
その内容は、軍国主義の除去、領土の限定、武装解除、戦争犯罪人の処罰、日本の民主化、連合国による占領などを規定し、無条件降伏を求めたものでした。日本政府は、一端は拒否を通告したものの、広島・長崎への原子爆弾の投下、ソ連の参戦を経て、8月14日の御前会議において、この宣言の受諾を決定し、敗戦へと至ります。
以下に、「ポツダム宣言」の英語版原文と日本の外務省による訳文、及び筆者による現代語訳を掲載しておきましたので、ご参照下さい。
1945年(昭和20)7月17日から8月2日に、ドイツのベルリン郊外のポツダムで開かれ、アメリカ合衆国のH.トルーマン、イギリスのW.チャーチル (途中から C.アトリーに交代) 、ソビエト連邦のI.スターリンが出席した巨頭会談です。その中で、第2次世界大戦後のドイツの処理問題を話し合い、ポツダム協定で決定をみました。また、日本に対しては、降伏条件,戦後処理方式を決定し、中国の同意を得て、7月26日に、アメリカ、イギリス、中国、3ヶ国政府首脳の連名で日本に対して「ポツダム宣言」が出されます。