ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 教育・文化

gattkoukyushyokuhattshyouno
 今日は、明治時代の中頃の1889年(明治22)に、私立忠愛小学校(現在の山形県鶴岡市)で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供し、学校給食の最初とされた日です。
 学校給食(がっこうきゅうしょく)は、児童、生徒の心身の健全な発達と国民の食生活の改善をはかるために、学校教育活動の一環として集団的に実施される給食のことです。日本では、明治時代の中頃の1889年(明治22)に、現在の山形県鶴岡市の市立忠愛小学校で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供したのが始まりとされてきました。
 大正時代末頃から主に貧困児童の就学奨励策として、小規模ながら全国的に実施されたものの、太平洋戦争中は、食料不足で多くが中止されています。戦後の1946年(昭和21)に、文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まりました。
 翌年1月に、主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始され、1948年(昭和23)4月23日には、文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表します。翌年に、ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始され、1950年(昭和25)には、8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施されました。
 1954年(昭和29)6月3日に、「学校給食法」が公布・施行され、義務教育諸学校などに適用されます。1956年(昭和31)には、高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められ,翌年には盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定されました。
 1970年(昭和45)1月19日に、学校給食に米飯が許可され、1976年(昭和51)には、学校給食制度上に米飯が正式に導入されます。その後、2005年(平成17)には、学校給食を教材として活用し、食に関する指導の充実をはかるため、栄養教諭制度が創設されました。

〇学校給食関係略年表

・1889年(明治22)1月24日 現在の山形県鶴岡市の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供したのが始まり
・1923年(大正12) 文部次官通牒「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が奨励される
・1929年(昭和4) この年までに学校給食を実施した学校は全国で204校、経費は約2万9,000円に及ぶ
・1932年(昭和7)9月 文部省が訓令「学校給食臨時施設方法」を制定し、給食のための設備が初めて法制化される
・1939年(昭和14) 昭和13年度の給食実施校が約1万2,000校、給食を提供された人数は約60万人(実人数)、給食費は約150万円に及ぶ
・1941年(昭和16) 学校給食は貧困児童の救済・児童の栄養改善に向けて全国に広がり、内容の充実が図られるも、太平洋戦争による食糧不足のため、学校給食は中止となる
・1944年(昭和19) 6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・味噌等を特別配給して学校給食を実施、4月1日に6大都市の国民学校学童に1食7勺の給食が始まり、9月1日にパン食のみになる
・1946年(昭和21) 文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まる
・1947年(昭和22)1月 主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始される
・1948年(昭和23)4月23日 文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表する
・1949年(昭和24) ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始される
・1950年(昭和25) 8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施される
・1951年(昭和26) 講和条約の調印に伴い、給食用物資の財源であったガリオア資金(アメリカの占領地域救済政府資金)が6月末日をもって打ち切られ、学校給食は中止の危機にさらされる
・1952年(昭和27) 日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務を開始、また、ユニセフ寄贈の脱脂粉乳の受入配分業務も実施される
・1954年(昭和29) 「学校給食法」が公布・施行され、日本の学校給食は第二のスタートを切る
・1956年(昭和31) 高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められる
・1957年(昭和32) 盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定され、全国学校給食会連合会が発足する
・1958年(昭和33) 農林次官通達「学校給食用牛乳供給事業実施要綱」に伴い、文部省管理局長より「学校給食用牛乳取扱要領」が通知され、学校給食に牛乳が供給される
・1958年(昭和33)10月1日 「学習指導要領」が改訂され、学校給食が初めて学校行事などの領域に位置付けられる
・1960年(昭和35) 学校給食研究改善協会が設立され、「へき地における学校給食助成事業」が開始される
・1961年(昭和36) へき地におけるミルク給食施設設備費及び夜間定時制高等学校夜食費に対する補助制度が設けられる
・1962年(昭和37) 文部省より財団法人として学校給食研究改善協会が認可される
・1963年(昭和38) 脱脂粉乳に対する国庫補助(100グラム4円)が実現し、ミルク給食の全面実施が推進される
・1964年(昭和39) 国が共同調理場に勤務する学校栄養職員の設置に要する人件費の2分の1を補助することになる
・1966年(昭和41) 高度へき地学校の全児童生徒に対し、全学国庫補助により、パン・ミルクの無償給食が実施される
・1968年(昭和43) 「小学校学習指導要領」の改正に伴い、小学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置づけられる
・1969年(昭和44) 「中学校学習指導要領」の改正に伴い、中学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置付けられる
・1970年(昭和45)1月19日 学校給食に米飯が許可される
・1974年(昭和49) 教育的専門職員として「学校栄養職員」の名称地位が制度上明確になる
・1976年(昭和51) 学校給食制度上に米飯が正式に導入される
・1986年(昭和61) 「学校栄養職員の職務内容について」が文部省体育局長より通知される
・1989年(平成元) 「小学校学習指導要領」、「中学校学習指導要領」が改正され、学校給食は「特別活動」の中の「学級活動」に位置づけられる
・1995年(平成7) 学校給食用脱脂粉乳の輸入自由化に伴い、関税暫定措置法等関係法令が改正され、従来の輸入割当制度から関税割当制度に移行される
・1996年(平成8)7月18日 文部省が「学校給食における衛生管理の改善に関する調査研究協力者会議」を設置し、夏季緊急点検、抽出による食材の点検等が実施される
・1997年(平成9) 「学校給食衛生管理の基準」が定められる
・2004年(平成16) 「学校教育法の一部を改正する法律」が公布され、栄養教諭の役割が明記される
・2005年(平成17)4月、栄養教諭制度がスタートする
・2005年(平成17)6月 「食育基本法」が公布(7月より施行)される
・2006年(平成18) 食育推進基本計画が策定される
・2007年(平成19) 「食に関する指導の手引」が作成される
・2008年(平成20) 中教審答申にて「食育」の必要性が明記される
・2009年(平成21) 「学校給食法」が改正施行され、その目的が「食育」の観点から見直される
・2011年(平成23) 内閣府より公益財団法人として学校給食研究改善協会が認定される
・2012年(平成24) 文部科学省から「学校給食調理従事者研修マニュアル」が発行される
・2013年(平成25) 文部科学省から「学校給食施設・設備の改善事例集」が発行される
・2014年(平成26) 学校給食における食物アレルギー対応に関する調査研究協力者会議から「今後の学校給食における食物アレルギー対応について」最終報告が出る
・2015年(平成27) 文部科学省より「学校給食における食物アレルギー対応指針」が発行される
・2016年(平成28) 文部科学省より小学生用食育教材「たのしい食事つながる食育」が発行される
・2017年(平成29) 文部科学省より「栄養教諭を中核としたこれからの学校の食育」が発行される
・2018年(平成30) 文部科学省「学校給食実施基準」一部改正施行される
・2019年(平成31)3月 文部科学省「食に関する指導の手引(第二次改定版)」発行される

☆学校給食法(がっこうきゅうしょくほう)とは?

 学校給食および学校給食を活用した食に関する指導の実施に関して必要な事項を定めた法律(昭和29年法律第160号)でした。義務教育諸学校における学校給食の実施に関する根拠法律で、「学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。」(第1条)と規定されます。
 学校設置者は学校給食の実施について努力しなければならないとされ、その食の経費については、施設設備費や関係職員の給与費などは設置者が、それ以外は児童生徒の保護者が負担するものとし、国はそれらの経費の一部を補助することができるとしていました。しかし、2009年(平成21)4月1日の改正で、日本における一般的な食生活の現状に鑑み同文言は削除され、かわって「食に関する正しい理解と適切な判断力を養う」点が盛り込まれています。

☆「学校給食法」(昭和29年法律第160号)1954年(昭和29)6月3日公布・施行

 (この法律の目的)

第一条 この法律は、学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。

 (学校給食の目標)

第二条 学校給食については、小学校における教育の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
 一 日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。
 二 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。
 三 食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図ること。
 四 食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。

 (定義)

第三条 この法律で「学校給食」とは、前条各号に掲げる目標を達成するために、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に定める小学校、盲学校、ろう学校又は養護学校(以下「小学校等」と総称する。)において、その児童に対し実施される給食をいう。

 (小学校等の設置者の任務)

第四条 小学校等の設置者は、当該小学校等において学校給食が実施されるように努めなければならない。

 (国及び地方公共団体の任務)

第五条 国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない。

 (経費の負担)

第六条 学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、小学校等の設置者の負担とする。
2 前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童の保護者(学校教育法第二十二条第一項に規定する保護者をいう。)の負担とする。

 (国の補助)

第七条 国は、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、学校給食の開設に必要な施設又は設備に要する経費の一部を補助することができる。

 (補助の申請等)

第八条 小学校等の設置者は、前条の規定により国の補助を受けようとする場合においては、政令で定めるところにより、文部大臣に補助金の交付申請書を提出しなければならない。
2 文部大臣は、前項の規定により補助金の交付申請書の提出を受けたときは、補助金を交付するかしないかを決定し、その旨を当該小学校等の設置者に通知しなければならない。

 (補助金の返還等)

第九条 文部大臣は、前条第二項の規定により補助金の交付の決定を受けた者が左の各号の一に該当するときは、補助金の交付をやめ、又はすでに交付した補助金を返還させるものとする。
 一 補助金を補助の目的以外の目的に使用したとき。
 二 正当な理由がなくて補助金の交付の決定を受けた年度内に補助に係る施設又は設備を設けないこととなつたとき。
 三 補助に係る施設又は設備を、正当な理由がなくて補助の目的以外の目的に使用し、又は文部大臣の許可を受けないで処分したとき。
 四 補助金の交付の条件に違反したとき。
 五 虚偽の方法によつて補助金の交付を受け、又は受けようとしたとき。

 (小麦等の売渡し)

第十条 国が、食糧管理特別会計の負担において買い入れた小麦又はこれを原料として製造した小麦粉を、農林大臣が文部大臣と協議して定める売渡計画に従い、食糧管理法(昭和十七年法律第四十号)の定めるところにより、学校給食用として売り渡す場合における売渡しの予定価格は、食生活の改善のため必要があるときは、食糧管理法第四条ノ三第二項の規定にかかわらず、農林大臣が定める価格によるものとする。

 (小麦等の用途外使用の禁止)

第十一条 前条に規定する小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者、その者から当該小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者及びこれらの者のために当該小麦又は小麦粉を保管する者は、当該小麦又は小麦粉を学校給食以外の用途に供する目的で譲渡し、又は学校給食以外の用途に使用してはならない。

 (報告の徴取)

第十二条 文部大臣又は農林大臣は、第十条に規定する売渡計画の立案又は実施のため必要があるときは、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、学校給食に関し必要な事項の報告を求めることができる。

 (政令への委任)

第十三条 この法律に規定するもののほか、この法律の実施のため必要な手続その他の事項は、政令で定める。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。
2 食糧管理特別会計法(大正十年法律第三十七号)の一部を次のように改正する。
  附則第七項中「麦ノ売渡」を「麦ノ売渡及学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)第十条ノ規定ニ依ル小麦又ハ小麦粉ノ売渡」に改める。

(大蔵・文部・農林・内閣総理大臣署名) 

   「衆議院ホームページ」より

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 今日は、奈良時代の745年(天平17)に、民間僧・行基が大僧正になった日ですが、新暦では2月26日となります。
 行基(ぎょうき)は、社会事業に尽力した法相宗の僧です。飛鳥時代の668年(天智天皇7)に、河内国(後に和泉国に分立)大鳥郡(現在の大阪府)において、渡来した王仁の子孫にあたる父・高志才智、母・蜂田古爾比売の長子として生まれました。
 682年(天武天皇11)に大官大寺で得度を受け出家し、法行と称し、691年(持統天皇5年)には、戒師の葛城山高宮寺徳光禅師のもとで受戒、『瑜伽師地論』、『成唯識論』などの経典を学び、たちまち理解したと伝えられています。その後、薬師寺で義淵らについて法相を学び、名を行基と改め、8世紀初め頃までは山林修行に力を注ぎました。
 704年(大宝4年)に、生家を家原寺に改め、母と大和国の佐紀堂で暮らすものの、43歳で母を亡くします。3年間の忌服を終え、諸国を遊歴して、民衆の教化と社会事業に専念し、弟子を連れて民衆と共に道路・堤防・橋や寺院の建設にあたりました。
 また、旅の途上で餓死する人を救うため布施屋(旅人の休息所)を多数造立したとされます。しかし、717年(養老元)に、その活動は百姓をまどわすとして一時禁圧されたものの、後に許されました。
 738年(天平10年)に、朝廷より「行基大徳」の諡号が授けられ、740年(天平12年)には、聖武天皇に依頼され東大寺盧舎那仏像(大仏)建立に協力します。743年(天平15年)に、絶大な民衆への影響力により、大仏造営費の勧進に起用され、その功もあって、745年(天平17)には、朝廷より仏教界における最高位である「大僧正」の位を授与されました。
 749年(天平21年2月2日)に、奈良の菅原寺において、82歳で亡くなりましたが、生前から菩薩と仰がれ,死後は行基信仰が生まれたとされます。

〇行基の主要な社会事業とされるもの

<貯水池>
・久米田池(大阪府岸和田市) 
・狭山池(大阪狭山市)
・永寿池(大阪府貝塚市)
・鶴田池(大阪府堺市)
・蓮の池(兵庫県神戸市長田区)
・香盤池(兵庫県明石市)
・昆陽池(兵庫県伊丹市)

<橋>
・泉橋(木津川)
・山崎橋(淀川)
・高瀬橋(淀川)
・行基橋(福岡県沖端川)

<港>

・河尻泊(兵庫県尼崎市神崎町)
・大輪田泊(兵庫県神戸市兵庫区)
・魚住泊(兵庫県明石市大久保町)
・韓泊(兵庫県姫路市的形町)
・室生泊(兵庫県たつの市御津町室津)

<布施屋>
・泉寺布施屋(京都府木津川市)
・大江布施屋(京都府京都市)
・垂氷布施屋(大阪府吹田市)
・樟葉布施屋(大阪府枚方市)
・大鳥布施屋(大阪府堺市)
・野中布施屋(大阪府堺市)
・石原布施屋(大阪府堺市)
・度布施屋(大阪府大阪市)
・昆陽布施屋(兵庫県伊丹市)

☆行基関係略年表(日付は旧暦です)

・668年(天智天皇7年) 河内国(後に和泉国に分立)大鳥郡(現在の大阪府)において、渡来した王仁の子孫にあたる父・高志才智、母・蜂田古爾比売の長子として生まれる
・682年(天武天皇11年) 15歳で、大官大寺で得度を受け出家し、法行と称する
・691年(持統天皇5年) 24歳で、戒師の葛城山高宮寺徳光禅師のもとで受戒する
・704年(大宝4年) 生家を家原寺に改め、母と大和国の佐紀堂で暮らす
・717年(養老元年4月23日) 行基の活動は百姓をまどわすとして一時禁圧される
・730年(天平2年9月)、平城京の東の丘陵(天地院と推定)で妖言を吐き、数千人から多い時には1万人を集めて説教し、民衆を惑わしているとされる
・738年(天平10年) 朝廷より「行基大徳」の諡号が授けられる
・740年(天平12年) 聖武天皇に依頼され東大寺盧舎那仏像(大仏)建立に協力する
・741年(天平13年3月) 聖武天皇が恭仁京郊外の泉橋院で行基と会見する
・743年(天平15年) 東大寺の大仏像造営の勧進に起用される
・745年(天平17年1月21日) 朝廷より仏教界における最高位である「大僧正」の位を授与される
・749年(天平21年2月2日) 奈良の菅原寺において、82歳で亡くなる

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 大正時代末頃から主に貧困児童の就学奨励策として、小規模ながら全国的に実施されたものの、太平洋戦争中は、食料不足で多くが中止されています。戦後の1946年(昭和21)に、文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まりました。
 翌年1月に、主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始され、1948年(昭和23)4月23日には、文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表します。翌年に、ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始され、1950年(昭和25)には、8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施されました。
 1954年(昭和29)6月3日に、「学校給食法」が公布・施行され、義務教育諸学校などに適用されます。1956年(昭和31)には、高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められ,翌年には盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定されました。
 1970年(昭和45)1月19日に、学校給食に米飯が許可され、1976年(昭和51)には、学校給食制度上に米飯が正式に導入されます。その後、2005年(平成17)には、学校給食を教材として活用し、食に関する指導の充実をはかるため、栄養教諭制度が創設されました。

〇学校給食関係略年表

・1889年(明治22) 現在の山形県鶴岡市の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供したのが始まり
・1923年(大正12) 文部次官通牒「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が奨励される
・1929年(昭和4) この年までに学校給食を実施した学校は全国で204校、経費は約2万9,000円に及ぶ
・1932年(昭和7)9月 文部省が訓令「学校給食臨時施設方法」を制定し、給食のための設備が初めて法制化される
・1939年(昭和14) 昭和13年度の給食実施校が約1万2,000校、給食を提供された人数は約60万人(実人数)、給食費は約150万円に及ぶ
・1941年(昭和16) 学校給食は貧困児童の救済・児童の栄養改善に向けて全国に広がり、内容の充実が図られるも、太平洋戦争による食糧不足のため、学校給食は中止となる
・1944年(昭和19) 6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・味噌等を特別配給して学校給食を実施、4月1日に6大都市の国民学校学童に1食7勺の給食が始まり、9月1日にパン食のみになる
・1946年(昭和21) 文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まる
・1947年(昭和22)1月 主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始される
・1948年(昭和23)4月23日 文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表する
・1949年(昭和24) ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始される
・1950年(昭和25) 8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施される
・1951年(昭和26) 講和条約の調印に伴い、給食用物資の財源であったガリオア資金(アメリカの占領地域救済政府資金)が6月末日をもって打ち切られ、学校給食は中止の危機にさらされる
・1952年(昭和27) 日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務を開始、また、ユニセフ寄贈の脱脂粉乳の受入配分業務も実施される
・1954年(昭和29) 「学校給食法」が公布・施行され、日本の学校給食は第二のスタートを切る
・1956年(昭和31) 高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められる
・1957年(昭和32) 盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定され、全国学校給食会連合会が発足する
・1958年(昭和33) 農林次官通達「学校給食用牛乳供給事業実施要綱」に伴い、文部省管理局長より「学校給食用牛乳取扱要領」が通知され、学校給食に牛乳が供給される
・1958年(昭和33)10月1日 「学習指導要領」が改訂され、学校給食が初めて学校行事などの領域に位置付けられる
・1960年(昭和35) 学校給食研究改善協会が設立され、「へき地における学校給食助成事業」が開始される
・1961年(昭和36) へき地におけるミルク給食施設設備費及び夜間定時制高等学校夜食費に対する補助制度が設けられる
・1962年(昭和37) 文部省より財団法人として学校給食研究改善協会が認可される
・1963年(昭和38) 脱脂粉乳に対する国庫補助(100グラム4円)が実現し、ミルク給食の全面実施が推進される
・1964年(昭和39) 国が共同調理場に勤務する学校栄養職員の設置に要する人件費の2分の1を補助することになる
・1966年(昭和41) 高度へき地学校の全児童生徒に対し、全学国庫補助により、パン・ミルクの無償給食が実施される
・1968年(昭和43) 「小学校学習指導要領」の改正に伴い、小学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置づけられる
・1969年(昭和44) 「中学校学習指導要領」の改正に伴い、中学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置付けられる
・1970年(昭和45)1月19日 学校給食に米飯が許可される
・1974年(昭和49) 教育的専門職員として「学校栄養職員」の名称地位が制度上明確になる
・1976年(昭和51) 学校給食制度上に米飯が正式に導入される
・1986年(昭和61) 「学校栄養職員の職務内容について」が文部省体育局長より通知される
・1989年(平成元) 「小学校学習指導要領」、「中学校学習指導要領」が改正され、学校給食は「特別活動」の中の「学級活動」に位置づけられる
・1995年(平成7) 学校給食用脱脂粉乳の輸入自由化に伴い、関税暫定措置法等関係法令が改正され、従来の輸入割当制度から関税割当制度に移行される
・1996年(平成8)7月18日 文部省が「学校給食における衛生管理の改善に関する調査研究協力者会議」を設置し、夏季緊急点検、抽出による食材の点検等が実施される
・1997年(平成9) 「学校給食衛生管理の基準」が定められる
・2004年(平成16) 「学校教育法の一部を改正する法律」が公布され、栄養教諭の役割が明記される
・2005年(平成17)4月、栄養教諭制度がスタートする
・2005年(平成17)6月 「食育基本法」が公布(7月より施行)される
・2006年(平成18) 食育推進基本計画が策定される
・2007年(平成19) 「食に関する指導の手引」が作成される
・2008年(平成20) 中教審答申にて「食育」の必要性が明記される
・2009年(平成21) 「学校給食法」が改正施行され、その目的が「食育」の観点から見直される
・2011年(平成23) 内閣府より公益財団法人として学校給食研究改善協会が認定される
・2012年(平成24) 文部科学省から「学校給食調理従事者研修マニュアル」が発行される
・2013年(平成25) 文部科学省から「学校給食施設・設備の改善事例集」が発行される
・2014年(平成26) 学校給食における食物アレルギー対応に関する調査研究協力者会議から「今後の学校給食における食物アレルギー対応について」最終報告が出る
・2015年(平成27) 文部科学省より「学校給食における食物アレルギー対応指針」が発行される
・2016年(平成28) 文部科学省より小学生用食育教材「たのしい食事つながる食育」が発行される
・2017年(平成29) 文部科学省より「栄養教諭を中核としたこれからの学校の食育」が発行される
・2018年(平成30) 文部科学省「学校給食実施基準」一部改正施行される
・2019年(平成31)3月 文部科学省「食に関する指導の手引(第二次改定版)」発行される

☆学校給食法(がっこうきゅうしょくほう)とは?

 学校給食および学校給食を活用した食に関する指導の実施に関して必要な事項を定めた法律(昭和29年法律第160号)でした。義務教育諸学校における学校給食の実施に関する根拠法律で、「学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。」(第1条)と規定されます。
 学校設置者は学校給食の実施について努力しなければならないとされ、その食の経費については、施設設備費や関係職員の給与費などは設置者が、それ以外は児童生徒の保護者が負担するものとし、国はそれらの経費の一部を補助することができるとしていました。しかし、2009年(平成21)4月1日の改正で、日本における一般的な食生活の現状に鑑み同文言は削除され、かわって「食に関する正しい理解と適切な判断力を養う」点が盛り込まれています。

☆「学校給食法」(昭和29年法律第160号)1954年(昭和29)6月3日公布・施行

 (この法律の目的)

第一条 この法律は、学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。

 (学校給食の目標)

第二条 学校給食については、小学校における教育の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
 一 日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。
 二 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。
 三 食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図ること。
 四 食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。

 (定義)

第三条 この法律で「学校給食」とは、前条各号に掲げる目標を達成するために、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に定める小学校、盲学校、ろう学校又は養護学校(以下「小学校等」と総称する。)において、その児童に対し実施される給食をいう。

 (小学校等の設置者の任務)

第四条 小学校等の設置者は、当該小学校等において学校給食が実施されるように努めなければならない。

 (国及び地方公共団体の任務)

第五条 国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない。

 (経費の負担)

第六条 学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、小学校等の設置者の負担とする。
2 前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童の保護者(学校教育法第二十二条第一項に規定する保護者をいう。)の負担とする。

 (国の補助)

第七条 国は、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、学校給食の開設に必要な施設又は設備に要する経費の一部を補助することができる。

 (補助の申請等)

第八条 小学校等の設置者は、前条の規定により国の補助を受けようとする場合においては、政令で定めるところにより、文部大臣に補助金の交付申請書を提出しなければならない。
2 文部大臣は、前項の規定により補助金の交付申請書の提出を受けたときは、補助金を交付するかしないかを決定し、その旨を当該小学校等の設置者に通知しなければならない。

 (補助金の返還等)

第九条 文部大臣は、前条第二項の規定により補助金の交付の決定を受けた者が左の各号の一に該当するときは、補助金の交付をやめ、又はすでに交付した補助金を返還させるものとする。
 一 補助金を補助の目的以外の目的に使用したとき。
 二 正当な理由がなくて補助金の交付の決定を受けた年度内に補助に係る施設又は設備を設けないこととなつたとき。
 三 補助に係る施設又は設備を、正当な理由がなくて補助の目的以外の目的に使用し、又は文部大臣の許可を受けないで処分したとき。
 四 補助金の交付の条件に違反したとき。
 五 虚偽の方法によつて補助金の交付を受け、又は受けようとしたとき。

 (小麦等の売渡し)

第十条 国が、食糧管理特別会計の負担において買い入れた小麦又はこれを原料として製造した小麦粉を、農林大臣が文部大臣と協議して定める売渡計画に従い、食糧管理法(昭和十七年法律第四十号)の定めるところにより、学校給食用として売り渡す場合における売渡しの予定価格は、食生活の改善のため必要があるときは、食糧管理法第四条ノ三第二項の規定にかかわらず、農林大臣が定める価格によるものとする。

 (小麦等の用途外使用の禁止)

第十一条 前条に規定する小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者、その者から当該小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者及びこれらの者のために当該小麦又は小麦粉を保管する者は、当該小麦又は小麦粉を学校給食以外の用途に供する目的で譲渡し、又は学校給食以外の用途に使用してはならない。

 (報告の徴取)

第十二条 文部大臣又は農林大臣は、第十条に規定する売渡計画の立案又は実施のため必要があるときは、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、学校給食に関し必要な事項の報告を求めることができる。

 (政令への委任)

第十三条 この法律に規定するもののほか、この法律の実施のため必要な手続その他の事項は、政令で定める。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。
2 食糧管理特別会計法(大正十年法律第三十七号)の一部を次のように改正する。
  附則第七項中「麦ノ売渡」を「麦ノ売渡及学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)第十条ノ規定ニ依ル小麦又ハ小麦粉ノ売渡」に改める。

(大蔵・文部・農林・内閣総理大臣署名) 

   「衆議院ホームページ」より

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 今日は、明治時代前期の1873年(明治6)に、「学制」に基づいた日本で最初の小学校、東京師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)が設立された日です。
 学制(がくせい)は、明治時代前期の1872年9月4日(明治5年8月2日)に、明治新政府から発布された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令です。その序文として「學事獎勵ニ關スル被仰出書」が出され、教育理念が示されました。
 その内容は、四民平等の原則に立って、封建時代の儒教的教育理念を否定し、個人主義、実学主義を教育の原理としたものです。そして、国民皆学を目ざし、立身出世の財本としての学問の普及を理念として、全国を8大学区、1大学区を32中学区、1中学区を210小学区に編成、大学区に大学、中学区に中学、小学区に小学校、各1校ずつを設置しようとし、文部省の中央集権的管理を目ざしました。
 翌年1月15日に、これに基づいた日本で最初の小学校、東京師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)が設立されています。しかし、義務教育は8年と定められていましたが、費用は住民の負担にしたため、学制に反対する一揆が起こり、1879年(明治12)に廃止になり、「教育令」に切り換えられました。
 以下に、「學事獎勵ニ關スル被仰出書」と「学制」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「學事獎勵ニ關スル被仰出書」 (全文) 1872年9月4日(明治5年8月2日)発布

學事獎勵ニ關スル被仰出書(學制序文)

太政官布告第二百十四號(明治五壬申年八月二日)

朕人々自ラ其身ヲ立テ、其産ヲ治メ[1]、其業ヲ昌ニシテ[2]、以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、身ヲ脩メ[3]、智ヲ開キ、才藝[4]ヲ長スルニヨルナリ。而テ其身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルハ學ニアラサレハ能ハス。是レ學校ノ設アル所以ニシテ日用常行[5]、言語、書算[6]ヲ初メ、士官・農商・百工・技藝及ヒ法律・政治・天文・醫療等ニ至ル迄、凡人ノ營ムトコロノ事、學アラサルハナシ。人能ク其才ノアル所ニ應シ、勉勵シテ之ニ從事シ、而シテ後初テ生ヲ治メ[7]、産ヲ興シ、業ヲ昌ニスルヲ得ヘシ。サレハ學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ、人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ。夫ノ道路ニ迷ヒ、飢餓ニ陷リ、家ヲ破リ、身ヲ喪ノ徒ノ如キハ、畢竟[8]不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ。從來學校ノ設アリテヨリ年ヲ歴ルコト久シト雖トモ、或ハ其道ヲ得サルヨリシテ人其方向ヲ誤リ、學問ハ士人以上ノ事トシ、農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ、之ヲ度外[9]ニヲキ學問ノ何物タルヲ辨セス。又士人以上ノ稀ニ學フ者モ、動モスレハ國家ノ爲ニスト唱ヘ、身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ、或ハ詞章[10]記誦[11]ノ末ニ趨リ、空理[12]虚談[13]ノ途ニ陷リ、其論高尚[14]ニ似タリト雖トモ、之ヲ身ニ行ヒ事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス。是即チ沿襲[15]ノ習弊[16]ニシテ文明普ネカラス。才藝ノ長セスシテ、貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ。是故ニ人タルモノハ學ハスンハ有ヘカラス。之ヲ學フニハ宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス。之ニ依テ、今般文部省[17]ニ於テ學制ヲ定メ、追々敎則[18]ヲモ改正シ、布告ニ及フヘキニツキ、自今以後、一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子 必ス邑ニ不學ノ戸[19]ナク、家ニ不學ノ人[20]ナカラシメン事ヲ期ス。人ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認[21]シ、其愛育ノ情ヲ厚クシ、其子弟ヲシテ必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ。 高上ノ學ニ至テハ其人ノ材能ニ任カスト雖トモ幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ、國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ、學費及其衣食ノ用ニ至ル迄多ク官ニ依頼シ、之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト思ヒ、一生ヲ自棄[22]スルモノ少カラス。是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ。自今以後此等ノ弊ヲ改メ、一般ノ人民他事ヲ抛チ[23]自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心得ヘキ事
右之通被仰出候條、地方官ニ於テ邊隅[24]小民[25]ニ至ル迄不洩樣、便宜解譯ヲ加ヘ、精細申諭文部省規則ニ隨ヒ、學問普及致候樣、方法ヲ設可施行事。

「法令全書」より

【注釈】

 [1]産ヲ治め:さんをおさめ=生計を立てていくこと。
 [2]業ヲ昌ニシテ:ぎょうをさかんにして=家業を盛んにして。
 [3]身ヲ修メ:みをおさめ=自分の行いや心を整え正して。
 [4]才藝:さいげい=才能と技芸。
 [5]日用常行:にちようじょうこう=普段の行動。
 [6]書算:しょさん=読み・書き・そろばん(算数)のこと。
 [7]生ヲ治メ:せいをおさめ=暮らしの道を立てる。
 [8]畢竟:ひっきょう=結局。要するに。
 [9]度外:どがい=範囲の外。考えの外。対象外。
 [10]詞章:ししょう=詩歌や文章。
 [11]記誦:きしょう=記憶しておいて、そらで唱えること。暗唱。
 [12]空理:くうり=現実とかけ離れた、役に立たない理論
 [13]虚談:きょだん=事実に基づかない話。根も葉もない話。つくりばなし。
 [14]高尚:こうしょう=知性や品性の程度が高いこと。気高くて、立派なこと。
 [15]沿襲:えんしゅう=古くからのならわしに従う。
 [16]習弊:しゅうへい=昔からの悪いならわし。
 [17]文部省:もんぶしょう=教育・学業・文化行政の中央行政官庁。
 [18]教則:きょうそく=教育課程・教授法の基準。
 [19]不學ノ戸:ふがくのこ=子供を学校に行かせない家。
 [20]不學ノ人:ふがくのひと=学校に行かない人。
 [21]體認:たいにん=認識すること。
 [22]自棄:じき=自分からだめにすること。自分の身を粗末にして顧みないこと。すてばちになること。
 [23]抛チ:なげうち=捨てる。惜しげもなく差し出す。放棄してかえりみない。
 [24]邊隅:へんぐう=都から遠く離れた土地。辺境。
 [25]小民:しょうみん=一般人民。庶民。

<現代語訳>

 学事奨励に関する仰せ出だされ書

人々が自分自身でその身を立て、その生計を立て、その家業を盛んにして、そのようにしてその一生を成就することができるものはというと、それは他でもない、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことによるものである。そうして、その、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことは、学ばなければ不可能である。これが学校を設置する理由であり、日常普段の行動、言語・読み書き・算数を始め、役人・農民・商人・いろいろな職人・技芸に関わる人、ならびに法律・政治・天文・医療等に至るまで、だいたい人の営むところで学ぶ事によらないものはない。人間はよくその才能のあるところに応じて勉励して学問に従事し、その後に初めて自分の暮らしの道を立て、資産を増やし、家業を盛んにすることができるであろう。従って、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人間たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか、いやない。その、路頭に迷い、飢餓にはまり、家を破産させ、身を滅ぼすような人たちは、要するに学ばなかったことによって、このような過ちをもたらしたのである。これまで学校が設置されてから長い年月が経過しているとはいっても、あるいはその方法が正しくないことによって人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人がすることと考え、農業・工業・商業に就く人、及び女性や子供に至っては、学問を対象外のものとし、学問がどういうものであるか考えていない。また、武士階級以上の人でまれに学問する者があっても、場合によると学問は国家のためにするのだと唱え、学問が身を立てる基礎であることを知らないで、ある者は詩歌や文章を暗唱するなどの瑣末なことに走ったり、現実とかけ離れた役に立たない理論や事実に基づかない話に陥り、その言っている論理は知性や品性の程度が高いように見えるけれども、これを自分自身が行ったり、実施したりすることができないものが、少なくない。これはつまり、長い間従ってきた古くからの悪い習わしであって、文明が普及せず、才能と技芸が上達しないために、貧乏や破産、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人間は学問をしなければならないのである。これを学ぶためには、ぜひともその趣旨を誤ってはならない。こういう理由で、このたび文部省で学制を定め、順々に教則を改正し布告していくことになるだろうから、今から後は、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子供)は、必ず村に子供を学校に行かせない家がなく、家には学校に行かない人がいないようにしたい。人の父兄である者は、よくこの趣旨を認識し、その子弟を慈しみ育てる気持ちを厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならない。上級の学校については、その人の才能に任せるが、幼い子弟は男女の別なく、小学校に通わせないことは、その父兄の落ちどであることになること。

ただし、これまでの長期間の悪習となっている学問は武士階級以上の人のことであり、そして学問は国家のためにすることだと唱えることにより、学費及びその衣類・食事の費用に至るまで、多くを官に依拠して、これを給付してくれるのでなければ学問はしないと思い、一生自分の身を粗末にして顧みない者が少なくない。これは皆どうしたらよいか戸惑っていることの甚しいものである。今から以後は、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げうって自分から奮闘して必ず学問に従事させるように心得るべきであること。

右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、辺境の庶民に至るまで漏らすことのないよう、その時々に応じ、意義を説明してやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及していくように、方法を考えて施行すべきであること。

〇「学制」

大中小学区之事

第一章 全国ノ学政ハ之ヲ文部一省ニ統フ

第二章 全国ヲ大分シテ八大区トス之ヲ大学区ト称シ毎区大学校一所ヲ置ク

第三章 大学区ノ分別左ノ如シ
 第一大区
 東京府 神奈川県 埼玉県 入間県 木更津県 足柄県 印旛県 新治県 茨城県 群馬県 栃木県 宇都宮県 山梨県 静岡県
 計一府十三県東京府ヲ以テ大学本部トス
 第二大区
 愛知県 額田県 浜松県 犬上県 岐阜県 三重県 度会県
 計七県愛知県ヲ以テ大学本部トス
 第三大区
 石川県 七尾県 新川県 足羽県 敦賀県 筑摩県
 計六県石川県ヲ以テ大学本部トス
 第四大区
 大阪府 京都府 兵庫県 奈良県 堺県 和歌山県 飾磨県 豊岡県 高知県 名東県 香川県 岡山県 滋賀県
 計二府十一県大阪府ヲ以テ大学本部トス
 第五大区
 広島県 鳥取県 島根県 北条県 小田県 石鉄県 神山県 山口県 浜田県
 計九県広島県ヲ以テ大学本部トス
 第六大区
 長崎県 佐賀県 八代県 白川県 美々津県 都城県 鹿児島県 小倉県 大分県 福岡県 三潴県
 計十一県長崎県ヲ以テ大学本部トス
 第七大区
 新潟県 柏崎県 置賜県 酒田県 若松県 長野県 相川県
 計七県新潟県ヲ以テ大学本部トス
 第八大区
 青森県 福島県 磐前県 水沢県 岩手県 秋田県 山形県 宮城県
 計八県青森県ヲ以テ大学本部トス
 総計三府七十二県

第四章 北海道ハ当分第八大区ヨリ之ヲ管ス他日別ニ区分スヘシ

第五章 一大学区ヲ分テ三十二中区トシ之ヲ中学区ト称ス区毎ニ中学校一所ヲ置ク全国八大区ニテ其数二百五十六所トス

第六章 一中学区ヲ分テ二百十小区トシ之ヲ小学区ト称ス区毎ニ小学校一所ヲ置ク一大区ニテ其数六千七百二十所全国ニテ五万三千七百六十所トス

第七章 中学区以下ノ区分ハ地方官其土地ノ広狭人口ノ疎密ヲ計リ便宜ヲ以テ郡区村市等ニヨリ之ヲ区分スヘシ

第八章 一中区内学区取締十名乃至十二三名ヲ置キ一名ニ小学区二十或ハ三十ヲ分チ持タシムヘシ此学区取締ハ専ラ区内人民ヲ勧誘シテ務テ学ニ就カシメ且学校ヲ設立シ或ハ学校ヲ保護スヘキノ事或ハ其費用ノ便用ヲ計ル等一切其受持所ノ小学区内ノ学務ニ関スル事ヲ担任シ又一中区内ニ関スル事ハ互ニ相論議シ専ラ便宜ヲ計リ区内ノ学事ヲ進歩セシメンヿヲ務ムヘシ

第九章 学区取締ハ地方官ニ於テ之ヲ命スヘシ
 但其人名ハ本省督学局ニ届クヘシ督学局ハ第十五章ニ見ユ

第十章 学区取締ハ其土地ノ居民名望アル者ヲ撰ムヘシ
 但戸長里正等ヲシテ兼ネシムルモ妨ケナシトス

第十一章 学区取締給料ハ当分其土地ノ情態ニヨリテ之ヲ定ムヘシ此給料ハ土地ヨリ出スヘキモノトス然トモ事実止ヲ得サルモノハ姑ク官ヨリ其幾分ヲ助給スヘシ

第十二章 一般人民華士族[2]農工商及婦女ノ学ニ就クモノハ之ヲ学区取締ニ届クヘシ若シ子弟六歳以上ニ至リテ学ニ就カシメサルモノアラハ委シク其由ヲ学区取締ニ届ケシムヘシ私塾家塾ニ入リ及ヒ已ムヲ得サル事アリテ師ヲ其家ニ招キ稽古セシムルモ皆就学ト云フヘシ

第十三章 学区取締ハ毎年二月区内人民子弟六歳以上ナルモノヽ前年学ニ就モノ幾人学ニ就カサルモノ幾人ト第一号ノ式ノ如ク表ヲ作リ之ヲ地方官ニ出シ地方官之ヲ集メテ四月中督学局ニ出スヘシ

第十四章 官立私立ノ学校及私塾家塾ヲ論セス其学校限リ定ムル所ノ規則及生徒ノ増減進否等ヲ書記シ毎年二月学区取締ニ出スヘシ学区取締之ヲ地方官ニ出シ地方官之ヲ集メテ四月中督学局ニ出スヘシ
 学校ヨリ出ス書記ハ三紙トシ一紙ハ学区取締ニ留置キ一紙ハ地方官ニ留メ一紙ハ督学局ニ出スヲ法トス
 大学及外国教師アル校ニ於テハ直ニ地方官督学局ニ出スモ妨ケナシ
 但大学及外国教師アル校ニ於テモ学区取締其心得ノ為メ規則並ニ生徒ノ増減進否等ヲ知ランヿヲ求メハ丁寧ニ之ヲ告クヘシ

第十五章 大学本部毎ニ督学局一所ヲ設ケ督学ヲ置キ附属官員数名之ニ充テ本省ノ意向ヲ奉シ地方官ト協議シ大区中ノ諸学校ヲ督シ及教則ノ得失生徒ノ進否等ヲ検査シ論議改正スルヿアルヘシ
 但大事ハ決ヲ本省ニ取リ小事ハ其時々之ヲ本省ニ開申スヘシ

第十六章 督学局ニ於テハ毎年学区取締ヨリ出ス所ノ表並ニ諸学校ヨリ出ス所ノ書記トヲ以テ学校及生徒進歩ノ状態並ニ六歳以上ノ男女学ニ就クモノ幾人就カサルモノ幾人等ノ表ヲ製シ本省ニ送リ本省ニテ之ヲ上梓公告スヘシ

第十七章 督学局ハ総テ地方官ト協議スヘシトイヘトモ直ニ学区取締ヲ呼出シ本局ノ意向ヲ諭示スルヿアルヘシ

第十八章 地方官ハ総テ督学局ニ協議スヘシ
 但督学局完全ナラサルノ間ハ総テ本省ニ申出ツヘシ

第十九章 地方官ニ於テハ学務専任ノ吏員一二名ヲ置キ部内ノ学事ヲ担任セシムヘシ其人名ハ兼テ本省並ニ督学局ニ届ケ置クヘシ

○学校ノ事

第二十章 学校ハ三等ニ区別ス大学中学小学ナリ学校教則書ハ別冊アリ

○小学

第二十一章 小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスンハアルヘカラサルモノトス之ヲ区分スレハ左ノ数種ニ別ツヘシ然トモ均ク之ヲ小学ト称ス即チ尋常小学女児小学村落小学貧人小学小学私塾幼稚小学ナリ

第二十二章 幼稚小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学ニ入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ

第二十三章 小学私塾ハ小学教科ノ免状アルモノ私宅ニ於テ教ルヲ称スヘシ

第二十四章 貧人小学ハ貧人子弟ノ自活シ難キモノヲ入学セシメン為ニ設ク其費用ハ富者ノ寄進金ヲ以テス是専ラ仁恵ノ心ヨリ組立ルモノナリ仍テ仁恵学校トモ称スヘシ

第二十五章 村落小学ハ僻遠ノ村落農民ノミアリテ教化素ヨリ開ケサルノ地ニ於テ其教則ヲ少シク省略シテ教ルモノナリ或ハ年巳ニ成長スルモノモ其生業ノ暇来リテ学ハシム是等ハ多ク夜学校アルヘシ

第二十六章 女児小学ハ尋常小学教科ノ外ニ女子ノ手芸ヲ教フ

第二十七章 尋常小学ヲ分テ上下二等トス此二等ハ男女共必ス卒業スヘキモノトス教則別冊アリ
 下等小学教科
 一 字綴 読並盤上習字
 二 習字 字形ヲ主トス
 三 単語 読
 四 会話 読
 五 読本 解意
 六 修身 解意
 七 書牘 解意並盤上習字
 八 文法 解意
 九 算術 九々数位加減乗除但洋法ヲ用フ
 十 養生法講義
 十一 地学大意
 十二 理学大意
 十三 体術
 十四 唱歌 当分之ヲ欠ク
 上等小学ノ教科ハ下等小学教科ノ上ニ左ノ条件ヲ加フ
 一 史学大意
 二 幾何学罫画大意
 三 博物学大意
 四 化学大意
 其他ノ形情ニ因テハ学科ヲ拡張スル為メ左ノ四科ヲ斟酌シテ教ルヿアルヘシ
 一 外国語学ノ一二
 二 記簿法
 三 画学
 四 天球学
 下等小学ハ六歳ヨリ九歳マテ上等小学ハ十歳ヨリ十三歳マテニ卒業セシムルヲ法則トス但事情ニヨリ一概ニ行ハレサル時ハ斟酌スルモ妨ケナシトス

第二十八章 右ノ教科順序ヲ蹈マスシテ小学ノ科ヲ授ルモノ之ヲ変則小学ト云フ
 但私宅ニ於テ之ヲ教ルモノハ之ヲ家塾トス

○中学

第二十九章 中学ハ小学ヲ経タル生徒ニ普通ノ学科ヲ教ル所ナリ分テ上下二等トス二等ノ外工業学校商業学校通弁学校農業学校諸民学校アリ此外廃人学校アルヘシ
 下等中学教科
 一 国語学
 二 数学
 三 習字
 四 地学
 五 史学
 六 外国語学
 七 理学
 八 画学
 九 古言学
 十 幾何学
 十一 記簿法
 十二 博物学
 十三 化学
 十四 修身学
 十五 測量学
 十六 奏楽 当分缺ク
 上等中学教科
 一 国語学
 二 数学
 三 習字
 四 外国語学
 五 理学
 六 罫画
 七 古言学
 八 幾何代数学
 九 記簿法
 十 化学
 十一 修身学
 十二 測量学
 十三 経済学
 十四 重学
 十五 動植地質鉱山学
 下等中学ハ十四歳ヨリ十六歳マテ上等中学ハ十七歳ヨリ十九歳マテニ卒業セシムルヲ法則トス

第三十章 当今中学ノ書器未タ備ラス此際在来ノ書ニヨリテ之ヲ教ルモノ或ハ学業ノ順序ヲ蹈マスシテ洋語ヲ教ヘ又ハ医術ヲ教ルモノ通シテ変則中学ト称スヘシ
 但私宅ニ於テ教ルモノハ之ヲ家塾トス

第三十一章 当今外国人ヲ以テ教師トスル学校ニ於テハ大学教科ニ非サル以下ハ通シテ之ヲ中学ト称ス

第三十二章 私宅ニアリテ中学ノ教科ヲ教ルモノ教師タルヘキ証書ヲ得ルモノハ中学私塾ト称スヘシ其免状ナキモノハ之ヲ家塾トス

第三十三章 諸民学校ハ男子十八歳女子十五歳以上ノモノニ生業ノ間学業ヲ授ケ又十二歳ヨリ十七歳マテノ者ノ生業ヲ導カンカ為メ専ラ其業ヲ授ク故ニ多ク夜分ノ稽古アラシムヘシ

第三十四章 農業学校ハ小学ヲ経テ農業ヲ治メントスルモノヽ為ニ設ク

第三十五章 通弁学校ハ専ラ通弁ノ事ヲ主トス或ハ商人等交易ノ為メ専ラ通弁ノミヲ志スモノ此校ニ入ル
 但外国教師アリト雖トモ只語学ノミヲ教ル者ハ之ヲ通弁学校ト称ス

第三十六章 商業学校ハ商用ニ係ルヿヲ教フ海内繁盛ノ地ニ就テ数所ヲ設ク

第三十七章 工業学校ハ諸工術ノヿヲ教フ

○大学

第三十八章 大学ハ高尚ノ諸学ヲ教ル専門科ノ学校ナリ其学科大略左ノ如シ
 理学 化学 法学 医学 数理学

第三十九章 小学校ノ外師範学校アリ此校ニアリテハ小学ニ教ル所ノ教則及其教授ノ方法ヲ教授ス当今ニ在リテ極メテ要急ナルモノトス此校成就スルニ非サレハ小学ト雖トモ完備ナルヿ能ハス故ニ急ニ此校ヲ開キ其成就ノ上小学教師タル人ヲ四方ニ派出センヿヲ期ス

○教員ノ事

第四十章 小学教員ハ男女ヲ論セス年齢二十歳以上ニシテ師範学校卒業免状或ハ中学免状ヲ得シモノニ非サレハ其任ニ当ルヿヲ許サス

第四十一章 中学校教員ハ年齢二十五歳以上ニシテ大学免状ヲ得シモノニ非サレハ其任ニ当ルヿヲ許サス

第四十二章 大学校教員ハ学士ノ称ヲ得シモノニ非サレハ許サス

以上三章ハ其目的ヲ示ス数年ノ後ヲ待テ之ヲ行フヘシ後章ハ現今ノ位ニ応シテ之ヲ許スモノトス

第四十三章 私学私塾及家塾ヲ開カント欲スル者ハ其属籍住所事歴及学校ノ位置教則等ヲ詳記シ学区取締ニ出シ地方官ヲ経テ督学局ニ出スヘシ

第四十四章 私学私塾教員タルモノ総テ規則ニ違ヒ或ハ不行状アル時ハ之ヲ譴責シ又ハ之ヲ止メシムルヿアルヘシ

第四十五章 師範学校ニ於テ教授ヲ受ケタル教員ハ他ノ職務ヲ兼ネ及他ニ転スヘカラサルヲ法トス

第四十六章 小学教員ハ男女ノ差別ナシ其才ニヨリ之ヲ用フヘシ

第四十七章 教員生徒ヲ教授スルノ功他ニ秀越スルモノアル時ハ公私学校私塾ヲ問ハス督学局地方官ト協議シ之ヲ本省ニ乞テ之ニ褒賞ヲ与フ

生徒及試業ノ事

第四十八章 生徒ハ諸学科ニ於テ必ス其等級ヲ蹈マシムルヿヲ要ス故ニ一級毎ニ必ス試験アリ一級卒業スル者ハ試験状ヲ渡シ試験状ヲ得ルモノニ非サレハ進級スルヲ得ス

第四十九章 生徒学等ヲ終ル時ハ大試験アリ小学ヨリ中学ニ移リ中学ヨリ大学ニ進ム等ノ類
 但大試験ノ時ハ学事関係ノ人員ハ勿論其請求ニヨリテハ他官員トイヘトモ臨席スルヿアルヘシ

第五十章 私学私塾生徒モ其義前二章ニ同シ

第五十一章 試験ノ時生徒優等ノモノニハ褒賞ヲ与フルヿアルヘシ

第五十二章 生徒ノ内学業鋭敏後来大成スヘキノ目的アレトモ学資ヲ納ルヿ能ハス及其衣食ヲ給スルヿ能ハサルモノニハ費用ヲ給貸スルヿアルヘシ但成業ノ後年割ヲ以テ之ヲ償フトモ或ハ官ニ奉事シテ使役ヲ受ルトモ命ニ随フヘキノ証書ヲ出サシメ年限ヲ定メ其費用ヲ貸与ス是ヲ三等ニ分ツ年割ヲ以テ償ヒ還スハ其学業ヲ離テ五年ノ後ヨリスヘシ病死等アルトキハ之ヲ棄ツ
 公費ヲ受ル二年ノ者
 同三年ノ者
 同五年ノ者
 此生徒八大区ニ平分シテ全国千五百人ト限ル故ニ缺員アルニ非サレハ増加スルヿヲ得ス
 二年公費ヲ受クル者ハ官ニ使役スルヿ四年償還スルハ六年ヲ以テス
 三年ノ者ハ使役七年償還九年
 五年ノ者ハ使役十一年償還十五年
 此生徒一人ノ費用一年百二十両一切官ニ於テ之ヲ賄フ
 但使役ノ間ハ相当ノ歳俸ヲ給スルハ勿論タルヘシ若其役ヲ奉セサルモノハ前ノ官費ヲ償フヘシ

第五十三章 私学私塾生徒モ其義前章ニ同シ

第五十四章 生徒ニ費用ヲ給貸スルニハ其父兄及本人ヨリ証書ヲ出サシメ且其修業シタル学科ノ証書ヲ出サシム検査法及証書式等ハ別冊アリ

第五十五章 生徒ニ費用ヲ給貸スルニハ其学業ヲ授ケシ教師ヨリ其生徒学業鋭敏後来大ニ成ルヘキノ目的アルノ状並ニ其曽テ進級セシ処ノ学科ノ証書ヲ具ヘ幾年ノ公費ヲ給スヘキ云々等教師見込ヲ詳記シ之ヲ督学局ニ達スヘシ校長アル校ニ在テハ校長[2]其見込ヲ添ヘ之ヲ達スヘシ督学局之ヲ地方官ニ議シ其貧困ノ状ヲ詳ニシ而シテ後其学業ヲ試験シ本省ヘ申達スヘシ
 但此生徒ハ公私大中小学ニ抅ハラス且試験ハ地方官学務掛立会ヲ以テ法トスヘシ

第五十六章 師範学校ノ生徒ハ第五十二章ニ定ムル所ノ生徒員数ノ内ヨリ之ヲ採ルヘシ
 但当今設クル所ノ師範学校ノ生徒ハ此限ニアラス

第五十七章 第五十二章ニ定ム所ノ生徒ノ外ニ公撰生ヲ設ク此ノ公撰生ハ他日之ヲ論定ス

海外留学生規則ノ事

第五十八章 海外留学生徒ハ都テ本省ニ於テ之ヲ管轄ス

第五十九章 留学免状ハ本省ニ於テ渡スヘシ
 但渡海免状ハ外務省ヨリ受取リ相渡スヘシ

第六十章 留学中諸般ノ事件ハ弁務使ヘ依頓シ其指令ニ従フヘシ且生徒ノ中人撰ノ上生徒総代ノ者一人或ハ幾人弁務使ヨリ申付ヘシ

第六十一章 留学ニ官撰ト私願トノ別アリ官私共都テ本省ニ於テ之ヲ達スヘシ

第六十二章 官撰留学生ヲ撰ムニ二等ノ差アリ一ヲ初等留学生トシ一ヲ上等留学生トス

第六十三章 初等留学生ハ中学卒業ノモノヨリ撰ム上等留学生ハ大学ノ学科卒業ノモノヨリ撰ム

第六十四章 初等留学生ハ禀性誠実達敏ニシテ十九歳以上二十五歳迄ノ者小学初級ヨリ順次進級シ中学ノ課程ヲ卒業セシ証書アルモノヲ公ニ撰挙スヘシ
但国内大学校ニ入リテ研業センヿヲ願フ者ハ撰ニ当ル人トイヘトモ[1]其情願ニ任スヘシ

第六十五章 初等留学生ヲ撰ムニハ其学業ヲ授ケシ教師ヨリ生徒中学卒業試験ノ証書ヲ具ヘ其撰挙見込ヲ詳記シ之ヲ督学局ニ達ス督学局之ヲ試験シ甲第ノモノハ即チ其試験ノ始末ヲ詳記シ本省ニ出シ其允可ヲ得ルヲ法トス
 但試験ノ時ハ本省官員ハ勿論其請求ニヨリテハ他官員タリトモ臨席スルヿアルヘシ

第六十六章 官撰留学生ハ第六十四章第六十五章ニ定ル所ノ規則ニ随ヒ其進級ノ順序確実ニシテ後来成業ノ目的アルニ於テハ生徒公私ノ差別アルヿナシ

第六十七章 官撰留学生ノ学科ハ官ヨリ命スヘシト雖モ当人ノ望ミト其教師ノ見込トニヨルヿアルヘシ故ニ当人ノ望ミ其ノ科ヲ修業スルニアレハ教師ノ思考果シテ適当スルヤ否ヲ詳記シ試験ノ節教師ヨリ之ヲ出スヲ法トス
 但此記載ハ両紙ヲ出スヘシ一紙ハ之ヲ本省ニ留メ一紙ハ之ヲ弁務使ニ遣ハス

第六十八章 官撰留学生外国ヘ着セハ某地ニアリテ某ノ学校ニ入リ某ノ人ニ従テ某科ヲ学フ等ノ事ヲ詳記シ本省ヘ届クヘシ
 但シ八ケ月ヲ越テ其報ナキ時ハ即弁務使ニ掛合ヒ呼戻スヘシ

第六十九章 官撰留学生ハ外国ニアリテ学科進級ノ時ハ必ス本省ニ届クヘシ

第七十章 官撰留学生帰 朝ノ時ハ某外国ニアリテ研業セシ所ノ状ヲ具シ本省ヘ出スヘシ本省ニ於テ之ヲ試験スルヲ法トス
 但外国ニ於テ大学卒業ノ免状アルモノハ試験ニ及ハス

第七十一章 大学校ニ於テ専門ノ学科ヲ卒業セシモノハ官撰ヲ以テ順次順次トハタトヘハ大学科卒業ノモノ幾人アルニ教師試験ヲナシ其内甲第ノモノ一人若クハ二人ヲ採リテ上等生ノ撰ニ当ツヘシ而シテ下第ノモノハ半年若クハ一年ヲ経テ前ノ如ク撰擢スルヲ云フ海外ニ派出シ其業ヲシテ一層精密錬熟セシム是ヲ上等留学生トス

第七十二章 初等留学生ハ通常年限満五年ニ過クヘカラス

第七十三章 上等留学生ハ通常年限満三年トスヘシ

第七十四章 初等留学生ハ一年ノ定員百五十人ト定ム

第七十五章 上等留学生ハ定員ナシトイヘトモ多キモ三十人ニ過クヘカラス

第七十六章 大学設置ノ日ニ当ツテ中等留学生ヲ設クルハ其時ニヨルヘシ

第七十七章 初等留学生学資
 初二年 九百ドルラル
 但止ムヲ得ス都下ニ滞在スヘキモノハ千ドルラルヲ給スヘシ
 後三年 千ドルラル
 但往返途中旅費ハ定限ノ外タリ支度料ハ上程前学資一ケ月分ニ当ル高ヲ賜フ

第七十八章 上等留学生学資
 千五百ドルラルヨリ千八百ドルラル迄
 但往返旅費支度料前章ニ同シ

第七十九章 私願留学生ハ官費ニ拘ラストイヘトモ学科上ニ於テハ官撰留学生ニ准スヘシ唯精密ノ検査ヲ受ケサルノミ

第八十章 留学私願ノモノハ其教師ヨリ見込ヲ詳記スルヿ第六十五章ノ如クシ之ヲ本省ニ出スヘシ本省ニ於テ其見込書ヲ以テ検査ノ上可否スヘシ
 但研業セシ所ノ学科規則ニ入ラサルモノハ留学ノ名義ヲ免サス

第八十一章 私願留学ハ年限其人ノ望ミニ任スヘシ
 但一ケ年大概六七百ドルラル以上ヲ費スニ非サレハ留学為シ難キヲ以テ其員数ヲ出スヿ能ハサルモノハ之ヲ許サス

第八十二章 留学中居所転換ハ官私共止ムヲ得サル事故アルニ非サレハ容易ニ許サス必弁務使ノ指揮ヲ待ヘシ

第八十三章 留学中疾病事故等アルトキハ其費別ニ弁務使ヨリ受取リ私費留学ノモノハ此地ニ於テ之ヲ本省ヘ上納スヘシ

第八十四章 公費ノ生徒ハ上程ノ節学費一年分ヲ渡シ翌年ヨリハ前半年分米国ハ前年九月欧洲ハ前年七月後半年分米国ハ其年ノ三月欧洲ハ其年ノ正月本省ヨリ弁務使ヘ迴送スヘシ私費ノモノモ之ニ同シ故ニ私費ノ分ハ前以テ本省ニ納ムヘシ

第八十五章 官撰留学生ハ帰 朝ノ上必官ニ奉職スルカ又ハ官費ヲ償還スルカ共ニ命ニ随フヘキノ証書ヲ出スヿ等第五十二章ニ同シ
 但奉職十一年償還十五年ヲ限トス

第八十六章 生徒留学中言行ヲ慎ミ学業ヲ勉メ国体ヲ汚サヽルヤウ日夜心ヲ用ユヘシ若シ懶惰或ハ不行状ニシテ前途ノ見込之ナキモノハ直ニ之ヲ呼戻スヘシ

第八十七章 其地ノ弁務使ニ於テ常ニ生徒ヲ監視シ毎年生徒ノ勤惰進退等明細表ヲ作リ之ヲ本省ヘ送リ即本省ニ於テ上梓公告スヘシ

第八十八章 時ニ因テ留学ノ定規ヲ変スヘキ件々ハ本省ト弁務使ト絶ヘス往復商量シテ之ヲ改ムヘシ

○学費ノ事

第八十九章 学事ニ関係スル官金ハ定額ニヨリ本省ニ於テ一切之ヲ管知スルヿ
 但教育ノ設ハ人々自ラ其身ヲ立ルノ基タルヲ以テ其費用ノ如キ悉ク政府ノ正租ニ仰クヘカラサル論ヲ待タス且広ク天下ノ人々ヲシテ必ス学ニ就カシメンヿヲ期スレハ政府正租ノ悉ク給スル所ニアラス然レトモ方今ニアツテ人民ノ智ヲ開クヿ極メテ急務ナレハ一切ノ学事ヲ以テ悉ク民費ニ委スルハ時勢未タ然ル可カラサルモノアリ是ニ因テ官力ヲ計リ之ヲ助ケサルヲ得ストイヘトモ官ノ助ケアルヲ以テ従来ノ弊ニ依著ス可ラス御布告ニヨル

第九十章 凡人民ヲシテ学ニ就カシムル勉メテ広普ナルヲ欲ス故ニ官金ヲ以テ学事ヲ助クルモノノ如キハ必民ノ及ハサルモノヲ助クルニアリ決シテ偏重ノ事アルヘカラス士ヲ学ハシメテ農工商ヲ学ハシメス或ハ富者ニ衣食ヲ給シテ学ハシメ貧ナル者学フヿヲ得ス或ハ一人ニ数百金ヲ費ヤシテ学ハシメ衆人学フヿヲ得サル類ノ如キヿ有ルヘカラス

第九十一章 生徒衣食ノ費用或ハ官金ヲ以テ之ニ給シ以テ当然トス是従来ノ弊ナリ公私学校ノ生徒衣食ノ用ヲ供スルヿ一切之ヲ廃止スヘシ

第九十二章 当今学事ヲ助クルニ官金ヲ以テスルモノ左ノ目的ノ外ニ出ツヘカラス
 一外国教師ノ俸給並ニ外国人ニ係ル費用方今才芸ヲ進ムルニハ外国芸術ノ実用ヲ採ルニアリ即外国教師ヲ仮ラサルヲ得ス而シテ[24]此俸給ハ生徒弁シ得ルヿ能ハス仍テ官ヨリ之ヲ助ク
 一大学校ノ営繕及大学校ニ備フヘキ書籍器械学校営繕ノ如キハ完全ナルニ非サレハ姑息ノ弊止マスシテ生徒ノ学業ヲ妨クル甚多シタトヒ完全ナラスト雖トモ其費用少シトセス究理舎密其他百工技術必器械ヲ以テ之ヲ教授ス此等ノ費生徒悉ク弁シ得ル能ハス仍テ官ヨリ之ヲ助ク
 一中学校ニ於テモ前ニ同シ
 一生徒ニ費用ヲ給貸スルノ費第五十二章ヲ見合スヘシ及留学生公撰生ノ費用
 一学区ヲ助クル費第九十八章第九十九章第百章ニ載スル所ヲ見合スヘシ

第九十三章 諸学校ニ於テ需ツ所ノ費用ノ条件左ノゴトシ
 一教師ノ歳俸或ハ其居宅ノ屋賃
 一学区取締給料
 一学校僕役入費
 一学校造営及修理ノ入費或ハ人家ヲ借テ学校トスル時ハ其借賃
 一学校諸器械教授器械或ハ修覆
 一学校ニ用ル薪炭油筆紙墨ノ費
 一試業ノ入用
 一体術器械ノ入用
 此数件ノ全費ハ生徒之ヲ弁スヘキモノナリ然レトモ悉ク生徒ヨリ出サシムルトキハ生徒ノ力及ハスシテ学業之力為ニ滞稽スヘシ故ニ官ヨリ之ヲ助クト雖トモ生徒固ヨリ幾分ノ受業料ヲ納メサル可ラス

第九十四章 大学校ニアリテハ生徒ノ受業料一月七円五十銭ヲ相当トス外ニ六円四円ノ二等ヲ設ケ相当ノ受業料ヲ納ル能ハサルモノヽ為ニス中学校ニアリテハ一月五円五十銭ヲ相当トス外ニ三円五十銭二円ノ二等ヲ設ク小学校ニアリテハ一月五十銭ヲ相当トス外ニ二十五銭ノ一等ヲ設ク
 但相当ノ受業料ヲ納ル能ハサルモノハ戸長里正之ヲ証シ学区取締ヲ経テ其学校ニ出シ許可ヲ受クヘシ

第九十五章 一家二人ノ子弟ヲ学校ニ入ル者ハ戸長若クハ里正ノ証ヲ待タスシテ其由ヲ陳シ下等ノ受業料ヲ納ムヘシ三人以上アル時ハ二人ノ外受業料ヲ出スニ及ハス

第九十六章 諸学校に於テハ第九十四章定ル所ノ受業料ヲ以テ便宜ヲ計リ其学校ヲ保護スルヿヲ要スヘシ然レトモ生徒ノ多少ト学校ノ高下トニヨツテ其保護スルノ費過不足ヲ生スヘシコレハ其校ノ情態ニ応シ少シク受業料ヲ斟酌スルヿ妨ケナシトス
 但大学校及外国教師アル中学校ニ於テハ多分ノ不足生スルハ言ヲ待タス是官ノ助カアル所以トイヘトモ各校ノ情態同ラサルモノアルヲ以テ之ニ応シ亦少シク受業料ヲ糾酌スルヿアルヘシ中小学校トイヘトモ学区人民ノ貧富等ニヨツテハ少シク斟酌スルモ妨ケナシ

第九十七章 定ル所ノ受業料ハ当今ニアリテ一概ニ行ハレサル事アラハ便宜ニ随ヒ各区ノ情態及学校ノ事情ニヨリテ暫ク下等ヨリ少ク定ムルヿアルヘシ

第九十八章 凡学校ヲ設立シ及之ヲ保護スルノ費用ハ中学ハ中学区ニ於テシ小学ハ小学区ニ於テ其責ヲ受クルヲ法トス故ニ官金ヲ以テ之ヲ助クルモノハ学区ヲ助クルモノナリ区ノ情態ニヨリ人口ニ平均シ毎年出金セシムルカ或ハ一時富人ヨリ出金セシムルカ或ハ地方ニテ旧来ノ積金等学校ニ費ヤシテ妨ケナキモノアルトキハ其金ヲ以テ融通セシムルカ其他幾様ノ便宜ハ土地ノ事情ニ随フヘシ

第九十九章 教育ヲシテ普及ナラシメンカ為メ府県ニ委托シ其学区ヲ助クルノ金額左ノ如シ
 人員男女共一万人ニ付━━━━━━ノ割
 金━━━━━━━━━━━両三府七十二県
 此金高━━ハ其三分ノ二ヲ出シ━━━迄学区其他今般定ル所ノ規則ヲ立ツ可キノ基礎ヲ定ムヘシ基礎巳ニ定ツテ此全額ヲ出ス
 此金額ハ━━━ヨリ向五ケ年━━━ヲ一期トシテ之ヲ定ム一期以後ノ増減ハ其時ノ議決ニヨルヘシ
 此金ノ遣払ハ毎年六ケ月毎ニ詳記シ本省ヘ届クヘシ本省ニ於テ委シク上梓公告スヘシ

第百章 前章定ムル所ノ金額ハ務テ民力ノ及ハサル所ヲ助クルヲ以テ目的トス是故ニ尋常容易ノ事ニ使用スヘカラス
 但此金専ヲ小学ヲ広普シテ学則完整ナラシムルカ為ニ用フヘシタトヘハ小学校ヲ設立セシメン為学区積金ノ幾分ヲ助ケ学区ニ托シ其使用ヲ為スヿ学区貧ニシテ力足ラサル時其幾分ヲ助クルヿ止ムヲ得サル情故アリテ小学教師ヲ官ヨリ遣ス時其給俸ヲ助クルヿ貧困ノ生徒受業料ヲ出スヿ能ハサルモノニ其幾分ヲ助クルヿ完全ノ学校ヲ設クル為メ其営繕等ノ用ヲ一時融通スルヿ器械書籍体術等ヲ備フル為メ一時融通スルヿ学区取締ノ給料幾分ヲ助クルヿ等

第百一章 額金ノ内五分ヲ引キ別ニ之ヲ備ヘ置キ師範学校ニ於テ教授ヲ受ケシモノ後来小学ノ教師トナル時ニ其給料ヲ与フルノ助ケトスヘシ
 但此俸給ハ学区ニ於テ弁スヘキモノトイヘトモ[1]現今ノ事情イマタ茲ニ至ラサルモノアルヲ以テ官暫ク之ヲ助ケサルヲ得ス

第百二章 当今外国教師アル学校ヲ保護スルノ費用ハ本省ヨリ直ニ之ヲ管理ス地方官其情状ヲ具シテ本省ニ達スヘシ私ニ外国人ヲ雇入タル学校ハ此限ニアラス

第百三章 将来大中学ヲ設ケ及之ヲ保護スルノ費用モ前ニ同シ
 但其教員アルヲ待テ追々設立スヘシ

第百四章 変則中小学費用ハ地方官ノ見込ニヨリ之ヲ処分スヘシ
 但其事実ヲ具シ本省ニ届クヘシ

第百五章 凡大中小学校ノ営繕ハ公私共務テ完全ナルヲ期ス若目前ノ速成ヲ欲シテ事姑息ニ渉ラハ到底得ル所ナカルヘシ故ニ其力ヲ計リ今年其一ヲナシ明年其二ヲナシ順次進歩数年ヲ期シテ全国ノ完整ニ至ルヲ要ス
 但生徒学業ノ事ニ至リテハ一日モ忽ニスヘカラストイヘトモ広ク全局ヲ見テ宜ク本末順序ヲ誤ルヘカラス

第百六章 本省定額金ノ遣払ハ毎年七月中明細ニ記シ上梓公告スヘシ

第百七章 諸学校ニ於テ毎年費ス所ノ金額ハ学校ノ実情ニヨリテ之ヲ定ムヘシ其公私共遣払ハ第二号式ノ如ク明細表ヲ製シ毎年二月七月督学局ニ出スヘシ

第百八章 器械書籍ハ学校必要ノモノトス心ヲ用ヒテ完備セシメスンハアル可ラス諸学校所在ノ書器ハ第三号式ノ如ク表ニ製シ毎年二月中督学局ニ出スヘシ

第百九章 凡諸学校ノ設立スル必ス維持保護ノ目的ヲ要ス即第四号式ノ如ク表ニ製シ毎年二月中督学局ニ出スヘシ

 明治五年壬申七月

 (別表略)

  「ウイキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1772年(明和9)田沼意次が江戸幕府の老中に就任(田沼時代)する(新暦2月18日)詳細
1862年(文久2)坂下門外の変が起きる(新暦2月13日)詳細
1872年(明治5)彫刻家平櫛田中の誕生日(新暦2月23日)詳細
1899年(明治32)雑誌「反省雑誌」を「中央公論」と改題して発足する詳細
1936年(昭和11)日本がロンドン海軍軍縮会議からの脱退を通告する詳細
1940年(昭和15)静岡大火が起こり、5,275戸を焼失、死者1名、負傷者788名を出す詳細
1961年(昭和36)横浜マリンタワーが開館する詳細
1974年(昭和49)長崎県の端島炭鉱(軍艦島)が閉山する詳細
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 今日は、昭和時代中期の1940年(昭和15)に、津田事件で、津田左右吉が記紀研究の主要4著作に関して、右翼から訴えられ早稲田大学教授辞任に追い込まれた日です。
 津田事件(つだじけん)は、昭和時代前期の1940年(昭和15)2月10日に、歴史学者津田左右吉の『古事記及日本書記の研究』、『神代史の研究』、『日本上代史研究』、『上代日本の社会及思想』の4冊の著書が発禁処分となり、3月8日に津田と発行者岩波茂雄が出版法第26条違反の疑いで起訴され、1942年(昭和17)5月21日に有罪判決を受けた事件です。1939年(昭和14)末に津田の『古事記及日本書記の研究』を蓑田胸喜らが雑誌「原理日本」で“大逆思想”にあたると攻撃、これを受けて、検察当局はただちに行動を開始しました。
 翌年1月11日には早稲田大学文学部教授を解任され、2月10日に上記4著書を発売禁止処分とされ、さらに、3月8日には、津田本人と発行元である岩波書店の岩波茂雄が出版法第26条「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書図画ヲ出版シタルトキハ著作者、発行者、印刷者ヲ二月以上二年以下ノ軽禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス」の疑いで起訴されます。その後の裁判は29回の予審と21回の公判を経て、1942年(昭和17)5月21日に、『古事記及日本書記の研究』のみ、その記述の崇神、垂仁朝を仮定視し、仲哀天皇以前の天皇の存在を疑問視したことが「出版法」第26条違反とし、津田に禁固3ヶ月、岩波に禁固2ヶ月(いずれも執行猶予2年)の判決が出されました。
 津田、岩波の側はこの判決を不満として控訴、また検察当局も判決が軽すぎると控訴して争いましたたが、結局1944年(昭和19)11月に、控訴院で本件は「時効完成により免訴」という宣告が出されて終わっています。

〇津田左右吉(つだ そうきち)とは?

 明治時代から昭和時代に活躍した歴史学者・思想史家です。明治時代前期の1873年(明治6)10月3日に、岐阜県加茂郡下米田村(現在の美濃加茂市下米田町)で、尾張藩家老竹腰家の旧家臣津田藤馬の長男として生まれました。
 名古屋の私立中学を中退し、上京して東京専門学校(早稲田大学の前身)邦語政治科で学びます。1891年(明治24)に卒業後、中学教員を勤めつつ白鳥庫吉の指導を受け、1901年(明治34)に『新撰東洋史』を刊行しました。
 1908年(明治41)に、白鳥の開設した満鮮歴史地理調査室研究員(満鉄東京支社嘱託)となり、1913年(大正2)に『朝鮮歴史地理』上下を刊行、文献批判的実証研究を培います。1918年(大正7)に早稲田大学講師となり、東洋史、東洋哲学を教え、記紀の文献学的考証を行い、『古事記及び日本書紀の新研究』(1919年)を刊行しました。
 1920年(大正9)に早稲田大学文学部教授となってからも、『神代史の研究』(1924年)、『道家の思想と其の開展』(1927年)、『日本上代史研究』(1930年)、『上代日本の社会及び思想』(1933年)など旺盛に執筆活動を続けます。しかし、記紀研究の主要4著作に関して、皇室の尊厳を冒涜したかどで右翼から訴えられ、1940年(昭和15)に早稲田大学を辞職せざるを得なくなり、発売禁止処分も受け、出版元の岩波茂雄と共に、「出版法」違反で起訴(津田事件)されました。
 その後、1942年(昭和17)には、禁錮3ヶ月、執行猶予2年の宣告を受けますが、1944年(昭和19)には控訴院で免訴となっています。太平洋戦争後も旺盛な著作活動を続け、1949年(昭和24)に文化勲章、1960年(昭和35年)に美濃加茂市名誉市民第1号に選ばれ、1961年(昭和36)には朝日文化賞も受賞しました。しかし、1961年(昭和36)12月4日に、東京都の武蔵境の自宅でにおいて、88歳で亡くなっています。

<津田左右吉の主要な著作>

・『新撰東洋史』(1901年)
・『朝鮮歴史地理』上・下(1913年) 
・『神代史の新しい研究』(1913年)
・『文学に現はれたる我が国民思想の研究』4冊(1916~21年)
・『古事記及び日本書紀の新研究』(1919年)
・『神代史の研究』(1924年)
・『道家(どうか)の思想と其(そ)の開展』(1927年)
・『日本上代史研究』(1930年)
・『上代日本の社会及び思想』(1933年)
・『左伝の思想史的研究』(1935年)
・『支那思想と日本』(1938年)
・『蕃山・益軒』(1938年)
・『論語と孔子の思想』(1947年) 
・『シナ仏教の研究』(1957年) 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

708年(和銅元)武蔵国秩父郡から朝廷に銅が献上され、記念して和銅改元がされる(新暦2月7日)詳細
1871年(明治4)三浦半島南東端に立つ、日本7番目の洋式灯台である劔埼灯台が初点灯する(新暦3月1日)詳細
1938年(昭和13)御前会議で「支那事変処理根本方針」が決定される詳細
1941年(昭和16)「国家総動員法」第20条に基づき、「新聞紙等掲載制限令」が公布・施行される詳細
1952年(昭和27)植物学者・遺伝学者藤井健次郎の命日詳細
1964年(昭和39)伊豆大島大火で584棟418戸が焼失する詳細
1966年(昭和41)青森県三沢市で三沢大火が起きる詳細
1974年(昭和49)劇作家・小説家山本有三の命日(1.11忌)詳細
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