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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、北海道の新夕張炭鉱若鍋第二斜坑でガス炭塵爆発が起き、死者・行方不明者423人を出した日です。
 新夕張炭鉱若鍋坑ガス炭塵爆発事故(しんゆうばりたんこうわかなべこうがすたんじんばくはつじこ)は、大正時代の1914年(大正3)11月28日に、石狩石炭株式会社が経営する新夕張炭鉱若鍋第二斜坑で起きたガス炭塵爆発事故です。この炭鉱は、石炭の産出が急拡大する一方で、炭鉱の坑道からのガスの発生が多いという特徴も持っていて、札幌鉱務署から度々ガス爆発の災害の危険性の指摘があり、炭鉱側も坑道に風穴を開けたり、常に扇風機で風を送るなど、危険を未然に防ごうと注意を払っていました。
 約600人の人間が若鍋炭坑内で作業中だった、午後3時30分に、ガス炭塵爆発が起き、炭鉱全体を揺るがすような大音響が轟きわたります。坑内全域で大規模に落盤も発生、火焔も走り、多くの者が即死しました。二日後の30日から救援活動が行われ、坑内に充満していたガスが一気に爆発し燃え尽きたので、救援隊員は落盤を排除しながら奥まで進むことが出来たものの、四日後の12月2日午後9時になって、斜坑坑口より約900mの個所で火災が発生したため、遺体の3分の2を残したまま密閉、水没させています。
 この事故は、死者・行方不明者423人、負傷者25人という大惨事となり、北海道の炭鉱史上最悪のものとなりました。

〇1914年(大正3)12月2日付「北海タイムス記事」

慄然惻然措く能ず

会社にては 既報の如く 死体引取人に対し 死者一人に付 埋葬料十円 香典十円を與へ 遺族には労働賃金一日分の百倍を交付すると予め会社対坑夫間に於ける契約として成立し居るものなるが故に 会社は之等の金円を與ふれば 遺族保護の責任を脱し得るに似たるも 保護の実を締め山には未だ遠し
今回の変災たるや 未だ嘗て見ざる惨状を呈し 一家数人の死者を出したる者 少なからず 両親共に死して 五歳 八歳の東西をも弁(わきま)へ難き幼児のみなるあり 六十歳以上の老人のみ残れるもあり
扶助を受けたる金額のみを以て 今後の生計を支え難き 其数 甚少にあらざるべし
之等に対しては契約上の金円を與ふる以外 亦 別に適切の手段を巡らして 同情の実を現はすべきなり
尚 彼らは初めより危険なる坑内の労働に従事する者なり雖も 此の変災なかりせば 尚 幾多の星霜を迎えて 快く天寿を全うし 人生の幸福を享受するを得べかりしに哀れや惨禍 身に及びて 忽ち焦熱の間に悶死し 人としての取扱いを受けずして 一片の煙と化す
一度 位 地を転じて 遺族の心に同化すれば 誰れが慄然として人世の無常を嘆せざるあらむや
彼等は今 生計を支ゆる爲に金円を求むる
夫れよりも尚 渇仰するは 社会人心の同情なり
渾然として暖かき情味に浴せんと欲するは痛切なる彼らの希望なり
実情を目撃する者にして 此の感 切なり
而して会社は先づ 其路に当たるべき責任重大なり

〇新夕張炭鉱(しんゆうばりたんこう)とは?             

 1899年(明治32)に北海道庁の地理調査班が発見、持田辰之助が鉱業権を獲得し、中野四郎を経て谷七太郎が谷新夕張炭山の第二鉱として1906年(明治39)に開削されます。その後、石狩石炭が事業を継承し、1907年(明治40)に琴平坑(西一番坑・西二番坑・西二番斜坑)と八坂坑(東二番坑・東二番斜坑)を開坑、1913年(大正2)には18万トンの石炭を算出、さらに、1914年(大正3)に平安坑(南坑又は三坑)が開坑し、数千人の坑夫・雑夫が働き、毎日約700人が坑内作業にあたっていました。
 しかし、同年11月28日に、西一番坑及び西二番斜坑において、死者・行方不明者423人を出す大事故が発生、1916年(大正5)に住吉坑(西新坑)が開坑したものの経営は悪化し、石狩石炭は最終的に1920年(大正9)に北炭に合併します。それからもガス爆発の死傷事故が相次ぎ、ガスの処理の問題が解決されず、1930年(昭和5)に一度閉山に至りました。
 その後、1937年(昭和12)に北炭平和炭鉱が旧若鍋炭鉱の鉱区にに開鉱します。戦後の1948年(昭和23)に平和第二炭鉱(第二斜坑)が開鉱、1954年(昭和29)に平和炭鉱、平和第二炭鉱を一鉱、二鉱と改称、1957年(昭和32)に一区、二区とさらに改称されました。
 一区は1964年(昭和39)に終掘しましたが、二区は1964年(昭和39)に北部第二立坑が完成します。1966年(昭和41)には、生産量が106万トンと一度100万tを越えましたが、1968年(昭和43)に坑内火災で31人の方が亡くなる事故が発生してました。1969年(昭和44)には、第二立坑が完成したものの、1975年(昭和50)に閉山に至っています。

☆日本の主な炭鉱事故

<明治時代>
・1899年6月15日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者210人]
・1907年7月20日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者365人] 明治期最悪の事故
・1909年11月24日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者243人]
・1912年4月29日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者276人]

<大正時代>
・1912年12月23日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者216人]
・1913年2月6日 二瀬炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者101人]
・1914年11月28日 新夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者423人]
・1914年12月15日 方城炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者687人] 日本の近代史上最悪の事故
・1915年4月12日 東見初炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者235人]
・1917年12月21日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者369人]
・1920年6月14日 北炭夕張炭鉱北上坑(北海道)爆発事故[死者・行方不明者209人]

<昭和時代>
・1927年3月27日 内郷炭鉱(福島県)坑内火災[死者・行方不明者136人]
・1935年5月6日 大倉鉱業茂尻炭鉱鉱慶三坑(北海道)爆発事故[死者95人]
・1938年10月6日 北炭夕張炭鉱天竜坑(北海道)爆発事故[死者・行方不明者161人]
・1939年1月21日 筑豊炭田貝島大之浦炭鉱東三坑(福岡県)爆発事故[死者92人]
・1941年3月18日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者177人]
・1943年2月3日 長生炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者183人]
・1944年5月16日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者109人]
・1958年9月25日 池本鉱業大昇炭鉱(福岡県山田市)ガス爆発[死者14人]
・1960年9月20日 豊州炭鉱(福岡県)落盤[死者・行方不明者67人]
・1960年2月1日 北炭夕張炭鉱(北海道夕張市)ガス爆発[死者42人]
・1961年3月9日 上清炭鉱(福岡県)坑内火災[死者71人]
・1961年3月16日 大辻炭鉱(福岡県)坑内火災[死者26人]
・1963年11月9日 三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)爆発事故[死者458人] 太平洋戦争後最悪の事故
・1965年2月22日 北海道炭砿汽船夕張鉱業所(北海道夕張市)爆発事故[死者・行方不明者61人]
・1965年6月1日 三井山野炭鉱(福岡県嘉穂郡稲築町)爆発事故[死者・行方不明者237人]
・1970年 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者5人・重軽傷者7人]
・1972年11月2日 石狩炭鉱石狩鉱業所(北海道空知郡奈井江町)ガス爆発事故[死者31人]
・1977年5月12日 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者25人・重傷者8人]
・1981年10月16日 北炭夕張新炭鉱(北海道夕張市)ガス突出・爆発事故[死者は93人]
・1984年1月18日 三井三池炭鉱有明抗(福岡県三池郡高田町)坑内火災[死者83人]
・1985年5月17日 三菱南大夕張炭鉱(北海道夕張市)爆発事故[死者62人]

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1185年(文治元)源義經追討のため、「文治の勅許」により、諸国に守護・地頭を置くことを許可する(新暦12月21日)詳細
1835年(天保6)幕末の志士・政治家井上馨の誕生日(新暦では1836年1月16日)詳細
1872年(明治5)「徴兵令詔書及ヒ徴兵告諭」が発布される(新暦12月28日)詳細
1878年(明治11)物理学者・随筆家・俳人寺田虎彦の誕生日詳細
1883年(明治16)鹿鳴館が開館する詳細
1897年(明治30)小説家・随筆家宇野千代の誕生日詳細
1951年(昭和26)「旅券法」(昭和26年法律第267号)が公布(施行は同年12月1日)される詳細