ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 自然災害

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 今日は、昭和時代中期の1963年(昭和38)に、強い寒気の南下により北陸を中心に日本海側で猛烈な降雪があり、三八豪雪が本格化した日です。
 三八豪雪[昭和38年1月豪雪](さんぱちごうせつ)は、昭和時代中期の1963年(昭和38)1月~2月初めごろに日本各地で被害が出た豪雪です。この年は、前年の暮れ頃から大雪の傾向にありましたが、1月5日頃より秋田沖で猛烈に発達した低気圧によって、強い冬型の気圧配置が続く中で、2月初めごろまで、北陸地方を中心に東北地方から九州にかけての広い範囲で降雪が続き、記録的な豪雪となりました。
 特に、日本海側平野部の広い範囲で未曾有の大雪に見舞われ、福井市で213㎝(1位)、金沢市で181㎝(1位)、富山市で186㎝(2位)、高岡市で225㎝(1位)、長岡市で318㎝(2位)、三条市で245㎝(1位)に達します。これに対する除雪が追い付かず、鉄道や道路も寸断され、孤立する集落が多数出て、雪の重みによる住家や施設の倒壊も相次ぎ、学校の休校も長期に及びました。
 その中で、北陸管内の鉄道は麻痺状態となり、長距離列車は半月余り運休が続き、一番遅延したのは、23日に新潟を出た急行「越後号」で、東三条、押切、長岡で5日4晩、100余時間かかって27日にようやく上野駅に到着よるという状況となります。また、雪崩や融雪による洪水も発生し、「消防白書」によると、死者228名、行方不明者3名、負傷者356名、住家全壊753棟、半壊982棟、床上浸水640棟、床下浸水6,338棟などの被害が出たとされています。
 この豪雪について、1963年(昭和38)2月12日に気象庁は「昭和38年1月豪雪」と命名しましたが、一般には、「三八豪雪」と呼ばれるようになりました。

〇三八豪雪[昭和38年1月豪雪]関係略年表

<1963年(昭和38)>
・1月5日 秋田沖で猛烈に発達した低気圧により各地で豪雪の被害の端緒となる
・1月23日 強い寒気の南下により北陸を中心に日本海側で猛烈な降雪があり、豪雪が本格化する
・1月24日 信越本線 新津~長岡間全面運休が始まる
・1月28日 信越本線 新津~長岡間全面運休が解除される

<1963年(昭和38)>
・2月12日 気象庁は1963年(昭和38)の豪雪を「昭和38年1月豪雪」と命名する

〇三八豪雪[昭和38年1月豪雪]による最深積雪量

(福井県)
・福井気象台[福井市] 213cm(1月31日・都道府県庁所在地の最深積雪記録)
・今立町[現在の越前市] 315cm(1月31日)
・敦賀市 154cm(2月1日)
(石川県)
・金沢市 181cm(1月27日)
(富山県)
・富山市 186cm(1月26日)
・高岡市伏木 225cm(1月27日)
(新潟県)
・長岡市 318cm(1月30日)
・三条市 245cm(1月31日)
(鳥取県)
・米子市 80cm(2月4日)
・境港市 94cm(2月2日)
(大分県)
・日田市 39cm(1月9日)
(長崎県)
・長崎市 15cm(1月25日)
・福江市(現・五島市) 43cm
(熊本県)
・阿蘇山 123cm(2月4日)
牛深市(現・天草市) 29cm(1月26日)
人吉市 27cm(1月24日)
(鹿児島県)
・阿久根市 38cm(1月25日)
・枕崎市 26cm(1月25日)

☆豪雪とは?

 比較的短い時間に多量に降る雪のことで、「大雪(おおゆき)」よりもさらに多量のものをいう場合が多いとされます。多雪地帯では、一晩で1m以上の降雪がおおむね豪雪の目安とされていますが、雪国では、これを「ドカ雪」と呼びならわしてきました。また、積雪の多い地帯を豪雪地帯といいいますが、「豪雪地帯対策特別措置法」(1962制定)によると、積雪積算値(毎日の積雪の値をひと冬にわたって積算した値)が5,000cm/日以上の地帯ということになります。

☆昭和時代以降の記録的豪雪

・1927年(昭和2)の豪雪
・1945年(昭和20)の豪雪
・1963年(昭和38)の「昭和38年1月豪雪」(通称:三八豪雪)
・1981年(昭和56)の豪雪(通称:五六豪雪)
・2006年(平成18)の「平成18年豪雪」(通称:〇六豪雪・一八豪雪)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1570年(永禄13)織田信長が「殿中御掟」追加5か条を室町幕府第15代将軍足利義昭に示す(新暦2月27日)詳細
1657年(明暦3)江戸時代前期の朱子学派の儒学者林羅山の命日(新暦3月7日)詳細
1890年(明治23)教育者・キリスト教指導者新島襄の命日詳細
1914年(大正3)第31帝国議会で島田三郎議員がシーメンス社の日本海軍への贈賄を追及する(シーメンス事件)詳細
1928年(昭和3)「日ソ基本条約」の規定に従って、ソ連のモスクワにおいて、「日ソ漁業条約」が締結される詳細
1933年(昭和8)日本の社会主義運動の先駆者・政治家・著述家堺利彦の命日詳細
1993年(平成5)演劇評論家・小説家・随筆家戸板康二の命日詳細
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 今日は、江戸時代後期の1854年(嘉永7)に、豊予海峡地震(マグニチュード7.4)が起き、大きな被害が出た日ですが、新暦では12月26日となります。
 豊予海峡地震(ほうよかいきょうじしん)は、江戸時代後期の1854年(嘉永7年11月7日)午前9~10時頃に起きた、豊予海峡を震源として発生した地震(マグニチュード7.4)で、豊予地震、豊予大地震とも呼ばれています。この地震の直前の11月4日に、安政東海地震(マグニチュード8.4)、11月5日には、安政南海地震(マグニチュード8.4)と巨大地震が相次いで発生していました。
 2日前に発生の安政南海地震と被害地域が重複するため、記録された被害はいずれの地震によるものか区別困難であるものの、『震動記』では、豊後国鶴崎で100棟の家屋が倒壊、別府では200軒、府内では400軒余潰家となり死者数は不明としています。伊予の吉田の『赤松家文書』、宇和島の『地震海溢記』、豊後の佐伯の『御用日記』、延岡の『日記』、豊前小倉の『鈴木大雑集』では、11月5日の地震(安政南海地震)よりも一層烈しいものであったと記録されました。
 安政東海地震と安政南海地震の2つの地震を機に元号が「安政」に改められたので、安政大地震とも総称され、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1336年(建武3)足利尊氏が室町幕府の基本的な政治方針「建武式目」を制定(新暦12月10日)詳細
1849年(嘉永2)大坂に緒方洪庵が種痘を行う為の除痘館(種痘所)を開設する(新暦12月21日)詳細
1889年(明治22)劇作家・演出家・小説家・俳人久保田万太郎の誕生日詳細
1909年(明治42)映画監督・脚本家山中貞雄の誕生日詳細
1922年(大正11)学生連合会(社会科学研究会の連合組織)が結成される詳細
1944年(昭和19)小磯国昭内閣により、「老幼者妊婦等ノ疎開実施要綱」が閣議決定される詳細
1983年(昭和58)奈良県高市郡明日香村のキトラ古墳で玄武の壁画が発見される詳細
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 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、キティ台風(昭和24年台風第10号)が、神奈川県小田原市の西に上陸し、大きな被害をもたらした日です。
 キティ台風(きてぃたいふう)は、昭和時代中期の1949年(昭和24)8月28日に南鳥島近海で発生、昭和24年台風第10号(国際名:キティ/Kitty)と名付けられた台風です。8月31日19時過ぎに神奈川県小田原市の西に上陸、その後北進し、東京都西部・埼玉県熊谷市を通り、9月1日0時頃に新潟県柏崎市付近から日本海に進んで、温帯低気圧に変わりました。
 東海・関東・北日本の日本海側等では、台風の影響により各地で20mを超す暴風が吹き、八丈島(東京都八丈町)で最大風速33.2m/s(最大瞬間風速47.2m/s)、横浜で最大風速35.2m/s(最大瞬間風速44.3m/s)、東京でも最大瞬間風速30.2m/sを記録しています。関東北部や新潟県の山岳部で大雨となり、群馬県勢多郡東村(現在のみどり市)沢入で、大規模な土砂崩れが生じて29名が死亡、信濃川や渡良瀬川の上流部では堤防が決壊、台風の通過が満潮時と重なったことから東京湾などで高潮となり、大規模な浸水被害に遭い大災害となりました。
 この結果、死者135名、行方不明者25名、負傷者479名、住家全壊3,733棟、住宅半壊13,470棟、床下浸水92,161棟、耕地被害48,598ha、船舶被害2,907隻など大きなな被害が出ます。台風名の由来は、太平洋戦争後の占領下において、連合軍気象隊が台風の発生順にアルファベット(ABC……)の頭文字をもつ女性の名前を順次つけていったことにより、Kで始まるキティ(Kitty)と名付けられました。

〇太平洋戦争後(1945年~)の記録的台風一覧

<1940年代>
・枕崎台風(昭和20年台風第16号・Ida)
・阿久根台風(昭和20年台風第20号・Louise)
・カスリーン台風(昭和22年台風第9号・Kathleen)
・アイオン台風(昭和23年台風第21号・Ione)
・デラ台風(昭和24年台風第2号・Della)
・ジュディス台風(昭和24年台風第9号・Judith)
・キティ台風(昭和24年台風第10号・Kitty)

<1950年代>
・ジェーン台風(昭和25年台風第28号・Jane)
・ルース台風(昭和26年台風第15号・Ruth)
・ダイナ台風(昭和27年台風第2号・Dinah)
・昭和28年台風第13号 (Tess)
・昭和29年台風第12号(June)
・洞爺丸台風(昭和29年台風第15号・Marie)
・狩野川台風(昭和33年台風第22号・Ida)
・昭和34年台風第7号(Georgia)
・宮古島台風(昭和34年台風第14号・Sarah)
・伊勢湾台風(昭和34年台風第15号・Vera)

<1960年代>
・第2室戸台風(昭和36年台風第18号・Nancy)
・昭和36年台風第26号
・昭和40年台風第23・24・25号
・第2宮古島台風(昭和41年台風第18号・Cora)
・昭和41年台風第24・26号
・第3宮古島台風(昭和43年台風第16号・Della)

<1970年代>
・昭和49年台風第8号
・昭和51年台風第17号 (Fran)
・沖永良部台風(昭和52年台風第9号・Babe)
・昭和54年台風第20号 (Tip)

<1980年代>
・昭和57年台風第10号 (Bess)
・昭和62年台風第12号 (Dinah)
・平成元年台風第6号
・平成元年台風第11・12・13号
・平成元年台風第17号
・平成元年台風第22号

<1990年代>
・平成2年台風第19号 (Flo)
・平成2年台風第20号
・平成3年台風第17号
・平成3年台風第18号
・平成3年台風第19号 (Mireille)
・平成4年台風第10号
・平成5年台風第13号 (Yancy)
・平成11年台風第18号 (Bart)

<2000年代>
・平成15年台風第14号 (Maemi)
・平成16年台風第18号 (Songda)
・平成16年台風第23号 (Tokage)
・平成17年台風第14号 (Nabi)

<2010年代>
・平成23年台風第12号 (Talas)
・平成25年台風第26号 (Wipha)
・平成28年台風第10号 (Lionrock)
・平成30年台風第21号 (Jebi)
・令和元年房総半島台風 (令和元年台風第15号・Faxai)
・令和元年東日本台風(令和元年台風第19号・Hagibis)

<2020年代>
・令和4年台風第14号 (Nanmadol)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)日本画家、南画家小室翠雲の誕生日詳細
1878年(明治11)日本画家鏑木清方(かぶらき きよかた)の誕生日詳細
1896年(明治29)陸羽地震(マグニチュード7.2)が起こり、死者209人、負傷者779人を出す詳細
1908年(明治41)物理化学者森野米三の誕生日詳細
1913年(大正2)お雇い外国人であるドイツ人医師E・von ベルツの命日詳細
1922年(大正11)薬理学者・分子生物学者江橋節郎の誕生日詳細
1970年(昭和45)小説家・検察官・弁護士佐賀潜の命日詳細
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 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、デラ台風(昭和24年台風第2号)が来襲、鹿児島県鹿児島市に上陸し、甚大な被害をもたらし始めた日です。
 デラ台風(でらたいふう)は、昭和24年台風第2号(国際名:Della)といい、1949年(昭和24)6月17日にフィリッピン東方海上に発生し、南西諸島に沿って北東に進み、20日に沖縄、奄美大島、屋久島を順に通過して、鹿児島県鹿児島市に上陸、翌日にかけて、九州を縦断し、対馬海峡に出て朝鮮半島の東で停滞し、温帯低気圧に変わった台風です。これによって、台風接近前の18日から梅雨前線の活動が活発となり、九州、四国、近畿、東海などでは、日降水量が200mm以上の大雨となり、愛媛県では、宇和島市で29.2m/s、佐田岬で38.5m/sの最大瞬間風速をそれぞれ観測し、被害は、九州(鹿児島県が甚大)から東北地方までの広い範囲に及びました。
 全国で死者252人、行方不明者216人、負傷者367人、住家全壊1,410棟、半壊4,005棟、床上浸水4,627棟、床下浸水52,926棟などの大きな被害をもたらしています。特に、愛媛県の宇和海で出漁中の漁船などは甚大な被害を受け、門司(福岡県門司市)~高浜(愛媛県松山市)航路の旅客船「青葉丸」の沈没(青葉丸転覆事故)により、多数の死者が出ました。

〇青葉丸転覆事故(あおばまるてんぷくじこ)とは?

 昭和時代中期の1949年(昭和24)6月21日に、瀬戸内海の門司(福岡県)~高浜(松山市)航路の定期旅客船であった川崎汽船の「青葉丸」(599総トン、昭和22年12月に進水した鋼船)が、デラ台風(昭和24年台風第2号)によって、転覆沈没した事故です。「青葉丸」は、デラ台風(昭和24年台風第2号)が奄美大島付近にあって接近中であることを知りつつも、進路が逸れ、航行に支障はないと判断し、1949年(昭和24)6月20日21時に高浜港(愛媛県)を出港、門司港(福岡県)に向かって、乗客99人と乗組員47人の計146人を乗せて航行中、翌日午前2時半頃、大分県姫島東方18.5kmの洋上で、東南東の激風と高浪を受けて、転覆沈没したものでした。
 この事故によって、5人は救助されましたが、乗客69人と乗組員47人が死亡、乗客28人と乗組員25人が行方不明となる大惨事となります。出航直前の気象予報では、デラ台風(昭和24年台風第2号)は、奄美大島付近にあり、太平洋上の土佐沖を経て、伊豆半島方面に向け進行するので、航行進路に大きな影響はないと判断されたものの、その後、台風の進路が急に変じ、九州を縦断北上したため、暴風雨に巻き込まれることとなりました。
 船長は、伊予灘掃海水路に入ると、いよいよ台風の接近せることを感じ、総員を配置につかせ、万一を憂慮して、旅客に救命胴衣を配布しましたが、大分県姫島東方18.5kmkで、激風とこれに伴う高浪のため、船体が大傾斜して安定を失い横転するに至ったものです。この事故については、1960年(昭和29)9月7日に、神戸地方海難審判庁の裁決があり、「船長が高浜を発してから汽船青葉丸が沈没するにいたるまで採った措置については、同人及びその他の運航責任者の全部が死亡又は行方不明となっているので、詳かにすることができず、従って、その可否についても断定することはできない。」としました。

☆戦後の台風で死者・行方不明者が多い台風ワースト12(1945年以降)

① 伊勢湾台風(昭和34年台風第15号) 死者・行方不明者5,098人
② 枕崎台風(昭和20年台風第16号) 死者・行方不明者3,756人
③ カスリーン台風(昭和22年台風第9号) 死者・行方不明者1,930人
④ 洞爺丸台風(昭和29年台風第15号) 死者・行方不明者1,761人 
⑤ 狩野川台風(昭和33年台風第22号) 死者・行方不明者1,269人 
⑥ ルース台風(昭和26年台風第15号) 死者・行方不明者943人
⑦ アイオン台風(昭和23年台風第21号) 死者・行方不明者838人
⑧ ジェーン台風(昭和25年台風第28号) 死者・行方不明者539人
⑨ 昭和28年台風第13号 死者・行方不明者478人
⑩ デラ台風(昭和24年台風第2号) 死者・行方不明者468人
⑪ 阿久根台風(昭和20年台風第20号) 死者・行方不明者451人 
⑫ 昭和41年台風第24号・26号  死者・行方不明者318人 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1495年(明応4)飯尾宗祇ら編集による『新撰菟玖波集』が完成する(新暦7月12日)詳細
1587年(天正18)天正遣欧使節がローマから長崎に帰港する(新暦7月21日)詳細
1654年(承応3)江戸市中に水を供給する玉川上水が完成する(新暦7月21日)詳細
1730年(享保15)京都で「西陣焼け」が起こり、134町、3,810軒を焼失する(新暦8月3日)詳細
1887年(明治20)二葉亭四迷著の小説『浮雲』の第一篇が刊行される詳細
1947年(昭和22)片山哲内閣によって、「新日本建設国民運動要領」が閣議決定される詳細
1963年(昭和38)「観光基本法」が公布・施行される詳細
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 今日は、江戸時代後期の1858年(安政5)に、越中・飛騨国境付近で、飛越地震が起き、甚大な被害が出た日ですが、新暦では4月9日となります。
 飛越地震(ひえつじしん)は、江戸時代後期の1858年(安政5年2月26日)午前1時頃に起きた、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源とする大地震(推定マグニチュード7.0~7.1)で、安政飛越地震とも呼ばれてきました。その後、余震が朝まで続き、一説には夜明け頃までに40余回にわたって大震、小震を繰り返したと言われています。
 土砂災害、とりわけ立山連峰・大鳶山、小鳶山の大崩壊による河川の閉塞、その後の2回にわたる決壊によって、下流域に大災害をもたらしました。この地震は、岐阜県北部、富山県境に近い跡津川断層の活動によるものと推定され、この断層沿いでは家屋の倒壊率が50%を越え、中沢上および森安では100%の倒壊率であり、震度7相当が推定されています。これにより、死者426人、負傷646人、家屋の全半壊・流失2,190戸と甚大な被害が出ました。
 この地震は、1854年(嘉永7年11月4日)の安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日の安政南海地震(マグニチュード8.4)を機に元号が「安政」に改められた後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)などの連続した大きな一連の地震の一つとされ、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2年2月1日)- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2年8月3日)- 陸前で地震
・1855年(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2年10月2日)- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3年10月7日)- 江戸で地震
・1857年(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震
・1857年(安政4年8月25日)- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5年2月26日)- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1649年(慶安2)江戸幕府が「慶安御触書」を発布したとされてきた日(新暦4月7日)詳細
1873年(明治6)俳人・随筆家・書家河東碧梧桐の誕生日詳細
1876年(明治9)「日朝修好条規」が締結される詳細
1936年(昭和11)二・二六事件(高橋蔵相らが暗殺される)が起こる詳細
1946年(昭和21)GHQにより、「禁止図書その他の出版物に関する覚書」 (SCAPIN-776) が出される詳細
2003年(平成15)編集者・紀行作家宮脇俊三の命日詳細
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