ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 交通

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 今日は、幕末明治維新期の1869年(明治2)に、明治新政府の廟議で、東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」が決定された日ですが、新暦では12月12日となります。
 「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」(とうきょうよこはまのあいだてつどうせいさくのぎもうしたて)は、幕末明治維新期の11869年(明治2年11月10日)の明治新政府の廟議で、東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画を示したもので、同年10月11日付の「上申」と、「布告案」で構成されています。この決定は、近世以来全国的な輸送の主役であった海運の存在を前提として、東西両京を結ぶ幹線鉄道から海港へ枝線を敷設することによって主要な海港と海港を鉄道で繋ぎ、全国的な輸送網の形成を図ろうとしたものでした。
 ルートとして、本州の中央を通る中山道案,海側を通る東海道案がありましたがこの時点ではどちらを採択するか未定となっています。文書の終わりには、明治政府が同年11月9日付で、伊達宗城(民部卿兼大蔵卿)・大隈重信(大蔵大輔)・伊藤博文(大蔵大丞・大蔵少輔)に対し、イギリスと鉄道敷設の借款契約を締結する全権を委任したことが見えます。

〇日本の鉄道創設関係略年表(日付は旧暦です)

<明治2年(1869年)>

・3月 横浜在留英国人「アレキサンドル・カンフル」は鉄道敷設の請願書(西暦1869年4月21日付け)を寺島神奈川県知事に提出する
・10月11日 この日付けで、外務省は鉄道建設を政府に上申する
・11月5日 日本政府の岩倉、澤、三条が相談し、大隈と伊藤も列席、鉄道と電信の起業の意あることを告げる
・11月10日 東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」が決定される
・11月12日 英国人ホレシオ・ネルソン・レーに1割2分利付100万ポンド借款の起債契約書を公布する

<明治3年(1870年)>
・3月 英尺「フィート」を日本の1尺4厘と定める
・3月8日 エドモンド・モレルが鉄道技師長としてイギリスから招かれ、横浜港へ着く
・3月17日 東京府及び神奈川、品川の二県へ線路測量として雇外国人を率いて官員出張の旨を達する
・3月19日 鉄道掛を東京築地元尾張藩邸に創置する
・3月22日 横浜野毛町に於ける寒川県所轄の官舎(元修文館)に横浜出張所を置き。六鄕川を以て境界とし東西両端より起工することを定める
・3月25日 東京芝口汐留の近傍を量地すする
・3月27日 監督正上野景範に鉄道掛を命じる
・4月3日 横浜野毛浦海岸より亦測量を始める
・4月12日 元龍野、仙台、会津の三邸を敷地として、蒸気車会所建築の為に地均工事を開始する
・4月14日 土木権正平井義十郎を副とする
・5月26日 兵部省は蒸気車解除を他に建築するか、または線路を西方に移すことを上申する
・5月26日 横浜野毛町海岸地は前年2月以来埋め立てられ、当地を横浜停車場敷地とする
・6月 橋梁工事を起こし、神奈川第19橋から始める
・6月8日 大蔵省は高縄町兵部省用地の内を鉄道用地として引き渡し方を上申するが、兵部省が抵抗する
・7月10日 太政官は高輪富士鑑宿陣所を民部省に引き渡すべき事を命じるものの、兵部省引き渡しに応ぜず
・8月15日 鉄道掛は東京府庁を経て之を受領する
・10月 六鄕川本憍を起工、神奈川台の掘割に着手、八ッ山及び御殿山の掘割工事を起工する
・10月20日 工部省を設置し、鉄道は該省の所管に属せる
・10月22日 兵部省は元尾張、安藝その他の邸地を海軍所用地として受け取り、浜殿は宮内庁に返す
・11月 この月以降諸所の盛り土を始める
・12月 工部省は掲旗を定め、その章白布紅書工字とする
・12月14日 鉄道掛の事務局を省内に移す
・12月14日、28日 公書をもって、ホレシオ・ネルソン・レーの不正が発覚し、解雇される

<明治4年(1871年)>
・1月 品川七番砲台場の一部を取り壊しその石材を鉄道工事に使用船とを海軍所と協定する
・8月14日 鉄道寮は品川県と神奈川県に対して、線路立入禁止の通達を依頼する
・9月 横浜停車場本屋が落成する
・11月 汐留停車場本屋が落成する

<明治5年(1872年)>
・1月 品川停車場本屋が落成する
・2月26日 鉄道寮を汐留停車場本屋に移す
・2月28日 鉄道略則を決める
・5月3日 太政官布告「7日をもって品川横浜間を仮に開業する」が出される
・5月4日 鉄道犯罪罰例・改正鉄道略則を制定する
・5月7日 品川駅~横浜駅間で鉄道が仮開業し、一日2往復の列車が運行される
・5月8日 一日6往復に増便される
・5月27日 汐留停車場を新橋と改称する
・6月5日 川崎駅と神奈川駅(現在は廃駅)が営業を開始する
・8月 葵坂に新築したる工部省庁舎内に、鉄道寮を移す
・8月14日 工部省下に鉄道寮を設置する
・9月12日 新橋駅で、鉄道開業式典が催され、明治天皇と建設関係者を乗せたお召し列車が横浜まで往復運転する
・9月13日 新橋駅~横浜駅全区間で、営業運行が開始され、鶴見駅が開業する
・9月23日 技師長エドモンド・モレルが亡くなる
・9月29日 新橋~横浜間の工事全てが落成する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1696年(元禄9)第109代とされる明正天皇(女帝)の命日(新暦12月4日)詳細
1883年(明治16)日本画家橋本関雪の誕生日詳細
1920年(大正9)日本画家福王寺法林の誕生日詳細
1940年(昭和15)神武天皇即位2600年とされる「紀元二千六百年記念行事」が始まる詳細
1945年(昭和20)角川源義が角川書店を設立する詳細
1951年(昭和26)日教組が第1回全国教育研究大会を開催する詳細
1982年(昭和57)中央自動車道の勝沼IC~ 甲府昭和IC間が開通し、東京都杉並区と愛知県小牧市が繋がる詳細
2008年〈平成20〉数学者伊藤清の命日詳細
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 今日は、昭和時代後期の1972年(昭和47)に、北陸自動車道の最初の開通区間である、金沢西IC~小松IC間(23.2km)が開通した日です。
 北陸自動車道(ほくりくじどうしゃどう)は、新潟県新潟市江南区の新潟中央ジャンクション (JCT) から滋賀県米原市の米原JCTへ至る、全長476.5km(国内3位の長さ)の高速道路(高速自動車国道)で、全線を日本道路公団が建設しています。2005年(平成17)10月1日の道路関係四公団民営化後は、朝日インターチェンジ (IC) を境に東側を東日本高速道路(NEXCO東日本)が、西側を中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理してきました。
 1961年(昭和36)に新潟市~大津市が路線の基準として定められ、1966年(昭和41)には新潟市~滋賀県坂田郡米原町(現在の米原市)が、国土開発幹線自動車道の予定路線とされ、富山~武生間より着工されます。そして、1972年(昭和47)10月18日に、金沢西IC~小松ICの23.2kmが初めて開通し、順次開通区間が延ばされていきました。
 1988年(昭和63)に朝日~名立谷浜間の開通により、米原~新潟間が繋がり、第1回目の全線開通となりました。しかし、その後部分的に路線を改編し、1997年(平成9)11月13日の新潟亀田~新潟空港間の開通を以って、北陸自動車道の全通とされています。それから、2002年(平成14)の新潟空港以北の路線の開業に伴い、新潟中央JCT以北を日本海東北自動車道の区間と改められました。
 現在、新潟中央JCTで日本海東北自動車道と磐越自動車道、長岡JCTで関越自動車道、上越JCTで上信越自動車道、小矢部砺波JCTで東海北陸自動車道と能越自動車道、福井北JCTで中部縦貫自動車道、敦賀JCTで舞鶴若狭自動車道、米原JCTで名神高速道路に接続しています。この完成によって、北陸地方の主要都市相互および阪神・中京圏との時間距離を短縮して諸産業の振興に大きな役割を果たし、観光面でもアッピールして、北陸経済圏の拡大に寄与してきました。

〇北陸自動車道関係略年表

・1961年(昭和36)11月15日 新潟市~大津市が路線の基準として定められる
・1966年(昭和41)7月1日 新潟市~滋賀県坂田郡米原町(現:米原市)が国土開発幹線自動車道の予定路線とされる
・1972年(昭和47)10月18日 金沢西IC~小松IC開通
・1973年(昭和48)10月16日 小杉IC~砺波IC開通
・1973年(昭和48)10月17日 小松IC~丸岡IC開通
・1974年(昭和49)10月29日 砺波IC~金沢東IC開通
・1975年(昭和50)9月9日 丸岡IC~福井IC開通
・1975年(昭和50)10月4日 富山IC~小杉IC開通
・1976年(昭和51)11月2日 福井IC~武生IC開通
・1977年(昭和52)12月8日 武生IC~敦賀IC開通(ただし今庄IC - 敦賀IC間は暫定2車線)
・1978年(昭和53)9月21日 新潟黒埼IC(当時)~長岡ICが開通
・1978年(昭和53)10月12日 金沢東IC~金沢西IC開通
・1980年(昭和55)4月7日 敦賀IC~米原JCT開通
・1980年(昭和55)6月13日 今庄IC~敦賀ICの4車線化工事完了
・1980年(昭和55)9月27日 長岡JCT~西山IC開通、同時に長岡JCT - 長岡ICを関越自動車道に改称
・1980年(昭和55)12月19日 滑川IC~富山IC開通
・1980年(昭和55)10月29日 西山IC~柏崎IC開通
・1982年(昭和57)11月17日 柏崎IC~米山IC開通、黒埼PA開設
・1983年(昭和58)11月9日 米山IC~上越IC開通
・1983年(昭和58)12月13日 朝日IC~滑川IC開通
・1987年(昭和62)7月21日 名立谷浜IC~上越IC開通(暫定2車線)
・1988年(昭和63)7月20日 朝日IC~名立谷浜IC開通(暫定2車線)
・1994年(平成6)7月28日 新潟西IC~新潟亀田IC開通と同時に磐越自動車道と接続
・1996年(平成8)3月28日 小矢部砺波JCTで能越自動車道と接続
・1997年(平成9)11月13日 新潟亀田IC~新潟空港IC開通により、全線開通
・1999年(平成11)10月30日 上越JCT開通により上信越道と接続、同時に名立谷浜IC~上越IC4車線化
・2000年(平成12)4月25日 能生IC~名立谷浜IC4車線化
・2000年(平成12)9月5日 越中境PA~親不知IC4車線化
・2000年(平成12)9月19日 糸魚川IC~能生IC4車線化
・2000年(平成12)10月3日 親不知IC~糸魚川IC4車線化により、全線が4車線で完成
・2002年(平成14)5月26日 日本海東北自動車道新潟空港IC~聖籠新発田IC開通と同時に新潟中央JCT - 新潟空港IC間を北陸自動車道から日本海東北自動車道に改称

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
 
1568年(永禄11)織田信長に支援された足利義昭が室町幕府第15代将軍に就任する(新暦11月7日)詳細
1881年(明治14)日本初の全国政党「自由党」の結成大会が行われる詳細
1898年(明治31)安部磯雄・片山潜・幸徳秋水らが社会主義研究会(後の社会主義協会)を結成する詳細
1939年(昭和14)「価格等統制令」が公布され、物価などの価格が統制される詳細
1943年(昭和18)財団法人大日本育英会(後の日本育英会)が創立される詳細
1945年(昭和20)小説家葉山嘉樹の命日詳細
1955年(昭和30)長崎県大村湾口に当時日本一長さ(支間長:216m)の西海橋が開通する詳細
1980年(昭和55)遺伝学者・植物細胞学者・生理学者・教育者坂村徹の命日詳細
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 今日は、明治時代前期の1872年(明治5)に、新橋駅~横浜駅を結んだ日本初の鉄道開業式典の新暦換算日(鉄道の日)です。
 鉄道の日(てつどうのひ)は、日本の鉄道の開通を記念するために制定された日(毎年10月14日)です。日本の鉄道は、明治時代前期の1870年(明治3)東京~京都~神戸間その他の鉄道を政府自ら建設することを正式に決定、同年3月に新橋~横浜間が着工し、1872年(明治5年5月7日)に品川~横浜間が仮開業しました。
 そして、新橋~横浜間29kmの開通をみた1872年10月14日(明治5年9月12日)明治天皇臨席のもと、新橋(後の汐留貨物駅、現在は廃止)、横浜(現在の根岸線桜木町駅)両駅で盛大な鉄道開業式典が挙行され、お召し列車も運行され、翌日から正式営業に入ります。1921年(大正10)10月14日に鉄道開業50周年を記念して東京駅の丸の内北口に鉄道博物館(初代)が開館しました。
 その翌年から新暦換算日の10月14日が、鉄道省により「鉄道記念日」として制定されることになります。1958年(昭和33)から原則として、この日に鉄道記念物が数件ずつが指定され、2018年(平成30)までに、44件の鉄道記念物と51件の準鉄道記念物が指定されました。
 しかし、1987年(昭和62)の国鉄分割民営化後、1994年(平成6)から「鉄道の日」と改名され、現在も各種イベントが開催されています。

〇鉄道開業式典(てつどうかいぎょうしきてん)とは?

 明治時代前期の1872年(明治5年9月12日)に、新橋駅~ 横浜駅間で日本最初の鉄道が完成して、挙行された式典です。日本の鉄道は、1870年(明治3)東京~京都~神戸間その他の鉄道を政府自ら建設することを正式に決定、同年3月に新橋~横浜間が着工し、1872年(明治5年5月7日)に品川~横浜間が仮開業しました。
 そして、新橋~横浜間29kmの開通をみた1872年10月14日(明治5年9月12日)に明治天皇臨席のもと、新橋(後の汐留貨物駅、現在は廃止)、横浜(現在の根岸線桜木町駅)両駅で盛大な開業式典を挙行、お召し列車も運行され、翌日から正式営業に入ります。1921年(大正10)10月14日に鉄道開業50周年を記念して東京駅の丸の内北口に鉄道博物館(初代)が開館しました。
 その翌年から新暦換算日の10月14日が、鉄道省により「鉄道記念日」として制定されることになります。しかし、1987年(昭和62)の国鉄分割民営化後、1994年(平成6)から「鉄道の日」と改名され、現在まで各種イベントが開催されてきました。
 尚、この時に鉄道の開業式典が催された新橋駅舎は、1923年(大正12)の関東大震災で被災・焼失し、後に汐留貨物駅となり埋もれていましたが、1965年(昭和40)5月12日に国の史跡に指定され、1986年(昭和61)に汐留貨物駅廃止後に発掘調査が行われています。その後、風化を防ぐために埋め戻され、2003年(平成15)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられ、内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」となって、見学できるようになりました。
 ここには0哩ポストがありますが、1870年4月25日(明治3年3月26日)に測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれたことを記念し、1936年(昭和11)に日本の鉄道発祥の地として0哩標識と約3mの軌道が復元されたものです。これは、1958年(昭和33)10月14日に、旧国鉄によって鉄道記念物に指定されました。

☆鉄道記念物(てつどうきねんぶつ)とは?

 鉄道記念物は、1958年(昭和33)に当時の日本国有鉄道(国鉄)制定し、日本の鉄道に関する歴史的文化的に重要な事物等を指定して保存、継承するためのものです。また、1963年(昭和38)に制定された、地方的に重要な事物等を指定する準鉄道記念物というのもありました。
 国鉄分割民営化後は、既存の記念物がJR各社の管理に移されましたが、長らく指定が行われなかったものの、2004年(平成16)以後、にJR各社によって、準鉄道記念物から鉄道記念物への格上げという形で、指定行われています。1958年(昭和33)から原則として10月14日の鉄道記念日(現在の鉄道の日)に数件ずつが指定され、2018年(平成30)までに、44件の鉄道記念物と51件の準鉄道記念物が指定されました。
 これ以外にも、経済産業省が認定している近代化産業遺産の中に鉄道関係のものがありますし、国の重要文化財や史跡に指定されているものもあります。

<鉄道記念物一覧>(44件)

・1号機関車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1958年指定]
・1号御料車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1958年指定]
・弁慶号機関車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1958年指定]
・旧長浜駅(長浜鉄道スクエア)滋賀県長浜市[1958年指定]
・0哩ポスト(旧新橋停車場)東京都港区[1958年指定]
・善光号機関車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1959年指定]
・5号御料車(博物館明治村)愛知県犬山市[1959年指定]
・6号御料車(博物館明治村)愛知県犬山市[1959年指定]
・鉄道古文書(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1959年指定]
・佐賀藩製造の機関車模型(佐賀県立博物館)佐賀県佐賀市[1959年指定]
・大阪駅時鐘(京都鉄道博物館)京都府京都市[1960年指定]
・旧逢坂山ずい道東口 滋賀県大津市[1960年指定]
・旧手宮機関庫(小樽市総合博物館)北海道小樽市[1960年指定]
・野辺地防雪原林(東北本線野辺地駅)青森県野辺地町[1960年指定]
・開拓使号客車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1961年指定]
・110号機関車(青梅鉄道公園)東京都青梅市[1961年指定]
・旧長浜駅29号分岐器ポイント部(長浜鉄道スクエア)滋賀県長浜市[1961年指定]
・エドモンド・モレルの墓(横浜市外人墓地)神奈川県横浜市[1962年指定]
・秋田第1号鉄道飛砂防止林(羽越本線桂根駅)秋田県秋田市[1962年指定]
・蒸気動車(キハ6401号蒸気動車)(リニア・鉄道館)愛知県名古屋市[1962年指定]
・西園寺公望自筆の鉄道国有法案説明草稿(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1962年指定]
・2号御料車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1963年指定]
・鉄道助佐藤政養文書(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1963年指定]
・アプト式鉄道(10000号電気機関車)(旧軽井沢駅舎記念館)長野県軽井沢町[1964年指定]
・井上勝の墓(東海寺大山墓地)東京都品川区[1964年指定]
・ウエブ・エンド・トムソン式電気通票器(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1964年指定]
・旧六郷川鉄橋(旧三島社員研修センター)静岡県三島市[1965年指定]
・壱岐丸の号鐘(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1967年指定]
・7号御料車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1967年指定]
・伊予鉄道1号機関車(伊予鉄道梅津寺公園)愛媛県松山市[1967年指定]
・9号御料車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1969年指定]
・10号御料車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1969年指定]
・12号御料車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1969年指定]
・国鉄バス第1号車(リニア・鉄道館)愛知県名古屋市[1969年指定]
・ナデ6141号電動車(鉄道博物館)埼玉県さいたま市[1972年指定]
・義経号機関車(京都鉄道博物館)京都府京都市[2004年指定]
・1801号蒸気機関車(京都鉄道博物館)京都府京都市[2004年指定]
・233号蒸気機関車 (京都鉄道博物館)京都府京都市[2004年指定]
・EF52 1号電気機関車(京都鉄道博物館)京都府京都市[2004年指定]
・0系新幹線車両(21-1, 16-1, 35-1, 22-1) (京都鉄道博物館)京都府京都市[2008年指定]
・しづか号機関車(小樽市総合博物館)北海道小樽市[2010年指定]
・い1号客車(小樽市総合博物館)北海道小樽市[2010年指定]
・大勝号蒸気機関車(小樽市総合博物館)北海道小樽市[2010年指定]
・旧津山扇形機関車庫と転車台(津山まなびの鉄道館)岡山県津山市[2018年指定]

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1712年(正徳2)江戸幕府第6代将軍徳川家宣の命日(新暦11月12日)詳細
1720年(享保5)紙屋治兵衛と紀伊国屋小春とが心中した日(新暦11月13日)で、近松門左衞門作『心中天網島』となる詳細
1867年(慶応3)第15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権返上し、大政奉還される(新暦11月9日)詳細
1873年(明治6)祝祭日を定める太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」が発布される詳細
1951年(昭和26)ルース台風(昭和26年台風第15号)が九州に上陸し、大きな被害をもたらす詳細
1970年(昭和45)国鉄が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを開始する詳細
1986年(昭和61)洋画家荻須高徳の命日詳細
2007年(平成19)埼玉県さいたま市大宮区に鉄道博物館が開館する詳細
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 今日は、明治時代後期の1894年(明治27)に、庚寅新誌社が、日本初の冊子式月刊時刻表『汽車汽船旅行案内』を出版した日です。
 時刻表(じこくひょう)は、鉄道、バス、航空機、船舶などの発着時刻を書いた表、または、それを本にまとめたものです。1872年(明治5)に、鉄道創業とともに一枚刷り時刻表の発行が開始されましたが、1883年(明治16)に『官報』が創刊されると、ここへ列車時刻が掲載されるようになりました。
 1889年(明治22)8月に、大阪の忠雅堂が刊行した『日本全国汽車時間表』が、冊子式全国鉄道時刻表の最初となります。1894年(明治27)10月5日には、日本初の冊子式の月刊時刻表である『汽車汽船旅行案内』が庚寅新誌社より出版されますが、その後、交益社、博文館からも旅行案内形式の時刻表がそれぞれ発刊されました。
 1915年(大正4)には、鉄道院の指導により、3社(庚寅新誌社・交益社・博文館)が合同して旅行案内社を設立し、『公認汽車汽船旅行案内』の発行を開始します。1925年(大正14)に、日本旅行文化協会(のちの日本交通公社)から『汽車時間表』として翻刻市販するようになり、1939年(昭和14)には、『時間表』と改題されたものの、1942年(昭和17)に鉄道で午前・午後の12時間制にかわって24時間制が採用されたのにあわせて『時刻表』と改められました。
 大平洋戦争中に出版や用紙の統制が強まる中、1943年(昭和18)に『汽車汽船旅行案内』が廃刊となります。戦後になって、交通案内社が、1948年(昭和23)に『ポケット全国時間表』、1950年(昭和25)に『日本時間表』を創刊しました。
 1963年(昭和38)に弘済出版社が『全国観光時間表』を創刊し、翌年には、『大時刻表』と改題しています。1987年(昭和62)に国鉄は分割民営化に先だち自ら時刻表を編集する方針をもって弘済出版社の『大時刻表』を継承し、翌年には、誌名を『JR時刻表』と改称し、日本交通公社の『時刻表』は『JTB時刻表』と改題されました。
 2003年(平成15)に、交通案内社は『ポケット全国時刻表』、『日本時刻表』を廃刊し、会社も解散しています。

〇日本の時刻表関係略年表

・1872年(明治5) 鉄道創業とともに一枚刷り時刻表が発行が開始される
・1883年(明治16) 『官報』が創刊されると、ここへ列車時刻が掲載されるようになる
・1889年(明治22)8月 大阪の忠雅堂が刊行した『日本全国汽車時間表』が、冊子式全国鉄道時刻表の最初となる
・1894年(明治27)10月5日 日本初の冊子式の月刊時刻表である『汽車汽船旅行案内』が庚寅新誌社より出版される
・1915年(大正4) 鉄道院の指導により、3社(庚寅新誌社・交益社・博文館)が合同して旅行案内社を設立し、『公認汽車汽船旅行案内』の発行を開始する
・1925年(大正14) 日本旅行文化協会(のちの日本交通公社)から『汽車時間表』として翻刻市販するようになる
・1939年(昭和14) 『汽車時間表』が『時間表』と改題される
・1942年(昭和17) 鉄道で午前・午後の12時間制にかわって24時間制が採用されたのにあわせて『時刻表』と改められる
・1943年(昭和18) 『汽車汽船旅行案内』が廃刊となる
・1948年(昭和23) 交通案内社が『ポケット全国時間表』を創刊する
・1950年(昭和25) 交通案内社が『日本時間表』を創刊する
・1963年(昭和38) 弘済出版社が『全国観光時間表』を創刊する
・1964年(昭和39) 弘済出版社は、『全国観光時間表』を『大時刻表』と改題する
・1965年(昭和40) 交通案内社が『ポケット全国時間表』を『ポケット全国時刻表』に、『日本時間表』を『日本時刻表』に改題する
・1987年(昭和62) 国鉄は分割民営化に先だち自ら時刻表を編集する方針をもって弘済出版社の『大時刻表』を継承する
・1988年(昭和63) 弘済出版社の『大時刻表』は『JR時刻表』に、日本交通公社の『時刻表』は『JTB時刻表』と改題される
・2003年(平成15) 交通案内社は『ポケット全国時刻表』、『日本時刻表』を廃刊し会社も解散する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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hokurikuhonsenzensenfukusen
 今日は、昭和時代後期の1969年(昭和44)に、北陸本線の谷浜駅~直江津駅間が新線に切り替えられ複線化、糸魚川駅~直江津駅間が直流電化され、全線複線・電化が完成した日です。
 北陸本線(ほくりくほんせん)は、北陸地方を縦貫する幹線鉄道で、東海道本線米原駅を起点に敦賀、福井、金沢、富山を経て直江津にいたる全長353.9kmのJR線でしたが、北陸新幹線の開通により、ほぼ各県ごとの第三セクター鉄道に移管され、現在は、福井県敦賀市の敦賀駅から滋賀県米原市の米原駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)となっています。明治時代初期から鉄道建設の重要性が認識され、1871年(明治4)に、大阪~京都間、京都~大津間等とともに線路の測量が開始、1880年(明治13)には、長浜、敦賀の両側から工事が開始されました。
 1882年(明治15)3月10日に、初めて、長浜駅~柳ヶ瀬駅間(24.25 km)、洞道口駅 - 金ヶ崎駅間(14.4 km)が開業し、1884年(明治17)4月16日に、柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、敦賀まで延伸されます。1889年(明治22)7月1日に、米原駅~長浜駅間(7.44 km)が延伸開業、1896年(明治29)7月15日に福井駅まで、1898年(明治31)4月1日に金沢駅まで、1899年(明治32)3月20日に富山駅までと順次延伸開業しました。
 1913年(大正2)4月1日に、青海駅~糸魚川駅間の開通により、米原駅~直江津駅間が全通しています。1957年(昭和32)10月1日に木ノ本駅~敦賀駅間、1962年(昭和37)6月10日に敦賀~今庄間(北陸トンネル)にそれぞれ新ルートが開通して輸送力が増強され、1969年(昭和44)10月1日に、谷浜駅~直江津駅間が新線に切り替えられ複線化、糸魚川駅~直江津駅間が直流電化され、全線の複線電化が完成しました。
 これによって、京阪神、中京と北陸とを結ぶ大動脈となってきましたが、2015年(平成27)3月14日に、北陸新幹線の長野―金沢間が延伸したことに伴って、金沢駅~倶利伽羅駅間は「IRいしかわ鉄道」、倶利伽羅駅~市振駅間は「あいの風とやま鉄道」、市振駅~直江津駅間は「えちごトキめき鉄道」へと、ほぼ各県ごとの第三セクター鉄道に移管されます。さらに、2024年(令和6)3月16日に北陸新幹線の金沢駅~敦賀駅間が開業したことで、敦賀駅~大聖寺駅間は、福井県の第三セクター鉄道の「ハピラインふくい」へ、大聖寺駅~金沢駅間は「IRいしかわ鉄道」へ移管され、距離も短縮されました。

〇北陸本線関係略年表

・1871年(明治4):大阪~京都間、京都~大津間等とともに線路の測量が開始される
・1880年(明治13)4月:長浜、敦賀の両側から工事が開始される
・1882年(明治15)3月10日:長浜駅~柳ヶ瀬駅間(24.25 km)、洞道口駅 - 金ヶ崎駅間(14.4 km)が開業する
・1884年(明治17)4月16日:柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬~洞道西口間(3.81 km)が延伸開業する
・1889年(明治22)7月1日:米原駅~長浜駅間(7.44 km)が延伸開業する
・1892年(明治25)6月21日:明治25年法律第4号「鉄道敷設法」が公布され、「北陸線」として「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ石川県下七尾ニ至ル鉄道」および「北陸線及北越線ノ連絡線」として「富山県下富山ヨリ新潟県下直江津ニ至ル鉄道」の敷設を予定し、また同法第7条において「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道」を第一期鉄道とする
・1893年(明治26)2月10日:帝国議会第一回鉄道会議に「敦賀ヨリ福井金沢ヲ経テ富山ニ至ル百二十三哩五十七鎖余」に係る「線路ノ形勢設計ノ概況」が提出され、同月16日これをもとに工事着手順序および年度別予算が決定される
・1894年(明治27)8月9日:森田~金沢間の線路実測に着手する
・1895年(明治28)6月:森田~金沢間の建設着工する
・1896年(明治29)7月15日:北陸線 敦賀駅~福井駅間(61.96 km)が開業する
・1897年(明治30)9月20日:福井駅~小松駅間(48.34 km)延伸開業する
・1898年(明治31)4月1日:小松駅~金沢駅間(28.32 km)が延伸開業する
・1898年(明治31)11月1日:金沢駅~高岡駅間(40.82 km)が延伸開業する
・1899年(明治32)3月20日:高岡駅~富山駅間(17.8 km)が延伸開業する
・1900年(明治33)12月:高岡~小杉間の庄川橋梁が竣工する
・1902年(明治35)11月1日:米原駅~敦賀駅~金ヶ崎駅間が北陸線に編入される
・1906年(明治39)3月20日:明治39年法律第14号鉄道敷設法の改正により、同法第7条第1項に「北陸線及北越線ノ連絡線富山県下富山ヨリ新潟県下直江津ニ至ル鉄道」を追加する
・1907年(明治40)3月:富山より鉄道敷設工事に着手する
・1908年(明治41)4月:直江津より富山直江津間鉄道敷設工事に着手する
・1909年(明治42)10月12日:国有鉄道線路名称制定により、米原駅~魚津駅間、敦賀駅~金ヶ崎駅間を北陸本線とする
・1910年(明治43)4月16日:魚津駅~泊駅間(23.66 km)が延伸開業する
・1911年(明治44)7月1日:信越線 直江津駅~名立駅間(14.81 km)が開業する
・1912年(大正元)10月15日:泊駅~青海駅間(23.34 km)が延伸開業する
・1912年(大正元)12月16日:信越線 名立駅~糸魚川駅間(26.55 km)が延伸開業する
・1913年(大正2)4月1日:青海駅~糸魚川駅間(6.6 km)が開業し米原駅~直江津駅間が全通し、信越線糸魚川駅~直江津駅間が北陸本線に編入される
・1916年(大正5)6月11日:角川鉄橋上において富山発の客車および貨車が脱線し、死者11名重傷者30名を出す事故が起る
・1919年(大正8)1月11日:敦賀駅~敦賀港駅間で旅客営業再開する
・1922年(大正11)2月3日:親不知駅~青海駅間で列車が雪崩に巻き込まれる列車脱線事故(北陸線列車雪崩直撃事故)が発生、救出作業中の二次災害含め死者90名を出す
・1924年(大正13)7月31日:羽越線の全通により、日本海縦貫線が完成したため、神戸駅~青森駅間に直通列車の運行を開始する(所要時間は31時間40分)
・1930年(昭和5)11月16日:市振駅~親不知駅間において大阪発青森行列車の脱線転覆事故が起きる
・1931年(昭和6)3月21日:浦本駅付近で貨物列車が地すべりに巻き込まれ脱線転覆(死者1名負傷者4名)する
・1936年(昭和11)1月13日:米原発上野行の606下り列車が、福井駅を出発後に車内から出火。4人死亡、重軽傷者多数出す
・1936年(昭和11)1月22日:鯖波駅~今庄駅間の湯尾トンネル付近で雪崩が発生、除雪作業員51人が生き埋め、死者8人、重軽傷者11人を出す
・1938年(昭和13)10月1日:金沢駅~津幡駅間が複線化する
・1940年(昭和15)12月1日:福井操車場が開業し、福井操車場~福井駅間が複線化する
・1943年(昭和18)4月1日:貨物支線 敦賀港駅~敦賀新港駅間 (1.2 km) が廃止される
・1944年(昭和19)4月1日:上野駅~金沢駅~大阪駅間の急行列車が廃止される
・1945年(昭和20)3月:名立駅~有間川駅間で地すべりが発生し、列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆(死傷者5名)する
・1946年(昭和21)11月10日:上野~金沢間に準急列車の運行を開始する
・1947年(昭和22)7月5日:大阪駅~青森駅間に急行列車の運行を再開する
・1948年(昭和23)6月28日:福井地震発生し、福井駅~森田駅間の九頭竜川鉄橋が倒壊し、特に大土呂駅 - 牛ノ谷駅間は構内建物のほとんどが全壊する
・1950年(昭和25)11月2日:大阪駅~青森駅間の急行列車を「日本海」、大阪駅~上野駅間の急行列車(上越線経由)を「北陸」と命名する
・1952年(昭和27)10月1日:大阪駅~金沢駅間において準急「ゆのくに」の運転を開始する
・1954年(昭和29)10月1日:上野駅~金沢駅間に急行「白山」を新設する
・1955年(昭和30)9月1日:倶利伽羅駅~石動駅間の倶利伽羅トンネル(新:現上り線)が完成する
・1957年(昭和32)8月12日:田村駅~長浜駅間が複線化する
・1957年(昭和32)10月1日:木ノ本駅~近江塩津駅~敦賀駅間 (23.4 km) が単線で開業、木ノ本駅~敦賀駅間の旧線 (26.1 km) を柳ヶ瀬線として分離、田村駅~近江塩津駅~敦賀駅間が交流電化、米原駅~田村駅間が複線化される
・1958年(昭和33)4月10日:貨物支線 東富山駅~富山操車場~蓮町駅間 (8.5 km) が開業する
・1958年(昭和33)9月25日:高月駅~木ノ本駅間が複線化[29]。
・1958年(昭和33)9月28日:長浜駅~虎姫駅間が複線化する
・1958年(昭和33)9月29日:小杉駅~呉羽駅間が複線化する
・1958年(昭和33)9月30日:虎姫駅~高月駅間が複線化する
・1959年(昭和34)9月22日:東京駅~金沢駅間において米原駅経由の急行「能登」が新設、急行「北陸」の運転を金沢駅~上野駅間に改める
・1960年(昭和35)5月31日:呉羽駅~富山駅間が複線化する
・1960年(昭和35)9月26日:松任駅~西金沢駅間が複線化する
・1960年(昭和35)9月28日:西金沢駅~金沢駅間が複線化する
・1960年(昭和35)9月30日:石動駅~福岡駅間が複線化する
・1960年(昭和35)10月1日:循環準急「しろがね」および「こがね」(東海道本線・北陸本線・高山本線経由)、また金沢駅 - 名古屋駅間に準急「第2ひだ」を新設する
・1961年(昭和36)3月1日:大阪駅~金沢駅間において準急「加賀」、西舞鶴駅~金沢駅間において準急「若狭」を新設する
・1961年(昭和36)6月6日:市振駅~親不知駅間の複線電化計画が決まる(同年8月着工)
・1961年(昭和36)9月28日:福井駅~森田駅間が複線化[29]。
・1961年(昭和36)10月1日:大阪駅~青森駅・上野駅間に特別急行「白鳥」、金沢駅~新潟駅間に急行「きたぐに」、大阪駅~富山駅間に準急「つるぎ」、金沢駅~上野駅間に急行「黒部」を新設する
・1962年(昭和37)2月19日:丸岡駅~金津駅間が複線化する
・1962年(昭和37)3月19日:今庄駅~湯尾駅間が複線化する
・1962年(昭和37)3月21日:今庄駅~福井駅間が交流電化する
・1962年(昭和37)6月10日:北陸トンネルが正式開通し、敦賀駅・福井駅にて祝賀式典が執り行われ、敦賀駅~今庄駅間が複線交流電化新線 (19.3 km) 開業、大阪駅~金沢駅間に急行「越前」が新設される
・1962年(昭和37)8月1日:安楽寺信号場~石動駅間が複線化する
・1962年(昭和37)8月10日:福岡駅~西高岡駅間が複線化する
・1962年(昭和37)9月15日:倶利伽羅駅~安楽寺信号場間が複線化する
・1962年(昭和37)9月25日:津幡駅~倶利伽羅駅間が複線化。倶利伽羅トンネル(下り線)を供用開始する
・1962年(昭和37)9月27日:松梨信号場~寺井駅間が複線化する
・1962年(昭和37)9月29日:寺井駅~小舞子駅間が複線化する
・1962年(昭和37)9月30日:熊坂信号場~大聖寺駅間が複線化する
・1962年(昭和37)12月10日:粟津駅~小松駅間が複線化する
・1962年(昭和37)12月28日:米原駅~田村駅間が直流電化する
・1963年(昭和38)4月4日:福井駅~金沢駅間が交流電化する
・1963年(昭和38)4月15日:武生駅~鯖江駅間が複線化する
・1963年(昭和38)4月20日:準急「ゆのくに」および「加賀」を急行に格上げして電車化、大阪駅~和倉駅間に急行「奥能登」、金沢駅~秋田駅間に急行「しらゆき」、名古屋駅~金沢駅間に急行「加越」、敦賀駅~金沢駅間に準急「越前」を新設する
・1963年(昭和38)7月22日:牛ノ谷駅~熊坂信号場間が複線化する
・1963年(昭和38)9月1日:小舞子駅~美川駅間が複線化する
・1963年(昭和38)9月16日:王子保駅~武生駅間が複線化する
・1963年(昭和38)9月25日:鯖波駅~王子保駅間が複線化する
・1963年(昭和38)9月27日:小松駅~松梨信号場間、高岡駅~越中大門駅間が複線化する
・1963年(昭和38)9月30日:新設された衣掛隧道ループ線(鳩原ループ線)を上り線として使用開始に伴い、新疋田駅~敦賀駅間が複線化する
・1964年(昭和39)5月11日:柳ヶ瀬線 木ノ本駅~柳ヶ瀬駅~疋田駅~敦賀駅間 (26.1 km) が廃止される
・1964年(昭和39)8月24日:金沢駅~富山操車場間が交流電化される
・1964年(昭和39)9月24日:旧柳ヶ瀬線線路盤を本線上り線に転用し、木ノ本駅 - 余呉駅間が複線化する
・1964年(昭和39)9月26日:春江駅 - 丸岡駅間が複線化する
・1964年(昭和39)9月29日:西高岡駅~千保川信号場間が複線化する
・1964年(昭和39)10月1日:大阪駅~金沢駅間に急行「越山」、大阪駅~金沢駅間に急行「越前」、敦賀駅~金沢駅間に準急「くずりゅう」を新設する
・1964年(昭和39)12月1日:出雲市駅~金沢駅間に急行「あさしお」(小浜線・宮津線経由)を新設する
・1964年(昭和39)12月25日:大阪駅~富山駅間に特別急行「雷鳥」、名古屋駅~富山駅間に特別急行「しらさぎ」の運行を開始する
・1965年(昭和40)4月23日:生地駅~西入善駅間が複線化する
・1965年(昭和40)5月27日:細呂木駅~牛ノ谷駅間が複線化する
・1965年(昭和40)7月5日:越中大門駅~小杉駅間が複線化する
・1965年(昭和40)7月20日:上市川信号場~滑川駅間が複線化する
・1965年(昭和40)7月30日:富山操車場~東富山駅間が複線化する
・1965年(昭和40)8月9日:近江塩津駅~沓掛信号場間が複線化する
・1965年(昭和40)8月20日:美川駅~加賀笠間駅間が複線化する
・1965年(昭和40)8月25日:千保川信号場~高岡駅間が複線化、富山操車場~泊駅間が交流電化する
・1965年(昭和40)8月31日:青海駅~姫川信号場間が複線化する
・1965年(昭和40)9月23日:余呉駅~近江塩津駅間が複線化する
・1965年(昭和40)9月25日:動橋駅~粟津駅間が複線化する
・1965年(昭和40)9月27日:金津駅~細呂木駅間が複線化する
・1965年(昭和40)9月30日:市振駅~風波信号場間、黒岩信号場から青海駅間が複線化、泊駅~糸魚川駅間が交流電化する
・1965年(昭和40)10月1日:特別急行「白鳥」の上野行を、上野駅~金沢駅間の特別急行「はくたか」として独立させ運行開始、大阪駅~金沢駅間に急行「金星」を新設し、急行「ゆのくに」、「越前」、「越山」および「くずりゅう」を廃止する
・1965年(昭和40)12月10日:黒部駅~生地駅間が複線化する
・1966年(昭和41)3月11日:湯尾駅~鯖波駅間が複線化する
・1966年(昭和41)3月16日:森田駅~春江駅間が複線化する
・1966年(昭和41)3月18日:加賀笠間駅~松任駅間が複線化する
・1966年(昭和41)3月24日:風波信号場~親不知駅間が複線化する
・1966年(昭和41)6月1日:水橋駅~上市川信号場間が複線化する
・1966年(昭和41)8月30日:東滑川駅~角川信号場間が複線化する
・1966年(昭和41)9月7日:鯖江駅~北鯖江駅間が複線化する
・1966年(昭和41)9月13日:北鯖江駅~大土呂駅間が複線化する
・1966年(昭和41)9月22日:大聖寺駅~作見駅間が複線化する
・1966年(昭和41)9月24日:大土呂駅~南福井駅間が複線化する
・1966年(昭和41)9月29日:作見駅~動橋駅間が複線化する
・1966年(昭和41)10月1日:名古屋駅~金沢駅間に急行「兼六」を新設し、準急「しろがね」、「こがね」および「ひだ」を急行に格上げ、急行「あさしお」を米子駅~金沢駅間に改める
・1966年(昭和41)11月25日:西入善駅~入善駅間が複線化する
・1966年(昭和41)11月30日:沓掛信号場~新疋田駅間が複線化する
・1966年(昭和41)12月3日:東富山駅~水橋駅間が複線化する
・1966年(昭和41)12月15日:旧線(→下り線)の電化・防災強化改修により親不知駅~黒岩信号場間を複線化する
・1967年(昭和42)5月19日:泊駅~越中宮崎駅間が複線化する
・1967年(昭和42)8月22日:滑川駅~東滑川駅間が複線化する
・1967年(昭和42)8月29日:小川信号場~泊駅間が複線化する
・1967年(昭和42)9月20日:入善駅~小川信号場間が複線化する
・1967年(昭和42)9月29日:越中宮崎駅~市振駅間が複線化する
・1968年(昭和43)8月9日:魚津駅~片貝信号場間が複線化する
・1968年(昭和43)9月16日:姫川信号場~糸魚川駅間が複線化する
・1968年(昭和43)9月25日:有間川駅~谷浜駅間が複線化する
・1968年(昭和43)9月27日:角川信号場~魚津駅間が複線化する
・1968年(昭和43)10月1日:青森駅~大阪駅間に特別急行「日本海」、福井駅~上野駅間に季節急行「北陸1号」(上越線経由)を新設し、急行「ひだ」を特別急行に格上げし、青森駅~大阪駅間の急行「日本海」を急行「きたぐに」、大阪駅~新潟駅間の急行「きたぐに」を急行「越後」、富山駅 - 大阪駅間の急行「金星」を急行「つるぎ」、金沢駅 - 米子駅間の急行「あさしお」を急行「大社」と改称し、急行「能登」、急行「黒部」、急行「加賀」および急行「加越」を廃止の上で統廃合する
・1969年(昭和44)6月4日:糸魚川駅~梶屋敷駅間が複線化する
・1969年(昭和44)6月17日:片貝信号場~黒部駅間が複線化する
・1969年(昭和44)6月19日:梶屋敷駅~浦本駅間が複線化する
・1969年(昭和44)9月29日:浦本駅~有間川駅間が頸城トンネル経由の新線に切り替えられ複線化する
・1969年(昭和44)10月1日:谷浜駅~直江津駅間が新線に切り替えられ複線化、糸魚川駅~直江津駅間が直流電化され、全線の複線電化が完成、特別急行「はくたか」を電車化して上越線経由とし、大阪駅~ 新潟駅間に臨時特別急行「北越」、福井駅~金沢駅・富山駅間に快速「こしじ」を新設する
・1972年(昭和47)3月15日:金沢駅~松本駅間に急行「白馬」(大糸線経由)を新設し、上野駅~沢駅間の急行「白山」を特別急行に格上げし、大阪駅~富山駅間の急行「つるぎ」を大阪駅~新潟駅間に延長し、循環急行「しろがね」と「こがね」を廃止する
・1972年(昭和47)10月2日:大阪駅~青森駅間の電化が完成し、特別急行「白鳥」を電車化して、急行「つるぎ」を特別急行に格上げする
・1972年(昭和47)11月6日:北陸トンネル内で急行「きたぐに」の食堂車から出火し、30名が死亡する(北陸トンネル火災事故)
・1975年(昭和50)3月10日:大阪方面発着の特急・急行が一部を除き湖西線経由となり、米原駅~富山駅間に特別急行「加越」および上野~金沢間に急行「能登」を新設し、急行「北陸」を特別急行に格上げし、特別急行「雷鳥」および「しらさぎ」をL特急とし、急行「兼六」を廃止する
・1978年(昭和53)10月2日:急行「大社」の乗入れを福井駅までとし、特別急行「白山」をL特急とし、急行「越後」および急行「ゆのくに1」、「ゆのくに2」を廃止する
・1982年(昭和57)11月15日:急行「能登」を信越本線経由に変更し、特別急行「はくたか」、急行「越前」、「ゆのくに」、「立山」、「しらゆき」および「白馬」、また金沢鉄道管理局管外へ向う普通列車を廃止する
・1985年(昭和60)3月14日:急行「きたぐに」を電車化し、特別急行「ひだ」および急行「のりくら」の乗入れを中止し、急行「くずりゅう」を廃止し、客車普通列車を全廃する
・1986年(昭和61)11月1日:貨物支線 東富山駅~蓮町駅間 (8.5 km) が廃止される
・1986年(昭和61)12月27日:特別急行「ゆぅトピア和倉」を新設する
・1987年(昭和62)4月1日:国鉄分割民営化により、米原駅~直江津駅間 (353.9 km) を西日本旅客鉄道が承継、日本貨物鉄道が米原駅~直江津駅間の第二種鉄道事業者、敦賀駅~敦賀港駅間 (2.7 km) の第一種鉄道事業者となる
・1988年(昭和63)3月13日:上越新幹線への連絡列車として金沢駅 - 長岡駅間に特別急行「かがやき」、また米原駅 - 金沢駅間に特別急行「きらめき」の運行を開始する
・1989年(平成元)3月11日:特別急行「スーパー雷鳥」を新設する
・1989年(平成元)7月21日:大阪駅 - 札幌駅間に団体専用列車として臨時特別急行「トワイライトエクスプレス」の運行を開始する
・1990年(平成2)6月5日:金沢駅付近が高架化される
・1991年(平成3)9月1日:特別急行「ゆぅトピア和倉」を廃止する
・1991年(平成3)9月14日:田村駅~長浜駅間が交流電化から直流電化に変更する
・1992年(平成4)12月26日:臨時特急「雷鳥」85号および90号において681系電車の運用を開始する
・1993年(平成5)3月18日:急行「能登」を電車化する
・1994年(平成6)12月3日:寝台特急「つるぎ」を廃止する
・1995年(平成7)4月20日:大阪駅~富山駅・和倉温泉駅間に特別急行「スーパー雷鳥(サンダーバード)」を新設する
・1997年(平成9)3月22日:特別急行「はくたか」を新設、特別急行「スーパー雷鳥(サンダーバード)」を「サンダーバード」に改称、特別急行「かがやき」および「きらめき」を廃止する
・1997年(平成9)10月1日:特別急行「白山」を廃止する
・2000年(平成12)2月8日:近江塩津駅~直江津駅間に列車集中制御装置 (CTC) が導入される
・2001年(平成13)3月3日:特別急行「スーパー雷鳥」、新潟発着の「雷鳥」および「白鳥」を廃止する
・2001年(平成13)10月1日:特別急行「おはようエクスプレス」を新設する
・2002年(平成14)11月18日:小松駅付近が高架化する
・2003年(平成15)3月15日:特別急行「おやすみエクスプレス」の運行を開始し、特別急行「しらさぎ」を683系電車にて運行を開始する
・2003年(平成15)10月1日:特別急行「加越」を特別急行「しらさぎ」に統合する
・2005年(平成17)4月18日:福井駅付近が高架化する
・2006年(平成18)9月24日:長浜駅~敦賀駅間が交流電化から直流電化に変更する
・2009年(平成21)10月1日:北陸本線内の特別急行および急行列車の全部を禁煙化する
・2010年(平成22)3月13日:特別急行「北陸」および急行「能登」を廃止する
・2011年(平成23)3月12日:特別急行「雷鳥」を特別急行「サンダーバード」に統合する
・2012年(平成24)3月17日:特別急行「日本海」および急行「きたぐに」を廃止する
・2014年(平成26)10月18日:金沢駅~富山駅間を走行する日中の普通列車の一部において、ワンマン運転を開始する
・2015年(平成27)3月13日:特別急行「はくたか」および「北越」、臨時特急「トワイライトエクスプレス」を廃止する
・2015年(平成27)3月14日:北陸新幹線 長野駅~金沢駅間延伸開業に伴い、金沢駅~直江津駅間 (177.2 km) を廃止し、金沢駅~倶利伽羅駅間がIRいしかわ鉄道に移管されIRいしかわ鉄道線に、倶利伽羅駅~市振駅間があいの風とやま鉄道に移管されあいの風とやま鉄道線に、市振駅~直江津駅間がえちごトキめき鉄道に移管され日本海ひすいラインになる
・2017年(平成29)3月4日:敦賀駅~金沢駅間を走行する日中の普通列車の一部において、ワンマン運転を開始する
・2018年(平成30)9月15日:牛ノ谷駅~新疋田駅間でICカード「ICOCA」の利用が可能になり、北陸本線全線でICOCAの利用が可能となると共に関西圏と北陸本線のICOCAエリアが繋がる
・2019年(平成31)3月16日:米原駅~敦賀駅間でワンマン運転を開始する
・2019年(平成31)4月1日:貨物支線 敦賀駅~敦賀港駅間 (2.7 km) が廃止される
・2024年(令和6)3月16日:北陸新幹線 金沢駅~敦賀駅間延伸開業に伴い、敦賀駅~金沢駅間 (130.7km) を廃止し、敦賀駅~大聖寺駅間がハピラインふくいに移管されハピラインふくい線に、大聖寺駅 - 金沢駅間がIRいしかわ鉄道に移管されIRいしかわ鉄道線になる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

684年(天武天皇13)八色の姓が制定される詳細
1555年(天文24)巌島の戦いで、毛利元就軍が陶晴賢軍を破る(新暦10月16日)詳細
1899年(明治32)小説家・劇作家川口松太郎の誕生日詳細
1937年(昭和12)「防空法」(昭和12年法律第47号)が施行(公布は同年4月5日)される詳細
1955年(昭和30)新潟県新潟市で昭和新潟大火が起きる詳細
1964年(昭和39)東海道新幹線の東京~新大阪が開業する詳細
1981年(昭和56)「昭和56年内閣告示第1号」として、当用漢字の後継となる常用漢字表が告示される詳細
1997年(平成9)磐越自動車道が西会津IC~津川IC間の供用開始により、全線開通する詳細
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