ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:エッセイスト

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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、小説家・エッセイスト・政治評論家曽野綾子が生まれた日です。
 曽野綾子(その あやこ)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)9月17日 東京府南葛飾郡本田町(現在の葛飾区立石)に父・町田英治郎、母・キワの次女として生まれましたが、本名は知寿子(ちずこ)と言いました。1934年(昭和9)に大森区田園調布に転居し、聖心女子学院に幼稚園から入って、ミッション教育を受けましたが、1945年(昭和20)に空襲が迫る中で、石川県金沢市に疎開し、金沢第二高等女学校(現在の石川県立金沢桜丘高等学校)に転校したものの、勤労動員令により、平野化学工場に配属されます。
 戦後の1946年(昭和21)に東京に戻り聖心女子学院に復学、1948年(昭和23)の夏には、箱根宮ノ下の富士屋ホテルに滞在してアルバイトまがいの手伝いをし、洗礼をうけました。1951年(昭和26)に、中河与一主宰の同人誌『ラマンチャ』(1951年5月号)に載った「裾野」が臼井吉見の目にとまり、第15次『新思潮』に加わり、在学中の1953年(昭和28)には、三浦朱門と結婚しています。
 1954年(昭和29)に、聖心女子大学英文学科を卒業、『遠来の客たち』が芥川賞候補にあげられ出世作となり、『バビロンの処女市』、『海の御墓』などで注目を集めました。以後、次々に作品を発表し、1969年(昭和44)に『生贄の島』、1970年(昭和45)には、『誰のために愛するか』を刊行し、ベストセラーとなり、有吉佐和子と共に脚光を浴びます。
 1972年(昭和47)に、NGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を開始し、1973年(昭和48)に、『太郎物語 高校編』、『太郎物語 大学編』を刊行、1979年(昭和54)には、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章しました。1990年(平成2)に『天上の青』を刊行、1993年(平成5)に、日本芸術院恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となり、1995年(平成7)には、日本財団の会長に就任(~2005年)します。
 1997年(平成9)にNGO海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)代表として読売国際協力賞を受賞、2003年(平成15)には、文化功労者となりました。2009年(平成21)に、日本郵政社外取締役に就任、2010年(平成22)に『老いの才覚』を刊行、2012年(平成24)には、菊池寛賞を受賞しています。多彩な活動を展開してきましたが、2025年(令和7)2月28日に、東京都内の病院において、老衰のため、93歳で亡くなりました。

<曽野綾子の主要な著作>

・『黎明』(1955~56年)
・『リオ・グランデ』(1961年)
・『砂糖菓子の壊れるとき』(1965年)
・『生贄(いけにえ)の島』(1969年)
・『無名碑』(1969年)
・『誰のために愛するか』(1970年)
・『人間の罠(わな)』(1971~72年)
・『ある神話の背景』(1971~72年)
・『戒老録』(1972年)
・『太郎物語 高校編』(1973年)
・『太郎物語 大学編』(1973年)
・『虚構の家』(1974年)
・『幸福という名の不幸』(1975年)
・『不在の部屋』(1976~78年)
・『神の汚れた手』(1979~80年)
・『時の止まった赤ん坊』(1984年)
・『湖水誕生』(1985年)
・『天上の青』(1990年)
・『夢に殉ず』(1994年)
・『「いい人」を止めると楽になる』(1999年)
・『陸影を見ず』(1999~2000年)
・『老いの才覚』(2010年)
・『人間にとって成熟とは何か』(2013年)
・『人間の分際』(2015年)
・『夫の後始末』(2017年)

〇曽野綾子関係略年表

・1931年(昭和6)9月17日 東京府南葛飾郡本田町(現在の葛飾区立石)に父・町田英治郎、母・キワの次女として生まれる
・1934年(昭和9) 大森区田園調布に移る
・1945年(昭和20) 空襲が迫る中で、石川県金沢市に疎開し、金沢第二高等女学校(現在の石川県立金沢桜丘高等学校)に転校したものの、勤労動員令により、平野化学工場に配属される
・1946年(昭和21) 東京に戻り聖心女子学院に復学する
・1948年(昭和23) 夏、箱根宮ノ下の富士屋ホテルに滞在してアルバイトまがいの手伝いをし、洗礼をうける
・1951年(昭和26) 中河与一主宰の同人誌『ラマンチャ』(1951年5月号)に載った「裾野」が臼井吉見の目にとまり、第15次『新思潮』に加わる
・1953年(昭和28) 三浦朱門と結婚する
・1954年(昭和29) 聖心女子大学英文学科を卒業、『遠来の客たち』が芥川賞候補にあげられ出世作となり、『バビロンの処女市』、『海の御墓』などで注目を集める
・1969年(昭和44) 『生贄の島』を刊行する
・1970年(昭和45) 『誰のために愛するか』を刊行し、ベストセラーとなる
・1972年(昭和47) NGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を始める
・1973年(昭和48) 『太郎物語 高校編』、『太郎物語 大学編』を刊行する
・1979年(昭和54) ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章する
・1990年(平成2) 『天上の青』を刊行する
・1993年(平成5) 日本芸術院恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となる
・1995年(平成7) 日本財団会長職となる(~2005年)
・1997年(平成9) NGO海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)代表として読売国際協力賞を受賞する
・2000年(平成12) 元ペルー大統領のアルベルト・フジモリが日本に長期滞在した折、自宅に私人として受け入れる
・2003年(平成15) 文化功労者となる
・2009年(平成21) 日本郵政社外取締役に就任する
・2010年(平成22) 『老いの才覚』を刊行する
・2012年(平成24) 菊池寛賞を受賞する
・2025年(令和7)2月28日 東京都内の病院において、老衰のため、93歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1062年(康平4)源頼義が安倍貞任を厨川の柵で破り、前九年の役が終結する(新暦10月22日)詳細
1867年(慶応3)俳人・歌人正岡子規の誕生日(新暦10月14日)詳細
1868年(明治元)日本初の洋式燈台である観音崎灯台が起工する(新暦11月1日)詳細
1894年(明治27)日清戦争で、日本軍連合艦隊と清国軍北洋艦隊が黄海海戦を戦い、日本軍が勝って制海権を獲得する詳細
1938年(昭和13)俳人村上鬼城の命日(鬼城忌)詳細
1945年(昭和20)枕崎台風が枕崎に上陸、日本を縦断し、死者・行方不明者3,758人が出る詳細
満蒙開拓団の中で、瑞穂村開拓団集団自決が起き、495人が亡くなる詳細
1964年(昭和39)日本初の旅客用モノレールとなる東京モノレール(羽田空港~浜松町)が開業する詳細

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 今日は、平成時代の2011年(平成23)に、小説家・エッセイスト・精神科医北杜夫の亡くなった日です。
 北杜夫(きた もりお)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)5月1日に、東京市赤坂区青山南町において、医師・歌人の父・斎藤茂吉、母・輝子の次男として生まれましたが、本名は、斎藤宗吉(さいとう そうきち)といいました。麻布中学、旧制松本高校を経て、1947年(昭和22)に東北帝国大学から改称したばかりの東北大学医学部へ進学します。
 精神科を専攻し、1952年(昭和27)に卒業後、慶應義塾大学病院に勤務しながら、同人誌「文芸首都」を拠点に小説を発表しました。1954年(昭和29)には、「文藝首都」に連載した『幽霊』を、田畑麦彦の『祭壇』と共に文芸首都社から自費出版します。
 1955年(昭和30)から山梨県甲府市里吉町の県立玉諸病院(現在は山梨県立北病院)に一年間勤務しました。1958年(昭和33)11月~翌年4月にかけて、水産庁の漁業調査船照洋丸に船医として乗船し、インド洋から欧州にかけて航海し、この体験に基づく旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ航海記』を刊行するとベストセラーとなります。
 1960年(昭和35)に、ナチス政権下のドイツにおける精神科医の抵抗を描いた『夜と霧の隅で』で、第43回芥川龍之介賞、1964年(昭和39)には、『楡家の人々』で毎日出版文化賞を受賞しました。1965年(昭和40)にカラコルム・ディラン峰への遠征隊に医師として参加、翌年には、その体験を基に『白きたおやかな峰』を刊行しています。
 1976年(昭和51)に新潮社より、『北杜夫全集』全15巻の刊行を翌年にかけて行いました。1982年(昭和57)に『輝ける碧き空の下で』第一部を刊行、1986年(昭和61)に第二部を刊行し、日本文学大賞を受賞しています。
 1991年(平成3)に『青年茂吉』を刊行し、茂吉評伝四部作が開始され、1996年(平成8)には、日本芸術院会員となりました。1998年(平成10)『茂吉晩年』を刊行し、茂吉評伝四部作が完結、2001年(平成13)には、第5回海洋文学大賞特別賞を受賞しています。
 2008年(平成20)には、マンボウ昆虫展の全国巡回が開始(~2011年)されましたが、2011年(平成23)10月24日に、東京都目黒区の国立病院機構東京医療センターにおいて、腸閉塞のため、84歳で亡くなり、従四位、旭日中綬章が追贈されました。

〇北杜夫の主要な著作

・『幽霊』(1954年)
・『岩尾根にて』(1956年)
・『霊媒のいる町』(1956年)
・『夜と霧の隅で』(1960年)芥川賞受賞
・『どくとるマンボウ航海記』(1960年)
・『どくとるマンボウ昆虫記』(1961年)
・『楡家の人々』(1964年)毎日出版文化賞受賞
・『白きたおやかな峰』(1966年)
・『どくとるマンボウ途中下車』(1967年)
・『どくとるマンボウ青春記』(1968年)
・『酔いどれ船』(1972年)
・『木精』(1975年)
・『輝ける碧き空の下で』第1部・第2部(1982年・1986年)日本文学大賞受賞
・『青年茂吉』(1991年)大佛次郎賞受賞
・『壮年茂吉』(1993年)大佛次郎賞受賞
・『茂吉彷徨(ほうこう)』(1996年)大佛次郎賞受賞
・『茂吉晩年』(1998年)大佛次郎賞受賞

☆北杜夫関係略年表

・1927年(昭和2)5月1日 東京市赤坂区青山南町において、医師・歌人の父・斎藤茂吉、母・輝子の次男として生まれる
・1947年(昭和22) 東北帝国大学から改称したばかりの東北大学医学部へ進学する
・1952年(昭和27) 東福大学医学部(精神科専攻)を卒業後、慶應義塾大学病院に勤務する
・1954年(昭和29) 「文藝首都」に連載した『幽霊』を、田畑の『祭壇』と共に文芸首都社から自費出版する
・1955年(昭和30) 「文藝首都」10月号に、辻邦生との「トーマス・マンに就ての対話」を掲載、山梨県甲府市里吉町の県立玉諸病院(現在は山梨県立北病院)に一年間勤務する
・1958年(昭和33) 11月~翌年4月にかけて、水産庁の漁業調査船照洋丸に船医として乗船し、インド洋から欧州にかけて航海する
・1960年(昭和35) 『夜と霧の隅で』で、第43回芥川龍之介賞を受賞する
・1964年(昭和39) 『楡家の人々』で毎日出版文化賞を受賞する
・1965年(昭和40) カラコルム・ディラン峰への遠征隊に医師として参加する
・1966年(昭和41) カラコルム・ディラン峰への遠征隊の体験を基に『白きたおやかな峰』を刊行する
・1969年(昭和44) フランスのパリに滞在中の辻邦生を訪ね、連れ立ってスイスのチューリッヒ州のキルヒベルクでトーマス・マンの墓参りをする
・1976年(昭和51) 新潮社より『北杜夫全集』の刊行を開始(~1977年)する
・1980年(昭和55) テレビのトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演する
・1981年(昭和56) 自宅を領土とするミニ独立国「マンボウ・マブゼ共和国」主席を名乗る
・1982年(昭和57) 『輝ける碧き空の下で』第一部を刊行する
・1986年(昭和61) 『輝ける碧き空の下で』第二部を刊行、日本文学大賞を受賞する
・1991年(平成3) 『青年茂吉』を刊行し、茂吉評伝四部作が開始される
・1996年(平成8) 日本芸術院会員となる
・1998年(平成10)『茂吉晩年』を刊行し、茂吉評伝四部作が完結する
・2001年(平成13) 第5回海洋文学大賞特別賞を受賞する
・2008年(平成20) テレビのトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日)に28年ぶりに出演、マンボウ昆虫展の全国巡回が開始される(~2011年)
・2010年(平成22) 「週刊文春」連載の「新・家の履歴書」に登場し、斎藤茂吉家を回想する
・2011年(平成23)10月24日 東京都目黒区の国立病院機構東京医療センターにおいて、腸閉塞のため、84歳で亡くなり、従四位、旭日中綬章が追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1708年(宝永5)数学者・和算の祖関孝和の命日(新暦12月5日)詳細
1876年(明治9)神風連の乱がおこる詳細
1886年(明治19)ノルマントン号が沈没し英船員は脱出、日本人25人溺死(ノルマントン号事件)詳細
1910年(明治43)小説家・詩人・評論家山田美妙の命日詳細
1933年(昭和8)小説家・医師(医学博士)渡辺淳一の誕生日詳細
1936年(昭和11)東京に「日本民藝館」が開設(初代館長:柳宗悦)される詳細
1945年(昭和20)「国際連合憲章」が発効に必要な20ヶ国のに達したため発効し、国際連合が発足する(国連デー)詳細
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 今日は、平成時代の1998年(平成10)に、小説家・放送作家・エッセイスト景山民夫の亡くなった日です。
 景山民夫(かげやま たみお)は、昭和時代中期の1947年(昭和22)3月20日に、東京都千代田区神田で、警察官僚(のち全日本剣道連盟会長)の景山二郎を父として生まれました。父の転任に伴い、広島市、山梨県と転居し、東京の武蔵中学校を経て慶應義塾大学の文学部へ進みます。
 ところが、成績不振で2年後に退学となり、武蔵野美術大学短期大学部デザイン学科に移ったものの、学生運動でキャンパスがロックアウトされるや、1969年(昭和44)に渡米し、ニューヨークでコーヒーショップシンガーとして生活しました。1年半後に帰国してからは、TBS系「ヤング720」の企画・演出担当を経て、日本テレビ「シャボン玉ホリデー」の放送作家となります。
 その後も、「クイズダービー」、「11PM」、「タモリ倶楽部」、「ウソップランド」などを手がけました。若者文化に精通し、タレントとしても活躍、また、エッセイ『普通の生活』を雑誌「ブルータス」に連載しエッセイストとしても注目され、1986年(昭和61)の随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』で、第2回講談社エッセイ賞を受賞します。
 小説も書き始め、1987年(昭和62)の小説『虎口からの脱出』で、第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞、1988年(昭和63)の小説『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞を受賞しました。それからは、文筆業1本に絞ろうと考え、放送作家としての仕事を断り始めます。
 一方、1989年(平成元)に第18回ベストドレッサー賞を受賞したり、1991年(平成3)には、大川隆法主宰・幸福の科学の信者として、雑誌「フライデー」による同会批判記事に対する抗議行動の先頭に立ったりもしました。しかし、1998年(平成10)1月27日に、東京都世田谷区成城の自宅において、不慮の火災のため50歳で亡くなっています。
〇景山民夫の主要な著作

・随筆『普通の生活』(1984年)
・随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』(1986年)第2回講談社エッセイ賞受賞
・小説『虎口からの脱出』(1987年)第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞受賞
・小説『転がる石のように』(1987年 )
・小説『遠い海から来たCOO』(1988年)第99回直木賞受賞
・小説『ガラスの遊園地』(1988年)
・短編集『休暇の土地』(1988年)

☆景山民夫関係略年表

・1947年(昭和22)3月20日  東京都千代田区神田で、警察官僚(のち全日本剣道連盟会長)の景山二郎を父として生まれる
・1968年(昭和43) 放送作家となる
・1969年(昭和44) 渡米し、ニューヨークでコーヒーショップシンガーとして生活する
・1986年(昭和61) 随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』で、第2回講談社エッセイ賞を受賞する
・1987年(昭和62) 小説『虎口からの脱出』で、第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞を受賞する
・1988年(昭和63) 小説『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞を受賞する
・1989年(平成元) 第18回ベストドレッサー賞を受賞する
・1991年(平成3) 大川隆法主宰・幸福の科学の信者として、雑誌「フライデー」による同会批判記事に対する抗議行動の先頭に立つ
・1998年(平成10)1月27日 東京都世田谷区成城の自宅において、火災のため50歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1219年(建保7)鎌倉の鶴岡八幡宮で源実朝が甥の公暁により暗殺される(新暦2月13日)詳細
1713年(正徳3)狩野派の絵師狩野常信の命日(新暦2月21日)詳細
1885年(明治18)日本画家前田青邨の誕生日詳細


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