ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 経済

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 今日は、昭和時代前期の1939年(昭和14)に、「国家総動員法」に基づく、九・一八停止令(「価格等統制令」、「賃金統制令」など) により、賃金・物価がこの日の水準で固定化された基準日です。
 九・一八停止令(きゅうてん一八きんしれい)は、「国家総動員法」第19条に基づいて、国内のすべての商品価格は9月18日の水準以下に抑えた法令の総称です。「価格等統制令」(昭和14年10月16日勅令第703号)、「賃金統制令」(昭和14年勅令第128号)、「地代家賃統制令」(昭和14年10月18日勅令第678号)、「小作料統制令」(昭和14年12月6日勅令第823号)、「宅地建物等価格統制令」(昭和15年11月21日勅令第781号)、「臨時農地価格統制令」(昭和16年1月30日勅令第109号)、「株式価格統制令」(昭和16年8月30日勅令第834号)のことを言いました。

〇「価格等統制令(かかくとうとうせいれい)」とは?

 「国家総動員法」第19条に基づいて、物価のみならず、運送費、保管料、損害保険料、賃貸料などほとんどすべての価格を、同年9月18日現在の水準に釘づけする(公定価格)ことを目的としたもので、「9・18停止令」とも呼ばれました。同時に「地代家賃統制令」、「賃金臨時措置令」、「会社職員給与臨時措置令」も公布され、地代、家賃、賃金等も凍結されます。
 この背景には、日中戦争の長期化により生活に必要な物資や食糧が欠乏した上、さらに1939年(昭和14)9月には、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、諸物価が上昇したことがありました。しかし、表向きでは物資の値上げは出来なくなったものの、いわゆる闇価格が横行して、賃金が据え置かれた国民の窮乏化はさらに促進されることになります。
 ちなみに、1940年(昭和15)5月に司法省経済実務家会同に提出された資料によると、闇取引価格は、公定価格に対して綿糸・綿製品で4倍余、キャラコ・別珍で3~9倍、米・木炭で約4倍、丸釘・ブリキ・亜鉛板などが3~9倍となっていました。また、これによる経済の混乱は著しく、統制経済違反で多くの国民が摘発を受けることにもなります。
 この勅令は、太平洋戦争後の1946年(昭和21)3月3日に「物価統制令」が公布されたことにより廃止されました。
 以下に、「価格等統制令」(全21条)の最初の部分(第1条・第2条)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

☆「価格等統制令」(全21条) 昭和14年10月16日勅令第703号

第一条 国家総動員法(昭和十三年勅令第三百十七号ニ於テ南洋群島二於テ依ル場合ヲ含ム以下同ジ)第十九条ノ規定ニ基キ価格、運送賃、保管料、損害保険料、賃貸料又ハ加工賃(以下価格等ト称ス)ニ関シ必要ナル命令ヲ為スハ別ニ定ムルモノヲ除クノ外本令ノ定ムル所ニ依ル

第二条 価格等ハ昭和十四年九月十八日(以下指定期日ト称ス)ニ於ケル額ヲ超エテ之ヲ契約シ、支払ヒ又ハ受領スルコトヲ得ズ但シ閣令ノ定ムル所ニ依リ価格等ノ支払者又ハ受領者ニ於テ行政官庁ノ許可ヲ受ケタル場合及本令施行ノ際現ニ存スル契約ニシテ其ノ際左ノ各号ノ一ニ該当スルモノニ付テハ此ノ限ニ在ラズ
一 注文生産品ノ価格ニ付生産者ガ生産ニ着手シタルモノ
ニ 其ノ他ノ価格ニ付買主其ノ他ノ支払者ガ目的物ノ引渡ヲ受ケタルモノ
三 運送賃又ハ加工賃ニ付運送人又ハ加工者ガ目的物ノ引渡ヲ受ケタルモノ
四 保管料、損害保険料又ハ賃貸料ニ付支払者ガ履行遅滞ニ在ルモノ
前項ノ指定期日ニ於ケル額ハ価格等ノ受領者ニ付テノ額ニ依リ受領者別ニ定マルモノトシ指定期日ニ為シタル契約アル場合ハ其ノ契約額(同ジ事情ノ下ニ於テ数種ノ契約額アリタルトキハ其ノ最高額)、偶々指定期日ニ為シタル契約ナカリシ場合ハ契約ヲ為シタルベキ額とス
価格等ニ付前項ノ規定ニ依ル額ナキ場合ニ於テハ閣令ノ定ムルモノヲ以テ指定期日ニ於ケル額トス

 (以下略)

 注:縦書きの原文を横書きに改め、旧字を新字に置き換えてあります。

〇賃金統制令(ちんぎんとうせいれい)とは?

 昭和時代前期の1939年(昭和14)3月31日に、「国家総動員法」(1938年制定)第6条に基づいて、公布(施行は同年4月10日)された勅令(昭和14年勅令第128号)です。「従業者雇入制限令」と共に、軍需企業の賃金抑制のため従業員50人以上の事業場を対象に出されました。
 戦時下の労働力不足に伴い、賃金上昇の傾向があった時で、これを抑制するために、賃金規則の作成とその届出を義務づけ、未経験工採用の際の初給賃金を公定し、その諮問機関として中央および道府県に賃金委員会を設けたものです。この勅令で、軍需関係工業の初任給の1年間固定措置が臨時的にとられましたが、かえって賃金の部門間不均衡を生じさせたため、7月には指定工場の適用を鉱工業全部門に拡大、9月に女子の初給賃金も公定、10月には、「賃金臨時措置令」で9月18日現在の賃金で1年間凍結しました。
 翌年には、同令も10月20日に「賃金臨時措置令」を統合して全面改訂されます。これによって、政府は賃金決定権を全面的に留保し、以降は、地域別・男女別・職業別・業種別・年齢別・経験別の賃金の公定が進み、年功序列賃金制度の確立を促進しました。太平洋戦争敗戦後の「国家総動員法」廃止により、1946年(昭和21)9月30日に失効しています。
 以下に、「賃金統制令」の全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

☆「賃金統制令」 (全文)  1939年(昭和14)3月31日公布、4月10日施行

賃金統制令 (昭和14年勅令第128号)

第一条 国家総動員法第六条ノ規定ニ基ク労働者ノ賃金ノ統制ハ別ニ定ムルモノヲ除クノ外本令ノ定ムル所ニ依ル

第二条 本令ハ左ノ各号ノ一ニ該当スル事業ニ之ヲ適用ス
 一 工場法ノ適用ヲ受クル工場ニシテ厚生大臣ノ指定スル事業ヲ営ムモノ
 二 鉱業法ノ適用ヲ受クル事業
 三 其ノ他厚生大臣ノ指定スル事業

第三条 本令ニ於テ賃金ト称スルハ労働者ガ労務ノ対償トシテ事業主ヨリ受クル給与其ノ他ノ利益ヲ謂フ
2 賃金ノ範囲及評価ニ関シテハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

第四条 常時五十人以上ノ労働者ヲ使用スル工場又ハ事業場ノ事業主ハ賃金規則ヲ作成シ地方長官(東京府ニ在リテハ警視総監以下之ニ同ジ)ニ届出ヅベシ之ヲ変更シタルトキ亦同ジ
2 賃金規則ニ定ムベキ事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
3 地方長官不適当ト認ムルトキハ賃金規則ノ変更ヲ命ズルコトヲ得

第五条 厚生大臣又ハ地方長官ハ命令ノ定ムル所ニ依リ未経験労働者ノ初給賃金ヲ定ムルコトヲ得
2 事業主未経験労働者ヲ雇入レタルトキハ命令ヲ以テ定ムル期間前項ノ規定ニ依ル初給賃金ニ準拠シ賃金ヲ支払フベシ但シ命令ニ別段ノ定アル場合ハ此ノ限ニ在ラズ

第六条 前条ノ場合ノ外地方長官労働者ニ支払ハレタル賃金ノ額又ハ其ノ支給方法著シク不適当ト認ムルトキハ事業主ニ対シ将来ニ向ツテ之ヲ変更スベキコトヲ命ズルコトヲ得

第七条 第二条第三号ノ規定ニ依ル事業ノ指定、第五条第一項ノ規定ニ依ル初給賃金ノ決定並ニ第四条第三項及前条ノ規定ニ依ル命令ハ賃金委員会ニ諮問シテ之ヲ為ス
2 賃金委員会ニ関スル規程ハ別ニ之ヲ定ム

第八条 厚生大臣又ハ地方長官必要アリト認ムルトキハ賃金ノ統制ニ関シ国家総動員法第三十一条ノ規定ニ基キ事業主ヨリ報告ヲ徴シ又ハ当該官吏ヲシテ工場、事業場、事務所其ノ他ノ場所ニ臨検シ帳簿書類ヲ検査セシムルコトヲ得
2 前項ノ規定ニ依リ当該官吏ヲシテ臨検検査セシムル場合ニ於テハ其ノ身分ヲ示ス証票ヲ携帯セシムベシ

第九条 本令ハ国又ハ道府県ノ事業ニハ之ヲ適用セズ

第十条 本令中地方長官トアルハ内地ニ於ケル鉱業法ノ適用ヲ受クル事業ニ付テハ鉱山監督局長トス

第十一条 本令中工場法ノ適用ヲ受クル工場トアルハ朝鮮、台湾又ハ南洋群島ニ在リテハ常時十人以上ノ労働者ヲ使用スル工場、樺太ニ在リテハ工場取締規則ノ適用ヲ受クル工場トシ鉱業法トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮鉱業令、台湾ニ在リテハ台湾鉱業規則、南洋群島ニ在リテハ南洋群島鉱業令トス
2 本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮総督、台湾ニ在リテハ台湾総督、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トシ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事、台湾ニ在リテハ台湾鉱業規則ノ適用ヲ受クル事業ニ付テハ台湾総督、其ノ他ノ事業ニ付テハ州知事又ハ庁長、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トシ道府県トアルハ朝鮮ニ在リテハ道、台湾ニ在リテハ州又ハ庁、南洋群島ニ在リテハ南洋群島地方費トス

  附 則

本令ハ昭和十四年四月十日ヨリ之ヲ施行ス但シ朝鮮、台湾、樺太及南洋群島ニ在リテハ昭和十四年八月一日ヨリ之ヲ施行ス

「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

711年(和銅4)元明天皇の詔勅により太安麻呂が『古事記』の編纂に着手する(新暦11月3日)詳細
1428年(正長元)正長の土一揆で京都・醍醐附近の地下人が徳政を要求して蜂起する(新暦10月26日)詳細
1868年(明治元)日本画家横山大観の誕生日(新暦11月2日)詳細
1869年(明治2)東京・築地に明治新政府により海軍操練所(海軍兵学校の前身)が設立される(新暦10月22日)詳細
1927年(昭和2)小説家徳富蘆花の命日(蘆花忌)詳細
1931年(昭和6)柳条湖事件が起き、満州事変が始まる詳細
1976年(昭和51)種痘による事故被害者の声を受け、厚生省が全国の市町村に種痘の強制定期接種の廃止を通達する詳細
1997年(平成9)ノルウェーの首都オスロにおける、オスロ国際会議で、「対人地雷禁止条約」が発議される詳細
2004年(平成16)ガラス工芸家で日本のガラス工芸の第一人者だった藤田喬平の命日詳細
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 今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、配給切符制だったマッチが8年ぶりに自由販売となった日です。
 配給切符制(はいきゅうきっぷせい)は、購入物品に応じて必要な点数を定め、切符と一緒に代金を支払わなければならないシステムにして、買い占めや贅沢を防止しようとしたものでした。1940年(昭和15)4月24日に、価格形成中央委員会で、日用必需品10品目(米、味噌、醤油、塩、マッチ、砂糖、木炭など)に配給切符制導入が発表され、6月1日以降、順次実施されます。
 さらに、翌年1月20日に、「繊維製品配給消費統制規則」が制定公布され、2月1日から衣料に点数切符制が実施(都市居住者は1年に100点、郡部は80点、背広50点、袷48点、ワイシャツ12点、靴下2点、タオル3点など)されました。また、2月21日には「食糧管理法」が公布され、4月からは、米も通帳による配給制となります。
 やがて、石鹸・煙草から野菜・魚などの生鮮食料品も配給の対象となり、1943年(昭和18)末には、ほとんどの生活物資が配給制となりました。しかも、戦争の激化により配給条件さえ満たされないことも度々あり、多くの国民は配給品だけで生活することは困難で、いわゆる闇取引を誘発し、様々な不正を生み出します。
 太平洋戦争後も、たばこは1947年(昭和22)まで、マッチは1948年(昭和23)まで、酒は1949年(昭和24)まで、衣料は1950年(昭和25)まで、米穀については、1982年(昭和57)まで配給制が存続していたものの、1955年(昭和30)頃には、米の生産量が需要量を上回るようになり、配給制の「米穀配給通帳」は有名無実化していきました。

〇戦時下での物資統制関係略年表

<1938年(昭和13年)>
・3月1日 「綿糸配給統制規則」(初の切符制)が出される 
・4月1日 「国家総動員法」が公布される
・5月1日 ガソリン切符制が実施される(「ガソリン1滴は血の1滴」の標語が登場する)
・9月19日 「石炭配給統制規則」が公布される 

<1939年(昭和14年)>
・3月25日 「肥料配給統制規則」が公布される 
・4月12日 「米穀配給統制法」公布し、米穀商を許可制にして、米穀取引所を廃止する 
・10月1日 石油配給制が実施される 
 
<1940年(昭和15)>
・4月24日 設置された価格形成中央委員会で、日用必需品10品目(米、味噌、醤油、塩、マッチ、砂糖、木炭など)に切符制導入が決定される
・6月1日以降 米、味噌、醤油、塩、マッチ、砂糖、木炭など生活必需品10品目について順次、配給切符制が導入される
・5月3日 東京市で外米6割混入米を配給する
・6月5日 東京など六大都市においてマッチ、砂糖の配給制を先行的に開始する
・10月4日、商工省から「砂糖・マッチ配給統制規則」(省令)が公布される
・10月10日 「牛乳および乳製品配給統制規則」が交布される 
・11月1日 砂糖・マッチ切符制の全国実施がされる 
・12月28日 商工省から「洋紙配給統制規則」(省令)が公布される

<1941年(昭和16)>
・1月21日 「洋紙配給統制規則」(省令)が施行される
・4月1日 「生活必需物資統制令」が交布され、六大都市で米穀配給通帳制(1日1人2合3勺=約330g)が実施、米の配給受け取りに必要となる
・5月19日 東京市が夏季ビールの配給は1世帯8本と決定する 
・6月7日 家庭用食用油の切符制が実施される 
・9月1日  東京市で砂糖・マッチ・小麦粉・食用油の集成配給切符制が実施される 
・10月1日 一般家庭用ガスの使用制限が実施される 
・12月16日 「物資統制令」が交布される
 
<1942年(昭和17)>
・1月1日 塩(1ヶ月1人約200g)の通帳制配給、家庭用ガスの使用量割当制が実施される
・1月10日 6大都市で味噌(1ヶ月1人約686g)、醤油(1ヶ月1人約666ml)の切符制配給が実施される
・1月20日 「繊維製品配給消費統制規則」が制定公布される   
・2月1日 衣料に点数切符制が実施される(都市居住者は1年に100点、郡部は80点、背広50点、袷48点、ワイシャツ12点、靴下2点、タオル3点など)、地方でも味噌、醤油の切符制配給が実施される 
・4月1日 六大都市で米穀配給通帳制・外食券制を実施する(1日2合3勺)
・5月 家庭用木炭配給通帳制・酒切符制を実施する
・7月21日 衣料切符制の有効期限を更に1年延長を決定する 
・9月1日 東京市が砂糖・マッチ・小麦粉・食用油の集成配給切符制を実施する
・12月23日 東京でガス割当量超過使用の家庭に閉塞班出動、1戸1孔に封印する

<1943年(昭和18)>
・1月19日 衣料点数引き上げが実施される 
・5月1日 木炭、薪の配給制が実施される 

<1944年(昭和19)>
・8月1日 家庭用の砂糖の配給が停止される 
・8月15日 東京・大阪で防空備蓄米5日分の特別配給を決定する
・11月1日 たばこが隣組配給となる(男子1日6本)
・11月20日 紫蘇糖が隣組を通じ抽選配給となる

<1945年(昭和20)>
・7月1日 戦災に伴い配給機構を整理し、配給品一切を扱う公営綜合配給所を設置する
・7月11日 主食の配給を1割減の2合1勺とする

<1946年(昭和21)>
・11月1日 コメの配給量が二合五勺となる

<1947年(昭和22)>
・たばこが自由販売となる

<1948年(昭和23)>
・9月16日 配給制だったマッチが8年ぶりに自由販売となる
・11月1日 コメの配給量が二合七勺(約387g)に増量される

<1949年(昭和24)>
・5月 酒が自由販売となる

<1950年(昭和25)>
・1月10日 閣議で主食の配給が1日1人2合7勺(約387g)から2合8勺(約401g)に増配が決定される
・3月31日 衣料が自由販売となる
・7月1日 味噌・醤油が自由販売となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1086年(応徳3)藤原通俊が『後拾遺和歌集』を完成し、奏上する(新暦10月26日)詳細
1789年(寛政元)江戸幕府が旗本・御家人救済の為の「棄捐令」を発布する(新暦11月3日)詳細
1793年(寛政5)武士・画家渡辺崋山の誕生日(新暦10月20日)詳細
1877年(明治10)エドワード・シルベスター・モースが大森貝塚の1回目の調査を実施する詳細
1890年(明治23)和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事件が起こる詳細
1927年(昭和2) 野田醤油労働組合が全員参加無期限ストライキに突入する(第2次野田醤油労働争議)詳細
1948年(昭和23)アイオン台風が関東・東北に襲来し、死者・行方不明者838人を出す詳細
1954年(昭和29)「日本中央競馬会法」(昭和29年法律第205号)の施行により、日本中央競馬会(JRA)が創立される詳細
1961年(昭和36)第2室戸台風が近畿地方に上陸し、死者行方不明202人を出す詳細
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takujyoudenwa001
 今日は、昭和時代後期の1987年(昭和62)に、第二電電・日本テレコム・日本高速通信の新電電3社が一般向けの市外電話サービスを開始した日です。
 電話(でんわ)は、音声を電気的信号に変換し、有線または無線により離れた場所に伝送し、これを再び音声に戻すことで、相互に通話できるようにした通信方法です。1837年(天保8)に、アメリカ合衆国のチャールズ・ページが磁気による音声伝達原理を発見、1876年(明治9)に、アレクサンダー・グラハム・ベルが磁石式電話を発明して実用化されました。
 日本では、1877年(明治10)に工部省と宮内省との間19町32間(約2130m)に電線を架設し、日本で初めて電話を実用化、1878年(明治11) に警察電話が開通、1880年(明治13)には、鉄道電話が開通しています。1883年(明治16)に工部省電信局長石井忠亮、国営電話事業の必要性を強く訴え、建議書を政府に提出、1890年(明治23)に、「電話交換規則令」が発せられ、東京と横浜での電話業務開始にともない、初めて電話局内に「電話所」が設置され、1900年(明治33)9月11日に東京の新橋駅(中等待合室前)と上野駅(駅長室前)に1台ずつ、街頭にて初めて設置され「自働電話」と呼ばれました。
 1926年(大正15)に、自動交換方式に対応したダイヤル式電話機が導入され、自動化(ダイヤル式)への移行が開始されます。1952年(昭和27)に日本電信電話公社が設立されて電話通信事業を独占し、1979年(昭和54)には、全国の電話自動化完了し、全国の電話でダイヤル即時通話ができるようになり、自動車電話サービスが開始されました。
 1984年(昭和59)に第二電電、日本テレコム、日本高速通信(KDD)の民営3社が設立され、翌年には、電気通信事業の自由化が開始され、日本電電公社も民営化されて日本電信電話となります。1987年(昭和62)に、第二電電・日本テレコム・日本高速通信の新電電3社が一般向けの市外電話サービスを開始しました。
 また、日本初の携帯電話が発売されるようになり、現在では、広く携帯電話が普及することとなります。

〇日本の電話関係略年表

・1877年(明治10)11月 工部省と宮内省との間19町32間(約2130m)に電線を架設し、日本で初めて電話を実用化する
・1878年(明治11) 5月17日  日本初の警察電話が開通する
・1880年(明治13)12月1日 日本初の鉄道電話が開通する
・1883年(明治16) 工部省電信局長石井忠亮、国営電話事業の必要性を強く訴え、建議書を政府に提出する
・1890年(明治23) 「電話交換規則令」が発せられ、東京と横浜での電話業務開始にともない、初めて電話局内に「電話所」が設置される
・1900年(明治33)9月11日 東京の新橋駅(中等待合室前)と上野駅(駅長室前)に1台ずつ、街頭にて初めて設置され「自働電話」と呼ばれた
・1900年(明治33)10月 最初の公衆電話ボックスが京橋(現在の東京都中央区)のたもとに建てられる
・1903年(明治36) 共電式公衆電話機の設置を開始
・1906年(明治39) 太平洋横断海底ケーブルが布設される
・1913年(大正2) 日本の電話加入者が20万271件となる
・1920年(大正9) 日本で電話の需要が急増し、市価が東京で3,450円、大阪で3,500円に騰貴した、戦前の最高値となる
・1925年(大正14)10月1日 交換手が要らないダイヤル自動方式が採用され、「自働電話」が「公衆電話」と改称される
・1926年(大正15) 自動交換方式に対応したダイヤル式電話機が導入され、自動化(ダイヤル式)への移行が開始される
・1951年(昭和26)12月 委託公衆電話が登場する
・1952年(昭和27) 日本電信電話公社が設立される
・1953年(昭和28)1月 ボタン付き硬貨後納式の「青電話」の設置が開始される
・1953年(昭和28)8月 「赤電話」(店頭公衆電話)が登場する
・1955年(昭和30) 10円硬貨前納式の「青電話」の設置が開始される
・1957年(昭和32) 近畿日本鉄道の特急2250系に日本初の列車公衆電話が設置される
・1959年(昭和34) 「ピンク電話」(特殊簡易公衆電話)が登場する
・1965年(昭和40) 東海道新幹線で列車公衆電話サービスが開始される 
・1968年(昭和43) ダイヤル市外通話可能な10円硬貨前納式の大型青電話の設置が開始される
・1969年(昭和34) 押しボタン式電話機(プッシュホン)が登場する
・1972年(昭和47)12月 100円硬貨にも対応した「黄電話」の設置が開始される
・1975年(昭和50) プッシュ式黄電話の設置が開始される
・1979年(昭和54) 全国の電話自動化完了し、全国の電話でダイヤル即時通話ができるようになり、自動車電話サービスが開始される
・1982年(昭和57)12月 磁気カード式公衆電話(磁気テレホンカード使用可)の設置が開始される
・1984年(昭和59) 第二電電、日本テレコム、日本高速通信(KDD)の民営3社が設立される
・1985年(昭和60)  電気通信事業の自由化が開始され、日本電電公社も民営化されて日本電信電話となり、自動車電話を自動車から取り外して持ち運べるようにしたショルダーホンが登場する
・1987年(昭和62) 第二電電・日本テレコム・日本高速通信の新電電3社が一般向けの市外電話サービスを開始、日本初の携帯電話が発売される
・1988年(昭和63) ISDN方式デジタル電話INSネット64が開始される
・1986年(昭和61) 航空機公衆電話サービスが開始される 
・1993年(平成5) 公衆電話の通話料金が大幅に値上げされる
・1995年(平成7)3月 公衆電話のカード化が完了し、青電話、赤電話、黄電話が姿を消す 
・1999年(平成11)3月 ICカード対応公衆電話の設置が開始される
・2001年(平成13) マイラインが開始される
・2002年(平成14)11月 新規機種の開発の停止
・2005年(平成17) ICカード対応公衆電話の廃止に伴い、磁気テレホンカード式公衆電話の新機種DMC-8Aが出される
・2006年(平成18)3月31日 ICカード対応公衆電話のすべてのサービス終了する
・2007年(平成19) NTTが老朽化している公衆電話約2000台を新型公衆電話DMC-8Aに交換することを決定する
・2012年(平成24)6月29日 NTT東西が公式サイトにて全国の公衆電話の設置場所を公開する
・2016年(平成28年) DMC-8A公衆電話後継機種MC-D8のサービスが開始される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1702年(元禄15)武士・尾張藩士・国学者・俳人横井也有の誕生日(新暦10月24日)詳細
1820年(文政3)備中鴨方藩士・文人画家浦上玉堂の命日で(新暦10月10日)詳細
1913年(大正2)政治家田中正造の命日詳細
1943年(昭和18)上野動物園で、空襲に備えて戦時猛獣処分になった猛獣の慰霊法要が実施される詳細
1951年(昭和26)アメリカのサンフランシスコにおいて、サンフランシスコ講和会議が開幕する詳細
1975年(昭和50)詩人壺井繁治の命日詳細
1987年(昭和62)日本航空を完全民営化する「日本航空株式会社法を廃止する等の法律」が可決成立(施行は10月1日)する詳細
1991年(平成3)東北新幹線の盛岡~青森間の起工式が行われる詳細
1994年(平成6)関西国際空港が開港する(関西国際空港開港記念日)詳細
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 今日は、大正時代の1923年(大正12)に、アメリカの建築家ライトの設計による帝国ホテル新館(ライト館)で開館式が行われた日です。
 帝国ホテル(ていこくほてる)は、東京都千代田区内幸町にあるホテルで、日本を代表するホテルの一つとされています。明治時代前期の1888年(明治21)に、井上馨の発議により、渋沢栄一と大倉喜八郎が有限責任東京ホテル会社を設立し、1890年(明治23)に木骨煉瓦造、3階建、客室数約60の帝国ホテルが落成し、11月20日に竣工式が行われました。
 1893年(明治26)に帝国ホテル株式会社に改称し、1907年(明治40)には、株式会社メトロポールホテルと合併し、株式会社帝国ホテルとなります。1920年(大正9)にアメリカ合衆国の建築家フランク・ロイド・ライトの設計による新館(ライト館)の工事に着工したものの、1922年(大正11)に本館が火災により焼失、翌年に完成した新館(ライト館)が本館となりました。
 1933年(昭和8)には、上高地帝国ホテルも開業します。太平洋戦争後の1945年(昭和20)に連合軍の将官およびGHQ高官用宿舎として接収されたものの、1952年(昭和27)に自由営業が再開されます。1953年(昭和28)に金井寛人が株式の多くを獲得して会長となり、1954年(昭和29)にライト館の裏手に客室数170の第一新館が完成、1958年(昭和33)には、その横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成します。1964年(昭和39)にライト館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表され、1967年(昭和42)にライト館が閉鎖され、翌年には取り壊し、一部を明治村に移築保存することとなりました。
 1970年(昭和45)に地上17階の新本館が完成しましたが、1977年(昭和52)の金井の死後、その全持ち株が国際興業に譲渡され、2007年(平成19)には、その大半が三井不動産に売却され、三井不動産が筆頭株主となります。その間、1996年(平成8)に帝国ホテル大阪が開業、その後、2016年(平成27)には、地下1階-地上4階のインペリアルタワー(現・帝国ホテルタワー)が完成しました。

〇帝国ホテル関係略年表

・1886年(明治19) 東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれる
・1887年(明治20) 井上馨の発議により、渋沢栄一と大倉喜八郎が、有限責任東京ホテル会社を設立する
・1888年(明治21) 有限責任帝国ホテル会社とする
・1890年(明治23)11月3日 木骨煉瓦造、3階建、客室数約60の帝国ホテルが落成する
・1890年(明治23)11月20日 帝国ホテルの竣工式が行われる
・1893年(明治26) 「帝国ホテル株式会社」に改称する
・1907年(明治40) 「株式会社メトロポールホテル」と合併し「株式会社帝国ホテル」となる
・1909年(明治42) 渋沢 栄一が帝国ホテル取締役会長を辞任し、大倉喜八郎が取締役会長に就任する
・1910年(明治43) 宮内省御用に指定される
・1916年(大正5) 臨時株主総会で新ホテル建設を決議する
・1920年(大正9) アメリカ合衆国の建築家フランク・ロイド・ライトの設計による新館(ライト館)の工事に着工する
・1922年(大正11) 本館が火災により焼失する
・1923年(大正12)8月 フランク・ロイド・ライトによる新館(ライト館)が落成する
・1923年(大正12)9月1日 帝国ホテル新館(ライト館)で開館式が行われる
・1933年(昭和8)10月 上高地帝国ホテルが開業する
・1945年(昭和20)9月 連合軍の将官およびGHQ高官用宿舎として接収される
・1950年(昭和25)9月 政府登録ホテル第一号となる
・1952年(昭和27)4月 自由営業が再開される
・1953年(昭和28) 金井寛人が株式の多くを獲得して会長となる
・1954年(昭和29) ライト館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成する
・1958年(昭和33) 第一新館の横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成する
・1964年(昭和39) ライト館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表される
・1967年(昭和42) ライト館が閉鎖される
・1968年(昭和43) ライト館の取りこわしのため、一部を明治村に移築保存する
・1970年(昭和45) 地上17階の新本館が完成する
・1977年(昭和52) 金井の死後、その全持ち株が小佐野賢治の国際興業に譲渡される
・1996年(平成8) 帝国ホテル大阪が開業する
・2004年(平成16) 国際興業がサーベラスに買収される
・2007年(平成19)10月 国際興業保有帝国ホテル株式の大半が三井不動産に売却され、三井不動産が筆頭株主となる
・2016年(平成27) 地下1階-地上4階のインペリアルタワー(現帝国ホテルタワー)が完成する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1732年(享保17)俳人・蕉風復興運動の中心者加藤暁台の誕生日(新暦10月19日)詳細
1891年(明治24)日本鉄道会社本線の盛岡駅~青森駅間が延伸開業し、上野駅~青森駅間(現在の東北本線)が全通する詳細
1904年(明治37)与謝野晶子が文芸誌『明星』に反戦詩「君死にたまふこと勿れ」を発表詳細
1911年(明治44)平塚らいてうらが女性文藝雑誌「青踏」を創刊し、「元始、女性は太陽であつた」が掲げられる詳細
1916年(大正5)「工場法」が施行される詳細
1923年(大正12)関東大震災が起き、190万人が被災、10万5千人余が死亡・行方不明(防災の日)詳細
1931年(昭和6)清水トンネルが開通し、上越線が全通する詳細
1939年(昭和14)第1回興亜奉公日が実施され、国旗掲揚、宮城遥拝、勤労奉仕等が行われる詳細
1967年(昭和42)四日市市の市民9人が四日市石油コンビナートの企業各社に慰藉料を請求する四日市公害訴訟を起こす詳細
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 今日は、昭和時代前期の大平洋戦争下、1942年(昭和17)に、配給切符制の中で、衣料切符制の有効期限を更に1年延長を決定した日です。
 配給切符制(はいきゅうきっぷせい)は、購入物品に応じて必要な点数を定め、切符と一緒に代金を支払わなければならないシステムにして、買い占めや贅沢を防止しようとしたものでした。1940年(昭和15)4月24日に、価格形成中央委員会で、日用必需品10品目(米、味噌、醤油、塩、マッチ、砂糖、木炭など)に配給切符制導入が発表され、6月1日以降、順次実施されます。
 さらに、翌年1月20日に、「繊維製品配給消費統制規則」が制定公布され、2月1日から衣料に点数切符制が実施(都市居住者は1年に100点、郡部は80点、背広50点、袷48点、ワイシャツ12点、靴下2点、タオル3点など)されました。また、2月21日には「食糧管理法」が公布され、4月からは、米も通帳による配給制となります。
 やがて、石鹸・煙草から野菜・魚などの生鮮食料品も配給の対象となり、1943年(昭和18)末には、ほとんどの生活物資が配給制となりました。しかも、戦争の激化により配給条件さえ満たされないことも度々あり、多くの国民は配給品だけで生活することは困難で、いわゆる闇取引を誘発し、様々な不正を生み出します。
 太平洋戦争後も、たばこは1947年(昭和22)まで、米穀については、1982年(昭和57)まで配給制が存続していたものの、1955年(昭和30)頃には、米の生産量が需要量を上回るようになり、配給制の「米穀配給通帳」は有名無実化していきました。

〇戦時下での物資統制関係略年表

<1938年(昭和13年)>
・3月1日 「綿糸配給統制規則」(初の切符制)が出される 
・4月1日 「国家総動員法」が公布される
・5月1日 ガソリン切符制が実施される(「ガソリン1滴は血の1滴」の標語が登場する)
・9月19日 「石炭配給統制規則」が公布される 

<1939年(昭和14年)>
・3月25日 「肥料配給統制規則」が公布される 
・4月12日 「米穀配給統制法」公布し、米穀商を許可制にして、米穀取引所を廃止する 
・10月1日 石油配給制が実施される 
 
<1940年(昭和15)>
・4月24日 設置された価格形成中央委員会で、日用必需品10品目(米、味噌、醤油、塩、マッチ、砂糖、木炭など)に切符制導入が決定される
・6月1日以降 米、味噌、醤油、塩、マッチ、砂糖、木炭など生活必需品10品目について順次、配給切符制が導入される
・5月3日 東京市で外米6割混入米を配給する
・6月5日 東京など六大都市においてマッチ、砂糖の配給制を先行的に開始する
・10月4日、商工省から「砂糖・マッチ配給統制規則」(省令)が公布される
・10月10日 「牛乳および乳製品配給統制規則」が交布される 
・11月1日 砂糖・マッチ切符制の全国実施がされる 
・12月28日 商工省から「洋紙配給統制規則」(省令)が公布される

<1941年(昭和16)>
・1月21日 「洋紙配給統制規則」(省令)が施行される
・4月1日 「生活必需物資統制令」が交布され、六大都市で米穀配給通帳制(1日1人2合3勺=約330g)が実施、米の配給受け取りに必要となる
・5月19日 東京市が夏季ビールの配給は1世帯8本と決定する 
・6月7日 家庭用食用油の切符制が実施される 
・9月1日  東京市で砂糖・マッチ・小麦粉・食用油の集成配給切符制が実施される 
・10月1日 一般家庭用ガスの使用制限が実施される 
・12月16日 「物資統制令」が交布される
 
<1942年(昭和17)>
・1月1日 塩(1ヶ月1人約200g)の通帳制配給、家庭用ガスの使用量割当制が実施される
・1月10日 6大都市で味噌(1ヶ月1人約686g)、醤油(1ヶ月1人約666ml)の切符制配給が実施される
・1月20日 「繊維製品配給消費統制規則」が制定公布される   
・2月1日 衣料に点数切符制が実施される(都市居住者は1年に100点、郡部は80点、背広50点、袷48点、ワイシャツ12点、靴下2点、タオル3点など)、地方でも味噌、醤油の切符制配給が実施される 
・4月1日 六大都市で米穀配給通帳制・外食券制を実施する(1日2合3勺)
・5月 家庭用木炭配給通帳制・酒切符制を実施する
・7月21日 衣料切符制の有効期限を更に1年延長を決定する 
・9月1日 東京市が砂糖・マッチ・小麦粉・食用油の集成配給切符制を実施する
・12月23日 東京でガス割当量超過使用の家庭に閉塞班出動、1戸1孔に封印する

<1943年(昭和18)>
・1月19日 衣料点数引き上げが実施される 
・5月1日 木炭、薪の配給制が実施される 

<1944年(昭和19)>
・8月1日 家庭用の砂糖の配給が停止される 
・8月15日 東京・大阪で防空備蓄米5日分の特別配給を決定する
・11月1日 たばこが隣組配給となる(男子1日6本)
・11月20日 紫蘇糖が隣組を通じ抽選配給となる

<1945年(昭和20)>
・7月1日 戦災に伴い配給機構を整理し、配給品一切を扱う公営綜合配給所を設置する
・7月11日 主食の配給を1割減の2合1勺とする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1881年(明治14)「開拓使官有物払下げ事件」のきっかけとなった官有施設・設備払い下げを決定詳細
1896年(明治29)北京において「日清通商航海条約」が締結される詳細
1928年(昭和3)理論経済学者宇沢弘文の誕生日詳細
1940年(昭和15)日本労働総同盟が自主解散を決議し、産業報国会への合流を決める詳細
1941年(昭和16)文部省教学局から『臣民の道』が刊行される詳細
1952年(昭和27)「破壊活動防止法」(昭和27年法律第240号)が、公布・施行される詳細
1999年(平成11)文芸評論家江藤淳の命日詳細
2000年(平成12)写真家渡辺義雄の命日詳細
2023年(令和5)教育者・禅宗の僧侶無着成恭の命日詳細
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