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 今日は、平成時代の1992年(平成4)に、漫画家長谷川町子が亡くなった日です。
 長谷川町子(はせがわ まちこ)は、大正時代の1920年(大正9)1月30日に、佐賀県小城郡東多久村別府(現在の多久市東多久町)で、ワイヤーロープの会社を営んでいた、父・長谷川勇吉、母・サタの三女として生まれました。1922年(大正11)に、一家で福岡県福岡市大字住吉に転居、1932年(昭和7)には、福岡市立春吉小学校卒業後、福岡県立福岡高等女学校(現在の福岡中央高校)へ入学します。
 1933年(昭和8)に父・勇吉が亡くなると、翌年には、一家で上京、山脇高等女学校3年に編入、「のらくろ」で有名な漫画家・田河水泡に入門しました。1935年(昭和10)に『少女倶楽部』10月号にデビュー作「狸の面」を発表、1936年(昭和11)に山脇高等女学校卒業後、田河水泡の内弟子となりましたが、ホームシックに耐え兼ね一年で自宅に戻ったものの、『東京日日新聞』日曜版に「チャッピーフーチャン」を連載します。
 1937年(昭和12)に『講談社の繪本』に「オテガラポンチャン」、1939年(昭和14)に『国民新聞』で「ヒィフゥみよチャン」、1940年(昭和15)に『少女倶楽部』に「仲よし手帖」、1941年(昭和16)に『週刊アサヒグラフ』に「翼賛一家大和さん」を次々と連載しました。太平洋戦争が激しくなると、1944年(昭和19)に福岡に一家で疎開、西日本新聞社に入社、編集局整理部絵画係に配属されます。
 戦後の1945年(昭和20)に西日本新聞社を退社、翌年から『夕刊フクニチ』で「サザエさん」の連載を開始しましたが、福岡の家を売却し、一家で再び上京し世田谷区新町三丁目に住み、姉妹社を設立しました。1948年(昭和23)に『漫画少年』で「サザエさん」連載開始、初の「サザエさん」実写映画化もされています。
 1951年(昭和26)に『朝日新聞』朝刊で、「サザエさん」連載が開始(~1974年2月21日)、1955年(昭和30)には、ニッポン放送でラジオドラマ「サザエさん」(~1965年4月)、KRテレビ(現TBS)で「サザエさん」の放送が開始されました。1956年(昭和31)に東宝が映画「サザエさん」を制作・配給(監督・青柳信雄、主演・江利チエミ)、1967年(昭和42)に日本テレビでドラマ「意地悪ばあさん」放送開始(~1969年9月25日、主演・青島幸男)、1969年(昭和44)には、フジテレビでアニメ「サザエさん」の放送が開始され、人気を博します。
 1978年(昭和53)に『朝日新聞』日曜版で「サザエさんうちあけ話」連載開始(~11月12日号)し、翌年には、NHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」(原作「サザエさんうちあけ話」)放送されました。1982年(昭和57)に紫綬褒章を受章、1985年(昭和60)には、財団法人長谷川美術館が開館しています。
 1988年(昭和63)に第4回東京都文化賞、1990年(平成2)に勲四等宝冠章、1991年(平成3)に第20回日本漫画家協会賞・文部大臣賞など数々の栄誉にも輝きました。漫画の主人公のサザエさんは国民的アイドルになるほどの人気を博しましたが、1992年(平成4)5月27日に、東京において、心不全のため、72歳で亡くなり、国民栄誉賞が追贈されています。

〇長谷川町子の代表的作品

・『サザエさん』
・『いじわるばあさん』
・『エプロンおばさん』

☆長谷川町子関係略年表

・1920年(大正9)1月30日 佐賀県小城郡東多久村別府(現在の多久市東多久町)で、ワイヤーロープの会社を営んでいた、父・長谷川勇吉、母・サタの三女として生まれる
・1922年(大正11) 一家で福岡県福岡市大字住吉に転居する
・1926年(大正15)4月 福岡市立春吉小学校に入学する
・1932年(昭和7) 福岡市立春吉小学校卒業、福岡県立福岡高等女学校(現在の福岡中央高校)へ入学する
・1933年(昭和8)3月3日 父・勇吉が亡くなる(享年50歳)
・1934年(昭和9) 一家で上京、山脇高等女学校3年に編入、「のらくろ」で有名な漫画家・田河水泡に入門する
・1935年(昭和10) 『少女倶楽部』10月号にデビュー作「狸の面」を発表する
・1936年(昭和11) 山脇高等女学校卒業後、田河水泡の内弟子となるが、ホームシックに耐え兼ね一年で自宅に戻る、『東京日日新聞』日曜版に「チャッピーフーチャン」を連載する
・1937年(昭和12)10月 『講談社の繪本』に「オテガラポンチャン」掲載、以降1942年まで延べ20回掲載する
・1939年(昭和14)3月 『国民新聞』で「ヒィフゥみよチャン」を連載。小学館の学年誌に漫画掲載(~1943年)
・1940年(昭和15) 『少女倶楽部』1月号より「仲よし手帖」連載(~1942年12月号)
・1941年(昭和16)2月 『週刊アサヒグラフ』に「翼賛一家大和さん」連載する
・1942年(昭和17)4月 『翼賛漫画進メ大和一家』に3作品掲載する
・1944年(昭和19) 福岡に一家で疎開、西日本新聞社に入社、編集局整理部絵画係に配属される
・1945年(昭和20)11月 西日本新聞社を退社する
・1946年(昭和21) 『夕刊フクニチ』で「サザエさん」の連載を開始、福岡の家を売却し、一家で再び上京し世田谷区新町三丁目に住み、姉妹社を設立する
・1947年(昭和22) 『夕刊フクニチ』で「サザエさん」連載再開する
・1948年(昭和23) 『漫画少年』で「サザエさん」連載開始する、『新夕刊』で「サザエさん」連載開始(~1949年4月2日)、初の「サザエさん」実写映画化される
・1949年(昭和24) 『少女』2月号より「仲よし手帖」連載開始(~1951年8月号)
・1951年(昭和26) 『こどもクラブ』で「わかめちゃん」連載開始(~1954年8月号)、『朝日新聞』朝刊で、「サザエさん」連載開始(~1974年2月21日)
・1955年(昭和30) ニッポン放送でラジオドラマ「サザエさん」放送開始(~1965年4月)、KRテレビ(現TBS)で「サザエさん」放送開始
・1956年(昭和31) 東宝が映画「サザエさん」制作・配給(監督・青柳信雄、主演・江利チエミ)
・1957年(昭和32) 『サンデー毎日』1月6日号より「エプロンおばさん」連載開始(~1967年7月25日号)、『若い女性』1月号より「サザエさん」連載開始(~1959年1月号)
・1960年(昭和35) 病気療養のため『朝日新聞』朝刊で「サザエさん」休載する
・1961年(昭和36) 『朝日新聞』朝刊で「サザエさん」連載再開する
・1962年(昭和37) 「サザエさん」と「エプロンおばさん」で第8回文藝春秋漫画賞を受賞する
・1964年(昭和39) 初の海外旅行、ヨーロッパ各国を旅する
・1965年(昭和40) TBSでドラマ「サザエさん」放送開始(~1967年9月26日、主演・江利チエミ)
・1966年(昭和41) 『サンデー毎日』1月2日号より「意地悪ばあさん」連載開始(~1971年7月18日号)
・1967年(昭和42) 日本テレビでドラマ「意地悪ばあさん」放送開始(~1969年9月25日、主演・青島幸男)
・1969年(昭和44) フジテレビでアニメ「サザエさん」放送開始する
・1974年(昭和49) 『朝日新聞』朝刊で「サザエさん」連載終了
・1976年(昭和51) 「サザエさんえほん」シリーズ第1巻を発行(全9巻を順次発行)
・1978年(昭和53) 『朝日新聞』日曜版で「サザエさんうちあけ話」連載開始(~11月12日号)
・1979年(昭和54) NHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」(原作「サザエさんうちあけ話」)放送開始(~9月)
・1982年(昭和57)11月 紫綬褒章を受章する
・1985年(昭和60)11月3日 財団法人長谷川美術館が開館する
・1987年(昭和62) 『朝日新聞』朝刊に「サザエさん旅あるき」連載開始、6月13日、母・サタ死去(享年91歳)
・1988年(昭和63)2月 第4回東京都文化賞を受賞する
・1990年(平成2)4月 勲四等宝冠章を受章する
・1991年(平成3) 第20回日本漫画家協会賞・文部大臣賞を受賞する
・1992年(平成4)5月27日 東京において、心不全のため、72歳で亡くなる
・1992年(平成4)7月 国民栄誉賞を受賞する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

743年(天平15)「墾田永年私財法」が出される(新暦6月23日)詳細
1235年(文暦2)藤原定家によって「小倉百人一首」が完成された(百人一首の日)詳細
1273年(文永10)鎌倉幕府第7代執権北条政村の命日(新暦6月13日)詳細
1901年(明治34)山陽鉄道(後の山陽本線)の神戸駅~馬関駅(現在の下関駅)間が全通する詳細
1938年(昭和13)「日独防共協定」締結による同盟強化に伴い、大日本青少年独逸派遣団が出発する詳細