ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:モノレール

kitakyuushyuumonorail01

 今日は、昭和時代後期の1985年(昭和60)に、北九州高速鉄道小倉線(北九州モノレール)が開業した日です。
 北九州高速鉄道小倉線(きたきゅうしゅうこうそくてつどうこくらせん)は、福岡県北九州市の小倉駅~企救丘駅間(13駅・8.8km)を結ぶ跨座式(日本跨座式)モノレール路線で、一般には北九州モノレールと呼ばれてきました。北九州高速鉄道株式会社により建設・運営され、現在、日本で運行されているモノレールとしては、東京モノレール(1964年開業)、湘南モノレール(1970年開業) に次いで、3番目に古いものです。
 西日本鉄道北方線廃止と引き換えの事業として計画され、1976年(昭和51)に、北九州市が52%、民間が48%を出資する、資本金22億円の北九州高速鉄道株式会社(第三セクター)が設立され、同年に軌道特許を取得しました。その後建設工事が進められ、1985年(昭和60)1月9日に、小倉(現在の平和通)~企救丘間が開業しましたが、当時の国鉄小倉駅への乗り入れが実現せず、乗り継ぎに不便が生じ、利用者数が予想を大きく下回ります。
 ようやく、1998年(平成10) 4月1日にJR小倉駅への乗り入れが実現して、利便性が改善され、利用者数が増加、単年度では黒字を出すまでになりました。しかし、建設費償還の負担は重く、債務超過状態が続き、2005年(平成17)には、「産業活力再生特別措置法」に基づく事業再構築計画が認定され、デットエクイティスワップ(負債と資本との交換による財務改善の手法)を実施して債務超過を解消、北九州市が全株式を保有することになります。

 〇「モノレール」とは?

 1本の走行軌条(走行桁)を用いて車両を走行させる鉄道(単軌鉄道ともいう)のことで、日本の法令上では、鉄道事業法に基づく「鉄道(懸垂式鉄道/跨座式鉄道)」と軌道法に基づく「軌道(懸垂式モノレール/跨座式モノレール)」が存在しています。形式によって分類すると、地上数mの高さに架設された1本の桁に吊下がって走る懸垂(けんすい)式と、桁の上にまたがって走る跨座 (こざ) 式に大別され、さらに下記のように区分されました。
 <懸垂式>
(1)ランゲン式:鉄骨で空中に支えられた鉄のレールに鉄の車輪がのり、車輪の車軸は逆L字型に曲がって車両を懸垂するもので、日本には現在ありません。
(2)日本車両式:レールは鋼板製箱型でゴムタイヤ車輪がレールに乗り、タイヤが外れないように補助車輪が左右からレールを挟んでいて、車両は片側補助車輪の車軸に懸垂されるもので、東京都交通局の上野懸垂線に採用されています。
(3)サフェージュ式:レールは鋼板製箱型の筒状で、車両を懸垂するために箱の下面中央部は開いていて、その開口部両側を、車両の屋根上の支柱につけられたゴムタイヤ車輪が走行するもので、千葉都市モノレールや湘南モノレールで採用されています。
 <跨座式>
(1)アルウェグ式:レールは太いI字型の鉄筋コンクリートで、走行用ゴムタイヤがレールの上にのり、補助車輪が左右からレールを挟んで安定を保つもので、東京モノレールで採用されています。
(2)日本跨座式:アルウェグ式の改良型で、軌道桁を太くし、ゴムタイヤを使用しますが、現在日本の跨座式モノレールの主流になっています。
(3)ロッキード式:コンクリート製の桁の上に鉄のレールを乗せ、その上を鉄の車輪が走るもので、姫路市営モノレールと向ヶ丘遊園モノレール線に採用されましたが、現在は廃止されて存在しません。
 日本で最初のモノレールは、大阪市で行われていた交通電気博覧会で、1928年(昭和3)に運用された懸垂式のものでした。太平洋戦争後は、1951年(昭和26)に、豊島園で遊戯施設として運行され、1957年(昭和32)には、上野動物園内に懸垂式モノレールが開業し、これが現存する最古のもの(現在休止中)となっています。その後も、1961年(昭和36)に奈良ドリームランド、1962年(昭和37)に犬山のラインパークに、遊覧用のものが開業しましたが、いずれも廃止されました。1964年(昭和39)には、東京モノレールが浜松町~羽田(現、天空橋)間13.1kmを15分で結ぶ本格的都市交通機関として営業運転を開始し、その後は、都市交通機関として建設されるようにもなります。そして、1996年3月末時点で、モノレールは6事業者(総延長31.4km)でしたが、消長を経て、現在では、10事業者(総延長111.9km)によって運行されています。ただし、東京都交通局上野懸垂線[0.3km] は、2019年11月1日より休止路線となりました。

☆日本で営業中の「モノレール」一覧

・東京モノレール(東京都) 跨座式:アルヴェーグ式 羽田空港線[17.8km] 1964年開業
・多摩都市モノレール(東京都) 跨座式:日本跨座式 多摩都市モノレール線[16.0km] 1998年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 1号線[3.2km] 1995年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 2号線[12.0km] 1988年開業
・舞浜リゾートライン(千葉県) 跨座式:日本跨座式 ディズニーリゾートライン[5.0km] 2001年開業
・湘南モノレール(神奈川県) 懸垂式:サフェージュ式 江の島線[6.6km] 1970年開業
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 大阪モノレール線[21.2km] 1990年開業 、
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 国際文化公園都市モノレール線(彩都線)[6.8km] 1998年開業
・スカイレールサービス(広島県) 懸垂式:ロープ駆動懸垂式 広島短距離交通瀬野線[1.3km] 1998年開業
・北九州高速鉄道(福岡県) 跨座式:日本跨座式 小倉線[8.8km] 1985年開業
・沖縄都市モノレール(沖縄県) 跨座式:日本跨座式 沖縄都市モノレール線[12.9km] 2003年開業
※(休止路線)東京都交通局(東京都) 懸垂式:日本車両式 上野懸垂線[0.3km] 1957年開業

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1891年(明治24)第一高等中学校講師の内村鑑三が教育勅語への拝礼を拒否したため免職となる詳細
1918年(大正7)日本最悪の雪崩災害である三俣の大雪崩が起きる詳細
1998年(平成10)日本人初のノーベル化学賞を受賞した化学者福井謙一の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

okinawatoshimonorail002

 今日は、平成時代の2003年(平成15)に、沖縄都市モノレール線(愛称:ゆいレール)の那覇空港駅~首里駅間が開業した日です。
 沖縄都市モノレール(おきなわとしものれーる)は、沖縄県でモノレール路線「沖縄都市モノレール線(愛称:ゆいレール)」を運営する鉄道会社で、第三セクター方式(沖縄県、那覇市、沖縄振興開発金融公庫及び民間企業の共同出資)で発足しました。沖縄県の本土復帰前から那覇市圏内の鉄道建設が検討されてきましたが、沖縄返還後の1975年(昭和50)に、国・県・那覇市で構成する「都市モノレール調査協議会」が設置されます。
 1978年(昭和53)に沖縄県と那覇市が、運営主体については那覇市が責任をもって対処する等の「那覇都市モノレール」建設準備に関する協定書」が締結され、1982年(昭和57)9月27日には、第三セクター方式の沖縄都市モノレール株式会社の設立となりました。1996年(平成8)に軌道事業の特許を取得して起工式を開催(事業着手)、1999年(平成11)には、愛称(ゆいレール)・シンボルマーク及び駅名が決定されます。
 2003年(平成15)8月10日に沖縄都市モノレール線の那覇空港駅~首里駅間(総延長12.9km・15駅)が開業し、日本最南の鉄道路線となりました。さらに、2019年(令和元)10月1日には、首里駅~てだこ浦西駅間が延伸開業し、全長約17.0 km、19駅となり、日本跨座式を採用した跨座式モノレールとして、全線複線で運行されています。尚、この路線の赤嶺駅は日本最南端の鉄道駅とされてきました。

〇沖縄都市モノレール関係略年表

・1972年(昭和47)4月 沖縄振興開発計画(第一次)において「中南部都市圏の陸上交通体系については、・・・新交通システムの導入について検討する。」と謳われる
・1973年(昭和48)3月 「沖縄本島中南部における都市基本計画報告書」(国・県・那覇市)において「那覇都市圏内の交通に対しては、・・・早急にモノレールを中心とする新交通システムの樹立が必要」とされる
・1975年(昭和50)11月 国・県・那覇市で構成する「都市モノレール調査協議会」が設置される
・1977年(昭和52)12月 「都市モノレール調査協議会」において、ルートについて「久茂地川沿い案」、経営については第三セクター方式が最適であると報告される
・1978年(昭和53)7月 「総合交通体系の望ましいあり方」(沖縄県)において、新しい交通機関として軌道システムの導入を促進する必要があると報告される
・1978年(昭和53)10月 沖縄県と那覇市が、運営主体については那覇市が責任をもって対処する等の「那覇都市モノレール」建設準備に関する協定書」を締結する
・1979年(昭和54)10月 「沖縄県都市軌道建設準備室」が発足する
・1980年(昭和55)1月 「沖縄県都市モノレール研究委員会」は、機種及び車両については跨座型のモノレール、経営主体としては第三セクター方式が最適と報告する
・1981年(昭和56)4月 「都市軌道建設準備室」(県)を「都市モノレール建設室」に改組する
・1982年(昭和57)9月27日 沖縄都市モノレール株式会社設立され、県へ特許申請される
・1983年(昭和58)4月 沖縄県、「都市モノレール建設室」を「都市モノレール対策室」に改組する
・1992年(平成4)3月 第3次沖縄振興開発計画において「那覇都市圏における都市モノレールについては、諸条件を整備して早期建設を推進する」ことが謳われる
・1994年(平成6)1月26日 県及び那覇市の最終方針案に対するバス4社の基本的な了解が得られ、県、那覇市及びバス4社間で、基本協定並びに覚書を締結する
・1996年(平成8)3月22日 軌道事業の特許を取得する
・1996年(平成8)11月26日 沖縄都市モノレール事業の起工式を開催(事業着手)する
・1997年(平成9)4月10日 第二次分割工事施行認可を取得する
・1998年(平成10)8月27日 PC軌道桁の最初の架設がされる
・1999年(平成11)3月26日 空港駅建築工事に着手する
・1999年(平成11)11月30日 愛称(ゆいレール)・シンボルマーク及び駅名を決定する
・2000年(平成12)12月25日 車両設計認可を取得する
・2001年(平成13)12月4日 那覇空港駅から小禄駅間の試験運転が開始される
・2002年(平成14)8月 車両が搬入される
・2002年(平成14)11月 那覇空港駅~首里駅間の全線試験運転が開始される
・2003年(平成15)8月10日 沖縄都市モノレール線 那覇空港駅~首里駅間が開業する
・2004年(平成16)8月10日 開業一周年を記念し、本社内に「ゆいレール展示館」がオープンする
・2008年(平成20)7月5日 開業五周年を記念し、「休日100円切符(休日の1駅区間限定で通常200円の運賃が100円になる切符)」を発売する
・2009年(平成21)4月4日 70歳以上の那覇市民向けに「がんじゅう1日乗車券(土日・祝日限定の1日乗車券。通常価格の半額での販売)」を発売する
・2011年(平成23)2月1日 開業以来初めてとなる運賃改定を実施。おとなりきっぷ導入、普通回数券の有効期間を廃止、フリー乗車券3種類を時間制に変更する
・2012年(平成24)1月26日 2011年8月30日申請の首里~浦西(仮称、浦添市の西原入口交差点付近)間の軌道事業が特許される
・2014年(平成26)4月1日 消費税率改定に伴う運賃改定をする
・2014年(平成26)10月20日 ICカード乗車券「OKICA」を導入、自動改札機を更新し、ゆいカードと回数券を廃止する
・2019年(令和元)10月1日 沖縄都市モノレール線 首里駅~てだこ浦西駅間延伸開業する
・2020年(令和2)3月10日 「Suica」などの全国相互利用サービスに対応した交通系ICカードが利用可能となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1232年(貞永元)鎌倉幕府3代執権北條泰時が「御成敗式目(貞永式目)」を制定する(新暦8月27日)詳細
1693年(元禄6)俳諧師・浮世草子作家井原西鶴の命日(新暦9月9日)詳細
1968年(昭和43)日本初の長距離カーフェリーである阪九フェリー(神戸~小倉)が運航開始する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ