
精神科を専攻し、1952年(昭和27)に卒業後、慶應義塾大学病院に勤務しながら、同人誌「文芸首都」を拠点に小説を発表しました。1954年(昭和29)には、「文藝首都」に連載した『幽霊』を、田畑麦彦の『祭壇』と共に文芸首都社から自費出版します。
1955年(昭和30)から山梨県甲府市里吉町の県立玉諸病院(現在は山梨県立北病院)に一年間勤務しました。1958年(昭和33)11月~翌年4月にかけて、水産庁の漁業調査船照洋丸に船医として乗船し、インド洋から欧州にかけて航海し、この体験に基づく旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ航海記』を刊行するとベストセラーとなります。
1960年(昭和35)に、ナチス政権下のドイツにおける精神科医の抵抗を描いた『夜と霧の隅で』で、第43回芥川龍之介賞、1964年(昭和39)には、『楡家の人々』で毎日出版文化賞を受賞しました。1965年(昭和40)にカラコルム・ディラン峰への遠征隊に医師として参加、翌年には、その体験を基に『白きたおやかな峰』を刊行しています。
1976年(昭和51)に新潮社より、『北杜夫全集』全15巻の刊行を翌年にかけて行いました。1982年(昭和57)に『輝ける碧き空の下で』第一部を刊行、1986年(昭和61)に第二部を刊行し、日本文学大賞を受賞しています。
1991年(平成3)に『青年茂吉』を刊行し、茂吉評伝四部作が開始され、1996年(平成8)には、日本芸術院会員となりました。1998年(平成10)『茂吉晩年』を刊行し、茂吉評伝四部作が完結、2001年(平成13)には、第5回海洋文学大賞特別賞を受賞しています。
2008年(平成20)には、マンボウ昆虫展の全国巡回が開始(~2011年)されましたが、2011年(平成23)10月24日に、東京都目黒区の国立病院機構東京医療センターにおいて、腸閉塞のため、84歳で亡くなり、従四位、旭日中綬章が追贈されました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1708年(宝永5) | 数学者・和算の祖関孝和の命日(新暦12月5日) | 詳細 |
1876年(明治9) | 神風連の乱がおこる | 詳細 |
1886年(明治19) | ノルマントン号が沈没し英船員は脱出、日本人25人溺死(ノルマントン号事件) | 詳細 |
1910年(明治43) | 小説家・詩人・評論家山田美妙の命日 | 詳細 |
1933年(昭和8) | 小説家・医師(医学博士)渡辺淳一の誕生日 | 詳細 |
1936年(昭和11) | 東京に「日本民藝館」が開設(初代館長:柳宗悦)される | 詳細 |
1945年(昭和20) | 「国際連合憲章」が発効に必要な20ヶ国のに達したため発効し、国際連合が発足する(国連デー) | 詳細 |