ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:エッセイスト

kitamorio01
 今日は、平成時代の2011年(平成23)に、小説家・エッセイスト・精神科医北杜夫の亡くなった日です。
 北杜夫(きた もりお)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)5月1日に、東京市赤坂区青山南町において、医師・歌人の父・斎藤茂吉、母・輝子の次男として生まれましたが、本名は、斎藤宗吉(さいとう そうきち)といいました。麻布中学、旧制松本高校を経て、1947年(昭和22)に東北帝国大学から改称したばかりの東北大学医学部へ進学します。
 精神科を専攻し、1952年(昭和27)に卒業後、慶應義塾大学病院に勤務しながら、同人誌「文芸首都」を拠点に小説を発表しました。1954年(昭和29)には、「文藝首都」に連載した『幽霊』を、田畑麦彦の『祭壇』と共に文芸首都社から自費出版します。
 1955年(昭和30)から山梨県甲府市里吉町の県立玉諸病院(現在は山梨県立北病院)に一年間勤務しました。1958年(昭和33)11月~翌年4月にかけて、水産庁の漁業調査船照洋丸に船医として乗船し、インド洋から欧州にかけて航海し、この体験に基づく旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ航海記』を刊行するとベストセラーとなります。
 1960年(昭和35)に、ナチス政権下のドイツにおける精神科医の抵抗を描いた『夜と霧の隅で』で、第43回芥川龍之介賞、1964年(昭和39)には、『楡家の人々』で毎日出版文化賞を受賞しました。1965年(昭和40)にカラコルム・ディラン峰への遠征隊に医師として参加、翌年には、その体験を基に『白きたおやかな峰』を刊行しています。
 1976年(昭和51)に新潮社より、『北杜夫全集』全15巻の刊行を翌年にかけて行いました。1982年(昭和57)に『輝ける碧き空の下で』第一部を刊行、1986年(昭和61)に第二部を刊行し、日本文学大賞を受賞しています。
 1991年(平成3)に『青年茂吉』を刊行し、茂吉評伝四部作が開始され、1996年(平成8)には、日本芸術院会員となりました。1998年(平成10)『茂吉晩年』を刊行し、茂吉評伝四部作が完結、2001年(平成13)には、第5回海洋文学大賞特別賞を受賞しています。
 2008年(平成20)には、マンボウ昆虫展の全国巡回が開始(~2011年)されましたが、2011年(平成23)10月24日に、東京都目黒区の国立病院機構東京医療センターにおいて、腸閉塞のため、84歳で亡くなり、従四位、旭日中綬章が追贈されました。

〇北杜夫の主要な著作

・『幽霊』(1954年)
・『岩尾根にて』(1956年)
・『霊媒のいる町』(1956年)
・『夜と霧の隅で』(1960年)芥川賞受賞
・『どくとるマンボウ航海記』(1960年)
・『どくとるマンボウ昆虫記』(1961年)
・『楡家の人々』(1964年)毎日出版文化賞受賞
・『白きたおやかな峰』(1966年)
・『どくとるマンボウ途中下車』(1967年)
・『どくとるマンボウ青春記』(1968年)
・『酔いどれ船』(1972年)
・『木精』(1975年)
・『輝ける碧き空の下で』第1部・第2部(1982年・1986年)日本文学大賞受賞
・『青年茂吉』(1991年)大佛次郎賞受賞
・『壮年茂吉』(1993年)大佛次郎賞受賞
・『茂吉彷徨(ほうこう)』(1996年)大佛次郎賞受賞
・『茂吉晩年』(1998年)大佛次郎賞受賞

☆北杜夫関係略年表

・1927年(昭和2)5月1日 東京市赤坂区青山南町において、医師・歌人の父・斎藤茂吉、母・輝子の次男として生まれる
・1947年(昭和22) 東北帝国大学から改称したばかりの東北大学医学部へ進学する
・1952年(昭和27) 東福大学医学部(精神科専攻)を卒業後、慶應義塾大学病院に勤務する
・1954年(昭和29) 「文藝首都」に連載した『幽霊』を、田畑の『祭壇』と共に文芸首都社から自費出版する
・1955年(昭和30) 「文藝首都」10月号に、辻邦生との「トーマス・マンに就ての対話」を掲載、山梨県甲府市里吉町の県立玉諸病院(現在は山梨県立北病院)に一年間勤務する
・1958年(昭和33) 11月~翌年4月にかけて、水産庁の漁業調査船照洋丸に船医として乗船し、インド洋から欧州にかけて航海する
・1960年(昭和35) 『夜と霧の隅で』で、第43回芥川龍之介賞を受賞する
・1964年(昭和39) 『楡家の人々』で毎日出版文化賞を受賞する
・1965年(昭和40) カラコルム・ディラン峰への遠征隊に医師として参加する
・1966年(昭和41) カラコルム・ディラン峰への遠征隊の体験を基に『白きたおやかな峰』を刊行する
・1969年(昭和44) フランスのパリに滞在中の辻邦生を訪ね、連れ立ってスイスのチューリッヒ州のキルヒベルクでトーマス・マンの墓参りをする
・1976年(昭和51) 新潮社より『北杜夫全集』の刊行を開始(~1977年)する
・1980年(昭和55) テレビのトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演する
・1981年(昭和56) 自宅を領土とするミニ独立国「マンボウ・マブゼ共和国」主席を名乗る
・1982年(昭和57) 『輝ける碧き空の下で』第一部を刊行する
・1986年(昭和61) 『輝ける碧き空の下で』第二部を刊行、日本文学大賞を受賞する
・1991年(平成3) 『青年茂吉』を刊行し、茂吉評伝四部作が開始される
・1996年(平成8) 日本芸術院会員となる
・1998年(平成10)『茂吉晩年』を刊行し、茂吉評伝四部作が完結する
・2001年(平成13) 第5回海洋文学大賞特別賞を受賞する
・2008年(平成20) テレビのトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日)に28年ぶりに出演、マンボウ昆虫展の全国巡回が開始される(~2011年)
・2010年(平成22) 「週刊文春」連載の「新・家の履歴書」に登場し、斎藤茂吉家を回想する
・2011年(平成23)10月24日 東京都目黒区の国立病院機構東京医療センターにおいて、腸閉塞のため、84歳で亡くなり、従四位、旭日中綬章が追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1708年(宝永5)数学者・和算の祖関孝和の命日(新暦12月5日)詳細
1876年(明治9)神風連の乱がおこる詳細
1886年(明治19)ノルマントン号が沈没し英船員は脱出、日本人25人溺死(ノルマントン号事件)詳細
1910年(明治43)小説家・詩人・評論家山田美妙の命日詳細
1933年(昭和8)小説家・医師(医学博士)渡辺淳一の誕生日詳細
1936年(昭和11)東京に「日本民藝館」が開設(初代館長:柳宗悦)される詳細
1945年(昭和20)「国際連合憲章」が発効に必要な20ヶ国のに達したため発効し、国際連合が発足する(国連デー)詳細
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kageyamatamio01

 今日は、平成時代の1998年(平成10)に、小説家・放送作家・エッセイスト景山民夫の亡くなった日です。
 景山民夫(かげやま たみお)は、昭和時代中期の1947年(昭和22)3月20日に、東京都千代田区神田で、警察官僚(のち全日本剣道連盟会長)の景山二郎を父として生まれました。父の転任に伴い、広島市、山梨県と転居し、東京の武蔵中学校を経て慶應義塾大学の文学部へ進みます。
 ところが、成績不振で2年後に退学となり、武蔵野美術大学短期大学部デザイン学科に移ったものの、学生運動でキャンパスがロックアウトされるや、1969年(昭和44)に渡米し、ニューヨークでコーヒーショップシンガーとして生活しました。1年半後に帰国してからは、TBS系「ヤング720」の企画・演出担当を経て、日本テレビ「シャボン玉ホリデー」の放送作家となります。
 その後も、「クイズダービー」、「11PM」、「タモリ倶楽部」、「ウソップランド」などを手がけました。若者文化に精通し、タレントとしても活躍、また、エッセイ『普通の生活』を雑誌「ブルータス」に連載しエッセイストとしても注目され、1986年(昭和61)の随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』で、第2回講談社エッセイ賞を受賞します。
 小説も書き始め、1987年(昭和62)の小説『虎口からの脱出』で、第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞、1988年(昭和63)の小説『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞を受賞しました。それからは、文筆業1本に絞ろうと考え、放送作家としての仕事を断り始めます。
 一方、1989年(平成元)に第18回ベストドレッサー賞を受賞したり、1991年(平成3)には、大川隆法主宰・幸福の科学の信者として、雑誌「フライデー」による同会批判記事に対する抗議行動の先頭に立ったりもしました。しかし、1998年(平成10)1月27日に、東京都世田谷区成城の自宅において、不慮の火災のため50歳で亡くなっています。
〇景山民夫の主要な著作

・随筆『普通の生活』(1984年)
・随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』(1986年)第2回講談社エッセイ賞受賞
・小説『虎口からの脱出』(1987年)第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞受賞
・小説『転がる石のように』(1987年 )
・小説『遠い海から来たCOO』(1988年)第99回直木賞受賞
・小説『ガラスの遊園地』(1988年)
・短編集『休暇の土地』(1988年)

☆景山民夫関係略年表

・1947年(昭和22)3月20日  東京都千代田区神田で、警察官僚(のち全日本剣道連盟会長)の景山二郎を父として生まれる
・1968年(昭和43) 放送作家となる
・1969年(昭和44) 渡米し、ニューヨークでコーヒーショップシンガーとして生活する
・1986年(昭和61) 随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』で、第2回講談社エッセイ賞を受賞する
・1987年(昭和62) 小説『虎口からの脱出』で、第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞を受賞する
・1988年(昭和63) 小説『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞を受賞する
・1989年(平成元) 第18回ベストドレッサー賞を受賞する
・1991年(平成3) 大川隆法主宰・幸福の科学の信者として、雑誌「フライデー」による同会批判記事に対する抗議行動の先頭に立つ
・1998年(平成10)1月27日 東京都世田谷区成城の自宅において、火災のため50歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1219年(建保7)鎌倉の鶴岡八幡宮で源実朝が甥の公暁により暗殺される(新暦2月13日)詳細
1713年(正徳3)狩野派の絵師狩野常信の命日(新暦2月21日)詳細
1885年(明治18)日本画家前田青邨の誕生日詳細


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