
その内容は、①超均衡予算:地方財政・民間産業・国有企業への補助金の縮小、②1ドル=360円の単一為替レートの確立、③耐乏生活による輸出の推進などで、これによって吉田茂内閣は均衡予算を作成することとなりました。また、税制ではシャウプ使節団の勧告(シャウプ勧告)にしたがって、所得税を中心とする直接税中心の増税、資本蓄積のための減税を行ないます。
その結果インフレは収束したものの、以後日本経済はデフレへと向かい、重税や金詰りから不況の嵐(ドッジ不況)が吹きまくり、大企業の合理化、中小企業の倒産が相次ぎ、庶民の暮らしは困窮が続くこととなりました。1950年(昭和25)7月6日には、東京証券取引所の修正平均株価(現在の日経平均株価)は、算出来の安値となる85.25円を記録(現在に至るまで史上最安値)するまでに至ります。
以下に、「九原則実行に関するドッジ声明」(抜粋)を掲載しておきますので、ご参照下さい。
その内容は、①)総予算の均衡、②徴税強化、③信用膨張制限、④賃銀安定、⑤物価統制強化、⑥貿易統制改善と外為統制強化、⑦輸出増加のため資材割当改善、⑧重要国産品増産、⑨食料集荷改善を定めており、これらは単一為替レート設定の早期実現の不可欠の前提だとされました。この当時の日本は、復興金融債の大半を日本銀行が引き受け、日本銀行券の増発によって蓄積された資金を重要産業に供給していましたので、生産回復より通貨の増発が優先し、相当のインフレを助長していたのです。
そこで、政府はアメリカからの外資導入によって、なし崩し的にインフレ収束を図りましたが、うまくいかない状況となりました。しかし、冷戦の激化によって、アメリカが対日占領政策を転換し、日本の経済復興に強い関心を示すに至ったことと、日本の激しいインフレを収束させ、単一為替レートが設定できるような条件を整えることが必要と判断し、この「経済安定9原則」の発表に至ったものです。
これらの原則は、翌年のドッジ・ライン、シャウプ勧告に基づく税制改革に引継がれ、物価は急速に安定化の方向をたどり、1ドル=360円の単一為替レートが設定されるに至ったものの、重税や金詰りから不況の嵐が吹きまくり、大企業の合理化、中小企業の倒産が相次ぎ、庶民の暮らしは困窮が続くこととなりました。