ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 交通

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 今日は、平成時代の2014年(平成26)に、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の相模原愛川IC~高尾山IC間が開通し、東名高速道路・中央自動車道・関越自動車道と繋がった日です。
 首都圏中央連絡自動車道(しゅとけんちゅうおうれんらくじどうしゃどう)は、東京都心から40~60km圏(東京都・神奈川県・埼玉県・茨城県・千葉県にかかる)を環状に結ぶ高規格幹線道路(自動車専用道路)で、略称は圏央道と言います。1976年(昭和53)に発表された国土庁の第3次首都圏基本計画で、拠点間交通体系の重点項目として位置づけられました。
 東京郊外の都市を結ぶほか、放射状に延びる東名高速道路・中央自動車道・関越自動車道・東北自動車道・常磐自動車道・東関東自動車道および東京湾アクアライン(東京湾横断道路)などの幹線道路と結び、首都圏の広域幹線道路網を形成する目的で着工されます。1996年(平成8)3月26日に、最初の開通区間として、青梅IC~鶴ヶ島JCT間が開通し、その後、順次延伸して、2017年(平成29年)2月26日時点で、圏央道として茅ヶ崎JCT~大栄JCT間、松尾横芝IC~木更津JCT間が開通しており、NEXCOが管理・運営を行ってきました。
 首都圏の周辺都市同士の連絡を密にし、物資輸送の効率化、交通の円滑化を進めることで、首都機能の再編成や産業活力の向上を目指しています。また、未開通区間については、NEXCOと国土交通省が共同で建設・整備を進めていて、このうち、藤沢ICとあきる野ICを境として、西側の藤沢IC~あきる野IC間をNEXCO中日本が、その他の区間をNEXCO東日本が、それぞれ建設・管理を担当してきました。

〇首都圏中央連絡自動車道(圏央道)関係略年表

<1987年(昭和62)>
・6月30日:高規格幹線道路として構想される

<1988年(昭和63)>
・3月30日:新湘南バイパスが開通する

<1993年(平成5)>
・4月1日:一般国道468号に指定される

<1996年(平成8)>
・3月26日:青梅IC~鶴ヶ島JCT間が開通する(圏央道として最初の開通区間)

<1998年(平成10)>
・3月30日:千葉東金道路二期(東金IC~松尾横芝IC間)が開通(暫定2車線)する

<2002年(平成14)>
・3月29日:日の出IC~青梅IC間が開通する

<2003年(平成15)>
・3月29日:つくばJCT~つくば牛久IC間が開通する

<2005年(平成17)>
・3月21日:あきる野IC~日の出IC間が開通する

<2007年(平成19)>
・3月10日:つくば牛久IC~阿見東IC間が開通(暫定2車線)する
・3月21日:木更津東IC~木更津JCT間が開通する
・6月23日:八王子JCT~あきる野IC間が開通し、中央自動車道と関越自動車道が東京都心の道路を経由する事なく当自動車道経由でも結ばれる

<2008年(平成20)>
・3月26日:工事中の城山八王子トンネル(現・相模原八王子トンネル)が崩落し、坑口および周囲に損傷被害を受ける
・3月29日:鶴ヶ島JCT~川島IC間が開通する
・7月18日:狭山PAが開設される
<2009年(平成21)>
・3月21日:阿見東IC~稲敷IC間が開通(暫定2車線)する

<2010年(平成22)>
・2月27日:海老名JCT~海老名IC間が開通する
・3月28日:川島IC~桶川北本IC間が開通する
・4月24日:つくば中央IC~つくばJCT間が開通(暫定2車線)する

<2011年(平成23)>
・5月29日:白岡菖蒲IC~久喜白岡JCT間が開通する

<2012年(平成24)>
・3月25日:高尾山IC~八王子JCT間が開通する

<2013年(平成25)>
・3月30日:海老名IC~相模原愛川IC間が開通し、同時に厚木PA(外回り)が開設される
・4月14日:茅ヶ崎JCT~寒川北IC間が開通する
・4月27日:東金IC/JCT~木更津東IC間が開通(暫定2車線)する
・6月11日:八王子西SICから大網白里SIC、茂原長柄SICの追加設置を国土交通大臣が認可する
・7月12日:高滝湖PA(内回り)が開設される
・8月8日:厚木PA(内回り)が開設される

<2014年(平成26)>
・4月12日:稲敷IC - 神崎IC間が(暫定2車線)する
・6月28日:相模原愛川IC~高尾山IC間が開通し、東名高速道路と中央自動車道と関越自動車道が当道路経由でも結ばれる
・7月11日:江戸崎PAが開設する

<2015年(平成27)>
・3月8日:寒川北IC~海老名JCT間が開通し、新湘南バイパスと東名高速道路、中央自動車道、関越自動車道が結ばれる
・3月29日:相模原ICが開設、および久喜白岡JCT~境古河IC間が開通(幸手IC付近を除き暫定2車線)する
・4月1日:圏央道の通行料金を見直し、今まで1キロメートル当たり 43.20円(43.20/km)から、大都市近郊区間と同じ料金制度の1キロメートル当たり29.52円(29.52円/km)へ値下げされる
・6月7日:神崎IC~大栄JCT間が開通し、常磐自動車道と東関東自動車道が首都高速道路を経由する事なく結ばれる(暫定2車線)
・8月10日:高滝湖PA(外回り)が開設される
・9月10日:平成27年9月関東・東北豪雨により、常総市の常総インターチェンジ付近の建設現場が洪水により浸水し、復旧作業と建設工法の見直しがされた結果、境古河IC~つくば中央IC間の開通時期が遅れる
・10月31日:桶川北本IC~白岡菖蒲IC間が開通し、関越自動車道と東北自動車道が当自動車道経由でも結ばれ、新湘南バイパスから東名高速道路、中央自動車道、関越自動車道を介して東北自動車道までの間が首都高速道路などを経由する事なく結ばれる

<2016年(平成28)>
・12月24日:八王子西ICがフル化(関越道方面出入口開通)する

<2017年(平成29)>
・2月26日:境古河IC~つくば中央IC間が開通し、東北自動車道と常磐自動車道が当自動車道経由でも結ばれ、新湘南バイパスから東名高速道路、中央自動車道、関越自動車道、東北自動車道、常磐自動車道を介して、東関東自動車道までの間が首都高速道路を経由する事なく結ばれる
・11月9日:台風21号による並行都道(東京都道61号山田宮の前線)土砂災害通行止めのため、八王子西IC ⇔ あきる野IC間のみの利用車両無料措置を開始する(都道復旧までの間)
・12月19日:上記の八王子西IC ⇔ あきる野IC間の代替路無料措置を終了する
・12月20日:八王子JCT本線部が内回り・外回りともに2車線化される

<2018年(平成30)>
・1月28日:海老名南JCT開通により、新東名高速道路と接続する

<2019年(平成31)>
・3月24日 : 大網白里スマートIC供用開始する

<2020年(令和2)>
・2月16日 : 茂原長柄スマートIC供用開始する
・9月26日 : 厚木PAスマートIC供用開始する

<2022年(令和4)>
・4月1日:八王子西ICがETC専用化される
・6月30日:相模原ICがETC専用化される

<2023年(令和5)>
・3月31日:久喜白岡JCT~幸手IC・境古河IC~坂東ICが4車線化され、併せて当該区間の最高速度が70 km/hから80 km/hに変更される
・9月21日:坂戸ICがETC専用化される

<2024年(令和6)>
・3月22日:高尾山ICおよび寒川北ICがETC専用化される
・4月23日:坂東PA(内回り)が開設される
・9月19日:下総ICがETC専用化される

<2025年(令和7)>
・1月24日:圏央成田IC・多古ICの名称決定について公表される
・3月5日:牛久阿見ICがETC専用化される
・3月14日:幸手IC~五霞ICが4車線化され、併せて当該区間の最高速度が70 km/hから80 km/hに変更される
・3月23日:つくば西スマートICが供用開始する
・3月25日:坂東ICがETC専用化される
・3月26日:寒川南IC・圏央厚木ICがETC専用化される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1570年(元亀元)姉川の戦いで織田信長・徳川家康連合軍が浅井・朝倉連合軍を破る(新暦7月30日)詳細
1837年(天保8)日本人漂流民を乗せた米国商船を「異国船打払令」にて砲撃したモリソン号事件が起きる(新暦7月30日)詳細
1875年(明治8)「新聞紙条例」と「讒謗律」が発布される詳細
1914年(大正3)サラエボ事件で、オーストリア皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦の契機となる詳細
1919年(大正8)ドイツが連合国と第一次世界大戦の講和条約「ヴェルサイユ条約」に調印する詳細
1945年(昭和20)B29・141機による佐世保大空襲が始まり、翌日にかけて、罹災戸数12,037戸、死者1,242人を出す詳細
1948年(昭和23)福井地震(M7.1)が起こり、死者3,769人、負傷者22,203人を出す詳細
1951年(昭和26)小説家林芙美子の命日(芙美子忌)詳細
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 今日は、昭和時代後期の1982年(昭和57)に、東北新幹線の最初の開業区間である大宮駅~盛岡駅間 (495.2 km) が開業した日です。
 東北新幹線(とうほくしんかんせん)は、東京駅~新青森駅(全長713.7km)を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する高速鉄道路線(新幹線)です。1970年(昭和45)5月18日に成立した「全国新幹線鉄道整備法」に基づき、1971年(昭和46)には、「昭和46年運輸省告示第17号」により、東北新幹線(東京都~盛岡市)を含む3路線の基本計画が公示され、日本国有鉄道の路線として、工事に着手しました。
 さらに、1973年(昭和48)11月13日に東北新幹線(盛岡市~青森市)を含む整備新幹線5路線の一つとして、建設計画が決定します。その後、1982年(昭和57)6月23日に、東北新幹線初の大宮駅~盛岡駅間 (495.2 km) が開業、1985年(昭和60)3月14日には、上野駅~大宮駅間(27.7 km)が延伸開業しました。
 1987年(昭和62)4月1日に、国鉄分割民営化に伴い、JR各社が発足し、東北新幹線の営業主体および東北新幹線(盛岡市~青森市)の建設主体は東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継されます。1991年(平成3)6月20日に東京駅~上野駅間(3.6 km)が延伸開業、同年に盛岡~青森間の工事実施計画認可され、起工式が行われました。
 1992年(平成4)7月1日に、山形新幹線の福島駅~山形駅間開業、同線との直通列車として「つばさ」が運転開始し、1997年(平成9)3月22日には、秋田新幹線の盛岡駅~秋田駅間が開業、同線との直通列車として「こまち」運転開始されます。1998年(平成10)に八戸~新青森間の工事実施計画(フル規格)が追加認可され、起工式が行われ、2002年(平成14)12月1日には、盛岡駅~八戸駅間 (96.6 km) が延伸開業しました。
 そして、2010年(平成22)12月4日に、八戸駅~新青森駅間(81.8 km)が延伸開業し、東北新幹線は全線開業となります。尚、2016年(平成28)3月26日に、北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間開業に伴い、「はやて」「はやぶさ」の一部列車が北海道新幹線と直通運転を開始しました。

〇東北新幹線関係略年表

・1969年(昭和44) 新全国総合開発計画が閣議決定される
・1970年(昭和45) 「全国新幹線鉄道整備法」が公布される
・1971年(昭和46) 「昭和46年運輸省告示第17号」により、東北新幹線(東京都~盛岡市)を含む3路線の基本計画が公示され、工事に着手する
・1972年(昭和47) 「昭和47年運輸省告示第242号」により東北新幹線(東京都~青森市)に基本計画が変更される
・1973年(昭和48) 東北新幹線(盛岡市~青森市)を含む5路線の整備計画決定および建設が指示される
・1977年(昭和52) 小山総合試験線(石橋~鷲宮間42.8 km)のレール敷設が完了、東京~盛岡間の工事実施計画変更(その2)が認可される
・1979年(昭和54) 小山駅付近に建設された東北新幹線総合試験線にて、試作車両の走行試験を開始、仙台試験線管理所が開設される
・1981年(昭和56) 「全国新幹線鉄道整備法」が改正され、建設費の地元負担が可能とされ、列車愛称を「やまびこ」「あおば」と発表される
・1982年(昭和57)6月23日 大宮駅~盛岡駅間 (495.2 km) が開業する
・1985年(昭和60)3月14日 上野駅~大宮駅間(27.7 km)が開業する
・1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化に伴い、JR各社が発足し、東北新幹線の営業主体および東北新幹線(盛岡市~青森市)の建設主体は東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継される
・1988年(昭和63) 政府・与党申し合わせ「整備新幹線の取扱について」において整備新幹線着工優先順位を決定し、東北新幹線は運輸省案で第2位となる
・1989年(平成元) 整備新幹線難工事推進事業計画(岩手トンネル)が認可される
・1990年(平成2) 東京駅延伸工事中に第1上野トンネル(通称「御徒町トンネル」)の建設現場で土砂が噴出し、地上の道路が陥没する事故が発生する
・1991年(平成3)6月20日 東京駅~上野駅間(3.6 km)が開業、盛岡~青森間の工事実施計画認可され、起工式が行われる
・1992年(平成4)7月1日 山形新幹線の福島駅~山形駅間開業。同線との直通列車として「つばさ」が運転開始する
・1994年(平成6) E1系"Max"が営業運転を開始、「Maxやまびこ」「Maxあおば」が新設する
・1995年(平成7) 盛岡~沼宮内間の工事実施計画(フル規格)が追加認可される
・1996年(平成8) 八戸~新青森(石江)間のフル規格化および着工が決定する
・1997年(平成9)3月22日 秋田新幹線の盛岡駅~秋田駅間が開業、同線との直通列車として「こまち」運転開始される
・1998年(平成10) 八戸~新青森間の工事実施計画(フル規格)が追加認可され、起工式が行われる
・1999年(平成11)12月4日 山形新幹線の山形駅~新庄駅間が延伸開業する
・2002年(平成14)12月1日 盛岡駅~八戸駅間 (96.6 km) が開業する
・2003年(平成15) 運輸施設整備事業団と日本鉄道建設公団が統合し、鉄道建設・運輸施設整備支援機構設立される
・2010年(平成22)12月4日 八戸駅~新青森駅間(81.8 km)が開業し、東北新幹線は全線開業となる
・2016年(平成28)3月26日 北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間開業に伴い、「はやて」「はやぶさ」の一部列車が北海道新幹線と直通運転を開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1794年(寛政6)大名・老中で天保の改革の主導者水野忠邦の誕生日(新暦7月19日)詳細
1907年(明治40)「朝日新聞」において、夏目漱石の『虞美人草』が連載開始される詳細
1908年(明治41)詩人・小説家国木田独歩の命日(独歩忌)詳細
1944年(昭和19)北海道有珠郡の東九万坪台地より、昭和新山の第1次大噴火が起き、第1火口を形成する詳細
1945年(昭和20)「義勇兵役法」が公布・施行される詳細
1967年(昭和42)小説家壺井栄の命日詳細
1969年(昭和44)「宇宙開発事業団法」が公布・施行され、宇宙開発事業団の設置(同年10月1日発足)が決まる詳細
1999年(平成11)「男女共同参画社会基本法」(平成11年法律78号)が公布・施行される詳細
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 今日は、明治時代中頃の1890年(明治23)に、利根川と江戸川を結ぶ利根運河(全長8.5km)の竣工式が行われた日です。
 利根運河(とねうんが)は、千葉県北西部(柏市、流山市、野田市)にある、利根川と江戸川とを結ぶ運河です。野田市関宿(せきやど)を経由する利根川水運の近道として、1888年(明治21)7月14日に、オランダ人技師ムルデルの計画に基づき、民間の利根運河株式会社によって起工され、1890年(明治23)に完成し、6月18日に竣工式が挙行されました。
 日本初の西洋式運河で、全長は約8.5km、底幅20mあり、関東平野から東京に送る物資の大動脈となります。しかし、鉄道の発達で河川交通は激減し、1931年の大水害以後水運は消滅しました。
 1965年(昭和40)に一級河川となり、現在は、緊急水道用導水路(野田導水路)となります。その後、1987年(昭和62)に、流山市立運河水辺公園が開園し、利根運河交流館、工事の中心となったオランダ人技師ムルデルの顕彰碑などもあって、行楽地ともなってきました。
 尚、2006年(平成18)度に土木学会が選奨土木遺産に、2007年(平成19)に経済産業省が近代化産業遺産に、2018年(平成30)度には、千葉県の「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」に認定されています。

〇利根運河関係略年表

・1887年(明治20)11月 太政官布告に基き、原資償却を目的に、使用料の徴收を内務省が免許し、免許を利根運河株式会社は保有することとなる
・1888年(明治21)7月14日 利根運河が起工する
・1890年(明治23)2月25日 約57万円の費用と延べ220万人により、通水する
・1890年(明治23)3月25日 通船する
・1890年(明治23)6月18日 竣工式を開催する
・1891年(明治24) 舟運は年間約37,600隻となる
・1892年(明治25)4月14日 内国通運会社(現在の日本通運)が、利根運河に初めて汽船の運河往復試運転を実施する
・1893年(明治26)4月1日 銚子汽船(後の銚子通運会社、銚子合同汽船会社)が初就航し、銚子-東京間は6時間短縮される
・1895年(明治28)2月15日 東京~銚子間の直行の汽船が就航し、東京-小名木川-江戸川-利根運河-利根川-銚子の144kmを18時間で結ぶようになる
・1896年(明治29)7月22日 台風による洪水(新潟県では横田切れが発生)で利根川と鬼怒川の合流点の河底が上がり、運河の水流が逆(利根川から江戸川へ)になった
・1896年(明治29)12月25日 日本鉄道土浦線(後の常磐線)が開通すると、それまで蒸気船で1泊2日を要した都心まで、わずか2時間で結ばれるようになる
・1897年(明治30)6月1日 銚子~東京間に総武鉄道(後の総武本線)が開通し、所要時間が従来の5分の1(4時間)となり、長距離航路は急激に衰退する
・1900年(明治33) 国の河川政策が大きく変わり、水運を優先して、水深を深して川幅を狭くしていたものの、水害対策を優先する方針に変わり、川幅を広げて堤防を高くした結果、水深が浅くなって汽船の運行が困難になる
・1914年(大正3) この時点での運河敷地面積は52町2反歩となる
・1935年(昭和10年)9月26日 台風前面の温暖前線による豪雨が襲い大洪水となる(烏川災害)
・1937年(昭和12) 舟運は年間約6,500隻程度に減少する
・1939年(昭和14)4月 利根川増補計画が内務省より告示され、運河両岸の堤防を大幅に強化するとともに、利根川と江戸川の高水位の差を利用し、高水時は本運河を利用して利根川の洪水のうち500m3/sを江戸川へ放水することとなる
・1941年(昭和16)7月22日 台風第8号により利根川からの洪水流が押し寄せ、水堰(現在の水堰橋付近)や三ヶ尾の堤防を破壊し、運河の通航はほぼ不可能となり会社は破綻する
・1941年(昭和16)12月31日 洪水対策として利根川の洪水を江戸川に分水する名目で、215,556円で国に買収され国有化される
・1942年(昭和17) 内務省第一区土木監督署江戸川増補維持事務所(現在の国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所)運河出張所が置かれる
・1943年(昭和18)1月22日 派川利根川へ改称される
・1949年(昭和24)3月 利根運河株式会社の使用料の徴收権がなくなる
・1965年(昭和40)4月1日 一級河川となる
・1972年(昭和47) 野田緊急暫定導水路工事が着工する
・1973年(昭和48) 北千葉導水路整備のため、暫定的な水路として通水が再開される
・1975年(昭和50) 利根川口の堤防撤去と、500m程下流にあった利根川との接続点の移動および野田導水機場(運河水門)の設置が行われ、派川利根川に流れが戻る
・1987年(昭和62)5月31日 流山市立運河水辺公園が開園する
・1990年(平成2)6月8日 利根運河に改称する
・2000年(平成12)4月 北千葉導水路が完成し導水路としての役目を終える
・2006年(平成18)2月 利根川水系河川整備基本方針が策定され、利根川からの500m3/sの洪水分派計画が削除される
・2006年(平成18) 土木学会が選奨土木遺産に認定する
・2007年(平成19)11月30日 経済産業省が近代化産業遺産に認定する
・2018年(平成30) 千葉県の「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」に認定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

746年(天平18)法相宗の僧玄昉の命日(新暦7月15日)詳細
1143年(康治2)第78代の天皇とされる二条天皇の誕生日(新暦7月31日)詳細
1419年(応永26)第102代の天皇とされる後花園天皇の誕生日(新暦7月10日)詳細
1723年(享保8)徳川吉宗が人材登用のための「足高の制」を制定(新暦7月19日)詳細
1877年(明治10)アメリカの動物学者モースの誕生日及び初来日の日(考古学出発の日)詳細
1940年(昭和15)吉田晁が筑摩書房を創立する詳細
1973年(昭和48)内閣が「当用漢字改訂音訓表」を告示し、音読み86、訓読み271を追加する詳細
1988年(昭和63)朝日新聞のスクープによってリクルート事件が発覚する詳細
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 今日は、平成時代の2009年(平成21)に、静岡県の牧之原市と島田市に跨る静岡空港が開港した日です。
 静岡空港(しずおかくうこう)は、静岡県の牧之原市と島田市に跨る、地方公共団体(静岡県)が設置・管理する第3種空港です。1987年(昭和62)に、島田市、旧榛原郡榛原町(牧之原市)への空港建設が決定され、1996年(平成8)に、運輸大臣が、静岡県に対して静岡空港の設置を許可し、用地買収を開始しました。
 1998年(平成10)11月20日に、静岡県が起工式を行い、本体工事に着手、2004年(平成16)に、静岡県が、国土交通省中部地方整備局長に対して「土地収用法」に基づく事業認定を申請、翌年には、これに基づく事業認定が告示されます。2006年(平成18)に、愛称が「富士山静岡空港」に決定、翌年には、明渡期限到来により、「土地収用法」に基づく申請を行ったうち空港周辺部について静岡県が権利を取得しました。
 2009年(平成21)6月4日に、暫定滑走路2,200mで開港、8月27日には、2,500mに延伸されます。開港時には、国内6路線(札幌・小松・福岡・熊本・鹿児島・沖縄)、国外2路線(ソウル・上海)の定期便が就航しました。
 しかし、2025年現在では、国内線(札幌(新千歳)、出雲、福岡、熊本、鹿児島、那覇、丘珠)8路線、国際線では、ソウル、上海をはじめとした中国各地への定期便とチャーター便が運航しています。

〇静岡空港関係略年表

・1987年(昭和62) 静岡県の新総合計画に空港整備の推進が盛り込まれる
・1987年(昭和62)12月17日 静岡県が、空港建設予定地を島田市・榛原町(当時)に決定する
・1993年(平成5)8月 静岡空港が第6次空港整備五箇年計画の新規事業となる
・1996年(平成8)7月26日 運輸大臣が、静岡県に対して静岡空港の設置を許可する
・1996年(平成8)11月 静岡県が、静岡空港の用地買収を開始する
・1998年(平成10)11月20日 静岡県が、起工式を行い静岡空港の本体工事に着手する
・2004年(平成16)11月26日 静岡県が、国土交通省中部地方整備局長に対して土地収用法に基づく事業認定を申請する
・2005年(平成17)7月 国土交通省中部地方整備局長、静岡空港について土地収用法に基づく事業認定を告示する
・2006年(平成18)1月 日本語の愛称が「富士山静岡空港」(ふじさんしずおかくうこう)に決定する
・2007年(平成19)3月 明渡期限到来により、土地収用法に基づく申請を行ったうち空港周辺部について静岡県が権利を取得、土地収用法に基づき県が申請した全ての権利を取得する
・2008年(平成20)10月22日 静岡県は滑走路近くの航空法に反する立ち木問題(滑走路西の約40本の立ち木が、制限表面以上の高さとなることが建設着手してから判明した)を受け、滑走路を短くすることを正式に決定する
・2009年(平成21)6月4日 静岡空港が開港(暫定滑走路2,200m)する
・2009年(平成21)8月27日 滑走路が2,500mに延伸、ILS運用を開始する
・2010年(平成22)4月1日 日本航空グループが静岡空港から完全撤退し、フジドリームエアラインズが札幌・福岡線の運航を開始する
・2012年(平成24)3月25日 チャイナエアラインの台北/桃園線(週3便)が就航する
・2014年(平成26)3月28日 大韓航空が旅客低迷を理由にソウル/仁川線を廃止、静岡空港から撤退する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

822年(弘仁13)平安初期の僧・日本天台宗の開祖最澄の命日(新暦6月26日)詳細
1804年(文化元)象潟地震が起こり、大きな被害が出て、景勝地象潟湖の湖底が隆起し、湖が陸地化する(新暦7月10日)詳細
1898年(明治31)直江津(現在の上越市)明治31年の大火「八幡火事」で、1,595戸が焼失する詳細
1943年(昭和18)「戦時衣生活簡素化実施要綱」が閣議決定される詳細
「食糧増産応急対策要綱」が閣議決定される詳細
1951年(昭和26)「公営住宅法」(昭和26年法律第193号)が公布(施行は同年7月1日)される詳細
1954年(昭和29)近江絹糸争議でストライキが始まる詳細
1981年(昭和56)「放送大学学園法」が国会で成立(公布・施行は同月11日)する詳細

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 今日は、昭和時代中期の1964年(昭和39)に、国鉄柳ヶ瀬線(長浜~柳ヶ瀬)がこの日限りで廃止となり、柳ヶ瀬トンネルの鉄道利用が終了した日です。
 柳ヶ瀬トンネル(やながせとんねる)は、東海道本線の支線敦賀線(その後北陸本線)という形で長浜~敦賀港間が全通した時に完成した、当時としては日本で一番長い鉄道トンネル(廃戦後は県道トンネル)で、1898年(明治31)に常磐線の旧金山トンネル(延長1,655)が完成するまで、その座にありました。1870年(明治3)に京都府は政府に対して北陸方面から京都に至る鉄道を建設することを提言、翌年に京都~敦賀間の鉄道敷設を前提とした測量を工部省に命じ、1880年(明治13)に、鉄道局は柳ケ瀬を経由するルートを諮問にかけ、建設が決まります。
 施工は藤田組が請け負い、工部省技手・長谷川謹介が担当するという日本人だけで敷設された鉄道で、このトンネルの工費は約42万5千円、4年の工期を経て、1883年(明治16)11月16日 に貫通し、翌年4月16日から運行が開始されました。しかし、この区間は敦賀から雁ヶ谷まで延々と続く片勾配(25‰)のため、 蒸気機関車は隧道内でも立ち往生することがあり、1928年(昭和3)2月6日には、トンネル内で貨車を牽引していた蒸気機関車が空転し、煤煙によって3名死亡する事故(北陸線柳ヶ瀬トンネル窒息事故)が発生しています。
 そこで、当時の国鉄はこれに代わる新線を建設する方針を決定、1957年(昭和32)10月1日には、深坂トンネルを経由する北陸本線の新線が開通し、旧線は柳ヶ瀬線に改称されてローカル列車のみを運行する路線となりました。それも、業績が振るわず「日本一の赤字線」と呼ばれるまでになり、1964年(昭和39)5月11日に廃戦になっています。
 その後、トンネルは県道用に転用されましたが、幅員が狭いため、大型車、そして自転車などの軽車両、歩行者は通行できないまま、現在に至りました。尚、このトンネルは同じ北陸線の小刀根トンネルに次いで、現存する日本で2番目に古いトンネルとなっていて、2003年(平成15)度に土木学会選奨土木遺産になり、2020年(令和2)6月19日には、小刀根トンネル、山中峠を越える旧北陸線トンネル群などと共に、日本遺産「海を越えた鉄道~世界へつながる 鉄路のキセキ~」の構成資産にもなっています。

〇鉄道トンネルとは?

 鉄道を通すために、山腹や地下などを掘り貫いた通路のことで、隧道(ずいどう)とも呼ばれています。日本の鉄道トンネルの第1号は、東海道本線の大阪~神戸間に、明治時代前期の1871年(明治4)に完成した石屋川トンネル(延長61m)で、イギリスからのお雇い外国人の設計によるものでした。
 1880年(明治13)には、東海道本線の大津市内にあった逢坂山トンネル(延長665m)を日本人の独力により建設したのです。その後、1884年(明治17)には、北陸本線の滋賀県と福井県の県境に柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m)を完成させました。
 地形が急峻で、火山の多い国土で、軟弱地盤のある中で、トンネル技術の改良研究が発達していき、1903年(明治36)には、笹子トンネル(延長4,656m)、1931年(昭和6)には、清水トンネル(延長9,702m)、1934年(昭和9)には、丹那トンネル(延長7,804m)、1944年(昭和19)には、関門トンネル(延長3,614m)などが続々と掘削されました。
 また、太平洋戦争後になると、1962年(昭和37)に、北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)、1972年(昭和47)に、山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)、1980年(昭和55)に、上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)などの長大トンネルが次々と建設されていきます。その頂点に立つのが1988年(昭和63)に開通した青函トンネル(延長53,850m)で、このトンネルは、鉄道トンネルとして世界第2位の長さ、海底トンネルとしては、世界一の長さと深さを保ってきました。

☆日本で一番長い鉄道トンネルの推移

・1871年(明治4) 東海道本線の旧石屋川トンネル(延長61m) 日本最初の鉄道トンネル
・1880年(明治13) 東海道本線の旧逢坂山トンネル(延長665m) 日本人技師だけで完成させた初の鉄道トンネル
・1884年(明治17) 旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m) 
・1898年(明治31) 常磐線の旧金山トンネル(延長1,655)
・1903年(明治36) 中央本線の笹子トンネル(延長4,656m)
・1931年(昭和6) 上越線の清水トンネル(延長9,702m)
・1962年(昭和37) 北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)
・1972年(昭和47) 山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)
・1980年(昭和55) 上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)
・1988年(昭和63) 北海道新幹線の青函トンネル(延長53,850m) 世界一の海底トンネル

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

892年(寛平4)菅原道真が『類聚国史』を撰進する(新暦6月2日)詳細
1863年(文久3)長州藩が下関海峡に碇泊中のアメリカ商船に砲撃し、下関事件が始まる(新暦6月25日)詳細
1871年(明治4)「新貨条例」が公布され、「円・銭・厘」の十進法が採用される(新暦6月27日)詳細
1895年(明治28)三国干渉により遼東半島を清に返還する旨の「遼東半島還付の詔勅」が出される詳細
1900年(明治33)『鉄道唱歌』第一集東海道篇が発行される詳細
1930年(昭和5)日本画家下村観山の命日詳細
1949年(昭和24)シヤウプ使節団のシャウプ博士、ヴィックリ一博士、ハットフィールド氏が来日する詳細
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