ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:アジア情勢

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 今日は、江戸時代後期の1825年(文政8)に、江戸幕府が「異国船打払令」を出した日ですが、新暦では4月6日となります。
 これは、 江戸幕府が出した外国船追放令で、理由に関係なく外国船を打ち払えと命じたもので、「無二念打払令」または「文政の打払令」ともいいます。
 江戸幕府は、1806年(文化3)に漂流船には薪水を給与すると同時に、江戸湾ならびに全国の沿岸の警備を強化することを諸大名に命じていました。
 しかし、1808年(文化5)にフェートン号事件が起こり、日本近海にイギリスとアメリカの捕鯨船が頻繁に出没し始め、さらに1818年 (文政元) 、イギリス人 G.ゴルドンが直接浦賀に来航して貿易を要求したり、1824年(文政7)には常陸、薩摩などで外国船員が上陸するという事態も起こったのです。
 そこで、1825年(文政8)に、これによって、日本の沿岸に近づく外国船に対し、無差別に砲撃を加えて撃退することを命じました。
 そして、1837年(天保8)にアメリカ船モリソン号が浦賀に入港した際に砲撃を加えたりしたのです。しかし、1842年(天保13)にアヘン戦争で清がイギリスに敗れて開国を強制させられた情報が伝わると、急いで水野忠邦らがこれについて評議した末、老中真田幸貫の意見を容れて、同年にこれを廃止し、.元の薪水供給令に戻りました。

〇異国船打払令 (全文) 1825年(文政8年2月18日)

 異国船打払令

 文政八酉年二月十八日
 異国船[1]渡来の節取計方[2]、前々より数度仰出されこれ有り、をろしや船[3]の儀に付いては、文化の度改めて相触れ候[4]次第も候処、いきりすの船[5]、先年長崎において狼籍[6]に及び、近年は所々[7]へ小船にて乗寄せ、薪水食糧を乞ひ、去年[8]に至り候ては猥りに上陸致し、或いは迴船の米穀島方の野牛等奪取候段、追々横行の振舞[9]、其上邪宗門[10]に勧入れ候致方も相聞え、旁捨置れ難き事に候。一体いきりすに限らず、南蛮[11]・西洋の儀は御制禁邪教の国に候間、以来何れの浦方[12]におゐても異国船乗寄候を見請候はゞ、其所に有合候人夫を以て有無に及ばず[13]一図[14]に打払い、迯延候はゞ追船等差出に及ばず、其侭に差置き、若し押して上陸致し候はば、搦捕又は打留候ても苦しからず候。本船近寄り居り候はば、打潰し候共、是又時宜次第取計らるべき旨、浦方末々の者迄申含み、追て其段相届け候様、改て仰出され候間、其意を得、浦浦手立の儀は土地相応、実用専一に心掛け、手重過ぎ申さざる様、又怠慢もこれ無く、永続致すべき便宜を考へ、銘々存分に申付けらるべく候。
 尤唐[15]・朝鮮・琉球などは船形人物も相分るべく候得共、阿蘭陀船は見分けも相成かね申すべく、右等の船万一見損い、打誤り候共、御察度[16]は之有間敷候間、二念無く[17]打払いを心掛け、図を失わざる様[18]取計らい候処、専用の事に候条、油断無く申付けらるべく候。

                『御触書寛保集成』より
           *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

【注釈】
[1]異国船:いこくせん=外国船(オランダ、中国、朝鮮、琉球のものは除く)
[2]取計方:とりはからいかた=取り扱う方法。
[3]をろしあ船:おろしあせん=ロシア船。
[4]文化の度改めて相触れ候:ぶんかのどあらためてあいふれそうろう=1806年(文化3)の文化の撫恤令のこと。
[5]いきりすの船:いぎりすのふね=イギリス船。
[6]長崎において狼藉:ながさきにおいてろうぜき=1808年(文化5)のフェートン号事件のこと。⇒詳細
[7]所々:しょしょ=イギリス船がしばしば浦賀、長崎、琉球に来航したことを指す。
[8]去年:きょねん=1824年(文政7)に、イギリス捕鯨船が常陸大津浜や薩摩国宝島に上陸したことを指す。
[9]追々横行の振舞:おいおいおうこうのふるまい=だんだん勝手な行動がひどくなり。
[10]邪宗門:じゃしゅうもん=キリスト教のこと。
[11]南蛮:なんばん=ポルトガル、イスパニアを指す。
[12]浦方:うらかた=海辺の村。
[13]有無に及ばず:うむにおよばず=迷わず。
[14]一図:いちず=ひたすらに。ただちに。軍事や飢餓対策などのために、幕府が備蓄した金のこと。
[15]唐:から=中国のことで、当時は清国。
[16]御察度:ごさっと=非難すること。違法を咎めること。
[17]二念無く:にねんなく=迷うことなく。考えることなく。
[18]図を失はざる様:ずをうしなわざるよう=時期を逃さぬよう。

<現代語訳>

異国船打払令

 外国船が渡来した時の取扱う方法は、これまでに数回通達されているロシア船については、1806年(文化3)の文化の撫恤令の通りであるが、イギリス船も先年長崎で狼藉を行い(1808年(文化5)のフェートン号事件のこと)、最近では所々へ小船でやってきては薪水、食糧を要求し、昨年はみだりに上陸して、廻船の米穀や島の牛を奪う等だんだん勝手な行動がひどくなり、その上キリスト教を勧める等があり、いずれにしても放置しておくわけには行かない。
 もともとイギリスに限らず、ポルトガル、イスパニアなど西洋の国々は日本で禁止されているキリスト教の国であるので、今後はどこの海辺の村でも、外国船が近付いたら、その場に居合わせた者達で迷わず打払い、逃げた場合は船を出して追う必要なくそのままで良い。もし強硬に上陸してきたならば捕縛しても打ち殺しても構わない。本船が近寄ってきたならば、打ち壊すにしても何にしても臨機応変に実行すべきであるということを末端まで相談し、おってその事を届ける様に改めて通達する。その趣旨を理解して、それぞれの海岸をその土地の状況に応じて、実際に役立つよう守り、過度にならず怠慢にならないように継続可能な体制をとる様に言い渡す事である。
 もっとも中国・朝鮮・琉球などは船の形、人物などの見分けも付くが、オランダ船は見分けがつきにくく、これらの船を万一見誤ったりしても咎めはないので、迷うことなく打払いを心掛け、時機を逃さないようにする事が重要であるので、油断することがないように言い渡す事である。
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 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、ヤルタ会談で協議の上、米・英・ソ3ヶ国政府首脳によってヤルタ協定が結ばれた日です。
 これは、昭和時代前期の1945年(昭和20)2月に開かれたヤルタ会談(クルミア半島のヤルタで開催)で協議の上、2月11日に、アメリカのF.ルーズベルト、イギリスのW.チャーチル、ソビエト連邦のI.スターリン、3ヶ国政府首脳によってまとめられた協定です。
 この協定では、ソビエト連邦の影響下にある外蒙古(モンゴル人民共和国)の現状を維持すること、樺太(サハリン)南部と周辺島々はソビエト連邦に返還されるべきこと、千島列島はソビエト連邦に引き渡されるべきこと、満州の港湾と鉄道におけるソビエト連邦の権益を確保することなどを条件に、ドイツが降伏しヨーロッパの戦争が終結した後、2ヶ月または3ヶ月を経て、ソビエト連邦が対日参戦することが取り決められました。

〇ヤルタ協定 (全文) [英文] 1945年(昭和20)2月11日 

Yalta Agreements

The leaders of the three Great Powers - the Soviet Union, the United States of America and Great Britain - have agreed that in two or three months after Germany has surrendered and the war in Europe has terminated the Soviet Union shall enter into the war against Japan on the side of the Allies on condition that:

l . The status quo in Outer-Mongolia (The Mongolian People's Republic) shall be preserved;

2. The former rights of Russia violated by the treacherous attack of Japan in 1904 shall be restored, viz:

(a) the southern part of Sakhalin as well as all the islands adjacent to it shall be returned to the Soviet Union,

(b) the commercial port of Dairen shall be internationalized, the preeminent interests of the Soviet Union in this port being safeguarded and the lease of Port Arthur as a naval base of the USSR restored,

(c) the Chinese-Eastern Railroad and the South-Manchurian Railroad which provides an outlet to Dairen shall be jointly operated by the establishment of a joint Soviet-Chinese Company it being understood that the preeminent interests of the Soviet Union shall be safeguarded and that China shall retain full sovereignty in Manchuria;

3. The Kuril islands shall be handed over to the Soviet Union.

It is understood, that the agreement concerning Outer-Mongolia and the ports and railroads referred to above will require concurrence of Generalissimo Chiang Kai-shek. The President will take measures in order to obtain this concurrence on advice from Marshal Stalin.

The Heads of the three Great Powers have agreed that these claims of the Soviet Union shall be unquestionably fulfilled after Japan has been defeated.

For its part the Soviet Union expresses its readiness to conclude with the National Government of China a pact of friendship and alliance between the USSR and China in order to render assistance to China with its armed forces for the purpose of liberating China from the Japanese yoke.

February 11, 1945

J. STALIN

FRANKLIN D. ROOSEVELT

WINSTON S. CHURCHILL


<日本の外務省による訳文>

•千九百四十五年二月ノ「ヤルタ」会談ニ於テ作成

千九百四十六年二月十一日米国国務省ヨリ発表

三大国即チ「ソヴィエト」連邦、「アメリカ」合衆国及英国ノ指揮者ハ「ドイツ」国カ降伏シ且「ヨーロツパ」ニ於ケル戦争カ終結シタル後二月又ハ三月ヲ経テ「ソヴィエト」連邦カ左ノ条件ニ依リ連合国ニ与シテ日本ニ対スル戦争ニ参加スヘキコトヲ協定セリ

◦一、外蒙古(蒙古人民共和国)ノ現状ハ維持セラルヘシ

◦二、千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルヘシ
◾(イ) 樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」連邦ニ返還セラルヘシ
◾(ロ) 大連商港ニ於ケル「ソヴィエト」連邦ノ優先的利益ハ之ヲ擁護シ該港ハ国際化セラルヘク又「ソヴィエト」社会主義共和国連邦ノ海軍基地トシテノ旅順口ノ租借権ハ回復セラルヘシ
◾(ハ) 東清鉄道及大連ニ出口ヲ供与スル南満洲鉄道ハ中「ソ」合弁会社ノ設立ニ依リ共同ニ運営セラルヘシ但シ「ソヴィエト」連邦ノ優先的利益ハ保障セラレ又中華民国ハ満洲ニ於ケル完全ナル主権ヲ保有スルモノトス

◦三、千島列島ハ「ソヴィエト」連邦ニ引渡サルヘシ

前記ノ外蒙古並ニ港湾及鉄道ニ関スル協定ハ蒋介石総帥ノ同意ヲ要スルモノトス大統領ハ「スターリン」元帥ヨリノ通知ニ依リ右同意ヲ得ル為措置ヲ執ルモノトス
三大国ノ首班ハ「ソヴィエト」連邦ノ右要求カ日本国ノ敗北シタル後ニ於テ確実ニ満足セシメラルヘキコトヲ協定セリ
「ソヴィエト」連邦ハ中華民国ヲ日本国ノ覊絆ヨリ解放スル目的ヲ以テ自己ノ軍隊ニ依リ之ニ援助ヲ与フル為「ソヴィエト」社会主義共和国連邦中華民国間友好同盟条約ヲ中華民国国民政府ト締結スル用意アルコトヲ表明ス

千九百四十五年二月十一日
◦ジェー・スターリン
◦フランクリン・ディー・ルーズヴェルト
◦ウィンストン・エス・チャーチル 

             外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊より
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 今日は、昭和時代中期の1953年(昭和28)に、日本とアメリカ合衆国が「奄美群島返還協定」に調印した日です。
 この条約は、東京で署名され、正式名称を「奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」といい、翌日発効し、奄美群島の日本復帰が実現しました。
 奄美群島については、沖縄や小笠原諸島などと共に、1951年(昭和26)9月8日に締結された「サンフランシスコ平和条約」第3条で、アメリカを施政権者とする信託統治をアメリカが国際連合に提案するまでは、アメリカの統治権の下に置かれることを規定していました。
 しかし、奄美群島祖国復帰運動が粘り強く闘われ、集落又は自治体単位でハンガーストライキが行われたり、住民ほとんどが日本復帰を願う署名をするなど、アメリカの統治が困難を増してきたので、返還されるに至ったのです。
 1953年(昭和28)8月8日に、J.ダレス米国務長官は声明を発表し、必要な取決めが日本との間に結ばれ次第、アメリカは奄美群島を返還すると述べ、同年末にこの協定が締結されました。
 協定は、前文および本文9ヶ条より成り、復帰に伴う諸手続を規定しています。

〇「奄美群島返還協定」 (全文)  [正文は日本語・英語] 1953年(昭和28)12月24日調印

奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
(略称)奄美群島返還協定

 アメリカ合衆国は、同国国務長官が千九百五十三年八月八日に声明したとおり、奄美群島に関し、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第三条に基くすべての権利及び利益を日本国のために放棄することを希望するので、また、

 日本国は、奄美群島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権力を行使するための完全な権能及び責任を引き受けることを望むので、

 よって、日本国政府及びアメリカ合衆国政府は、この協定を締結することに決定し、このためそれぞれの代表者を任命した。これらの代表者は、次のとおり協定した。

   第一条

1 アメリカ合衆国は、奄美群島に関し、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第三条に基くすべての権利及び利益を、千九百五十三年十二月二十五日から日本国のために放棄する。日本国は、前記の日に、奄美群島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権力を行使するための完全な権能及び責任を引き受ける。

2 この協定の適用上、「奄美群島」とは、附属書に掲げる群島(領水を含む。)をいう。

   第二条

1 アメリカ合衆国が奄美群島で現に利用している二の設備及び用地は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名され、その後改正された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に定める手続に従つて合衆国軍隊が使用するものとする。もつとも、避けがたい遅延のため千九百五十三年十二月二十五日前に、前記の手続きによることができない場合には、日本国は、アメリカ合衆国に対し、その手続が完了するまでの間、これらの特定の設備及び用地を引き続き使用することを許すものとする。

2 日本国政府は奄美大島の名瀬にある測候所の運営を引き継ぐものとし、且つ、行政協定第二十六条に定める合同委員会による協議を通じて合意されるところに従つて気象観測の結果をアメリカ合衆国政府に提供するものとする。避けがたい遅延のため千九百五十三年十二月二十五日に日本国政府がその運営を引き継ぐことができない場合には、現状どおりの運営が、日本国政府がこの責任を引受ける準備ができる時まで、継続されることが合意される。

   第三条

1 日本国政府は、千九百五十三年十二月二十五日に、奄美群島における流通からすべての「B」号円を回収し、且つ、一「B」号円につき三日本円の割合で「B」号円と引き替えに日本円を交付することを開始しなければならない。この通貨の交換は、できる限りすみやかに完了しなければならない。回収した「B」号円は、沖縄の那覇にいる合衆国民政官に返還しなければならない。アメリカ合衆国政府は、「B」号円又は「B」号円と引き替えに交付される日本円について、日本国政府に対し何ら償還の義務を負うものではない。

2 予算及び財政に関する現行の措置で資金の収集及び債務の支払に関するものは、千九百五十三年十二月二十四日まで維持されるものとし、その後は、日本国政府が、奄美群島における完全な財政上の責任を有するものとする。

3 日本国政府は、奄美群島における郵便組織のすべての金融上の債務を負うものとする。奄美群島における郵便組織と南西諸島のその他の島における郵便組織との間の勘定は、日本国政府とアメリカ合衆国政府との間で、奄美群島における郵便組織のその他の資産並びに南西諸島のその他の島における日本国政府郵便組織の戦争前の資産及び債務を考慮に入れて、後日合意される通りに決済しなければならない。

4 琉球政府の財産(書類、記録及び証拠物件を含む。)千九百五十三年十二月二十五日に奄美群島に存在するものは、その日に無償で日本国政府に移転しなければならない。

5 日本国政府(地方公共団体を含む。)の財産で、千九百五十三年十二月二十五日に奄美群島に存在し、且つ、同日前にはアメリカ合衆国政府の管理下にあったものは、その日に無償で日本国政府に返還しなければならない。

6 千九百五十三年十二月二十五日に、奄美群島における各種の機関及び団体が奄美群島への貨物の積送の結果南西諸島のその他の島における政府機関その他の機関に対して負う当座勘定並びに奄美群島における個人及び団体が琉球復興金融金庫に対して負う長期債務が存在する。両国政府は、これらの勘定の残高並びに債権者をできる限りすみやかに確認しなければならない。アメリカ合衆国政府は、確認された勘定に関するすべての権利及び利益を無償で日本国政府に移転しなければならない。

7 千九百五十三年十二月二十五日に、奄美群島における個人(法人を含む。以下同じ。)が南西諸島のその他の島における個人に対し、又は南西諸島のその他の島における個人が奄美群島における個人に対し負う債務が存在する。両国政府は、これらの債務の決済を促進する手続を定めることに同意する。

   第四条

1 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したために執られた行動から生じたアメリカ合衆国及びその国民並びに南西諸島の現地当局及びその前身たる機関に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、アメリカ合衆国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権で、千九百五十三年十二月二十五日前に、奄美群島で生じ、又は奄美群島に影響を有するものを放棄する。但し、前記の放棄には、千九百四十五年九月二日以後制定されたアメリカ合衆国の法令又は南西諸島の現地法令で特に認められた日本人の請求権の放棄を含まない。

2 日本国は、占領期間中及び奄美群島の軍政府又は合衆国民政府の期間中に占領当局、軍政府又は合衆国民政府の指令に基いて若しくはその結果として行われ、又は当時の法令によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認し、合衆国国民又は南西諸島の居住者をこれらの作為又は不作為から生ずる民事又は刑事の責任に問ういかなる行動も執らないものとする。

   第五条

1 日本国は、公の秩序又は善良の風俗に反しない限り、次の裁判が有効であることを承認し、且つ、それらの効力を完全に存続させるものとする。

(a)奄美群島におけるいずれかの裁判所が千九百五十三年十二月二十五日前にした民事の裁判で、同日前の法令によつて再審査の手段又は権利がなかつたもの及び

(b)沖縄における琉球上訴裁判所が千九百五十三年十二月二十五日前にした民事の最終的裁判で、奄美群島におけるいずれかの裁判所に係属した事件に関すもの

2 日本国は、訴訟当事者の実質的な権利及び地位をいかなる意味においても害することなく、千九百五十三年十二月二十五日に奄美群島におけるいずれかの裁判所に係属中の民事事件又はそれらの裁判所に係属した民事事件で千九百五十三年十二月二十五日に琉球上訴裁判所に係属中のものについて、裁判権を引き継ぎ、且つ、引き続き裁判及び執行をするものとする。

   第六条

 日本国は、奄美群島にいる者で、千九百五十三年十二月二十五日前に南西諸島におけるいずれかの裁判所が科した刑に服役中のもの又は千九百五十三年十二月二十五日に前記の裁判所若しくは沖縄における琉球上訴裁判所に事件が係属中のものに対して、日本国の法令及び手続に従つて刑事裁判権を行使することができる。但し、これらの者が千九百五十三年十二月二十五日に抑留中である場合には、適当な措置が執られるまでの間引き続き日本国の当局の下に抑留されるものとする。日本国の当局は、前記の者に対して刑事裁判権を行使するに際し、南西諸島における裁判所又は沖縄における琉球上訴裁判が前記の者に対して刑事裁判権を行使する際に用いた証拠資料に対して相当な信頼を置くものとする。

   第七条

 日本国が当事国である条約及びその他の国際協定(千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約、同日に署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約及びこれに基く改正された行政協定、同日に日本国総理大臣とアメリカ合衆国国務長官との間で交換された公文並びに千九百五十三年四月二日に東京で署名された日本国とのアメリカ合衆国との間の友好通商航海条約を含む。)は、この協定の効力発生の日から奄美群島について適用されるものとする。

   第八条

 この協定の実施に関する事項は、両国政府又はその権限のある当局の間で協議によって合意するものとする。

   第九条

 この協定は、千九百五十三年十二月二十五日に効力を生ずる。

以上の証拠として、下名は、各自の政府により正当な委任を受け、この協定に署名した。

 千九百五十三年十二月二十四日に東京で、ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。

 日本国のために

   岡崎勝男(署名)

 アメリカ合衆国のために

   ジョン・M・アリソン(署名)

   附属書

 奄美群島とは、北方北緯二十九度、南方北緯二十七度、西方東経百二十八度十八分及び東方東経百三十度十三分を境界線とする区域内にあるすべての島、小島、環礁及び岩礁をいう。


                  日本外務省編「日本外交主要文書・年表(1)」より
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 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、米・英・中首脳による日本の戦後処理についてのカイロ会談が始まった日です。
 この会談は、1943年(昭和18)11月22日から26日まて、エジプトのカイロにアメリカ(ルーズベルト)、イギリス(チャーチル)、中国(蒋介石)の3ヶ国政府首脳が集まり、対日戦争と戦後処理について具体的に討議した最初の会議でした。
 その協議の上、3ヶ国政府首脳が第二次世界大戦における対日戦について合意した基本方針について、11月27日に署名し、12月1日に「カイロ宣言」として発表します。
 内容は、日本の無条件降伏要求と、降伏後の日本領土の決定などを決めたもので、その後の対日政策の基本となり、「ポツダム宣言」に引き継がれました。
 尚、12月2日から7日まで、再びカイロに於いて、アメリカ(ルーズベルト)、イギリス(チャーチル)、トルコ(イノニュ)との間で会談が持たれています。

☆「カイロ宣言」 (全文) 1943年(昭和18)11月27日調印  

The Cairo Declaration

President Roosevelt, Generalissimo Chiang Kai-shek and Prime Minister Churchill, together with their respective military and diplomatic advisers, have completed a conference in North Africa.

The following general statement was issued:

"The several military missions have agreed upon future military operations against Japan. The Three Great Allies expressed their resolve to bring unrelenting pressure against their brutal enemies by sea, Iand, and air. This pressure is already rising.

"The Three Great Allies are fighting this war to restrain and punish the aggression of Japan. They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expansion. It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914, and that all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and the Pescadores, shall be restored to the Republic of China. Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed. The aforesaid three great powers, mindful of the enslavement of the people of Korea, are determined that in due course Korea shall become free and independent.

"With these objects in view the three Allies, in harmony with those of the United Nations at war with Japan, will continue to persevere in the serious and prolonged operations necessary to procure the unconditional surrender of Japan."

【日本の外務省による訳文】

カイロ宣言(日本国ニ関スル英,米,華三国宣言)

「ローズヴェルト」大統領,蒋介石大元帥及「チァーチル」総理大臣ハ各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明発セラレタリ

「各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ

三大同盟国ハ海路,陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲,台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スベシ」

                       外務省編『日本外交主要文書・年表(1)』より

【現代語訳】

カイロ宣言

ルーズベルト大統領、総統蒋介石とチャーチル首相、彼らそれぞれの軍事・外交顧問とともに北アフリカでの会議が完了した。
次の一般的な声明が出された。

「いくつかの軍事使節が日本に対する将来の軍事作戦に合意した。

3大同盟国は、海路、陸路および空路によって残忍な敵に対して容赦のない圧力をもたらすという決意を表明した。この圧力は、すでに増大している。

3大同盟国は、日本の侵略を抑制し、罰するためにこの戦争を戦っている。同盟国は彼ら自身のための利益をむさぼっておらず、領土拡張の考えもない。

同盟国の目的は、1914年の第一次世界大戦の初め以来、日本に占められた太平洋の島はすべて剥奪されることと、満州、台湾、澎湖諸島といった日本が中国から盗んだすべての領土を中華民国に返還しなければならないことにある。

日本は、暴力と貪欲によって、奪取した他のすべての地域からも追放される。

前述の3大国は、朝鮮の人々の奴隷状態に留意し、自由で独立した朝鮮のための道筋をつくる決意を有する。

これらの目的をもって3同盟国は、同盟諸国の中で日本との戦争をしている諸国と協調し、引き続き日本を無条件降伏させるために必要な重大で長期の行動を続行する。」

                       *英語の原文より訳しました。
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 今日は、昭和時代後期の1972年(昭和47)に、日本と中国が「日中共同声明」に調印した日です。
 この声明は、中華人民共和国の北京で調印された、日本と中華人民共和国の国交正常化のための共同声明です。正式には「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」といい、前文と本文9項目から成っていました。
 その内容は、前文で日本側が戦争で中国国民に重大な損害を与えた責任を深く反省し,中国政府が提示した復交3原則を十分理解するとし、本文では、(1)国交正常化、(2)中国政府の唯一合法性の承認、(3)台湾が中国の一部であることの尊重、(4)外交関係の樹立、(5)戦争賠償の放棄、(6)平和五原則と国連憲章の原則の確認、(7)覇権主義に対する反対、(8)平和友好条約の締結のための交渉の合意、(9)貿易・海運・航空・漁業等の諸実務協定の締結のための交渉の合意を規定しています。
 この声明に基づいて、両国間での交渉が重ねられ、1978年(昭和53)8月12日に、「日中平和友好条約」が調印されました。

〇「日中共同声明」(全文)

日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明

 日本国内閣総理大臣田中角栄は、中華人民共和国国務院総理周恩来の招きにより、千九百七十二年九月二十五日から九月三十日まで、中華人民共和国を訪問した。田中総理大臣には大平正芳外務大臣、二階堂進内閣官房長官その他の政府職員が随行した。
 毛沢東主席は、九月二十七日に田中角栄総理大臣と会見した。双方は、真剣かつ友好的な話合いを行った。
 田中総理大臣及び大平外務大臣と周恩来総理及び姫鵬飛外交部長は、日中両国間の国交正常化問題をはじめとする両国間の諸問題及び双方が関心を有するその他の諸問題について、終始、友好的な雰囲気のなかで真剣かつ率直に意見を交換し、次の両政府の共同声明を発出することに合意した。
 日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
 日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。

一 日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
四 日本国政府及び中華人民共和国政府は、千九百七十二年九月二十九日から外交関係を樹立することを決定した。両政府は、国際法及び国際慣行に従い、それぞれの首都における他方の大使館の設置及びその任務遂行のために必要なすべての措置をとり、また、できるだけすみやかに大使を交換することを決定した。
五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
六 日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
 両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
七 日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
八 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
九 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため、必要に応じ、また、既存の民間取決めをも考慮しつつ、貿易、海運、航空、漁業等の事項に関する協定の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。

千九百七十二年九月二十九日に北京で

日本国内閣総理大臣     田中角栄(署名)
日本国外務大臣       大平正芳(署名)
中華人民共和国国務院総理  周恩来(署名)
中華人民共和国 外交部長  姫鵬飛(署名)

          日本外務省ホームページ「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」より
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