物園、寛永寺本堂跡に現在の東京国立博物館、1887年(明治20)に美術学校・音楽学校(現在の東京芸術大学)などが開設、移築されています。1924年(大正13)には、昭和天皇御成婚記念として不忍池とともに東京市に下賜され、一般に開放されて上野恩賜公園と命名されました。
☆上野公園関係略年表
・1868年(明治元)7月4日 上野戦争により寛永寺伽藍の大部分を焼失する
・1873年(明治6)3月 太政官布達第16号により東京府公園に指定される
・1875年(明治8) 上野山内に加え不忍池も公園地として併合され、府下一の公園となる
・1876年(明治9)1月 東京府から内務省博物局に移管され、上野公園は博物館所属の公園地となる
・1877年(明治10) 国立科学博物館の前身である教育博物館竣工(のちの東京芸大の地)、寛永寺本坊跡地にて第1回内国勧業博覧会を開催する
・1879年(明治12)8月 島津忠義公が、訪日中のグラント将軍と明治天皇のため、天覧犬追物を開催。タイサンボクとローソンヒノキが植樹される
・1881年(明治14) 第2回内国勧業博覧会を開催、閉会後に博物館が使用する前提で煉瓦造の建物を建設する
・1882年(明治15)3月20日 国立博物館および付属動物園(元寒松院跡の清水谷に)が開館する
・1887年(明治20)12月 図面取調掛は東京美術学校と改称し、現在の地に移転する
・1890年(明治23) 公園地は帝室御料地となり宮内省の管轄に置かれる
・1898年(明治31) 西郷隆盛像除幕式が行われる
・1902年(明治35)3月 帝室博物館開館式が行われる
・1909年(明治42)2月 東京帝室博物館表慶館が開館する
・1914年(大正3) 園内で東京大正博覧会が開催される(3月20日~7月31日)
・1922年(大正11) 園内で平和記念東京博覧会が開催され、文化住宅の展示などが行われる
・1924年(大正13) 宮内省から東京市に下賜され(払い下げられ)、この経緯から「上野恩賜公園」という名称となる
・1926年(大正15)5月 東京府美術館が開館する
・1928年(昭和3) 御大礼記念国産振興博覧会が開催される(3月24日~5月27日)
・1930年(昭和5)3月 上野図書館新館が落成する
・1931年(昭和6)11月 東京科学博物館が開館する
・1946年(昭和21) 戦災者救済会により不忍池(蓮池)の水を落として水田とし、上野田圃と呼ばれる
・1948年(昭和23)3月 上野鐘声会が花咲き匂う上野の山の復興を願って1250本のサクラを植樹する
・1952年(昭和27) 上野動物園拡張整備、東京科学博物館が廃止となり、国立科学博物館が設置される
・1953年(昭和28) 竹の台周辺整備開始され、水上音楽堂が竣工する
・1959年(昭和34)6月 国立西洋美術館が開館する
・1961年(昭和36)4月 東京文化会館が開館する
・1962年(昭和37)5月 竹の台噴水テラス沈床芝生が完成する
・1965年(昭和40) 東照宮が国の重要文化財に指定される
・1968年(昭和43)4月 明治100年記念サクラ植樹が行われる
・1972年(昭和47) 上野の森美術館が開館、上野動物園にジャイアントパンダが到着する
・1973年(昭和48) 公園指定100周年を記念して、アントニウス・ボードウィンの銅像を建立する
・1975年(昭和50)9月 東京都美術館新館が開館する
・1979年(昭和54)11月 国立西洋美術館新館が開館する
・1980年(昭和55)10月 下町風俗資料館が開館する
・1987年(昭和62)3月 東京芸術大学旧奏楽堂が移築復元される
・1988年(昭和63)6月 水上音楽堂改築が竣工する
・1997年(平成9)12月 国立西洋美術館企画展示館が竣工する
・1998年(平成10)3月 東京芸術大学奏楽堂が竣工する
・1999年(平成11) 東京芸術大学美術館、東京国立博物館平成館が開館する
・2000年(平成12)10月 「パンダ橋」が竣工する
・2008年(平成20)9月 水上音楽堂改築竣工、野外ステージに改名される
・2012年(平成24) 「上野恩賜公園再生整備事業」における「竹の台・文化施設エリア」の再整備工事(噴水・オープンカフェ・園路の再整備と樹木伐採)が完了する
・2020年(令和2)3月 JR上野駅公園口周辺の再整備により、公園敷地と公園口改札の歩行者空間が一体化される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 710年(和銅3) | 元明天皇が藤原京から平城京に都を遷す(新暦4月13日) | 詳細 |
| 1276年(建治2) | 鎌倉幕府が蒙古再来(再度の元寇)に備えて築前の海岸に元寇防塁を築くよう指示する(新暦3月26日) | 詳細 |
| 1742年(寛保2) | 医者・俳人井上士朗の誕生日(新暦4月14日) | 詳細 |
| 1771年(明和8) | 八重山地震(推定M7.4)による大津波(明和の大津波)で、先島諸島に大被害が出る(新暦4月24日) | 詳細 |
| 1900年(明治33) | 「治安警察法」が公布される | 詳細 |
| 1923年(大正12) | 中国が「対華二十一箇条要求」の廃棄を日本に要求したものの、日本が拒絶する | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 東京大空襲か行われ、死傷10万人以上、焼失27万余戸、罹災100余万人が出る | 詳細 |
| 1975年(昭和50) | 山陽新幹線の岡山駅~博多駅間が延伸開業し、全線開業する | 詳細 |
