ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:三池炭鉱

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 今日は、昭和時代後期の1984年(昭和59)に、三井三池炭鉱有明鉱(福岡県大牟田市)で坑内火災が起き、死者83人、負傷者13人を出した日です。
 この日の1時35分に、坑口から2.5km入った斜坑付近で、火元と思われる旧式のベルトコンベヤーが整備不良から発火し、周辺に付着し堆積していた炭粉に着火後、火は一気に鉱道内に広がりました。坑道内で稼動中の炭坑夫らは、逃げ場を失い、一酸化炭素中毒による多くの被害をもたらし、死者83人、負傷者13人という大惨事となります。
 政府の事故調査委員会は、石炭運搬用ベルトコンベヤーに積もった炭じんがローラーなどの摩擦熱で引火したとして、保安対策の落ち度を指摘したものの、福岡地検は業務上過失致死傷などの疑いで書類送検された会社関係者を嫌疑不十分による不起訴処分としました。遺族による損害賠償請求訴訟も、企業責任は明確にされないまま、1989年(平成元)に和解しています。

〇三池炭鉱(みいけたんこう)とは?

 福岡県大牟田市に、平成時代の1997年(平成9)まであった炭鉱です。この地での石炭掘削の歴史は古く、室町時代には発見されていたと伝えられ、江戸時代には、三池藩の直轄で行われていました。
 明治維新後の1873年(明治6)には、工部省がこれらの炭鉱の官有を決定して、開発してきます。しかし、1889年(明治22)に民間に払い下げられて、三井財閥の所有する所となり、かの団琢磨が技師として、腕を振るい、かつての大炭坑地帯を形成しました。
 太平洋戦争後、石炭産業が斜陽化していく中で、1959年(昭和34)に三井三池争議が勃発して、大きな社会問題となります。1963年(昭和38)11月9日に、三川鉱で爆発事故が発生して 458人の犠牲者を出し、1984年(昭和59)1月18日には、三井三池炭鉱有明抗(福岡県三池郡高田町)坑内火災で、死者83人を出しました。
 その後、石炭需要の減少により、1997年(平成9)3月30日閉山するに至りました。閉山後、関連施設が国の重要文化財や史跡に指定されています。また、2007年(平成19)11月30日に経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定されました。さらに、宮原坑と万田坑は、2015年(平成27)に「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界遺産の文化遺産に登録されています。

☆日本の主な炭鉱事故

・1899年6月15日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者210人]
・1907年7月20日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者365人] 明治期最悪の事故
・1909年11月24日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者243人]
・1912年4月29日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者276人]
・1912年12月23日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者216人]
・1913年2月6日 二瀬炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者101人]
・1914年11月28日 新夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者423人]
・1914年12月15日 方城炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者687人] 日本の近代史上最悪の事故
・1916年 東見初炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者235人]
・1917年12月21日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者376人]
・1920年6月14日 北炭夕張炭鉱北上坑(北海道)爆発事故[死者・行方不明者209人]
・1927年3月27日 内郷炭鉱(福島県)坑内火災[死者・行方不明者136人]
・1935年5月6日 大倉鉱業茂尻炭鉱鉱慶三坑(北海道)爆発事故[死者95人]
・1938年10月6日 北炭夕張炭鉱天竜坑(北海道)爆発事故[死者・行方不明者161人]
・1939年1月21日 筑豊炭田貝島大之浦炭鉱東三坑(福岡県)爆発事故[死者92人]
・1941年3月18日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者177人]
・1943年2月3日 長生炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者183人]
・1944年5月16日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者109人]
・1958年9月25日 池本鉱業大昇炭鉱(福岡県山田市)ガス爆発[死者14人]
・1960年 豊州炭鉱(福岡県)落盤[死者・行方不明者67人]
・1960年2月1日 北炭夕張炭鉱(北海道夕張市)ガス爆発[死者42人]
・1961年 上清炭鉱(福岡県)坑内火災[死者71人]
・1961年 大辻炭鉱(福岡県)坑内火災[死者26人]
・1963年11月9日 三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)爆発事故[死者458人] 太平洋戦争後最悪の事故
・1965年 北海道炭砿汽船夕張鉱業所(北海道夕張市)爆発事故[死者・行方不明者61人]
・1965年6月1日 三井山野炭鉱(福岡県嘉穂郡稲築町)爆発事故[死者・行方不明者237人]
・1970年 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者5人・重軽傷者7人]
・1972年11月2日 石狩炭鉱石狩鉱業所(北海道空知郡奈井江町)ガス爆発事故[死者31人]
・1977年5月12日 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者25人・重傷者8人]
・1981年10月16日 北炭夕張新炭鉱(北海道夕張市)ガス突出・爆発事故[死者は93人]
・1984年1月18日 三井三池炭鉱有明鉱(福岡県三池郡高田町)坑内火災[死者83人]
・1985年5月17日 三菱南大夕張炭鉱(北海道夕張市)爆発事故[死者62人] 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1045年(寛徳2)第69代の天皇とされる後朱雀天皇の命日(新暦2月7日)詳細
1657年(明暦3)江戸で明暦の大火(振袖火事)が起こり、死者10万人以上を出す(新暦3月2日)詳細
1911年(明治44)大逆事件で起訴された幸徳秋水ら24人に死刑判決が出される詳細
1944年(昭和19)「緊急学徒勤労動員方策要綱」が閣議決定され、学徒勤労動員が強化される詳細
1957年(昭和32)植物学者牧野富太郎の命日詳細
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 今日は、昭和時代中期の1959年(昭和34)に、三井鉱山が「第二次企業整備案」を提示し、三井三池争議が始まった日です。
 三井三池争議(みついみいけそうぎ)は、三井鉱山三池鉱業所(福岡県大牟田市)で起こった労働争議のことで、1953年(昭和28)にも大規模なものが有りましたが、一般的には、1959年(昭和34)から翌年にかけてのものを指します。石炭から石油へのエネルギー転換政策を背景に、1955年(昭和30)に「石炭鉱業合理化臨時措置法」が公布され、非能率炭鉱が廃坑化されることになりました。
 1959年(昭和34)、石炭大手18社は炭価引下げのため11万人もの大規模整理を含む合理化の実施に踏み切ります。その中で、1959年(昭和34)1月19日、三井鉱山は6,000人の希望退職を含む会社再建案を提示し、同年8月29日には4,580人の人員削減案を発表しました。
 続いて12月2日・3日には1,492人に退職を勧告し、これに応じない1,278人に対し12月11日に指名解雇を通告します。しかし、そこには労働組合つぶしをねらった、約300人の職場活動家の解雇問題がありました。
 労働組合側はこれに強く反発し、日本労働組合総評議会(総評)、日本炭鉱労働組合 (炭労) の支援で白紙撤回を要求して対立し、会社側は翌年1月25日に、同鉱業所のロックアウトを強行し、組合側は無期限ストライキに突入します。財界が三井鉱山を全面的に支援、一方、日本労働組合総評議会(総評)は三池労組を全面的に支援し、全国から応援されたので、この争議は“総資本対総労働の対決”などと呼ばれ、折からの安保反対闘争と結びついて大規模な闘いとなりました。
 しかし、1960年(昭和35)3月に三池労組内に第2組合が結成されるなど労働組合側の足並みが乱れ、中央労働委員会の斡旋も不調に終わります。最後は、三川坑のホッパー(貯炭槽)を巡っての対立となり死傷者も出ましたが、同年11月1日に、会社は指名解雇を撤回し、該当者は自発的に退職するなどの会社側に有利な条件で、282日に及ぶストライキは中止され、終結に向かいました。

〇三井三池争議関係略年表

・1955年(昭和30) 「石炭鉱業合理化臨時措置法」が公布され、非能率炭鉱が廃坑化されることになる
・1959年(昭和34) 石炭大手18社は炭価引下げのため11万人もの大規模整理を含む合理化の実施に踏み切る
・1959年(昭和34)1月19日 三井鉱山は6,000人の希望退職を含む会社再建案を提示する
・1959年(昭和34)8月29日 4,580人の人員削減案を発表する
・1959年(昭和34)12月2日・3日 1,492人に退職を勧告する
・1959年(昭和34)12月11日 退職勧告に応じない1,278人に対し指名解雇を通告する
・1960年(昭和35)1月25日 会社側は三井鉱山鉱業所のロックアウトを強行し、組合側は無期限ストライキに突入する
・1960年(昭和35)3月17日 三池労組内に第2組合(三池炭鉱新労働組合:三池新労)が結成される
・1960年(昭和35)3月18日 三井鉱山社員労組連合会(三社連)は炭労を脱退し、正式にストから離脱する
・1960年(昭和35)3月29日 ピケを張っていた三池労組の組合員・久保清が暴力団員に刺殺される
・1960年(昭和35)4月6日 中労委から出された斡旋案(藤林斡旋案)に対し、三鉱連内部でその取扱が分かれる
・1960年(昭和35)4月9日 炭労臨時大会では、強行に闘争完遂を訴える三池労組に対し、他の5労組(美唄、芦別、田川、砂川、山野)は、早期妥結を求めたため、対立する
・1960年(昭和35)4月18日 三池労組は三鉱連を脱退する
・1960年(昭和35)7月7日 石炭を出荷まで貯めておく貯炭場であるホッパーへの組合員立ち入り禁止の仮処分を福岡地裁が下す
・1960年(昭和35)8月10日 中央労働委員会は、会社は指名解雇を取り消す代わりに、整理期間の終了を待って、指名解雇された労働者は自然に退職したものとみなすという斡旋案を発表する
・1960年(昭和35)11月1日 会社は指名解雇を撤回し、該当者は自発的に退職するなどの会社側に有利な条件でストライキが中止される

☆三池炭鉱(みいけたんこう)とは?

 福岡県大牟田市に、平成時代の1997年(平成9)まであった炭鉱です。この地での石炭掘削の歴史は古く、室町時代には発見されていたと伝えられ、江戸時代には、三池藩の直轄で行われていました。
 明治維新後の1873年(明治6)には、工部省がこれらの炭鉱の官有を決定して、開発していきます。しかし、1889年(明治22)に民間に払い下げられて、三井財閥の所有する所となり、かの団琢磨が技師として、腕を振るい、かつての大炭坑地帯を形成しました。
 太平洋戦争後、石炭産業が斜陽化していく中で、1959年(昭和34)に「三井三池争議」が勃発して、大きな社会問題となります。1963年(昭和38)には、三川鉱で爆発事故が発生して 458人の犠牲者を出しました。その後、石炭需要の減少により、1997年(平成9)3月30日閉山するに至ります。
 閉山後、関連施設が国の重要文化財や史跡に指定されました。また、2007年(平成19)11月30日に経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定されています。さらに、宮原坑と万田坑は、2015年(平成27)に「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界遺産の文化遺産に登録されました。 

☆三井三池炭鉱三川鉱の爆発事故とは?

 昭和時代中期の1963年(昭和38)に、三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)で粉塵爆発が起き、死者458人、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839人を出した事故の事です。この日の午後3時12分に、第1斜坑で石炭を満載した炭車の連結器が破断して炭車が暴走し、坑内に積もっていた炭塵が舞い上がって、それに引火爆発しました。
 当時坑内には、約1,400人の労働者が従事していて、458人が死亡(爆死20人、一酸化炭素中毒死438人)し、救出された940人の内、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839人を出しましたが、犠牲者数は戦後日本の炭坑爆発事故中最大のものです。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1835年(天保6)南画家田能村竹田の命日(新暦10月20日)詳細
1863年(文久3)江戸幕府が洋書調所を開成所と改称する(新暦10月11日)詳細
1900年(明治33)洋画家牛島憲之の誕生日詳細
1910年(明治43)「韓国併合ニ関スル条約」が発効する詳細
1918年(大正7)奈良県生駒山に日本初のケーブルカー(生駒鋼索鉄道)が開業する詳細
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 今日は、明治時代の中頃の1888年(明治21)に、官営事業の一つだった三池炭鉱(福岡県)が競争入札の結果、三井財閥に払い下げが決まった日です。
 三池炭鉱(みいけたんこう)は、福岡県大牟田市に、平成時代の1997年(平成9)まであった炭鉱です。この地での石炭掘削の歴史は古く、室町時代には発見されていたと伝えられ、江戸時代には、三池藩の直轄で行われています。明治維新後の1873年(明治6)には、工部省がこれらの炭鉱の官有を決定して、開発してきました。
 しかし、1888年(明治21)に、競争入札の結果、三井財閥に払い下げが決まり、翌年から、三井財閥の所有する所となります。そして、かの団琢磨が技師として、腕を振るい、かつての大炭坑地帯を形成していきました。
 太平洋戦争後、石炭産業が斜陽化していく中で、1959年(昭和34)に三井三池争議が勃発して、大きな社会問題となります。1963年(昭和38)には、三川鉱で爆発事故が発生して 458人の犠牲者を出しました。その後、石炭需要の減少により、1997年(平成9)3月30日閉山するに至ります。
 閉山後、関連施設が国の重要文化財や史跡に指定されました。また、2007年(平成19)11月30日に経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定されています。さらに、宮原坑と万田坑は、2015年(平成27)に「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界遺産の文化遺産に登録されました。 

〇官営工場(官営事業)とは?

 明治時代前期の資本主義成立の過程で、殖産興業を推進する明治政府が設立した、民間の模範となる産業の工場や鉱山のことです。旧幕府や諸藩所管の洋式の工場・鉱山などを官収して、それを基礎に官営工業を発足させ、率先して欧米の新産業を移植し新技術を導入しました。
 それは、軍事工業(兵器廠)、製鉄、造船、鉱山(官営鉱山)、鉄道、製糸・紡績等に及び資本主義の発達に大きな役割を果たします。しかし、多くのところで経営がうまくいかず、欠損を累積させました。
 このため、政府は1880年(明治13)「工場払下概則」を布達するとともに、翌年、農商務省の設置を図り、官営事業の整理、縮小の方針をとります。その結果、一部は農商務省に移管されたものの、1880年代中頃以降、順次民間に払い下げられました。

☆三池炭鉱関係略年表(官営事業となって以後)

・1873年(明治6) 「日本坑法」が公布され、明治政府の官営事業となって鉱山寮三池支庁かが設置される
・1875年(明治8) 工部省鉱山寮の支配下に置き三池鉱山として採炭を開始する
・1876年(明治9) イギリス人技師フレデリック・アントニー・ポッターの指導で大浦竪坑を開削、三井物産会社が設立され官営三池炭鉱の輸送・販売を一手に取り扱かう
・1877年(明治10) 大浦坑~大牟田港間に馬車鉄道が敷設される
・1878年(明治11)11月21日 大浦坑で斜坑運搬に、従来は人力であったのを汽力曳揚機を使用する
・1883年(明治16) 七浦坑が操業開始、三池集治監が開庁され、囚人労働が本格化する
・1888年(明治21) 宮浦坑が操業開始、払い下げにおける競争入札で三菱と激しく争った結果、三井組(三井財閥)が落札する
・1889年(明治22) 三井組の経営となり、最高責任者(事務長)に団琢磨が任命され、三井組、三井物産、三井銀行の3社で三池炭礦社が設立される
・1891年(明治24) 三池横須浜 - 七浦坑に蒸気機関車による運炭鉄道が開通(三池炭鉱専用鉄道)する
・1892年(明治25) 三井鉱山が創立され、団琢磨のもとで炭鉱経営の近代化、合理化が進められる
・1894年(明治27) 七浦発電所開設、三池勝立坑の第一立坑が完成する(約118m。デーヴィーポンプの効果大)
・1898年(明治31) 宮原坑が操業開始、従来は導火線であったのを電気雷管を使用する
・1902年(明治35) 万田坑が操業開始する
・1908年(明治41) 石炭積み出しのため、三池港が開港される
・1912年(明治45) 我が国初のコッパース炉操業、ガス、タール工場が運転開始する
・1913年(大正2) 三池ガス発電所が運転開始する
・1923年(大正12) 四山坑が操業開始、三池炭鉱専用鉄道の電化が完成する
・1924年(大正13) 宮浦大斜坑で出炭開始、宮原坑の馬匹運搬が全廃される(1930年末までに全鉱で廃止)
・1925年(大正14) 宮ノ浦坑で採炭に火薬を使用、穿孔に手動ホーガーを使用するようになる
・1930年(昭和5) 坑内請負制度・女子の入坑を廃止、囚人の採炭作業を廃止する
・1931年(昭和6) 宮原坑、七浦坑が閉坑、三池集治監が閉庁となる
・1940年(昭和15) 三川坑が竣工する
・1944年(昭和19) 戦前における出炭量最高を記録(403万トン)する
・1949年(昭和24) 人工島初島排気竪坑が建設される
・1958年(昭和33) 日鉄鉱業が高田町で有明炭鉱の開発を開始するも、湧水などにより開発を中断する
・1959年(昭和34) 三井三池製作所が三井鉱山から独立する
・1960年(昭和35) 石炭産業の斜陽化により、大量解雇の方針が出され、激しい労働争議(三池争議)が行われる
・1963年(昭和38)11月9日 三川鉱炭じん爆発事故で458人死亡、一酸化炭素中毒患者839人を出す
・1965年(昭和40) 第2人工島に四山鉱坑口を移転する
・1967年(昭和42)7月 一酸化炭素中毒患者家族会の主婦66人が三川鉱坑底で座り込みを行う  
・1970年(昭和45) 第3人工島三池島が完成、出炭量過去最高を記録(657万トン)する
・1972年(昭和47) 三井鉱山が日鉄鉱業から有明炭鉱を取得する
・1973年(昭和48) 三井鉱山は、石炭採掘部門を分離独立する形で、全額出資の三井石炭鉱業を設立する
・1976年(昭和51) 開発再開により着炭(石炭層に到達)していた有明炭鉱から営業出炭を開始する
・1977年(昭和52) 有明炭鉱と三池炭鉱を結ぶ連絡坑道が開通し、両炭鉱を合併。有明炭鉱は三池炭鉱有明鉱となる
・1978年(昭和53)4月30日 四ツ山鉱で炭車が暴走して人車に激突し、1人が死亡、103人が重軽傷を負う
・1984年(昭和59)1月18日 有明鉱坑内火災事故により83人死亡、一酸化炭素中毒患者16人を出す
・1997年(平成9)3月30日 三池炭鉱が閉山する
・1998年(平成10) 宮原坑跡・万田坑跡が国指定重要文化財となる  
・2000年(平成12) 宮原坑跡・万田坑跡が国指定史跡となる  
・2007年(平成19)11月30日 経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定される
・2015年(平成27)7月 宮原坑・万田坑・専用鉄道敷跡が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1598年(慶長3)武将・大名・天下人豊臣秀吉の命日(新暦9月18日)詳細
1863年(文久3)公武合体派が尊皇攘夷過激派を追放した八月十八日の政変が勃発(新暦9月30日)詳細
1876年(明治9)日本画家松林桂月の誕生日詳細
1925年(大正14)小説家細井和喜蔵の命日詳細
1968年(昭和43)飛騨川バス転落事故が起き、死者104人を出す詳細
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