ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 政治・外交

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 今日は、飛鳥時代の681年(天武天皇10)に、天武天皇が律令の制定(飛鳥浄御原令)を命じた日ですが、新暦では3月19日となります。
 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)は、飛鳥時代の681年(天武天皇10年2月25日)に、天武天皇が編纂を命じ、689年(持統天皇3年29日)に頒布されたとされる法令(令22巻)です。内容は、701年(大宝元年)施行の「大宝令」とほぼ同じと推定され、戸籍作成や班田収授もこの時から6年ごととなったと考えられてきました。
 しかし、『日本書紀』によって若干推定できる程度で、不明な部分が多いとされています。律については、編纂されず、唐の律をそのまま代用したとの説が有力とされてきました。
 急遽施行されたものなので、完成度は必ずしも高くなかったと言われ、律令の編纂作業は、その後も続けられ、最終的には701年(大宝元年)に完成した「大宝律令」によって、律令整備が完成することになったとされます。
 以下に、『日本書紀』天武天皇10年2月条と持統天皇3年6月条の律令の制定に関する記述を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『日本書紀』の「飛鳥浄御原律令」関係の記述

<天武天皇10年2月条>

(原文)

二月庚子朔甲子、天皇々后共居于大極殿、以喚親王諸王及諸臣、詔之曰「朕今更欲定律令改法式、故倶修是事。然頓就是務公事有闕、分人應行。」
是日、立草壁皇子尊爲皇太子、因以令攝萬機。

(読み下し文)

二月庚子朔甲子、天皇[1]、皇后[2]、共に大極殿[3]に居(おは)します、親王、諸王及び諸臣[4]を喚(め)して、詔して曰く、「朕、今更た、律令[5]を定め、法式(のり)を改めむと欲す。故、倶に是の事を修めよ。然れども頓(にはか)に是のみを務(まつりごと)を就(な)さば、公事闕(か)くること有らむ。人を分ちて應(まさ)に行ふべし」と。
是の日、草壁皇子[6]尊を立てて、皇太子[7]と為したまふ。よりて万(よろづ)の機(まつりごと)を摂[8]めしめたまふ。」

【注釈】
[1]天皇:てんのう=ここでは、天武天皇のこと。
[2]皇后:こうごう=ここでは、鸕野讃良皇女(後の持統天皇)のこと。
[3]大極殿:だいごくでん=古代の日本における朝廷の正殿。
[4]諸臣:しょしん=多くの家臣たち。群臣。 
[5]律令:りつりょう=古代国家の基本法である律と令。律は刑罰についての規定、令は政治・経済など一般行政に関する規定。
[6]草壁皇子:くさかべのおうじ=天武天皇の皇子。母は持統天皇。文武・元正両天皇の父。壬申の乱には天武帝とともに戦い、皇太子に立てられたが、即位せずに死去。
[7]皇太子:こうたいし=皇位継承の第一順位にある皇子。東宮。
[8]摂:ふさねおさ=事をあわせ行う。兼ねる。代行する。摂政。

(現代語訳)

(天武10年)2月25日、天武天皇は皇后と共に大極殿に居て、親王・諸王・諸臣に、詔して言った。「我は、今から律令をを定めて、法式を改め改めようと思う。共に、このことを修めなさい。しかし、急にこれだけを実務をすれば、公務が滞るであろうから、手分けして行ってほしい」と。
この日に、草壁皇子尊(クサカベノミコノミコト)を立てて皇太子とする。すべての政治の実務に預からせる。

<持統天皇3年6月条>

(原文)

庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。

(読み下し文)

庚戌、諸司[9]に令[10]一部廿二卷を班(わか)ち賜ふ。

(現代語訳)

二十九日、中央の諸々の役人に、令一部二十二巻を分け下し賜った。

【注釈】
[9]諸司:しょし=多くの役所。また、その役人。百司。
[10]令:りょう=政治・経済など一般行政に関する規定。ここでは、「飛鳥浄御原律令」のこと。

☆日本の律令関係略年表

・天智天皇10年(668年) 「近江律令」が施行される
・天武天皇10年(681年)2月25日 「飛鳥浄御原律令」の編纂が開始される
・持統天皇3年(689年)6月29日 「飛鳥浄御原律令」(22巻)が発布される
・文武天皇4年(700年) 「大宝律令」の編纂が開始される
・大宝元年(701年) 「大宝律令」が完成する
・大宝2年(702年) 「大宝律令」の律が施行される
・養老2年(718年) 「養老律令」の編纂が行われる
・天平宝字元年(757年) 「養老律令」(律10巻13編、令10巻30編)が施行される
・神護景雲3年(769年) 「養老律令」の 修正・追加を目的に「刪定律令」(全24条)編纂される
・延暦10年(791年) 「養老律令」の「刪定律令」が施行される
・延暦16年(797年) 「養老律令」の刪定令格全45条が編纂され、同年施行される
・弘仁11年(820年) 「弘仁格式」が完成する
・天長7年(830年) 「弘仁格式」が施行される
・承和7年(840年) 「弘仁格式」が改訂施行される
・貞観11年(869年) 「貞観格式」の格が施行される
・貞観13年(871年) 「貞観格式」の式が施行される
・延長5年(907年) 「延喜格式」の格が施行される
・延長5年(927年) 「養老律令」細則「式」が完成する
・康保4年(967年) 「養老律令」細則「式」が改訂施行される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1415年(応永22)僧侶・浄土真宗中興の祖蓮如の誕生日(新暦4月13日)詳細
1902年(明治35)数学者・第6代大阪大学総長・武蔵学園学園長正田建次郎の誕生日詳細
1942年(昭和17)「戦時災害保護法」(昭和17年法律第71号)が公布される詳細
1944年(昭和19)東条英機内閣により、「決戦非常措置要綱」が閣議決定される詳細
1946年(昭和21)「金融緊急措置令」に基づいて新円を発行し、旧円と新円の交換が開始される詳細
1947年(昭和22)八高線高麗川駅付近で買い出しで満員の列車が転覆、死者184人を出す(八高線列車脱線転覆事故)詳細
1953年(昭和28)医師・歌人斎藤茂吉の命日(茂吉忌)詳細
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 今日は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)に、官軍への徹底抗戦を叫ぶ旧幕臣約千人が上野寛永寺で彰義隊を結成した日ですが、新暦では3月12日となります。
 彰義隊(しょうぎたい)は、幕末明治維新期の1868年(慶応4年2月23日)に結成された、佐幕派の部隊です。戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は、新政府に対する恭順の意を表し、上野寛永寺に蟄居しました。
 しかし、これに反対し、東征軍 (官軍) に対する徹底抗戦を唱える旧幕臣の渋沢成一郎(頭取)、天野八郎(副頭取)らが彰義隊を結成、その勢力は3,000人に達し、浅草本願寺を屯所とします。徳川家がこれを認め、江戸市中警衛を任されると、慶喜護衛を名目に上野寛永寺に移転しました。
 同年4月11日に江戸城が無血開城し、徳川慶喜が水戸へと退去しても、そのまま抵抗を続けるものが多く、5月15日に東征軍 (官軍) の大村益次郎指揮の部隊と戦い(上野戦争)ます。しかし、敗北して部隊としては壊滅しますが、一部は奥州に逃れて、奥羽越列藩同盟の諸藩と共に、東征軍 (官軍) との戦いを続けました。

〇戊辰戦争(ぼしんせんそう)とは?

 幕末明治維新期の1868年(慶応4/明治元)から1869年( 明治2)にかけて、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った内戦です。鳥羽伏見の戦いから始まり、各地で戦乱が起きましたが、越後と東北、北海道で激戦となりました。
 名称は、慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来しています。これにより、明治政府が国内を掌握し、明治維新の改革が進められることになりました。

☆戊辰戦争関係年表(日付は旧暦です)

<1868年(慶応4/明治元)>
・1月3日 「鳥羽伏見の戦い」で「戊辰戦争」が始まる 
・1月6日 徳川慶喜が大坂城を脱出し、海路で江戸へ逃れる 
・2月12日 徳川慶喜は、上野寛永寺に入って謹慎し、恭順を示す
・2月23日 江戸において、旧幕臣が彰義隊を結成する
・3月14日 西郷隆盛と勝海舟の会談が行われ、江戸での戦闘が回避される
・4月11日 江戸開城が無血で行われる
・閏4月11日 奥羽諸藩による白石列藩会議が始まる
・5月3日 奥羽25藩が「奥羽列藩同盟」を結成する
・5月6日 長岡藩など北越6藩が新たに加わり「奥羽越列藩同盟」となる 
・5月15日 上野山にいる彰義隊を新政府軍が一日で破る(上野戦争)
・7月14日 白河口の戦いで、新政府軍が勝利する
・7月29日 奥州の二本松城、越後の長岡城が陥落する
・8月23日 新政府軍が会津藩若松城下に侵攻し、会津側は若松城で籠城戦を開始する
・9月8日 明治に改元される
・9月9日 米沢藩が新政府軍に寝返える
・9月10日 仙台藩が降伏する
・9月22日 会津藩が降伏し、「会津戦争」が終わる
・10月26日 榎本武揚軍が箱館を占領する
・11月15日 暴風雨のため榎本武揚軍の旗艦開陽丸が沈没する

<1869年(明治2)>
・3月9日 箱館の榎本武揚軍追討のため、新政府軍艦隊が江戸湾を出発する
・5月11日 箱館総攻撃が始まる
・5月18日 五稜郭が陥落し、旧幕府軍が降伏して「箱館戦争」が終結し、「戊辰戦争」が終わる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1167年(仁安2)平清盛が厳島神社に『平家納経』の一部の自ら書写した『般若心経』1巻を奉納する(新暦3月16日)詳細
1576年(天正4)織田信長が岐阜から近江の安土城へ移る(新暦3月23日)詳細
1784年(天明4)筑前志賀島の百姓甚兵衛により、「漢倭奴國王」の金印発見される(新暦4月12日)詳細
1904年(明治37)「日韓議定書」に調印する詳細
1942年(昭和17)第21回衆議院議員総選挙(通称:翼賛選挙)目指し、翼賛政治体制協議会が結成される詳細
1943年(昭和18)陸軍省が「撃ちてし止まむ」の戦時標語ポスター5万枚を全国に配布する詳細
1944年(昭和19)太平洋戦争下の言論弾圧(竹槍事件)の原因となる、「毎日新聞」朝刊の戦局解説記事が掲載される詳細
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 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和43)に、中国の北京で、「日中長期貿易取り決め」に調印した日です。
 「日中長期貿易取り決め」(にっちゅうちょうきぼうえきとりきめ)は、日中長期貿易協議委員会委員長稲山嘉寛と劉希文中日長期貿易協議委員会主任との間で調印された、日中間の長期間の貿易に関する取り決めです。1972年(昭和47)9月29日の「日中共同声明」が出されて以後、周恩来総理、稲山嘉寛経団連副会長、財団法人日中経済協会会長をはじめとする関係者の間で「中国から石油と石炭を日本へ輸出し、日本から設備、資材を中国へ輸出する」という長期協定構想を打診・検討され、1977年(昭和42)10月に日本側・中国側でそれぞれ日中長期貿易取決め推進委員会、中日長期貿易協議委員会が設立され、翌年1月には、日中長期貿易取決め推進委員会の総会が開催され、取決め文案が承認されると共に、推進委員会を改組し、日中長期貿易協議委員会(当時委員長:稲山嘉寛)が発足しました。
 それに基づいて、同年2月16日に中国の北京で調印されたのが、この取り決めで、1985年までの8年間有効とされます。内容は、日本から中国に技術及びプラント並びに建設用資材・機材を輸出し、中国から日本に原油と石炭(原料炭、一般炭)を輸出することとなっていました。
 この取決めに基づき、日本は中国の石油・石炭の資源開発に協力し、長期安定的なエネルギー資源の供給を受け、中国は石油・石炭の輸出拡大を通じて外貨を獲得し、経済発展に必要な技術、プラント及び建設用資材の輸入に充当することとなります。その後、1990年(平成2)12月18日に、「日中長期貿易延長取り決め(五年延長)」(第2次取決め)が調印され、それ以降現在に至るまで5年毎に更新延長がなされてきました。
 以下に、「日中長期貿易取り決め」(第1次取決め)と「日中長期貿易延長取り決め(五年延長)」(第2次取決め)の日本語版を掲載しておきましたから、ご参照下さい。

〇「日中長期貿易取り決め」関係略年表

・1972年(昭和47)9月29日 「日中共同声明」が出される
・1972年(昭和47) 周恩来総理、稲山嘉寛経団連副会長、財団法人日中経済協会会長をはじめとする関係者の間で「中国から石油と石炭を日本へ輸出し、日本から設備、資材を中国へ輸出する」という長期協定構想を打診・検討する
・1977年(昭和42)10月 日本側・中国側でそれぞれ日中長期貿易取決め推進委員会、中日長期貿易協議委員会が設立される
・1978年(昭和43)1月 日中長期貿易取決め推進委員会の総会が開催され、取決め文案が承認されると共に、推進委員会を改組し、日中長期貿易協議委員会(当時委員長:稲山嘉寛)が発足する
・1978年(昭和43)2月16日 「日中長期貿易取り決め」(第1次取決め)が調印される
・1978年(昭和43)8月12日 「日中平和友好条約」が調印される
・1986年(昭和61) 実質的な更新延長の取決めが調印される(第2次取決め)
・1990年(平成2)12月18日 第3次取決めに調印(有効期間:1991~1995年)する
・1995年(平成7)9月 第4次取決めに調印(有効期間:1996~2000年)する
・2000年(平成12)12月 第5次取決めに調印(有効期間:2001年~2005年)する
・2005年(平成17)12月 第6次取決めに調印(有効期間:2006~2010年)する
・2011年(平成23)1月 第7次取決めに調印(有効期間:2011~2015年)する
・2016年(平成28)11月 第8次覚書に調印(有効期間:2016~2020年)する
 ※文書名が今次より「日中長期貿易取決め」から「日中長期貿易協議に関する協力覚書」に改名
・2021年(令和3)3月 第9次覚書に調印(有効期間:2021~2025年)する

☆「日中長期貿易取り決め」(第1次取決め) 1978年(昭和43)2月16日調印

 日本日中長期貿易協議委員会と中国中日長期貿易協議委員会は、日中両国政府の共同声明及び貿易協定の精神に基づき、平等互恵、有無相通及び輸出入均衡の基礎の上に、両国の経済・貿易関係を長期的かつ安定的に発展させるため、友好的に協議を行い、それぞれの政府の支持を受けて、日本から中国に技術及びプラント並びに建設用資材・機材を輸出し、中国から日本に原油と石炭を輸出する長期貿易の取り決めを日中両国間の貿易の一部として、以下のとおり締結する。

第一条 本取り決めの有効期間は、一九七八年から一九八五年までの八年間とする。
 本取り決めの有効期間内における双方の輸出総金額は、それぞれ百億米ドル前後とする。

第二条 本取り決めの第一年度(一九七八年)から第五年度(一九八二年)までの日本側から中国側に輸出する技術及びプラントは約七十億乃至八十億米ドル、建設用資材・機材は約二十億乃至三十億米ドルとする。
 双方は、毎年締結する契約金額をもって確定金額とすることに同意する。
 本取り決めの第一年度(一九七八年)から第五年度(一九八二年)までの中国側から日本側に輸出する商品及び数量は下記のとおりである。

年度 数量単位  原油 原料炭   一般炭
一九七八 万トン 七〇〇 一五〜三〇 一五〜二〇
一九七九 万トン 七六〇 五〇 一五〜二〇
一九八〇 万トン 八〇〇 一〇〇 五〇〜六〇
一九八一 万トン 九五〇 一五〇 一〇〇〜一二〇
一九八二 万トン 一、五〇〇 二〇〇 一五〇〜一七〇

 双方は、本取り決めの第六年度(一九八三年)から第八年度(一九八五年)までの中国側から日本側に輸出する商品及び数量について、一九八一年内に協議し、確定することに同意する。取り決めの最後の三年間における、中国側から日本側に輸出する原油及び石炭の数量は、本取り決めの第五年度の数量を基礎にして、逐年増加するものとする。

第三条 双方は、原則として延払い方式で日本側から中国側に技術及びプラント並びに建設用資材・機材を輸出することに同意する。

第四条 本取り決めに基づく取引は、日本側当事者と中国側関係輸出入総公司との個別契約を締結することによって行うものとする。
 双方は、合理的な国際価格と国際貿易の慣例に基づいて取引を行うことに同意する。

第五条 双方は、本取り決めを実行し、日中両国の経済交流を拡大するため、必要な科学技術分野において技術協力を行うことに同意する。

第六条 双方は、本取り決めに基づく取引上の決済の進捗状況を把握するため、それぞれ外国為替銀行一行を選定し、所要の統計作業を担当させることに同意する。
 日本側は東京銀行とし、中国側は中国銀行とする。
 両行は必要な統計をとり、相互に連絡を行うものとする。

第七条 本取り決めに基づく取引契約書、信用状、為替手形及び保証状にはすべて下記の符号を付することとする。第一年度分に対してはLT−1、第二年度分に対してはLT−2(以下同様)とする。

第八条 双方は、本取り決めを実行するため、それぞれ事務局を設置し、連絡及び関係事務の処理を行うものとする。
 日本側は、日本日中長期貿易協議委員会事務局を東京に設け、中国側は、中国中日長期貿易協議委員会弁事処を北京に設けるものとする。

第九条 双方は、本取り決めの実行及び本取り決めに関する問題を協議するため、双方の代表が毎年交互に東京と北京で会談を行うことに同意する。

第十条 本取り決めは、双方の同意なしに破棄することができないものとする。
 本取り決めに基づき締結した契約は、双方の契約当事者の同意なしに破棄することができないものとする。

第十一条 本取り決めの有効期間は、調印した日から一九八五年十二月三十一日までとする。
 本取り決めは、双方協議し、同意の上、これを修正することができるものとする。

第十二条 本取り決め書は、一九七八年二月十六日北京において調印し、日中両国語により各二通を作成し、双方それぞれ一通を保有する。
 両国語の取り決め書は同等の効力をもつ。

  日本日中長期貿易協議委員会 委員長 稲山嘉寛

  中国中日長期貿易協議委員会 主任 劉希文

    「日中関係基本資料集」より

☆「日中長期貿易延長取り決め(五年延長)」(第2次取決め) 1990年(平成2)12月18日調印

 日本日中長期貿易協議委員会と中国中日長期貿易協議委員会は、日中両国政府の共同声明、日中平和友好条約、日中関係四原則及び日中貿易協定の精神に基づき、両国の経済・貿易関係を更に長期的かつ安定的に発展させるため、一九七八年双方が調印した日中長期貿易取決めの成果の基礎の上に、友好的に協議を行い、それぞれの政府の支持を受けて、日本から中国に技術・プラント設備及び建設資機材を輸出し、中国から日本に原油と石炭を輸出する長期貿易の取決めを、日中両国間貿易の一部として、以下のとおり締結する。

第一条 本取決めの有効期間は、一九九一年から一九九五年までの五年間とする。
2、本取決めの有効期間内における双方の輸出総金額は、それぞれ八十億米ドル前後とする。

第二条 本取決めの第一年度(一九九一年)から第五年度(一九九五年)までに、中国側から日本側に毎年、原油を八百八十万ないし九百三十万トン、原料炭を百四十万ないし百八十万トン、一般炭を二百五十万ないし三百五十万トン輸出する。
2、前項の原油、原料炭及び一般炭の対日輸出については、中国側は関係公司に対し、契約通り荷渡期日を遵守し、品質を保証するようにさせるものとする。

第三条 本取決めの第一年度(一九九一年)から第五年度(一九九五年)までに、日本側が中国側に輸出する技術・プラント設備及び建設資機材(主な品目リスト別添のとおり)の金額を八十億米ドル前後とする。
2、技術・プラント設備及び建設資機材の対中輸出については、日本側は日本政府に対し、輸出承認手続き、貿易保険の付保等が円滑に進むよう働きかけるものとする。

第四条 本取決めに基づく取引は、日本の関係輸出入企業と中国の関係輸出入公司との個別契約を締結することによって行うものとする。
2、双方は、合理的な国際価格と国際貿易の慣例に基づいて取引を行うことに同意する。
3、双方は、取決めの数量、金額を達成するよう努力するものとし、毎年締結する契約金額をもって取決めの金額とすることに同意する。

第五条 双方は、本取決めを実行し、日中両国の経済交流を拡大するため、必要な科学技術分野において技術協力を行うことに同意する。

第六条 双方は、本取決めに基づく取引上の決済の進捗状況を把握するため、それぞれ外国為替銀行一行を選定し、必要な統計作業を担当させることに同意する。
2、日本側は東京銀行とし、中国側は中国銀行とする。両行は必要な統計措置をとり、相互に連絡を行うものとする。

第七条 本取決めに基づく取引の契約、信用状、為替手形及び保証状にはすべて次項の符号を付することとする。
2、第一年度分に対してはLT−II−1、第二年度分に対してはLT−II−2(以下同様)とする。

第八条 双方は、本取決めを実行するため、日本側は日中長期貿易協議委員会事務局、中国側は中日長期貿易協議委員会弁事処を通じ、連絡及び関連業務を行うものとする。

第九条 本取決めの実行及び本取決めに関する問題を協議するため、双方の代表は、毎年一回交互に東京と北京で会談を行う。

第十条 本取決めは、双方協議し、同意の上、これを修正又は延長することができるものとする。
2、本取決めに基づき締結した契約は、双方の契約当事者の同意なしに破棄することができないものとする。

第十一条 本取決め書は、一九九〇年十二月十八日東京において調印し、日中両国語により各二通を作成し、双方それぞれ一通を保有する。両国語の取決め文書は同等の効力を持つ。

日本日中長期貿易協議委員会 委員長 河合 良一

中国中日長期貿易協議委員会 主任 沈覚人

(別添)

 日中長期貿易取決めに基づき日本側が中国側に輸出する主な技術・プラント設備及び建設資機材の商品リスト

一、エネルギー及びその関連
 1、発電設備及び同関連設備
 2、省エネルギー・公害防止設備技術
 3、油田開発、炭鉱開発設備技術機械(含輸送設備)
 4、都市ガス関係設備技術

二、農業開発関係
 1、農業基盤整備関連機械技術
 2、農業機械技術

三、輸送通信関係
 1、交通輸送システム関係設備機械
 2、通信設備技術機械
 3、輸送車両等製造設備技術

四、重要原材料等生産設備
 1、石油化学工場設備
 2、製鉄所設備
 3、セメントエ場設備
 4、化学肥料工場設備

五、電子関係
 1、機械電子設備
 2、大容量集積回路
 3、ファインケミカル

六、技術改造関係
 1、輸出企業技術改造
 2、重点企業技術改造

七、その他
 特定建設に必要な建設資機材

   「日中関係基本資料集」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

935年(承平5)紀貫之が土佐から京に帰着し、『土佐日記』の旅を終える(新暦3月23日)詳細
1190年(文治6)武士・僧侶・歌人西行の命日(新暦3月31日)詳細
1666年(寛文6)儒学者・思想家・文献学者荻生徂徠の誕生日(新暦3月21日)詳細
1884年(明治17)日本画家・能書家安田靫彦の誕生日詳細
1948年(昭和23)「当用漢字音訓表」と「当用漢字別表」が公布され、881字がいわゆる「教育漢字」とされる詳細
1987年(昭和62)歴史学者・文学博士坂本太郎の命日詳細
2006年(平成18)兵庫県神戸市に神戸空港(愛称:マリンエア)が開港する詳細
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 今日は、明治時代前期の1889年(明治22)に、「大日本国憲法」と同時に、旧「皇室典範」が制定された日です。
 「皇室典範」(こうしつてんぱん)は、皇位継承・皇族・摂政・皇室会議など、皇室に関する重要事項を定めた法律です。旧「皇室典範」は、明治時代前期の1889年(明治22)に「大日本帝国憲法」と同時に制定され、同憲法と共に、同等の形式的効力をもつ国の最高法規で、議会も干与できず、両者を合わせて「典憲」と称しました。
 皇位継承、践祚、即位、摂政、皇室経費などが規定され、その改正は皇族会議、枢密院への諮問だけで勅定されています。その中で、1907年(明治40)2月11日に「皇室典範増補」、1918年(大正7)11月28日にも「皇室典範増補」が制定されて、追加増補されました。しかし、太平洋戦争敗戦後、連合国軍占領下の1947年(昭和22)5月1日に、「皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件」によって、同年5月2日限りで廃止されました。
 「日本国憲法」の下では、1947年(昭和22)1月16日に、通常の法律の一つとして、現行の「皇室典範」(昭和22年法律3号)が公布され、「日本国憲法」と同じく、5月3日に施行されています。現行の「皇室典範」は、①皇位継承、②皇族、③摂政、④成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓、⑤皇室会議の各章から成っています。
 以下に、旧「皇室典範」と2つの「皇室典範増補」、「皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇旧「皇室典範」 1889年(明治22)2月11日制定

天佑ヲ享有シタル我カ日本帝国ノ宝祚ハ万世一系歷代継承シ以テ朕カ躬ニ至ル惟フニ祖宗肇国ノ初大憲一タヒ定マリ昭ナルコト日星ノ如シ今ノ時ニ当リ宜ク遺訓ヲ明徴ニシ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ強固ニスヘシ茲ニ枢密顧問ノ諮詢ヲ継皇室典範ヲ裁定シ朕カ後嗣及子孫ヲシテ遵守スル所アラシム

御名御璽

明治二十二年二月十一日

   第一章 皇位継承

第一条 大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス

第二条 皇位ハ皇長子ニ伝フ

第三条 皇長子在ラサルトキハ皇長孫ニ伝フ皇長子及其ノ子孫皆在ラサルトキハ皇次子及其ノ子孫ニ伝フ以下皆之ニ例ス

第四条 皇子孫ノ皇位ヲ継承スルハ嫡出ヲ先ニス皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラサルトキニ限ル

第五条 皇子孫皆在ラサルトキハ皇兄弟及其ノ子孫ニ伝フ

第六条 皇兄弟及其ノ子孫皆在ラサルトキハ皇伯叔父及其ノ子孫ニ伝フ

第七条 皇伯叔父及其ノ子孫皆在ラサルトキハ其ノ以上ニ於テ最近親ノ皇族ニ伝フ

第八条 皇兄弟以上ハ同等内ニ於テ嫡ヲ先ニシ庶ヲ後ニシ長ヲ先ニシ幼ヲ後ニス

第九条 皇嗣精神若ハ身体ノ不治ノ重患アリ又ハ重大ノ事故アルトキハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シ前数条ニ依リ継承ノ順序ヲ換フルコトヲ得

   第二章 践祚即位

第十条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク

第十一条 即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ

第十二条 践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ

   第三章 成年立后立太子

第十三条 天皇及皇太子皇太孫ハ満十八年ヲ以テ成年トス

第十四条 前条ノ外ノ皇族ハ満二十年ヲ以テ成年トス

第十五条 儲嗣タル皇子ヲ皇太子トス皇太子在ラサルトキハ儲嗣タル皇孫ヲ皇太孫トス

第十六条 皇后皇太子皇太孫ヲ立ツルトキハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス

   第四章 敬称

第十七条 天皇太皇太后皇太后皇后ノ敬称ハ陛下トス

第十八条 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王ノ敬称ハ殿下トス

   第五章 摂政

第十九条 天皇未タ成年ニ達セサルトキハ摂政ヲ置ク
2 天皇久キニ亙ルノ故障ニ由リ大政ヲ親ラスルコト能ハサルトキハ皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ経テ摂政ヲ置ク

第二十条 摂政ハ成年ニ達シタル皇太子又ハ皇太孫之ニ任ス

第二十一条 皇太子皇太孫在ラサルカ又ハ未タ成年ニ達セサルトキハ左ノ順序ニ依リ摂政ニ任ス
  第一 親王及王
  第二 皇后
  第三 皇太后
  第四 太皇太后
  第五 内親王及女王

第二十二条 皇族男子ノ摂政ニ任スルハ皇位継承ノ順序ニ従フ其ノ女子ニ於ケルモ亦之ニ準ス

第二十三条 皇族女子ノ摂政ニ任スルハ其ノ配偶アラサル者ニ限ル

第二十四条 最近親ノ皇族未タ成年ニ達セサルカ又ハ其ノ他ノ事故ニ由リ他ノ皇族摂政ニ任シタルトキハ後来最近親ノ皇族成年ニ達シ又ハ其ノ事故既ニ除クト雖皇太子及皇太孫ニ対スルノ外其ノ任ヲ譲ルコトナシ

第二十五条 摂政又ハ摂政タルヘキ者精神若ハ身体ノ重患アリ又ハ重大ノ事故アルトキハ皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ経テ其ノ順序ヲ換フルコトヲ得

   第六章 太傅

第二十六条 天皇未タ成年ニ達セサルトキハ太傅ヲ置キ保育ヲ掌ラシム

第二十七条 先帝遺命ヲ以テ太傅ヲ任セサリシトキハ摂政ヨリ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シ之ヲ選任ス

第二十八条 太傅ハ摂政及其ノ子孫之ニ任スルコトヲ得ス

第二十九条 摂政ハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シタル後ニ非サレハ太傅ヲ退職セシムルコトヲ得ス

   第七章 皇族

第三十条 皇族ト称フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王ヲ謂フ

第三十一条 皇子ヨリ皇玄孫ニ至ルマテハ男ヲ親王女ヲ内親王トシ五世以下ハ男ヲ王女ヲ女王トス

第三十二条 天皇支系ヨリ入テ大統ヲ承クルトキハ皇兄弟姉妹ノ王女王タル者ニ特ニ親王内親王ノ号ヲ宣賜ス

第三十三条 皇族ノ誕生命名婚嫁薨去ハ宮内大臣之ヲ公告ス

第三十四条 皇統譜及前条ニ関ル記録ハ図書寮ニ於テ尚蔵ス

第三十五条 皇族ハ天皇之ヲ監督ス

第三十六条 摂政在任ノ時ハ前条ノ事ヲ摂行ス

第三十七条 皇族男女幼年ニシテ父ナキ者ハ宮内ノ官僚ニ命シ保育ヲ掌ラシム事宜ニ依リ天皇ハ其ノ父母ノ選挙セル後見人ヲ認可シ又ハ之ヲ勅選スヘシ

第三十八条 皇族ノ後見人ハ成年以上ノ皇族ニ限ル

第三十九条 皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅旨ニ由リ特ニ認許セラレタル華族ニ限ル

第四十条 皇族ノ婚嫁ハ勅許ニ由ル

第四十一条 皇族ノ婚嫁ヲ許可スルノ勅書ハ宮内大臣之ニ副署ス

第四十二条 皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス

第四十三条 皇族国彊ノ外ニ旅行セムトスルトキハ勅許ヲ請フヘシ

第四十四条 皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタル者ハ皇族ノ列ニ在ラス但シ特旨ニ依リ仍内親王女王ノ称ヲ有セシムルコトアルヘシ

   第八章 世伝御料

第四十五条 土地物件ノ世伝御料ト定メタルモノハ分割譲与スルコトヲ得ス

第四十六条 世伝御料ニ編入スル土地物件ハ枢密顧問ニ諮詢シ勅書ヲ以テ之ヲ定メ宮内大臣之ヲ公告ス

   第九章 皇室経費

第四十七条 皇室諸般ノ経費ハ特ニ常額ヲ定メ国庫ヨリ支出セシム

第四十八条 皇室経費ノ予算決算検査及其ノ他ノ規則ハ皇室会計法ノ定ムル所ニ依ル

   第十章 皇室訴訟及懲戒

第四十九条 皇族相互ノ民事ノ訴訟ハ勅旨ニ依リ宮内省ニ於テ裁判員ヲ命シ裁判セシメ勅裁ヲ経テ之ヲ執行ス

第五十条 人民ヨリ皇族ニ対スル民事ノ訴訟ハ東京控訴院ニ於テ之ヲ裁判ス但シ皇族ハ代人ヲ以テ訴訟ニ当ラシメ自ラ訟廷ニ出ルヲ要セス

第五十一条 皇族ハ勅許ヲ得ルニ非サレハ勾引シ又ハ裁判所ニ召喚スルコトヲ得ス

第五十二条 皇族其ノ品位ヲ辱ムルノ所行アリ又ハ皇室ニ対シ忠順ヲ缺クトキハ勅旨ヲ以テ之ヲ懲戒シ其ノ重キ者ハ皇族特権ノ一部又ハ全部ヲ停止シ若ハ剥奪スヘシ

第五十三条 皇族蕩産ノ所行アルトキハ勅旨ヲ以テ治産ノ禁ヲ宣告シ其ノ管財者ヲ任スヘシ

第五十四条 前二条ハ皇族会議ニ諮詢シタル後之ヲ勅裁ス

   第十一章 皇族会議

第五十五条 皇族会議ハ成年以上ノ皇族男子ヲ以テ組織シ内大臣枢密院議長宮内大臣司法大臣大審院長ヲ以テ参列セシム

第五十六条 天皇ハ皇族会議ニ親臨シ又ハ皇族中ノ一員ニ命シテ議長タラシム

   第十二章 補則

第五十七条 現在ノ皇族五世以下親王ノ号ヲ宣賜シタル者ハ旧ニ依ル

第五十八条 皇位継承ノ順序ハ総テ実系ニ依ル現在皇養子皇猶子又ハ他ノ継嗣タルノ故ヲ以テ之ヲ混スルコトナシ

第五十九条 親王内親王王女王ノ品位ハ之ヲ廃ス

第六十条 親王ノ家格及其ノ他此ノ典範ニ牴触スル例規ハ総テ之ヲ廃ス

第六十一条 皇族ノ財産歳費及諸規則ハ別ニ之ヲ定ムヘシ

第六十二条 将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ

〇「皇室典範増補」 1907年(明治40)2月11日制定

第一条 王ハ勅旨又ハ情願ニ依リ家名ヲ賜ヒ華族ニ列セシムルコトアルヘシ

第二条 王ハ勅許ニ依リ華族ノ家督相続人トナリ又ハ家督相続ノ目的ヲ以テ華族ノ養子トナルコトヲ得

第三条 前二条ニ依リ臣籍ニ入リタル者ノ妻直系卑属及其ノ妻ハ其ノ家ニ入ル但シ他ノ皇族ニ嫁シタル女子及其ノ直系卑属ハ此ノ限ニ在ラス

第四条 特権ヲ剥奪セラレタル皇族ハ勅旨ニ由リ臣籍ニ降スコトアルヘシ
2 前項ニ依リ臣籍ニ降サレタル者ノ妻ハ其ノ家ニ入ル

第五条 第一条第二条第四条ノ場合ニ於テハ皇族会議及枢密顧問ノ諮詢ヲ経ヘシ

第六条 皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス

第七条 皇族ノ身位其ノ他ノ権義ニ関スル規程ハ此ノ典範ニ定メタルモノノ外別ニ之ヲ定ム
2 皇族ト人民トニ渉ル事項ニシテ各々適用スヘキ法規ヲ異ニスルトキハ前項ノ規程ニ依ル

第八条 法律命令中皇族ニ適用スヘキモノトシタル規定ハ此ノ典範又ハ之ニ基ツキ発スル規則ニ別段ノ条規ナキトキニ限リ之ヲ適用ス

〇「皇室典範増補」 1918年(大正7)11月28日制定

皇族女子ハ王族又ハ公族ニ嫁スルコトヲ得

〇「皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件」 1947年(昭和22)5月1日制定

明治二十二年裁定ノ皇室典範並ニ明治四十年及大正七年裁定ノ皇室典範増補ハ昭和二十二年五月二日限リ之ヲ廃止ス

   「ウィキソース」より
 ※旧字を新字に直してあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1856年(安政3) 江戸幕府が洋学所を「蕃書調所」と改称する(新暦3月17日) 詳細
1875年(明治7) 大久保利通・木戸孝允・板垣退助らが大阪で会談(大阪会議)し政治改革について協定する 詳細
1883年(明治16) 日本画家小林古径の誕生日 詳細
1889年(明治22) 陸羯南を社長兼主筆として東京で日刊新聞「日本」が創刊される 詳細
1937年(昭和12) 「文化勲章令」が公布・施行され、文化の発展に業績のあった人に文化勲章を授与することが決まる 詳細
1942年(昭和17) 東条英機首相臨席のもと、日本少国民文化協会の発会式が、東京の情報局講堂で行われる 詳細
1945年(昭和20) ヤルタ会談で協議の上、米・英・ソ3ヶ国政府首脳によってヤルタ協定が結ばれる 詳細
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LockheedL1011
 今日は、昭和時代後期の1976年(昭和51)に、米上院・多国籍企業小委員会の公聴会でロッキード社の日本政府高官への贈賄が発覚し、ロッキード事件の発端となった日です。
 ロッキード事件(ロッキードじけん)は、昭和時代後期の1976年(昭和51)に発覚したアメリカのロッキード社の対日航空機売込みにかかる汚職事件です。これによって、前内閣総理大臣田中角栄(自民党)、元運輸大臣橋本登美三郎(自民党)、運輸政務次官佐藤孝行(自民党)の政治家と全日空の若狭得治社長以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、黒幕と言われた児玉誉士夫や国際興業社主の小佐野賢治が逮捕され、1995年(平成7)の最高裁判決に至る過程で有罪が確定しました。
 この事件は、戦後最大の汚職事件で、政界・官界・財界の癒着による構造汚職といわれ、自民党政治の腐敗・金権体質として批判されることになります。

〇ロッキード事件関係略年表

<1976年(昭和51)>
・2月4日 米国上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会でロッキード社が航空機売り込みのための対日工作を証言する
・2月6日 ロッキード社コーチャン副会長が「丸紅・伊藤宏専務に支払った金が政府高官に渡った」と証言する
・2月16日 衆議院予算委員会で証人喚問が始まる
・2月18日 ロッキード事件で初の検察首脳会議が開かれる
・2月24日 検察庁、東京国税局、警視庁の三庁合同で丸紅本社や児玉邸など、27か所を一斉捜索する
・3月1日 衆議院予算委員会で第二次証人喚問がなされる
・3月4日 児玉誉士夫の臨床取り調べが開始される
・3月13日 児玉を約8億5374万円分の所得税脱税で起訴
・3月23日 児玉邸に小型機が自爆攻撃、操縦していた自称右翼の男が死亡する
・3月24日 米国からの資料提供に関する日米司法取り決め調印する
・4月2日 田中角栄前首相、田中派の「七日会」臨時総会で「所感」表明する
・4月10日 米国からの資料が検察庁に到着する
・5月10日 児玉誉士夫を外為法違反で追起訴する
・5月13日 自民党の椎名悦三郎副総裁、田中前首相、大平正芳蔵相、福田赳夫副総裁が“三木(首相)おろし”を画策していたことが判明する
・6月10日 児玉の通訳、福田太郎が死亡する
・6月22日 特捜部、偽証罪で丸紅・大久保利春前専務を逮捕、同地検と警視庁、全日空・澤雄次専務ら3人を外為法違反で逮捕する
・7月2日 特捜部、丸紅・伊藤宏前専務を偽証罪で逮捕する
・7月7日 特捜部、全日空・藤原亨一取締役を外為法違反で逮捕する
・7月8日 特捜部、全日空・若狭得治社長を外為法違反と偽証罪で逮捕する
・7月9日 特捜部、全日空・渡辺尚次副社長を偽証罪で逮捕する
・7月13日 特捜部、丸紅・檜山廣前会長を外為法違反で逮捕する
・7月27日 自民党衆議院議員で元内閣総理大臣の田中角栄が、受託収賄と外国為替及び「外国貿易管理法」(外為法)違反の疑いで逮捕され、田中前首相が自民党を離党する
・8月2日 田中前首相の私設秘書兼運転手・笠原政則の自殺体を発見する
・8月16日 田中前首相を受託収賄・外為法違反で起訴、丸紅・檜山、大久保、伊藤を贈賄で起訴する
・8月17日 田中前首相を保釈(保釈金2億円)する
・8月20日 特捜部、佐藤孝行・元運輸政務次官を受託収賄容疑で逮捕する
・8月21日 特捜部、橋本登美三郎・元運輸大臣を受託収賄容疑で逮捕する

<1977年(昭和52)>
・1月21日 小佐野賢治・国際興業社主を偽証で起訴、児玉誉士夫を脱税、外為法違反で起訴する
・1月27日 丸紅ルート第一回公判 田中、榎本は5億円の受領を否認する
・6月2日 児玉誉士夫の審理を開始する

<1981年(昭和56)>
・11月5日 児玉ルート東京地裁判決で、小佐野賢治を懲役1年(控訴)とする

<1982年(昭和57)>
・1月26日 全日空ルート東京地裁判決、若狭得冶 懲役3年・執行猶予5年(控訴)、渡辺尚次 懲役1年2か月・執行猶予3年(有罪確定)
・6月8日 全日空ルート東京地裁判決 橋本登美三郎 懲役2年6か月・執行猶予3年・追徴金500万円(控訴)、佐藤孝行 懲役2年・執行猶予3年・追徴金200万円(控訴)

<1983年(昭和58)>
・10月12日 丸紅ルート東京地裁判決、田中角栄 懲役4年・追徴5億円(控訴)、榎本敏夫 懲役1年 執行猶予3年(控訴)、檜山廣 懲役2年6か月(控訴)、伊藤宏 懲役2年(控訴)、大久保利春 懲役2年 執行猶予4年(控訴)

<1984年(昭和59)>
・1月25日 児玉誉士夫死亡につき公訴棄却される
・4月27日 児玉ルート東京高裁判決、小佐野賢治 懲役10か月・執行猶予3年(上告)

<1986年(昭和61)>
・5月14日 東京高裁、佐藤孝行に対し、控訴棄却(上告取り下げ有罪確定)
・5月16日 東京高裁、橋本登美三郎に対し、控訴棄却(上告)
・5月28日 東京高裁、若狭得治に対し、控訴棄却(上告)
・11月12日 小佐野賢治の死亡につき公訴棄却される

<1987年(昭和62)>
・7月29日 丸紅ルート東京高裁判決、伊藤宏  懲役2年・執行猶予4年(上告せず有罪確定)、大久保利春 懲役2年・執行猶予4年(伊藤以外の被告人は上告)

<1990年(平成2)>
・2月13日 橋本登美三郎の死亡につき公訴棄却される

<1991年(平成3)>
・12月17日 大久保利春の死亡につき公訴棄却される

<1992年(平成4)>
・9月18日 最高裁、若狭得治に対し上告棄却(有罪確定)

<1993年(平成5)>
・12月24日 田中角栄の死亡につき公訴棄却される

<1995年(平成7)>
・2月22日 最高裁、榎本敏夫および檜山廣に対し、上告棄却(有罪確定)ただし、コーチャンらの嘱託尋問調書については証拠能力を否定する

☆戦後の政治家がかかわった主要な汚職事件(贈収賄・利益供与など)

・1947年(昭和22) - 炭鉱国管疑獄
・1948年(昭和23) - 昭和電工事件
・1954年(昭和29) - 造船疑獄
・1954年(昭和29) - 日興連汚職事件
・1957年(昭和32) - 売春汚職事件
・1961年(昭和36) - 武州鉄道汚職事件
・1965年(昭和40) - 東京都議会黒い霧事件
・1965年(昭和40) - 九頭竜川ダム汚職事件
・1966年(昭和41) - 田中彰治事件
・1966年(昭和41) - 共和製糖事件
・1967年(昭和42) - 大阪タクシー汚職事件
・1968年(昭和43) - 日通事件
・1976年(昭和51) - ロッキード事件
・1979年(昭和54) - ダグラス・グラマン事件
・1980年(昭和55) - KDD事件
・1986年(昭和61) - 撚糸工連事件
・1988年(昭和63) - リクルート事件
・1991年(平成3) - 共和汚職事件
・1992年(平成4) - 東京佐川急便事件
・1993年(平成5) - ゼネコン汚職事件
・2000年(平成12) - KSD事件
・2000年(平成12) - 若築建設事件
・2001年(平成13) - 中洲カジノバー汚職事件
・2002年(平成14) - 鈴木宗男事件
・2004年(平成16) - 日歯連・中医協汚職事件

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1181年(養和元)平安時代末期の武将・公卿平清盛の命日(新暦3月20日)詳細
1482年(文明14)室町幕府第8代将軍足利義政が、東山に慈照寺観音殿(銀閣寺)の造営を開始する(新暦2月21日)詳細
1604年(慶長9)江戸幕府が街道に日本橋を起点とした一里塚の設置を命ずる(新暦3月4日)詳細
1898年(明治31)日本画家・版画家伊東深水の誕生日詳細
1904年(明治37)明治天皇臨席の御前会議で、日露戦争の開戦が決定される詳細
1933年(昭和8)長野県で多数の学校教員などが「治安維持法」違反として検挙(二・四事件)され始める詳細
1966年(昭和41)全日空機羽田沖墜落事故が起こり、乗員・乗客133名全員が死亡する詳細
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