ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:シャウプ勧告

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 今日は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に、シャウプ使節団(第二次)の正式報告書全文(第二次シャウプ勧告)が出された日です。
 シャウプ勧告(しゃうぷかんこく)は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の要請によって来日したコロンビア大学教授 C.シャウプを団長とする使節団(7名)が日本の租税制度に関して行なった勧告で、正式名称は、「Reporton Japanese Taxation by the Shoup Misson」(シャウプ使節団日本税制報告書)といいました。この使節団は、昭和時代中期の1949年(昭和24)4月7日~6月19日に来日し、4ヶ月弱に及ぶ、政府、地方自治体の財政担当者、学者との懇談や全国各地の視察など各種調査後、同年8月27日付で、第一次報告書(概要)が出され、9月15日にGHQが第一次報告書(全文)を発表します。
 翌年8月に、シャウプ使節団(第二次)が再来日し、9月21日付で、第二次の正式報告書(全文)が出されました。その内容は、税制の抜本的改革を示し、直接税中心主義の徹底(所得税は徹底した総合課税とし、富裕税・再評価税の新設等)、地方財政の強化(地方税の独立税化等)、申告納税制の採用(青色申告・予定申告等)などを内容とし、一貫した租税体系として提案されています。
 この背景には、ドッジ・ラインによる日本経済の安定化に対応して、恒久的な租税制度の確立を目指すことがあり、その後の日本の税制の原点となりました。1950年(昭和25)の税制改革で、国税・地方税などに採用されましたが、その過程で大資本家の意向や政治家の介入などにより、勧告と異なる内容になったものもあります。

〇日本税制使節団(シャウプ使節団)のメンバー

・カール・S・シャウプ:コロンビア大学商学部教授兼政治学部大学院教授(税制使節団長)
・ウィリアム・ヴィックリー:コロンビア大学経済学部大学院教授(1996年ノーベル経済学賞受賞者)
・ウィリアム・C・ウォレン:コロンビア大学法科大学院教授
・ハワード・R・ボーエン:イリノイ大学商業・経営経済学部長
・スタンレー・S・サリー:カリフォルニア大学法学部教授
・ジェローム・B・コーエン:ニューヨーク市立単科大学経済学部教授
・ローランド・F・ハットフィールド:セント・ポール収税庁、税制調査局長

☆シャウプ使節団(第一次・第二次)関係略年表

<1949年(昭和24)>

・4月1日 GHQが5月初旬にシャウプ博士ほか6名からなる税制使節団(第一次)来日を発表する
・4月7日 使節団員ジェローム・B・コーエンが来日する
・4月28日 農林省農業改良局、NRSに対し、農民負担に関する諸資料を提出する
・5月10日 シャウプ博士、ヴィックリ一博士、ハットフィールド氏が来日する
・5月29日 農家の税負担の軽減につき、来週早々、森農相、片桐次官、シャウプ使節団と会見のうえ、要望書を手渡す予定と、「東京新聞」が報道する
・6月初旬 農林省、農林漁業の課税負担の現状とその改正に関する要望を、シャウプ使節団へ提出する
・6月11日 日本農民組合総本部、シャウプ使節団に対し、税制改革に関する意見書を作成、スタンレー・S・サリー氏が来日する
・6月12日 ハワード・R・ボーエン氏が来日する
・6月19日 ウイリアム・C・ウオーレン氏が来日する
・6月25日 農業復興会議現行税制改革に関する意見を表明、近くシャウプ使節団に提出する予定と、「東京新聞」、「日本経済新聞」が報道する
・7月14日 過重と不均衡にあえいでいる農村課税に対するシャウプ使節団の考え方(源泉課税方式の採用等)を、農林省へ示唆する
・7月15日 農林省関係者、シャウプ税制使節団に対し、源泉課税・徴収に対する意見等を要望する
・7月16日 GHQ/NRS、農林省に対し供出代金につき源泉課税徴収案内示ありたることを「時事新報」が報道する
・7月21日 大蔵省主税局、NRS提案にかかる農業所得税の賦課徴収計画概要に対し、意見を表明する
・7月22日 農林省、源泉徴収は回避、農家所得課税につき、第1案、第2案を呈示のうえ折衝と「毎日新聞」報道用
・8月26日 シャウプが内外記者団と会見、その概要を発表して、帰国する
・8月27日 第一次報告書(概要)が出される
・9月15日 GHQが第一次報告書(全文)を発表する

<1950年(昭和254)>

・8月 シャウプ使節団(第二次)が再来日する
・9月21日 第二次の正式報告書(全文)が出される
・税制改革で、シャウプ勧告が国税・地方税などに採用される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)日本画家菱田春草の誕生日詳細
1934年(昭和9)室戸台風が京阪神地方を直撃し、死者・行方不明者3,036人が出る詳細
1943年(昭和18)東条英機内閣において、「現情勢下ニ於ケル国政運営要綱」が閣議決定される詳細
1954年(昭和29)実業家・養殖真珠の創始者御木本幸吉の命日詳細
1968年(昭和43)小説家・評論家広津和郎の命日詳細
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sengonokeizai001

 今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本経済自立復興の為の「経済安定9原則」を指令した日です。
 経済安定9原則(けいざいあんていきゅうげんそく)は、日本経済安定のために、アメリカ政府から連合国最高司令官総司令部(GHQ)を通して、日本政府 (吉田茂内閣) に指令された強力なインフレ収束策でした。その内容は、①)総予算の均衡、②徴税強化、③信用膨張制限、④賃銀安定、⑤物価統制強化、⑥貿易統制改善と外為統制強化、⑦輸出増加のため資材割当改善、⑧重要国産品増産、⑨食料集荷改善を定めており、これらは単一為替レート設定の早期実現の不可欠の前提だとされています。
 この当時の日本は、復興金融債の大半を日本銀行が引き受け、日本銀行券の増発によって蓄積された資金を重要産業に供給していましたので、生産回復より通貨の増発が優先し、相当のインフレを助長していました。そこで、政府はアメリカからの外資導入によって、なし崩し的にインフレ収束を図りましたが、うまくいかない状況となります。
 しかし、冷戦の激化によって、アメリカが対日占領政策を転換し、日本の経済復興に強い関心を示すに至ったことと、日本の激しいインフレを収束させ、単一為替レートが設定できるような条件を整えることが必要と判断し、この「経済安定9原則」の発表に至ったものでした。これらの原則は、翌年のドッジ・ライン、シャウプ勧告に基づく税制改革に引継がれ、物価は急速に安定化の方向をたどり、1ドル=360円の単一為替レートが設定されるに至ったものの、重税や金詰りから不況の嵐が吹きまくり、大企業の合理化、中小企業の倒産が相次ぎ、庶民の暮らしは困窮が続くこととなります。
 以下に、GHQが日本政府に示した「経済安定9原則」の日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「経済安定9原則」1948年(昭和23)12月18日指令され翌日発表

 昭和二十三年十二月付

  (前文省略)

   今回の経済復興計画がとくにめざすところは、
一、極力経費の節減をはかり、また必要であり、かつ適当なりと考えられる手 段を最大限度に講じてただちに総予算の均衡をはかること。
二、徴税計画を促進強化し、脱税者に対する刑事訴追を迅速広範にまた強力に 行うこと
三、信用の拡張は日本の経済復興に寄与するための計画に対するほかは厳重に 制限されていることを保障すること。
四、賃金安定実現のため効果的な計画を立てること。
五、現在の物価統制を強化し必要な場合はその範囲を拡張すること。
六、外国貿易統制事務を改善し、また現在の外国為替統制を強化し、これらの 機能を日本側期間に引継いで差支えなきにいたるように意を用いること。
七、とくに出来るだけ輸出を増加する見地より現在の資財割当配給制度を一そ う効果的に行うこと。
八、一切の重要国産原料、および製品の増産をはかること。
九、食糧集荷計画を一そう効果的に行うこと。
 以上の計画は単一為替レートの設定に実現させる途を開くためにぜひとも実施されねばならぬものである。

            『資料戦後二十年史』より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1914年(大正3)東京駅の開業式が行われる(東京駅完成記念日)詳細
1947年(昭和22)過度経済力集中排除法」が公布施行される詳細


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