ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:ポーツマス条約

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 今日は、明治時代後期の1905年(明治38)に、「日露講和条約(ポーツマス条約)」締結後のロシアの利権の引継ぎなどについて、日本と清国が「満洲善後条約」に調印した日です。
 「満洲善後条約」(まんしゅうぜんごじょうやく)は、明治時代後期の1905年(明治38)9月5日に締結された「日露講和条約(ポーツマス条約)」により、中国東北部(満州)のロシア利権が日本に譲渡されたことに対し、それを清国に承認させたもので、「北京条約」とも呼ばれますが、正式には、「日清間満州ニ関スル条約」といいます。中国の北京において、日本側は特派全権大使小村寿太郎(外務大臣)及び特派全権公使内田康哉と清国側は欽差全権大臣慶親王奕劻及び瞿鴻禨・袁世凱の間で調印され、本文(全3条)と付属協定(12ヶ条)、付属取決(16項目)から構成されていました。
 この条約で、南満洲鉄道の吉林までの延伸と同鉄道を守備するための日本陸軍の常駐権と沿線鉱山の採掘権保障、安奉鉄道の使用権継続と両国共同事業化、営口・安東・奉天における日本人居留地の設置の許可、鴨緑江右岸の森林伐採合弁権獲得などが盛り込まれ、その後の満洲経営の基礎となります。
 以下に、「満洲善後条約」の日本語版を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「満洲善後条約(日清間満州ニ関スル条約)・附属議定書」(北京条約) 1905年(明治38)12月22日調印、1906年(明治39)1月31日国内公布

日清間満州ニ関スル条約

前文

大日本国皇帝陛下及大清国皇帝陛下ハ均シク明治三十八年九月五日即光緖三十一年八月七日調印セラレタル日露両国講和条約ヨリ生スル共同関係ノ事項ヲ協定セムコトヲ欲シ右ノ目的ヲ以テ条約ヲ締結スルコトニ決シ之カ為メニ大日本国皇帝陛下ハ特派全権大使外務大臣従三位勳一等男爵小村寿太郞及特命全権公使従四位勳二等內田康哉ヲ大清国皇帝陛下ハ欽差全権大臣軍機大臣総理外務部事務和碩慶親王欽差全権大臣軍機大臣外務部尙書会弁大臣瞿鴻禨及欽差全権大臣北洋大臣太子少保直隸総督袁世凱ヲ各其ノ全権委員ニ任命セリ因テ各全権委員ハ互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ其ノ良好妥当ナルヲ認メ以テ左ノ条項ヲ協議決定セリ

  第一条

日露講和条約第五条及第六条ニ依ル讓渡ノ承認

清国政府ハ露国カ日露講和条約第五条及第六条ニヨリ日本国ニ対シテ為シタル一切ノ讓渡ヲ承諾ス

  第二条

清露条約規定ノ遵行

日本国政府ハ清露両国間ニ締結セラレタル租借地並鉄道敷設ニ関スル原条約ニ照シ努メテ遵行スへキコトヲ承諾ス将来何等案件ノ生シタル場合ニハ隨時清国政府ト協議ノ上之ヲ定ムヘシ

  第三条

効力発生及批准書交換

本条約ハ調印ノ日ヨリ効力ヲ生スヘク且大日本国皇帝陛下及大清国皇帝陛下ニ於テ之ヲ批准セラルヘシ該批准書ハ本条約調印ノ日ヨリ二箇月以內ニ成ルヘク速ニ北京ニ於テ之ヲ交換スヘシ

本文

右証拠トシテ両国全権委員ハ日本文及漢文ヲ以テ作ラレタル各二通ノ本条約ニ署名調印スルモノナリ
明治三十八年十二月二十二日即光緖三十一年十一月二十六日北京ニ於テ之ヲ作ル
   大日本帝国特派全権大使外務大臣從三位勳一等男爵 小村寿太郞(記名)印
   大日本帝国特命全権公使從四位勳二等 內田康哉(記名)印
   大清国欽差全権大臣軍機大臣総理外務部事務 慶親王(記名)印
   大清国欽差全権大臣軍機大臣外務部尙書会弁大臣 瞿鴻禨(記名)印
   大清国欽差全権大臣北洋大臣太子少保直隸総督 袁世凱(記名)印

附属協定

  明治三八年(一九〇五年)一二月二二日北京ニ於テ調印
  明治三九年(一九〇六年)一月九日批准
  明治三九年(一九〇六年)一月二三日北京ニ於テ批准書交換
  明治三九年(一九〇六年)一月三一日公布

前文

日清両国政府ハ満州ニ於テ双方共ニ関係ヲ有スル他ノ事項ヲ決定シ以テ遵守ニ便ナラシムル為メ左ノ条項ヲ協定セリ

  第一条

開放スヘキ都市

清国政府ハ日露軍隊撤退ノ後成ルヘク速ニ外国人ノ居住及貿易ノ為メ自ラ進ミテ満州ニ於ケル左ノ都市ヲ開クへキコトヲ約ス
 盛京省 鳳凰城 遼陽 新民屯 鐵嶺 通江子 法庫門
 吉林省 長春(寛城子) 吉林 哈爾賓 寧古塔 琿春 三姓
 黑龍江省 齊齊哈爾 海拉爾 愛琿 滿洲里

  第二条

鉄道守備兵撤退ノ条件

清国政府ハ満州ニ於ケル日露両国軍隊兵ニ鉄道守備兵ノ成ルヘク速ニ撤退セラレムコトヲ切望スル旨ヲ言明シタルニ因リ日本国政府ハ清国政府ノ希望ニ応セムコトヲ欲シ若シ露国ニ於テ其ノ鉄道守備兵ノ撤退ヲ承諾スルカ或ハ清露両国間ニ別ニ適当ノ方法ヲ協定シタル時ハ日本国政府モ同樣ニ照弁スヘキコトヲ承諾ス若シ満州地方平靖ニ帰シ外国人ノ生命財產ヲ清国自ラ完全ニ保護シ得ルニ至リタル時ハ日本国モ亦露国ト同時ニ鉄道守備兵ヲ撤退スヘシ

  第三条

安寧秩序ヲ維持スル為ノ清国軍隊派遣

日本国政府ハ満州ニ於テ撤兵ヲ了シタル地方ハ直チニ之ヲ清国政府ニ通知スヘク清国政府ハ日露講和条約追加約款ニ規定セル撤兵期限內ト雖既ニ上記ノ如ク撤兵完了ノ通知ヲ得タル各地方ニハ自ラ其ノ安寧秩序ヲ維持スル為メ必要ノ軍隊ヲ派遣スルコトヲ得ルモノトス日本国軍隊ノ未タ撤退セサル地方ニ於テ若シ土匪ノ村落ヲ擾害スルコトアル時ハ清国地方官モ亦相当ノ兵隊ヲ派遣シ之ヲ勦捕スルコト得但シ日本国軍隊駐屯地界ヨリ二十清里以內ニ進入スルコト得サルモノトス

  第四条

收容公私財產ノ還附

日本国政府ハ軍事上ノ必要ニヨリ満州ニ於テ占領又ハ收用セル清国公私財産ハ撤兵ノ際悉ク清国官民ニ還附シ又不用ニ帰スルモノハ撤兵前卜雖之ヲ還附スルコトヲ承諾ス

  第五条

日本軍戦死者ノ墳墓等ノ保護

清国政府ハ満州ニ於ケル日本軍戦死者ノ墳墓及忠魂碑所在地ヲ完全ニ保護スル為メ総テ必要ノ処置ヲ執ルヘキコトヲ約ス

  第六条

安泰線ノ改築及清国軍隊等ノ取扱

清国政府ハ安東縣奉天間ニ敷設セル軍用鉄道ヲ日本国政府ニ於テ各国商工業ノ貨物運搬用ニ改メ引続キ経営スルコトヲ承諾ス該鉄道ハ改良工事完成ノ日ヨリ起算シ(但シ軍隊送還ノ為メ遅延スへキ期間十二箇月ヲ除キ二箇年ヲ以テ改良工事完成ノ期限トス)十五箇年ヲ以テ期限ト為シ即光緖四十九年ニ至リテ止ム右期限ニ至ラハ双方ニ於テ他国ノ評価人一名ヲ選ミ該鉄道ノ各物件ヲ評價セシメテ清国ニ売渡スヘシ其ノ売渡前ニ在リテ清国政府ノ軍隊並兵器糧食ヲ輸送スル場合ニハ東清鉄道条約ニ準拠シテ取扱フヘク又該鉄道改良ノ方法ニ至テハ日本国ノ経営担当者ニ於テ清国ヨリ特派スル委員ト切実ニ商議スヘキモノトス該鉄道ニ関スル事務ハ東清鉄道条約ニ準シ清国政府ヨリ委員ヲ派シ査察経理セシムヘク又該鉄道ニ由リ清国公私貨物ヲ運搬スル運賃ニ関シテハ別ニ詳細ナル規程ヲ設クヘキモノトス

  第七条

鉄道接続業務ニ関スル別約

日清両国政府ハ交通及運輸ヲ増進シ且之ヲ便易ナラシムルノ目的ヲ以テ南満州鉄道ト清国各鉄道トノ接続業務ヲ規定セムカ為メ成ルヘク速ニ別約ヲ締結スヘシ

  第八条

南満州鉄道用材料ニ對スル免税

清国政府ハ南満州鉄道ニ要スル諸般ノ材料ニ対シ各種ノ税金及釐金ヲ免スヘキコトヲ承諾ス

  第九条

日本居留地画定方法

盛京省內ニ於テ既ニ通商場ヲ開設シタル営口及通商場トナスヘク約定シアルモ未タ開カレサル安東県並奉天府各地方ニ於テ日本居留地ヲ画定スル方法ハ日清両国官吏ニ於テ別ニ協議決定スヘシ

  第十条

日清合同材木会社ノ設立

清国政府ハ日清合同材木会社ヲ設立シ鴨綠江右岸地方ニ於テ森林截伐ニ従事スルコト其ノ地区ノ広狭年限ノ長短及会社設立ノ方法並合同経営ニ関スル一切ノ章程ハ別ニ詳細ナル約束ヲ取極ムヘキコトヲ承諾ス日清両国株主ノ利権ハ均等分配ヲ期スヘシ

  第十一条

満韓国境貿易ニ関スル最惠国待遇

満韓国境貿易ニ関シテハ相互ニ最惠国ノ待遇ヲ与フヘキモノトス

  第十二条

一切ノ規定ニ関スル最優待遇

日清両国政府ハ本日調印シタル条約及附属協約ノ各条ニ記載セル一切ノ事項ニ関シ相互ニ最優ノ待遇ヲ与フルコトヲ承諾ス

効力

本協約ハ調印ノ日ヨリ効力ヲ生スヘク且本日調印ノ条約批准セラレタル時ハ本協約モ亦同時ニ批准セラレタルモノト看做スヘシ

本文

右証拠トシテ下名ハ各其本国政府ヨリ相当ノ委任ヲ受ケ日本文及漢文ヲ以テ作ラレタル各二通ノ本協約ニ記名調印スルモノナリ

明治三十八年十二月二十二日即光緖三十一年十一月二十六日北京ニ於テ之ヲ作ル
   大日本帝国特派全権大使外務大臣從三位勳一等男爵 小村寿太郞(記名)印
   大日本帝国特命全権公使從四位勳二等 內田康哉(記名)印
   大淸国欽差全権大臣軍機大臣総理外務部事務 慶親王(記名)印
   大淸国欽差全権大臣軍機大臣外務部尙書会弁大臣 瞿鴻禨(記名)印
   大淸国欽差全権大臣北洋大臣太子少保直隸総督 袁世凱(記名)印

満州ニ関スル条約議事録中ニ記載セラレタル合意及声明

明治三八年(一九〇五年)一一月二三日‐一二月八日北京ニ於テ
昭和七年(一九三二年)一月一四日公表

明治三十八年満州ニ関スル条約及同上附屬協定締結ノ際我方ヨリ一定ノ約束事項ヲ条約文中ニ挿入セムコトヲ主張シタル拠清国側ニ於テ対内関係上之ヲ条約文トシテ公ニスルコトヲ困難トスル事情アリタルニ依リ日清両国全権委員ノ記名調印セル日清両国文ノ会議録中ニ記入スルニ止メ之ヲ公表セサリシモノ合計十六箇条アリ尚右会議録所載ノ取極十六箇条ノ要領英訳文ハ明治三十九年二月帝国政府ヨリ英米両国政府ニ対シ極祕トシテ內報セリ然ルニ坊間本件会議録所載ノ取極十六箇条ノ存否等ニ付種々誤解ヲ抱クモノアルヤニ認メラルルノミナラス従来支那要人等ニシテ明ニ之ヲ否定セルモノ尠ナカラス又最近支那新聞ハ支那外交当局ニ於テ正式ニ本件会議録ノ存在ヲ否認セル旨報シ居ル関係モアルニ付茲ニ右十六箇条日本文支那文及前記英米両国政府ニ内報セラレタル要領英訳文ヲ公表スルモノナリ

吉長鉄道借款

一、長春吉林間鉄道ハ清国自ラ資金ヲ調ヘテ築造スヘク不足ノ額ハ日本国ヨリ借入ルコトヲ承諾ス其金額ハ資金ノ約半額ナリトス借款弁法ハ時ニ及テ清国山海関內外鉄道局ト清英組合トノ借款契約ニ仿照シテ参酌商訂スヘク二十五箇年ヲ以テ年賦完済ノ期ト為ス

吉林地方ニ於テ鉄道敷設權ヲ別国人ニ付与スルコトナシ

清国政府ハ吉林地方ニ於テ別国人ニ鉄道敷設権ヲ与へ若クハ別国人ト共同シテ鉄道ヲ敷設スルコトハ断シテ之ナシ

新奉鉄道ノ売渡及借款

二、奉天府新民屯間ニ日本国ノ敷設セル軍用鉄道ハ両国政府ヨリ委員ヲ派遣シ公平ニ代價ヲ協議シテ清国ニ売渡スヘシ清国ハ之ヲ改築シテ自営鉄道ト為シ遼河以東ニ要スル資金ハ日本ノ会社ヨリ其半額ヲ借入レ十八箇年ヲ以テ年賦完済ノ期ト為シ其借款弁法ハ清国山海関關內外鉄道局ト清英組合トノ借款契約ニ仿照シ参酌商訂スヘキコトヲ承諾ス此他各地ニ於ケル軍用鉄道ハ撤兵ノ際総テ取除クヘキモノトス

満鉄鐵併行線ノ建設ヲ禁ズ

三、清国政府ハ南滿洲鉄道ノ利益ヲ保護スルノ目的ヲ以テ該鉄道ヲ未タ回収セサル以前ニ於テハ該鉄道附近ニ之ト併行スル幹線又ハ該鉄道ノ利益ヲ害スヘキ支線ヲ敷設セサルコトヲ承諾ス

北満鉄道ニ対スル措置

四、清国ハ満州北部ニ於テ露国カ引続キ所有スル鉄道ニ関シ露国ヲシテ清露条約ニ照シ努メテ遵行セシムルタメ充分ノ措置ヲ執リ若シ露国ニシテ上約ニ違反セル行動ヲナサハ清国ヨリ露国ニ厳重ニ照会シテ之ヲ匡サシムヘキ精神ナルコトヲ声明ス

日露接続業務規定商議ニ対スル清国ノ参与

五、将来日露両国ニ於テ接続鉄道業務規定ノ為商議スル時機ニ至ラハ日本国ハ予メ之ヲ清国ニ通知スヘシ清国ハ其時機ニ至リ委員ヲ派遣シテ該商議ニ加ハラント欲スルノ意ヲ露国ニ通牒ノ上同時ニ該商議ニ参与スヘシ

奉天省鉱物採掘章程

六、鉄道ニ附属スル奉天省內ノ鉱物ハ既ニ採掘ニ着手シタルト否トニ拘ハラス公平且詳細ノ章程ヲ取極メ以テ相互遵守ニ便ナラシムヘシ

奉天省陸上電信線及旅順烟台海底線接続事務

七、奉天省內テ於ケル陸上電信線及旅順烟台間海底電信線ニ関スル接続交涉事務ハ隨時必要ニ従ヒ両国協議シテ処置スヘシ

開市場設立規則制定ハ帝国公使ノ承諾ヲ要ス

八、開市場設立ニ関スル規則ハ清国ニ於テ自カラ定ムヘシ但シ北京駐在日本公使ト協議スルヲ要ス

松花江航行権

九、松花江航行ノ件ニ関シ露国ニ於テ異議ナキトキハ清国ニ於テモ之ヲ商議ノ上承諾スヘキコト

満州ニ於ケル治安ノ維持及內外臣民保護ノ声明

十、清国全権委員ハ満州ヨリ日露両国撤兵ノ後直ニ進ンテ該地方ニ於テ其主権ニヨリ完全ナル経営ヲ為シ以テ治安ヲ期シ且其主権ニヨリ同地方ニ於テ利ヲ興シ弊ヲ除キ着実ニ整頓ヲ行ヒ内外臣民ヲシテ生活及営業ノ安全ヲ得テ等シク清国政府ヨリ完全ノ保護ヲ享ケシムヘキコトヲ声明ス其整頓ノ方法ニ就テハ総テ清国政府自ラ適宜ノ措置ヲ行フヘキモノトス

在奉天省帝国臣民ノ取締

十一、清国ト日本国トハ素ヨリ友誼敦厚ナリ今囘日両国不幸ニシテ和ヲ失シ清国領土ニ於テ交戦スルニ至リタルモ今ヤ既ニ平和成立シ満州ニ於テハ戦争ナキニ至レリ而シテ撤退以前ノ日本軍隊ハ依然占領ノ権アリト雖近来日本国臣民カ満州ニ在リテ時々清国地方官ノ行政ニ干預シ又ハ清国公私財產ヲ毀損スルコトアル旨ヲ清国政府ニ於テ声明ス日本国全権委員モ亦若シ果シテ軍事必要以外ニ於テ此ノ如キコトアラハ至当ノ行為ニアラスト認ムルヲ以テ此ノ声明ノ意思ヲ日本国政府ニ伝達シテ速ニ相当ノ処置ヲ執リ奉天省ニ在ル日本国臣民ヲ取締リ益々交誼ヲ敦クシ軍事必要以外ニ於テ再ヒ清国ノ行政ニ干預シ又ハ公私ノ財產ヲ毀損スルコトナカラシムヘキ旨ヲ声明ス

清国公私財產ノ破壞又ハ使用ニ対スル帝国臣民ノ義務

十二、軍事用以外ニ於テ日本国臣民カ故意ニ破壞シ若クハ使用セル清国公私ノ各種財產ニ対シテハ両国政府ニ於テ夫レ々調査ノ上公平ニ償還セシムヘシ

清国地方官ノ土匪討伐ニ対スル措置

十三、清国地方官未タ日本軍隊ノ撤兵ヲ了セサル地方ニ於テ兵ヲ派シ土匪ヲ討伐スルトキハ必ス予メ其地方駐在日本軍司令官ト協議シ以テ誤解ヲ免レシムヘシ

鉄道守備隊ニ関スル声明

十四、日本国全權委員ハ長春ヨリ旅順大連租借地境界ニ至ル鉄道守備兵ハ其撤退以前ニ在リテ漫ニ清国地方行政権ニ牽礙セス又擅ニ鉄道区域外ニ出テサルヘキコトヲ声明ス

清国地方官ノ営口赴任及執務

十五、営口ニ駐在スヘキ清国地方官ハ日本軍隊該地撤退以前ト雖モ本条約確定ノ後北京駐在日本国公使清国外務部ト協議シテ可成速ニ赴任ノ期日ヲ定メ該地ニ赴キ事務ヲ執ラシムヘシ該地ニハ尚多数ノ日本軍隊アルヲ以テ検疫及防疫規則ヲ両国ニ於テ協議制定シ以テ疫病ノ伝染ヲ免レシムヘシ{「事務ヲ執ラシムヘシ・・・日本軍隊アルヲ」の行の上に「衞生事務」とあり}

営口海関收入等ノ交付

十六、営口海関收入ハ正金銀行ニ保管シ置キ撤兵ノ時清国地方官ニ交付スルコト営口常関收入及其他各地ノ收税ハ凡テ地方公共ノ費用ニ充テラルルモノニシテ撤兵ノ時其收支計算表ヲ清国地方官ニ交付スルコト

明治三八年(一九〇五年) 一一月二三日‐ 北京ニ於テ
一二月八日

  「條約彙纂、第一卷改訂版」外務省條約局編

 ※旧字を新字に直してあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1572年(元亀3)三方ヶ原の戦いが起き、武田軍が徳川・織田軍を破る(新暦1573年1月25日)詳細
1891年(明治22)第2回帝国議会で、樺山資紀の蛮勇演説が行われる詳細
1902年(明治35)「年齢計算ニ関スル法律」が施行され、数え年に代わり満年齢のみの使用となる詳細
1938年(昭和13)第1次近衛内閣が、「日支国交調整方針に関する声明」(第三次近衛声明)を出す詳細
1941年(昭和16)東条英機内閣が、「逓信緊急政策要綱」を閣議決定する詳細
1945年(昭和20)「労働組合法」が制定される詳細
1973年(昭和48)「国民生活安定緊急措置法」(昭和48年法律第121号)が公布・施行される詳細
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ohotsukukai01

 今日は、明治時代後期の1907年(明治41)に、ロシアのサンクトペテルブルクにおいて、「日露漁業協約」が調印された日です。
 「日露漁業協約(にちろぎょぎょうきょうやく)」は、日本とロシアとの間で締結された漁業に関する条約で、同年9月9日に批准し、東京において批准書交換、同月11日公付されました。日露戦争の結果、1905年(明治38)9月5日に、「日露講和条約」(ポーツマス条約)が締結され、その第11条「露西亞國ハ日本海・「オコーツク」海及「ベーリング」海ニ瀕スル露西亞國領地ノ沿岸ニ於ケル漁業權ヲ日本國臣民ニ許與セムカ爲日本國ト協定ヲナスヘキコトヲ約ス 」で初めて条約上の権益として日本人の露領漁業権が明文化され、これを受けて調印されたものです。
 その内容は、オホーツク海・ベーリング海などのロシア沿海の漁区の競売、税金、労働者の雇用について日露は同等の取扱いをうけることを定めたもので、漁業技術の高い日本にとって有利にはたらき、サケ・マス漁業の開発が進みました。しかし、1917年(大正6)のソビエト政府成立以降は、日本の北洋漁業独占が困難となり、特に、1919年(大正8)の有効期間終了後は消滅しています。
 以下に、「日露漁業協約及附属議定書」の全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「日露漁業協約及附属議定書」1907年(明治41)7月28日

日本國皇帝陛下及全露西亞國皇帝陛下ハ明治三十八年九月五日卽千九百五年八月二十三日(九月五日)「ポーツマス」ニ於テ締結セラレタル講和條約第十一條ニ依リ一ノ漁業協約ヲ締結セムカ爲日本國皇帝陛下ハ露西亞國駐劄特命全權公使法學博士本野一郞ヲ全露西亞國皇帝陛下ハ外務大臣「メートル、ド、ラ、クール」「アレキサンドル、イズヴォルスキー」、外務次官「コンセイエ、プリヴェ」「コンスタンチン、グバストフ」ヲ各其ノ全權委員ニ任命セリ因テ兩國全權委員ハ互ニ其ノ委任狀ヲ示シ其ノ良好妥當ナルヲ認メ左ノ諸條ヲ協議決定セリ

 第一條 魚類及水產物捕獲製造ノ權利

露西亞帝國政府ハ本協約ノ規定ニ依リ河川及入江(インレット)ヲ除キ日本海、「オコーツク」海及「ベーリング」海ニ瀕スル露西亞國沿岸ニ於テ膃肭獸及臘虎以外ノ一切ノ魚類及水產物ヲ捕獲、採取及製造スルノ權利ヲ日本國臣民ニ許與ス前記入江ハ本協約附屬議定書第一條ニ之ヲ列擧ス

 第二條 漁區貸下ノ方法及右ニ關スル內國待遇

日本國臣民ハ魚類及水產物ノ捕獲及製造ノ目的ヲ以テ特ニ設ケラレタル水陸兩面ニ亙ル漁區ニ於テ魚類及水產物ノ捕獲及製造ニ從事スルコトヲ得ヘシ前記漁區ノ貸下ハ其ノ短期タルト長期タルトヲ問ハス總テ競賣ノ方法ニ依テ之ヲ爲シ日本國臣民ト露西亞國臣民トノ間ニ何等ノ區別ヲ設クルコトナク該事項ニ關シ日本國臣民ハ本協約第一條ニ特定シタル各方面ニ於テ漁區ノ貸下ヲ受ケタル露西亞國臣民ト同一ノ權利ヲ享有スヘシ
前記競賣ノ爲メニ指定シタル時日及場所竝各種漁區ノ貸下ニ關シ必要ナル細目ハ競賣施行ヨリ少クトモ二箇月前浦潮斯德駐在日本國領事へ公然通牒セラルヘシ
特別免許狀ノ效力
特別ノ免許狀ヲ備フル船舶ニ在ル日本國臣民ハ鯨、鱈其ノ他特定漁區內ニ於テ捕獲スルコト能ハサル一切ノ魚類及水產物ノ漁獲ニ從事スルコトヲ得ヘシ

 第三條 岸地ノ使用權

本協約第二條ノ規定ニ依リ漁區ノ貸下ヲ受ケタル日本國臣民ハ其ノ漁區ノ限界內ニ於テ漁業ニ從事スルカ爲貸與セラレタル岸地ヲ自由ニ使用スルノ權利ヲ有スヘシ前記日本國臣民ハ該岸地ニ於テ漁船及漁網ニ必要ナル修繕ヲ加へ、漁網ヲ曳キ、魚類及水產物ヲ揚陸シ竝漁獲物及採取物ヲ鹽漬シ、乾燥シ、製造シ又ハ貯藏スルコトヲ得ヘシ且此等ノ目的ヲ以テ建物、倉庫、小屋及乾燥場ヲ自由ニ築造シ又ハ移轉スルコトヲ得ヘシ

 第四條 漁業權其ノ他ニ對スル課稅ニ關スル內國待遇

本協約第一條ニ特定シタル各方面ニ於テ漁區ノ貸下ヲ受ケタル日本國臣民及露西亞國臣民ハ漁業ヲ爲シ且捕獲物ヲ製造スル權利竝漁業ニ必要ナル動產及不動產ニ對シ賦課シ又ハ賦課セラルルコトアルヘキ一切ノ公課ニ關シテ均等ノ取扱ヲ享クヘシ

 第五條 日本國ニ輸出スル魚類及水產物ノ免稅

露西亞帝國政府ハ沿海洲及黑龍江洲ニ於テ捕獲又ハ採取セラレタル魚類及水產物ニ對シ此等ノ魚類及水產物カ日本國ニ輸出セラルヘキモノナルトキハ其ノ製造セラレタルト否トヲ問ハス何等ノ稅ヲ課スルコトナカルヘシ

 第六條 漁獲及製造ニ使用スル人員ノ國籍

本協約第一條ニ特定セラレタル各方面ニ於テ日本國臣民カ魚類及水產物ノ漁獲又ハ製造ノ爲使用スル人員ノ國籍ニ關シテハ何等ノ制限ヲ設クルコトナカルヘシ

 第七條 魚類等ノ製造方法ノ制限ニ關スル內國待遇

魚類及水產物ノ製造方法ニ關シテハ露西亞帝國政府ハ本協約第一條ニ特定セラレタル各方面ニ於テ漁區ノ貸下ヲ受ケタル露西亞國臣民ニ加ヘサル特別ノ制限ヲ日本國臣民ニ加フルコトナキヲ約ス

 第八條 漁業權取得者ノ日本國ト漁場トノ直接往復

漁業權ヲ取得シタル日本國臣民ハ日本國ニ於テ當該露西亞國領事ノ發シタル證明書及日本國官憲ノ發シタル健康證書ヲ有スル船舶ヲ以テ日本國ト漁場トノ間ニ直接往復スルコトヲ得ヘシ
漁業權取得者ノ各漁場間ノ運搬權
前記船舶ハ何等ノ公課ヲ課セラルルコトナク一ノ漁場ヨリ他ノ漁場ヘ漁業上必要ナル人員、物件竝漁獲物及採取物ヲ運搬スルコトヲ得ヘシ但シ前記船舶ハ他ノ一切ノ關係ニ於テハ沿岸航海ニ關スル露西亞國ノ現行又ハ將來ノ法律ヲ遵守スヘキモノトス

 第九條 魚類ノ養殖保護等ノ法令ニ關スル內國待遇

本協約第一條ニ特定シタル各方面ニ於テ漁區ノ貸下ヲ受ケタル日本國臣民及露西亞國臣民ハ魚類ノ養殖方法、魚類及水產物ノ保護、此等產業ニ關スル取締竝漁業上他ノ一切ノ事項ニ關スル現行又ハ將來ノ法律、命令及規則ニ關シ均等ノ取扱ヲ受クヘシ
前記法律及命令カ新ニ制定セラレタルトキハ其ノ施行ヨリ少クトモ六箇月前日本國政府ニ通牒セラルヘシ
前記規則カ新ニ發布セラレタルトキハ其ノ施行ヨリ少クトモ二箇月前浦潮欺德駐在日本國領事ニ通牒セラルヘシ

 第十條 日本漁業者ノ內國待遇

本協約ニ於テ特ニ規定セサル事項ト雖本協約第一條ニ特定シタル各方面ニ於ケル漁業ニ關係スルモノニ付テハ日本國臣民ハ前記各方面ニ於テ漁區ノ貸下ヲ受ケタル露西亞國臣民ト同一ノ待遇ヲ享クヘシ

 第十一條 特定方面以外ノ借區內ニ於ケル魚類等ノ製造ニ關スル最惠國待遇

日本國臣民ハ本協約第一條ニ特定シタル各方面以外ノ借區內ニ於テ一切ノ魚類及水產物ノ製造ニ從事スルコトヲ得ヘシ但シ此ノ場合ニ於テハ霞{前1文字ママ}西亞國在留一切ノ外國人ニ適用セラルル現行又ハ將來ノ法律、命令及規則ヲ遵守スヘシ

 第十二條 沿海洲及黑龍江洲ノ漁獲物ニ對スル輸入稅ノ免除

日本帝國政府ハ露西亞帝國政府カ本協約ニ依リ日本國臣民ニ對シ漁業權ヲ許與シタルコトニ鑑ミ沿海洲及黑龍江洲ニ於テ漁獲又ハ採取シタル魚類及水產物ニ對シ其ノ製造セラレタルト否トヲ問ハス何等ノ輸入稅ヲ課スルコトナキヲ約ス

 第十三條 本協約ノ有效期間

本協約ハ十二箇年間效力ヲ有スヘク毎十二箇年ノ終ニ於テ兩締約國相互ノ合意ニ依リ之ヲ更新又ハ改正スヘキモノトス

 第十四條 本協約ノ批准

本協約ハ批准セラルヘシ而シテ其ノ批准書ハ成ルヘク速ニ且如何ナル場合ニ於テモ調印後四箇月以內ニ東京ニ於テ交換セラルヘシ

右證據トシテ兩國全權委員ハ本協約ニ記名調印スルモノナリ

 明治四十年七月二十八日卽千九百七年七月十五日(二十八日)聖彼得堡ニ於テ之ヲ作ル

  本野一郞<印>
  イズヴォルスキー<印>
  グバストフ<印>

 同上附屬議定書

日本國皇帝陛下ノ政府及全露西亞國皇帝陛下ノ政府ハ本日調印シタル漁業協約ヨリ生スル或種ノ問題ヲ決定スルノ必要アルヲ認メタルニ因リ兩國全權委員ハ左ノ諸條ヲ協議決定セリ

 第一條 除外入江ノ名稱

本日調印シタル漁業協約第一條ニ記載シタル例外トナルヘキ入江(インレット)ハ左ノ如シ
 一 「ラウレンチイヤ」灣(「プナウグン」岬ト「カルギラク」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 二 「メチグメンスカヤ」灣
 三 「コニアム」灣一名「ペンケグネイ」灣(「ネチホノン」岬ト「カラブ、ビーク」トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 四 「アボレエシエフ」灣一名「コロガン」灣
 五 「ルメレート」灣
 六 「プロヴェデエーニエ」灣(「レソフスキー」岬ト「ルイサヤ、ガラワ」トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 七 「クレスト」灣(「メエエチケン」岬ト同緯線ニ至ル迄)
 八 「アナドイル」灣(「ワシィリヤ」岬ト「グエック」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 九 「パアウエル」灣
 十 「シリューポチナヤ、ガーワニ」
 十一 「チェレニエ」湖
 十二 「シエスチフウトーオエ」湖
 十三 「バロン、コルフ」灣ノ北部
 十四 「カラーガ」港
 十五 「ベチェヴヰンスカヤ」灣{ヰは原文では捨て仮名}
 十六 「アヴアチンスカヤ」灣(「ベヅイミヤンヌイ」岬ト「ダルニー」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 十七 「ペンヂンスカヤ」灣(「マメート」岬ト同緯線ニ至ル迄)
 十八 「コンスタンチン」太公灣
 十九 「ニコライ」灣(「ラムスドルフ」岬ト「グロテ」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 二十 「スチヤスチヤ」灣
 二十一 「バイカル」灣(「チャウノ」岬ト「ヴヰトウトフ」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄){ヰは原文では捨て仮名}
 二十二 「ヌイスキー」灣
 二十三 「ナビリスキー」灣
 二十四 「クレストーワヤ」灣
 二十五 「スタルク」灣
 二十六 「ワニン」灣(「ヴエッセリー」岬「トブールニー」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 二十七 「イムペラートルスカヤ、ガーワニ」(「ミリウチン」岬ト「プチャーチン」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 二十八 「テルネイ」灣(「ストラーシヌイ」岬ト同子午線ニ至ル迄)
 二十九 「ウラヂーミル」灣(「バリユーゼク」岬ト「バトフスキー」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 三十 「プレオブラジエーニエ」灣ノ北東部ニ在ル小ナル入江(「マトヴエーエフ」岬ト同子午線ニ至ル迄)
前記例外ハ露西亞國領水ノ範圍內ニ於テノミ其ノ效力ヲ及ホスヘキモノタルハ別ニ言ヲ俟タサルモノトス

オコーツク海北岸ニ於ケル入江ノ定議

「ポドカゲルナヤ」河口ヨリ「アヤン」港ニ至ル「オコーツク」海ノ北岸ニ於テハ「ペンヂンスカヤ」灣(第十七條參照)ヲ除キ前記例外トナルヘキ入江(インレット)ハ下ノ定義ニ從ヒ之ヲ決定スヘシ卽陸地ニ灣入セル部分ノ長(「タルウェッグ」ノ長)江口ノ幅ノ三倍以上ニ及フ灣ハ之ヲ例外トナルヘキ入江トス

漁業禁止區域

右ノ外左記ノ港灣ノ領水範圍內ニ於テハ軍略上ノ理由ニ依リ日本國臣民及他ノ諸外國人ニ對シテ漁業ヲ禁止スヘシ

 一 「デ、カストリー」灣及「フレデリックス」灣(「カストリー」岬ト「クロステル、カンプ」岬トヲ連結スル直線及「クロステル、カンプ」岬ト「オストルイ」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 二 「オリガ」灣(「マネフスキー」岬ト「シユコート」岬トヲ連結スル直線ニ至ル迄)
 三 彼得大帝灣(「バワロートヌイ」岬ヨリ「ガモウ」岬ニ至ル迄但シ灣內ノ群島ヲ包含ス)
 四 「ポシエット」灣(「ガモウ」岬ヨリ「ブタコウ」岬ニ至ル迄)

 第二條 河海ノ境界

河ト海トノ境界ニ關シテハ兩締約國ハ國際法ノ原則及慣例ニ從テ之ヲ決定スヘシ

 第三條 黑龍江海灣漁業權ノ特別條件

漁業協約ニ依リ黑龍江海灣(リマン)ニ於テ日本國臣民ニ許與セラレタル漁業權ハ左ノ特別條件從フヘキモノトス

 一 日本國臣民ハ該方面ニ於テ露西亞國臣民ト均シク競賣ノ方法ニ依リ漁區ノ貸下ヲ受クルコトヲ得ヘシ
 二 漁區ノ貸下ヲ受ケタル日本國臣民ハ漁業上一切ノ關係ニ於テ漁區競落人タル露西亞國臣民ト均シク黑龍江沿岸河川漁業ニ關シ制定セラレ又ハ制定セラルヘキ法律、命令及規則ニ從フヘク特ニ該方面ニ於ケル漁區借受人ニ對シ外國勞働者ノ使用ヲ禁止スル規則ニ從フヘキモノトス

 第四條 漁區ノ貸下法漁業法令ニ關スル內國待遇

日本國臣民ハ漁業協約第一條ニ特定シタル各方面何レノ所ニ於テモ漁區ノ貸下ヲ請願スルトキハ競賣ノ方法ヲ以テ其ノ貸下ヲ受クルコトヲ得ヘシ但シ前記各方面ニ於ケル魚類ノ養殖及保護、此等產業ノ取締其ノ他漁業ニ關スル現行又ハ將來ノ法律、命令及規則ヲ遵守スルヲ要ス尤日本國臣民ハ前記法律、命令及規則カ前記各方面ニ於テ漁區ノ貸下ヲ受ケタル露西亞國臣民ニ適用アルニアラサレハ之ニ服從スルコトヲ要セサルハ言ヲ俟タサルモノトス

 第五條 漁區ノ貸下ヲ受ケタル露國臣民

「漁區ノ貸下ヲ受ケタル露國亞國臣民」ナル名稱ハ(漁業協約第二條、第四條、第七條、第九條及第十條竝本議定書第四條參照)特別ノ取扱ヲ受クル移住民及土民ニハ之ヲ適用セサルモノトス

 第六條 移住民土民漁業權ノ留保

露西亞帝國政府ハ競落人ニ貸下ケタル漁區ノ存在セサル場所ニ定住ノ爲來着スル移住民ニ對シテハ漁業權ヲ許與スルノ權利ヲ留保スルハ言ヲ俟タサルモノトス土民ニ對シテモ亦同シ
露西亞國政府ハ一度漁區ヲ開設シタル場所ニ於テ漁業協約存續期間內移住民又ハ土民ニ前項ノ權利ヲ許與セサルへキコトヲ約ス
移住民タル資格ハ勞働者ヲ使用スルコトナク自ラ漁業ニ從事スル者及其ノ家族ニノミ之ヲ認ムルモノトス

 第七條 現在漁區

露西亞帝國政府ハ漁業協約第一條ニ特定シタル各方面ニ於テ既ニ存在スル漁區ハ移住民カ自己ノ漁業ノ爲現今占有スルモノヲ除クノ外該協約存續期間內之ヲ開キ置クヘキコトヲ將來ノ爲保證ス

 第八條 漁區ノ貸下期間

競賣ニ付スル漁區ノ貸下期間ハ左ノ如ク之ヲ定ム
 (一)漁業協約施行後ニ於テ始メテ開カルル漁區ニ付テハ一箇年
 (二)一箇年間既ニ經營シタル漁區ニ付テハ三箇年
 (三)三箇年ノ第一期間既ニ經營シタル漁區ニ付テハ三箇年
 (四)三箇年ツツ二期間既ニ經營シタル漁區ニ付テハ五箇年

 第九條 漁業協約滿了ノ際貸下期限未到達ノ漁區

漁業協約第十三條ニ記載シタル十二箇年ノ期間終了ノ際ニ於テ未タ貸下ノ期限到來セサル漁區ハ漁業協約ニ關シ兩締約國ノ爲スヘキ決定如何ニ拘ハラス其ノ貸下ニ付定メタル期間內引續キ有效ナルモノトス

 第十條 鰊及鰊以外ノ魚類ノ肥料製造及紅魚ノ製造ニ關スル權利

露西亞帝國政府ハ日本國臣民カ鰊及鰊群來ノトキ鰊ト共ニ偶然網中ニ入リタル他ノ各種魚類ヲ以テ肥料ヲ製造スルコトニ異義ナシ又日本國臣民カ日本風ノ製法ニ依リ紅魚(鮭鱒ノ種屬)ヲ製シ且鹽漬又ハ鹽引ニスルコトニ關シテモ亦同シ

 第十一條 航海證書

日本國ト露西亞國領水內ノ漁場トノ間ヲ往復スルコトニ關スル航海證書ハ左記ノ事項ヲ證明スヘキ書類ヲ提出シタル日本國漁業者ニ對シ當該露西亞國領事館ヨリ之ヲ交付スヘシ
 一 船舶カ囘航セムトスル一箇又ハ數箇ノ漁區ノ貸下ヲ受ケタル權利
 二 乘組人ノ員數
 三 單ニ漁業ニノミ使用セラルヘキ載貨ノ性質及積量
航海證書ニハ左記ノ事項ヲ記載スヘシ
 一 船舶及船籍港ノ名
 二 漁業者卽一箇又ハ數箇ノ漁區ノ借受權利者ノ名
 三 船舶ノ囘航先ナル一箇又ハ數箇ノ漁區ノ所在地
 四 載貨ノ性質及積量
 五 乘組人ノ員數
前記航海證書及健康證書ヲ有スル船舶ハ航海證書ニ記載シタル露國沿岸ノ地點ニノミ到リ且該地點ニノミ碇泊スルコトヲ得ヘシ該船舶カ常ニ關稅港ニ出入スルコトヲ得ヘキハ言ヲ俟タサルモノトス
鯨鱈等漁獲免許狀
漁業協約第二條第三項ニ依リ鯨、鱈等ノ漁獲ヲ爲スカ爲露西亞國領水內ニ到ル日本船舶ハ豫メ露西亞國ノ特定港ニ碇泊シ當該露國官憲ヨリ該漁獲ニ關シ特別ナル免許狀ノ給付ヲ受クヘシ該免許狀ハ同時ニ航海證書タル性質ヲ有スルモノトス

 第十二條 建網ノ使用

日本國臣民ノ占有スル一切ノ漁區ニ於テハ其ノ河口ニ最モ接近セルモノノ外通常ノ建網ヲ使用スルコトヲ得ヘシ河口ニ最モ接近セル漁區ニ於テモ曳網ニ依リ漁獲ヲ行フコトヲ得サル場合ニ於テハ建網ノ使用ヲ禁止セサルへキコトヲ約ス

 第十三條 魚類及水產物ノ定義

漁業協約及附屬議定書中ニ使用セル「漁類及水產物」ナル文字ハ膃肭獸及獵虎ヲ除クノ外一切ノ魚類、水產動植物其ノ他一切ノ水產物ヲ指示スルモノト解スヘキモノトス

 第十四條 本議定書ハ本日調印シタル漁業協約ノ批准ニ依リ批准セラレタルモノト看做サルヘシ

本議定書ノ存續期間ハ前記協約ノ存續期間ト同一ナルモノトス

右證據トシテ兩國全權委員ハ本議定書ニ記名調印スルモノナリ

 明治四十年七月二十八日卽西曆千九百七年七月十五日(二十八日)聖彼得堡ニ於テ本書二通ヲ作ル
   本野一郞印
   イズヴォルスキー印
   グパストフ印

   「條約彙纂 第一卷」外務省條約局編より

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 今日は、明治時代後期の1903年(明治36)に、満州問題に関する対露強硬論である「大学七博士意見書」が政府に提出された日です。
 「大学七博士意見書(だいがくしちはくしいけんしょ)」は、東京帝国大学教授の戸水寛人、富井政章、金井延、寺尾亨、高橋作衛、小野塚喜平次と学習院教授の中村進午の七博士が、当時の内閣総理大臣桂太郎、外務大臣小村壽太郎ら元老や各大臣に提出した意見書で、翌日付「東京日日新聞」に一部が掲載され、同年6月24日付「東京朝日新聞」4面には全文掲載されました。内容は、桂内閣の外交を軟弱であると糾弾して「満州、朝鮮を失えば日本の防御が危うくなる」とし、ロシアの満州からの完全撤退を唱え、対露武力強硬路線の選択を迫った日露開戦論でしたが、伊藤博文は「我々は諸先生の卓見ではなく、大砲の数と相談しているのだ」と冷淡だったとされます。
 これに対する世間の反響は大きく、彼らは新聞・雑誌への執筆や遊説を行ない世論を喚起、戸水は日露戦争末期に賠償金30億円と樺太・沿海州・カムチャッカ半島割譲を講和条件とするように主張したため、文部大臣久保田譲は、1905年(明治38)8月に「文官分限令」を適用して戸水を休職処分としました。しかし、戸水は金井、寺尾と連名で「ポーツマス条約」に反対する上奏文を宮内省に対して提出したため、文部大臣は東京帝国大学総長の山川健次郎を依願免職の形で事実上更迭します。
 ところが、東京帝国大学全学教授がこれに反対する抗議運動を起し、京都帝国大学の教授も呼応し、2人の復職と言論の自由、大学の自治を主張、総辞職をも賭けて戦いました。これによって、逆に文部大臣が辞職せざるをえなくなり、翌年同時に2人の復職も認められるという、いわゆる「戸水事件」となり、国立学校人事干渉事件の第一号とされています。
 以下に、「大学七博士意見書」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「大学七博士意見書」1903年(明治36)6月10日に内閣総理大臣桂太郎・外務大臣小村壽太郎らに提出

およそ天下のこと、一成一敗間髪を入れずよく機に乗ずれば、禍を転じて福となし、機を逸すれば幸い転じて禍となす。外交のこととくに然りとなす。しかるに顧みて七八年来、極東における事実を察すれば往々にしてこの機を逸せるものあり。遼東還付のさい、その不割譲の条件を留保せざりしは、これ実に最必要の機を逸せるものにして、今日の満州問題を惹起する原因といわざるべからず。のちドイツが膠州湾を租借するや、薄弱なる海軍力をもって長日月を費やし、もって我が極東に臨む彼の艦隊や顧みて後継の軍力ありしにあらず。進んで依拠すべき地盤ありしにあらず。渺々として万里に懸軍するの有様なりしをもってこの機に乗じ、掲ぐるに正義をもってし、臨むに実力をもってせば、たとえ彼裕大な欲望を有するも、何をもってかこの正義とこの強力に抵抗することを得んや。当時もしドイツをして膠州湾に手を下すあたわずんば、露国もまた容易に旅順大連の租借を要求することあたわざりしや明らかなり。然るに我邦逡巡なす所なく、遂に彼らをしてその欲望を逞しうするを得せしめたるは、実に浩嘆の至りにたえず。機を逸するの結果また大ならずや。北清事件のあと諸国の兵を撤せんとするにさいし、詳細に満州の撤兵に関する規定を立てなば、もって今日露国をして撤兵に躊躇するの余地を存せしめざるべからざるや。これまた外交の機を逸したるものといわざるべからず。今や第2回撤兵の期既に過ぎ而して露国はなおその実をあげず。 このときに当り空しく歳月を経過して、条約の不履行を不問にふし、若しくは姑息の政策により一時を彌縫せんとするがごとき終わらば、実に千載の機会を逸し、国家の生存を危うくするものとなすべからず。噫、我邦既に一度遼東の還付に好機を逸し、再びこれを北清事件に逸す。豈にさらにこの覆轍を踏んで失策を重ぬべけんや。既往は追うべからず。ただこれを東隅に失うも、これを桑楡に収むるの策を講ぜざるべからず。特に注意を要すべきは、極東の形勢漸く危急迫り、既往の如く幾回も機会を逸するの余裕を存せず。今日の機会を失えば、遂に日清韓をして再び頭を上ぐるの機なからしむるに至るべきこと是なり。今日は実に是千載一遇の好機にして、しかも最後の好機たるを自覚せざるべからず。この機を失いもって万世の患を遺すことあらば、現時の国民は何をもってかその祖宗に答え、また何をもってか後世子孫に対することを得ん。今や露国は次第にその勢力を満州に扶植し、鉄道の貫通と城壁砲台の建設等により、漸くその基礎を堅くし、殊に海上においては盛んに艦隊の勢力を集注し、海に陸に強勢を陪蕩しもって我邦を威圧せんとすること最近の報告の証明するところなり。ゆえに一日を遷延すれば、一日の危急を加う。しかれども独り喜ぶ、刻下我が軍力は彼と比較してなお些少の勝算あることを。しかれども、この好望を継続し得べきは僅々一歳内外を出ざるべし(もしそれその軍機の詳細は多年の研究の結果これを熟知するも事機密に属するをもってここにこれを略す)。この時に当りて等閑機を失わば、実にこれ千秋の患を遺すものと問わざるべからず。
今や露国は実に我と拮抗し得べき成算あるに非ず。しかるにそのなす所をみれば、あるいは条約を無視し、あるいは馬賊を扇動し、あるいは仮装をもってその兵を朝鮮にいれ、あるいは租借地を半島の要地に得んと欲するが如き傍らに與国なきが如し。今日すでに然り。他日彼れその強力を極東に集め、自ら成算あるを知らば、そのなす所知るべきのみ。彼れ地歩を満州に占むれば、次に朝鮮に臨むこと火をみるが如く朝鮮すでにその勢力に服すれば、次に臨まんとする所問わずして明らかなり。ゆえに曰く。今日満州問題を解決せざれば朝鮮空しかるべく、朝鮮空しければ日本の防禦は得て望むべからず我邦上下人士が今日において自らその地位を自覚し、姑息の策を捨てて根底的に満州問題を解決せざるべからざる所以まさにここに存す今や我邦なお成算あり。これ実に天の時を得たるものなり。しこうして、彼れなおいまだ確固たる根拠を極東に完成せず。地の利全く我にあり。しこうして、四千有余万の同胞は皆密に露国の行為を憎む。これ豈人の和を得たるものに非ずや。しかるに、この際決する所なくんば、これ天の時を失い地の利を棄て人の和に背くものにして、地下祖宗の遺稟を危うくし、万世子孫の幸福を喪うものといわざるを得ず。
あるいは曰く。外交の事は慎重を要す。英米の態度これを研究せざるべからず。独仏の意向これを探知せざるべからずと。まことにその如し。しかれども諸国の態度は大体においてすでに明らかなり。独仏の我に左袒せざるは明亮にして、また露国のためにその戦列に加わわざるもまた瞭然たり。なんとなれば日英同盟の結果として、露国とともに日本を敵とすることは同時に英国を敵とする決心を要するものにして、彼らは満州のためにこの決心をなさざるべければなり。米国の如きはその目的満州の開放にあり。満州にして開放せらるればその地主権者の清国たると露国たるとを問わず単に通商上の利益を失わざるをもって足れりとす。ゆえに極東の安全清国の保全を目的とせる外交においてこの国を最後の侶伴となさんと欲するは自らの行動の自由を束縛するものに外ならず。ゆえに米国の決心を待ちて強硬の態度をとらんと欲するは適切の手段に非ず。もしそれ英国に至りては、ただつぶさに日英条約によってその意志を確かむべきのみ。 該条約の解釈上、日本もし一国を敵とするとき英国は厳正中立を守るの義務あり。これ今更交渉を要せざることなり。かつ4月8日より今日まですでに二ヶ月余を経過す。この期間は英国の意志を確かむるにおいてすでに十分なりといわざるべからず。英国に対する交渉の時期は、すでに五六週間の過去に属す。もしさらに事を交渉に託して遷延日を広うし、もってこの千載の好機を逸するが如きことあらば、天下の恨事何かこれに過ぎん。
論者あるいは曰く。朝鮮は如何なる理由によりても他国の勢力に帰せしむるべからず。この説また大いに可なり。しかれども朝鮮を守らんと欲せば満州を露国の手に帰せしむべからず。 殊に注意を要するは外交争議の中心を満州に置くと、これを朝鮮に置くとは、その間に大径庭あることこれなり。けだし露国は問題を朝鮮によりて起さんと欲するが如し。何となれば争議の中心を朝鮮に置くときは、満州を当然露国の勢力内に帰したるものと解釈し得るの便宜あればなり。ゆえに極東現時の問題は、必ず満州の保全についてこれを決せざるべからず。もし朝鮮を争議の中心とし、その争議に一歩を譲らば、これ一挙して朝鮮と満州とを併せ失うこととなるべし。要するに満州問題は朝鮮の利益と干連して論ずるの必要なく、満州問題は満州問題として解決するを要す。満州において些少かつ有名無実の空利を得るがために、朝鮮における我邦の権利を制限拘束し多大の譲歩をなすが如きは実に現状より一歩を譲りて不利の地に退くものに外ならず
顧みて法理上よりこれを論究すれば、露国の撤退はその義務たること言をまたず。しこうして、その撤兵とは単に満州の甲地より乙地に兵を移すの謂いに非ず。鉄道の守備隊そのものを撤退するの意なり。 
満州還付協約第二条に曰く 
 清国政府は満州における統治および行政権を回復するにあたり千八百九十六年八月二十七日露清銀行と締結せる契約の期限ならびにその他条款の堅守を確認しまた該契約第五条にしたがい鉄道およびその職員を極力保護するの義務を負担しまた等しく満州在住の一般露国臣民およびその創設に係る事業の安固を擁護するの責務を承諾す
この条文中に引用せられたる露清銀行との契約第五条をみるに
 鉄道および鉄道に使用する人員は清国政府より法を設けてこれを保護し云々
とありしからば、満州鉄道の保護は清国の法に随いてこれを保護せざるべからず。しこうして清国の法は未だかつて露国兵の鉄道を保護することを認めず。ゆえに露国が自ら兵をもって鉄道を保護する、これ条約に基づきたるものに非ず。また法律に拠りたるものにも非ず。されば満州の撤兵とは満州各所の兵も鉄道守備兵もいっさいこれを撤去するの意にして、露国は万国環視の裏にこの誓約をなせしものなり これをもってこの不履行により危急存亡の大関係を有する邦国は、最後の決心をもってこれを要求するの権利あり。ゆえに我邦は鋭意この撤兵を要求せざるべからず。たとへ露国政治家たるものの甘言をもって我を誘うことあるも、満韓交換またはこれに類似の姑息退譲策に出でず。根底的に満州還付の問題を解決し最後の決心をもって大計画を策せざるべからず。これを要するに、吾人はゆえなくして漫りに開戦を主張するものには非ず。また吾人の言議の的中して後世より預言者たるの名誉を得るはかえって国家のために嘆ずべしとするものなり。噫、我邦人は千載の好機の失うべからざることを注意せざるべからず。また此好機を失はゞ遂に我邦の存立を危うすることを自覚せざるべからず。姑息の策に甘んじて曠日彌久するの弊は結局自屈の運命をまつものに外ならず。ゆえに曰く。今日の時機において最後の決心をもってこの大問題を解決せよと。
     「東京朝日新聞」明治36年6月24日付朝刊より
 ※原文の縦書きを横書きに、旧字を新字に改めて、句読点を付し、「ヽ」で強調の箇所を太字としています。

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1216年(建保4)歌人・随筆家鴨長明の命日(新暦7月26日)詳細
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1897年(明治30)古社寺保存法」(明治30年6月10日法律第49号)が公布される詳細
1962年(昭和37)北陸本線の北陸トンネルが開通する詳細
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hibiyayakiuchijiken01

 今日は、明治時代後期の1905年(明治38)に、日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」を巡って、東京で日比谷焼打事件の起きた日です。
 日比谷焼打事件(ひびややきうちじけん)は、講和問題同志連合会(対外強硬派の政治団体の連絡機関)が計画した東京・日比谷公園のポーツマス講和条約反対国民大会に集まった民衆が、内相官邸・国民新聞社・警察署・交番・市街電車などを焼き打ちした暴動事件でした。1905年(明治38)8月末に、日露講和会議の内容について、「万朝報」、「大阪朝日新聞」をはじめ各紙は、多くの犠牲者や膨大な戦費を要したにも関わらず、直接的な賠償金が得られなかったことなどから、条約破棄の論調に終始し、都市部を中心に全国的に日露戦争講和反対運動が起こります。
 東京では対露同志会、黒竜会を中心とする対外硬派9団体による講和問題同志連合会主催により、日比谷公園で講和条約反対国民大会(座長は憲政本党河野広中)が計画されますが、政府は事前に大会を禁止、実行委員を検束、公園を封鎖しました。しかし、日比谷公園に集まった数万人の民衆は警官隊を突破して、公園内になだれ込んで大会を強行、終了後、街頭に出た民衆は投石を行い警官隊と衝突します。
 さらに自然発生的に桂太郎内閣の御用新聞国民新聞社、内相官邸、警察署、交番・派出所の7割、キリスト教会13ヶ所、市街電車15台などを焼打ちしました。このため政府は、翌6日深夜に東京市および府下4郡に戒厳令を敷き軍隊が出動、新聞・雑誌の発売禁止・発行停止を行なったものの、負傷者2,000人、死者17人、被検束者2,000人を数える大暴動事件となります。
 尚、全国各地でも講和反対の大会や演説会が20日頃まで開かれて決議や宣言を発し、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こりました。

〇日比谷焼打事件の被害にあった建物一覧

・内務大臣官邸
・外務省
・国民新聞社
・駒形町福音伝道館
・三軒町美以教会
・黒船町聖約翰教会
・森下町救世軍分営
・芝崎町浅草美以教会・牧師館(現・日本基督教団浅草教会)
・横川町天主教会・付属小学校
・吉田町天主教信者鈴木房次郎宅
・松倉町同盟教会講義所(現・日本同盟基督教団)
・向島小梅町同盟教会(現・日本同盟基督教団)
・両国矢ノ倉町日本基督教会(現・日本基督教団永福町教会)
・御士町日本基督教会(現・日本基督教団豊島岡教会)
・日本基督明星教会(現・日本基督教団小石川明星教会)
・車坂町美以教会(現・日本基督教団下谷教会)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1905年(明治38)「日露講和条約(ポーツマス条約)」が調印され、日露戦争が終結する詳細
1966年(昭和41)第2宮古島台風により宮古島で日本最高の最大瞬間風速(85.3m/s)を観測詳細
1975年(昭和50)日本画家堂本印象の命日詳細


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