ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 政治・外交

kokusaiminkankoukuujyouyaku
 今日は、昭和時代前期の1944年(昭和19)に、国際民間航空機関(ICAO)の設立を定めた「国際民間航空条約」の署名が行われた日です。
 「国際民間航空条約」(こくさいみんかんこうくうじょうやく)は、第二次世界大戦末期の1944年(昭和19)に、連合国・中立国の52ヵ国の参加により、アメリカのシカゴで開催された国際会議で採択(1947年4月4日発効)された戦後の民間航空運営のための基本条約で、「シカゴ条約」とも呼ばれています。1919年(大正8)の「パリ国際航空条約」、1928年(昭和3)の「ハバナ条約」に代わって、締結されたもので、第二次世界大戦後の国際民間航空に関する根本原則の確立と国際民間航空機関(ICAO)の設立(本部モントリオール)を目的としていました。
 前文、本文、末文からなり、本文は4部構成で、第1部「航空」は国際航空の一般原則と条約の適用について、第2部「国際民間航空機関 ICAO」は同機関の設立・目的・機構などについて、第3部「国際航空運送」は空港などの航空施設や共同運営組織・共同計算業務について、第4部は「最終規定」で他の航空協定や航空取り決めのほか紛争および違約などこの条約自体について、それぞれ規定しています。日本は、1953年(昭和28)10月に、本条約およびICAOに加盟していますが、2011年(平成23)までに、191ヵ国が加盟しました。
 以下に、「国際民間航空条約(シカゴ条約)」の日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「国際民間航空条約(シカゴ条約)」1944年(昭和19)12月7日締結、1947年(昭和22)4月4日発効、最終改正:平成18年6月19日

前文
 国際民間航空の将来の発達は、世界の各国及び各国民の間における友好と理解を創造し、且つ、維持することを大いに助長することができるが、国際民間航空の濫用は、一般的安全に対する脅威となることがあるので、また、
 各国及び各国民の間における摩擦を避け、且つ、世界平和の基礎である各国及び各国民の間における協力を促進することが望ましいので、
 よつて、下名の政府は、国際民間航空が安全に且つ整然と発達するように、また、国際航空運送業務が機会均等主義に基いて確立されて健全且つ経済的に運営されるように、一定の原則及び取極について合意し、
 その目的のためこの条約を締結した。

第一部 航空

第一章 一般原則及び条約の適用

第一条 (主権)
 締約国は、各国がその領域上の空間において完全且つ排他的な主権を有することを承認する。

第二条 (領域)
 この条約の適用上、国の領域とは、その国の主権、宗主権、保護又は委任統治の下にある陸地及びこれに隣接する領水をいう。

第三条 (民間航空機及び国の航空機)
(a)この条約は、民間航空機のみに適用するものとし、国の航空機には適用しない。
(b)軍、税関及び警察の業務に用いる航空機は、国の航空機とみなす。
(c)締約国の国の航空機は、特別協定その他の方法による許可を受け、且つ、その条件に従うのでなければ、他の国の領域の上空を飛行し、又はその領域に着陸してはならない。
(d)締約国は、自国の国の航空機に関する規制を設けるに当り、民間航空機の航行の安全について妥当な考慮を払うことを約束する。

第三条の二
(a)締約国は、各国が飛行中の民間航空機に対して武器の使用に訴えることを差し控えなければならず及び、要撃の場合には、航空機内における人命を脅かし又は航空機の安全を損なつてはならないことを承認する。この規定は、国際連合憲章に定める国の権利及び義務を修正するものと解してはならない。
(b)締約国は、各国がその主権の行使として、その領域の上空を許可なく飛行する民間航空機に対し又はその領域の上空を飛行する民間航空機であつてこの条約の目的と両立しない目的のために使用されていると結論するに足りる十分な根拠があるものに対し指定空港に着陸するよう要求する権利を有し及びこれらの民間航空機に対しそのような違反を終止させるその他の指示を与えることができることを承認する。このため、締約国は、国際法の関連規則(この条約の関連規定、特に(a)の規定を含む。)に適合する適当な手段をとることができる。各締約国は、民間航空機に対する要撃についての現行の自国の規則を公表することに同意する。
(c)すべての民間航空機は、(b)の規定に基づいて発せられる命令に従う。このため、各締約国は、自国において登録された民間航空機又は自国内に主たる営業所若しくは住所を有する運航者によつて運航される民間航空機が当該命令に従うことを義務とするために必要なすべての規定を自国の国内法令において定める。各締約国は、そのような関係法令の違反について重い制裁を課することができるようにするものとし、自国の法令に従つて自国の権限のある当局に事件を付託する。
(d)各締約国は、自国において登録された民間航空機又は自国内に主たる営業所若しくは住所を有する運航者によつて運航される民間航空機がこの条約の目的と両立しない目的のために意図的に使用されることを禁止するために適当な措置をとる。この規定は、(a)の規定に影響を及ぼすものではなく、また、(b)及び(c)の規定を害するものではない。

第四条 (民間航空の濫用)
 各締約国は、この条約の目的と両立しない目的のために民間航空を使用しないことに同意する。

第二章 締約国の領域の上空の飛行

第五条 (不定期飛行の権利)
 各締約国は、他の締約国の航空機で定期国際航空業務に従事しないものが、すべて、事前の許可を得ることを必要としないで、且つ、その航空機が上空を飛行する国の着陸要求権に従うことを条件として、その国の領域内への飛行又は同領域の無着陸横断飛行をし、及び運輸以外の目的での着陸をする権利を、この条約の条項を遵守することを条件として有することに同意する。但し、各締約国は、飛行の安全のため、近づき難い地域又は適当な航空施設のない地域の上空の飛行を希望する航空機に対し、所定の航空路を飛行すること又はこのような飛行のために特別の許可を受けることを要求する権利を留保する。
 前記の航空機は、定期国際航空業務としてではなく有償又は貸切で行う旅客、貨物又は郵便物の運送に従事する場合には、第七条の規定に従うことを条件として、旅客、貨物又は郵便物の積込又は積卸をする特権をも有する。但し、積込又は積卸が行われる国は、その望ましいと認める規制、条件又は制限を課する権利を有する。

第六条 (定期航空業務)
 定期国際航空業務は、締約国の特別の許可その他の許可を受け、且つ、その許可の条件に従う場合を除く外、その締約国の領域の上空を通つて又はその領域に乗り入れて行うことができない。

第七条 (国内営業)
 各締約国は、他の締約国の航空機に対し、有償又は貸切で自国の領域内の他の地点に向けて運送される旅客、郵便物及び貨物をその領域内において積み込む許可を与えない権利を有する。各締約国は、他の国又は他の国の航空企業に対して排他的な基礎の上にそのような特権を特に与える取極をしないこと及び他の国からそのような排他的な特権を獲得しないことを約束する。

第八条 (無操縦者航空機)
 操縦者なしで飛行することができる航空機は、締約国の特別の許可を受け、且つ、その許可の条件に従うのでなければ、その締約国の領域の上空を操縦者なしで飛行してはならない。各締約国は、民間航空機に開放されている地域におけるそのような無操縦者航空機の飛行が、民間航空機に及ぼす危険を予防するように管制されることを確保することを約束する。

第九条 (禁止区域)
(a)各締約国は、軍事上の必要又は公共の安全のため、他の国の航空機が自国の領域内の一定の区域の上空を飛行することを一律に制限し、又は禁止することができる。但し、このことに関しては、当該領域の属する国の航空機で定期国際航空業務に従事するものと他の締約国の航空機で同様の業務に従事するものとの間に差別を設けてはならない。この禁止区域は、航空を不必要に妨害することのない適当な範囲及び位置のものでなければならない。締約国の領域内におけるこの禁止区域の明細及びその後のその変更は、できる限りすみやかに他の締約国及び国際民間航空機関に通知しなければならない。
(b)各締約国は、また、特別の事態において若しくは緊急の期間又は公共の安全のため、即時、その領域の全部又は一部の上空の飛行を一時的に制限し、又は禁止する権利を留保する。但し、その制限又は禁止は、他のすべての国の航空機に対し、国籍のいかんを問わず適用するものでなければならない。
(c)各締約国は、その設ける規制に基き、前記の(a)又は(b)に定める区域に入る航空機に対し、その後できる限りすみやかにその領域内の指定空港に着陸するよう要求することができる。

第十条 (税関空港への着陸)
 航空機がこの条約の条項又は特別の許可の条件に基いて締約国の領域の無着陸横断を許されている場合を除く外、締約国の領域に入るすべての航空機は、その国の規制が要求するときは、税関検査その地の検査を受けるため、その国が指定する空港に着陸しなければならない。その航空機は、締約国の領域からの出発に当つては、同様に指定される税関空港から出発しなければならない。指定されるすべての税関空港の詳細は、その国が発表しなければならず、且つ、他のすべての締約国への通知のため、この条約の第二部に基いて設立される国際民間航空機関に伝達しなければならない。

第十一条 (航空に関する規制の適用)
 締約国の法令で、国際航空に従事する航空機の当該締約国の領域への入国若しくはそこからの出国又は同領域内にある間の運航及び航行に関するものは、この条約の規定に従うことを条件として、国籍のいかんを問わずすべての締約国の航空機に適用されるものとし、また、その国の領域への入国若しくはそこからの出国に当り、又は同領域内にある間、当該航空機によつて遵守されなければならない。

第十二条 (航空規則)
 各締約国は、その領域の上空を飛行し、又は同領域内で作動するすべての航空機及び、所在のいかんを問わず、その国籍記号を掲げるすべての航空機が当該領域に施行されている航空機の飛行又は作動に関する規則に従うことを確保する措置を執ることを約束する。各締約国は、これらの点に関する自国の規則をこの条約に基いて随時設定される規則にできる限り一致させることを約束する。公海の上空においては、施行される規則は、この条約に基いて設定されるものでなければならない。各締約国は、適用される規則に違反したすべての者の訴追を確保することを約束する。

第十三条 (入国及び出国に関する規制)
 締約国の法令で、航空機の旅客、乗組員又は貨物の当該締約国の領域への入国又はそこからの出国に関するもの、たとえば、入国、出国、移民、旅券、税関及び検疫に関する規制は、その国の領域への入国若しくはそこからの出国に当り、又は同領域内にある間、その旅客、乗組員若しくは貨物によつて又はそれらの名において遵守されなければならない。

第十四条 (疾病のまん延の防止)
 各締約国は、コレラ、チフス(伝染性)、天然痘、黄熱、ペスト及び締約国が随時決定して指定するその他の伝染病の航空によるまん延を防止する効果的な措置を執ることに同意し、このため、締約国は、航空機に適用される衛生上の措置に関する国際的規制に関係のある機関と常に緊密な協議を行う。この協議は、この問題に関する現存の国際条約で締約国がその当事国であるものの適用を妨げるものではない。

第十五条 (空港の使用料金その他の使用料金)
 締約国内の空港でその国の航空機の使用に公開されているものは、第六十八条の規定に従うことを条件として、他のすべての締約国の航空機に対しても同様に均等の条件の下に公開しなければならない。同様の均等の条件は、各締約国の航空機が、無線及び気象の施設を含むすべての航空保安施設で航空の安全及び迅速化のために公共の用に供されるものを使用する場合にも、適用する。
 締約国が他の締約国の航空機によるそれらの空港及び航空保安施設の使用について課し、又は課することを許す料金は、次の料金より高額であつてはならない。
(a)定期国際航空業務に従事しない航空機に関しては、類似の運航に従事する自国の同級の航空機が支払う料金
(b)定期国際航空業務に従事する航空機に関しては、類似の国際航空業務に従事する自国の航空機が支払う料金
 前記の料金は、すべて公表し、且つ、国際民間航空機関に通知しなければならない。但し、関係締約国の申立があつたときは、空港その他の施設の使用について課せられる料金は、理事会の審査を受けなければならず、理事会は、一又は二以上の関係国の考慮を求めるため、これについて報告し、且つ、勧告をしなければならない。いずれの締約国も、他の締約国の航空機又はその航空機上の人若しくは財産が自国の領域の上空の通過、同領域への入国又はそこからの出国をする権利のみに関しては、手数料、使用料その他の課徴金を課してはならない。

第十六条 (航空機の検査)
 各締約国の当局は、不当に遅滞することなく、他の締約国の航空機を着陸又は出発の際に検査し、及びこの条約で定める証明書その他の書類を検閲する権利を有する。

第三章 航空機の国籍

第十七条 (航空機の国籍)
 航空機は、登録を受けた国の国籍を有する。

第十八条 (二重登録)
 航空機は、二以上の国で有効に登録を受けることができない。但し、その登録は、一国から他国に変更することができる。

第十九条 (登録に関する国内法)
 締約国における航空機の登録又は登録の変更は、その国の法令に従つて行われなければならない。

第二十条 (記号の表示)
 国際航空に従事するすべての航空機は、その適正な国籍及び登録の記号を掲げなければならない。

第二十一条 (登録の報告)
 各締約国は、要求があつたときは、他の締約国又は国際民間航空機関に対し、自国で登録された特定の航空機の登録及び所有権に関する情報を提供することを約束する。更に、各締約国は、国際民間航空機関に対し、同機関が定める規則に従い、自国で登録され、且つ、通常国際航空に従事する航空機の所有及び管理に関する入手可能な関係資料を掲げた報告書を提供しなければならない。国際民間航空機関は、他の締約国が要請したときは、このようにして入手した資料をその用に供しなければならない。

第四章 航空を容易にする措置

第二十二条 (手続の簡易化)
 各締約国は、締約国の領域の間における航空機の航行を容易にし、且つ、迅速にするため、並びに特に入国、検疫、税関及び出国に関する法令の施行に当つて航空機、乗組員、旅客及び貨物に対して生ずる不必要な遅延を防止するため、特別の規制の設定その他の方法によつてすべての実行可能な措置を執ることに同意する。

第二十三条 (税関及び出入国の手続)
 各締約国は、実行可能と認める限り、この条約に基いて随時設定され、又は勧告される方式に従い、国際航空に関する税関及び出入国の手続を定めることを約束する。この条約のいかなる規定も、自由空港の設置を妨げるものと解釈してはならない。

第二十四条 (関税)
(a)他の締約国の領域へ飛行し、同領域から飛行し、又は同領域を横断して飛行する航空機は、その国の税関の規制に従うことを条件として、暫定的に関税の免除を認められる。締約国の航空機が他の締約国の領域に到着した際に積載している燃料、潤滑油、予備部品、正規の装備品及び航空機貯蔵品で、その国の領域から出発する際にも積載するものは、関税、検査手数料又はそれらに類似する国若しくは地方公共団体が課する租税その他の課徴金を免除される。この免除は、荷卸された量又は物品には適用しない。但し、その量又は物品を税関の監視下に置くことを要求するその国の税関の規制に従う場合は、この限りでない。
(b)国際航空に従事する他の締約国の航空機に取り付けるため、又はその航空機で使用するため締約国の領域に輸入される予備部品及び装備品は、それらの物品を税関の監視及び管理の下に置くことを規定する関係国の規制に従うことを条件として、関税の免除を認められる。

第二十五条 (遭難航空機)
 各締約国は、その領域内で遭難した航空機に対して実行可能と認める救援措置を執り、及び、自国の当局の監督に従うことを条件とし、その航空機の所有者又はその航空機が登録を受けた国の当局が状況により必要とされる救援措置を執ることを許可することを約束する。各締約国は、行くえ不明の航空機の捜索に従事する場合には、この条約に基いて随時勧告される共同措置に協力する。

第二十六条 (事故の調査)
 締約国の航空機が他の締約国の領域で事故を起した場合において、その事故が死亡若しくは重傷を伴うとき、又は航空機若しくは航空施設の重大な技術的欠陥を示すときは、その事故が起つた国は、自国の法令の許す限り国際民間航空機関の勧告する手続に従つて、事故の事情の調査を行うものとする。その航空機が登録を受けた国は、調査に立ち会う者を任命する機会を与えられなければならず、調査を行う国は、その国に対し、その事項に関する報告及び所見を通知しなければならない。

第二十七条(特許権に基いて請求される差押の免除)
(a)国際航空に従事している限り、締約国の航空機が許可を受けて他の締約国の領域へ入る場合又は許可を受けてその領域の着陸を伴う若しくは無着陸の横断をする場合には、その国若しくはその国にある人又はそれらの代理人は、航空機の構造、機械装置、部品、附属品又は運航が、航空機の入つた領域の属する国で正当に許与され、又は登録された特許、意匠又はひな形の侵害であるという理由で、航空機の差押若しくは抑留、航空機の所有者若しくは運営者に対する請求又は航空機に対するその他の干渉を行つてはならない。この場合において、航空機の差押又は抑留の免除に関する担保の供与は、その航空機が入つた国では、いかなる場合にも要求されないものとする。
(b)本条(a)の規定は、また、締約国の航空機のための予備部品及び予備装備品の他の締約国の領域内における保管並びにこれらを締約国の航空機の他の締約国の領域内における修理のため使用し、及び装置する権利について適用する。但し、このようにして保管されるいかなる特許部品又は特許装備品も、航空機が入国する締約国の国内で販売し、若しくは分配し、又はその締約国から商業上の目的で輸出してはならない。
(c)本条の利益は、この条約の当事国で、(1)工業所有権の保護に関する国際条約及びその改正条約の当事国であるもの又は(2)この条約の他の当事国が国民がした発明を承認し、且つ、それに適当な保護を与える特許法を制定したもののみに適用する。

第二十八条 (航空施設及び標準様式)
 各締約国は、実行可能と認める限り、次のことを約束する。
(a)この条約に基いて随時勧告され、又は設定される標準及び方式に従い、国際航空を容易にするためその領域内に空港、無線施設、気象施設その他の航空施設を設定すること。
(b)この条約に基いて隋時勧告され、又は設定される通信手続、符号、記号、信号及び照明の適当な標準様式並びにその他の運航上の方式及び規則を採用し、及び実施すること。
(c)この条約に基いて随時勧告され、又は設定される標準に従う航空地図及び航空図の刊行を確保するための国際的措置に協力すること。

第五章 航空機について備えるべき要件

第二十九条 (航空機が携行する書類)
 国際航空に従事する締約国のすべての航空機は、この条約で定める要件に合致する次の書類を携行しなければならない。
(a)登録証明書
(b)耐空証明書
(c)各乗組員の適当な免状
(d)航空日誌
(e)無線機を装備するときは、航空機局免許状
(f)旅客を運送するときは、その氏名、乗込地及び目的地の表
(g)貨物を運送するときは、積荷目録及び貨物の細目申告書

第三十条 (航空機の無線装備)
(a)各締約国の航空機は、登録を受けた国の当局から無線送信機を装備し、且つ、運用するための免許状の発給を受けたときにのみ、他の締約国の領域内で又はその領域の上空でその送信機を携行することができる。領域の上空を飛行される締約国の領域における無線送信機の使用は、その国が設ける規制に従わなければならない。
(b)無線送信機は、航空機が登録を受けた国の当局が発給したそのための特別の免状を所持する航空機乗組員に限つて使用することができる。

第三十一条 (耐空証明書)
 国際航空に従事するすべての航空機は、登録を受けた国が発給し、又は有効と認めた耐空証明書を備えつけなければならない。

第三十二条 (航空従事者の免状)
(a)国際航空に従事するすべての航空機の操縦者その他の運航乗組員は、その航空機が登録を受けた国が発給し、又は有効と認めた技能証明書及び免状を所持しなければならない。
(b)各締約国は、自国の領域の上空の飛行に関しては、自国民に対して他の締約国が与えた技能証明書及び免状を認めることを拒否する権利を留保する。

第三十三条 (証明書及び免状の承認)
 航空機が登録を受けた国が発給し、又は有効と認めた耐空証明書、技能証明書及び免状は、その証明書又は免状を発給し、又は有効と認めた要件がこの条約に従つて随時設定される最低標準と同等又はそれ以上のものである限り、他の締約国も有効と認めなければならない。

第三十四条 (航空日誌)
 国際航空に従事するすべての航空機については、この条約に従つて随時定められる形式で航空機、その乗組員及び各飛行の細目を記入した航空日誌を保持しなければならない。

第三十五条 (貨物の制限)
(a)軍需品又は軍用器材は、締約国の許可を受けた場合を除く外、国際航空に従事する航空機でその国の領域内又は領域の上空を運送してはならない。各国は、統一を期するため、国際民間航空機関が随時行う勧告に対して妥当な考慮を払つた上、本条にいう軍需品又は軍用器材とは何かを規則によつて決定しなければならない。
(b)各締約国は、公の秩序及び安全のため、(a)に掲げる物品以外の物品をその領域内又は領域の上空を運送することを制限し、又は禁止する権利を留保する。但し、この点については、国際航空に従事する自国の航空機と他の締約国の同様の航空機との間に差別を設けてはならず、また、航空機の運航若しくは航行又は乗組員若しくは旅客の安全のため必要な装置の携行及び航空機上におけるその使用を妨げる制限を課してはならない。

第三十六条 (写真機)
 各締約国は、その領域の上空にある航空機において写真機を使用することを禁止し、又は制限することができる。

第六章 国際標準及び勧告方式

第三十七条 (国際の標準及び手続の採択)
 各締約国は、航空機、航空従事者、航空路及び附属業務に関する規則、標準、手続及び組織の実行可能な最高度の統一を、その統一が航空を容易にし、旦つ、改善するすべての事項について確保することに協力することを約束する。
 このため、国際民間航空機関は、次の事項に関する国際標準並びに勧告される方式及び手続を必要に応じて随時採択し、及び改正する。
(a)通信組織及び航空保安施設(地上標識を含む。)
(b)空港及び着陸場の性質
(c)航空規則及び航空交通管制方式
(d)運航関係及び整備関係の航空従事者の免許
(e)航空機の耐空性
(f)航空機の登録及び識別
(g)気象情報の収集及び交換
(h)航空日誌
(i)航空地図及び航空図
(j)税関及び出入国の手続
(k)遭難航空機及び事故の調査
並びに航空の安全、正確及び能率に関係のあるその他の事項で随時適当と認めるもの

第三十八条 (国際の標準及び手続からの背離)
 すべての点について国際の標準若しくは手続に従うこと若しくは国際の標準若しくは手続の改正後自国の規制若しくは方式をそれに完全に一致させることを不可能と認める国又は国際標準によつて設定された規則若しくは方式と特定の点において異なる規制若しくは方式を採用することを必要と認める国は、自国の方式と国際標準によつて設定された方式との相違を直ちに国際民間航空機関に通告しなければならない。国際標準の改正があつた場合に自国の規制又は方式に適当な改正を加えない国は、国際標準の改正の採択の日から六十日以内に理事会に通告し、又は自国が執ろうとする措置を明示しなければならない。この場合には、理事会は、国際標準の一又は二以上の特異点とこれに対応するその国の国内方式との相違を直ちに他のすべての国に通告しなければならない。

第三十九条 (証明書及び免状の裏書)
(a)耐空性又は性能の国際標準が存在する航空機又はその部品で、その証明の時に何らかの点でその標準に合致しなかつたものは、合致しなかつた点の完全な明細がその耐空証明書に裏書され、又はこれに添付されなければならない。
(b)免状を所持する者で、その所持する免状又は証明書の等級に関する国際標準に定める条件を完全に満たしていないものは、その条件を満たさない点の完全な明細がその免状に裏書され、又はこれに添付されなければならない。

第四十条 (裏書された証明書及び免状の効力)
 前記のように裏書された証明書又は免状を有する航空機又は航空従事者は、その入る領域の属する一又は二以上の国の許可を受けた場合を除く外、国際航空に参加してはならない。その航空機又は証明を受けた航空機部品の最初に証明を受けた国以外の国における登録又は使用は、その航空機又は部品を輸入する国が任意に定める。

第四十一条  (耐空性の現行標準の承認)
 本章の規定は、航空機及び航空機装備品で、それらの耐空性の国際標準の採択の日の後三年以内にその原型式が当該国の当局に証明のため提出される型式のものには、適用しない。

第四十二条 (航空従事者の技能の現行標準の承認)
 本章の規定は、航空従事者で、その資格証明の国際標準の最初の採択の日の後一年以内に初めて免状の発給を受けるものには、適用しない。但し、この標準の採択の日の後五年を経過してなお有効である免状を有するすベての航空従事者には、いかなる場合にも適用する。

第二部 国際民間航空機関

第七章 機関

第四十三条 (名称及び構成)
 この条約により、国際民間航空機関という機関を組織する。この機関は、総会、理事会その他の必要な機関からなる。

第四十四条 (目的)
 この機関の目的は、次のことのため、国際航空の原則及び技術を発達させ、並びに国際航空運送の計画及び発達を助長することである。
(a)世界を通じて国際民間航空の安全な且つ整然たる発展を確保すること。
(b)平和的目的のために航空機の設計及び運航の技術を奨励すること。
(c)国際民間航空のための航空路、空港及び航空保安施設の発達を奨励すること。
(d)安全な、正確な、能率的な、且つ、経済的な航空運送に対する世界の諸国民の要求に応ずること。
(e)不合理な競争によつて生ずる経済的浪費を防止すること。
(f)締約国の権利が充分に尊重されること及びすべての締約国が国際航空企業を運営する公正な機会をもつことを確保すること。
(g)締約国間の差別待遇を避けること。
(h)国際航空における飛行の安全を増進すること。
(i)国際民間航空のすべての部面の発達を全般的に促進すること。

第四十五条 (恒久的所在地)
 この機関の恒久的所在地は、千九百四十四年十二月七日にシカゴで署名された国際民間航空中間協定によつて設立された臨時国際民間航空機関の中間総会の最終会合で決定される場所とする。その所在地は、理事会の決定により一時的に他の場所に、また、総会の決定により一時的でなく他の場所に移すことができる。その総会の決定は、総会が定める票数により行われるものとし、総会が定める票数は、締約国の総数の五分の三未満であつてはならない。

第四十六条 (総会の第一回会合)
 総会の第一回会合は、前記の臨時機関の中間理事会が決定する時に、及びその決定する場所で会合するように、この条約の効力発生の後直ちに中間理事会が招集する。

第四十七条 (法律上の行為能力)
 この機関は、各締約国の領域内で、任務の遂行に必要な法律上の行為能力を享有する。この機関は、関係国の憲法及び法律と両立する限り、完全な法人格を付与される。

第八章 総会

第四十八条 (総会の会合及び表決)
(a)総会は、少くとも三年に一回会合するものとし、理事会が適当な時及び場所に招集する。臨時総会は、理事会の招集又は締約国の総数の五分の一以上からの事務局長にあてた要請があつたときは、いつでも開催することができる。
(b)すベての締約国は、総会の会合に代表者を出す平等な権利を有し、各締約国は、一個の投票権を有する。締約国を代表する代表は、技術顧問の援助を受けることができる。技術顧問は、会合に参加することができるが、投票権を有しない。
(c)総会の会合の定足数を構成するためには、締約国の過半数を必要とする。総会の決定は、この条約に別段の定がない限り、投票の過半数によつて行われる。

第四十九条 (総会の権限及び任務)
 総会の権限及び任務は、次のとおりとする。
(a)会合ごとに議長その他の役員を選挙すること。
(b)第九章の規定に従い、理事会に代表者を出す締約国を選挙すること。
(c)理事会の報告を審査して適当な措置を執り、且つ、理事会が総会に付託した事項について決定をすること。
(d)その手続規則を決定し、且つ、必要又は望ましいと認める補助的な委員会を設立すること。
(e)第十二章の規定に従い、この機関の年次予算を表決し、且つ、この機関の財政上の措置を決定すること。
(f)この機関の支出を検査し、且つ、この機関の決算報告を承認すること。
(g)この活動範囲内の事項を理事会、補助的な委員会その他の機関に任意に付託すること。
(h)この機関の任務の遂行に必要な又は望ましい権限を理事会に委任し、及びその権限の委任をいつでも取り消し、又は修正すること。
(i)第十三章の関係規定を実施すること。
(j)この条約の規定の修正又は改正のための提案を審議し、及び、その提案を承認した場合には、第二十一章の規定に従つてこれを締約国に勧告すること。
(k)この機関の活動範囲内の事項で特に理事会の任務とされていないものを処理すること。

第九章 理事会

第五十条 (理事会の構成及び選挙)
(a)理事会は、総会に対して責任を負う常設機関とする。理事会は、総会が選挙する三十六の締約国からなる。選挙は、総会の第一回会合で行い、その後は、三年ごとに行う。このようにして選挙された理事会の構成員は、次の選挙まで在任する。
(b)理事会の構成員の選挙に当つて、総会は、(1)航空運送において最も重要な国、(2)(1)又は(3)に含まれない国で国際民間航空のための施設の設置に最大の貢献をするもの及び(3)(1)又は(2)に含まれない国で、その国を指名すれば世界のすべての主要な地理的地域が理事会に確実に代表されることとなるようなものが、適当に代表されるようにしなければならない。理事会の空席は、総会ができる限りすみやかに補充しなければならない。このようにして理事会に選挙された締約国は、前任者の残任期間中在任する。
(c)理事会を構成する締約国の代表者は、国際航空業務の運営に積極的に参与し、又はその業務に財政的に関係してはならない。

第五十一条 (理事会の議長)
 理事会は、その議長を三年の任期で選挙する。議長は、再選されることができる。議長は、投票権を有しない。理事会は、その構成員の中から一人又は二人以上の副議長を選挙する。副議長は、議長代理となるときも、投票権を保有する。議長は、理事会の構成員の代表者の中から選定されることを要しないが、代表者が議長に選挙された場合には、その議席は、空席とみなし、その代表者が代表する国により補充される。議長の任務は、次のとおりとする。
(a)理事会、航空運送委員会及び航空委員会の会合を招集すること。
(b)理事会の代表者となること。
(c)理事会が指定する任務を理事会に代つて遂行すること。

第五十二条 (理事会における表決)
 理事会の決定は、その構成員の過半数の承認を必要とする。理事会は、特定の事項に関する権限をその構成員からなる委員会に委任することができる。理事会の委員会の決定については、利害関係のある締約国が理事会に異議を申し立てることができる。

第五十三条 (投票権を伴わない参加)
 締約国は、自国の利害に特に影響する問題について理事会及びその委員会が行う審議に投票権なしで参加することができる。理事会の構成員は、自国が当事者である紛争について理事会が行う審議においては、投票権を有しない。

第五十四条 (理事会の義務的任務)
 理事会は、次のことを行わなければならない。
(a)総会に年次報告を提出すること。
(b)総会の指令を遂行し、並びにこの条約で課せられる任務及び義務を履行すること。
(c)その組織及び手続規則を決定すること。
(d)航空運送委員会を設置し、及びその任務を定めること。その委員会の委員は、理事会の構成員の代表者の中から選ばれ、その委員会は、理事会に対して責任を負うものとする。
(e)第十章の規定に従つて航空委員会を設置すること。
(f)第十二章及び第十五章の規定に従つてこの機関の会計を管理すること。
(g)理事会の議長の報酬を決定すること。
(h)第十一章の規定に従い、事務局長と呼ばれる首席行政官を任命し、及びその他の必要な職員の任命に関する規定を作成すること。
(i)航空の進歩及び国際航空業務の運営に関する情報を要請し、収集し、審査し、及び公表すること。その情報には、運営の費用に関する情報及び公の資金から航空企業に支払われた補助金の明細に関する情報を含む。
(j)この条約の違反及び理事会の勧告又は決定の不履行を締約国に報告すること。
(k)この条約の違反の通告の後相当な期間内に締約国が適当な措置を執らなかつた場合には、その違反を総会に報告すること。
(l)この条約の第六章の規定に従つて国際標準及び勧告方式を採択し、便宜上、それらをこの条約の附属書とし、且つ、執つた措置をすべての締約国に通告すること。
(m)附属書の改正についての航空委員会の勧告を審議し、且つ、第二十章の規定に従つて措置を執ること。
(n)この条約に関して締約国が付託する問題を審議すること。

第五十五条 (理事会の任意的任務)
 理事会は、次のことを行うことができる。
(a)適当であり、且つ、経験上望ましいと認められる場合には、地域的基礎その他の基礎に基く航空運送小委員会を創設し、及び理事会がこの条約の目的の遂行を容易にするため直接又は間接に交渉することができる国又は航空企業の集団を定めること。
(b)この条約で定める任務に追加される任務を航空委員会に委任し、及びこの権限の委任をいつでも取り消し、又は修正すること。
(c)国際的重要性を有する航空運送及び航空のすべての部面について調査を行い、その調査の結果を締約国に通知し、並びに航空運送及び航空上の問題に関する締約国間の情報の交換を容易にすること。
(d)国際幹線航空業務の国際的の所有及び運営を含む国際航空運送の組織及び運営に関する問題を研究し、並びにこれに関する計画を総会に提出すること。
(e)避けることができる障害が国際航空の発達を妨げていると認められる事態を締約国の要請に基いて調査し、その調査の後、理事会が望ましいと認める報告を発表すること。

第十章 航空委員会

第五十六条 (委員の指名及び任命)
 航空委員会は、締約国が指名する者の中から理事会が任命する十九人の委員からなる。締約国が指名する者は、航空の理論及び実際について適当な資格及び経験を有する者でなければならない。理事会は、すべての締約国に対して被指名者名簿の提出を要請する。航空委員会の委員長は、理事会が任命する。

第五十七条 (委員会の任務)
 航空委員会は、次のことを行わなければならない。
(a)この条約の附属書の修正を審議し、及びその採択を理事会に勧告すること。
(b)望ましいと認める場合には、いかなる締約国も代表者を出すことができる専門部会を設置すること。
(c)航空の進歩に必要且つ有用であると認めるすべての情報の収集及び締約国への通知に関して理事会に助言すること。

第十一章 職員

第五十八条 (職員の任命)
 総会が定める規則及びこの条約の規定に従うことを条件として、理事会は、事務局長その他のこの機関の職員の任命及び任期終了の方法、訓練並びに俸給、諸手当及び勤務条件を決定しなければならず、また、締約国の国民を雇用し、又はその役務を利用することができる。

第五十九条 (職員の国際的性質)
 理事会の議長、事務局長その他の職員は、その責任の遂行に関し、この機関外のいかなる当局からも指示を求め、又は受けてはならない。各締約国は、職員の責任の国際的性質を充分に尊重すること及び自国民がその責任を遂行するに当つてこれを左右しようとしないことを約束する。

第六十条 (職員の免除及び特権)
 各締約国は、その憲法上の手続に基いて可能である限り、理事会の議長、事務局長その他のこの機関の職員に対し、他の公的国際機関の相当職員に付与されている免除及び特権を付与することを約束する。国際的文官の免除及び特権に関する一般的国際協定が締結された場合には、議長、事務局長その他のこの機関の職員に付与される免除及び特権は、その一般的国際協定に基いて付与される免除及び特権でなければならない。

第十二章 会計

第六十一条 (予算及び経費の割当)
 理事会は、年次予算、年次決算書及びすべての収支に関する概算を総会に提出する。総会は、適当と認める修正を加えて予算を表決し、及び、第十五章に基く同意国への割当金を除く外、この機関の経費を総会が随時決定する基礎に基いて締約国間に割り当てる。

第六十二条 (投票権の停止)
 総会は、この機関に対する財政上の義務を相当な期間内に履行しない締約国の総会及び理事会における投票権を停止することができる。

第六十三条 (代表団その他の代表者の経費)
 各締約国は、総会への自国の代表団の経費並びに理事会勤務を命じた者及びこの機関の補助的な委員会に対する被指名者又は代表者の報酬、旅費その他の経費を負担しなければならない。

第十三章 他の国際取極

第六十四条 (安全保障取極)
 この機関は、その権限内にある航空問題で世界の安全保障に直接に影響を及ばすものに関し、総会の表決により、世界の諸国が平和を維持するために設立する一般的な機構と適当な取極を締結することができる。

第六十五条 (他の国際団体との取極)
 理事会は、共通の業務の維持及び職員に関する共通の取極のため、この機関に代つて他の国際団体と協定を締結し、並びに、総会の承認を得て、この機関の事業を容易にするようなその他の取極を締結することができる。

第六十六条 (他の協定に関する任務)
(a)この機関は、また、千九百四十四年十二月七日にシカゴで作成された国際航空業務通過協定及び国際航空運送協定によつて課せられた任務をこれらの協定に定める条項及び条件に従つて遂行する。
(b)総会及び理事会の構成員で、千九百四十四年十二月七日にシカゴで作成された国際航空業務通過協定又は国際航空運送協定を受諾していないものは、関係協定の規定に基いて総会又は理事会に付託される問題については、投票権を有しない。

第三部 国際航空運送

第十四章 情報及び報告

第六十七条 (理事会への報告の提出)
 各締約国は、その国際航空企業が、運輸報告、支出統計並びに会計報告書で特にすべての収入及びその源泉を示すものを理事会の定める要件に従つて理事会に提出することを約束する。

第十五章 空港その他の航空施設

第六十八条 (航空路及び空港の指定)
 各締約国は、この条約の規定に従うことを条件として、国際航空業務が自国の領域内で飛行すべき航空路及びその業務が使用する空港を指定することができる。

第六十九条 (航空施設の改善)
 理事会は、締約国の空港その他の航空施設(無線及び気象の施設を含む。)が現存の又は計画中の国際航空業務の安全な、正確な、能率的な、且つ、経済的な運営のために合理的に判断して適当でないと認める場合には、その事態を救済する方法を発見するため、直接関係国及び影響を受けるその他の国と協議しなければならず、また、この目的のために勧告をすることができる。締約国は、この勧告を実行しない場合にも、この条約の違反の責を負わない。

第七十条 (航空施設の費用の負担) 
 締約国は、第六十九条に規定する事情の下にあるときは、前記の勧告を実施するために理事会と取極を締結することができる。その国は、その取極に伴うすべての費用を負担することができる。その国がこれを負担しない場合には、理事会は、その国の要請に基いて費用の全部又は一部を負担することに同意することができる。

第七十一条 (理事会による施設の設置及び維持)
 理事会は、締約国が要請する場合には、空港その他の航空施設(無線及び気象の施設を含む。)の一部又は全部で、その領域内で他の締約国の国際航空業務の安全な、正確な、能率的な、且つ、経済的な運営のために必要とされるものの設置、配員、維持及び管理をすることに同意し、並びに設置した施設の使用について公正且つ合理的な料金を定めることができる。

第七十二条 (土地の取得又は使用)
 締約国の要請に基いて理事会が費用の全部又は一部を負担する施設のために土地が必要とされる場合には、その国は、希望するときは所有権を保有して、土地そのものを提供し、又は理事会が公正且つ合理的な条件で、且つ、当該国の法律に従つて土地を使用することを容易にしなければならない。

第七十三条 (資金の支出及び割当)
 理事会は、総会が第十二章に基いて理事会の使用に供する資金の範囲内で、本章の目的のためこの機関の一般資金から経常的支出をすることができる。理事会は、本章の目的のために必要な設備資金を、相当な期間についてあらかじめ協定した割合で、その施設を利用する航空企業が属する締約国でこれに同意するものに割り当てなければならない。理事会は、また、必要とされる運転資金を同意する国に割り当てることができる。

第七十四条 (技術的援助及び収入の利用)
 理事会が締約国の要請に基いて資金を前払し、又は空港その他の施設の全部若しくは一部を設置する場合には、その取極は、その国の同意を得て、その空港その他の施設の監督及び運営についての技術的援助に関し、並びにその空港その他の施設の運営費並びに利子及び割賦償還金がその空港その他の施設の運営によつて生ずる収入から支払われることに関して定めることができる。

第七十五条 (理事会からの施設の引継)
 締約国は、いつでも、状況により合理的であると理事会が認める額をこれに支払うことにより、第七十条に基いて負担した債務を履行し、並びに理事会が第七十一条及び第七十二条の規定に従つて自国の領域内に設置した空港その他の施設を引き継ぐことができる。締約国は、理事会が定める額が不当であると認める場合には、理事会の決定について総会に対し異議を申し立てることができる。総会は、理事会の決定を確認し、又は修正することができる。

第七十六条 (資金の返済)
 理事会が第七十五条に基く弁済並びに第七十四条に基く利子及び割賦償還金の領収によつて得た資金は、第七十三条に基いて締約国が最初に資金を前払している場合には、最初に出資を割り当てられた国に対し、理事会が決定したその割当額に比例して返済しなければならない。 第十六章 共同運営組織及び共同計算業務

第七十七条 (共同運営組織の許可)
 この条約のいかなる規定も、二以上の締約国が共同の航空運送運営組織又は国際運営機関を組織し、及びいずれかの路線又は地域における航空業務を共同計算にすることを妨げるものではない。但し、その組織又は機関及びその共同計算業務は、協定の理事会への登録に関する規定を含むこの条約のすべての規定に従わなければならない。理事会は、国際運営機関が運営する航空機に対して航空機の国籍に関するこの条約の規定をいかなる方法で適用するかを決定しなければならない。

第七十八条 (理事会の任務)
 理事会は、いずれかの路線又は地域における航空業務を運営するために共同組織を作ることを関係締約国に提議することができる。

第七十九条 (運営組織への参加)
 国は、その政府を通じて、又はその政府が指定する一若しくは二以上の航空会社を通じて、共同運営組織又は共同計算取極に参加することができる。それらの航空会社は、もつぱら関係国のみの裁量により、国有、一部国有又は私有のいずれのものともすることができる。

第四部 最終規定

第十七章 他の航空協定及び航空取極

第八十条 (パリ条約及びハバナ条約)
 各締約国は、千九百十九年十月十三日にパリで署名された航空法規に関する条約又は千九百二十八年二月二十日にハバナで署名された商業航空に関する条約のいずれかの当事国である場合には、その廃棄をこの条約の効力発生の後直ちに通告することを約束する。この条約は、締約国の間においては、前記のパリ条約及びハバナ条約に代るものとする。

第八十一条 (現在協定の登録)
 この条約の効力発生の際、締約国と他の国との間又は締約国の航空企業と他の国若しくは他の国の航空企業との間に存在するすべての航空協定は、直に理事会に登録しなければならない。

第八十二条 (両立しない取極の廃止)
 締約国は、この条約がこの条約の条項と両立しない相互間のすべての義務及び了解を廃止するものであることを承認し、且つ、そのような義務及び了解を成立させないことを約束する。この機関の加盟国となる前にこの条約の条項と両立しない義務を非締約国に対し、又は締約国若しくは非締約国の国民に対して約束した締約国は、その義務を免かれる措置を直ちに執らなければならない。締約国の航空企業がこのような両立しない義務を負担している場合には、この企業の国籍の属する国は、直ちにこの義務を終止することを確保するために最善の努力をし、且つ、いかなる場合にも、この義務を終止させる措置がこの条約の効力発生の後適法に可能となつたときは、直ちにこの措置を執らなければならない。

第八十三条 (新たな取極の登録)
 締約国は、前条の規定に従うことを条件として、この条約の規定に反しない取極を結ぶことができる。この取極は、直ちに理事会に登録しなければならず、理事会は、できる限りすみやかにこれを公表しなければならない。

第八十三条の二 (一定の任務及び義務の移転)
(a)締約国において登録された航空槻が他の締約国内に主たる営業所(主たる営業所を有しないときは、住所)を有する運航者によつてリース、チャーター若しくは引継運航又はこれらに類する手配の取決めに従つて運航される場合には、第十二条、第三十条、第三十一条及び第三十二条(a)の規定にかかわらず、登録国は、当該他の締約国との協定により、これらの規定に基づく当該航空機に係る登録国の任務及び義務の全部又は一部を当該他の締約国に移転することができる。登録国は、移転された任務及び義務についての責任を解除される。
(b)移転は、当該移転について定める国家間の協定が第八十三条の規定に従つて理事会に登録され及び公表されるまで他の締約国について、又は当該協定のいずれかの当事国が他の関係締約国の当局に対して当該協定の存在及び適用範囲を直接通告するまで当該他の関係締約国について、効力を生じない。
(c)(a)及び(b)の規定は、第七十七条の規定の適用を受ける場合についても、適用する。

第十八章 紛争及び違約

第八十四条 (紛争の解決)
 この条約及び附属書の解釈又は適用に関する二以上の締約国間の意見の相違が交渉によつて解決されない場合には、その意見の相違は、それに関係のある国の申請に基き、理事会が解決する。理事会の構成員は、自国が当事者である紛争について理事会が行う審議においては、投票権を有しない。締約国は第八十五条に従うことを条件として、理事会の決定について、他の紛争当事者と協定する特別仲裁裁判所又は常設国際司法裁判所に提訴することができる。この提訴は、理事会の決定の通告の受領の日から六十日以内に理事会に通告しなければならない。

第八十五条 (仲裁手続)
 紛争当事者たるいずれかの締約国でその紛争に関する理事会の決定について提訴されているものが常設国際司法裁判所規程を受諾しておらず、且つ、紛争当事者たる締約国が仲裁裁判所の選定について合意することができない場合には、紛争当事者たる各締約国は、一人の仲裁委員を指名しなければならない。これらの仲裁委員は、一人の審判委員を指名するものとする。その紛争の当事者たるいずれかの締約国が提訴の日から三箇月の期間内に仲裁委員を指名しなかつた場合には、仲裁委員は、理事会が備えている有資格者の現在員名簿の中から、理事会の議長がその国に代つて指名しなければならない。仲裁委員が審判委員について三十日以内に合意することができなかつた場合には、理事会の議長は、前記の名簿の中から審判委員を指名しなければならない。次に、仲裁委員及び審判委員は、仲裁裁判所を共同で構成しなければならない。本条又は前条に基いて設置される仲裁裁判所は、その手続を定め、且つ、多数決によつて決定を行わなければならない。但し、理事会は、著しい遅延があると認める場合には、手続問題を決定することができる。

第八十六条 (提訴)
 理事会が別に定める場合を除く外、国際航空企業がこの条約の規定に従つて運営されているかどうかについての理事会の決定は、提訴に基いて破棄されない限り、引き続き有効とする。その他の事項については、理事会の決定は、これについて提訴された場合には、その提訴が決定されるまでの間停止しなければならない。常設国際司法裁判所及び仲裁裁判所の決定は、最終的とし、且つ、拘束力を有する。

第八十七条 (航空企業の違反に対する制裁)
 各締約国は、自国の領域上の空間を通過する締約国の航空企業が前条に従つて行われた最終的決定に違反していると理事会が決定した場合には、その航空企業の運営を許可しないことを約束する。

第八十八条 (国の違反に対する制裁)
 総会は、本章の規定に基いて違約国と認められた締約国の総会及び理事会における投票権を停止しなければならない。

第十九章 戦争

第八十九条 (戦争及び緊急状態)
 この条約の規定は、戦争の場合には、交戦国であると中立国であるとを問わず、関係締約国の行動の自由に影響を及ぼすものではない。同一の原則は、国家緊急事態を宣言してその事実を理事会に通告した締約国の場合にも、適用する。

第二十章 附属書

第九十条 (附属書の採択及び改正)
(a)第五十四条(1)に掲げる理事会による附属書の採択は、そのために招集された会合における理事会の三分の二の投票を必要とし、次に、理事会が各締約国に送付しなければならない。その附属書又は附属書の改正は、各締約国への送付の日の後三箇月以内に、又は理事会が定めるそれ以上の期間の終了の時に、効力を生ずる。但し、締約国の過半数がこの期間内にその不承認を理事会に届け出た場合は、この限りでない。
(b)理事会は、附属書又はその改正の効力の発生をすべての締約国に直ちに通告しなければならない。

第二十一章 批准、加入、改正及び廃棄

第九十一条 (条約の批准)
(a)この条約は、署名国によつて批准されなければならない。批准書は、アメリカ合衆国政府の記録に寄託する。同政府は、その寄託の日を各署名国及び各加入国に通告する。
(b)この条約は、二十六国がこれを批准し、又はこれに加入したときは、二十六番目の文書の寄託の日の後三十日目にそれらの国の間で効力を生ずる。この条約は、その後批准する各国については、その批准書の寄託の日の後三十日目に効力を生ずる。
(c)アメリカ合衆国政府は、この条約が効力を生じた日を各署名国及び各加入国の政府に通告するものとする。

第九十二条 (条約への加入)
(a)この条約は、連合国及びこれらと連合している国並びに今次世界戦争の間中立であつた国の加入のために開放される。
(b)加入は、アメリカ合衆国政府にあてた通告によつて行い、且つ、アメリカ合衆国政府が通告を受領した日から三十日目に効力を生ずる。同政府は、すべての締約国にその旨を通告する。

第九十三条 (その他の国の加入承認)
 第九十一条及び第九十二条(a)に規定する国以外の国は、世界の諸国が平和を維持するために設立する一般的な国際機構の承認を得ることを条件として、総会の五分の四の投票により、且つ、総会が定める条件で、この条約に加入することを承認される。但し、各場合において、承認を求める国によつて今次戦争の間に侵略され、又は攻撃された国の同意を必要とする。

第九十四条 (条約の改正)
(a)この条約の改正案は、総会の三分の二の投票によつて承認されなければならず、また、総会が定める数の締約国が批准した時に、その改正を批准した国について効力を生ずる。総会が定める数は、締約国の総数の三分の二未満であつてはならない。
(b)総会は、前記の改正の性質上正当と認める場合には、採択を勧告する決議において、改正の効力発生の後所定の期間内に批准しなかつた国が直ちにこの機関の加盟国及びこの条約の当事国でなくなることを規定することができる。

第九十五条 (条約の廃棄)
(a)締約国は、この条約の効力発生の後三年を経過したときは、アメリカ合衆国政府にあてた通告により、この条約の廃棄の通告をすることができる。同政府は、直ちに各締約国にその旨を通報する。
(b)廃棄は、その通告の受領の日から一年で効力を生じ、且つ、廃棄を行つた国についてのみ有効とする。

第二十二章 定義

第九十六条
 この条約の適用上、
(a)「航空業務」とは、旅客、郵便物又は貨物の公衆用の運送のために航空機で行う定期航空業務をいう。
(b)「国際航空業務」とは、二以上の国の領域上の空間にわたつて行う航空業務をいう。
(c)「航空企業」とは、国際航空業務を提供し、又は運営する航空運送企業をいう。
(d)「運輸以外の目的での着陸」とは、旅客、貨物又は郵便物の積込又は積卸以外の目的で着陸することをいう。

条約の署名
 以上の証拠として、下名の全権委員は、正当に委任を受け、それぞれの政府のために、その署名に対応して掲げる日にこの条約に署名する。
 千九百四十四年十二月七日にシカゴで、英語により作成した。英語、フランス語及びスペイン語で作成する本文一通は、各語ともにひとしく正文とし、ワシントンで署名のため開放される。両本文は、アメリカ合衆国政府の記録に寄託し、認証謄本は、同政府がこの条約に署名し、又は加入するすべての国の政府に送付する。

-以下署名略-

  「法令全集」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1867年(慶応3)神戸港が外国船に向けて開港した日(神戸開港記念日)です(新暦1868年1月1日)詳細
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1948年(昭和23)警視庁が昭和電工事件で、芦田均前首相を逮捕する詳細
1958年(昭和33)東京タワーの公開が開始(正式営業開始は23日)される詳細
1995年(平成7)白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜県・富山県)が世界遺産(文化遺産)に登録される詳細
2001年(平成13)「文化芸術振興基本法」(平成13年法律第148号)が公布・施行される詳細
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fujiwar1
 今日は、飛鳥時代の694年(持統天皇8)に、持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都した日ですが、新暦では、12月27日となります。
 藤原京(ふじわらきょう)は、奈良県橿原市と高市郡明日香村にまたがる地域にあった飛鳥時代の都で、日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもあったとされます。694年(持統天皇8)に、持統天皇が飛鳥浄御原宮から遷都し、710年(和銅3)に、元明天皇により、平城京に遷都されるまで、三代(持統・文武・元明)16年間の日本の首都とされました。
 大和三山に囲まれた飛鳥地方に造営され、唐の制度を模し、左京・右京とも東西4坊・南北12条に区画されています。中央北部に宮城をおき、12の門、内裏、朝堂院などがありましたが、平城京遷都 (710年) の翌年に焼失しました。
 今でも、藤原京の中心にあった藤原宮の大極殿の土壇が残っており、周辺は史跡公園になっています。藤原宮跡は、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定されており、現在では、その6割ほどが保存されて、藤原宮及び藤原京の発掘調査が続けられてきました。
 この地域から、木簡約1200点が出土していて、古代史を解明する上で重要な資料となっています。これらの出土品は、「奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室」や「飛鳥資料館」(明日香村奥山)で公開されてきました。

〇藤原京関係略年表(日付は旧暦です)

・676年(天武天皇5) 天武天皇が「新城(にいき)」の選定に着手する
・684年(天武天皇13) 天武天皇が京師を巡行して宮室の地を定める
・690年(持統天皇4) 高市皇子が、藤原宮の地をみ、藤原京造営が再開される
・691年(持統天皇5) 藤原京域を地鎮する
・692年(持統天皇6) 持統天皇が、藤原京の路をみ、藤原宮を地鎮する
・693年(持統天皇7) 持統天皇が、藤原宮の地へ行幸する
・694年(持統天皇8年12月6日) 持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都する
・701年(大宝元) 「大宝律令」が完成する
・702年(大宝2) 持統太上天皇が亡くなり、遣唐使を派遣する
・707年(慶雲4) 文武天皇が亡くなり、元明天皇が即位する
・708年(和銅元) 元明天皇より遷都の勅が下り、和銅開珎を鋳造する
・710年(和銅3) 元明天皇により、平城京に遷都される
・711年(和同4) 藤原宮・大官大寺などが焼亡する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1720年(享保5) 近松門左衞門が『心中天網島』を脚色し、人形浄瑠璃として初演される(新暦1721年1月3日) 詳細
1887年(明治20) 幕末明治維新期の政治家・薩摩藩主忠義の父島津久光の命日 詳細
1890年(明治23) 第1回帝国議会で山形有朋の施政方針演説が行われる 詳細
1912年(大正元) 「朝日新聞」において、夏目漱石著の『行人』が連載開始される 詳細
1918年(大正7) 「大学令」が公布される 詳細
「(第2次)高等学校令」が公布される 詳細
1927年(昭和2) 政治雑誌「労農」が創刊される 詳細
1957年(昭和32) 「日ソ通商条約」が調印される 詳細
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 今日は、江戸時代前期の寛永14年に、島原の乱で、島原・天草の一揆勢が原城に総数37,000人が集結して、籠城した日ですが、新暦では1638年1月17日となります。
 島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代前期の1637年(寛永14年10月25日)~翌年2月28日まで、九州の島原・天草地方で起きた、日本の歴史上最大規模の一揆で、島原・天草の乱、島原・天草一揆とも呼ばれてきました。以前この地方は,キリシタン大名有馬晴信や小西行長の領地で、住民にもキリスト教徒が多かったのですが、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦い後、天草の領主は寺沢氏に代り、1615年(元和元)に、島原の領主が松倉氏に代わります。寺沢氏・松倉氏は、キリシタン信者に対する過酷な弾圧と農民への過重な年貢の負担を強制し、滞納する者には重罰を課しました。その中で、1637年(寛永14年10月25日)に、有馬村のキリシタンが中心となって代官所に強談に赴き代官・林兵左衛門を殺害し、これをきっかけに島原半島一帯の農民が蜂起します。豪農益田甚兵衛の子四郎時貞(16歳)が首領に推され、商人、手工業者、船頭なども参加、さらに天草の農民も加わって、大規模な一揆となりました。一揆勢は、最初は島原藩兵を追い返したり、11月14日の本渡の戦いでは、富岡城代の三宅重利を自刃させるなど優勢でしたが、九州諸藩の討伐軍が來ると、12月3日に原城跡に約3万7千人が立て籠もったのです。江戸幕府は12月に鎮圧のため板倉重昌を派遣し、近隣諸藩の兵を指揮させましたが、翌年元旦の総攻撃で重昌は戦死してしまいました。その後、老中松平信綱が着陣して指揮を取り、十数万の包囲軍による兵糧攻めや艦砲射撃なども行います。そして、一揆勢の食糧や弾薬が尽きた頃、幕府軍の総攻撃によって陥落し、1638年(寛永15年2月28日)に終結しましたが、一揆勢はほぼ全員が殺されました。しかし、幕府側も40万両余の戦費と数千の武士を失うという痛手で、原因を作った松倉重次を処刑し、寺沢氏の所領を没収するなどの処置を取りますす。これ以後、キリスト教への弾圧は一層きびしくなり、鎖国を促すことにもなりました。

〇「原城跡」とは?
 長崎県南島原市にあり、島原の乱(1637~38年)で、幕府軍とキリスト教徒中心の一揆勢が戦ったところで、本丸跡には首領天草四郎時貞の像が立っています。城跡には、大手門跡、板倉重昌碑、本丸跡、ホネカミ地蔵、天草四郎像、天草四郎墓などが残され、現在は、国指定史跡となりました。
 今はほとんどが農耕地となっていて、しかも海の眺望が良く、のどかな田園地帯で、ここで島原の乱があり、約3万7千人が死んだとは思えない場所となっています。尚、1938年(昭和13)に国の史跡となり、2017年(平成29)に、「続日本100名城」(188番)に選定され、2018年(平成30)には、世界遺産(文化遺産)の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素の一つとして、登録されました。

〇「キリスト教の伝来と禁教令」とは?
 1549年(天文18)に、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが、鹿児島に来航して、キリスト教は伝来します。その後、大内義隆や大内義鎮などの保護もあって、機内や九州北部を中心に広がりました。
 各地に南蛮寺(教会堂)やコレジオ(宣教師学校)、セミナリオ(神学校)なども建てられ、高山右近などのキリシタン大名(洗礼を受けた大名)も登場して、天正遣欧使節も送られたりします。しかし、豊臣秀吉により、1587年(天正15)にバテレン追放令が出されるなどして、次第にキリシタン弾圧が始まりました。
 江戸時代になると、1612年(慶長17)に幕府直轄領に禁教令が出され、翌年には全国に及ぶようになります。この後は、宣教師や信者の処刑や海外追放などの激しい迫害が始まりました。

☆島原の乱関係略年表(日付は旧暦です)

<1637年(寛永14)>
・9月30日 天草四郎(16才?)は一人で宇土町から大矢野の渡辺左太郎(姉婿)の家へ向かう。後日、父の甚平が大矢野に向かう
・10月7日 天草郡大矢野村宮津で、天草四郎は天草の盟主(総大将)『天草四郎時貞』の名をもらう
・10月9日 天草四郎が上津浦で多くの信徒を前に説教をする
・10月19日 天草四郎が南有馬村の角蔵と北有馬村の三吉に、キリシタンの教えを説く
・10月24日 湯島(談合島)島原と天草の代表が集まって、天草四郎は天草と島原の両方の盟主になる
・10月25日 天草四郎は親類の渡辺伝兵衛の家に移り、島原の代官林兵左衛門が百姓たちに殺される(島原の乱の始まり)
・10月26日 天草四郎は渡辺小左衛門たち50人といっしょに栖本の郡代の家に行き、キリシタンにもどるように説く、島原で一揆勢が立ち上がり、深江合戦後大手門の激戦になるが島原城は落とせず
・10月28日 天草で一揆が開始され、領内の神社仏閣を襲う
・10月30日 渡辺小左衛門たち組の幹部が、宇土郡の郡浦にて細川藩に捕らえられ、人質になる
・11月1日 天草四郎の母、姉、妹たちが、細川藩に捕らえられて人質になる
・11月4日 天草四郎は50人もの有力者をひきつれて、島原の有馬にわたる
・11月8日 有馬の百姓たちが、天草四郎に誓詞を差し出す
・11月13日 島原の一揆勢の一部が、天草に加勢に来る、湯島にもどって原城立て籠もりの話をし、上津浦に上陸して、天草一揆の本陣を上津浦に移す
・11月14日 午前に島子村で富岡の領主勢と戦い、島子合戦で勝利、午後に本渡合戦で唐津藩城代(富岡城の領主)三宅籐兵衛を討ち取られる
・11月19日 一揆勢が富岡城を包囲する
・11月22日 一揆勢は富岡城を攻略できずに島原に撤退する
・11月24日 一揆勢は有馬の古城、原城を修理して、立て籠もる
・12月1日 一揆勢は島原の原城跡で籠城作戦の準備をする
・12月3日 一揆勢は天草・島原の各地から海をわたり原城に入り、総数37,000人が集結する
・12月10日 原城が幕府軍に包囲されて、両軍はじめて戦火を交える
・12月19日 幕府軍が夜中に総攻撃をしかけたが、一揆勢に追いかえされる

<1638年(寛永15)>
・1月1日 夜明けに2回目の幕府軍総攻撃が行われ、上司板倉重昌が討ち死にする
・1月4日 幕府軍の松平信綱と10万の大軍が島原に到着し、幕府側から和漢交渉を求め、干殺し作戦に入る 
・1月11日 オランダ船が原城を大砲で攻撃する
・1月13日 一揆勢より矢文合戦を開始する
・1月22日 囲碁をしていた時、陸から打たれた砲弾が四郎の袖に当り負傷、側近の数名が即死する
・2月1日 松平信綱の指図によって、人質となった四郎の母の手紙がとどいたが、無視される
・2月3日 両軍の代表が大江口で会見する
・2月10日 天草四郎は原城の一揆勢を励ましてまわる
・2月27日 幕府軍の原城総攻撃が開始される
・2月28日 原城が落城、37,000人全員が虐殺され、午後に天草四郎の首実験が行われる
・3月 天草四郎らしき首が原城で獄門にされた後、長崎の出島に送られて再度獄門にされ、西坂の墓地(首塚)に埋められ、人質になっていた四郎の親類縁者や落人のすべてが処刑される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

671年(天智天皇10)第38代の天皇とされる天智天皇の命日(新暦672年1月7日)詳細
1859年(安政6)労働運動家・社会主義者・思想家・社会事業家片山潜の誕生日(新暦12月26日)詳細
1879年(明治12)小説家・随筆家永井荷風の誕生日詳細
1926年(大正15)最初の「円本」となる『現代日本文学全集』が、改造社から1冊1円で刊行開始詳細
1942年(昭和17)東京府立美術館で「第一回大東亜戦争美術展」が始まる(~12月25日まで)詳細
1955年(昭和30)鹿児島県名瀬市(現在の奄美市)で名瀬大火があり、市全体の約1/3にあたる1,365棟が焼失する詳細
1989年(平成元)ブッシュ米国大統領とゴルバチョフソ連共産党書記長とのマルタ会談で、冷戦の終結が宣言される詳細
1997年(平成9)カナダの首都オタワにおいて、121ヶ国により、「対人地雷禁止条約」が調印される詳細
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 今日は、明治時代前期の1882年(明治15)に、福島事件により、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕された日です。
 福島事件(ふくしまじけん)は、自由民権運動の中で、福島県令三島通庸による福島自由党員・農民などが弾圧された事件です。1882年(明治15)2月に、福島県令に着任した三島通庸は、会津地方から新潟県、山形県、栃木県へ通じる県道(会津三方道路)の工事をさせるために、会津地方六郡下の15~60歳までの男女を、2年にわたり月一日人夫として働かせるか、一日につき男15銭、女10銭の人夫賃を出させると布告しました。
 同年4月に、三島県令は福島県会を召集したが出席せず、県会からの再三の出席要請を拒否しつつ、自由党の演説会等に対する弾圧を強化し、5月11日には、福島県会は23対22で全議案を総否決することを決議するに至ります。8月に、河野ら幹部は福島自由党の本拠地「無名館」(福島市)に集まり、そこで密かに「無名館血誓書」をつくり、9月末には、同盟者(訴訟委任状提出者)4,083人の代表70余人が会合「権利恢復規約書」と正副総理、訴訟委員を決定しました。
 10月に、同盟費提出者は7,000余人に達するに及んで、県当局は攻撃を本格化して、不服者を郡役所へ呼び出し、命令に従わない場合は土地を公売処分に付すると威嚇します。11月に、公売処分に抗議した原平蔵、三浦文治、訴訟委員宇田成一が逮捕されると、同月28日には、山刀・棍棒・熊手を手に千数百人の農民が弾正ヶ原に集まり、隊列を整え喜多方警察署におしかけ、警察官は抜刀し農民たちに切りかかり無理やり解散させられる喜多方事件が勃発しました。
 翌日から、東京都、福島県で自由党員と農民の一斉検挙が開始(2,000余人)され、12月1日には、無名館が巡査隊と福島監獄看守らにより包囲突入され、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕されます。翌年1月中旬に、「血誓書」が当局に発見され、「国家転覆」という目的が当局の機嫌を損ね、河野らは「国事犯」として裁かれることとなり、2月に指導者と目された57名が内乱陰謀の国事犯とされ、9月には、東京の高等法院の裁判に付され、河野に軽禁獄7年、他の5人に同6年の判決が出されました。

〇福島事件関係略年表

<1881年(明治14)>
・10月 自由党が結成されると、まもなく福島、会津にそれぞれ支部がつくられる

<1882年(明治15)>
・2月 福島県令に着任した三島通庸は、会津地方から新潟県、山形県、栃木県へ通じる県道(会津三方道路)の工事をさせるために、会津地方六郡下の15歳から60歳までの男女を、2年にわたり月一日人夫として働かせるか、一日につき男15銭、女10銭の人夫賃を出させると布告する
・4月 三島は福島県会を召集したが出席せず、県会からの再三の出席要請を拒否。他方,自由党の演説会等に対する弾圧を強化する
・5月11日 福島県会は23対22で全議案を総否決することを決議するに至る
・6月末 三島健令は、三方道路の路線査定を指示し、同時に代夫賃の徴収を郡長に命じる
・7月 会津6郡の臨時連合会開催を要求する
・8月1日 夜に河野ら幹部は福島自由党の本拠地「無名館」(福島市)に集まり、そこで密かに「無名館血誓書」をつくる
・8月末 宇田成一、中島友八らは秘密裡に会合をかさねて訴訟運動を方針とすることを決める
・9月末 同盟者(訴訟委任状提出者)4,083人の代表70余人が会合「権利恢復規約書」と正副総理、訴訟委員を決定する
・10月 同盟費提出者は7,000余人に達する
・10月末 県当局は攻撃を本格化して、不服者を郡役所へ呼び出し、命令に従わない場合は土地を公売処分に付すると威嚇する
・11月19日 公売処分に抗議した原平蔵、三浦文治が逮捕される
・11月24日 訴訟委員宇田成一が逮捕される
・11月28日 山刀・棍棒・熊手を手に千数百人の農民が弾正ヶ原に集まり、隊列を整え喜多方警察署におしかけ、警察官は抜刀し農民たちに切りかかり無理やり解散させる(喜多方事件)
・11月29日 東京都、福島県で自由党員と農民の一斉検挙が開始される(2,000余人)
・12月1日 無名館が巡査隊と福島監獄看守らにより包囲突入され、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕される

<1883年(明治16)>
・1月中旬 「血誓書」が当局に発見され、「国家転覆」という目的が当局の機嫌を損ね、河野らは「国事犯」として裁かれることとなる
・2月 指導者と目された57名が内乱陰謀の国事犯として高等法院へ送られる
・9月 東京の高等法院の裁判に付され、河野に軽禁獄7年、他の5人に同6年の判決が出される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1267年(文永4)第91代の天皇とされる後宇多天皇の誕生日(新暦12月17日)詳細
1903年(明治36)小説家小林多喜二の誕生日詳細
1910年(明治43)石川啄木著の第一歌集『一握の砂』が東雲堂書店より刊行される詳細
1934年(昭和9)東海道本線の丹那トンネル(熱海~函南)が開通する詳細
1941年(昭和16)昭和天皇臨席の第8回御前会議で「対英米蘭開戦の件」を決定する詳細
1952年(昭和27)石橋正二郎より寄贈を受けて、国立近代美術館(現在の東京国立近代美術館)が中央区京橋に開館する詳細
1959年(昭和34)南極の非軍事利用を取り決めた「南極条約」に、日・英・米など12ヶ国が調印する詳細
1977年(昭和52)小説家海音寺潮五郎の命日詳細
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 今日は、大正時代の1924年(大正13)に、兵庫県立神戸高等女学校講堂において、孫文の「大アジア主義講演」が行われた日です。
 大アジア主義講演(だいあじあしゅぎこうえん)は、大正時代の1924年(大正13)11月28日に、兵庫県神戸市の県立神戸高等女学校講堂において、孫文の行った中国語の講演です。孫文が神戸で頭山満と会談した翌日に、神戸商業会議所など5団体を対象として行ったもので、随行した戴季陶によって日本語に通訳されました。
 中国と日本がアジアの他の民族と連合し、不平等な国際関係を改善し、平等と自由、相互扶助と互恵の国際秩序を確立し、共にアジアの発展を求めるよう呼びかけたものです。
 以下に、孫文の「大アジア主義講演」の原文と日本語訳を掲載しておきますので、ご参照ください。

〇孫文の「大アジア主義講演」 1924年(大正13)11月28日 於:兵庫県立神戸高等女学校講堂

<原文>

大亞洲主義
 諸君:今天蒙諸君這樣熱誠的歡迎,我實在是非常的感激。今天大家定了一個問題,請我來講演,這個問題是「大亞洲主義」。我們要講這個問題,便先要看清楚我們亞洲是一個甚麼地方。我想我們亞洲就是最古文化的發祥地,在幾千年以前,我們亞洲人便已經得到了很高的文化。就是歐洲最古的國家,像希臘、羅馬那些古國的文化,都是從亞洲傳過去的。我們亞洲從前有哲學的文化、宗教的文化、倫理的文化和工業的文化。這些文化都是亙古以來,在世界上很有名的。推到近代世界上最新的種種文化,都是由於我們這種老文化發生出來的。到近幾百年以來,我們亞洲各民族才漸漸萎靡,亞洲各國家才漸漸衰弱,歐洲各民族才漸漸發揚,歐洲各國家才漸漸強盛起來。到了歐洲的各民族發揚和各國家強盛之後,他們的勢力更漸漸侵入東洋,把我們亞洲的各民族和各國家,不是一個一個的銷滅,便是一個一個的壓制起來。一直到三十年以前,我們亞洲全部,可以說是沒有一個完全獨立的國家。到那個時候,可以說是世界的潮流走到了極端。
 但是否極泰來,物極必反,亞洲衰弱,走到了這個極端,便另外發生一個轉機,那個轉機就是亞洲復興的起點。亞洲衰弱,到三十年以前,又再復興,那個要點是在甚麼地方呢?就是在日本。當三十年以前,廢除了和外國所立的一些不平等條約。日本廢除不平等條約的那一天,就是我們全亞洲民族復興的一天。日本自從廢除了不平等條約之後,便成了亞洲的頭一個獨立國家。其他亞洲的有名國家,像中國、印度、波斯、阿富汗、阿拉伯、土耳其,都不是獨立的國家,都是由歐洲任意宰割,做歐洲的殖民地。在三十年以前,日本也是歐洲的一個殖民地,但是日本的國民有先見之明,知道民族和國家之何以強盛與衰弱的關鍵,便發奮為雄,同歐洲人奮鬥,廢除所有不平等的條約,把日本變成一個獨立國家。自日本在東亞獨立了之後,於是亞洲全部的各國家和各民族,便另外生出一個大希望,以為日本可以廢除條約來獨立,他們也當然可以照樣,便從此發生膽量,做種種獨立運動,要脫離歐洲人的束縛,不做歐洲的殖民地,要做亞洲的主人翁。這種思想,是近三十年以來的思想,是很樂觀的思想。
 說到三十年以前,我們亞洲全部的民族思想便大不相同,以為歐洲的文化是那樣進步,科學是那樣進步,工業上的製造也是那樣進步,武器又精良,兵力又雄厚,我們亞洲別無他長,以為亞洲一定不能抵抗歐洲,一定不能脫離歐洲的壓迫,要永遠做歐洲的奴隸。這種思想,是三十年以前的思想,是很悲觀的思想。就是從日本廢除了不平等條約之後,在日本雖然成了一個獨立國家,和日本很接近的民族和國家,雖然要受大影響,但是那種影響還不能一時傳達到全亞洲,亞洲全部的民族還沒有受大震動。再經過十年之後,便發生日俄一戰,日本便戰勝俄國。日本人戰勝俄國人,是亞洲民族在最近幾百年中頭一次戰勝歐洲人;這次戰爭的影響,便馬上傳達到全亞洲,亞洲全部的民族便驚天喜地,發生一個極大的希望。這是我親眼所見的事,現在可以和諸君略為談談。當日俄戰爭開始的那一年,我正在歐洲,有一日聽到東鄉大將打敗俄國的海軍,把俄國新由歐洲調到海參衛的艦隊,在日本海打到全軍覆沒。這個消息傳到歐洲,歐洲全部人民為之悲憂,如喪考妣。英國雖然是和日本同盟,而英國人士一聽到了這個消息,大多數也都是搖首縐眉,以為日本得了這個大勝利,終非白人之福。這正是英國話所說“Blood is thicker than water”的觀念。不久我由歐洲坐船回亞洲,經過蘇彝士運河的時候,便有許多土人來見我,那些土人大概是阿拉伯人,他們看見了我是黃色人,便現出很歡喜的急忙的樣子來問我說:「你是不是日本人呀?」我答應說:「不是的。我是中國人,你們有甚麼事情呢?你們為甚麼現出這樣的高興呢?」他們答應說:「我們新得了一個極好的消息,聽到說日本消滅了俄國新由歐洲調去的海軍,不知道這個消息是不是的確呢?而且我們住在運河的兩邊,總是看見俄國的傷兵,由一船一船的運回歐洲去,這一定是俄國打了大敗仗的景況。從前我們東方有色的民族,總是被西方民族的壓迫,總是受痛苦,以為沒有出頭的日子。這次日本打敗俄國,我們當作是東方民族打敗西方民族。日本人打勝仗,我們當作是自己打勝仗一樣。這是一種應該歡天喜地的事。所以我們便這樣高興,便這樣喜歡。」像這個樣子看起來,日本戰勝俄國,是不是影響到亞洲全部的民族呢?那個影響是不是很大呢?至於那次日本戰勝俄國的消息,在東方的亞洲人聽到了,或者以為不大重要,不極高興。但是在西方的亞洲人,和歐洲人毗連,朝夕相見,天天受他們的壓迫,天天覺得痛苦,他們所受的壓迫,比較東方人更大,所受的痛苦,比較東方人更深,所以他們聽到了那次戰勝的消息,所現出的高興,更比較我們東方人尤甚。
 從日本戰勝俄國之日起,亞洲全部民族便想打破歐洲,便發生獨立的運動。所以埃及有獨立的運動,波斯、土耳其有獨立的運動。阿富汗、阿拉伯有獨立的運動,印度人也從此生出獨立的運動。所以日本戰勝俄國的結果,便生出亞洲民族獨立的大希望。這種希望從發生之日起,一直到今日不過二十年,埃及的獨立便成了事實,土耳其的完全獨立也成了事實,波斯、阿富汗和阿拉伯的獨立,也成了事實。就是最近印度的獨立運動,也是天天發達。這種獨立的事實,便是亞洲民族思想在最近進步的表示。這種進步的思想發達到了極點,然後亞洲全部的民族才可聯絡起來,然後亞洲全部民族的獨立運動,才可以成功。近來在亞洲西部的各民族,彼此都有很親密的交際,很誠懇的感情,他們都可以聯絡起來。在亞洲東部最大的民族,是中國與日本,中國同日本,這是這種運動的原動力。這種原動力發生了結果之後,我們中國人此刻不知道,你們日本人此刻也是不知道,所以中國同日本現在還沒有大聯絡,將來潮流所趨,我們在亞洲東方的各民族,也是一定要聯絡的。東西兩方民族之所以發生這種潮流,和要實現這種事實的原故,就是要恢復我們亞洲從前的地位。
 這種潮流在歐美人看到是很清楚的,所以美國便有一位學者,曾做一本書,專討論有色人種的興起。這本書的內容是說日本打敗俄國,就是黃人打敗白人,將來這種潮流擴張之後,有色人種都可以聯絡起來和白人為難,這便是白人的禍害,白人應該要思患預防。他後來更做了一本書,指斥一切民族解放之事業的運動,都是反叛文化的運動。照他的主張,在歐洲的民眾解放運動,固然是當作文化的反叛,至於亞洲的民眾解放運動,更是應該當作反叛事業。這種思想在歐美一切特殊階級的人士,都是相同的。所以他們用少數人既是壓制了本洲和本國的多數人,更把那種流毒推廣到亞洲,來壓制我們九萬萬民族,要我們九萬萬的大多數,做他們少數人的奴隸,這真是非常的慘酷,真是可惡已極。而這位美國學者的論調,還以為亞洲民族有了感覺,便是對於世界文化的反叛,由此便可見歐洲人自視為傳授文化的正統,自以文化的主人翁自居,在歐洲人以外的,有了文化發生,有了獨立的思想,便視為反叛;所以用歐洲的文化和東洋的文化相比較,他們自然是以歐洲的文化,是合乎正義人道的文化,以亞洲的文化,是不合乎正義人道的文化。
 專就最近幾百年的文化講:歐洲的物質文明極發達,我們東洋的這種文明不進步。從表面的觀瞻比較起來,歐洲自然好於亞洲;但是從根本上解剖起來,歐洲近百年是甚麼文化呢?是科學的文化。是注重功利的文化。這種文化應用到人類社會,只見物質文明,只有飛機炸彈,只有洋槍大砲,專是一種武力的文化。歐洲人近有專用這種武力的文化來壓迫我們亞洲,所以我們亞洲便不能進步。這種專用武力壓迫人的文化,用我們中國的古話說就是「行霸道」,所以歐洲的文化是霸道的文化。但是我們東洋向來輕視霸道的文化。還有一種文化,好過霸道的文化,這種文化的本質,是仁義道德。用這種仁義道德的文化,是感化人,不是壓迫人;是要人懷德,不是要人畏威。這種要人懷德的文化,我們中國的古話就說是「行王道」。所以亞洲的文化,就是王道的文化。自歐洲的物質文明發達,霸道大行之後,世界各國的道德,便天天退步。就是亞洲,也有好幾個國家的道德,也是很退步。近來歐美學者為留心東洋文化,也漸漸知道東洋的物質文明,雖然不如西方,但是東洋的道德,便比西方高得多。
 用霸道的文化和王道的文化比較起來說,究竟是那一種有益於正義和人道,那一種是有利於民族和國家,諸君可以自己證明。我也可以舉一個例子來說明;譬如從五百年以前以至兩千年以前,當中有一千多年,中國在世界上是頂強的國家,國家的地位,好像現在的英國、美國一樣。英國、美國現在的強盛,還是列強;中國從前的強盛,是獨強。中國當獨強時候,對於各弱小民族和各弱小國家是怎麼樣呢?當時各弱小民族和各弱小國家對於中國又是怎麼樣呢?當時各弱小民族和國家,都是拜中國為上邦,要到中國來朝貢,要中國收他們為藩屬,以能夠到中國來朝貢的為榮耀,不能到中國朝貢的是恥辱。當時來朝貢中國的,不但是亞洲各國,就是歐洲西方各國,也有不怕遠路而來的。中國從前能夠要那樣多的國家和那樣遠的民族來朝貢,是用甚麼方法呢?是不是用海陸軍的霸道,強迫他們來朝貢呢?不是的。中國完全是用王道感化他們,他們是懷中國的德,甘心情願,自己來朝貢的。他們一受了中國王道的感化,不只是到中國來朝貢一次,並且子子孫孫都要到中國來朝貢。這種事實,到最近還有證據。譬如在印度的北方,有兩個小國:一個叫做布丹,一個叫做尼泊爾。那兩個國家雖然是小,但是民族很強盛,又很強悍,勇敢善戰。尼泊爾的民族,叫做廓爾喀,尤其是勇敢善戰。現在英國治印度,常常到尼泊爾去招廓爾喀人當兵來壓服印度,英國能夠滅很大的印度,把印度做殖民地,但是不敢輕視尼泊爾,每年還要津貼尼泊爾許多錢,才能派一個考查政治的駐紮官。像英國是現在世界上頂強的國家,尚且是這樣恭敬尼泊爾,可見尼泊爾是亞洲的一個強國。尼泊爾這個強國對於英國是怎麼樣呢?英國強了一百多年,英國滅印度也要到一百多年,尼泊爾和英國的殖民地,密邇連接有這樣的久,不但是不到英國去進貢,反要受英國的津貼。至於尼泊爾對於中國是怎麼樣呢?中國的國家地位現在一落千丈,還趕不上英國一個殖民地,離尼泊爾又極遠,當中還要隔一個很大的西藏,尼泊爾至今還是拜中國為上邦。在民國元年還走西藏到中國來進貢,後來走到四川邊境,因為交通不方便,所以沒有再來。就尼泊爾對於中國和英國的區別,諸君看是奇怪不奇怪呢?專拿尼泊爾民族對於中國和英國的態度說,便可以比較中國的東方文明和英國的西方文明。中國國勢雖然是衰了幾百年,但是文化尚存,尼泊爾還要視為上邦。英國現在雖然是很強盛,有很好的物質的文明,但是尼泊爾不理會。由此便可知尼泊爾真是受了中國的感化,尼泊爾視中國的文化,才是真文化;視英國的物質文明,不當作文化,只當作霸道。
 我們現在講大亞洲主義,研究到這個地步,究竟是甚麼問題呢?簡而言之,就是文化問題,就是東方文化和西方文化的比較和衝突問題。東方的文化是王道,西方的文化是霸道;講王道是主張仁義道德,講霸道是主張功利強權;講仁義道德,是由正義公理來感化人;講功利強權,是用洋槍大砲來壓迫人。受了感化的人,就是上國衰了幾百年,還是不能忘記,還像尼泊爾至今是甘心情願要拜中國為上邦;受了壓迫的人,就是上國當時很強盛,還是時時想脫離,像英國征服了埃及,滅了印度,就是英國極強盛,埃及、印度還是時時刻刻要脫離英國,時時刻刻做獨立的運動。不過處於英國大武力壓制之下,所以一時不能成功。假若英國一時衰弱了,埃及、印度不要等到五年,他們馬上就要推翻英國政府,來恢復自己的獨立地位。諸君聽到這裏,當然可知道東西文化的優劣。我們現在處於這個新世界,要造成我們的大亞洲主義,應該用甚麼做基礎呢?就應該用我們固有的文化做基礎,要講道德,說仁義;仁義道德就是我們大亞洲主義的好基礎。我們有了這種好基礎,另外還要學歐洲的科學,振興工業,改良武器。不過我們振興工業,改良武器,來學歐洲,並不是學歐洲來銷滅別的國家,壓迫別的民族的,我們是學來自衛的。
 近來亞洲國家學歐洲武功文化,以日本算最完全。日本的海軍製造,海軍駕駛,不必靠歐洲人。日本的陸軍製造,陸軍運用,也可以自己作主。所以日本是亞洲東方一個完全的獨立國家。我們亞洲還有個國家,當歐戰的時候,曾加入同盟國的一方面,一敗塗地,已經被人瓜分了,在歐戰之後又把歐洲人趕走。現在也成了一個完全獨立國家,這個國家就是土耳其。現在亞洲只有兩個頂大的獨立國家;東邊是日本,西邊是土耳其。日本和土耳其,就是亞洲東西兩個大屏障。現在波斯、阿富汗、阿拉伯也起來學歐洲,也經營了很好的武備,歐洲人也是不敢輕視那些民族的。至於尼泊爾的民族,英國人尚且不敢輕視,自然也有很好的武備。中國現在有很多的武備,一統一之後,便極有勢力。我們要講大亞洲主義,恢復亞洲民族的地位,只用仁義道德做基礎,聯合各部的民族,亞洲全部民族便很有勢力。
 不過對於歐洲人,只用仁義去感化他們,要請在亞洲的歐洲人,都是和平的退回我們的權利,那就像與虎謀皮,一定是做不到的。我們要完全收回我們的權利,便要訴諸武力。再說到武力,日本老早有了很完備的武力,土耳其最近也有了很完備的武力,其他波斯、阿富汗、阿拉伯、廓爾喀各民族,都是向來善戰的。我們中國人數有四萬萬,向來雖然愛和平,但是為生死的關頭也當然是要奮鬥的,當然有很大的武力。如果亞洲民族全聯合起來,用這樣固有的武力,去和歐洲人講武——一定是有勝無敗的!更就歐洲和亞洲的人數來比較,中國有四萬萬人,印度有三萬萬五千萬,緬甸、安南、木蘭由共起來有幾千萬,日本一國有幾千萬,其他各弱小民族有幾千萬,我們亞洲人數佔全世界的人數要過四分之二。歐洲人數不過是四萬萬,我們亞洲全部的人數有九萬萬。用四萬萬人的少數來壓迫九萬萬人的多數,這是和正義人道大不相容的;反乎正義人道的行為,終久是要失敗的。而且在他們四萬萬人之中,近來也有被我們感化了的。所以現在世界文化的潮流,就是在英國、美國有少數人提倡仁義道德;至於在其他各野蠻之邦,也是有這種提倡。由此可見西方之功利強權的文化,便要服從東方之仁義道德的文化。這便是霸道要服從王道,這便是世界的文化,日趨於光明。
 現在歐洲有一個新國家,這個國家是歐洲全部白人所排斥的,歐洲人都視他為毒蛇猛獸,不是人類,不敢和他相接近,我們亞洲也有許多人都是這一樣的眼光。這個國家是誰呢?就是俄國。俄國現在要和歐洲的白人分家,他為甚麼要這樣做呢?就是因為他主張王道,不主張霸道;他要講仁義道德,不願講功利強權;他極力主持公道,不贊成用少數壓迫多數。像這個情形,俄國最近的新文化便極合我們東方的舊文化,所以他便要來和東方攜手,要和西方分家。歐洲人因為俄國的新主張,不和他們同調,恐怕他的這種主張成功,打破了他們的霸道,故不說俄國是仁義正道,反誣他是世界的反叛。
 我們講大亞洲主義,研究到結果,究竟要解決甚麼問題呢?就是為亞洲受痛苦的民族,要怎麼樣才可以抵抗歐洲強盛民族的問題。簡而言之,就是要為被壓迫的民族來打不平的問題。受壓迫的民族,不但是在亞洲專有的,就是在歐洲境內,也是有的。行霸道的國家,不只是壓迫外洲同外國的民族,就是在本洲本國之內,也是一樣壓迫的。我們講大亞洲主義,以王道為基礎,是為打不平。美國學者對於一切民眾解放的運動,視為文化的反叛,所以我們現在所提出來打不平的文化,是反叛霸道的文化,是求一切民眾和平等解放的文化。你們日本民族既得到了歐美的霸道的文化,又有亞洲王道文化的本質,從今以後對於世界文化的前途,究竟是做西方霸道的鷹犬,或是做東方王道的干城,就在你們日本國民去詳審慎擇。

  「ウィキソース」より

<日本語訳>

大アジア主義

(1) 文化の発祥地
 諸君、本日諸君の最も熱誠なる歓迎に応じて自分は誠に感謝に堪えぬのであります、今日皆さんに申上げる所の問題は即ち大亜細亜主義であります。
 惟うに我亜細亜というのは即ち世界文化の発祥地である、世界最初の文化は即ち亜細亜から発生したのであります(拍手)今日欧羅巴の一番古い文化の国である所の希臘の文化にしても、又羅馬の文化にしましても、夫等の文化は総て亜細亜の文化から伝えられたのであります、我亜細亜の文化というものは一番古い時から数千年前から、政治の文化にしましても、道徳的文化にしても、又宗教的文化、工業的文化、総て世界のあらゆる文化というものは、悉く亜細亜の文化から系統を引いて居るのであります、近来に至りまして…最近の数百年になりまして亜細亜の各民族が段々衰頽しまして、そして欧羅巴の各民族か段々強盛になりました、その結果、彼等は支那に向って、—彼等の力を以て亜細亜に圧迫を加えました、そうして亜細亜における各民族的国家というものは段々彼等に圧迫され、亡ぼされ、殆ど今から三四十年前までは亜細亜において一の独立したる国家というものはなくなったのであります、大勢茲に至って、即ち機運が非常に衰頽し、亜細亜の運命が衰頽の極にあって、そしてこの機運がこの三十年前に至って愈々復興の機運になったのであります。
 この三十年前において亜細亜の復興機運が発生したという事実はどういうことから認められるかというと、即ち三十年前において日本国が各国との間に存在した所の不平等条約、平等ならざる条約の改正を得たという時から、亜細亜民族というものが始めて地位を得たのであります(拍手)この日本の条約改正によりまして、日本が独立したる民族的国家となりましたけれども、其外の亜細亜における各民族国家というものは、総て独立したる国家でなく、総て欧米各国の植民地の境遇に居るのであります、我中国であっても、又印度波斯、亜剌比亜、その他のあらゆる亜細亜の民族で国家というは総てまだ植民地という境遇に居るのであります、そう考えるというと日本という独立したる民族的国家の建設せられた所以は、即ちお国の国民が努力して、この不平等なる条約の撤廃、廃止それから得たのでありまして、その後段々亜細亜の各民族の国家に亘りまして、亜細亜の独立運動というものが、段々その機運が熟して来たのであります(拍手)
 三十年前におきまして亜細亜の人間は、欧羅巴の学術の発達を見又欧米各国の殖産興業の発達を見、彼等の文化の隆盛を見、又武力の強盛を見ても、迚も我亜細亜各民族が欧洲人種と同じような発達を致すということが出来ないという観念を持ったのです、これが即ち三十年前における亜細亜民族の考えである、処で日本の条約改正によって亜細亜の民族は始めて欧羅巴の圧迫から遁れることが出来るという信念を持ったのであります、けれども尚之を全亜細亜民族に伝えるだけの力を持たず、それから十年たって日露戦争が始まり、日本が欧羅巴における最も強盛なる国と、戦って勝ったという事実によって、亜細亜の民族が欧羅巴の最も強盛なる国よりも強い又亜細亜民族が欧羅巴よりも発達し得るという信念を全亜細亜民族に伝えたのであります(拍手)
 自分の見分する所知る所を之から諸君に申上げます日露戦争当時自分は仏蘭西の巴里に居りました丁度その時日本の艦隊が日本海において露西亜の艦隊を撃破したという報が巴里に伝わった、それから数日後に自分は巴里を去って蘇士の運河を経て帰国の途に就いたのであります、そうして蘇士の運河を通過する時、亜剌比亜の士人—蘇士の運河の士民が大分船の中に入って来て、自分の顔が黄色い黄色民族であるのを見て、自分に「あなたは日本の人であるか」とききましたが、そうじゃない自分は支那の人である日本の人でないということを答えて、そうしてどういう事情であるかと聴いたら、その人達が『我々は今非常に悦ばしいことを知った、この二三ヶ月の中に、極最近の中に東の方から負傷した露西亜の軍隊が船に乗って、この蘇士の運河を通過して欧羅巴に運送されるということを聞いた、是は即ち亜細亜の東方に在る国が欧羅巴の国家と戦って勝ったということの証明である、我々は、この亜細亜の西における我々は、亜細亜の東方の国家が欧羅巴の国家に勝ったという事実を知って、我々は恰も自分の国が戦争に勝ったということと同じように悦ばしく思って居る』というのでありました(拍手)
 彼等は亜細亜の西の民族である、亜細亜の西における亜細亜民族は一番欧羅巴に接近して居って、一番欧羅巴の国家の圧迫を受けつつある、故に彼等は、この亜細亜の国家が欧羅巴の国家に勝ったという事実を知りまして、亜細亜の東の民族よりも、国民よりも非常に悦んだのである、その時から始めて埃及の民族が独立、埃及国の独立運動というものが始まった、それから亜剌比亜民族も、波斯の民族も、土耳其も、又亜富汗尼斯坦も、印度においても、印度の民族においても総てその時から初めて独立運動というのが盛んになったのであります(拍手)

 (2) 王道の文化
 日本が露西亜と戦って勝ったという事実は、即ち全亜細亜民族の独立運動の一番始りである(拍手)それ以来二十年間におきまして、この希望、運動が益々盛んになりまして、今日にあっては埃及の独立運動も成功し、又土耳其の独立も完全に出来上り、波斯の独立も、又阿富汗尼斯坦の独立も成功し、そうして印度の独立運動も益々盛んになる次第であります、是等の独立運動、独立思想というのが亜細亜の各民族に起りまして、そうして西方の亜細亜民族は総て此独立運動の為めに結合し、非常に大なる団結運動に着手しつつある、けれども唯亜細亜の東におきまして、日本と我国とのこの二国の結合、連繋というのが未だ出来ていないのであります、斯ういう運動、総てこの亜細亜の民族が欧洲民族に対抗して亜細亜民族の復興を関るのであるということは、欧米の民族が非常に明白に観て居ります
 この亜細亜民族が眼を醒したということを、欧米人がどう観て居るかというと、この最近米国の学者が一の書物を作りました、その書物にどういうことを論じてあるかというと、即ちこの亜細亜民族の覚醒ということを論じてある、彼等がこの亜細亜民族の覚醒というとをどう観て居るかというと、彼等は亜細亜民族の覚醒というのは即ち亜細亜民族が世界の文化に対する謀叛であるというのです。この米国の学者のストータという人が作ったこの書物の名は即ち「文化の謀叛」という名であります、即ち彼等が亜細亜民族の覚醒したという事実を観て、是は世界の文化の一の危険であると論じてあるのであります、この書物は出版されてから僅の日数を以て数十版を重ね、更に各国語に翻訳さり、欧羅巴の人も、亜米利加の人もこの本に論じてあることを殆どバイブルに書いてある事のように非常に尊重して居る次第であります(拍手)この書物に論ぜられた亜細亜の覚醒ということも矢張り日露戦争が始まりであると論じてある。そうしてこの亜細亜民族の覚醒というのを世界に対する威嚇であり世界の文化に対する不穏であると彼等は観て居る、即ち彼等は欧米民族だけ世界の文化に浴せらるるこの権利がある、亜細亜民族というものは決して世界の文化に浴せられる権利を持っていないと彼等は観て居り、信じて居るのであります(拍手)
 欧洲民族の考えでは、彼等は世界文化というのは単に彼等が持って居る文化—彼等の文化というのが即ち一番高尚な文化であると思って居る、成程此数百年来欧羅巴の文化は非常に発達しました、彼等の文化は我東洋の文化より進んでいた、東洋の文化はこの四百年において確に欧洲文化に及ばないけれども、彼等の文化というのは何であるかというと、即ち唯物質的文化であり、又武備武力によって現れる所の文化である(拍手)即ち亜細亜の昔の言葉を以て評すると、欧洲の文化というのは霸道を中心とする文化でありまして、我亜細亜文化とゆうのは王道であります、王道を中心とする文化であります、彼等は単に彼等の国を以て我亜細亜を圧迫し、亜細亜民族を酷使する道具である、故に近来欧洲の学者で東洋の文化というのは道徳的で、道徳的文化に至っては、彼等よりも欧洲の文化よりも進んで居るということを段々認めて来たのであります、一番著しい事実というのは、即ち近来欧洲の文化というものが発達して以来世界的道徳、国家的道徳というものが非常に衰頽して来ました、そうして昔この亜細亜の文化が非常に発達した時代では国家的道徳が非常に進んでいたのであります今から二千年前から五百年前までの間というのは即ち我国の一番強盛な時代である、世界において二千年前から五百年前までの間の支那というのは世界における最も強盛なる国であり、第一の国である、今日の英国、又米国を以て較べても尚我国のその時代における世界的地位に及ばないのである(拍手)その時に亜細亜の南、又亜細亜の東、又亜細亜の西、阿富汗尼斯坦辺まであらゆる邦国、又あらゆる大陸的国家、民族が総て我国に来朝した、我国を祖国と思い、喜んで我国の属国となっていましたけれども、此等の属国に対して何をしました、又之等の属国、領土を得ましたのは、果して海軍の力を用いて征服したのであるか、或は陸軍の力を用いて征服したのであるか、決してそうでない、単に我国の文化に浴せられまして悦んで心服して我国に来朝しただけであります
 この事実は今日になりましても尚はつきり証明し得る証拠があるのであります、亜細亜の西蔵の西に二つの国がある、極く小さい国である、一は即ちブータンであり、即ち一はネパールでありまして、この二ツの小さい国の一ツのネパールは小さい国ではあるけれどもその民族というのは非常に強い民族である、今日英国の印度に於て用いて居る軍隊の一番最も強いコーカストという軍隊は即ちネパールの民族を用いたのであります、英国はネパールという国に対して非常に尊敬し、出来るだけネパールに尊敬を払いました、そうしてあらゆる工夫をして漸くネパールへ一人の政治を研究する人を寄越すことが出来た、この英国があらゆる礼□を尽し、そうしてあらゆる方法を以てネパールに厚意を表した所には即ちネパール民族が非常に強い民族であり、英国がこのネパール民族を、コーカスト民族を利用して、それを用いて、これを軍隊にして、この印度の鎮圧に使うという目的を持って居るからである、英国が印度を減亡したのには既に非常に長い時間がたって居るけれども、このネパールという国は英国に対して今日尚独立の態度を以て英国に対し、決して英国を自分の上国、祖国であると思っていない、そういうことを感じていない 我国は非常に弱くなってから既に数百年たって居る、けれどもこのネパールという国は今日になっても、この最も国力の弱い我国に対しては従来の通り我国を上国と思い、又我国を彼等の祖国であると観て居るのであります、そうして民国元年までこのネパールの国は依然として祖国の礼を以て我国に来朝した事実があったのであります(拍手)その事実を見れば是は実に最も奇怪なる事実であると見るのであります、この一の事実を観れば即ち欧洲文化と東洋文化の比較というのがこの事実によって非常に明白となり得るのである、我国は衰頽して以来既に五百年たったこの五百年も衰頽した我国を尚ネパールは祖国と思い、上国と認めている一方英国は今日世界中に於ける最も強盛な国であるけれども、ネパールという国は如何に英国が強くてもまだ彼は自分の祖国であるということを認めていない、この一ツの事実は即ち東洋の民族は、この東洋の文化、この東洋の王道により文化に信頼を持って居るが、欧洲の覇道を中心とする文化に対しては決して信頼して居らぬのである(拍手)

 (3) 日本と土耳其
 大亜細亜問題というのは何ういう問題であるかというと、即ち東洋文化と西洋文化との比較問題である、即ち東洋文化と西洋文化との衝突する問題である、この東洋の文化は道徳仁義を中心とする文化でありまして、西洋の文化というのは即ち武力、銭砲を中心とする文化である、それでこの道徳仁義を中心とする文化の感化力というものはどれだけあるかということは、即ち五百年間衰頽して来た所の我国に対して尚ネパールという国が今日になっても我国を祖国であると認めるという一の事実が即ち仁義道徳の感化力のどれだけ深いというとを証明するのであります(拍手)
 そうして西洋文化、武力による文化の力がないということは即ち今日英国の武力をもってしても、尚英国の勢力である所の埃及と、又は亜剌比亜、又波斯の到る処においてこの独立運動、革命運動というのが起り、若し五年間英国の勢力が衰頽したならば、即ち総ての英国の属地というものが悉く独立運動を起して英国に反対するのであります、夫は即ち東洋文化と西洋文化との文化の何方の文化が良いかということを証明するのである(拍手)
 それでこの大亜細亜主義というのは何を中心としなくちやならぬかというと、即ち我東洋文明の仁義道徳を基礎としなくてはならぬのである(拍手)勿論今日は我々も西洋文化を吸取しなくてはならぬ、西洋の文化を学ばなくてはならぬ、西洋の武力的文化を採り入れなければならないけれども、我々が西洋文化に学ぶというは決して之を以て人に圧迫を加えるのでなく我々は単に正当防衛のために使うのである、欧洲の武力による文化を学んで非常に進んだのは即ち日本でありまして、今日日本の海軍力も陸軍力も自国の人により自国の技術により、製造力により海軍をも用い、又陸軍をも完全に運用し得たのである。
 そうして又西の方におきましてモウ一ツ土耳其という国があります、これは欧洲戦争の時には独逸に加担して、そうして負けましてから殆ど欧洲各国に分割される境遇になったのであるが、彼等国民の努力獲闘によりまして、之を打破して全く完全なる独立を今日得たのである、即ちこの亜細亜の東において日本あり、又西においては土耳其あり、この二ツの国は即ち亜細亜の一の防備であり、亜細亜の最も信頼すべき番兵である、又亜細亜の中部においては阿富汗尼斯坦という国があり、又ネパールという国がある、この二ツの国は矢張り強い武力を持って居る国である、これ等の国民は今日の戦闘的能力というのは非常に強いのである、将来波斯にしましても、又□羅にしましても、総て皆武力を養成し得る民族である、又我中国では今日段々国民が覚醒されまして、この四億の民衆を以てして将来欧羅巴の圧迫に対して矢張り非常に大なる反抗力を持つのである(拍手)
 訂正 前号王道の文化中「文化の謀叛」の著者をストータとしたのはストツダードの誤

(4) 我等の覚醒
 そうしてこの亜細亜におきましては、我国に四億の人間が居り、又印度は三億万の人民を有し、亜細亜の西においても亦一億万の人民がある、南洋一帯において数千万の人間かある、日本においても数千万の人が居る、そうしてこの世界四分の一の人種を抱擁して居る亜細亜は全部仁義道徳を以て連合提携して、この欧洲の亜細亜に対する圧迫に対抗するだけの武力、力というのが必ず出来るのである、即ち我々は宜しく我々の東洋の文化、この仁義道徳を中心とする文化を本とし、我亜細亜民族団結の基礎にし、又この欧洲に対して我々が学んで来た所の武力による文化を以て欧羅巴の圧迫に対抗するに使うものである。(拍手)
 欧米の人民は僅四分の一の四億の民衆でありまして、我亜細亜民族は十二億万あるのである、今日の事情は即ち欧米各国は四億の人間を以て、我十二億万の人民に対して圧迫をするのである、これは即ち正義人道に違反する行為である(拍手)今日欧羅巴におきましても、又亜米利加におきましても、総て彼等は非常に専横極まる力を揮って居るけれども、彼等の国においては、米国におきましても、英国におきましても、あらゆる欧米の国の中には依然として矢張り少数の人が、この仁義道徳を重んじなてはならぬということを知って居る人があるのである、そうして見るというと即ち段々彼等の中にも東洋の文明、即ち仁義道徳を中心とする文明を信ずるように段々なり得るのである。(孫氏は之において『露国は欧洲文化の幣害を見て仁義道徳を重んじなければならぬと感じ、欧洲各国の政策と分裂する方針をとり、為に白晢人種の国より謀叛視せられて居る」と説き尚語をつづけて)
 それで大亜細亜問題というのはどういう問題であるかというと、即ち此圧迫される多数の亜細亜民族が全力を尽して、この横暴なる圧迫に—我々を圧迫する諸種の民族に抵抗しなければならぬという問題である、今日のこの西洋文明の下にある国々というのは、単に少数の民族の力を以て、多数の亜細亜民族を圧迫するのみならず彼等の国家の力を以てして、彼等の自分の国内の人民に対しても依然として圧迫をするのである、故にこの亜細亜の我々の称する大亜細亜問題というのは即ち文化の問題でありまして、この仁義道徳を中心とする亜細亜文明の復興を図りまして、この文明の力を以て彼等のこの覇道を中心とする文化に抵抗するのである、この大亜細亜問題というのは我々のこの東洋文化の力を以て西洋の文化に抵抗するという、西洋文化に感化力を及ぼす問題である、米国の或学者の如き我々の亜細亜民族の覚醒というのは、西洋文化に対する謀叛であるという、我々は確に謀叛である、併しこの謀叛というのは、単に覇道を中心とする文化に対する謀叛でありまして、我々は仁義道徳を中心とする文明に対して、我々のこの覚醒は即ち文化を扶植する、文化を復興する運動である。(拍手喝釆、了=昨日「完」とありしは誤り)

 大阪毎日新聞 1924年 (大正13)12月3日~12月6日 於:神戸高女にて 戴天仇氏通訳より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1185年(文治元)源義經追討のため、「文治の勅許」により、諸国に守護・地頭を置くことを許可する(新暦12月21日)詳細
1835年(天保6)幕末の志士・政治家井上馨の誕生日(新暦では1836年1月16日)詳細
1872年(明治5)「徴兵令詔書及ヒ徴兵告諭」が発布される(新暦12月28日)詳細
1878年(明治11)物理学者・随筆家・俳人寺田虎彦の誕生日詳細
1883年(明治16)鹿鳴館が開館する詳細
1897年(明治30)小説家・随筆家宇野千代の誕生日詳細
1914年(大正3)北海道の新夕張炭鉱若鍋第二斜坑でガス炭塵爆発事故が起き、死者・行方不明者423人を出す詳細
1951年(昭和26)「旅券法」(昭和26年法律第267号)が公布(施行は同年12月1日)される詳細

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