ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 政治・外交

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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、大阪市中央公会堂において、全日本無産青年同盟の創立大会が開催された日です。
 全日本無産青年同盟(ぜんにほんむさんせいねんどうめい)は、大正時代末期から昭和時代初期に活動した合法的左翼青年運動組織で、略称は「無青」と言います。大正時代の1926年(大正15)8月1日、大阪・中之島公会堂で、日本労働組合評議会の青年活動家を中心に、全国水平社、日本農民組合、大学の社会科学研究会の青年を結集して結成されました。
 創立大会では、18歳選挙権や青年の言論・出版・集会・結社の自由、自由結婚権の確立など41項目の要求をかかげた「綱領」を採択し、青年の全国的組織を完成させること、政治教育をすすめることなどを決定します。労働農民党を支持し、「兵役短縮」「満期後の就職要求」「満18歳以上の選挙権被選挙権獲得」などの活動を行ない、最高時で同盟員数は1万人余とされてきました。
 1927年(昭和2)10月15日に、中央機関紙「青年新聞」を創刊、同年11月20日、第2回大会開催したりしましたが、翌年4月10日、三・一五事件による弾圧の一環として、労働農民党、日本労働組合評議会と共に、「治安警察法」により、結社禁止処分を受けています。

〇全日本無産青年同関係略年表

・1925年(大正14)9月18日、全国水平社青年同盟2周年大会で組織解体・全国水平社無産者同盟創立・全国無産青年同盟参加を決定する
・1925年(大正14)10月8日 全日本無産青年同盟全国準備委員会が発足する
・1925年(大正14)11月1日 東京無産青年同盟創立大会が開催される
・1926年(大正15)8月1日 大阪市中央公会堂において創立大会が開かれ、日本労働組合評議会の青年活動家を中心に、全国水平社、日本農民組合、大学の社会科学研究会の青年を結集して結成される
・1927年(昭和2)10月15日 中央機関紙「青年新聞」を創刊する
・1927年(昭和2)11月20日 第2回大会が開催される
・1928年(昭和3)4月10日 三・一五事件による弾圧の一環として労働農民党、日本労働組合評議会とともに「治安警察法」に基づく結社禁止処分を受け、解散させられる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1810年(文化7)江戸幕府の老中・下総佐倉藩主堀田正睦の誕生日(新暦8月30日)詳細
1872年(明治5)東京・湯島の昌平黌講堂跡に日本初の公共図書館である書籍館が開設される(新暦9月3日)詳細
1881年(明治14)日本初の私設鉄道として、岩倉具視らの主唱で、旧大名、公卿華族等が出資して日本鉄道会社が創立される詳細
1885年(明治18)医師・詩人木下杢太郎の誕生日詳細
1894年(明治27)「日清戦争宣戦の詔書」が発せられて、日清戦争に対して正式に宣戦が布告される(日清戦争開戦)詳細
1907年(明治40)民俗学者・農村指導者・社会教育家宮本常一の誕生日詳細
1912年(大正元)日本初の労働組合である友愛会が結成される詳細
1913年(大正2)天竜川橋粱の複線化により、東海道本線の全線複線化が完成する詳細
1940年(昭和15)東京市内に「ぜいたくは敵だ」の戦時標語の立看板1,500本が配置される詳細
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 今日は、明治時代前期の1874年(明治7)に、明治新政府により、下関事件による英米仏蘭4か国への賠償金の支払いが完了した日です。
 下関事件(しものせきじけん)は、幕末の1863年(文久3)に攘夷親征の朝旨を実現するため、江戸幕府の攘夷実行開始期日の5月10日に、長州藩が下関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を加え、さらに同月23日にフランス軍艦、25日にオランダ軍艦にも砲撃した事件です。この結果、同年6月5日に報復として、アメリカとフランスの軍艦が関門海峡で長州軍艦2隻を撃沈し、長州の砲台を攻撃しました。
 しかし、長州藩は攘夷の態度を続け、翌元治元年7月19日に兵を京都へ派遣し、幕府側と交戦して御所にまで侵入するが撃退される「禁門の変(蛤御問の変)」を起こします。ところが、長州勢は完敗し、来島又兵衛は戦死、久坂玄瑞、真木和泉らは自刃するなど急進的指導者の大半を失うこととなり、京都市中も戦火により約3万戸が焼失しました。
 これを機に、長州藩は朝敵となり、江戸幕府の第一次長州征伐が行われることになります。尚、イギリス・フランス・オランダ・アメリカは再び報復のため、同年7月27日・28日に、キューパー中将(イギリス)を総司令官とする4ヶ国連合艦隊を横浜から出港させ、関門海峡に至って、8月5日から砲撃を始めました。
 長州藩側も応戦したものの、戦力に大きな開きがあり、8日までに長州藩の砲台は破壊されたり、上陸した4ヶ国側の兵員に占拠される「四国連合艦隊砲撃事件」が起こります。そこで、長州藩は8月8日に講和使節の使者に高杉晋作を任じ、4ヶ国連合艦隊との交渉を進め、同月18日に下関海峡の外国船通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸許可、下関砲台撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件を受け入れて講和が成立しました。
 これらの戦争を通じて列国の軍事力を目の当たりにした長州藩は、列国に接近しつつ、強力な統一国家建設を目指して、倒幕運動に向かうことになります。尚、1874年(明治7)に、明治新政府により、下関事件による英米仏蘭4か国への賠償金の支払いが完了しました。

〇「下関事件」関係略年表(日付は旧暦です)

<1853年(嘉永6)>
・7月8日 ペリー提督のアメリカ艦隊が浦賀沖に来航し、江戸幕府に開国を迫る

<1854年(安政元)>
・3月31日 江戸幕府は「日米和親条約」を締結する

<1858年(安政5)>
・7月29日 アメリカの強い要求により、江戸幕府は「日米通商修好条約」を締結する
 以後、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結ぶ(安政五ヶ国条約)

<1860年(万延元)>
・3月3日 水戸・薩摩脱藩浪士によって、江戸幕府大老井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)

<1861年(文久元)>
・3月 直目付長井雅楽が藩主毛利慶親に対し、藩の政治活動方針として「航海遠略策」を建白する
 以後、公武合体策を藩論としようとする

<1862年(文久2)>
・1月15日 坂下門外の変が起こり、公武合体を進めていた老中安藤信正と久世広周が失脚する
・2月11日 和宮と江戸幕府第14代将軍家茂の婚礼が行われる(和宮降嫁)
・6月 長州藩の公武合体派長井雅楽が藩主から罷免される
・8月21日 生麦事件が起きる

<1863年(文久3)>
・2月6日 長井雅楽が死罪を得る
・3月4日 江戸幕府第14代将軍徳川家茂が上洛する
・5月10日 江戸幕府は攘夷実行日(諸藩にも通達)とし、長州藩がアメリカ商船に対し砲撃を行う(下関事件)
・5月23日 長州藩がフランス軍艦に対し砲撃を行う(下関事件)
・5月25日 長州藩がオランダ軍艦に対し砲撃を行う(下関事件)
・6月5日 報復として米仏軍艦が関門海峡で長州軍艦2隻を撃沈し、長州の砲台を攻撃する(下関事件)
・7月2~4日 薩英戦争が起きる

<1864年(元治元)>
・6月5日 池田屋事件で攘夷派志士多数が殺害・捕縛される
・7月19日 長州藩は兵を京都へ派遣し、幕府側と交戦して御所にまで侵入するが撃退される(禁門の変)
・7月23日 朝廷は江戸幕府へ対して長州追討の勅命を発する(第一次長州征討)
・7月27日・28日 キューパー中将(イギリス)を総司令官とする四国連合艦隊が横浜を出港する
・8月5~8日 英・仏・米・蘭連合艦隊が、下関と彦島の砲台を砲撃・占領する(四国艦隊下関砲撃事件)
・8月8日 長州藩は講和使節の使者に高杉晋作を任じる
・8月18日 下関海峡の外国船通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸許可、下関砲台撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件を受け入れて講和が成立する

<1874年(明治7)>
・7月31日 明治新政府により、下関事件による英米仏蘭4か国への賠償金の支払いが完了する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1875年(明治8)民俗学者柳田國男の誕生日詳細
1924年(大正13)村上駅~鼠ケ関駅間の延伸開業で羽越本線が全通し、敦賀駅~青森駅間の日本海縦貫線が完成する詳細
1948年(昭和23)「政令201号」により公務員の団体交渉権が厳しく制限され、争議権が否認される詳細
1951年(昭和26)戦後初の国内民間航空会社である日本航空(会長:藤山愛一郎)の創立総会が開催される詳細
1952年(昭和27)警察予備隊を保安隊に改組するための「保安庁法」が制定公布される詳細
1985年(昭和60)東京に於て、「日中原子力協定」が締結される詳細
1986年(昭和61)外交官・在リトアニア日本領事代理杉原千畝の命日詳細
1987年(昭和62)北海道の釧路湿原が28番目の国立公園に指定される詳細
2006年(平成18)小説家吉村昭の命日詳細
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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、オーストリア・ハンガリー帝国が、セルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まった日です。
 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)は、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)との帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界的規模の戦争です。1914年(大正3)6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたサラエボ事件を発端として開戦しました。
 同盟側にはトルコ・ブルガリアなど、協商側には同盟を脱退したイタリアのほかベルギー・日本・アメリカ・中国など30を超える国や地域が連鎖的に参戦します。1918年(大正7)11月にドイツ降伏で同盟国側が敗北するまで、4年余りにわたってヨーロッパ戦場を中心に激戦が続きました。
 国家総力戦となり戦車や飛行機、毒ガスなど多くの近代兵器が使用され、犠牲者は兵士だけで約900万人にも及んだと言われています。日本は、1914年(大正3)に、「日英同盟」を理由にドイツに宣戦布告し、同年10月3日から14日にかけて、日本は南洋に艦隊を派遣し、ドイツ領南洋諸島(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)を占領しました。
 また、10月31日から日本とイギリスの連合軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻撃(青島の戦い)します。11月7日には青島を占領し、ここに東アジアでの戦闘は終了したものの、日本は戦死者415人、戦傷者907人を出しました。
 その後、1919年(大正9)のパリ講和会議で「ベルサイユ条約」が成立しましたが、日本は、ドイツの山東省権益と赤道以北の南洋諸島を委任統治領を得ることとなります。

〇第一次世界大戦関係略年表

<1914年(大正3年)> 
・6月28日 オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻、セルビアで組織された暗殺団に属するプリンチップによってサライエボで暗殺される(サライエボ事件)
・7月28日 オーストリア・ハンガリー帝国(以下オーストリアと略記)、セルビアに宣戦布告する
・7月30日 ロシア、総動員令を発令する
・8月1日 ドイツ、ロシアに宣戦布告する
・8月2日 ドイツ、ベルギーに対し領土通過を要求、ベルギーが拒否。ドイツ・オスマン帝国間に秘密同盟条約調印する
・8月3日 ドイツ軍、シュリーフェン・プランに従ってベルギーに進攻。ドイツ、フランスに宣戦布告する
・8月4日 イギリス、ドイツのベルギー中立侵犯を理由としてドイツに宣戦布告する
・8月5日 オーストリア、ロシアに宣戦布告。ドイツ軍、ベルギーのリエージュ要塞を攻撃する
・8月6日 セルビア、ドイツに宣戦布告する
・8月7日 日本の参戦を決定する閣議で外相加藤高明の主戦論大勢を制する(~8月8日)
・8月10日 フランス、オーストリアに宣戦布告する
・8月11日 イギリス、オーストリアに宣戦布告する
・8月15日 日本、ドイツに、ドイツ軍艦の東アジア撤退と膠州湾のドイツ租借地の引き渡しを求める最後通牒を交付する
・8月23日 日本、ドイツに宣戦布告する
・8月26日~8月31日 ドイツ軍、タンネンベルクの戦いでロシア軍を敗走させる
・9月3日 フランス政府、パリからボルドーに移る
・9月5日 イギリス・フランス・ロシア3国、ロンドン宣言を発表する
・9月6日 マルヌ川付近でフランス軍が反撃を開始し、マルヌの戦い始まる(~9月12日)
・9月11日 ドイツのフランス進攻軍右翼、エーヌ川の線まで後退を開始し、西部戦線の膠着化決定的となる
・9月14日 ファルケンハイン、小モルトケにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月19日 イギリス軍、ドイツ領南西アフリカに上陸する
・10月14日 日本海軍、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領する
・10月29日 ドイツ巡洋戦艦に率いられたオスマン帝国海軍、ロシアのオデッサ(現、ウクライナのオデーサ)、セバストポリを砲撃する
・11月1日 ロシア、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月3日 イギリスおよびフランス、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月7日 日本軍、膠州湾岸の青島を占領する
・11月22日 イギリス軍、ペルシア湾岸のバスラを攻略する
・12月8日 イギリス・ドイツ海軍、アルゼンチン沖のフォークランド諸島付近で戦い、ドイツが大敗する

<1915年(大正4年)>
・1月18日 日本政府、中国政府(大総統袁世凱政権)に「対華二十一か条要求」を提出する
・3月18日 イギリス・フランス艦隊、ダーダネルス海峡を猛砲撃する
・4月22日 イーペル(ベルギー)の戦い(~5月25日)でドイツ軍史上初めて毒ガスを使用する
・4月25日 イギリス軍、ダーダネルス海峡のゲリボル半島に上陸する
・4月26日 ロンドン密約調印され、協商国(三国協商)側がイタリアに参戦の代償として南チロールなどを提供することを約束する
・5月3日 イタリア、三国同盟条約を破棄する
・5月7日 イギリス商船ルシタニア号、ドイツ潜水艦に撃沈され、128名のアメリカ人乗客死亡(ルシタニア号事件)。日本政府、「対華二十一か条要求」のうち「希望条項」としての7か条を削除した残りの要求の受諾を迫って、中国政府に最後通牒を交付する
・5月9日 中国政府、日本の最後通牒を受諾する
・5月23日 イタリア、オーストリアに宣戦布告する
・8月10日 外相加藤高明、元老山県有朋の圧力によって辞職、後任は駐仏大使石井菊次郎となる
・8月17日 イギリス商船アラビック号、ドイツ潜水艦に撃沈され、2名のアメリカ人乗客が死亡する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議(~9月8日)が行われる
・9月18日 ドイツ政府、アメリカ政府の抗議を受けて潜水艦作戦の自制を決定(アラビック誓約)する
・10月12日 ブルガリア、同盟国側で参戦する
・10月19日 日本政府、イギリス・フランス・ロシア3国のロンドン宣言に加入する
・10月24日 イギリスのエジプト駐在高等弁務官マクマホン、アラブ王国の独立を約束した「マクマホン書簡」をメッカの知事フサインに渡す(フサイン‐マクマホン協定)
・1月1日 ドイツでスパルタクス団結成。袁世凱、皇帝に即位する
・1月6日 イギリス議会で義務徴兵法成立する
・2月21日 ベルダンの戦い始まる(~7月12日)
・3月24日 フランス船サセックス号、英仏海峡でドイツ潜水艦に撃沈され、アメリカ人乗客負傷し、アメリカ・ドイツ両国の関係悪化する(サセックス号事件)
・4月24日 スイスのキーンタールで国際社会主義者会議インターナショナル開催(~4月30日)する

<1916年(大正5年)>
・5月4日 ドイツ政府、ふたたび潜水艦作戦の自制を約束し、アメリカ・ドイツ間の関係一時修復に向かう
・5月16日 サイクス‐ピコ協定、最終的に成立する
・5月31日~6月1日 ユトランド沖海戦。イギリス海軍は14隻11万トンを、ドイツ海軍は11隻6万トンを失うが、イギリスの制海権は不動
・6月24日 ソンムの戦い始まる(~11月18日)
・7月3日 第4回日露協約成立する
・8月27日 ルーマニア、オーストリアに宣戦布告する
・8月28日 イタリア、ドイツに宣戦布告する
・8月29日 ヒンデンブルクがファルケンハインにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月15日 イギリス軍、ソンムの戦いに史上初めて戦車を投入する
・10月9日 寺内正毅内閣成立する
・10月21日 オーストリア首相シュトルク、社会主義者フリードリヒ・アドラーに暗殺される
・11月7日 ウィルソン、アメリカ大統領に再選する
・11月21日 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世死去し、カール1世が即位する
・12月5日 ロイド・ジョージ、アスキスにかわってイギリス首相に就任する
・12月12日 ドイツ首相ベートマン・ホルウェーク、同盟国側の講話提案を発表する

<1917年(大正6年)>
・1月22日 ウィルソン、「勝利なき平和」を提案する
・2月1日 ドイツ海軍、無制限潜水艦戦開始する
・2月3日 アメリカ、ドイツとの国交断絶する
・2月26日 アメリカ商船ラコニア号、ドイツ潜水艦に撃沈される
・3月12日 ペトログラードで労働者兵士ソビエト結成される
・3月15日 リボフを首相とするロシア臨時政府成立。ロシア皇帝ニコライ2世退位し、ロマノフ王朝滅亡(三月革命。ロシア暦では二月革命)する
・4月6日 アメリカ下院、対独宣戦を可決。アメリカ、ドイツに宣戦布告する
・4月16日 レーニン、「封印列車」で亡命先のチューリヒから帰国する
・4月17日 レーニン、「四月テーゼ」を発表する
・4月26日 ロイド・ジョージ、イギリス海軍に商船の護送(コンボイ)実施を命令する
・5月10日 ジブラルタルからイギリス本土向けの初めての護送船団出発する
・6月27日 ギリシア、同盟国側に宣戦布告する
・7月19日 ドイツ国会、平和決議案を可決する
・8月14日 中国、ドイツとオーストリアに宣戦布告する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議ふたたび開催される(~9月12日)
・11月2日 バルフォア宣言。石井‐ランシング協定成立する
・11月7日 ロシアのペトログラードでボリシェビキの軍事蜂起成功(十一月革命。ロシア暦では十月革命)する
・11月8日 レーニン、「平和に関する布告」を発表する
・11月16日 クレマンソー、フランス首相に就任。親ドイツ派への弾圧を開始する
・11月26日 ソビエト政権、全ロシア軍に停戦を命令する
・12月22日 ブレスト・リトフスクで、ロシアと同盟国側との講和交渉開始する

<1918年(大正7年)>
・1月8日 ウィルソン、「十四か条」を発表する
・1月28日 フィンランドにロシアからの分離を求める内乱起こる
・2月10日 ブレスト・リトフスクでの講和交渉中断され、ソビエト代表トロツキーは戦争状態終結のみを宣言して引き揚げる
・2月18日 ドイツ軍、ロシアへの攻撃を再開する
・2月23日 ボリシェビキ党中央委員会、ドイツの新しい講和条件の受諾を正式に決定
・3月3日 ソビエト政府、ドイツ側とブレスト・リトフスクで講和条約(ブレスト・リトフスク条約)に調印する
・3月21日 ドイツ軍、「ミヒャエル作戦」によってイギリス軍に対し大攻勢を開始。第二回目のソンムの戦い始まる(~4月5日)
・4月14日 フォッシュ、連合軍最高司令官に就任する
・5月7日 ルーマニア、同盟国側に降伏し、ブカレスト講和条約に調印する
・5月26日 ロシア軍の捕虜になっていたチェコ軍団、チェリャビンスクでソビエト政府に反乱を起こす
・7月15日 マルヌ川方面でドイツ軍大攻勢(第二回目のマルヌの戦い)をかける
・7月18日 英仏の連合軍、フォッシュの作戦に従って反撃開始する
・8月2日 日本政府、シベリア出兵を宣言。英仏軍、アルハンゲリスクに上陸し、対ソ干渉戦争本格化する
・8月3日 イギリス軍、ウラジオストクに上陸する
・8月19日 アメリカ軍、ウラジオストクに上陸する
・9月12日 パーシングの率いるアメリカ第一軍、ベルダン付近で初めて単独で戦い、ドイツ軍に大勝する
・9月15日 バルカン半島での連合軍の大攻勢始まる
・9月29日 ブルガリア降伏し、サロニカで休戦条約に調印する
・10月3日 ヘアトリングにかわり、マックス・フォン・バーデンがドイツ首相に就任し、「十四か条」に基づく休戦を求める覚書をウィルソンに送る
・10月8日 ウィルソンのドイツ政府への回答、ドイツ軍の連合国領土からの撤退を求める
・10月12日 ドイツ政府、ウィルソンの要求を受諾する
・10月26日 参謀次長ルーデンドルフ罷免する
・10月30日 オスマン帝国、レムノス島沖のイギリス巡洋艦上で休戦条約に調印する
・11月3日 ドイツのキール軍港で水兵の反乱起こる。オーストリア、休戦条約に調印する
・11月9日 マックス・フォン・バーデンがドイツ皇帝ウィルヘルム2世の退位を宣言、エーベルトに政権を委譲する
・11月10日 ウィルヘルム2世、オランダへ亡命する
・11月11日 ドイツ代表エルツベルガー、コンピエーニュの森で休戦条約に調印し、第一次世界大戦終わる。オーストリア皇帝カール1世が退位する

<1919年(大正8年)>
・1月18日 パリ講和会議始まる
・6月28日 ドイツ、ベルサイユ条約に調印する
・9月10日 オーストリア、サン・ジェルマン条約に調印する
・11月27日 ブルガリア、ヌイイ条約に調印する

<1920年(大正9年)>
・1月10日 国際連盟が発足する
・6月4日 ハンガリー、トリアノン条約に調印する
・8月10日 オスマン帝国、セーブル条約に調印(1923年のローザンヌ条約で、セーブル条約は廃棄)する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1480年(文明12)元関白一條兼好が室町幕府第9代将軍足利義尚に治政論書『樵談治要』を呈上する(新暦9月2日)詳細
1873年(明治6)「太政官布告第272号(地租改正)」と付属の「地租改正条例」が公布される詳細
1883年(明治16)日本初の私設鉄道として、日本鉄道会社の上野駅~熊谷駅間(現在の東北本線・高崎線)が開業する詳細
1907年(明治41)ロシアのサンクトペテルブルクにおいて、「日露漁業協約」が調印される詳細
1941年(昭和16)日本軍が南部仏印進駐を開始する詳細
1945年(昭和20) 青森大空襲において、焼失家屋18,045戸、被災者70,166人、死者1,018人、重軽傷者は255人を出す詳細
大平洋戦争に関し、鈴木貫太郎首相が、「ポツダム宣言」を黙殺し戦争を継続することを表明する詳細
1965年(昭和40)推理小説家江戸川乱歩の命日(乱歩忌)詳細
1989年(平成元)「緑の文明学会」・「社団法人日本公園緑地協会」が日本の都市公園100選を選ぶ詳細
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 今日は、江戸時代前期の1623年(元和9)に、徳川家光が江戸幕府第3代将軍に就任した日ですが、新暦では8月23日となります。
 江戸幕府(えどばくふ)は、徳川氏が江戸に開いた幕府による武家政権です。1603年(慶長8)に徳川家康が、征夷大将軍の宣下を受けて幕府を開き、1867年(慶応3)に第15代将軍徳川慶喜が大政奉還するまで、265年にわたり、江戸時代が続きました。
 家康以来続いた徳川の宗家は、第7代将軍家継の死で途絶えたのですが、御三家から将軍を迎え継続することになります。その後、将軍継嗣問題が起きたり、三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)を中心とした諸改革も行われましたが、幕府を立て直すことはたいへんでした。
 1853年(嘉永6)にペリーが浦賀に来航して開国を要求し、攘夷運動から倒幕運動へと進み、1867年(慶応3)の大政奉還によって、江戸幕府の終わりを告げました。

〇江戸幕府の歴代将軍(徳川家)一覧

・初代 家康(いえやす) 1603年(慶長8)~1605年(慶長10)
・2代 秀忠(ひでただ) 1605年(慶長10)~1623年(元和9)
・3代 家光(いえみつ) 1623年(元和9)~1651年(慶安4)
・4代 家綱(いえつな) 1651年(慶安4)~1680年(延宝8)
・5代 綱吉(つなよし) 1680年(延宝8)~1709年(宝永6)
・6代 家宣(いえのぶ) 1709年(宝永6)~1712年(正徳2)
・7代 家継(いえつぐ) 1712年(正徳2)~1716年(享保元)
・8代 吉宗(よしむね) 1716年(享保元)~1745年(寛保5)
・9代 家重(いえしげ) 1745年(寛保5)~1760年(宝暦10)
・10代 家治(いえはる) 1760年(宝暦10)~1786年(天明7)
・11代 家斉(いえなり) 1787年(天明7)~1837年(天保8)
・12代 家慶(いえよし) 1837年(天保8)~1853年(嘉永6)
・13代 家定(いえさだ) 1853年(嘉永6)~1858年(安政5)
・14代 家茂(いえもち) 1858年(安政5)~1866年(慶応2)
・15代 慶喜(よしのぶ) 1866年(慶応2)~1867年(慶応3)

☆徳川家光(とくがわ いえみつ)とは?

 江戸幕府の第3代将軍です。1604年(慶長9年7月17日)に、江戸幕府第2代将軍となった父・徳川秀忠の次男として、正室於江与(崇源院)を母として、江戸城内で生まれましたが、幼名は竹千代といいました。
 春日局が乳母となって育て、1620年(元和6)に正三位権大納言、続いて元服して家光と名のります。1623年(元和9)に父秀忠と共に上洛し、将軍宣下を受けて、第3代将軍となり、初めは土井利勝、酒井忠世らの補佐を得て幕政にあたりました。
 1632年(寛永9)の大御所秀忠の死後は、1635年(寛永12)「武家諸法度」を改訂して参勤交代を制度化して大名支配体制を確立、1638年(寛永15)島原の乱を平定してキリシタン取り締まりを強化、翌年にはポルトガル人追放を決定、1641年(寛永18)にはオランダ人を長崎出島に移して鎖国体制を整えるなどの“武断政治”と呼ばれる施策を実施します。これらによって、法制・職制・兵制などの諸制度が整い、以後200年余にわたる幕府の支配体制を確立しました。
 一方で、茶道・画等を嗜み、祖父家康を尊崇し、日光東照宮造営などに巨費を投じて、幕府財政窮乏の原因を作ったとも言われています。しかし、1651年(慶安4年4月20日)に、江戸城において、46歳で亡くなり、法号は大猷院とされ、日光山に葬られました。

☆徳川家光関係略年表

・1604年(慶長9) 徳川秀忠(江戸幕府第二代将軍)の次男として生まれる
・1620年(元和6) 正三位権大納言、続いて元服
・1623年(元和9) 父秀忠と共に上洛し、将軍宣下を受けて第三代将軍となる
・1623年(元和9) 摂家鷹司家から鷹司孝子が江戸へ下って輿入れする
・1623年(元和10) 諸国巡見使を派遣する
・1626年(寛永3) 再度上洛し従一位左大臣となる
・1632年(寛永9) 大御所秀忠が亡くなる
・1634年(寛永11) 三度上洛し太政大臣に任じられたが辞退する
・1635年(寛永12)「武家諸法度」を改定して初めて参勤交代の制度を定める
・1638年(寛永15) 島原の乱を平定する
・1639年(寛永16) ポルトガル船の日本渡航を禁止
・1641年(寛永18) オランダ人を長崎出島に移す
・1642年(寛永19) 寛永の大飢饉が発生する
・1643年(寛永20) 「田畑永代売買禁止令」を発布する
・1644年(寛永21) 宗門改めの制を定める
・1651年(慶安4) 江戸城において亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1471年(文明3)浄土真宗中興の祖・蓮如が越前に吉崎御坊を建てる(新暦8月13日)詳細
1719年(享保4)幕臣・大名・老中田沼意次の誕生日(新暦9月11日)詳細
1835年(天保6)日本画家橋本雅邦の誕生日(新暦8月21日)詳細
1940年(昭和15)大本営政府連絡会議において、「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱」が決定される詳細
1970年(昭和45)東京都で光化学スモッグ注意報・警報の発令体制が開始される詳細
1976年(昭和51)田中角榮前首相がロッキード事件で東京地検に逮捕される詳細
1986年(昭和61)遺伝学者木原均の命日詳細
1995年(平成7)人吉仮出入口~えびのIC間の開通(暫定2車線)により、九州自動車道が全線開通する詳細
2024年(令和6)新潟県佐渡市の「佐渡島の金山」が世界遺産(文化遺産)に登録される詳細
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 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、 第二次世界大戦に関連し、イギリスおよびイギリス連邦各国が「日英通商航海条約」の破棄を通告し、日本の資産を凍結した日です。
 「日英通商航海条約(にちえいつうしょうこうかいじょうやく)」は、日清戦争の直前、駐英公使青木周蔵と英外相キンバレーによりロンドンで調印された条約で、安政の五ヶ国条約以来の不平等条項の一つであった、治外法権の廃止に成功し、相互最恵国待遇を認めたものでした。
 日本は、領事裁判権と協定関税率等の不平等条項を定めた、江戸時代の安政の五ヶ国条約の改正を目指して、各国と何度も外交交渉を重ねますが、思うようには進展せずに推移します。その中で、ロシアを牽制したかったイギリスとの間で、1858年(安政5)締結の「日英修好通商条約」の改正に成功しました。
 内容は、①関税自主権の部分的回復、②日本内地の開放、③領事裁判権の撤廃などを規定し、1899年(明治32)から実施されることとなります。日本はこの条約に準じて、他の欧米諸国とも治外法権廃止の新条約を締結し、同時に発効させて、懸案だった条約改正実現の第一歩となり、国際的地位を向上させました。
 しかし、関税自主権の回復は不完全だったので、1911年(明治44)4月3日に新条約(小村条約)に調印して、税権を回収し、完全に平等な条約となります。しかし、第二次世界大戦に関連し、1941年(昭和16)7月26日に、 イギリスおよびイギリス連邦各国が「日英通商航海条約」の破棄を通告し、日本の資産を凍結することとなりました。
 以下に、「日英通商航海条約・附属議定書」の日本語訳を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「日英通商航海条約・附属議定書」ロンドンにおいて、1894年(明治27)7月16日締結

明治二十七年七月十六日倫敦ニ於テ調印(英文)
同年八月二十四日批准
同年八月二十五日東京ニ於テ批准書交換
同年八月二十七日公布

(譯文)

日本國皇帝陛下及大不列顚愛蘭聯合王國兼印度國皇帝陛下ハ兩國臣民ノ交際ヲ皇張增進シ以テ幸ニ兩國間ニ存在スル所ノ厚誼ヲ維持セムコトヲ欲シ而シテ此ノ目的ヲ逹セムニハ從來兩國間ニ存在スル所ノ條約ヲ改正スルニ如カサルヲ確信シ公正ノ主義ト相互ノ利益ヲ基礎トシ其ノ改正ヲ完了スルコトニ決定シ之カ爲メニ日本國皇帝陛下ハ英國駐劄帝國特命全權公使從二位勳一等子爵靑木周藏ヲ大不列顚愛蘭聯合王國兼印度皇帝陛下ハ其ノ外務大臣ガーター勳章ノ「ナイト」、ゼー、ライト、オノレーブル、ジヨン、キムバーレー伯爵ヲ各其ノ全權委員ニ任命セリ因テ各全權委員ハ互ニ其ノ委任狀ヲ示シ其ノ良好妥當ナルヲ認メ以テ左ノ諸條ヲ協議決定セリ

 第一條

兩締盟國ノ一方ノ臣民ハ他ノ一方ノ版圖內何レノ所ニ到リ、旅行シ或ハ住居スルモ全ク隨意タルヘク而シテ其ノ身體及財產ニ對シテハ完全ナル保護ヲ享受スヘシ
該臣民ハ其ノ權利ヲ伸張シ及防護セムカ爲メ自由ニ且容易ニ裁判所ニ訴出ルコトヲ得ヘク又該裁判所ニ於テ其ノ權利ヲ伸張シ及防護スルニ付內國臣民ト同樣ニ代言人、辯護人及代人ヲ選擇シ且使用スルコトヲ得ヘク而シテ右ノ外司法取扱ニ關スル各般ノ事項ニ關シテ內國臣民ノ享有スル總テノ權利及特典ヲ享有スヘシ
住居權、旅行權及各種動產ノ所有、遺囑又ハ其ノ他ノ方法ニ因ル所ノ動產ノ相續竝ニ合法ニ得ル所ノ各種財產ヲ如何ニ處分スルコトニ關シ兩締盟國ノ一方ノ臣民ハ他ノ一方ノ版圖內ニ在リテ內國若ハ最惠國ノ臣民或ハ人民ト同樣ノ特典、自由及權利ヲ享有シ且此等ノ事項ニ關シテハ內國若ハ最惠國ノ臣民或ハ人民ニ比シテ多額ノ稅金若ハ賦課金ヲ徴収セラルヽコトナカルヘシ兩締盟國ノ一方ノ臣民ハ他ノ一方ノ版圖內ニ於テ良心ニ關シ完全ナル自由及法律、勅令及規則ニ從テ公私ノ禮拜ヲ行フノ權利、竝ニ其ノ宗敎上ノ慣習ニ從ヒ埋葬ノ爲メ設置保存セラルル所ノ適當便宜ノ地ニ自國人ヲ埋葬スルノ權利ヲ享有スヘシ
何等ノ名義ヲ以テスルモ該臣民ヲシテ內國若ハ最惠國ノ臣民或ハ人民ノ納ムル所若ハ納ムヘキ所ニ異ナルカ又ハ之ヨリ多額ノ取立金若ハ租稅ヲ納メシムルヲ得ス

 第二條

兩締盟國ノ一方ノ臣民ニシテ他ノ一方ノ版圖內ニ居住スル者ハ陸軍、海軍、護國軍、民兵等ニ論ナク總テ强迫兵役ヲ免カレ且其ノ服役ノ代リトシテ取立ル所ノ一切ノ納金ヲ免カレ又一切ノ强募公債及軍事上ノ賦歛或ハ捐資ヲ免カルヘシ

 第三條

兩締盟國ノ間ニハ相互ニ通商及航海ノ自由アルヘシ
兩締盟國ノ一方ノ臣民ハ他ノ一方ノ版圖內何レノ所ニ於テモ總テ正業ニ屬スル各種ノ生產物、製造品及貨物ノ卸賣若ハ小賣營業ニ從事スルヲ得ヘシ右營業ニ從事スルニ於テ自身ニ之ヲ爲シ、或ハ代理人ヲ以テシ、又ハ一人ニテ之ヲ爲シ、或ハ外國人若ハ內國臣民ト組合ヲ結ヒテ之ヲ爲スモ隨意タルヘク又必要ナル家屋、製造所、倉庫、店舗及附屬構造物ヲ所有シ或ハ之ヲ借受ケ又ハ使用シ、且住居及商業ノ爲メニ土地ヲ借受クルコトヲ得但シ內國臣民ト同樣其ノ國ノ法律、警察規則及稅關規則ヲ遵守スルヲ要ス
該臣民ハ他ノ一方ノ版圖內ノ各地、諸港及諸河ニシテ外國通商ノ爲メ開カレ又ハ開カルヘキ場所へ船舶及貨物ヲ以テ自由ニ到ルヲ得且通商及航海ニ闘シテハ政府、官吏、公吏、一私人或ハ會社若ハ何等施設ノ名義ヲ以テスルカ又ハ其ノ利益ノ爲メニ課セラルヽ所ノ稅金或ハ取立金ハ其ノ性質若ハ名稱ノ如何ヲ論セス內國臣民若ハ最惠國臣民或ハ人民ノ拂フ所ニ異ナルカ或ハ之ヨリ多額ノモノヲ拂フコトナク內國臣民若ハ最惠國臣民或ハ人民ト同一ノ取扱ヲ受クヘシ但シ常ニ各其ノ國ノ法律、勅令及規則ニ從フヘキモノトス

 第四條

兩締盟國ノ一方ノ臣民カ他ノ一方ノ版圖內ニ於テ住居若ハ商業ノ爲メニ供スル家宅、製造所、倉庫、店舗及之ニ屬スル總テノ附屬構造物ハ侵スヘカラス
右家宅等ヘハ猥ニ侵入捜索スヘカラス又帳簿、書類或ハ簿記帳ヲ檢査點閱スヘカラス但シ內國臣民ニ對シ法律、勅令及規則ヲ以テ制定セル條件及定式ニ據ルトキハ此ノ限リニ在ラス

 第五條

大不列顚國皇帝陛下ノ版圖內ノ生產或ハ製造ニ係ル物品ハ何レノ地ヨリ日本國皇帝陛下ノ版圖內ニ輸入シ又日本國皇帝陛下ノ版圖內ノ生產或ハ製造ニ係ル物品モ何レノ地ヨリ大不列顚國皇帝陛下ノ版圖內ニ輸入スルニモ總テ別國ノ生產或ハ製造ニ係ル同種ノ物品ニ課スル所ノ稅ニ異ナルカ或ハ之ヨリ多額ノ稅ヲ課セラルヽコトナカルヘシ又締盟國ノ一方ノ版圖內へ別國ノ生產或ハ製造ニ係ル物品ノ輸入ヲ禁止スルニ非サレハ他ノ一方ノ版圖內ノ生產或ハ製造ニ係ル同種ノ物品ヲ何レノ地ヨリ輸入スルコトヲモ禁止スルコトナカルヘシ但シ此ノ末段ノ取極ハ人畜或ハ農業ニ有用ナル植物ノ安全ヲ保護スルニ必要ナル衞生上及其ノ他ノ禁止ニハ適用スヘカラサルモノトス

 第六條

兩締盟國ノ一方ノ版圖內ヨリ他ノ一方ノ版圖內へ輸出スル一切ノ物品ヘハ他ノ各外國へ輸出スル同種物品ニ對シテ賦課シ若ハ賦課スヘキ所ニ異ナルカ或ハ之ヨリ多額ノ稅金又ハ雜費ヲ賦課スルコトナカルヘシ又兩締盟國ノ一方ノ版圖內ニ於テ他ノ各外國ニ向ヒ物品ノ輸出ヲ禁止スルニ非サレハ他ノ一方ノ版圖內へ同種ノ物品ヲ輸出スルコトヲモ禁止セサルヘシ

 第七條

兩締盟國ノ一方ノ臣民ハ他ノ一方ノ版圖內ニ在リテ總テノ內地通過稅ハ免除セラルヘク又倉入、奬勵金、便益及稅金拂戾等ノ事項ニ就テハ全ク內國臣民ト均等ノ取扱ヲ享クヘシ

 第八條

日本國皇帝陛下ノ版圖內ノ諸港へ日本國ノ船舶ヲ以テ適法ニ輸入シ若ハ輸入セラルヘキ總テノ物品ハ亦大不列顚國ノ船舶ヲ以テ同樣ニ之ヲ右諸港ニ輸入スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ日本國船舶カ右樣ノ物品ヲ輸入スルトキ課スヘキ稅金或ハ雜費ノ外何等ノ名義ヲ以テスルモ更ニ別種或ハ多額ノ稅金雜費等ヲ課セサルヘシ又大不列顚國皇帝陛下ノ版圖內ノ諸港へ大不列顚國ノ船舶ヲ以テ適法ニ輸入シ若ハ輸入セラルヘキ總テノ物品ハ亦日本國ノ船舶ヲ以テ同樣ニ之ヲ右諸港へ輸入スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ大不列顚國船舶カ右樣ノ物品ヲ輸入スルトキ課スヘキ稅金或ハ雜費ノ外何等ノ名義ヲ以テスルモ更ニ別種或ハ多額ノ稅金雜費等ヲ課セサルヘシ右相互對等ノ取扱ハ右物品ノ直ニ原產地ヨリ到ルト其ノ他ノ場所ヨリ到ルトヲ問ハス必ス之ヲ施スモノトス
輸出ニ關シテモ前項ノ場合ト同樣全ク均等ノ取扱ヲ施スヘシ故ニ締盟國ノ一方ヨリ適法ニ輸出シ若ハ輸出セラルヘキ物品ハ其ノ輸出ノ日本國船舶ニ依ルト大不列顚國船舶ニ依ルトニ拘ハラス又其ノ仕向先ノ締盟國ノ一港タルト第三國ノ一港タルトヲ問ハス締盟國ノ版圖內ニ於テハ之ニ課スルニ同一ノ輸出稅ヲ以テシ又之ニ許スニ同一ノ奬勵金竝ニ稅金拂戾ノコトヲ以テスヘシ

 第九條

政府、官吏、公吏、一私人、會社若ハ何等施設ノ名義ヲ以テスルカ又ハ其ノ利益ノ爲メニ課セラルヽ所ノ噸稅、港稅、水先案內料、燈臺稅、檢疫費其ノ他之ト同種ノ稅金ハ其ノ性質竝ニ名義ノ如何ニ拘ハラス同一ノ條件ヲ以テ同樣ノ場合ニ於テ內國船舶一般若ハ最惠國船舶ニ課スルモノニ非サレハ兩締盟國ノ一方ハ其ノ版圖內ノ港ニ於テ之ヲ他ノ一方ノ船舶ニ課セサルヘシ此ノ如キ均等ノ取扱ハ兩國ノ船舶カ何レノ地或ハ港ヨリ來リ又何レノ所ニ往クモノタリトモ相互同一タルヘキモノトス

第十條

兩締盟國ノ一方ノ版圖內ノ海港、海灣、船渠、川河或ハ其ノ他ノ碇泊所ニ於テ船舶ノ繫留又ハ貨物ノ船積、船卸ニ關スル一切ノ事項ニ就テハ內國船舶ニ許與セサル特典ハ均シク他ノ一方ノ締盟國ノ船舶ニモ許與セサルヘシ但シ本件ニ關シテモ亦兩締盟國ノ目的ハ兩國ノ船舶ニ對シ互ニ全ク均等ノ取扱ヲ施スニ在ルモノトス

 第十一條

兩締盟國ノ沿海貿易ハ本條約ニ於テ規定スルノ限ニ在ラス各其ノ法律、勅令及規則ニ從ヒ之ヲ規定スヘキモノトス然レトモ日本國皇帝陛下ノ版圖內ニ於ケル大不列顚國臣民又ハ大不列顚國皇帝陛下ノ版圖內ニ於ケル日本國臣民ハ此ノ事項ニ關シテハ各右法律、勅令及規則ヲ以テ他ノ外國臣民或ハ人民ニ許與シ若ハ許與セラルヘキ諸權利ヲ享有スヘキモノトス
大不列顚國皇帝陛下ノ版圖內ノ二箇以上ノ港へ仕向ケタル荷物ヲ外國ニ於テ積載シタル日本國船舶及日本國皇帝陛下ノ版圖內ノ二箇以上ノ港へ仕向ケタル荷物ヲ外國ニ於テ積載シタル大不列顚國船舶ハ外國貿易ヲ許サレタル仕向港ノ一ニ於テ其ノ積荷ノ一部ヲ陸揚シ而シテ其ノ最初ニ積載シタル荷物ノ剩餘ヲ陸揚スル爲メ他ノ一港若ハ數港へ進航スルコトヲ得ヘシ但シ常ニ兩國ノ法律及稅關規則ニ從フヘキモノトス
但シ日本國政府ハ本條約ノ期限間是迄ノ通リ大不列顚國船舶カ帝國ノ現開港場間ニ積荷ヲ運搬スルコトヲ許スコトヲ承諾ス尤大阪、新潟及夷港ハ此ノ限ニ在ラス

 第十二條

兩締盟國ノ一方ノ軍艦或ハ商船ニシテ暴風又ハ其ノ他ノ危難ニ遭遇シ避難ノ爲メ已ムヲ得ス他ノ一方ノ海港ニ進入スルモノハ內國船舶ノ拂フヘキ稅金ノ外何等ノ稅金ヲ拂フコトナク其ノ港ニ於テ更ニ艤裝ヲ爲シ一切ノ需用品ヲ求メ再ヒ航行スルヲ得ヘシ但シ商船ノ船長ニシテ其ノ費用ヲ支辨スル爲メ其ノ積荷ノ一部ヲ賣卸スルヲ要スル場合ニハ該船長ハ其ノ寄港地ノ規則及稅目ヲ遒守スヘキモノトス
兩締盟國ノ一方ノ軍艦或ハ商船ニシテ他ノ一方ノ沿岸ニ於テ淺瀨ニ乘上ケ或ハ難破シタルトキハ地方官ヨリ其ノ事件ノ生シタル地方ニ在ル所ノ總領事、領事、副領事又ハ代辨領事へ其ノ旨ヲ通知スヘシ但シ若其ノ地方ニ領事官ノ駐在セサルトキハ最近地方ノ總領事、領事、副領事又ハ代辨領事へ通知スヘシ
日本國皇帝陛下ノ領海ニテ難破シ若ハ海岸ニ乘上ケタル大不列顚國船舶ノ救助ニ關スル一切ノ手續ハ日本國法律、勅令及規則ニ從テ之ヲ爲スヘク又相互ノ主義ニ基キ大不列顚國皇帝陛下ノ領海ニテ難破シ若ハ海岸ニ乘上ケタル日本國船舶ニ關スル一切ノ救助ノ處分ハ大不列顚國法律、勅令及規則ニ從テ之ヲ爲スヘシ
右難破若ハ乘上ケタル船舶竝ニ其ノ器具及其ノ他一切ノ附屬品及該船舶ヨリ救上ケタル貨物竝ニ商品及右等ノ諸物件ニシテ海中ニ投棄セラレタルモノ又ハ之ヲ賣却シタルトキハ其ノ收得金竝ニ該遭難船內ニ發見セラレタル一切ノ書類ハ右船舶ノ持主或ハ代理人ヨリ要求スルトキハ之ニ引渡スヘシ右持主或ハ代理人ノ現場ニ在ラサルトキハ內國法律ニ定メタル期限內ニ當該總領事、領事、副領事或ハ代辨領事ヨリ請求アレハ之ヲ引渡スヘシ而シテ右領事官、持主或ハ代理人ハ內國船舶難破ノ場合ニ於テ拂フヘキ所ノ物品保存費竝ニ難破救助費及其ノ他ノ費用ノミヲ拂フヘキモノトス
難破船ヨリ救上ケタル貨物及商品ハ消費ノ爲メニ通關手續ヲ爲スモノニ非サレハ一切ノ關稅ヲ免除スヘシ但シ消費ノ爲メニ賣捌ク場合ニハ普通ノ關稅ヲ納ムルヲ要スルモノトス
兩締盟國ノ一方ノ臣民ニ屬スル船舶ニシテ他ノ一方ノ版圖內ニ於テ淺瀨ニ乘上ケ或ハ難破シタルトキ其ノ持主、船長若ハ他ノ持主代理人不在ノ場合ニハ當該總領事、領事、副領事若ハ代辨領事ハ其ノ自國臣民ニ必要ノ輔助ヲ與フル爲メ職權上ノ助力ヲ爲スヲ許サルヘキモノトス此ノ規定ハ持主、船長若ハ他ノ代理人現ニ其ノ場ニ在ルトキト雖モ右樣ノ輔助ヲ與フルヲ請求スル場合ニハ亦適用スヘキモノトス

 第十三條

本條約ニ於テハ日本國ノ國法ニ從ヒ日本國船舶ト見做サルヘキ一切ノ船舶ハ之ヲ日本國船舶ト見認メ又大不列顚國ノ國法ニ從ヒ大不列顚國船舶ト見做サルヘキ一切ノ船舶ハ之ヲ大不列顚國船舶ト見認ムヘシ

 第十四條

兩締盟國ノ一方ノ版圖內ニ駐在スル他ノ一方ノ總領事、領事、副領事及代辨領事ハ自國ノ脫船人ヲ取戾ス爲メ法律ノ許ス所ノ輔助ハ之ヲ地方官ヨリ受クヘキモノトス
但シ海員カ其ノ各自ノ所屬國ニ於テ脫船シタルトキハ此ノ規定ヲ適用セサルモノト知ルヘシ

 第十五條

兩締盟國ハ其ノ一方ノ通商及航海ヲ他ノ一方ニ於テ總テ最惠國ノ基礎ニ置ク主意ヲ有スルニ因リ通商及航海ニ關スル一切ノ事項ニ關シ其ノ一方ヨリ別國ノ政府、船舶、臣民或ハ人民ニ現ニ許與シ或ハ將來許與スヘキ一切ノ特典、殊遇若ハ免除ハ他ノ一方ノ政府、船舶、臣民或ハ人民ニモ卽時ニ且條件ヲ附セスシテ之ヲ許與スヘキコトヲ兩締盟國ニ於テ約定ス

 第十六條

兩締盟國ノ一方ハ他ノ一方ノ海港、都府及其ノ他ノ場所ニ總領事、領事、副領事、領事代及代辨領事ヲ置クコトヲ得ヘシ但シ領事官ノ駐在ヲ認許スルニ便宜ナラサル場所ハ此ノ限ニ在ラス
然レトモ右ノ制限ハ他ノ諸外國ニ對シ之ヲ適用スルニ非サレハ一方ノ締盟國ニ對シテ之ヲ適用スルヲ得サルモノトス
總領事、領事、副領事、領事代及代辨領事ハ一切ノ職務ヲ執行スルコトヲ得且其ノ在留國ニ於テ最惠國ノ領事官ニ現ニ許與シ或ハ將來許與セラルヘキ一切ノ特典、特權及免除ハ總テ之ヲ享有スヘキモノトス

 第十七條

兩締盟國ノ一方ノ臣民ハ他ノ一方ノ版圖內ニ於テ法律ニ定ムル所ノ手續ヲ履行スルトキハ專賣特許、商標及意匠ニ關シ內國臣民ト同一ノ保護ヲ受クヘシ

 第十八條

大不列顚國政府ハ同政府ニ關スル限ハ左ノ取極ニ同意スヘシ
日本國ニ在ル各外國人居留地ハ全ク其ノ所在ノ日本國市區ニ編入シ爾後日本國地方組織ノ一部トナルヘシ
然ル上ハ日本國當該官吏ハ之ニ關シテ其ノ地方施政上ノ責任義務ヲ悉皆負擔スヘシ又之ト同時ニ右外國人居留地ニ屬スル共有資金若ハ財產アルトキハ之ヲ右日本國宮吏へ引渡スヘキモノトス
尤前記外國人居留地*1*ヲ日本國市區ニ編入ノ場合ニハ該居留地內ニテ現ニ因テ以テ財產ヲ所持スル所ノ現在永代借地劵ハ有效ノモノト確認セラルヘシ而シテ右財產ニ對シテハ右借地劵ニ載セタル條件ノ外ハ別ニ何等ノ條件ヲモ附セサルヘシ但シ借地劵中ニ領事官トアルハ總テ日本國當該官吏ヲ以テ之ニ代ユヘキコトト知ルヘシ
外國人居留地公共ノ目的ノ爲メニ無借料ニテ旣ニ貸與シタル各地所ハ永代ニ保存セラルヘシ且該地所ニシテ最初貸與シタルトキノ目的ニ使用セラルヽ限ハ總テノ租稅及徴収金ヲ免スヘシ但シ土地收用權ニハ從フヘキモノトス

 第十九條

本條約ノ規定ハ法律ノ許ス限ハ大不列顚國皇帝陛下ノ殖民地竝ニ其ノ海外領地ニ適用スヘシ但シ左ニ列記スル所ハ此ノ限ニ在ラス
 印度
 加奈太領地
 ニユー、フワウンドランド
 喜望峰殖民地
 ナタル
 ニユー、サウス、ウエールス
 ヴヰクトリヤ
 クヰンスランド
 タスマニヤ
 南濠太利
 西濠太利
 ニユー、ジーランド
然レトモ東京駐劄大不列顚國皇帝陛下ノ代表者ヨリ本條約批准交換ノ日ヨリ二箇年內ニ本條約ノ規定ヲ前記ノ殖民地若ハ領地ノ孰レヘナリトモ適用スヘキ旨ヲ通知シタルトキハ之ヲ適用スヘキモノトス

 第二十條

本條約ハ其ノ實施ノ日ヨリ兩締盟國間ニ現存スル嘉永七年八月二十三日卽千八百五十四年十月十四日締結ノ約定慶應二年五月十三日卽千八百六十六年六月二十五日締結ノ改稅約定安政五年七月十八日卽千八百五十八年八月二十六日締結ノ修好通商條約及之ニ附屬スル一切ノ諸約定ニ代ハルヘキモノトス而シテ該條約及諸約定ハ右期日ヨリ總テ無效ニ歸シ隨テ大不列顚國カ日本帝國ニ於テ執行シタル裁判權及該權ニ屬シ又ハ其ノ一部トシテ大不列顚國臣民カ享有セシ所ノ特典、特權及免除ハ本條約實施ノ日ヨリ別ニ通知ヲナサス全然消滅ニ歸シタルモノトス而シテ此等ノ裁判管轄權ハ本條約實施後ニ於テハ日本帝國裁判所ニ於テ之ヲ執行スヘシ

 第二十一條

本條約ハ調印ノ日ヨリ少クモ五箇年ノ後迄ハ實施セラレサルモノトス而シテ日本帝國政府ニ於テ本條約ヲ實施セント欲スル旨ヲ大不列顚國政府ニ通知シタル後一箇年ヲ經ルニ非サレハ實施セラレサルモノトス尤此ノ通知ハ調印ノ日ヨリ四箇年ヲ經タル後何時ニテモ爲スコトヲ得ヘシ又本條約ハ其ノ實施ノ日ヨリ十二箇年間效力ヲ有スルモノトス
兩締盟國ノ一方ハ本條約實施ノ日ヨリ十一箇年ヲ經過シタル後ハ何時タリトモ本條約ヲ終了セント欲スル旨ヲ他ノ一方へ通知スルノ權利ヲ有スヘシ而シテ此ノ通知ヲ爲シタル後十二箇月ヲ經過シタルトキハ本條約ハ消滅ニ歸スヘキモノトス

 第二十二條

本條約ハ兩締盟國ニ於テ之ヲ批准シ其ノ批准ハ本日ヨリ六箇月以內ニ可成速ニ東京ニ於テ交換スヘシ
右證據トシテ各全權委員ハ之ニ記名調印スルモノナリ

 明治二十七年七月十六日倫敦ニ於テ本書二通ヲ作ル

  靑木周藏 印
  キムバーレー 印

*1*日、英、佛、獨條約及其他協約中ノ趣旨竝ニ意義ニ關スル紛爭ヲ仲裁裁判ニ附スルノ議定書(第一六七頁)及同議定書ニ依リ構成セラレタル國際仲裁裁判所ノ判決書(第一六八頁)參照

  同上附屬議定書

(譯文)

日本國皇帝陛下ノ政府及大不列顚愛蘭國兼印度國皇帝陛下ノ政府ハ本日調印セシ通商航海條約ノ外ニ雙方ニ關スル特別ノ事項ヲ規定スルコト兩國ノ利益上便宜ナルヲ以テ雙方ノ全權委員ハ左ノ約定ニ同意セリ

第一 本日調印シタル通商航海條約批准交換後一箇月ノ後ハ本書附屬輸入稅目ハ兩締盟國間ニ現存スル所ノ安政五年條約ノ有效ナル間ハ其ノ第二十三條ノ規定ニ準據シ又右安政五年條約ノ無效ニ歸シタル後ハ本日調印シタル條約第五條及第十五條ノ規定ニ準據シ大不列顚國皇帝陛下ノ版圖內ノ生產若ハ製造ニ係ル物品ニシテ該稅目ニ揭クルモノヲ日本國へ輸入スル場合ニ之ヲ適用スルモノトス但シ日本國政府ニ於テ純良ナラサル藥材、製藥、食物若ハ飮料、猥褻ノ印刷物、圖畫、書籍、紙牌、石版若ハ其ノ他ノ彫刻畫、寫眞及其ノ他總テ猥褻ノ物品、日本帝國ノ専賣特許、商標及版權ニ關スル法律ニ違背スル物品又ハ其ノ他衞生、公安若ハ風俗ニ關シ危害ヲ生スヘキ物品ノ輸入ヲ制限シ若ハ禁止スルノ權利ハ本議定書又ハ其ノ附屬稅目ノ爲メ制限セラルヽコトナカルヘキモノトス
 該稅目ニ定メタル從價稅ハ之ヲ實行シ得ヘシト認メラルヽ限ハ本議定書ノ日附ヨリ六箇月間ニ兩國政府間ニ締結セラルヘキ追加條約ヲ以テ從量稅ニ換算スヘシ本議定書ノ日附ヨリ前六曆月間ニ於ケル日本國稅關報吿ニ載セタル平均價格ニ仕入地、產出地若ハ製造地ヨリ陸揚港ニ至ル迄ノ保險料及運賃ヲ加算シ又手數料アルトキハ之ヲモ加算シタルモノヲ以テ右換算ノ基礎トナスヘシ若又追加條約ニシテ前記稅目ヲ實施スル爲メニ定メタル期限ヲ終ル迄ニ實施セラレサル場合ニハ其ノ間ハ前記ノ稅目ノ末尾ニ揭ケタル規定ニ從ヒ從價稅ヲ徴収スヘシ
 右稅目ニ揭ケサル物品ニ對シテハ前項ニ記載セシ期日ヨリ前項ニ記載セシ如ク各安政五年條約第二十三條及本日調印シタル條約第五條及第十五條ノ規定ニ準據シ日本國ニテ其ノ時現ニ行ハルヽ所ノ普通國定稅則ヲ適用スルモノトス
 大不列顚國臣民カ日本國ニ輸入スル貨物及商品ニ對シ現今日本國ニ於テ實施スル所ノ輸入稅目ハ前項ニ記載セシ各稅目實施ノ日ヨリ無效ニ歸スヘキモノトス
 尤此ノ外總テノコトニ付テハ現行條約ノ規定ハ本日調印シタル通商航海條約ノ實施セラルヽニ至ル迄ハ無條件ニテ保續セラルヘキモノトス

第二 日本國政府ハ大不列顚國臣民ニ對シ內國ヲ開ク迄ハ現行ノ旅劵方法ヲ擴張スルコトニ同意ス卽大不列顚國臣民カ在東京同國公使若ハ日本國開港場ニ駐在スル大不列顚國領事官ヨリノ紹介證書ヲ所持シテ出願スルニ於テハ十二箇月以內ノ期限間國內何レノ地ヘモ到ルコトヲ得ヘキ旅劵ヲ東京外務省若ハ開港場所在地方長官ヨリ交付スヘシ但シ帝國ノ內地ニ旅行スル大不列顚國臣民ニ關スル現行規定ハ之ヲ保續スヘキモノト知ルヘシ

第三 日本國政府ハ日本國ニ於ケル大不列顚國領事裁判權ノ廢止ニ先タチ工業ノ所有權及版權ノ保護ニ關スル列國同盟條約ニ加入スヘキコトヲ約ス

第四 若日本國ニ於テ何時ニテモ其ノ精糖ノ產出若ハ製造ニ對シ增稅ヲ課スルコトヲ必要ト見做ストキハ其ノ增加セシ內國稅ヲ課スル間ハ日本國へ輸入スル所ノ大不列顚國ノ精糖ニ對シ前記內國稅ト同額ニ增加スル所ノ關稅ヲ課スルコトヲ得ヘキコトヲ兩締盟國ニ於テ承諾ス
 但シ右ニ關シ大不列顚國ノ精糖ハ常ニ最惠國ノ產出若ハ製造ニ係ル精糖ト同一ノ取扱ヲ享クヘキモノトス

第五 左ニ記名スル所ノ全權委員ハ本議定書ハ本日調印シタル通商航海條約ト同時ニ兩締盟國政府ニ提供シ而シテ右條約批准セラルヽトキハ本議定書ニ揭載スル所ノ諸約定モ別ニ正式ノ批准ヲ要セスシテ亦兩締盟國政府ノ可認セシモノト看做スヘキコトヲ約ス
又本議定書ハ前記條約ノ無效ニ歸スルト同時ニ終了スヘキコトヲ約ス

右證據トシテ兩國全權委員ハ之ニ記名調印スルモノナリ

明治二十七年七月十六日倫敦ニ於テ本書二通ヲ作ル

 靑木周藏 印
 キムバーレー 印

  附屬稅目

(譯文)

 品目    從價稅率

護謨製品・・・百ニ付十
セメント・・・同  五
綿織絲類・・・同  八
綿織物類、純綿ト麻、亞麻若ハ毛絲又ハ他ノ交セモノアルトヲ問ハス但シ綿ノ重ナル・・・同  十
窻玻瓈片(尋常ノ)
 甲 無色及無著色ノ・・・同  八
 乙 有色、著色、若ハ砂磨ノ・・・同  十
帽子(氈帽トモ)・・・同  十
乾藍・・・同  十
塊鐵及塊鋼・・・同  五
道鐵及道鋼・・・同  五
條鐵、條鋼、竿鐵、竿鋼、板鐵、板鋼・・・同  七二分ノ一
葉鐵(チンドプレーツ)・・・同  十
電鍍板鐵、板鋼・・・同  十
筒鐵、筒鋼、管鐵、管鋼・・・同  十
鉛(塊、錠ノ別ナク)・・・同  五
靴底皮・・・同  十五
他ノ熟皮・・・同  十
麻織絲類・・・同  八
麻織物類・・・同  十
水銀・・・同  五
乳膏、乳粉・・・同  五
鐵釘類・・・同  十
無味香油・・・同  十
色油・・・同  十
印刷料紙・・・同  十
精糖・・・同  十
硝石・・・同  五
鐵螺旋釘及鐵牝牡螺旋類・・・同  十
絹綿繻子・・・同  十五
錫(塊、錠ノ別ナク)・・・同  五
葉錫(チンプレーツ)・・・同  十
無味香蠟・・・同  五
電線・・・同  五
鐵線、鋼線、及徑一因ノ四分一ヲ超ヘサル細竿鐵、細竿鋼・・・同  十
毛織絲類・・・同  八
毛織物類、純毛ト他ノ交セモノアルトヲ問ハス但シ毛ノ重ナル・・・同  十
其ノ他本稅目ニ揭定セサル織絲類・・・同  十
亞鉛(塊、錠ノ別ナク)・・・同  五
板亞鉛・・・同  七二分ノ一

  從價稅算定ノ規定

此ノ稅目ニ從ヒ輸入物品ニ課スヘキ從價稅ハ其ノ物品ノ仕入地、產出地、若ハ製造地ニ於ケル原價ニ其ノ仕入地、產出地、若ハ製造地ヨリ陸揚港ニ至ル迄ノ保險料、運賃ヲ加算シ又手數料アルトキハ之ヲモ加算シテ算定スヘシ

  同上附屬外交文書

法典實施ニ關スル在英帝國公使ヨリ英國外務大臣宛公文ニ就テハ之ト同趣旨ノ明治二十九年日丁通商航海條約附屬外交文書(第一卷第一部第八一二頁)參照

 殖民地ノ條約加入ニ關スル來翰(譯文)

以書簡致啓上候陳者本日調印セシ日英兩國間條約第十九條ニ關シテハ同條ニ揭記スル所ノ英國ノ或殖民地及海外領地ニ於テ前記條約第二條ニ記載シタル兵役ニ關スル規定ヲ承諾スルコト能ハサルカ爲メ現條約ニ加入シ難キ場合アルヲ料リ且將來ノ誤解ヲ防クタメ大不列顚國皇帝陛下ノ政府ハ前記英國殖民地及領地カ第二條ノ規定ニ從ハサル條件ヲ以テ現條約ニ加入スルコトヲ得ヘキコトヲ日本國政府ニ於テ保證セラレムコトヲ請求致候右得貴意候敬具

 千八百九十四年七月十六日外務省ニ於テ

   キムバーレー(手記)

  日本國特命全權公使子爵靑木周藏閣下

 同上往翰(譯文)

以書簡致啓上候陳者本日調印セシ日英兩國間條約第十九條ニ關シ大不列顚國皇帝陛下ノ政府ヨリ公文ヲ以テ該條ニ列記セル英國ノ或殖民地及ヒ海外領地ニ於テハ右公文中ニ開示セラレタル理由ニ因リ第二條ノ規定ニ從ハサル條件ニテ現條約ニ加入スルコトヲ得ルノ保證ヲ請求セラレ候義ニ對シ日本國政府ハ茲ニ希望セラレタル保證ヲ與へ候此段囘答得貴意候敬具

 明治二十七年七月十六日倫敦日本帝國公使館ニ於テ

   靑木周藏(手記)

  ゼー、ライト、ヲノレーブル、ケー、ジ、キムバーレー伯爵閣下

   「舊條約彙纂 第一卷第二部」外務省條約局編より

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