ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 自然災害

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 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、キティ台風(昭和24年台風第10号)が、神奈川県小田原市の西に上陸し、大きな被害をもたらした日です。
 キティ台風(きてぃたいふう)は、昭和時代中期の1949年(昭和24)8月28日に南鳥島近海で発生、昭和24年台風第10号(国際名:キティ/Kitty)と名付けられた台風です。8月31日19時過ぎに神奈川県小田原市の西に上陸、その後北進し、東京都西部・埼玉県熊谷市を通り、9月1日0時頃に新潟県柏崎市付近から日本海に進んで、温帯低気圧に変わりました。
 東海・関東・北日本の日本海側等では、台風の影響により各地で20mを超す暴風が吹き、八丈島(東京都八丈町)で最大風速33.2m/s(最大瞬間風速47.2m/s)、横浜で最大風速35.2m/s(最大瞬間風速44.3m/s)、東京でも最大瞬間風速30.2m/sを記録しています。関東北部や新潟県の山岳部で大雨となり、群馬県勢多郡東村(現在のみどり市)沢入で、大規模な土砂崩れが生じて29名が死亡、信濃川や渡良瀬川の上流部では堤防が決壊、台風の通過が満潮時と重なったことから東京湾などで高潮となり、大規模な浸水被害に遭い大災害となりました。
 この結果、死者135名、行方不明者25名、負傷者479名、住家全壊3,733棟、住宅半壊13,470棟、床下浸水92,161棟、耕地被害48,598ha、船舶被害2,907隻など大きなな被害が出ます。台風名の由来は、太平洋戦争後の占領下において、連合軍気象隊が台風の発生順にアルファベット(ABC……)の頭文字をもつ女性の名前を順次つけていったことにより、Kで始まるキティ(Kitty)と名付けられました。

〇太平洋戦争後(1945年~)の記録的台風一覧

<1940年代>
・枕崎台風(昭和20年台風第16号・Ida)
・阿久根台風(昭和20年台風第20号・Louise)
・カスリーン台風(昭和22年台風第9号・Kathleen)
・アイオン台風(昭和23年台風第21号・Ione)
・デラ台風(昭和24年台風第2号・Della)
・ジュディス台風(昭和24年台風第9号・Judith)
・キティ台風(昭和24年台風第10号・Kitty)

<1950年代>
・ジェーン台風(昭和25年台風第28号・Jane)
・ルース台風(昭和26年台風第15号・Ruth)
・ダイナ台風(昭和27年台風第2号・Dinah)
・昭和28年台風第13号 (Tess)
・昭和29年台風第12号(June)
・洞爺丸台風(昭和29年台風第15号・Marie)
・狩野川台風(昭和33年台風第22号・Ida)
・昭和34年台風第7号(Georgia)
・宮古島台風(昭和34年台風第14号・Sarah)
・伊勢湾台風(昭和34年台風第15号・Vera)

<1960年代>
・第2室戸台風(昭和36年台風第18号・Nancy)
・昭和36年台風第26号
・昭和40年台風第23・24・25号
・第2宮古島台風(昭和41年台風第18号・Cora)
・昭和41年台風第24・26号
・第3宮古島台風(昭和43年台風第16号・Della)

<1970年代>
・昭和49年台風第8号
・昭和51年台風第17号 (Fran)
・沖永良部台風(昭和52年台風第9号・Babe)
・昭和54年台風第20号 (Tip)

<1980年代>
・昭和57年台風第10号 (Bess)
・昭和62年台風第12号 (Dinah)
・平成元年台風第6号
・平成元年台風第11・12・13号
・平成元年台風第17号
・平成元年台風第22号

<1990年代>
・平成2年台風第19号 (Flo)
・平成2年台風第20号
・平成3年台風第17号
・平成3年台風第18号
・平成3年台風第19号 (Mireille)
・平成4年台風第10号
・平成5年台風第13号 (Yancy)
・平成11年台風第18号 (Bart)

<2000年代>
・平成15年台風第14号 (Maemi)
・平成16年台風第18号 (Songda)
・平成16年台風第23号 (Tokage)
・平成17年台風第14号 (Nabi)

<2010年代>
・平成23年台風第12号 (Talas)
・平成25年台風第26号 (Wipha)
・平成28年台風第10号 (Lionrock)
・平成30年台風第21号 (Jebi)
・令和元年房総半島台風 (令和元年台風第15号・Faxai)
・令和元年東日本台風(令和元年台風第19号・Hagibis)

<2020年代>
・令和4年台風第14号 (Nanmadol)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)日本画家、南画家小室翠雲の誕生日詳細
1878年(明治11)日本画家鏑木清方(かぶらき きよかた)の誕生日詳細
1896年(明治29)陸羽地震(マグニチュード7.2)が起こり、死者209人、負傷者779人を出す詳細
1908年(明治41)物理化学者森野米三の誕生日詳細
1913年(大正2)お雇い外国人であるドイツ人医師E・von ベルツの命日詳細
1922年(大正11)薬理学者・分子生物学者江橋節郎の誕生日詳細
1970年(昭和45)小説家・検察官・弁護士佐賀潜の命日詳細
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derataifuushinrozu01
 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、デラ台風(昭和24年台風第2号)が来襲、鹿児島県鹿児島市に上陸し、甚大な被害をもたらし始めた日です。
 デラ台風(でらたいふう)は、昭和24年台風第2号(国際名:Della)といい、1949年(昭和24)6月17日にフィリッピン東方海上に発生し、南西諸島に沿って北東に進み、20日に沖縄、奄美大島、屋久島を順に通過して、鹿児島県鹿児島市に上陸、翌日にかけて、九州を縦断し、対馬海峡に出て朝鮮半島の東で停滞し、温帯低気圧に変わった台風です。これによって、台風接近前の18日から梅雨前線の活動が活発となり、九州、四国、近畿、東海などでは、日降水量が200mm以上の大雨となり、愛媛県では、宇和島市で29.2m/s、佐田岬で38.5m/sの最大瞬間風速をそれぞれ観測し、被害は、九州(鹿児島県が甚大)から東北地方までの広い範囲に及びました。
 全国で死者252人、行方不明者216人、負傷者367人、住家全壊1,410棟、半壊4,005棟、床上浸水4,627棟、床下浸水52,926棟などの大きな被害をもたらしています。特に、愛媛県の宇和海で出漁中の漁船などは甚大な被害を受け、門司(福岡県門司市)~高浜(愛媛県松山市)航路の旅客船「青葉丸」の沈没(青葉丸転覆事故)により、多数の死者が出ました。

〇青葉丸転覆事故(あおばまるてんぷくじこ)とは?

 昭和時代中期の1949年(昭和24)6月21日に、瀬戸内海の門司(福岡県)~高浜(松山市)航路の定期旅客船であった川崎汽船の「青葉丸」(599総トン、昭和22年12月に進水した鋼船)が、デラ台風(昭和24年台風第2号)によって、転覆沈没した事故です。「青葉丸」は、デラ台風(昭和24年台風第2号)が奄美大島付近にあって接近中であることを知りつつも、進路が逸れ、航行に支障はないと判断し、1949年(昭和24)6月20日21時に高浜港(愛媛県)を出港、門司港(福岡県)に向かって、乗客99人と乗組員47人の計146人を乗せて航行中、翌日午前2時半頃、大分県姫島東方18.5kmの洋上で、東南東の激風と高浪を受けて、転覆沈没したものでした。
 この事故によって、5人は救助されましたが、乗客69人と乗組員47人が死亡、乗客28人と乗組員25人が行方不明となる大惨事となります。出航直前の気象予報では、デラ台風(昭和24年台風第2号)は、奄美大島付近にあり、太平洋上の土佐沖を経て、伊豆半島方面に向け進行するので、航行進路に大きな影響はないと判断されたものの、その後、台風の進路が急に変じ、九州を縦断北上したため、暴風雨に巻き込まれることとなりました。
 船長は、伊予灘掃海水路に入ると、いよいよ台風の接近せることを感じ、総員を配置につかせ、万一を憂慮して、旅客に救命胴衣を配布しましたが、大分県姫島東方18.5kmkで、激風とこれに伴う高浪のため、船体が大傾斜して安定を失い横転するに至ったものです。この事故については、1960年(昭和29)9月7日に、神戸地方海難審判庁の裁決があり、「船長が高浜を発してから汽船青葉丸が沈没するにいたるまで採った措置については、同人及びその他の運航責任者の全部が死亡又は行方不明となっているので、詳かにすることができず、従って、その可否についても断定することはできない。」としました。

☆戦後の台風で死者・行方不明者が多い台風ワースト12(1945年以降)

① 伊勢湾台風(昭和34年台風第15号) 死者・行方不明者5,098人
② 枕崎台風(昭和20年台風第16号) 死者・行方不明者3,756人
③ カスリーン台風(昭和22年台風第9号) 死者・行方不明者1,930人
④ 洞爺丸台風(昭和29年台風第15号) 死者・行方不明者1,761人 
⑤ 狩野川台風(昭和33年台風第22号) 死者・行方不明者1,269人 
⑥ ルース台風(昭和26年台風第15号) 死者・行方不明者943人
⑦ アイオン台風(昭和23年台風第21号) 死者・行方不明者838人
⑧ ジェーン台風(昭和25年台風第28号) 死者・行方不明者539人
⑨ 昭和28年台風第13号 死者・行方不明者478人
⑩ デラ台風(昭和24年台風第2号) 死者・行方不明者468人
⑪ 阿久根台風(昭和20年台風第20号) 死者・行方不明者451人 
⑫ 昭和41年台風第24号・26号  死者・行方不明者318人 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1495年(明応4)飯尾宗祇ら編集による『新撰菟玖波集』が完成する(新暦7月12日)詳細
1587年(天正18)天正遣欧使節がローマから長崎に帰港する(新暦7月21日)詳細
1654年(承応3)江戸市中に水を供給する玉川上水が完成する(新暦7月21日)詳細
1730年(享保15)京都で「西陣焼け」が起こり、134町、3,810軒を焼失する(新暦8月3日)詳細
1887年(明治20)二葉亭四迷著の小説『浮雲』の第一篇が刊行される詳細
1947年(昭和22)片山哲内閣によって、「新日本建設国民運動要領」が閣議決定される詳細
1963年(昭和38)「観光基本法」が公布・施行される詳細
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anseihietsujishin01
 今日は、江戸時代後期の1858年(安政5)に、越中・飛騨国境付近で、飛越地震が起き、甚大な被害が出た日ですが、新暦では4月9日となります。
 飛越地震(ひえつじしん)は、江戸時代後期の1858年(安政5年2月26日)午前1時頃に起きた、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源とする大地震(推定マグニチュード7.0~7.1)で、安政飛越地震とも呼ばれてきました。その後、余震が朝まで続き、一説には夜明け頃までに40余回にわたって大震、小震を繰り返したと言われています。
 土砂災害、とりわけ立山連峰・大鳶山、小鳶山の大崩壊による河川の閉塞、その後の2回にわたる決壊によって、下流域に大災害をもたらしました。この地震は、岐阜県北部、富山県境に近い跡津川断層の活動によるものと推定され、この断層沿いでは家屋の倒壊率が50%を越え、中沢上および森安では100%の倒壊率であり、震度7相当が推定されています。これにより、死者426人、負傷646人、家屋の全半壊・流失2,190戸と甚大な被害が出ました。
 この地震は、1854年(嘉永7年11月4日)の安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日の安政南海地震(マグニチュード8.4)を機に元号が「安政」に改められた後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)などの連続した大きな一連の地震の一つとされ、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2年2月1日)- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2年8月3日)- 陸前で地震
・1855年(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2年10月2日)- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3年10月7日)- 江戸で地震
・1857年(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震
・1857年(安政4年8月25日)- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5年2月26日)- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1649年(慶安2)江戸幕府が「慶安御触書」を発布したとされてきた日(新暦4月7日)詳細
1873年(明治6)俳人・随筆家・書家河東碧梧桐の誕生日詳細
1876年(明治9)「日朝修好条規」が締結される詳細
1936年(昭和11)二・二六事件(高橋蔵相らが暗殺される)が起こる詳細
1946年(昭和21)GHQにより、「禁止図書その他の出版物に関する覚書」 (SCAPIN-776) が出される詳細
2003年(平成15)編集者・紀行作家宮脇俊三の命日詳細
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inamuranohi01
 今日は、江戸時代後期の1854年(嘉永7)に、安政南海地震が起き、甚大な被害の出た日ですが、新暦では12月24日となります。
 安政南海地震(あんせいなんかいじしん)は、江戸時代後期の1854年(嘉永7年11月5日)午後4時頃に起きた、紀伊水道南方を震源とする巨大地震(マグニチュード8.4)でした。これによって、大津波が発生して、東海地方から九州にかけて各地に大きな被害をもたらします。
 特に、沿岸地域の被害は甚大で、豊後大分藩領内では、家屋倒潰4,546軒、死者18人、土佐藩領内では推定波高5~8mの大津波が襲い、倒壊家屋3,000余戸、焼失家屋2,500余戸、流失家屋3,200余戸、死者372人余、紀州藩領内では、家屋全潰・破損18,086軒、同流失8,496軒、同焼失24軒、死者699人を出しました。ちなみに、紀州広村の津波災害中に同村の名家の生まれ浜口儀兵衛(梧陵)が、下総(千葉県)銚子で醤油製造業(ヤマサ醤油)を営んでいたが、同村滞在中この地震と津波に遭遇し、村人を避難させるため、道端の稲むら(乾燥させるため稲を積んだもの)に火を放ち、これによって村人を誘導して津波から救ったという逸話が残され、名作「稲むらの火」の原点になっています。
 この32時間前の11月4日9時過頃には安政東海地震(マグニチュード8.4)が発生し、被害は東海地方を中心に、関東地方から近畿地方にまで及んでいました。2つの地震が重なった地域もあって被害の判別が難しく、併せて、伊豆から四国までの広範な地帯で死者数千人、倒壊家屋3万軒以上という大きな被害をもたらしたとされています。
 この2つの地震を機に元号が「安政」に改められたので、安政大地震とも総称されました。この後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。中でも、安政江戸地震の被害は甚大で、倒壊した家屋は2万軒、死者は1万人余と考えられ、小石川の水戸藩邸では藤田東湖、戸田蓬軒らが圧死しました。
 以下に、『初等科国語 六』四 稻むらの火を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震

☆『初等科国語 六』四 稻むらの火

「これは、ただごとでない。」
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。今の地震は、別に激しいといふほどのものではなかつた。しかし、長い、ゆつたりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、年取つた五兵衛に、今まで經驗したことのない、無氣味なものであつた。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配さうに下の村を見おろした。村では、豐年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には、一向氣がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸ひつけられてしまつた。風とは反對に、波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、廣い砂原や、黒い岩底が現れて來た。
「大變だ。津波(つなみ)がやつて來るに違ひない。」と、五兵衛は思つた。このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまふ。もう、一刻もぐづぐづしてはゐられない。
「よし。」
と叫んで、家へかけ込んだ五兵衛は、大きなたいまつを持つてとび出して來た。そこには、取り入れるばかりになつてゐるたくさんの稻束が積んである。
「もつたいないが、これで村中の命が救へるのだ。」
と、五兵衛は、いきなりその稻むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱつとあがつた。一つまた一つ、五兵衛はむちゆうで走つた。かうして、自分の田のすべての稻むらに火をつけてしまふと、たいまつを捨てた。まるで失神したやうに、かれはそこに突つ立つたまま、沖の方を眺めてゐた。
 日はすでに沒して、あたりがだんだん薄暗くなつて來た。稻むらの火は、天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
「火事だ。莊屋(しやうや)さんの家だ。」
と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。續いて、老人も、女も、子どもも、若者のあとを追ふやうにかけ出した。
 高臺から見おろしてゐる五兵衛の目には、それが蟻(あり)の歩みのやうにもどかしく思はれた。やつと二十人ほどの若者が、かけあがつて來た。かれらは、すぐ火を消しにかからうとする。五兵衛は、大聲にいつた。
「うつちやつておけ。──大變だ。村中の人に來てもらふんだ。」
 村中の人は、おひおひ集つて來た。五兵衛は、あとからあとからのぼつて來る老幼男女を、一人一人數へた。集つて來た人々は、もえてゐる稻むらと五兵衛の顔とを、代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は、力いつぱいの聲で叫んだ。
「見ろ。やつて來たぞ。」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は、見る見る太くなつた。廣くなつた。非常な速さで押し寄せて來た。
「津波だ。」
と、だれかが叫んだ。海水が、絶壁のやうに目の前にせまつたと思ふと、山がのしかかつて來たやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとどろきとで、陸にぶつかつた。人々は、われを忘れて後へとびのいた。雲のやうに山手へ突進して來た水煙のほかは、一時何物も見えなかつた。
 人々は、自分らの村の上を荒れくるつて通る、白い、恐しい海を見た。二度三度、村の上を、海は進みまた退いた。
 高臺では、しばらく何の話し聲もなかつた。一同は、波にゑぐり取られてあとかたもなくなつた村を、ただあきれて見おろしてゐた。
 稻むらの火は、風にあふられてまたもえあがり、夕やみに包まれたあたりを明かるくした。始めてわれにかへつた村人は、この火によつて救はれたのだと氣がつくと、ただだまつて、五兵衛の前にひざまづいてしまつた。

   「ウィキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1857年(安政4)吉田松陰が長州藩の許可を得て萩に松下村塾を開講する(新暦12月9日)詳細
1888年(明治21)日本画家・近代日本画の父狩野芳崖の命日詳細
1930年(昭和5)大原孫三郎が集めた西欧名画を展示する大原美術館(岡山県倉敷市)が開館する詳細
1937年(昭和12)社会運動家・小説家・評論家木下尚江の命日詳細
1941年(昭和16)第7回御前会議の「帝国国策遂行要領」で対米交渉の甲乙二案を決定、決裂時は武力行使と決まる詳細
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Ruthtaifuu01
 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、ルース台風(昭和26年台風第15号)が九州に上陸し、大きな被害をもたらした日です。
 ルース台風(るーすたいふう)は、昭和26年台風第15号(国際名:Ruth)といい、勢力が強く、暴風半径も非常に広かったため、九州・四国・中国地方に風水害をもたらし、大きな被害を出しました。この台風は、10月9日にグアム島西海上に発生、発達しながら西北西に進み、12日午後には進路を北から北北東に変え、翌日夜には宮古島と沖縄本島の間を通って東シナ海に入り、14日9時頃に鹿児島県串木野市付近に上陸します。
 その後、時速80km/sの猛スピードで北東進して、九州・中国を縦断、一端日本海に出て、再度北陸に上陸し、東北地方を通過して、15日夕方には三陸沖に抜けました。上陸時(直前)の中心気圧は935hPa、暴風半径500kmと大型で強力で、九州南部で最大風速が25~30m/sを観測するなど全国的に強い風が吹き荒れ、宮崎県の細島(69.3m/s)や愛媛県の佐田岬(67.1m/s)では、猛烈な風を記録します。特に鹿児島県では満潮と重なったため、鹿児島湾から枕崎付近にかけて高潮が発生、山口県東部では、13、14日両日で480mmの雨量を記録、錦川流域では山津波(土石流)が多発しました。
 この結果、死者572人、行方不明者 371人、負傷者2,644人、住家全壊24,716棟、住家半壊47,948棟、住家の床上浸水30,110棟、住家の床下浸水108,163棟、船舶沈没・流失4,481隻、同破損等5,934隻などという甚大な被害をもたらします。当時の首相吉田茂の決済というかたちで、警察予備隊(自衛隊の前身)の初めての災害出動が行われました。

〇上陸時(直前)の中心気圧(hPa)が低い台風ベスト12

①第2室戸台風(昭和36年台風第18号)925hPa[1961年(昭和36年)9月16日9時]室戸岬西方
②伊勢湾台風(昭和34年台風第15号)929hPa[1959年(昭和34年)9月26日18時]潮岬西方
③平成5年台風第13号 930hPa[1993年(平成5年)9月3日16時]薩摩半島南部
④令和4年台風第14号 935hPa[2022年(令和4年)9月18日19時]鹿児島市付近
④ルース台風(昭和26年台風第15号)935hPa[1951年(昭和26年)10月14日19時]串木野市付近
⑥平成3年台風第19号 940hPa[1991年(平成3年)9月27日16時]佐世保市南
⑥昭和46年台風第23号 940hPa[1971年(昭和46年)8月29日23時]佐多岬
⑥昭和40年台風第23号 940hPa[1965年(昭和40年)9月10日8時]安芸市付近
⑥昭和40年台風第15号 940hPa[1965年(昭和40年)8月6日4時]牛深市付近
⑥昭和39年台風第20号 940hPa[1964年(昭和39年)9月24日17時]佐多岬
⑥昭和30年台風第22号 940hPa[1955年(昭和30年)9月29日22時]薩摩半島
⑥昭和29年台風第5号 940hPa[1954年(昭和29年)8月18日2時]鹿児島県西部
(参考)室戸台風 911.6hPa[1934年(昭和9年)9月21日]室戸岬西方
(参考)枕崎台風(昭和20年台風第16号)916.3hPa[1945年(昭和20年)9月17日]枕崎町付近

〇最大風速(陸上)ベスト10

①昭和40年台風第23号 69.8m/s 西南西 1965年9月10日 室戸岬(高知・気象官署)
②ルース台風(昭和26年台風第15号)69.3m/s 南 1951年10月14日 細島(宮崎・燈台)
③ルース台風(昭和26年台風第15号)67.13m/s 南東 佐田岬(愛媛・燈台)
④第2室戸台風(昭和36年台風第18号)66.7m/s 西南西 1961年9月16日 室戸岬(高知・気象官署)
⑤昭和29年台風第13号 65.0m/s 南南西 1954年9月7日 都井岬(宮崎・燈台)
⑥洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)63.3m/s 南南西 1954年9月27日 神威岬(北海道・燈台)
⑦第2宮古島台風(昭和41年台風第18号)60.8m/s 北東 1966年9月5日 宮古島(沖縄・気象官署)
⑧洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)58.8m/s 西南西 1954年9月26日 佐多岬(鹿児島・燈台)
⑨昭和45年台風第10号 57.58m/s 北西 1970年8月21日 土佐沖ノ島(高知・燈台)
⑩昭和5年8月の台風(名称なし)57.0m/s 北東 1930年8月9日 南大東島(沖縄)

〇上陸日時が(一年の中で)遅い台風ベスト10

①平成2年台風第28号 1990年11月30日14時 和歌山県白浜町南上陸
②昭和42年台風第34号 1967年10月28日3時30分 愛知県南部上陸
③平成29年台風第21号 2017年10月23日3時 静岡県掛川市付近上陸
④平成16年台風第23号 2004年10月20日13時 高知県土佐清水市付近上陸
⑤昭和30年台風第26号 1955年10月20日12時 和歌山県田辺市付近上陸
⑥昭和54年台風第20号 1979年10月19日9時30分 和歌山県白浜町付近上陸
⑦平成10年台風第10号 1998年10月17日16時30分 鹿児島県枕崎市付近上陸
⑧昭和62年台風第19号 1987年10月17日0時 高知県室戸市付近上陸
⑨ルース台風(昭和26年台風第15号)1951年10月14日19時 鹿児島県いちき串木野市(現)付近上陸
⑩平成26年台風第19号 2014年10月13日8時30分 鹿児島県枕崎市付近上陸

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1712年(正徳2)江戸幕府第6代将軍徳川家宣の命日(新暦11月12日)詳細
1867年(慶応3)第15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権返上し、大政奉還される(新暦11月9日)詳細
1873年(明治6)祝祭日を定める太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」が発布される詳細
1986年(昭和61)洋画家荻須高徳の命日詳細
2007年(平成19)埼玉県さいたま市大宮区に鉄道博物館が開館する詳細
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