
中島河太郎(なかじま かわたろう)は、大正時代の1917年(大正6)6月5日 鹿児島県鹿児島市平之町において生まれましたが、本名は中嶋馨(なかじま かおる)と言いました。鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て、1939年(昭和14)に旧制第七高等学校を卒業後、東京帝国大学文学部国文学科へ進み、中世説話文学を専攻します。
1941年(昭和16)に卒業後、中学校教諭となり、旧制東京都立第七中学校から東京都立墨田川高等学校の教諭を勤めました。一方で、1945年(昭和20)に柳田國男の説話会に参加、1947年(昭和22)には、「探偵新聞」に連載した『日本推理小説略史』で江戸川乱歩に注目され、ミステリー小説評論家としての本格的な活動を開始します。
1949年(昭和24)に個人誌「黄色の部屋」の発行を開始(~1954年)、1952年(昭和27)11月から、『探偵小説辞典』を「宝石」に掲載開始しました。1955年(昭和30)にこれにより、第1回江戸川乱歩賞を受賞、1960年(昭和35)に『推理小説ノート』を刊行、1965年(昭和40)には、『日本推理小説史 第一巻』が第18回日本推理作家協会賞の候補となります。
1966年(昭和41)に『推理小説展望』で、第19回日本推理作家協会賞を受賞、和洋女子大学および同短期大学部の国文学科講師に着任しました。1968年(昭和43)に助教授、1970年(昭和45)に教授に昇任し、1980年(昭和55)には、同大学文家政学部の学部長となります。
1985年(昭和60)に日本推理作家協会理事長となり、1988年(昭和63)に勲四等旭日小綬章を受章、1991年(平成3)には、和洋女子大学学長、和洋女子短期大学学長となりました。1996年(平成8)に同大学学長を退任し、名誉教授となり、1997年(平成9)には、ミステリー文学館の初代館長に就任しています。
1998年(平成10)に第2回日本ミステリー文学大賞を受賞したものの、翌年5月5日に、腎不全により、81歳で亡くなりました。尚、推理小説研究の第一人者として知られましたが、柳田國男、正宗白鳥の研究でも高く評価されています。
1941年(昭和16)に卒業後、中学校教諭となり、旧制東京都立第七中学校から東京都立墨田川高等学校の教諭を勤めました。一方で、1945年(昭和20)に柳田國男の説話会に参加、1947年(昭和22)には、「探偵新聞」に連載した『日本推理小説略史』で江戸川乱歩に注目され、ミステリー小説評論家としての本格的な活動を開始します。
1949年(昭和24)に個人誌「黄色の部屋」の発行を開始(~1954年)、1952年(昭和27)11月から、『探偵小説辞典』を「宝石」に掲載開始しました。1955年(昭和30)にこれにより、第1回江戸川乱歩賞を受賞、1960年(昭和35)に『推理小説ノート』を刊行、1965年(昭和40)には、『日本推理小説史 第一巻』が第18回日本推理作家協会賞の候補となります。
1966年(昭和41)に『推理小説展望』で、第19回日本推理作家協会賞を受賞、和洋女子大学および同短期大学部の国文学科講師に着任しました。1968年(昭和43)に助教授、1970年(昭和45)に教授に昇任し、1980年(昭和55)には、同大学文家政学部の学部長となります。
1985年(昭和60)に日本推理作家協会理事長となり、1988年(昭和63)に勲四等旭日小綬章を受章、1991年(平成3)には、和洋女子大学学長、和洋女子短期大学学長となりました。1996年(平成8)に同大学学長を退任し、名誉教授となり、1997年(平成9)には、ミステリー文学館の初代館長に就任しています。
1998年(平成10)に第2回日本ミステリー文学大賞を受賞したものの、翌年5月5日に、腎不全により、81歳で亡くなりました。尚、推理小説研究の第一人者として知られましたが、柳田國男、正宗白鳥の研究でも高く評価されています。
〇中島河太郎の主要な著作
・『推理小説ノート』(1960年)
・『推理小説展望』(1965年)第19回日本推理作家協会賞受賞
・『日本推理小説史』全3巻(1993~96年)
・『探偵小説辞典』(1998年)第1回江戸川乱歩賞受賞
・『柳田國男研究文献目録』
☆中島河太郎関係略年表
・1917年(大正6)6月5日 鹿児島県鹿児島市平之町において生まれる
・1939年(昭和14) 旧制第七高等学校を卒業する
・1941年(昭和16) 東京帝国大学文学部国文科を卒業、中学校教諭となる
・1945年(昭和20) 柳田國男の説話会に参加する
・1947年(昭和22) 「探偵新聞」に連載した『日本推理小説略史』で江戸川乱歩に注目される
・1949年(昭和24)10月 個人誌「黄色の部屋」の発行を開始する
・1952年(昭和27)11月 『探偵小説辞典』を「宝石」に掲載開始する
・1954年(昭和29)10月 個人誌「黄色の部屋」発行が終了する
・1955年(昭和30) 『探偵小説辞典』で、第1回江戸川乱歩賞を受賞する
・1959年(昭和34)2月 『探偵小説辞典』の宝石掲載が終了する
・1960年(昭和35) 『推理小説ノート』を刊行する
・1965年(昭和40) 『日本推理小説史 第一巻』が第18回日本推理作家協会賞の候補となる
・1966年(昭和41) 『推理小説展望』で、第19回日本推理作家協会賞を受賞、和洋女子大学および同短期大学部の国文学科講師に着任する
・1968年(昭和43) 和洋女子大学助教授に昇任する
・1970年(昭和45) 和洋女子大学教授に昇任する
・1980年(昭和55) 和洋女子大学文家政学部の学部長となる
・1985年(昭和60) 日本推理作家協会理事長となる
・1988年(昭和63) 勲四等旭日小綬章を受章する
・1991年(平成3) 和洋女子大学学長、和洋女子短期大学学長となる
・1996年(平成8) 和洋女子大学学長を退任し、和洋女子大学名誉教授となる
・1997年(平成9) ミステリー文学館の初代館長に就任する
・1998年(平成10) 第2回日本ミステリー文学大賞を受賞する
・1999年(平成11)5月5日 腎不全により、81歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1763年(宝暦13) | 俳人小林一茶の誕生日(新暦6月12日) | 詳細 |
1829年(文政12) | 囲碁棋士・14世本因坊秀和跡目の本因坊秀策の誕生日(新暦6月6日) | 詳細 |
1911年(明治44) | 文学者市古貞次の誕生日 | 詳細 |
1925年(大正14) | 改正「衆議院普通選挙法」(普通選挙法)公布で満25歳以上の全成年男子に選挙権が与えられる | 詳細 |
1951年(昭和26) | 子供の権利に関する宣言「児童憲章」が制定される(児童憲章制定記念日) | 詳細 |
1958年(昭和33) | 東京都に「多摩動物公園」が開園する | 詳細 |
1965年(昭和40) | 神奈川県横浜市の多摩丘陵の一画に「こどもの国」が開園する | 詳細 |