
『明暗』(めいあん)は、夏目漱石著の最後の長編小説で、『朝日新聞』に、大正時代の1916年(大正5)5月26日~12月14日まで、188回にわたって連載されましたが、作者死亡により未完に終わり、翌年1月に岩波書店から刊行されいいます。結婚したばかりの主人公津田由雄と妻お延の円満とは言えない夫婦関係を中心に様々な人間関係が描かれ、人間のエゴイズムに迫っている作品でした。
近代の毒を浴びた人間性の深層を浮彫りにしていて、日本の近代文学が到達しえたリアリズム小説の最高峰とされています。
〇夏目漱石(なつめ そうせき)とは?
明治時代後期から大正時代に活躍した日本近代文学を代表する小説家です。1867年(慶応3)1月5日に、江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区)で、代々名主であった家の父・夏目小兵衛直克、母・千枝の五男として生まれましたが、本名は金之助といいました。
成立学舎を経て大学予備門(東京大学教養学部)から、1890年(明治23)に帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)英文学科に入学します。卒業後、松山で愛媛県尋常中学校(現在の松山東高校)の教師、熊本で第五高等学校(現在の熊本大学)の教授などを務めた後、1900年(明治33年)からイギリスへ留学しました。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、1905年(明治38)から翌年にかけて『我輩は猫である』を『ホトトギス』に発表し、一躍文壇に登場することになります。その後、『倫敦塔』、『坊つちやん』、『草枕』と続けて作品を発表し、文名を上げました。
1907年(明治40)に、東京朝日新聞社に専属作家として迎えられ、職業作家として、『三四郎』、『それから』、『門』、『こころ』などを執筆し、日本近代文学の代表的作家となります。しかし、『明暗』が未完のうち、1916年(大正5)12月9日に、東京において、50歳で亡くなりました。
☆夏目漱石の主要な著作
・『我輩は猫である』(1905~06年)
・『倫敦塔』(1905年)
・『幻影(まぼろし)の盾』(1905年)
・『坊つちやん』(1906年)
・『草枕』(1906年)
・『虞美人草』(1907年)
・『三四郎』(1908年)
・『それから』 (1909年)
・『門』 (1910年)
・『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』(1912年)
・『行人(こうじん)』(1912~13年)
・『こゝろ』(1914年)
・『道草』(1915年)
・『明暗』(1916年)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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1857年(安政4) | 下田奉行とハリスが「日米和親条約」を修補する「日米約定」を締結する(新暦6月17日) | 詳細 |
1933年(昭和8) | 文部省は「文官分限令」により、京都帝大瀧川幸辰教授の休職処分を強行(滝川事件) | 詳細 |
1942年(昭和17) | 日本文学報国会(会長徳富蘇峰)が設立される | 詳細 |
1950年(昭和25) | 獅子文六が「朝日新聞」に『自由学校』の連載を開始する | 詳細 |
1969年(昭和44) | 東名高速道路が全線開通する(東名高速道路全線開通記念日) | 詳細 |
1977年(昭和52) | 小説家・劇作家藤森成吉の命日 | 詳細 |
1980年(昭和55) | 「明日香村保存特別措置法」が公布・施行される | 詳細 |