ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:ラジオ放送

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 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、日本放送協会(NHK)の歌謡番組「第1回NHK紅白歌合戦」がラジオで放送された日です。
 NHK紅白歌合戦(えぬえいちけいこうはくうたがっせん)は、1951年(昭和26)から毎年、日本放送協会(NHK)が放送してきた男女対抗形式の大型音楽特別番組でした。当初は、ラジオの正月特別番組として放送されたのですが、1953年(昭和28)1月2日の第3回NHK紅白歌合戦でテレビでの実験放送が実施され、同年2月1日のテレビの本放送開始に伴って、同年の第4回から大晦日(12月31日)に変更されています。
 その年に活躍した男女の人気歌手が白組(男性)と紅組(女性)に分かれて勝ち負けを競ってきました。会場は第1~3回まで東京放送会館第1スタジオでしたが、その後日本劇場、東京宝塚劇場等を経て、1973年(昭和48)の第24回からは東京・渋谷の NHKホールから生中継されています。
 たいへんな人気番組となって、テレビ視聴率は、1963年 (昭和38) の第14回に、ビデオリサーチ社による視聴率調査が始まって以来の最高視聴率81.4%を記録しました。その後も高く、関東地区のビデオリサーチ社調査では、過去の視聴率ベスト10を独占していているものの、2006年(平成18)には 30%台にまで低下しています。

〇視聴率(しちょうりつ)とは?

 あるテレビの番組が、一定地域内のどれくらいの人または世帯で見られたかを示す割合のことで、世帯視聴率と個人視聴率がありますが、一般には前者を指してきました。尚、ラジオの場合は聴取率と言っています。
 調査方法としては、電話によるインタビュー、個人面接、日記による記録、特定の機械による方法などがありました。日本において歴史的には、1954年(昭和29)に「NHK放送文化研究所」が年に2回、訪問面接法による調査を開始したのが最初とされています。
 翌年には電通が年に4回、日記式のアンケートによる調査を始め(1963年1月まで)、1958年(昭和33)には社団法人中央調査社が日記式のアンケートによる調査を年に4回開始し、翌年には毎月に拡大しました。
 そして、1961年(昭和36)に外資系のニールセン社、翌年にはビデオ・リサーチ社が調査対象世帯に測定機を置く機械式調査を開始し、視聴率調査の主流となっていきます。
 ところが、2000年(平成12)にニールセン社が撤退し、現在では、ビデオリサーチ社が関西、名古屋、札幌、その他大都市地域でそれぞれ実施している機械式調査が中心となりました。その中で、NHKの放送世論調査所では年5回、日記式の全国個人視聴率調査をしてきています。
 2015年(平成27)から、関東地区においては、ビデオリサーチ社によるタイムシフト視聴率(録画して視聴するものも含めた視聴率)が提供されるようになりました。
 ちなみに、視聴率1%はほぼ100万人が視聴していることに相当するといわれ、商業放送では、広告料金の決定や広告効果測定に重要な要素となっています。しかし、行き過ぎた視聴率競争の結果、番組の質が低下しているとの批判も出されるようになりました。

☆過去のNHK紅白歌合戦視聴率ベスト10(関東地区・ビデオリサーチ社調査)

・第1位 81.4% 第14回NHK紅白歌合戦 1963年12月31日 
・第2位 80.6% 第23回NHK紅白歌合戦 1972年12月31日 
・第3位 80.4% 第13回NHK紅白歌合戦 1962年12月31日 
・第4位 78.1% 第35回NHK紅白歌合戦 1984年12月31日
・第4位 78.1% 第22回NHK紅白歌合戦 1971年12月31日 
・第4位 78.1% 第16回NHK紅白歌合戦 1965年12月31日 
・第7位 77.0% 第30回NHK紅白歌合戦 1979年12月31日 
・第7位 77.0% 第21回NHK紅白歌合戦 1970年12月31日 
・第7位 77.0% 第28回NHK紅白歌合戦 1977年12月31日
・第10位 76.9% 第19回NHK紅白歌合戦 1968年12月31日

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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985年(永観3)天台宗の僧・比叡山中興の祖良源の命日(新暦1月26日)詳細
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1870年(明治3)「神霊ヲ鎮祭スルノ詔」(鎮祭の詔)・「宣教使ヲ置クノ詔」(大教宣布の詔)が出される(新暦2月3日)詳細
1976年(昭和51)多国間条約である「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」が発効する詳細
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 今日は、昭和時代前期の1936年(昭和11)に、日本放送協会(NHK)のラジオ放送で「国民歌謡」が開始された日です。
 国民歌謡(こくみんかよう)は、昭和時代前期の1936~1941年の間、日本放送協会(NHK)のラジオ放送で、月曜~土曜の午後0時35分から5分間、新しく作った曲を1週間連続して流した番組でした。前身は、新歌謡曲で、第1回は、1936年(昭和11)4月29日に、「夜明けの唄」、「防人のうた」、「早春の物語」、「乙女の唄」、「心のふるさと」、「野薔薇の歌」、「希望の船」、「旅から旅へ」の8曲が流され、第2回は、同年5月17日に、「祖国の愛」、「ヨットの唄」、「若き妻」、「娘田草船」、「若葉のハイキングに」、「日本よい国」の6曲が流されます。
 それが、好評だったので、同年6月1日より、国民歌謡という名で、定期放送化され、全国に大反響を起こしました。当初は、誰もが愛唱できる明るく健全な歌をと放送局が依頼し制作されたものたったものの、1937年(昭和12)の国民精神総動員、日中戦争の勃発などに伴い、次第に戦時色の強い「戦時歌謡」が増加し、1939年(昭和14)頃になると「愛国行進曲」など、軍や各官庁からの依頼よる曲が増え、国策的な色合いを強めていきます。
 この中から、「朝」(作詞:島崎藤村、作曲:小田進吾)、「椰子の実」(作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二)、「夜明けの歌」(作詞:貴志邦三、作曲:内田元)、「春の唄」(作詞:貴志邦三、作曲:内田元)などの名曲を生みました。その後、1941年2月12日~12月8日の期間は「われらのうた」と名前が変わり、さらに、1945年(昭和20)8月15日の敗戦までは、「国民合唱」となり、戦後は、「ラジオ歌謡」に受け継がれています。

〇国民歌謡一覧

・「日本よい国」歌手:奥田良三、作詞:今中楓渓、作曲:服部良一
・「朝」歌手:永田絃次郎、作詞:島崎藤村、作曲:小田進吾
・「椰子の実」歌手:東海林太郎、作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二
・「光は東方より」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:土井晩翠、作曲:陸軍戸山学校軍楽隊
・「愛国機」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:佐藤惣之助、作曲:陸軍戸山学校軍楽隊
・「走れ大地を」歌手:川崎豊、作詞:斎藤竜、作曲:山田耕筰
・「あげよ日の丸」歌手:川崎豊、作詞:山本槐二、作曲:山田耕筰
・「起てよ若人」歌手:川崎豊、作詞:末廣厳太郎、作曲:中山晋平
・「朝顔の唄」歌手:四家文子、作詞:佐藤惣之助、作曲:古関裕而
・「我が家の唄」歌手:井上ケイ子、作詞:西條八十、作曲:山田耕筰
・「海の若人」歌手:大阪放送合唱団、作詞:佐藤惣之助、作曲:橘静雄
・「嫁ぐ日近く」歌手:月村光子、作詞:貴志邦三、作曲:宮原康郎
・「祖国の柱」歌手:内田栄一、作詞:大木惇夫、作曲:服部良一
・「日本よい国」歌手:松島詩子・林伊佐緒、作詞:中央教化団体連合選、作曲:中央教化団体連合選
・「おお大和撫子」歌手:阿部幸次、作詞:西條八十、作曲:佐々木すぐる
・「邦人一如の歌」歌手:伊藤武雄、作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰
・「落葉松」歌手:瀧田菊江、作詞:北原白秋、作曲:長村金二
・「朝霧夜霧」歌手:大阪放送合唱団、作詞:相馬御風、作曲:藤井清水
・「希望の乙女」歌手:関種子、作詞:大木惇夫、作曲:須藤五郎
・「心の子守唄」歌手:関種子、作詞:稲野静哉、作曲:宮原禎次
・「願い」歌手:大和田愛羅、作詞:山沢睦子、作曲:大和田愛羅
・「野ゆき山ゆき」歌手:大和田愛羅、作詞:九条武子、作曲:瀬戸口藤吉
・「日の出島」歌手:内田栄一、作詞:佐藤惣之助、作曲:内田元
・「国旗掲揚の歌」歌手:木下保、作詞:乗杉嘉寿、作曲:下総皖一
・「白すみれ」歌手:平井美奈子、作詞:薄田泣童、作曲:小田進吾
・「スキーの唄」歌手:楠木繁夫、作詞:白鳥省吾、作曲:大村能章
・「ふるさとの」歌手:三浦静子、作詞:三木露風、作曲:斎藤佳三
・「むかしの仲間」歌手:奥田良三、作詞:木下杢太郎、作曲:山田耕筰
・「春の唄」歌手:月村光子、作詞:貴志邦三、作曲:内田元
・「牡蠣の殻」歌手:立松房子、作詞:浦原有明、作曲:大中寅二
・「総選挙の歌」歌手:オリオンコール、作詞:土井晩翠、作曲:橋本国彦
・「靖国神社の歌」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:渋谷俊、作曲:小松耕輔
・「靖国神社の歌」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:田巻秋虹、作曲:陸軍戸山学校軍楽隊
・「靖国神社招魂祭の歌」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:岩本平太郎、作曲:海軍軍楽隊
・「招魂祭に」歌手:小森智慧子、作詞:渋谷俊、作曲:小松耕輔
・「新鉄道唱歌」歌手:加藤梅子・中野忠晴、作詞:土岐善麿、作曲:堀内敬三
・「村の少女」歌手:関種子、作詞:貴志邦三、作曲:富永三郎
・「炉辺の歌」歌手:内田栄一、作詞:前田鉄之助、作曲:福井文彦
・「母の歌」歌手:関種子、作詞:板谷節子、作曲:橋本国彦
・「奥の細道」歌手:内田栄一、作詞:斎藤四郎、作曲:内田元
・「新鉄道唱歌(東海道)」歌手:ヴォーカル・フォア合唱団、作詞:西條八十、作曲:堀内敬三
・「航空愛国の歌」歌手:ヴォーカル・フォア合唱団、作詞:沢登静夫、作曲:山田耕筰
・「Aの字の歌」歌手:平井英子、作詞:与謝野晶子、作曲:飯田信夫
・「筏流し」歌手:徳山璉、作詞:門叶三千男、作曲:宮原康郎
・「母恋し」歌手:佐藤千夜子、作詞:西條八十、作曲:中山晋平
・「新鉄道唱歌(伊勢路)」歌手:オリオンコール、作詞:佐々木信綱、作曲:堀内敬三
・「乙女の春」歌手:三浦静子、作詞:今中楓渓、作曲:森正男
・「旅人」歌手:木下保、作詞:三好達治、作曲:下総皖一
・「新鉄道唱歌(尾張美濃近江路)」歌手:木下保、作詞:佐々木信綱、作曲:堀内敬三
・「護れわが空」歌手:藤堂顕一郎、作詞:佐藤惣之助、作曲:内田元
・「山は呼ぶ野は呼ぶ海は呼ぶ」歌手:外山国彦、作詞:北原白秋、作曲:小田進吾
・「征けよますらお」歌手:阿部幸次、作詞:土岐善麿、作曲:堀内敬三
・「航空決死兵」歌手:関種子、作詞:稲野静哉、作曲:内田元
・「新鉄道唱歌(近畿)」歌手:ユーフォニックコーラス、作詞:与謝野晶子、作曲:堀内敬三
・「爆発点盧溝橋」歌手:サンマルテ合唱団、作詞:大木惇夫、作曲:飯田信夫
・「千人針」歌手:サンマルテ合唱団、作詞:サトウ・ハチロー、作曲:乗松昭博
・「愛の千人針」歌手:井崎嘉代子、作詞:塚本篤夫、作曲:弘田龍太郎
・「北平入城」歌手:永田絃次郎、作詞:福士幸次郎、作曲:伊藤昇
・「行けよつわもの」歌手:永田絃次郎、作詞:作間喬宣、作曲:AK文芸部
・「防護団団歌」歌手:オリオンコール、作詞:北原白秋、作曲:陸軍戸山学校軍楽隊
・「空軍の花」歌手:オリオンコール、作詞:相馬御風、作曲:高木東六
・「少年航空兵」歌手:月村光子、作詞:南江二郎、作曲:内田元
・「沈黙の凱旋に寄す」歌手:月村光子、作詞:新居あずま、作曲:服部良一
・「無敵立体戦(呉淞陥落)」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:西條八十、作曲:飯田信夫
・「守れ空を」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:佐々木信綱、作曲:弘田龍太郎
・「送別歌」歌手:牧瀬数江・荒川愛子作詞:佐藤春夫、作曲:宮城道雄
・「利鎌の光」歌手:四家文子、作詞:相馬御風、作曲:中山晋平
・「愛国の花」歌手:渡辺はま子、作詞:福田正夫、作曲:古関裕而
・「戦勝の歌」歌手:東海林太郎、作詞:大江素天、作曲:大村能章
・「みのり」歌手:船橋富美子、作詞:川島実太郎、作曲:成田為三
・「のぞみ」歌手:船橋富美子、作詞:山田千之、作曲:藤井清水
・「まどい」歌手:船橋富美子、作詞:西村秀樹、作曲:草川信
・「かもめ」歌手:奥田良三、作詞:室生犀星、作曲:草川信
・「降魔の利剣」歌手:奥田良三、作詞:土井晩翠、作曲:深海善次
・「時雨」歌手:中村淑子、作詞:与謝野寛、作曲:本居長子
・「勝って兜の」歌手:ヴォーカル・フォア合唱団、作詞:土岐善麿、作曲:乗松昭博
・「海ゆかば」歌手:松山芳野里、作詞:大伴氏信立、作曲:信時潔
・「その火絶やすな」歌手:阿部幸次、作詞:北原白秋、作曲:中山晋平
・「国民精神の歌」歌手:オリオンコール、作詞:文部省、作曲:近衛秀麿
・「南京にあがる凱歌」歌手:内田栄一、作詞:BK文芸部、作曲:山田耕筰
・「愛国行進曲」歌手:東京リーダー・ターフェル・フェライン、作詞:森川幸吉、作曲:瀬戸口藤吉
・「金槐集より(山はさけ)」歌手:東京シンフォニック・コーラス、作詞:源実朝、作曲:佐々木すぐる
・「子等を思う歌」歌手:東京シンフォニック・コーラス、作詞:山上憶良、作曲:萩原栄一
・「戦勝の春」歌手:東京シンフォニック・コーラス、作詞:河井酔茗、作曲:小田進吾
・「黎明東亜曲」歌手:四家文子、作詞:佐藤春夫、作曲:橋本国彦
・「月の夜更けに」歌手:鈴木富美子、作詞:野田代志夫、作曲:斎藤佳三
・「軍国子守唄」歌手:四家文子、作詞:伊藤松雄、作曲:深海善次
・「平和なる村」歌手:奥田良三、作詞:葛原しげる、作曲:梁田貞
・「春を待つ」歌手:西川温子、作詞:葛原しげる、作曲:梁田貞
・「ことしの桜」歌手:西川温子、作詞:白鳥省吾、作曲:藤井清水
・「日本刀の歌」歌手:浅野常七、作詞:西條八十、作曲:小田進吾
・「皇御国」歌手:ヴォーカル・フォア合唱団、作詞:文部省選、作曲:文部省選
・「新鉄道唱歌(上野-仙台)」歌手:ヴォーカル・フォア合唱団、作詞:土井晩翠、作曲:杉山長谷雄
・「子守唄」歌手:谷口露子、作詞:三好達治、作曲:岡野貞一
・「若葉の歌」歌手:ホワイト合唱団、作詞:室生犀星、作曲:梁田貞
・「徐州陥落」歌手:オリオンコール、作詞:AK文芸部、作曲:Ak文芸部
・「新鉄道唱歌(高崎-直江津)」歌手:鉄道省混声合唱団、作詞:相馬御風、作曲:杉山長谷雄
・「昼」歌手:永田絃次郎、作詞:島崎藤村、作曲:小田進吾
・「航空唱歌(東京-大阪)」歌手:リーゼル・グルッペ、作詞:西條八十、作曲:山田耕筰
・「グライダー日本」歌手:リーゼル・グルッペ、作詞:佐藤惣之助、作曲:服部逸郎
・「黎明勤労の歌」歌手:豊島珠江、作詞:稲野静哉、作曲:長谷川良夫
・「遂げよ聖戦」歌手:大阪放送合唱団、作詞:柴野為亥知 長津義司
・「万歳ヒットラーユーゲント」歌手:大日本連合青年団、作詞:北原白秋、作曲:高階哲夫
・「航空唱歌(東京-新京) 」歌手:東京瓦斯電気工業合唱団、作詞:西條八十、作曲:山田耕筰
・「国こぞる」歌手:大日本連合女子青年団、作詞:金子基子、作曲:信時潔
・「大日本の歌」歌手:三越バサニア合唱団、作詞:芳賀秀次郎、作曲:東京音楽学校
・「傷痍の勇士」歌手:大阪放送合唱団、作詞:土岐善麿、作曲:堀内敬三
・「新鉄道唱歌(直江津-金沢)」歌手:鉄道省混声合唱団、作詞:相馬御風、作曲:杉山長谷雄
・「国に誓う」歌手:ヴォーカル・フォア合唱団、作詞:野口米次郎、作曲:信時潔
・「白百合」歌手:高島屋女子合唱団、作詞:西條八十、作曲:大中寅二
・「職場の歌(女子用)」歌手:大阪放送合唱団、作詞:白鳥省吾、作曲:明本京静
・「大建設の歌」歌手:ユーフォニックコーラス、作詞:柴野為亥知、作曲:大沼哲
・「愛馬進軍歌」歌手:帝都男声合唱団、作詞:久保井信夫、作曲:新城正一
・「ヒュッテの夜」歌手:青山学院グリークラブ、作詞:深田久弥、作曲:高木東六
・「振え日本国民」歌手:東京市教員合唱団、作詞:河井粋茗、作曲:田村虎蔵

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

980年(天元3)第66代の天皇とされる一条天皇の誕生日(新暦7月15日)詳細
1837年(天保8)生田万の乱が失敗し、国学者生田万が自刃する(新暦7月3日)詳細
1875年(明治8)日本初の気象台「東京気象台」が設置され、気象と地震の観測が開始される(気象記念日)詳細
1903年(明治36)日本最初の洋風近代式公園として、東京の日比谷公園が開園する詳細
1949年(昭和24)「日本国有鉄道法」が施行され、日本国有鉄道(国鉄)が運輸省から独立して公社化して発足する詳細
1957年(昭和32)「自然公園法」が制定される詳細
1965年(昭和40)三井山野炭鉱(福岡県)でガス爆発事故があり、死者237人、負傷者38人を出す詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1943年(昭和18)に、太平洋戦争開戦2周年にあたって、東條首相が戦争の成果と意義について講演(東条英機の大東亜戦争二週年記念講演)し、ラジオ放送された日です。
 東条英機の大東亜戦争二週年記念講演(とうじょうひできのだいとうあせんそうにしゅうねんきねんこうえん)は、真珠湾攻撃による太平洋戦争開戦から2年経ったこの日に、内閣総理大臣・東条英機が全国民にこの戦争の成果と意義について行った演説で、全国にラジオ放送されました。1943年(昭和18)11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蔣介石中華民国国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」に反撃したものです。
 太平洋戦争の成果を述べ、大東亜の結束強化の意義を強調した上で、国民に対し、決意を新たにし、いよいよ必勝の信念を堅持して、戦争を勝ち抜くように訴えたものでした。
 以下に、「東条英機の大東亜戦争二週年記念講演」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「カイロ宣言」(かいろせんげん)とは?

 第二次世界大戦中の1943年(昭和18)11月22日~26日まで、エジプトのカイロで開催されたカイロ会談最終日に、アメリカの F.ルーズベルト、イギリスの W.チャーチル、中華民国の蒋介石の3首脳が署名(同年12月1日に発表)した宣言です。その主要な内容は、① 「日本国に対する将来の軍事行動を協定した」こと、② 「野蛮な敵国には仮借のない圧力を加える決意を表明した」こと、③ 日本の侵略は防止するが自国は侵略目的をもたないこと、④ 第一次世界大戦後日本が奪取または占領した太平洋における一切の島嶼の剥奪、ならびに満州、台湾、澎湖列島などの中華民国への返還、日本が暴力と貪欲によって略取したすべての地域からの日本の駆逐、⑤ 朝鮮を解放して独立させる決意を持つこと、⑥ 以上の目的において、米・英・中の3国は日本の無条件降伏まで、日本と交戦中の他の諸国と協力して長期間の行動を続行することを明らかにしました。その後、対日政策の基本となり、テヘラン会談(1943年11月28日~12月1日)、ヤルタ会談(1945年2月4日~2月11日)を経て、「ポツダム宣言」に引き継がれ、1945年(昭和20)8月に、日本によって受諾されて、終戦へと至ります。

☆「東条英機の大東亜戦争二週年記念講演」 1943年(昭和18)12月8日のNHKラジオ放送

 昭和16年12月8日。畏くも宣戦の大詔を拝し奉り、我等1億同胞、等しく醜の御盾とならんことを誓い奉ってより、まさに2カ年を経過いたしたのであります。顧みれば皇軍は、開戦以来御稜威の下、善謀勇戦、特に最近に至っては、敵の大規模反攻の好機をとらえ、相次いで比類なき大戦果を挙げ、究極の勝利に向かって力強き歩みを進めておるのであります。私は、ここに諸君とともに、皇軍将兵の健闘に対し、満腔の謝意を表するとともに、忠烈なる戦没勇士に対しまして、慎んで敬弔の誠を捧げ、かつその間、戦い抜く国民諸君の並々ならぬご労苦に対しまして、深甚なる敬意を表するものであります。まさに2年前の今日、帝国は米英の経済的、軍事的圧迫による帝国存亡の危局を打開し、自存自衛を全うするため、決然、干戈を取って立ち上がるのやむなきに至ったのであります。正義の師、ひとたび進むや、米英の侵略勢力はたちまちにして東亜の全地域より駆逐掃討せられ、大東亜諸民族の自覚と熱情とは、澎湃として大東亜の天地にみなぎるに至ったのであります。
 今や、大東亜諸国家諸民族は、真に兄弟の関係に立ち、いよいよ提携を密に、豊富なる資源を日に増し、戦力化しつつ、道義に基づく大東亜を建設、万邦共栄の楽しみをともにすべき共同の目的達成に向かって、一路邁進いたしておるのであります。しかして、大東亜10億民族の牢固たる共同の決意は、過般の大東亜会議によっていやが上にも強固にせられたのであります。これを開戦前の状況にすれば、大東亜の様相は全く一変し、今や我等(ら)の前途は豁然として開け、自信と希望とに満ちておるのであります。一方、欧州における盟邦は、戦意ますます旺盛に、あらゆる困難に打ち克ち、勇戦、敢闘を続けておるのであります。しかして、帝国とこれら盟邦との提携は、日に日に緊密の度を加え、東西相呼応して、米英の野望を粉砕し、世界新秩序を建設すべく、共同目標に向かって勇躍前進を続けておるのであります。ひるがえって、敵米英の指導者は、口に正義人道、博愛仁義を叫びつつ、その為すところは表裏全く相反するものがあるのであります。重なる我が病院船に対する暴戻極まりなき行為のごときは、まさに言語道断であります。彼らは自己本位の繁栄追及のためには、他国家、他民族の犠牲のごときは恬(てん)としてこれを顧みないのであります。
 特に東亜に対しては、門戸開放、機会均等を唱えながら、自国の領土内においては東亜の諸民族に対し、常に門戸を閉鎖し、不平等の待遇を与え、結局彼らの東亜民族に求むるものは、その永久の隷属化であったのであります。最近、カイロ会談において、彼ら米英の指導者は、ほしいままに東亜の処置を論じ、帝国を三流国たらしめんと高言いたしておるのであります。これ、まさに戦いに疲れ、前途の不安に襲われ、焦躁する彼ら指導者が当面の失敗を糊塗せんとする、謀略的夢物語であります。誠に笑止の至りであります。しかも多年、彼らが掠奪し来たれる全世界に渡る領域と、現に彼らの羈絆(きはん)の下に、塗炭の苦しみを重ねつつある被圧迫民族の解放に関しては、この夢物語においてすら、一言も触れておらないのであります。彼らの求むるところは正義にあらず、はたまた人道にあらず、手段選ばざる自己繁栄であり、旧態依然たるあくなき他民族の搾取であります。今や彼らは没落の一途をたどれる重慶政権に対し、小作を労し、甘言を用い、これをして無益の抗戦を継続せしめんことを、ひたすらこれ、図っておるのであります。その真意はまさに大東亜諸国家諸民族間の離反を永続化し、これによって再び東亜を米英の植民地に転落せしめ、米英本位の東亜制覇の野望を達成せんとするにあるのであります。
 カイロ会談こそは、まさにかかる非望を中外に曝露し、彼ら究極の戦争目的が那辺に存するかを自ら世界に向かって公言するの愚を演じたものにほかならないのであります。万邦との厚誼を厚うし、人種的差別を撤廃、遍く文化を交流、進んで資源を開発、もって世界の進運に貢献せんとする大東亜各国共同の崇高なる精神とは、全く相容れざる米英本位の非望を端的に世界に声明したものであります。かくのごとき横暴非道なる指導者に翻弄せられ、戦争の苦悩を日増しに加うる米英国民大衆は、戦争目的に疑念を抱くに至るべきは必定と信ぜらるるところであります。しかもあくなき野望達成のために、狂奔する米英の指導者らは、焦慮のあまり、今後いよいよその国民大衆を欺瞞しつつ、苦し紛れの執拗なる反攻を繰り返すべきは、当然予期せらるるところであります。戦局のいよいよ激化し、長期化すべきは我々のつとに覚悟しておるところであります。このときに当たり、非道なる米英に対し、我々の取るべき道は炳乎として明らかであります。敵米英が暴力をもってその野望を達成せんとする以上、我等(ら)は実力をもってこれを破砕するばかりであります。
 隠忍と自重との最大限を重ね、自存自衛のため、やむにやまれずして立ち上がった2年前の今日の決意を常に新たにし、一層の信念の下、いよいよ大東亜の結束を強化して、どこまでも米英撃砕の一路を邁進するばかりであります。敵の反攻いかに熾烈なりと言えども、なんぞこれを意に介するものでありましょうか。断乎、鏖殺(おうさつ)、殲滅をもってこれに応うるのみであります。さらに進んで、あくまでもどこまでも、徹底的痛撃を加え、遂に彼らを屈服せしむるばかりであります。けだし、戦勝はむなしく座して勝ち得られるものではないのであります。1億国民が外にあると内にあるとを問わず、それぞれの職域において、はたまた日常の私生活において、一切を捧げて徹底的に奉公の誠を致すことにより、初めて獲得せらるるものであります。勝利の鍵は我々自身の手にあるのであります。素朴熱烈なる忠誠心、烈々たる闘魂、旺盛なる滅敵意気こそは、戦勝の基礎であります。1億同胞一致団結、最善を尽くして蹶起奮闘するならば、勝利の栄冠は必ずや我等(ら)の上に輝くのであります。諸君、皇軍将兵は最近またもやブーゲンビル、ギルバード方面において、また中支那方面等(とう)において、奮戦激闘、見敵必殺、もって赫々たる戦果を挙げておるのであります。
 悠久の大義に生きんとする我等(ら)将兵は、生還、もとより期するところではないのであります。また、喜んで家と職とを残して前線におもむき、または学窓を去って、戦場にはせ参ずる等(とう)、国民各層の熱烈なる闘魂を見まするとき、我々は真に必勝の信念を固くするものであります。国民諸君、総員戦闘配置にある国民諸君、我々1億同胞は、各々その職域において、ことごとく戦場にあるの決意を新たにし、戦時生活に徹底し、戦力を増強し、戦争持久の構えを固め、もって戦争第3年を決勝の年となさんことを誓うものであります。かくしてこそ、我等は天与の試練を突破して、皇国護持の道を全うすることができるのであります。しかして、この我等1億の心は、すなわち大東亜10億の心であります。大東亜戦争の完遂なくして、大東亜の建設はないのであります。大東亜10億の民族が、ことごとくその途に安んじ、共存共栄し得(う)るに至るか、あるいは再び転落して、米英の秕政の下に被圧迫民族の苦悩をなむるに至るか、まさにこの大戦争にかかっておるのであります。
 我等(ら)1億同胞は、大東亜10億民族とともに、相携えて戦争を完遂し、建設を完成せんことをあらためて固く期するものであります。ここに大東亜戦争第2周年記念日を迎え、国民諸君とともに、2年前の決意を新たにし、いよいよ必勝の信念を堅持して、御稜威の下、帝国の隆替、東亜の興廃を決すべき大東亜戦争を勝ち抜き、誓って聖旨に応え奉らんことを期して、私の放送を終わります。

   「NHKウェブサイト」より

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