
『噫無情』(ああむじょう)は、黒岩涙香が、ビクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』を一般読者に理解しやすく翻訳したものです。『萬朝報(よろずちょうほう)』に、1902年(明治35)10月8日~1903年(明治36)8月22日まで連載されました。
原作の複雑な箇所を省略し、人名も戎瓦戎(原作ではジャン・バルジャン)、蛇兵太(ジャビール)、手鳴田(テナルディエ)などの登場人物を漢字で表わし、個性的な男の絡み合いと対決をストーリーの主軸として浮かび上がらせるなど、親しみやすい配慮で読書界をわかせています。単行本は。1906年(明治39)に、前・後篇に分けて東京・扶桑堂から出版されました。
原作の複雑な箇所を省略し、人名も戎瓦戎(原作ではジャン・バルジャン)、蛇兵太(ジャビール)、手鳴田(テナルディエ)などの登場人物を漢字で表わし、個性的な男の絡み合いと対決をストーリーの主軸として浮かび上がらせるなど、親しみやすい配慮で読書界をわかせています。単行本は。1906年(明治39)に、前・後篇に分けて東京・扶桑堂から出版されました。
【登場人物対照表】
<噫無情>……………………………………………<レ・ミゼラブル>
戎瓦戎(ぢやん、ばるぢやん)……………………ジャン・ヴァルジャン
彌里耳(みりえる)/僧正…………………………ミリエル
華子(はなこ)………………………………………ファンチーヌ
小雪(こゆき)/華子の娘…………………………コゼット
手鳴田(てなるだ)/旅館主人……………………テナルディエ
疣子(いぼこ)/手鳴田の娘………………………エポニーヌ
痣子(あざこ)/手鳴田の娘………………………アゼルマ
三郎(さぶらう)/手鳴田の息子…………………ガヴローシュ
門八(もんぱち)/手鳴田の手下…………………モンパルナス
斑井(まだらゐ)/市長……………………………マドレーヌ
蛇兵太(じやびやうた)/警察部長………………ジャヴェール
星部(ほしべ)/馭者の老人………………………フォーシュルヴァン
馬十郎(うまじふらう)/被告……………………シャンマチウ
本田圓(ほんだまるし)/士官……………………ポンメルシー
守安(もりやす)/本田圓の息子…………………マリユス
眞部(まなべ)/守安の親しい老人………………マブーフ
桐野(きりの)/守安の祖父………………………ジルノルマン
エンジラ/一揆軍の首領……………………………アンジョルラス
〇黒岩涙香(くろいわ るいこう)とは?
明治時代から大正時代に活躍した、小説家・評論家・翻訳家・ジャーナリストです。江戸時代後期の1862年(文久2年9月29日)に、土佐国安芸郡川北村(現在の高知県安芸市川北)において、土佐藩郷士の父・黒岩市郎と母・信子の次男として生まれましたが、本名は周六と言いました。
幼少時には、藩校文武館で漢籍を学び、16歳で大阪に出て中之島専門学校(後の大阪英語学校)で英語力を身につけます。その後17歳で上京し、成立学舎や慶應義塾に入学しましたが、卒業には至りませんでした。折からの自由民権運動に参加し、1882年(明治15)に、「北海道開拓使官有物払い下げ問題」に関する論文を書いて、官吏侮辱罪に問われ有罪となり、投獄されて労役に服します。同年に創刊された『絵入自由新聞』に入社し、2年後には主筆となって、論文や探偵小説を掲載して活躍しました。
1889年(明治22)に、『都新聞』に移り、多くの小説を書いて、評判となります。しかし、社長と対立して退社後、1892年(明治25)に朝報社を設立し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊しました。
同誌は、黒岩の『鉄仮面』ボアゴベイ原作(1892~93年)、『白髪鬼』マレー・コレリ原作(1893年)、『幽霊塔』ベンジスン夫人原作(1899~1900年)などの翻案小説連載と上流階級の腐敗を暴露したセンセーショナルなスキャンダル記事によって人気を博し、大衆新聞として一躍東京一の発行部数となります。さらに、日清戦争後は、幸徳秋水、内村鑑三、堺利彦、石川三四郎などの論客を迎えて、進歩的な論陣を張り、1901年(明治34)には、社会救済を目指す理想団と称する団体を組織し、社会改良運動を起こそうとしました。
一方で、五目並べを組織化して「連珠(聯珠)(れんじゅ)」と命名、1904年(明治37)に東京連珠社を設立し段位制を制定、自ら初代名人となって高山互楽を名乗り、『聯珠真理』(1906年)を刊行したりしています。ところが、日露戦争(1904~05年)に際しては、それまで非戦論を唱えていた黒岩が、時局の進展にともない開戦論に転じたため、社員内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦らが連袂退社することになりました。
それからも、大正初期の憲政擁護運動や1914年(大正3)のシーメンス事件では政府攻撃のキャンペーンを張りましたが、続く大隈内閣を擁護したことから、不評を招きます。晩年は、長男のために米問屋兼小売商の増屋商店を開業したりしましたが、1920年(大正9)10月6日、肺癌のため東京において、59歳で亡くなりました。
幼少時には、藩校文武館で漢籍を学び、16歳で大阪に出て中之島専門学校(後の大阪英語学校)で英語力を身につけます。その後17歳で上京し、成立学舎や慶應義塾に入学しましたが、卒業には至りませんでした。折からの自由民権運動に参加し、1882年(明治15)に、「北海道開拓使官有物払い下げ問題」に関する論文を書いて、官吏侮辱罪に問われ有罪となり、投獄されて労役に服します。同年に創刊された『絵入自由新聞』に入社し、2年後には主筆となって、論文や探偵小説を掲載して活躍しました。
1889年(明治22)に、『都新聞』に移り、多くの小説を書いて、評判となります。しかし、社長と対立して退社後、1892年(明治25)に朝報社を設立し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊しました。
同誌は、黒岩の『鉄仮面』ボアゴベイ原作(1892~93年)、『白髪鬼』マレー・コレリ原作(1893年)、『幽霊塔』ベンジスン夫人原作(1899~1900年)などの翻案小説連載と上流階級の腐敗を暴露したセンセーショナルなスキャンダル記事によって人気を博し、大衆新聞として一躍東京一の発行部数となります。さらに、日清戦争後は、幸徳秋水、内村鑑三、堺利彦、石川三四郎などの論客を迎えて、進歩的な論陣を張り、1901年(明治34)には、社会救済を目指す理想団と称する団体を組織し、社会改良運動を起こそうとしました。
一方で、五目並べを組織化して「連珠(聯珠)(れんじゅ)」と命名、1904年(明治37)に東京連珠社を設立し段位制を制定、自ら初代名人となって高山互楽を名乗り、『聯珠真理』(1906年)を刊行したりしています。ところが、日露戦争(1904~05年)に際しては、それまで非戦論を唱えていた黒岩が、時局の進展にともない開戦論に転じたため、社員内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦らが連袂退社することになりました。
それからも、大正初期の憲政擁護運動や1914年(大正3)のシーメンス事件では政府攻撃のキャンペーンを張りましたが、続く大隈内閣を擁護したことから、不評を招きます。晩年は、長男のために米問屋兼小売商の増屋商店を開業したりしましたが、1920年(大正9)10月6日、肺癌のため東京において、59歳で亡くなりました。
☆「萬朝報」(よろずちょうほう)とは?
黒岩涙香が主筆を務めていた「都新聞」の社長と対立して退社後、1892年(明治25)に東京で朝報社を設立して、同年11月1日に創刊した日刊新聞です。「一に簡単、二に明瞭、三に痛快」の編集方針のもとに小型4ページの紙面に盛りこまれた多様な上流社会のスキャンダル記事や娯楽記事、涙香の翻訳小説で都市中・下流層の人気を博しました。
1893年(明治26)に山田藤吉郎の経営していた「絵入自由新聞」(1882年9月創刊)と合併、以後は黒岩が編集、山田が経営実務を担当します。第三面に社会記事をはでに取り扱い「三面記事」の語を生み、1900年(明治33)頃から内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦らの論客を迎え、進歩的色彩の強い言論新聞となりました。
日露戦争(1904~05年)開戦前には、非戦論を唱えましたが、黒岩が開戦論に転じたため、内村、幸徳、堺らは退社します。その後、報道体制の確立にも後れをとったため、新聞界の主流から次第に離れ、大正政変では憲政擁護を主張して一時的に人気を回復したものの、第2次大隈重信内閣を支持してから勢力を失い、1920年(大正9)10月6日の黒岩涙香の死後は衰退しました。
1923年(大正12)9月1日の関東大震災で大打撃をうけ、1940年(昭和15)に「東京毎夕新聞」に吸収され、廃刊となっています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1893年(明治26)に山田藤吉郎の経営していた「絵入自由新聞」(1882年9月創刊)と合併、以後は黒岩が編集、山田が経営実務を担当します。第三面に社会記事をはでに取り扱い「三面記事」の語を生み、1900年(明治33)頃から内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦らの論客を迎え、進歩的色彩の強い言論新聞となりました。
日露戦争(1904~05年)開戦前には、非戦論を唱えましたが、黒岩が開戦論に転じたため、内村、幸徳、堺らは退社します。その後、報道体制の確立にも後れをとったため、新聞界の主流から次第に離れ、大正政変では憲政擁護を主張して一時的に人気を回復したものの、第2次大隈重信内閣を支持してから勢力を失い、1920年(大正9)10月6日の黒岩涙香の死後は衰退しました。
1923年(大正12)9月1日の関東大震災で大打撃をうけ、1940年(昭和15)に「東京毎夕新聞」に吸収され、廃刊となっています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 641年(舒明天皇13) | 第34代の天皇とされる舒明天皇の命日(新暦11月17日) | 詳細 |
| 1874年(明治7) | 万国郵便連合(最初は一般郵便連合)が発足する(世界郵便デー) | 詳細 |
| 1885年(明治18) | 日本が「メートル条約」に加盟する | 詳細 |
| 1897年(明治32) | 小説家大佛次郎の誕生日 | 詳細 |
| 1905年(明治38) | 平民社が最初に解散する | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | GHQが「必需物資の輸入に関する覚書」(SCAPIN-110)を出す | 詳細 |
| 在京新聞5紙(朝日、毎日、読売、東京、日本産業)に対し、GHQによる事前検閲が開始される | 詳細 | |
| 1952年(昭和27) | 黒澤明監督の映画『生きる』が封切りされる | 詳細 |
| 1989年(平成元) | 千葉県千葉市の幕張新都心に幕張メッセ(千葉県日本コンベンションセンター国際展示場)が開業する | 詳細 |



