
しかし、翌年2月1日付け毎日新聞にスクープされた、憲法問題調査委員会の試案が、「あまりに保守的、現状維持的なものに過ぎない」との批判を受けます。その内容が日本の民主化のために不十分であり、国内世論も代表していないと判断したマッカーサーは、GHQ民政局長ホイットニーに、憲法草案を起草するに際して守るべき三原則(マッカーサー三原則)を示し、日本憲法草案の作成を指示ました。
その際、マッカーサーは、憲法草案に盛り込むべき必須の要件として3項目を提示しました。その概要は、①天皇は国の元首の地位にあり、職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、国民の基本的意思に対して責任を負う。②国家の主権的権利としての戦争を廃止し、日本は紛争解決のための手段としての戦争、自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。③日本の封建制度は廃止されとされます。GHQは起草作業を急ぐ一方で、日本政府に対して政府案の提出を要求、2月8日には、憲法問題調査委員会の松本烝治委員長より、「憲法改正要綱」「憲法改正案ノ大要ノ説明」等がGHQに提出されました。
それに対抗するかたちで、2月13日には、「改正憲法草案(マッカーサー草案)」が日本政府に示されることになります。
以下に、「マッカーサーノート」の憲法草案三原則と「改正憲法草案(マッカーサー草案)」の英語版原文及び日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。
憲法問題調査委員会が設置され、調査・審議を経て、1945年(昭和20)12月8日には、いわゆる「松本四原則」(①天皇が統治権を総覧するという原則には変更を加えない、②議会の権限を拡大し、その結果として大権事項を制限する、③国務大臣の責任を国務の全般にわたるものたらしめ、国務大臣は議会に対して責任を負うものとする、④人民の自由・権利の保護を強化し、その侵害に対する救済を完全なものとする)をまとめ、これに基づいて翌年1月には、松本案(いわゆる「甲」案)を作成されます。これに若干の加筆改訂を加え、2月8日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)へ提出したのが「憲法改正要綱」(松本私案)となりました。
その内容は、国体護持を重視した、それまでの「大日本帝国憲法」の微温的修正にとどまり、天皇主権の原則は維持され、統帥権の独立は否定されたものの軍隊は存続させられており、基本的人権の考え方はなく法律で自由に制限できる「臣民の権利」が保障されるといったものとなります。しかし、GHQは「ポツダム宣言」の第6条の軍国主義除去の実施には、不十分なものとみなし、受け入れられないことになりました。
当時、民間でも憲法改正論議は活発化し、天皇主権(国体護持)、国家主権(君民同治)、国民主権(天皇象徴化)、人民主権(天皇制廃止)など様々な憲法案が出されていましたが、GHQは2月13日に、「ポツダム宣言」の第6条に沿いつつも、中庸な国民主権(天皇象徴化・戦争放棄・基本的人権確立)を採用した、この「改正憲法草案」(マッカーサー草案)を日本側に手交します。それに対し、日本政府は22日に受諾を決定、その後日米双方で検討し、3月6日に「憲法改正草案要綱」が政府発表されるに至りました。
その後、ひらがな口語体での条文化が進められ、4月17日に、「憲法改正草案」として公表されています。
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