ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 経済

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 今日は、昭和時代後期の1968年(昭和43)に、日本初の超高層ビルで、当時日本一の高さ(36階建・147m)となった霞が関ビルが完成した日です。
 霞が関ビルディング(かすみがせきびるでぃんぐ)は、東京都千代田区霞が関三丁目にある超高層ビル(地上36階・地下3階)です。三井不動産株式会社の所有で、日本初の超高層ビルとして、1965年(昭和40)3月18日に着工し、33ヵ月という短期間で、1968年(昭和43)4月12日に完成しました。
 複合高層ビルの先駆けとして、36階に展望台、下層階にビル内郵便局と診療所、地上階周囲に公開緑地それぞれを設け、「街」機能を取り込んで再興しています。構造形式は、鉄骨造(一部SRC造、RC造)で、敷地面積は16,326.40m²、延床面積は165,692.33m²、軒高は147mで、1970年(昭和46)3月、東京都港区浜松町に、世界貿易センタービルディング(40階建・162.59m)が完成するまで日本一の高いビルでした。
 1989年(平成元)、2000年(平成12)、2009年(平成21)に、総額約470億円をかけて、空調、給水、情報通信などインフラストラクチャーの更新に周辺再開発を伴う大規模改修を実施し、東日本大震災後の2014年(平成26)には、防災対応能力も強化しています。尚、1968年(昭和43)に日本建築学会賞業績部門賞、1969年(昭和44)に第10回BCS賞を受賞しました。

〇日本の超高層ビル高さ第1位の変遷

・ホテルニューオータニ本館(東京都千代田区)17階・73m[1964~1968年日本一の高いビル]
・霞が関ビルディング(東京都千代田区霞が関)36階・147m[1968~1970年日本一の高いビル]
・世界貿易センタービルディング(東京都港区浜松町)40階・162.59m[1970~1971年日本一の高いビル]
・京王プラザホテル(東京都新宿区西新宿)47階・169m[1971~1974年日本一の高いビル]
・新宿住友ビルディング(東京都新宿区西新宿)52階・210.3m[1974年日本一の高いビル]
・新宿三井ビルディング(東京都新宿区西新宿)55階・223.6m[1974~1978年日本一の高いビル]
・サンシャイン60(東京都豊島区)60階・239.7m[1978~1991年日本一の高いビル]
・東京都庁第一本庁舎(東京都新宿区)48階・243.4m[1991~1993年日本一の高いビル]
・横浜ランドマークタワー(神奈川県横浜市西区)70階・296.33m[1993~2014年日本一高いビル]
・あべのハルカス(大阪市阿倍野区)60階・300m[2014~2023年日本一高いビル]
・麻布台ヒルズ森JPタワー(東京都港区)64階・325.40m[2023年~高さ日本一のビル]

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1424年(応永31)第99代(南朝第4代)の天皇とされる後亀山天皇の命日(新暦5月10日)詳細
1573年(元亀4)戦国大名武田信玄の命日(新暦5月13日)詳細
1905年(明治38)日本初の都市間電気鉄道である阪神電気鉄道が大阪(出入橋駅)~神戸(三宮駅)間で開業する詳細
1921年(大正10)「郡制廃止ニ関スル法律」が公布(1923年4月1日施行)され、郡制が廃止される詳細
1939年(昭和14)「米穀配給統制法」が公布され、米穀商を許可制にして、米穀取引所を廃止する詳細
1957年(昭和32)瀬戸内海の定期客船「第五北川丸」が座礁・沈没し、死者・行方不明113名を出す(第五北川丸沈没事故)詳細
1967年(昭和42)歌人・国文学者窪田空穂の命日詳細
1973年(昭和48)「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が改正され、振替休日が誕生する詳細
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doryoukouhou01
 今日は、大正時代の1921年(大正8)に、改正「度量衡法」が公布され、尺貫法・ヤード・ポンド法との併用からメートル法への一本化(勅令により尺貫法およびヤード・ポンド法が当分の間使用できるとされる)がされた日です。
 「度量衡法(どりょうこうほう)」は、1886年(明治19)の「メートル条約」加盟に伴い、日本の長さ・体積・質量の単位をそれに基づいて定め、商取引や公的証明のために用いるとしたもので、1893年(明治26)1月1日に施行されました。日本には、「度量衡取締条例」(明治8年8月5日太政官達第135号)によって尺貫法が整備されていたのですが、1886年(明治19)の「メートル条約」加盟により、1890年(明治23)にメートル原器、キログラム原器が到着したのに伴い、度(長さ)・量(体積)・衡(質量)の計測を精密に定めたものです。
 その内容は、まず基本単位として尺および貫をメートルおよびキログラム原器によって定義し、これに基づいて度、地積、量、衡の単位を定め、布帛(織物等)用に限るとして鯨尺を定め、第5条で、これら尺貫法の単位とメートル法の換算値を掲げ、メートル法度量衡を適法のものとし、尺貫法を基本にメートル法を併用するものとなりました。しかし、 1909年(明治42)の改正によりメートル法を基準として尺貫法、ヤード・ポンド法の3法が併用されることとなります。
 その後、1919年(大正8)に圧力・温度・比重単位の規定が追加され、1921年(大正10)には、メートル法に一本化する改正法が公布されましたが、従来慣用の度量衡(尺貫法およびヤード・ポンド法)は勅令により当分の間使用できると定められました。太平洋戦争後、1951年(昭和26)にこの法律は廃止され、代わって「計量法」(昭和26年法律第207号)が制定されています。
 以下に、「度量衡法」(明治24年3月24日法律第3号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「度量衡法」(明治24年3月24日法律第3号)

第一條 度量ハ尺、衡ハ貫ヲ以テ基本トス 

第二條 度量衡ノ原器ハ白金、「イリヂウム」合金製ノ棒及分銅トス其ノ棒ノ面ニ記シタル標線間ノ攝氏〇、一五度ニ於ケル長サ三十三分ノ十ヲ尺トシ分銅ノ質量四分ノ十五ヲ貫トス 

第三條 度量衡ノ名稱命位ヲ定ムルコト左ノ如シ 

度 

毛 尺ノ萬分ノ一 

厘 尺ノ千分ノ一 

分 尺ノ百分ノ一 

寸 尺ノ十分ノ一 

尺 

丈 十尺 

間 六尺 

町 三百六十尺(六十間) 

里 一萬二千九百六十尺(三十六町) 

地積 

勺 歩ノ百分ノ一 

合 歩ノ十分ノ一 

歩 或ハ坪六尺平方 

畝 三十歩 

段 三百歩 

町 三千歩 

量 

勺 升ノ百分ノ一 

合 升ノ十分ノ一 

升 六萬四千八百二十七立方分 

斗 十升 

石 百升 

衡 

毛 貫ノ百萬分ノ一 

厘 貫ノ十萬分ノ一 

分 貫ノ萬分ノ一 

匁 貫ノ千分ノ一 

貫 

斤 百六十匁 

第四條 從來慣用ノ鯨尺ハ布帛ヲ度ルトキニ限リ之ヲ用ヰルコトヲ得 

鯨尺一尺ハ一尺二寸五分トシ其ノ十倍ヲ鯨尺一丈、十分ノ一ヲ鯨尺一寸、百分ノ一ヲ鯨尺一分トス 

第五條 「メートル」法度量衡ハ左ニ掲クル比較ニ依リ之ヲ適法ノモノトシ本條以下ノ規定ヲ適用ス 

度 

    「メートル」     「ミリメートル」   〇「尺」、〇〇三三〇
 毛  〇、〇〇〇〇三
   (三萬三千分ノ一)       
 厘   〇、〇〇〇三〇
   (三萬三千分ノ十)     「センチメートル」  〇、〇三三〇〇  
 分   〇、〇〇三〇三
   (三萬三千分ノ一百)   「デシメートル」   〇、三三〇〇〇  
 寸   〇、〇三〇三〇
   (三萬三千分ノ一千)   「メートル」     三、三〇〇〇〇  
 尺  〇、三〇三〇三
   (三萬三千分ノ一萬)   「デカメートル」   三三、〇〇〇〇〇  
 丈  三、〇三〇三〇
   (三萬三千分ノ十萬)   「ヘクトメートル」  三三〇、〇〇〇〇〇  
 間  一、八一八一八
   (十一分ノ二十)      「キロメートル」   三三〇〇、〇〇〇〇〇  
 町  一〇九、〇九〇九一
   (十一分ノ一千二百)  
 里  三九二七、二七二七三
   (十一分ノ四萬三千二百)  

  地積  

    「アール」
 勺  〇、〇〇〇三三
   (三千〇二十五分ノ一)    「センチアール」  〇「歩」、三〇二五〇  
 合  〇、〇〇三三一
   (三千〇二十五分ノ十)    「アール」     三〇、二五〇〇〇  
 歩或ハ坪 〇、〇三三〇六
   (三千〇二十五分ノ一百)  「ヘクタール」   三〇二五、〇〇〇〇〇  
 畝  〇、九九一七四
   (三千〇二十五分ノ三千)  
 段  九、九一七三六
   (三千〇二十五分ノ三萬)  
 町  九九、一七三五五
   (三千〇二十五分ノ三十萬)  

量  

   「リットル」
 勺  〇、〇一八〇四
   (十三萬三千一百分ノ二千四百〇一)  「センチリットル」 〇「升」、〇〇五五四
                              (二十四萬〇一百分ノ一千三百三十一)  
 合  〇、一八〇三九
   (十三萬三千一百分ノ二萬四千〇十)  「デシリットル」  〇、〇五五四四
                              (二十四萬〇一百分ノ一萬三千三百十)  
 升  一、八〇三九一
   (十三萬三千一百分ノ二十四萬〇一百)「リットル」    〇、五五四三五
                              (二十四萬〇一百分ノ十三萬三千一百)  
 斗  一八、〇三九〇七
   (十三萬三千一百分ノ二百四十萬一千)「デカリットル」  五、五四三五二
                              (二十四萬〇一百分ノ一百三十三萬一千)  
 石  一八〇、三九〇六八
   (十三萬三千一百分ノ二千四百〇一萬)「ヘクトリットル」 五五、四三五二四
                              (二十四萬〇一百分ノ一千三百三十一萬)  
衡  

     「グラム」
 毛    〇、〇〇三七五       「ミリグラム」  〇「匁」、〇〇〇二七
                        (一萬五千分ノ四)  
 厘    〇、〇三七五〇      「センチグラム」〇、〇〇二六七
                      (一萬五千分ノ四十)  
 分    〇、三七五〇〇      「デシグラム」 〇、〇二六六七
                      (一萬五千分ノ四百)  
 匁    三、七五〇〇〇      「グラム」   〇、二六六六七
                      (一萬五千分ノ四千)  
 貫    三七五〇、〇〇〇〇〇  「デカグラム」 二、六六六六七
                      (一萬五千分ノ四萬)  
                  「ヘクトグラム」二六、六六六六七
                                         (一萬五千分ノ四十萬)  
 斤    六〇〇、〇〇〇〇〇    「キログラム」  二六六、六六六六七
                                            (一萬五千分ノ四百萬)  

第六條 度量衡ノ原器ハ農商務大臣之ヲ保管ス 

農商務大臣ハ度量衡ノ原器ニ依リ副原器二組ヲ製作セシメ原器ノ代用ニ供ス 

副原器ノ一組ハ農商務大臣之ヲ保管シ他ノ一組ハ文部大臣之ヲ保管ス 

第七條 農商務大臣ハ副原器ニ依リ地方原器ヲ製作セシムヘシ 

地方原器ハ地方長官之ヲ保管シ度量衡器檢定ノ標準ニ供スルモノトス 

第八條 度量衡器ヲ製作シ修覆シ若ハ販賣セント欲スル者ハ地方長官ヲ經由シ農商務大臣ニ願出免許ヲ受クヘシ 

製作ノ免許ヲ得タル者ハ修覆及販賣ヲナスコトヲ得 

免許ニ關スル年限、身元保證金其ノ他必要ナル制限ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 

第九條 度量衡器ヲ製作シ修覆シ若ハ輸入シテ販賣シ又ハ營業ノ目的ニ使用スル者ハ豫メ其ノ檢定ヲ受クヘシ 

營業ノ目的ニ使用スル度量衡器ハ前項檢定ノ外之ヲ修覆シタルトキ及定期間ニ於テ檢定ヲ受クヘシ 

官廳、公署、官立、公立ノ諸建設場又ハ貧院、病院其他之ニ類スル建設場ニ於テ賣買、授受及證明ノ爲ニ使用スル度量衡器ハ營業ノ目的ニ使用スルモノニ準ス 

第十條 度量衡器ノ種類、形状、物質、檢定ノ定期及公差、檢定スヘキ目盛及分銅ノ最小定限ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 

第十一條 度量衡器ノ檢定及取締ハ地方長官之ヲ管理ス 

地方長官ハ市長、町村長ヲシテ其ノ市町村内ニ於ケル度量衡器ノ取締ヲ行ハシメ及其ノ檢定ニ關スル事務ヲ補助セシムルコトヲ得 

第十二條 度量衡器ノ製作者、修覆者、販賣者及使用者ハ取締ノ爲ニ行フ當該吏員ノ臨檢ヲ拒ムコトヲ得ス但シ吏員ハ主任タルノ證票ヲ携帯シテ之ヲ示スヘシ 

第十三條 度量衡器ノ製作、修覆及販賣ノ免許ヲ受クル者ハ免許料ヲ、檢定ヲ受クル者ハ檢定料ヲ納ムルヘシ 

免許料及檢定料ノ金額ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 

第十四條 度量衡器ノ製作者、修覆者若ハ販賣者ニシテ度量衡ニ關スル法律命令ニ違背シタルトキハ農商務大臣ハ其ノ營業免許ヲ取消スコトヲ得 

第十五條 免許ヲ受ケスシテ度量衡器ヲ製作シ若ハ修覆シテ販賣シタル者ハ二十圓以上三百圓以下ノ罰金ニ處ス 

免許ヲ受ケスシテ度量衡器ヲ販賣シ又ハ檢定ヲ受ケサル度量衡器ヲ販賣シ若ハ之ヲ營業ノ目的ニ使用シ及吏員ノ臨檢ヲ拒ミタル者ハ十圓以上二百圓以下ノ罰金ニ處ス 

差狂アル度量衡器ナルコトヲ知テ之ヲ販賣シ又ハ營業ノ目的ニ使用シタル者亦前項ニ同シ 

第十六條 本法施行ノ細則ハ農商務大臣之ヲ定ム 

附則 

第十七條 本法ハ明治二十六年一月一日ヨリ之ヲ施行ス 

第十八條 度量衡器ノ製作ニ限リ本法施行前六箇月以内ニ之ヲ免許スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ本法中製作ニ關スル條項ハ之ヲ適用ス 

第十九條 從來度量衡製作及賣捌ノ免許ヲ受ケタル者ハ更ニ免許ヲ受クルコトヲ要セス本法ノ規定ニ從ヒ其ノ營業ヲ繼績スルコトヲ得 

第二十條 從來ノ度量衡器ハ本法施行ノ日ヨリ七箇年以内ニ本法ノ規定ニ依リ其ノ檢定ヲ受クヘシ檢定ヲ經サルモノハ其ノ期限ヲ過クル後之ヲ販賣シ若ハ營業ノ目的ニ使用スルコトヲ得ス 

第二十一條 從來ノ度量衡器ニシテ修覆シタルモノ丶檢定ハ本法施行ノ日ヨリ七箇年ヲ限リ從來ノ檢査規則ニ依ル 

第二十二條 明治八年太政官第百三十五號逹度量衡取締條例竝檢査規則同九年第十七號布告度量衡改定規則及西洋形權衡ニ係ル從來ノ法令ハ本法施行ノ日ヨリ之ヲ廢止ス但シ度量衡取締條例附屬檢査規則ハ前條ノ場合ニ限リ明治三十二年十二月三十一日マテ其ノ効力ヲ有ス 

           「ウイキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1782年(天明2)儒学者・教育者・漢詩人広瀬淡窓の誕生日(新暦5月22日)詳細
1868年(慶応4)[閏]会津藩・庄内藩赦免を求めるため、奥羽25藩の代表による白石列藩会議が始まる(新暦5月3日)詳細
1919年(大正8)「ベルサイユ条約」によって、国際連盟に国際労働機関(ILO)が設立される詳細
1922年(大正11)「改正鉄道敷設法」が公布・施行され、別表で、149項目、178線に及ぶ建設予定線が決定される詳細
1925年(大正14)「陸軍現役将校学校配属令」が発せられ、中学校以上の公立学校で軍事教練開始詳細
1952年(昭和27)「夏時刻法を廃止する法律」(昭和27年法律第84号)が公布・施行され、夏時間が廃止される詳細
「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」が公布・施行される詳細
1967年(昭和42)「日本近代文学館」が開館する詳細
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 今日は、明治時代中頃の1890年(明治23)に、琵琶湖の水を京都に引く琵琶湖疏水が完成し、明治天皇・皇后御臨幸で竣工式が挙行された日です。
 琵琶湖疏水(びわこそすい)は、琵琶湖の南岸(現在の滋賀県大津市三保ヶ崎)から取水し、長等山などをトンネルで抜け、京都市内へ通じる水路で、舟運、発電、上水道、灌漑を目的としてつくられました。田辺朔郎の設計、施工により、明治時代前期の1885年(明治18)に工事が始まり、1890年(明治23)に大津から鴨川までの第一疏水(全長17.7km、幅6.4~11.5m、水深1.7m)が完成、3月15日に全線通水が完了し、4月9日に竣工式が挙行されます。
 続いて、鴨川から宇治川までの鴨川運河は、1892年(明治25)に工事が始まり、1895年(明治28)に完成しました。さらに、第一疏水の北側に並行し、全水路がトンネル内を走る第二疏水(全長7.4km、幅4m、水深3.1m)が、1908年(明治41)に着工し、1912年(明治45)に完成し、蹴上で第1疏水と合流するようになります。
 これらの開削工事は、西欧の近代的土木技術を取得した日本人技師による大規模な土木工事であり、明治時代における日本の土木技術水準の高さを示すものでした。そこで、1996年(平成8)に第一疎水の第一・第二・第三隧道の出入り口、第一竪坑、第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋、インクライン、疎水分線の水路閣などが国の史跡に指定されたのです。
 尚、2006年(平成18)2月3日には、農林水産省によって「疏水百選」の一つに選定され、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されました。

〇琵琶湖疎水関係略年表

・1881年(明治14)1月19日 北垣国道京都府知事に就任(2月着任)、琵琶湖疏水の検討開始
・1881年(明治14)4月 第1疏水工事の測量開始
・1883年(明治16)2月 大津・京都間の測量を完了
・1883年(明治16)5月22日 田邉朔郎京都府御用掛に採用(7月京都着)
・1883年(明治16)11月7日 勧業諮問会、全会一致で琵琶湖疏水起工に賛成
・1883年(明治16)11月17日 上・下京連合区会,琵琶湖疏水工事議案を可決
・1884年(明治17)7月 上・下京連合区会、琵琶湖疏水予算を可決
・1884年(明治17)9月 琵琶湖疏水起工伺を国に提出
・1885年(明治18)1月29日 琵琶湖疏水起工の特許を指令
・1885年(明治18)6月2日 起工式挙行
・1885年(明治18)8月6日 第1トンネル竪坑より着工開始
・1887年(明治20)5月 インクライン工事に着手
・1889年(明治22)2月27日 第1トンネル貫通
・1890年(明治23)3月15日 全線通水完了
・1890年(明治23)4月9日 明治天皇・皇后御臨幸で竣工式挙行
・1890年(明治23)6月14日 鴨川運河起工許可
・1891年(明治24)5月 蹴上発電所完成
・1891年(明治24)11月 蹴上発電所の送電開始
・1891年(明治24)11月 蹴上インクライン運転開始
・1891年(明治24)12月26日 蹴上インクラインの営業開始
・1892年(明治25)11月25日 鴨川運河着工
・1894年(明治27)9月25日 鴨川運河の疏通式、
・1895年(明治28)1月10日 鴨川運河の通船開始
・1895年(明治28)2月1日 京都電気鉄道開業
・1895年(明治28)3月10日 伏見インクライン完成
・1896年(明治29)7月29日 夷川船溜で武徳会(現京都踏水会)水泳講習開始
・1902年(明治35)4月 第2疏水計画を京都府に出願 
・1905年(明治38)9月 第2疏水計画を滋賀県に出願 
・1906年(明治39)3月19日 第2琵琶湖疏水工事認可
・1908年(明治41)2月10日 水道敷設認可
・1908年(明治41)10月 大津・京都間の測量を完了 
・1912年(明治45)4月1日 水道給水開始
・1914年(大正3)4月7日 夷川発電所完工(4月8日使用開始)
・1914年(大正3)5月14日 伏見(墨染)発電所完工(5月22日使用開始)
・1924年(大正13)12月 松ヶ崎浄水場建設開始
・1927年(昭和2)6月 松ヶ崎浄水場完成
・1931年(昭和6)3月28日 伏見閘門、新放水路完成式
・1935年(昭和10) 鴨川運河し尿船のみとなる
・1936年(昭和11)3月31日 蹴上インクライン船枠新造、改造
・1936年(昭和11)8月 山科浄水場一部完成、給水開始
・1936年(昭和11) 疏水運河上り大津行き貨物なくなる
・1940年(昭和15)3月 山科浄水場新設
・1942年(昭和17)4月1日 配電統制令により3発電所他の市営電気事業を関西配電に現物出資
・1943年(昭和18)8月13日 伏見インクライン休止
・1945年(昭和20)10月23日 伏見浄水場給水開始
・1948年(昭和23)11月26日 蹴上インクライン休止
・1949年(昭和24)5月25日 九条山浄水場(旧防火用御所水道を転用)完成
・1950年(昭和25)11月 松ヶ崎浄水場導水管整備工事完成。ほぼ分線に沿った埋設管路とする
・1951年(昭和26)9月 最後の疏水船が大津・山科間にて土砂を運搬
・1951年(昭和26)12月19日 疏水分線賀茂川-堀川を水道局から土木局に移管
・1959年(昭和34)3月 伏見インクライン電気設備撤去
・1960年(昭和35)3月31日 蹴上インクライン電気設備撤去
・1961年(昭和36)8月1日 疏水分線白川道(志賀越道)から下流を土木局に移管
・1964年(昭和39)7月29日 山ノ内浄水場給水開始
・1966年(昭和41)11月25日 山ノ内浄水場完成
・1966年(昭和41)3月28日 伏見インクライン跡地売買契約(1968年(昭和43年)1月着工)
・1968年(昭和43)8月6日 蹴上から取水の新山科浄水場一部完成、給水開始
・1968年(昭和43) 湖西線との立体交差部分トンネル補強工事
・1969年(昭和44)3月 山科浄水場・伏見浄水場が休止
・1969年(昭和44)9月 諸羽トンネル着工
・1970年(昭和45) 山科浄水場廃止
・1970年(昭和45)5月末 国鉄湖西線建設により第1疏水諸羽トンネル完成
・1970年(昭和45)11月 新山科浄水場完工
・1972年(昭和47)3月 哲学の道開通式
・1973年(昭和48)3月30日 山ノ内浄水場取水点変更認可(夷川から蹴上へ)
・1973年(昭和48) 山ノ内浄水場の配管埋設のため、蹴上インクラインのレール取り外し
・1975年(昭和50)6月 山科浄水場廃止
・1977年(昭和52)5月10日 蹴上インクライン復元(形態保存)完成式
・1977年(昭和52)10月 伏見浄水場廃止
・1978年(昭和53)2月10日 京阪本線地下化関連の疏水(鴨川運河)改築認可
・1983年(昭和58)7月 南禅寺水路閣と蹴上インクラインを京都市の文化財に指定
・1987年(昭和62)10月15日頃 改築部分の停水
・1988年(昭和63)4月15日 改築部分の通水開始
・1989年(平成元)京阪本線地下化と三条駅~出町柳駅開設で、川端御池付近~塩小路間は暗渠になる
・1989年(平成元)3月31日 鴨川運河改築工事完成
・1989年(平成元)8月1日 琵琶湖疏水竣工100周年記念事業の一環として「琵琶湖疏水記念館」開館
・1990年(平成2)4月 琵琶湖疏水竣工百周年記念式を拳行 
・1991年(平成3)8月 第2疏水連絡トンネル着工
・1996年(平成8)6月19日 琵琶湖第1疏水(インクライン、水路閣等12ヶ所)が国の史跡に指定される
・1999年(平成11)12月 第2疏水連絡トンネル竣工
・2001年(平成13) 琵琶湖疏水の発電施設群が「土木学会選奨土木遺産」に指定される 
・2004年(平成16)3月 九条山浄水場廃止
・2006年(平成18)2月3日 農林水産省等により、「疏水百選」に選定される
・2007年(平成19)11月30日 経済産業省から「近代化産業遺産」に認定される
・2009年(平成21)10月 「琵琶湖疏水記念館」開館20周年リニューアルオープン
・2013年(平成25)3月 山ノ内浄水場廃止

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

554年(欽明天皇15)推古天皇の誕生日(新暦5月21日)詳細
752年(天平勝宝4)奈良・東大寺の蘆舎那仏(東大寺大仏)の開眼供養が行われる(新暦5月26日)詳細
1584年(天正12)小牧・長久手の戦いの中の長久手の戦いが行われる(新暦5月18日)詳細
1892年(明治25)詩人・小説家佐藤春夫の誕生日詳細
1911年(明治44)東京の吉原大火で、死者8名、負傷者100名以上、全焼6,189戸、半焼69戸の被害を出す詳細
1921年(大正10)「職業紹介法」(大正10年法律第55号)が公布(同年7月1日施行)される詳細
1922年(大正11)日本最初の農民組合の統一組織である日本農民組合が創立される詳細
1976年(昭和51)小説家・劇作家武者小路実篤の命日詳細
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Sunshine60
 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、東京・池袋に60階建の高層ビル「サンシャイン60」(高さ239.7m)が開館し、当時東洋一の高層ビルとなった日です。
 サンシャイン60(さんしゃいんろくじゅう)は、東京都豊島区東池袋にあるサンシャインシティの中核を担う超高層ビルで、株式会社サンシャインシティが所有・管理しています。1970年(昭和45)まで巣鴨拘置所があった場所に建設され、地上高239.7mあり、完成当時は、東洋一の高さを誇りました。
 韓国ソウル汝矣島の大韓生命63ビル(249m・地上部60階)が1985年(昭和60)に竣工するまで、7年間東洋一の建物高であり、東京都庁第一本庁舎(軒高241.9m、最頂部243.4m)が1990年(平成2)12月に竣工するまで12年間日本一の座を守ります。地上60階にある展望台の他、周辺施設には水族館やテーマパークなどもあり、多くの人で賑わってきました。

〇日本の超高層建築物ベスト15

①麻布台ヒルズ森JPタワー(325.40m・64階)2023年完成[東京都港区]高さ日本一のビル(2023年~)
②あべのハルカス(300m・60階)2014年完成[大阪市阿倍野区]麻布台ヒルズ森JPタワー完成まで日本一高いビル(2014~2023年)
③横浜ランドマークタワー(296.33m・70階)1993年完成[横浜市西区]あべのハルカス完成まで日本一高いビル(1993年~2014年)
④虎ノ門ヒルズ ステーションタワー(265.75m・49階)2023年完成[東京都港区]
⑤麻布台ヒルズレジデンスB(262.82m・64階)2025年完成[東京都港区]高さ日本一のマンション
⑥SiSりんくうタワー(256.1m・56階)1996年完成[大阪府泉佐野市]
⑦大阪府咲洲庁舎(256.0m・55階)1995年完成[大阪市住之江区]
⑧虎ノ門ヒルズ 森タワー(255.5m・52階)2014年完成[東京都港区]
⑨TOFROM YAESU TOWER(249.72m・51階)2026年完成[東京都中央区]
⑩ミッドタウン・タワー(248.1m・54階)2007年完成[東京都港区]
⑪ミッドランドスクエア(247.00m・47階)2006年完成[名古屋市中村区]
⑫JRセントラルタワーズ オフィスタワー(245.1m・51階)1999年完成[名古屋市中村区]
⑬東京都庁第一本庁舎(243.4m・48階)1991年完成[東京都新宿区]横浜ランドマークタワー完成まで日本一高いビル(1991年~1993年)
⑭NTTドコモ代々木ビル(239.85m・27階)2000年完成[東京都渋谷区]
⑮サンシャイン60(239.7m・60階)1978年完成[東京都豊島区]東京都庁完成まで日本一高いビル(1978年~1991年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1336年(建武3/延元元)第93代の天皇とされる後伏見天皇(持明院統)の命日(新暦5月17日)詳細
1722年(享保7)江戸幕府が「流地禁止令」を出す(新暦5月20日)詳細
1742年(寛保2)江戸幕府の成文法「公事方御定書」上下2巻が一応完成する(新暦5月10日)詳細
1823年(文政6)狂歌三大家の一人とされる狂歌師・戯作者・御家人大田南畝の命日(新暦5月16日)詳細
1882年(明治15)自由党総理板垣退助が遊説先の岐阜県冨茂登村で斬りつけられ負傷する事件(岐阜事件)が起きる詳細
1921年(大正10)東京の大正浅草大火で、負傷者544名、全焼1,227戸、半焼73戸を出す詳細
1978年(昭和53)第1回日本アカデミー賞授賞式が行われる詳細
2017年(平成29)「城の日」を記念して、日本城郭協会より「続日本100名城」が発表される詳細
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mitsuimiiketankou001
 今日は、平成時代の1997年(平成9)に、福岡県の三井三池炭鉱が閉山し、124年の歴史を閉じた日です。
 三井三池炭鉱(みついみいけたんこう)は、福岡県大牟田市に、平成時代の1997年(平成9)まであった炭鉱です。この地での石炭掘削の歴史は古く、室町時代には発見されていたと伝えられ、江戸時代には、三池藩の直轄で行われていました。
 明治維新後の1873年(明治6)には、工部省がこれらの炭鉱の官有を決定して、開発します。しかし、1889年(明治22)に民間に払い下げられて、三井財閥の所有する所となり、かの団琢磨が技師として、腕を振るい、かつての大炭坑地帯を形成しました。
 太平洋戦争後、石炭産業が斜陽化していく中で、1959年(昭和34)に三井三池争議が勃発して、大きな社会問題となります。1963年(昭和38)には、三川鉱で爆発事故が発生して 458人の犠牲者を出しました。
 その後、石炭需要の減少により、1997年(平成9)3月30日閉山するに至ります。閉山後、関連施設が国の重要文化財や史跡に指定されました。
 また、2007年(平成19)11月30日に経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定されます。さらに、宮原坑と万田坑は、2015年(平成27)に「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界遺産の文化遺産に登録されました。

〇三井三池炭鉱関係略年表

・1469年(応仁3) 農夫の伝治左衛門が三池郡稲荷(とうか)村の稲荷山(現在の大牟田市大浦町付近)で「燃ゆる石」(石炭)を発見したとされる
・1721年(享保6) 柳河藩家老、小野春信が藩主より土地を拝領し、平野鷹取山(高取山)にての石炭採掘が始まる
・1738年(天文3) 久留米藩の文書に稲荷山での石炭採掘に関する記述が見える
・1790年(寛政2) 三池藩が領内での採炭および販売に関する規則である、「石山法度」が発布される
・1853年(嘉永6) 三池藩が生山を開坑する
・1857年(安政4) 平野山のほぼ南側に位置する生山と、平野山の間部(坑道)がつながってしまうという事件が起こり、両坑(両藩)の境界争いがはじまる
・1873年(明治6) 明治政府の官営事業となり、鉱山寮三池支庁を設置する
・1876年(明治9) 三井物産会社が設立され、官営三池炭鉱の輸送・販売を一手に取り扱かう
・1878年(明治11)11月21日、大浦坑で斜坑運搬に、従来は人力であったのを汽力曳揚機を使用する
・1883年(明治16) 三池集治監開庁。囚人労働が本格化する
・1888年(明治21) 払い下げにおける競争入札で三菱と激しく争った結果、三井組(三井財閥)が落札する
・1889年(明治22) 三井組の経営となり、團琢磨(団琢磨)が最高責任者(事務長)に任命される
・1891年(明治24) 三池横須浜 - 七浦坑に蒸気機関車による運炭鉄道が開通(三池炭鉱専用鉄道)する
・1892年(明治25) 三井鉱山が創立され、團(団)のもとで炭鉱経営の近代化、合理化が進められる
・1894年(明治27) 三池勝立坑の第一立坑が完成する
・1898年(明治31) 宮原坑で操業開始する
・1908年(明治41) 三池港が開港する
・1913年(大正2) 三池ガス発電所が運転開始する
・1918年(大正7) 待遇改善を求める万田坑(熊本県玉名郡)作業員らの不満が米騒動(1918年米騒動)に発展。暴動が大牟田一帯の各炭鉱に飛び火し、鎮圧のために歩兵第48連隊が出動[10]。
・1923年(大正12) 三池炭鉱専用鉄道の電化が完成する
・1924年(大正13) 宮原坑の馬匹運搬を全廃(1930年末までに全鉱で廃止)する
・1925年(大正14) 宮ノ浦坑で採炭に火薬を使用、穿孔に手動ホーガーを使用する
・1930年(昭和5) 坑内請負制度・女子の入坑を廃止、囚人の採炭作業を廃止する
・1931年(昭和6) 三池集治監が閉庁する
・1940年(昭和15) 三川坑が竣工する
・1949年(昭和24)5月29日 昭和天皇が行幸する
・1958年(昭和33) 日鉄鉱業が高田町で有明炭鉱の開発を開始する
・1960年(昭和35) 三池争議が起きる
・1963年(昭和38)11月9日 三川鉱炭じん爆発事故で、458人死亡、一酸化炭素中毒患者839人を出す
・1967年(昭和42)7月 一酸化炭素中毒患者家族会の主婦66人が同月14日から20日にかけて三川鉱坑底で座り込みを行う
・1972年(昭和47) 三井鉱山が日鉄鉱業から有明炭鉱を取得する
・1973年(昭和48) 三井鉱山は、石炭採掘部門を分離独立する形で、全額出資の三井石炭鉱業を設立する
・1976年(昭和51) 開発再開により着炭(石炭層に到達)していた有明炭鉱から営業出炭を開始する
・1977年(昭和52) 有明炭鉱と三池炭鉱を結ぶ連絡坑道が開通し、両炭鉱を合併。有明炭鉱は三池炭鉱有明鉱となる
・1978年(昭和53)4月30日 四ツ山鉱で炭車が暴走して人車に激突、1人が死亡、103人が重軽傷を負う
・1984年(昭和59)1月18日 有明鉱坑内火災事故により83人死亡、一酸化炭素中毒患者16人を出す
・1997年(平成9)3月30日 三池炭鉱が閉山する
・2005年(平成17)4月 三池労組が解散する
・2015年(平成27)7月 宮原坑・万田坑・専用鉄道敷跡が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

585年(敏達天皇14)物部守屋の仏教排斥により、仏像・寺院等が焼打ちされる(新暦5月4日)詳細
1212年(建暦2)鴨長明が『方丈記』を書き上げる(新暦4月22日)詳細
1827年(文政10)医学者・蘭学者大槻玄沢の命日(新暦4月25日)詳細
1939年(昭和14)文部省は「大学教練振作ニ関スル件」を発して、大学での学校教練が必修化する詳細
1945年(昭和20)「翼賛政治会」を解散し「大日本政治会」が結成される詳細
1946年(昭和21)連合国最高司令官に対し、「米国教育使節団第一次報告書」が提出される詳細
1959年(昭和34)砂川闘争に関して、砂川事件第一審判決(伊達判決)が出される詳細
1985年(昭和60)小説家・翻訳家野上弥生子の命日詳細
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