今日は、昭和時代後期の1986年(昭和61)に、医学者・細菌学者・生化学者梅澤濱夫の亡くなった日です。
梅澤濱夫(うめざわ はまお)は、1914年(大正3)10月1日に、福井県小浜市において、医師で小浜病院院長であった父・梅澤純一(医学博士)の次男としてて生まれましたが、1923年(大正12)に父・純一が札幌鉄道病院長に任命されたのを機に、家族で札幌へ移住しました。1931年(昭和6)に東京の武蔵高校に入学し、1933年(昭和8)に卒業後、東京帝国大学医学部へ進みます。
1937年(昭和12)に東京帝国大学医学部を卒業後、同大学の細菌学教室に入り、細菌の取り扱い方などを学びました。その後、千葉県習志野の陸軍病院に召集されましたが、1943年(昭和18)に召集解除され、東京帝国大学医学部細菌学教室の助手に就任します。
1944年(昭和19)につくられたペニシリンの開発研究組織(後の碧素委員会)に参加、藤原工業大学(現、慶応義塾大学工学部)助教授の長兄純夫と共に日本で初めてペニシリンの分離に成功しました。同年に東京帝国大学助教授ともなり、翌年には、「ヘンリー氏マラリア血清反応に関する研究」で医学博士を取得しています。
1947年(昭和22)に国立予防衛生研究所の抗生物質部長となり、1953年(昭和28)に、抗生物質ザルコマイシンを発見しました。1954年(昭和29)に東京大学応用微生物研究所の教授を兼任、1957年(昭和32)には、結核治療薬カナマイシンを発見、それにより、翌年に朝日賞を受賞、また、その特許料で財団法人微生物化学研究会を設立して理事長となります。
そして、科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰(1959年)、レジオンドヌール勲章(1961年)、日本学士院賞、フランス政府から衛生保健文化賞、文化勲章(1962年)など数々の栄誉にも輝きました。その後も、ブレオマイシン発見(1963年)、カスガマイシン発見(1964年)、ジョサマイシン発見(1965年)、アルベカシン創製(1973年)、ピラルビシン創製(1979年)など、抗生物質の研究で世界をリードします。
これらの功績により、1980年(昭和55)にパウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞受賞、1981年(昭和56)にレオポルド・グリフエル賞受賞、1983年(昭和58)に国際化学療法学会賞受賞など国際的に評価されたものの、1986年(昭和61)12月25日に、東京において、72歳で亡くなりました。
1937年(昭和12)に東京帝国大学医学部を卒業後、同大学の細菌学教室に入り、細菌の取り扱い方などを学びました。その後、千葉県習志野の陸軍病院に召集されましたが、1943年(昭和18)に召集解除され、東京帝国大学医学部細菌学教室の助手に就任します。
1944年(昭和19)につくられたペニシリンの開発研究組織(後の碧素委員会)に参加、藤原工業大学(現、慶応義塾大学工学部)助教授の長兄純夫と共に日本で初めてペニシリンの分離に成功しました。同年に東京帝国大学助教授ともなり、翌年には、「ヘンリー氏マラリア血清反応に関する研究」で医学博士を取得しています。
1947年(昭和22)に国立予防衛生研究所の抗生物質部長となり、1953年(昭和28)に、抗生物質ザルコマイシンを発見しました。1954年(昭和29)に東京大学応用微生物研究所の教授を兼任、1957年(昭和32)には、結核治療薬カナマイシンを発見、それにより、翌年に朝日賞を受賞、また、その特許料で財団法人微生物化学研究会を設立して理事長となります。
そして、科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰(1959年)、レジオンドヌール勲章(1961年)、日本学士院賞、フランス政府から衛生保健文化賞、文化勲章(1962年)など数々の栄誉にも輝きました。その後も、ブレオマイシン発見(1963年)、カスガマイシン発見(1964年)、ジョサマイシン発見(1965年)、アルベカシン創製(1973年)、ピラルビシン創製(1979年)など、抗生物質の研究で世界をリードします。
これらの功績により、1980年(昭和55)にパウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞受賞、1981年(昭和56)にレオポルド・グリフエル賞受賞、1983年(昭和58)に国際化学療法学会賞受賞など国際的に評価されたものの、1986年(昭和61)12月25日に、東京において、72歳で亡くなりました。
〇梅澤濱夫関係略年表
・1914年(大正3)10月1日 医師梅澤純一(医学博士、元小浜病院院長、元札幌鉄道病院院長)の次男として福井県小浜市にて生まれる
・1923年(大正12) 父・純一が札幌鉄道病院長に任命されたのを機に、家族で札幌へ移住する
・1931年(昭和6) 武蔵高校に入学する
・1933年(昭和8) 武蔵高校を卒業し、東京帝国大学医学部へ入学する
・1937年(昭和12) 東京帝国大学医学部を卒業、同大学の細菌学教室に入り、細菌の取り扱い方などを学ぶ。
・1943年(昭和18) 召集解除され、東京帝国大学医学部細菌学教室の助手に就任する
・1944年(昭和19) 東京帝国大学助教授となり、梅澤純夫と共に日本で初めてペニシリンの分離に成功する
・1945年(昭和20) 「ヘンリー氏マラリア血清反応に関する研究」で東京大学から医学博士を得る
・1947年(昭和22) 国立予防衛生研究所の抗生物質部長となる
・1953年(昭和28) 抗生物質ザルコマイシンを発見する
・1954年(昭和29) 東京大学応用微生物研究所の教授を兼任する
・1957年(昭和32) 結核治療薬カナマイシンを発見する
・1958年(昭和33) 朝日賞(抗生物質の研究、とくにカナマイシンの発見)
・1959年(昭和34) カナマイシンの特許料で財団法人微生物化学研究会を設立して理事長となり、科学技術庁長官賞科学技術功労者の表彰を受ける
・1961年(昭和36) レジオンドヌール勲章を受章する
・1962年(昭和37) 財団法人微生物化学研究会微生物化学研究所所長となり、日本学士院賞、フランス政府から衛生保健文化賞、文化勲章を受章する
・1963年(昭和38) ブレオマイシンを発見する
・1964年(昭和39) イネのいもち病にきくカスガマイシンを発見する
・1965年(昭和40) ジョサマイシンを発見する
・1966年(昭和41) ブレオマイシンという抗生物質を制癌剤として利用する方法を創始する
・1971年(昭和46) 藤原賞を受賞する
・1973年(昭和48) アルベカシンを創製する
・1976年(昭和51) 高松宮妃癌研究基金学術賞を受賞する
・1977年(昭和52) 東京大学名誉教授となる
・1979年(昭和54) ピラルビシンを創製する
・1980年(昭和55) パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を受賞する
・1981年(昭和56) レオポルド・グリフエル賞を受賞する
・1983年(昭和58) 国際化学療法学会賞 (ISC Award)を受賞する
・1986年(昭和61)12月25日 東京において、72歳で亡くなり、勲一等瑞宝章、従三位が追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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